夏の邦画祭り第4弾 映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』戦火の人々は逞しかったのだろうか  Summer Japanese Film Festival Vol.4: In This Corner (and Other Corners) of the World — Were People Living Through War Truly Resilient?
2026-08-22 1:35:59

夏の邦画祭り第4弾 映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』戦火の人々は逞しかったのだろうか  Summer Japanese Film Festival Vol.4: In This Corner (and Other Corners) of the World — Were People Living Through War Truly Resilient?

「なんでも使うて暮らしつづけるんが、うちらのたたかいですけん。」 — 北條すず、『この世界の片隅に』(2016)

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毎度どうも。映画談義パーソナリティのまこです。 今回取り上げるのは #この世界のさらにいくつもの片隅に です🌸

図らずも終戦記念日の収録となった今回のエピソード。

歴史の教科書には決して載らない、市井の人々と戦争。片渕須直監督がミクロな視点で描く戦火の日常は、「逞しく生きる人々の記録」として語られることが多い。でも——本当にそうなのか。

平和の中に生きる僕らがこの映画に向ける眼差しに、どこかエゴはないか。感動で終わらせることへの後ろめたさはないか。

「考えさせられる」で終わらないのがリルパルですが、今回ばかりは簡単に答えが出ない問いと向き合うことになりました。ぜひ一緒に考えてみてください。

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podcasterの まこ(@_macobana)が、語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。 語りたい映画なんて尽きることない! エピソードの公開は毎週or隔週となります。

ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPal でツイートをお願いします。 いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

公式noteもやってます。 https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5

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これからも番組をよろしくお願いします。


"Using everything we have and just keeping on living — that's our fight." — Suzu Hojo, In This Corner of the World(2016)

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Hey there! I'm Mako, your movie talk personality. This episode covers #InThisCornerOfTheWorld 🌸

As it turned out, this episode was recorded on the anniversary of the end of World War II.

The everyday lives of ordinary people — the kind who never make it into history textbooks — set against the backdrop of war. Director Katabuchi Sunao's ground-level portrait of daily life under fire is often described as a story of resilience. But is it really that simple?

Does the way we — people who have only ever known peace — look at this film carry its own kind of ego? Is there something uncomfortable about being moved to tears and then moving on?

ReelPal doesn't do "thought-provoking and leave it there" — but this one raised questions that don't have easy answers. Come think through it together.

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Podcaster Mako (@_macobana) started out sharing his unfiltered movie opinions on his talk show #Yomoyamakobanashi(#makobana) — and now those conversations have found a home of their own. There's no shortage of films worth talking about! New episodes drop weekly or bi-weekly.

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感想

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サマリー

今回のエピソードでは、映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』を題材に、戦争という極限状況下で人々がどのように生き抜いたのか、そして「たくましさ」とは何かについて深く掘り下げています。単に感動的な物語として消費するのではなく、平和な時代に生きる私たちがこの映画とどう向き合うべきか、という問いを投げかけます。 映画の描写を通して、当時の人々の生活の知恵や、食料不足の中で工夫して生きる姿が描かれます。特に、タンポポや野草を食べるシーン、マテガイの採取など、現代では失われつつある生活文化に触れ、命を繋ぐための知恵や、食べ物への感謝の念について考察します。また、主人公すずが絵を描くことを通して現実と向き合い、右手を失った後も生きる意志を見出す過程は、彼女の繊細さと強さを浮き彫りにします。 さらに、登場人物たちのセリフに込められた「贅沢」の意味を掘り下げ、「贅沢は敵だ」という標語が掲げられた時代に、人々がいかにささやかながらも「贅沢」を見出し、生きる喜びを見出そうとしていたのかを考察。リンの「秘密はなかったことになる、それはそれで贅沢なこと」という言葉や、すずがリンの愛の記憶を引き継ぐことで、死してもなお愛が残ることの贅沢さを語る場面は、本作の深いテーマを示唆しています。最終的に、戦争という過酷な状況下でも、自らの人生を選択し、生きる場所を見つけようとする人間の尊厳と、アモールファティ(運命への愛)に通じる生き方を提示し、鑑賞者に深い感動と考察を促す内容となっています。

オープニングトーク:おうちキャンプとテントのロマン
次回予告
おうちキャンプとは?
おうちキャンプとは?
おうちキャンプとは?
おうちキャンプとは?
おうちキャンプとは?
てた時期があって 自転車に結構しっかり乗ってた時に自転車でキャンプ行ってみたいなと思って
超絶ウルトラライト構成で組むとしたらまあ間違いなくムーンライトテントだろうなという
そうだろうね 楊 ところでねちょっと検討していたんですけれどもちょっと生活環境も変わってしまったんでなかなか自転車に乗る機会がなくなり
結局かわずじまいなんですけど モンベルに行くたびにですねその頃の夢があのちょっと
頭をよぎるというかね いずれはっていうふうにやっぱちょっと思いたいですね
いやーぜひキャンプ行こうよ
楊 友達とキャンプに行ってムーンライトテントってどうなの? え?なんで?
あるある 乗る場所別に一緒じゃなくて? 楊 まあそりゃそうだけどさなんかちょっとワクワクしたいじゃん
なんかこうテントの中でさランタンを吊るしてさちょっとなんかあのくだらない話にこうちょっと
花を咲かせるみたいなそういうちょっとこう ワクワクな夜やっぱこう俺にとってのキャンプってやっぱり子供の頃の思い出だからさ
やっぱそういうテントの中で雑魚寝するっていうところにちょっとこうなんていうの ワクワクがまだあった感じがするんですよね
なんかやっぱムーンライトテントで寝るっていうのはあくまでやっぱこうソロだなっていう
そこなんかこうちょっと違うロマンなのよ なるほどね
楊 ロマンの方向性が違うわけね ムーンライトはやっぱあくまで本当にこう一人で完結するテント
完結するキャンプっていうロマン なんかもう誰にもあの全く阻害されず本当に自分のためだけに自分の時間を使っているみたいな
本当に確実された周辺から確実された自分だけの空間で自分だけの時間を過ごしているみたいな そういうロマンはあるんだけど
友達と行くのにそれってちょっと自分の中でどうなのってちょっと思っちゃうんすよね
ただそうなってくるとこの二人で一緒に入れるテントってなんだよっていう まあ僕がもう一個持ってるTPテントだったら余裕で入れるんですけど
たぶんあと4人くらい来ても寝れるぐらいのサイズ ファミリー用のやつを一人で使ってるから
たぶん全然いけるんだけど最近はね グループソロキャンっていうわけのわかんないのが流行ってて
グループでいるんだけど テントだったりとか焚き火だったりとか本当におのおのそれぞれ
料理作ったりする時もおのおのそれぞれ作って ちょっとおしそ分けしたりみたいな
でちょっとなんか語り合ったりみたいなこともするみたいなのが グループキャンプでも割と主流になりつつあるっていうのがあって
僕は友達と行くときもだいたいそんな感じでいつも 楊 その辺もなんかちょっと世相を反映してる感じはありますよね
個人を大事にするみたいな ならなく本当にある種コミュニティを共有するっていう経験体験じゃないですかキャンプって
ある種グループで行くのって 本当にみんなで協力して一つの生活空間を作っていく
そこで決められた日数を過ごしていく中でみたいなそういうイメージがあるんだけど でもやっぱりこう自分だけの時間自分だけの空間っていうものはやっぱり
こう話したくない捨てたくないよねみたいな そういう感じがなんかちょっとこう
あるね 絶妙に 簡易的な集落作ってるみたいな
そんな感じがあるなっていう気がして
ちょっと面白い一方でちょっとまかし切なくも感じますけどね
あとはさキャンプに求めるロマンってさ やっぱりそれぞれなのよ
だからそのキャンプ行った時にグループキャンプ行った時に一番困るのがさ
このロマンを追い求めると グループで共有できないっていうのがどうしてもあるわけよ
しかも僕ら世代って結構さ幼少期にキャンプしてましたみたいな人が結構そこそこの人いるからさ
そういうことするんだみたいな感じで聞かれた日にはさ 二度と行かないっていう気分になってた
それで言うと比較的参入障壁を下げつつ
初心者を誘いやすくするみたいな効果はあるだろうね
あと寝る時に一人になりたいって人はグループキャンプでもそこそこいてさ
多分そこもあるんじゃないかな
そうだねなんだろうね寝顔を人に見せたくないみたいな人ってやっぱり結構いますよね
いるんだよねちょっと意味わかんないんだけど
そうね何も気にしてないタイプの人間とそうじゃない人っていますからね
気になるとしたら男同士で泊まるとどうしても気になるのでいびきね
まあそうねそこはやっぱそうよてかその場合はね俺すごいいびき出す側なんで
ソロでテント持ってきたからといって解決するデシベルじゃないんですよね
大丈夫そこそこ話してはるから
牛の声に紛れるぐらいになったら何も文句言わない
なるほど多分熊の方が逃げていくタイプだと思いますね
確かに泊まりに来た時にチラッと君が寝てるところを覗いたけどそこそこのデシベルでしたね
でしょだから全然熊が怖くないですね
うつ伏せでさなんかもう倒れた明け炎みたいな格好してたのにさそこそこにいびき返っちゃうのこいつやるな
そうなんですよだから多分あれあのいびきの音に合わせて若干うつ伏せだからね
あのいびきで体が浮いてますね温圧で
温圧で
温圧でムーンってことで多分浮いてる
ふわっと
そのぐらいの音は出ますから
何の話よこれほんとに
この時点ででなくてよかったな
色んな生活があって色んな思想があってそれでも人は生きていくという
そういうことですかね
本日のテーマ発表:映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』
そんなお話をずいぶんとダウンスケールしてるな今回の物語を
いいのかそれでって思っちゃいますけどももう少しスケールの大きいお話を取り扱っていこうと思いますので本日も参りましょう
はい
はいということで本日のテーマは
はい
夏の邦画祭り第4弾
映画この世界のさらにいくつもの片隅に
戦火の人々はたくましかったのだろうかということでね
なるほど
この問いは深いですね
いや深いですね
深いですねこれは
すごくね今回見た映画がこの世界の片隅にという作品なんですけれども
オウマから是非こっちを見てくれということでこの世界のさらにいくつもの片隅にと
そうですね
原作の映画化をしたんだけれどももともとミニシアター系の作品だったんですよね
ああそうなんだ
それが結構口コミで広がってロングランになってっていう背景でもって
原作をミニシアターの映像化する上で
なくなく削ったエピソードのいくつかをもう一度取り込んで
もう少しエピソードを増やした作品
それがこのこの世界のさらにいくつもの片隅の方らしいです
したがって原作漫画のストーリーラインっていうものを
より拡充した形で取り上げているのがこちらになるということですので
今回はそちらの方だけ僕は見させていただきましたということで
そんな感じですけど
『はだしのゲン』との比較と戦争アニメの意義
どうでした?
いや面白かったですね
よかった
干渉する機会がある戦争体験を題材としたいわゆる漫画アニメ作品ってなると
やっぱり裸足の原になるわけですよ
裸足の原は本当に印象に強いですね
そうね小学校に唯一あった漫画といってもこのではない
そうですねなんかそれだけ許されてるみたいな感じのところがあって
みんな読んでましたから大取り役そもりみたいな
やっぱり小学校においていい口調じゃない
そうなんだよリアルな広島の戦火の中で生きている
しかも裏社会というか本当にボロボロな街の中でどうやって生き抜いてきたのかみたいなところで描かれている
作品だったりするわけです
原爆投下シーンなんかではちょっと原作者の方の意向で書かれてるんで正しくない内容もあったりするんですよ
そうなんだ
そう原爆が落ちてくるときにパラシュートがくっついた状態で爆弾が落ちてきたりとかしてるんですけど
まあないもんね
なんか落ちてくるぞって原爆がパラシュートついてゆっくり投下されてきてボーンみたいなパッと飛躍
その辺とかもそうですけれども正しくないこともあるんだけれどもその一方で本当に記憶を
実際に体験をした人たちの記憶っていうものを掘り起こして描いていったという作品としては非常に意義深い作品になるのかなと思いますし
確かこれってジャンプ連載だったんだっけ
え、そうなの?
調べて
私の件ジャンプなの?
俺の記憶では確かそうだったしそれで俺びっくりした覚えがあるんですよ
そうですねやっぱ週刊少年ジャンプですね
ほんとだ
そうなんですよこれ結構びっくりしませんっていう
少年いつ?
当初は1973年かな?途中からだから変わったんですよね
連載母体は変わっていったんですけれども当初はジャンプでの連載だったということで
ああ
っていう感じですね
ただまあいかんせんね
学校の図書館に置いてある漫画が僕らの次世代はこれか
あと恐らくは漫画を読ませたくない教師によって書庫の中に隠された手塚治前集だったりするんですけれども
そうねあとうちの学校の火の鳥が前回置いてありましたね
置いてあったんだうちは全部ね子供の手が届かない本棚の上にある扉付きのところにしまわれて隠されてたんですね
僕は当時から背が高かったんでそこにアクセスできる数少ない人間だったんで
なるほどね
それをこっそり開けてですね勝手に借りて読んでました
そうすると僕が隠しておいた取り出しやすいようにみんなが届くところの端っこに隠しておくんですけど
誰かしらがやっぱり見つけ始めるんですよ
そうだよね
俺が外遊びに興じている間に雨の日になって図書館に行って久々に手塚治前を読もうって行くと
もうすでにそれを嗅ぎつけた外遊び嫌い男子たちが手塚治前をその場でみんな広がって読んでるんですよ
俺はなんかムカついて俺が出したんだぞそれと思って
でもなんかそれを直接言ってもいよどってみんぬぬじゃんとか言われるだろうなと思って
ムカついたからですね僕は翌日それを全部手の届かない本棚に隠すっていう
すっごく隠しつつなことしましたね
そうね
翌日あたりから目に見えてちょっと元気がなくなっている奴らがいましたから
申し訳ないという気持ちになりましたけれども
恐縮ですからね
それはさておき裸足の源はやっぱり高ましく生きる人々の姿と
その原爆が投下された広島そしてその広島の焼け野原からもう一度立ち上がっていく
本当に水も甘えもというか本当に泥水をすすってでも生き抜いてやるっていう風な
強い人々の姿っていうのが描かれたんですけれども
一方でこの世界の片隅にはそっちじゃないよねっていう
『火垂るの墓』、『少年H』との比較
確かに主人公の親族は被爆をするんですけれども
主人公自体は広島の呉の方に嫁入りして
原爆投下の際には広島市内にはいないんですよね
そうだね山に守られて被爆自体はしなかったっていう
そうだからなんかこう描かれている姿もどちらかというと戦争そのものの描写よりも
本当にこうどうやってその変わっていくその戦争に向けてこう変わっていく暮らしの中で
主人公たちが世紀を立てていったのかというか日々をどうやって生きてきたのか
昔の日本においてねその戦前の日本においてその家庭に入った女性っていうものがどうやって
暮らしを組み立てていたのかみたいなものを知る一つの手がかりみたいになっていて
なんかすごく良かったです初めて見るタイプの戦争を題材にした作品という感じがしました
そうね僕あのこの手の作品ってさ本当に少ないなと思ってて
それこそ僕が大好きなジブリでいうと戦争映画でいうともうこの時期になると毎年のように流れつつ作品といえばさ
ホタルの墓じゃないですかあれっていうのはもう本当に戦争の戦争の中に飲まれていった少年とその妹っていうのが
どう暮らしてきたっていうところを描いた作品でなんか本当になんかたくましく生きるとか
その戦争っていうもののその巻き込まれた時の悲惨さみたいなのをすごくメッセージとして強く
与える作品だったと思うんだけれども多分それも多分戦争の一側面だし
今回のそのこの世界の片隅にっていうところもそのまたやっぱり一側面になっているんだろうなっていうところがあって
こういう系の作品でいうと僕なんか思い出すのがその少年エイチなんだよね
少年エイチもなんか昔ドラマやってたな
あやってたんだ やってたやってた特別ドラマみたいな感じで
あの特番という形でやってた気がしますけどね
なんか小学校の時にさあの瀬野河童さんのその少年エイチをね初めて父が買ってきたんだよなあれな
上下巻でさあの分厚い本だったんだけどあれをなんかもう狂ったように読み返しまくって
初めて読んでいくうちに表紙が破けた作品だったんだよね
ぐらいなんか読んだ作品であれも結構そのなんか当時の暮らしの日常っていうのがどうあるのかなっていうところを
割とこう淡々と描く作品だったと記憶してるんだけど
違う側面があったらごめんけど全然覚えてないや
なんかそういう描き方っていうのもありだなっていうのをなんか今回のこのやっぱ作品を見てすごく思ったよね
映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』あらすじ紹介
そうねなんかこうちょっといろいろ考えると
まあ戦争ってなるとどうしてもね悲惨な戦場っていうところだったり
あるいは今まさにこうやけの原と化していく町々みたいなものを見ていく
主人公の視点みたいなものがやっぱり特に焦点化されがちなんだけれども
本作なんかもそうだったけれどもどちらかというと本当にこう
資生の人々が日常生活をどう送ってきたのかみたいなところにフォーカスが当たっていって
そっちの方が主題ですよっていう風な作品でやっぱりこういうスタンスで
戦争を見ていくっていうのもすごく大事なことなんだろうなっていうのはちょっと思わせていただきましたねっていうところでね
もうちょっとあのあらすじの紹介をまずは
そうしておかないといけないので
つらつらとねちょっと感じたことをお話しさせていただきましたけれども
ひとまずあらすじいきます
ということで今回紹介するのは2019年12月公開のアニメ映画この世界のさらにいくつもの片隅にです
2018年版のですねこの世界の片隅にの250カット以上新規シーンを加えて
新たに綴られた別バージョンということになっています
主人公の鈴の声を当てているのはですね
農年玲奈さん名前が使えなくなって農さんになってますけれども
農さんがやっております
舞台は1944年ですね
終戦の1年前広島県の呉が主な舞台となります
鈴がですねほうじょうさんの元へ突入でくると
非常にぼんやりとした性格で絵を描くことだけが得意ですよみたいな
そんな女性として置かれているんですけれども
そんな中ですね政治家の困難になっていく暮らしの中で
それを工夫だったり持ち前の明るさでもって淡々と乗り越えていく姿っていうものが
前半で描かれていきます
そんな中ねある日鈴はですね
夕角の色町に迷い込んでですね
リンという同世代の女性と出会うと
境遇は全く違うんだけれども2人は仲良くなる
ところがそのリンの過去っていうものが
次第に明らかになっていく中で
実は自分がこの突入が先のですね
ほうじょうさん家の修作君とリンさんっていうのが
実はただならぬ仲だったみたいなことも分かり
ちょっと複雑な思いになったりしながらと
ただそんな中ね戦争の状況はどんどん悪化していき
鈴もですね名誉をなくしたり
自らの右腕も失ったりと
いろいろと事件も起きていくんですが
最終的に鈴はですね生き残ってどうやって
自分の人生を生き抜いていくのか
そういったね大きな命題と向き合いつつ
自分自身の居場所というものを見つけていくと
いうふうな物語となっております
一風変わった戦争映画ご覧ください
というわけでね
劇中の食文化:戦時下の食事と野草
じゃあジャブを打ちながら書簡を
共有していきましょう
ジャブねえ
しみしみ見ちゃったんだよな
軽いやつですけど
戦飯みたいなやつ
なんとかコーラ
あれ地味に食いたいですね
ちょっとねレシピが公開されるんですよ
それが戦国武将が残したとされる
特殊なレシピ
戦の時に兵牢が尽きないようにですね
いかに米の傘を増すかみたいな
そんなシーンがあって
水をめちゃくちゃ吸わせるんですけれども
ゲロまずそうですね
だってあれよく大都会に入ってる
米の花を炊くってことですよ
そうですね
全然美味しくないですどう考えても
とにかく野草を食いまくってますね
スズナセリとか
春の野草とかね
タンポポって食えるんだって
そうタンポポは食えるんだよね
びっくりしちゃった
タンポポの根っこなんかは結構長いし
食える
なんかこの映画を見るまでさ
小学生の時のさ
謎にさ
物知り顔で嘘をつくやつらいるじゃん
なんとかってなんとかなんだよみたいな
タンポポって毒だからっていうのを
ずっと信じ込んでいて
この映画を見て
え、毒食えるの?って思って調べたら
普通に野草として食えるらしく
そうですね
どうなんだろうね
日本だと日本タンポポよりも
最近はもう西洋タンポポの方が
よく見かけるようになりましたけどね
どっちがどうなんだろうっていうのは
ちょっと気になるところではありますけれども
見た感じ菊に似てるからさ
食えそうだよね
確かにね
ジェミニさんによると根から花まで
全体を食うようにできる安全な野草って書いてあるので
当時の彼は大嘘をついてたってことですね
ただ割と皇帝に生えてる野草って
毒含むものがあったりするんですよ
それこそ俺らぐらいだと
紫色の実が付く草が皇帝とかに生えてて
それを潰して色水にして
布を染めるみたいな体験活動とかさ
幼稚園とかでしなかった?
さやえんどうみたいなやつ?
違うな
もっとブルーベリーみたいな
コケモモでもなくなんだろうな
やらねえか
これ生き物ウォッチングだな
結構ですね
そういう身近な植物をまとめている本とかあったりして
今あったかなと思って手にしたら
皇帝の生き物ウォッチングで全然違ったんですけれども
割と俺それを初めて見た時に
知ったのは割と皇帝とかに普通に生えてるやつも
結構毒あるっていう
有名な水仙とかですよね
ニラと間違えて食べるやつ
どうしたら間違えるんだよっていつも思うのより
それと同じように
俺が言ってる色水に使われてる紫色の実とか
ブルーベリーと間違えて食して
食臭毒を起こす子供がいるみたいな話も聞いたことがあって
割とやっぱりちゃんと何が食えて何が食えないかっていうのって
知っておかないとダメだよねっていう
そういうものがある種この時代においては
一つ生きるための知恵として
まだ機能していた時代なんだなっていうのも
なんかしみじみ感じたという
食文化の継承と失われた知恵
確かに幼少期はさ
結構その辺のやつを俺食ってたんよね
春になったらつくしとりしてさ
卵を閉じて食べたりとか
吹きのとを摘んだりとかしてさ
食ってて
でもそういう話を人にするとさ
いつの時代の人ってよく言われるのよ
それがね本当にこう
ギリギリの世代なんだと思うよ我々
たぶん本当に
野草を摘んで食べるっていう
ごくごく当たり前に根付いていた文化というか
別にそれって当たり前のことじゃないですか
食べ物を自分で集めるって
別に何も不思議なことでも何でもないんだけれども
結局生活っていうものがどんどん家族化していって
年発展で近代化していく中で
食べ物はやっぱり税にを出して買うっていう
それ以外のいわゆる生活の知恵っていうものが
どっか断絶するタイミングは
まさに我々世代ぐらいだったはずなんですよ
おばあちゃんの知恵袋が機能しなくなった時代なんですよね
なるほどね
継承されていかないから
それがどっかで途切れてしまう
食べ物別にそんなもん買えばあるわけだから
わざわざ道に生えてるものを
食えんのか食えないのか調べるだとか
知ってるか知らないかで
間違えたら怖いみたいな
いろいろ考えるとマイナス方面ばかりに
焦点が当たって消えていったんじゃないのかと
僕自身もやっぱり友達の家に遊びに行って
友達と一緒につくしとか
それこそ吹きの音とかね
その友達のアパートの裏手の傾斜ね
に生えてるやつを集めてきて
そしたら友達のお母さんが天ぷらにしてくれて
それをみんなでお昼に食べるみたいな
やりましたし
よもぎなんかは当たり前に積んで
よもぎ団子作ってみんなで食べるみたいなのは
普通に家でもあるいは
幼稚園とかでも
普通に季節の行事としてやっていたし
あとはやっぱりその辺に生えてるのびる拾ってきて
引っこ抜いて
味噌汁にして食ったりとか
要やってましたよね
要やってたし
あともう油の季節なんて仮放題だったよね
お日出しにしてねみたいなね
毎日のように油のおつんでもって帰って
お日出しにして食ってたし
あと帰り道に結構明け日とか日和とかが
すごいある地域に住んでたもんだから
小学生の帰り道なんて腹ペコじゃん
人んちの勝手な日和もいだりとか
その辺に入ってた明け日もいで食いながら帰ったりとか
そうしてたなと思って
だからやっぱそこら辺なんだよね多分ね
まあ人んちのほとんじゃダメなんですけど
まあその大らかな時代だからね
本当に許されていたかどうかはわからないけど
まあ大らかな時代だからね
いやでもねそれはね許されてたのよ
そうなんだ
そこんちにまるちゃんっていうワンちゃんがいて
まるっていうと門のところに鼻だけ出して
ふわふわするから鼻をカリカリして遊んで
でそのまるちゃんちの日和を勝手に燃えて食って
おばちゃんにたまに見つかるのよ
そしたらおばちゃんが自らビニール袋いっぱいに燃えてくれて
じゃあこれから食って帰りなさいって言ってくれるので
いいですね
そういう時代でした
明日日なんか見ないまま死んでいく子のほうが多いんじゃねえか
下手した
明日日俺もめっちゃ見ないよ
明日日時代を
めっきり見ないね
僕なんかもう大人になってから食ってないもん
スーパーにそもそも売ってないし
売ってないからね明日日なんてね
まあはっきりしねえ味だからな
あの頃はうめいうめえって言って食ってたけどさ
決してうまいもんではねえよなって
そうなんだよね
マテガイの採取と食文化
あともう一つね食べ物関係で言うと
うわこれすげえ懐かしいと思ったのがマテガイですね
マテガイ?
マテガイ
マテガイ
マテガイっていうね細長いマテガイが
はいはいはい
でそれをなんか多分炒めて食べるシーンがあったんですけど
僕もよくねあの福岡に住んでた時に
海のほう行って
なんて言うんだろうな
今のさ屋台とかで言うとさ
ソースとかマヨネーズとかを出す容器あるじゃない
あれに塩をいっぱい入れて持っていくわけさ
でなんかポツポツポツポツと穴が開いてるから
そこに塩をちょろっと入れると
ピュッて頭出すから
コクッて掴んで
オラッていって抜くと
マテガイのこの10センチから15センチくらい抜いてきて
で家帰ってから塩をすな抜きして
バター焼きにして食うっていうのが夏の鉄板でしたね
はいはいはい
なんかあのマテガイなんかは
世界の果てまで行って急に出て
一躍ブレイクしたあの妹さん
が海外のそのマテガイの一種みたいな
超巨大なやつ
を丸かじりしてましたよ確か
マジで
マテガイ
巨大
うぇーでかっ
馬の
馬のやつみたいな
馬のやつみたいな
そうなんでねちょっとマテガイってビジュアルがあんま良くないんだよねほんとに
そうだね
ホワイトミンって書いてあるからベトナムなのかな
ちょっとなんかビジュアルがさ
まんま過ぎてちょっと
どうするっていう
ちょっといけないやつですよ
いけないやつ
ちょっと並んで置いてあるとほんとにちょっと
勘違いしそうになる
そうだからねちょっとね
心配になっちゃうんですけど
まあ
それはさておきですね
命を育む経験と労働の対価
まあやっぱり
食って大事だなっていう話ですね
大事だね
そういう記憶
やっぱり継承していかないといけないものでもあるよねっていう
やっぱりスーパーでパッキングされてるものにありがたみを感じろってのは難しくて
結局お金の対価としてもらってるわけだから
それって結局育てられるのって命を生んぬんっていうよりは
労働の大切さみたいな方向に触れちゃうよね
そうだね
稼いだお金を使ってみたいな感じになっちゃうから
やっぱり本当に命に生んぬんっていうのは
やっぱり自分で取って自分で食べるみたいな経験っていうのは
すげー大事だろうなっていう風に思うし
やっぱりこの時代の人たちはそういうのを当たり前に持ってたんだろうね
だから教育の力とかじゃなくて
普通に生活体験としてそれを学んできてるんだなっていうのを
ちょっとすごい感じましたねということですね
リンの幼少期と「知らぬふり」の優しさ
そうね
リンさんの幼少期時代なんですけど
天井裏に生活しててさ
隠まってもらってたって後々に語るシーンがあるじゃない
ありましたね
ばあちゃんどうしてたの?
ばあちゃんは知ってたんでしょ?
知ってたのかあれは
あれは知ってたんだよ
知ってるけど知らないふりをしてあげ続けてたということじゃない
あーなるほどね
そうそうそう
だからまあ食べるものもないわけで
だからスイカの皮なんか食ってるわけじゃないですか
はいはいはい
だからそんな子のために
切ってあげりゃいい
気づかないふりをしてあげ続けるという
オオラカですね
そうオオラカですね
あのエピソードなんかはね本当に面白いですよね
すずの幻覚なんじゃないかと
それを思わせるようなエピソードだけど
それが後々実は本当のことで
それがリンだったみたいな
なかなか面白い仕掛けになったなって気がしますね
また面白いって言っていいのかわかんないけれども
戦前というところにおいては
そのまあ
なんていうの
ガチの
ガチのマジの
その
売られてきた女の子っていうのが
あり得るんだよね
っていう怖さ
その色待ちに感じられる
その退廃的な雰囲気っていうものが
ちゃんと説得力を持っているというか
なんかもう本当になんていうのかな
アニメ表現の意義:戦争の悲惨さを描く手法
SNSに影響されて
一攫千金みたいな感じで
あの非常に切な的な考えで
入ってくる女の子とかじゃなくて
本当にだから別に
それを望んだわけでもないけれども
売れるものの一つとして
身体を選択しせざるを得ない女性っていう
本当になんかこう
うわっ
っていう
ね、芯に迫るところが
結構ありましたからね
あの
ちゃんと最初は
いい思いさせるんだなっていう
やりたい場合はあとさ
アイスクリーム食べるシーンとかさ
こっから始めるのね
っていうのはなんか
逆になんか
すごい芯に迫った時は
そうですね、はい
なんかこう
そういう
身を売るということに対する
抵抗をいかになくしていくのかっていう
メソッドの一つみたいにやっぱ見えますしね
そうだね
なんかまあそういうところが
あの
ぼかさずに描けているんだけれども
ただそれでも割と
スッと見続けられる
のが
これアニメにすることの意味なんだろうな
っていう風に思うか思って
そうだね
それはそうだと思うよ
僕はやっぱり
アニメ映画っていうものが割と
今すごく苦手で
全然見ないんですよね
はい
ただこういうアプローチって
非常に面白いなとは思っていて
最近だとペリリューっていう
ペリリュー
ペリリュー
タイトルから変わるように
ペリリュー島のことですね
はいはいはい
これもまあ
戦争が題材になっているんですけど
絵がめちゃくちゃデフォルメされた
可愛い系のアニメなんですよ
本当だ
漫画も全く同じ
デフォルメで描かれているんですけど
内容はゴリゴリの
戦争ものなんですよ
激戦を極めた戦地を
そのまま描いているっていう
そうだよね
この可愛い感じのデフォルメキャラが
ボンボンボンボン
グローテスクに死ぬんですけど
これって
ぼかさずに描いたら結構な
しんどさになるんですけど
それをこういう
キャラクターで描くことによって
本当にしんどい戦艦
をいかに描くか
ということが一つの選択肢として
面白いアプローチだなと
思っていて
それとこの本作も
比較的本当に
本人ののんびりとした性格みたいな
ところにこうするような感じで
優しいタッチの
本当に愛らしい
けれどもこびるような
いわゆるジャパニーズかわいいじゃないっていう
そんな感じのタッチで
描かれていて
毒がないんだよねそこに
だから本当に
身近な誰かの
一つのお話みたいな感じで
見続けられるっていうところが
アニメで描くことの
意味なんだろうなっていう風に
思えたんで
余計に別に何のつっかかりもなく見れたっていう
そうだね
確かにこの手の描き方って
すごく大事
なのかもしれないね
こういうやっぱりアニメにしたからこそ
戦争教育とミクロ・マクロ視点
もしかしたらね
当時のことをご存知の
世代の方とか
あるいはその直近に生まれた方とかっていうのは
この
なんていうんだろう
偶像化するんじゃないとか
あるいはその
もっと悲惨だったんだからそれをちゃんと真正面から
受け止めろっていう意見は
もちろん多分あるんだろうな
と思うんだけれども
そこのハードルを上げすぎれば上げすぎるほど
知るきっかけを残す
っていうことにもなりかねない
ってすると
きっかけは本当に何でもいいと思うんだよね
だからそういうところから
深く知っていきたいのであれば
本当に
いろんな
ところでいろんなものが
出てるから
そういうものをやっぱり拾っていくっていうのも
すごく大事になっていくんじゃないかな
と思うんだよな
入り口として機能するよねっていうのは
すごい感じていて
それこそ教育への転用みたいなものも考えられるんだろうね
っていう気はしますよね
それはそうだね
今回の話もそうだけどやっぱり
自分らの下の世代に
見てもらうためには
って考えると
このぐらいのソフトさっていうのは
あってもいいのかもしれない
っていうのは
一時資料として
これだけを使うとかじゃなくて
興味を持ってもらうための
ひとつのきっかけとして
どうしても戦争学習ってなると
資生の人々よりはどっちかというと
国家として何を選択してどういう結果が得られたのか
っていうところばかりに
話が行ってしまうんだけれども
やっぱりそうじゃないよねっていう
日本で生きてきた人々の大半というか
9割以上は
一般人で
一般的な生活を行ってきていて
そういった人々の生活がどのように
戦争っていうものに巻き込まれていったのか
っていうところを
知るためのひとつの
入り口としては十分に機能すると思うので
非常にそういう点においては
意義深い作品なのかなっていう
気がしていて
すごく面白かったですね
すずの「絵」を通した生き方
確かにね
すげえどうでもいいじゃん
と思い出したんだけど
最後のさ
方のシーンのさ
米軍の
残犯の増水なんだけどさ
あれの入手経路は
どういう入手経路だったんだろう
っていうのはすごい気になって
まあ闇経由ですよね
闇経由っつってもさ
多分
米軍基地の
食堂から出た残犯を
そのまま
袋で受け取って
すぐさま闇市かなんかで
増水にするってことでしょ
これが金になるって思ったやつ
天才じゃない
だからそれほど切羽詰まってるわけですよね
多分
それがクッソうまいわけですから
だから
てなってくると
一体どういう世界だったらしいですね
砂糖一つも
まともに買えず
塩もそうだし
だからまあやっぱり
まともに味があるものすら
食えてないっていう
そういう切実感っていうのは
そこにすごい感じられるしね
でまたその闇市
っていうものがやっぱり戦後に
たくさん出てくるわけじゃないですか
正規ルートでは
あぶれたものあるいは
そういうね
普通の物流には絶対に乗らないような
残版みたいな
そういったものがどんどん流れていって
人々はそこから
なんとか生活を
組み立てていくという
そういった中に雨横みたいなね
上野の闇市なんかもあったりして
そういった文化の中から
車寅二郎という
男が生まれていくという
そこにやっぱり繋がる
そういうことなんですね
っていう風にちょっと感じるものが
ありましたね
であとはですね
これも
「たくましさ」の再考:生きざるを得なかった人々
今日のテーマにも繋がる
話にはなっちゃうんだけど
一つやっぱり常識っていうものが
なんていうのかな
試される
自分の
すごい感じるんですよね
戦下ですごくたくましく生きている
すずたちを見ていると
まず心は打たれるんですよ
こんな風にね
変わっていく生活を
どうやって生き抜くかっていうのを
いろいろ工夫してやっていったんだなって
すごく心打たれるんだけれども
ただやっぱり
なんていうのかな
終戦を迎えた時の
すずの老婆一振り
がやっぱり
そうすると刺さってくるんですよね
これ一体
何が刺さっているのかって言ったら
すずのそういうたくましさ
みたいなものに心打たれていた
自分ってすごく
デリカシーないよねっていう
気持ち
すごいなーっていう風に
思ってはいたんだけれども
いたんだけれども
でもそもそも
すずたちはその生き方を
進んで選択したわけじゃないんですよね
っていう
彼女たちは選ばされたんだよね
強制的にね
その生活を選ぶ以外の方法はないというか
単純に押し付けられた生活であって
じゃあそれをどうやって生きるかっていうのは
ある種
どうしようもなく避けられない課題なわけで
じゃあその課題をさ
やーめたって言ってやめられるかって言ったら
やめられるわけがないじゃないですか
そうなんだよね
だからたくましく生きざるを得なかった人たちだよね
っていう
それは彼女たちがたくましかったじゃなくて
その生活を
生き抜かざるを得なかった
その時代っていうものの
難しさ
そっちこそが本当の命題であって
彼女たちのたくましさに感じる
っていうのは
ある種そこに選択がなかったということを
全く無視した感想になってはいないか
っていう
時にもやっぱちょっとどうしてもなってしまって
だから僕はそこに
気づかせてもらった感じ
別に彼女たちがたくましく生きたかったわけじゃないのに
たくましく生きざるを得なかったって
それってめちゃくちゃ大変なことじゃねえか
っていう
そんなことをすごい感じましたね
はい
「良かった」という言葉の基準線のずれ
何だったんだみたいなこんなに一生懸命やってきたのに
ラジオの一方で
終わりってどういうことだ
っていう風にやっぱり
うわーってなるっていう
その気持ちがすごく
わかってしまうっていう
特にまた
もう一つ結構
真の像に来たのが
良かったってなんだみたいな
はいはいはい
そう
やっぱりこの良かったっていう
その良かったの基準線がどんどんずらされていく
怖さ
っていうものが
その時代にはあったんだよねっていう
良かったね良かったじゃない
っていろいろ言われるけれども
でもその良かったっていうのは
ありえないほど悲惨な現実っていうものが
たくさんあるがゆえに
その良かったの基準線がどんどんね
ずらされているだけの話で
果たして自分たちが
当たり前の生活を送っていたら享受できたであろう
良かったこととそれは同義か
っていったら全然そんなことはないっていう
そこの怖さっていうのがやっぱ
戦争なんだろうなっていう風にちょっと
思いましたねっていう
ことですね
極音放送と情報統制下の認識
あとその極音放送のところだとさ
なんかあの
本当にこうだったのかもしれないな
って思ったところがさ
聞き終わった瞬間は
不運っていう感じなんだよね
みんな
でなんか
段々と自分の中で咀嚼していった
時に
あれってこう
いろんなものがボロボロ
剥げ落ちていく感じ
でなんかこう
しみじみと
なんかこう染み入って
うわぁ
ってなっていくっていうそこのさ
ゆっくりとしたこの感情の流れ
だからよくさその戦争
映画とかだと
あの極音放送を聞いた
時に
聞いた瞬間からうわぁ
ってなるっていうシーンが結構
多いんだけれども
意外と姿勢の人たちって
あの
何のことを言ってるの
っていうところからスタートしてる人が
多かったんじゃないかな
っていうのもちょっと感じたよね
なんか今みたいに
情報がたくさん簡単に得られる
時代の中でも結局
何を信じていいのかっていうのが
分からない人たちが
いっぱいいるわけじゃないですか
そういった中で
その言論統制がされて
報道規制もされている当時の
日本においてその日本の
勝利というか
それを信じて疑わない人の方がよっぽど
多かったんじゃないのっていう
だからこのなんていうのかな
日本負けてるみたいなのを
連合軍がたくさん情報流しても
なわけないじゃんっていう
簡単に多分
切り捨てちゃうんじゃないのっていう
そういった中で既婚放送流れても
いきなりうわマジ負けたの
っていう風に思ったかっていうと
そうじゃない人の方が多いんじゃないのかな
っていう風な想像は
全然固くないよねっていう
気はしますよね
それこそその
『火垂るの墓』との対比:戦争終結の認識
ホタルの墓ではさ
生徒はもう
とっくに戦争が終わった後に
戦争が終わった事実を知るんよね
なんとかは
負けてしまったんですか
なんとか艦隊はみたいなのを銀行で
初めて知るっていう
シーンがあってさ
とっくに戦争が終わって
そこからもう人々
っていうのは前を向き始めている時に
墓碁だか
山碁だかよくわからないところで
過ごしていた生徒はその辺の
情報を全然得られなくて
何のために今のこの生活をしてたんだ
っていう
ショックを受けるシーンがあってさ
そうね
意外とそういう人もいたんじゃないかな
とも思うんよね
まあ本当に
なんていうのかな
「絵」を通して見た世界と現実
しんどい時代だったなっていう
言葉でまとめるのはあれですけれども
色々こう感じる
ものが
それぞれのシーンやっぱりあって
ああ確かにこういう
こうだったのかもね
っていう
今まで自分が想像していた
戦時下の日本の人々の暮らし
っていうものの
バイアスが一つ二つ剥げ落ちていくような
感覚っていうのを
色んなところから得られたのが
非常に価値ある時間だったなという風に
感じましたね
まあそんなところで
だいたい50分話していますんで
はい
大間から
いきますか
それともなんか今回はちょっと
感じたことを
軽くのたまうぐらいになりそうだ
みたいな話をしていたんだ
っていう感じには
なってるんだけど
ちょっとなんかすげえ短くなるかもしんないけど
いいかい?
どうぞどうぞお願いします
今回の話でいうと
やっぱりキリになるのって
絵っていうところだったな
って僕は感じてるのね
絵っていうところ?
あのピクチュアのほう
ああ絵画のほうね
そうそうそう
でスズっていうのがやっぱり幼少期から
空想妄想の世界で
こう生きていて
自分が見ている世界に
自分の想像世界
っていうものを投影していきながら
こう過ごしているっていうのは
当たり前に過ごしていたと
でなんかこう
なんだろう
現実
それをどう感じるか
っていうのでそれを絵にしていくんじゃなくて
現実そのものを絵で
塗り替えていくっていうような
そんな世界の受け取り方をしてたのが
このスズっていう人だったんじゃないかな
っていうところからスタートしてさ
で一番それが
印象的だったのが
なんていうの
スズがさ
対空砲でこの飛行機が
ヒャンヒャン飛び交ってる中でさ
砲撃を色で塗っていくシーンが
ありますね
そうそうそう
あれもなんか
一種のなんかこう
自分への防衛規制というかさ
なんかこの
自分が受けている現実っていうところをどう
自分で守るか
っていうところの
一種になってたんじゃないかな
っていうところも思うしさ
でなんかその時にも
今ここに絵の具があればなんちゃらかんちゃらで
どうのこうのみたいな
でふっと我に返ったように
うちは何を考えて
しもうとるんかみたいなことを言ったりも
するしさ
やっぱ恐怖っていうものが
ありつつも
それをどう自分に
落とし込んでいくか
っていうところっていうのが
その絵で表されていたんじゃないかなと
なんかそれで
なんか虚構を
自分の中でこう作り上げていく
っていうところが
当時のすずっていう
人物の生き方だったとすると
一番
ショッキングな
シーンであるところがはるみさん
が亡くなったところっていうところ
なんだけども
そこで自分の世界が
ぐちゃぐちゃに塗り替えられていったり
するよね
今までこの綺麗な線で
描かれていた世界
っていうのがすごく歪んで
いたりとか
色のトーンがおかしくなっていたり
とかっていうようなものがあって
あの時なんちゃらかんちゃらしてれば
なんちゃらかんちゃらしてればどうたらこうたら
だったらって言って
今は私は何もできない
みたいなこの左手で描いた
文字のようにみたいなことを
とうとうと喋っていくシーンがあるんだけども
なんかそういう風にして
あっこで一回
戦争というものを
今まである種
一枚この絵というフィルターを
通して
見ていたものが
自分が右手を失って絵が描けなくなった
ことで
ある意味そこで現実を
突きつけられて
見ざるを得なくなったと
その後から
「贅沢は敵だ」と「贅沢は素敵だ」
あの
良かったねっていう
シーンも入っていきつつ
だから戦争のためにどう生きるか
っていうところが
今まではこの
なんていうんだろうな
ある意味こう
役になりきってというか
ご飯が足りない
なんとかかんとかにつきましては
なんちゃらかんちゃらかんちゃらみたいな形で
あのある意味
ロールをしながらこう対処していたものが
一気にこの現実感で
今のこの生活って
どう現実として受け止めればいいんだ
っていうところを
その承知した心と一緒に
見ているっていうのが
あのシーンで
でもなんかその
後に
だからこそその
逆音放送っていうときも
えっっていう
何が起こったんっていうのがわかんない
なりに他の人に聞いたら
いや負けたってことやみたいなことを
聞かされてこう畑で
むせび泣くと
だから今まで私が
その
ふわふわした自分っていう
ところから現実の自分っていう
ところに
強制的にこの移動させられて
それでもなんとかしていきたい
って言って見てきた
その焼夷弾から家を守るっていう
ところもそうだったし
なんとかこの家にいる
家に住む
だったりとか場所を守るっていうことを
自分の力でやらざるを得ん
のだ
っていうところでやっていたところが
もうそこすらも
張りぼてだったと
畑で散々泣いていったんだけれども
ここで一番すごく象徴的だなと思ったのが
最終的に
鈴っていうのはやっぱり
絵を通して
世界を見ていくっていう
フィルターに戻っていくっていうところがあってさ
今回本当にね
全然まとめてないんだけど
たくましかったっていうのが今回
テーマになってるかと思うんだけれども
なんか人って
その時々の上手い
虚構の中で
自分を対処しながら生きてる
っていうところが
多分どの時代のどういう人にも
あったんだろうなと
だからこそ
それをたくましいと
捉えるか
その時々の生き方って
そういうふうなもんなんだよねっていうところで
とどめるかっていうのは
また別のベクトルの話になってくるんじゃないかな
っていう気がして
一番この絵のところを通して
自分が何が言いたかったかっていうと
日本で
僕が受けた戦争教育って
とかくその戦争っていうものは
いけないことなんだよとか
戦争でこんな悲惨なことがありました
っていうところを
教育として受けてきたっていうのが
自分の認識であるんだけれども
それはそれでありなんだけれども
それプラス
そこばっかりじゃなくて
どう生きている人々がいたか
っていうところっていうのも
ちゃんとスポットライトを当てていって
そこを対比させて
いくことで
見えてくるギャップっていうところが
という学び方もあるんじゃないかな
とか
なんかその
生活を見るっていうところと
当時のその
ミクロ的な視点とマクロ的な視点を
ごっちゃにしちゃいけないんだろうけども
教育の中で
ミクロマクロの方の視点
ばかりをどうしてもやっぱり
扱うんだけれども
そこに生きている人たちの
ミクロの世界っていうところが
やっぱり大事なんじゃないかなと
思ったよっていう
そういう取り留めのない話です
いい話だな
進めた割には何もね
そうだよね
そっかそっか
って言ってね
しみじみ見てしまったがゆえに
何もまとまらなかった
まあでもね
映画の楽しみ方って
それもあるからねっていう
別になんかこうね
無理に何か新しいこと言わなきゃ
っていう風に思うのが
映画ではないですから
映画が訴えてることに対して
自分もそうだなって
感じたりだとか
自分だったらもっとこうしたかったなとか
なんか諸々こう
自分の生き方と照らし合わせて
何かこう追体験
してそこから
自分自身の人生をまた
修正していくみたいな
そういうことができるとやっぱりその映画が
自分にとっても特別なものになりますし
生き方について
何かしら確信めいたものを持って
先に進む力にもなるんじゃないのかな
っていう気がするので
だから君にとってこの作品がいい作品だった
ということなんじゃないですかね
そうですね
いいですねなんかそういう話をした後に
なんか僕がとうとうとこう
なんとか説とか言ったらなんかすごい
赤っ端ですね
いやいやそんなことないですよ
本当ですか?
僕はあのある意味
僕のためにこの映画を楽しんだけれども
あの
青ちゃんはリールフレンズイン東京という
この媒体のためにこの映画を楽しんでくれた
というのは
それは素晴らしいことですよ
まああの多分見てないですからね
リルパルで企画しなければ
はい
やっぱりアニメ映画っていうのにこう手を出すのは
結構僕の中ではハードルが高めだったりするんですけど
はい
その点非常にこう楽しませていただいたので
これはもうちゃんとなんか
読んで言えることを探さないとな
っていう気持ちにはさせていただきましたねやっぱりね
すごく
ということであの僕からのお話は
映画この世界の片隅に
贅沢は素敵だ説
ということで
はいお話させていただきたいなと思います
まあ要はね
贅沢に生きるって何なのかっていう
お話をしたいんですよね
でというのも
あの今回この話の中で
主要な登場人物何もいるんですけど
主人公のスズと
そしてこの
今回その追加シーンのうち
布を大半を占めたのが
リンという女性
らしいですね
このリンさんとスズ
この両者の口から出てくる
言葉に贅沢というものがあるんですよ
はい
それはまあリンが言う
人が死んだら記憶も消えて脳なる秘密はなかったことになる
それはそれで贅沢なことかもしれんよ
自分専用のお茶飯と同じくらいね
っていうセリフと
あとは
ごめんねみたいなやつですよね
あのスズが言う
えー何だっけな
えー何て言ってたっけ
リンさんのことを秘密に
あのー
じゃなくしてしもうたみたいな
あー言ってたね
それはそれで贅沢なことだと思うよ
みたいな
はいそんなセリフだったと思いますけど
贅沢という言葉をこの二人が
口にするんですよね
やっぱりこの戦争を描く作品で
贅沢という言葉が出てくると
どうしても頭に浮かぶのが
1940年に
日本の街頭で
提示された標語なんですよね
戦争標語って色々あるんですけれども
そのうちの一つで
最も有名なのが贅沢は敵だってやつなんですよ
そうだね
他にもちょっと類号として
日本人なら贅沢はできないはずだ
っていう標語もあったりしたんですけれども
この贅沢は敵だ
欲しがりませんみたいな
欲しがりません勝つまではみたいなものもありますけど
この贅沢は敵だという
漢字だと5文字で
非常に短いんだけれども
意図もはっきり伝わってくるという
非常にキャッチーな標語では
あったわけなんですが
これってまあその
戦争に向かっていく中で
一億日の玉じゃないですけれども
国として団結すると
だから国民はまあ贅沢なんてしてる場合じゃねえ
みたいな
そういった意味合いの言葉なんですけれども
まあ
贅沢というものが
人々の生活の中で
ある種
何を贅沢と感じるか人によって違うと思うんですけれども
やっぱりこう生きているな
今人生を謳歌しているなって思う瞬間って
何かしらの贅沢が
そこにあるんじゃないのかなって思うんですよね
ただまあそれを
結局取り上げるというか
それをさせない世の中っていうのが
この戦時化だったんだろうな
という風にその言葉から
非常に思うんですよ
ただそんな作品の中でこの二人の主要な人物が
その生きることについて
その贅沢という言葉を口にしているっていうのは
非常に意味があることなんじゃないかという風に
思いまして
だとするとですねやっぱりこれは贅沢は敵だという
この時代にですね
いかに贅沢は素敵だという
ことを訴えているかという
そういう作品なんじゃないかな
と思ったということです
代用品としての「自分」と本物の人生
お前んち飛行機飛んでる?
なんか今飛行機飛んでるね
すげー音拾ってますねびっくりしました
空襲来たんかと思った
でも贅沢は素敵だっていうのは
これまあ誠しやかにささやかれてるんですけど
本当なのかわかんないですけど
贅沢は敵だというスローガンが出ていた時に
資生の人々は
それを贅沢は素敵だと
読み変えていたみたいな
実際ねもうすでに
贅沢は敵だって評が出されていた時には
もう日本ってだいぶ
貧困レベル上がってるんですよ
そうだよね
ギリギリのギリギリの時だもんね
そうなんですよね
実際長井嘉風なんかが
その戦時下において
書いた日記っていうものが
あるんですよね
はい
まさにその中にね
贅沢は敵だっていう標語が
街頭に飾られた時の日記が残っていて
はい
今日の東京に果たして死者贅沢と
称するに足るべきものありや
笑うべきなりっていう
つまりですね
今の東京に贅沢なんて呼べるものなんて
何もありゃしねえだろうがと
何を言うとんねんという
ことを言ってるわけですよね
本当にこうなんていうのかな
国民を締め付けるだけ
締め付けておいてですね
全く国民の生活が見えていないっていう
そういった政府のやり方に対して
非常に批判的なことを
言ってるんですよ
これがある意味では当時の文化人たちの
視点だったりもするわけですよね
はい
そういうことが結構
面白い
ところだと思うんですけど
実際に本当に世の中には
どんぐりを煎じて飲んだりだとか
砂糖の代わりに
黒糖を使ったりだとか
いろいろ絹がなくなって
どんどん網面になっていくとか
どんどんいろんなものが変わっていく
時代だったわけだよね
それは一体何に変わっていったかっていうと
代用品へと変わっていってるんだよね
そういった中で
本作においても
代用品に言及するシーンがあって
それが
鈴が作った
たどん
ですね
これもね
僕も全然ピンとこなくて調べたんですよ
たどん
たどんっていうのは
炭の粉末をふのりとかで固めて
団子状にして乾燥させるって
いう
ものですね
豆炭みたいなやつね
炭の代用品みたいな
炭も
節約しないといけないから
鈴がせっせこせっせこ
たどんを作って
それを火鉢にくべて
団を取っているということなんですね
このたどんは
明確に炭の代用品に
あたるわけですよ
そのたどん
が言及されるシーンは
鈴が旦那さんと
夫婦生活をするシーン
なんですけれども
鈴は
途中で嫌がっちゃうんですね
たどんの様子を
見に行くと
どうしたみたいな
夫の修作さんに
聞かれると彼女は
代用品が気になってみたいな
ことを言うんですよね
ただこの時彼女が言っている
代用品っていうのは
たどんのことではなくて自分のこと
なわけじゃないですか
これは一体何かというと
知り合って仲良くなった
鈴さんっていうのが
昔お世話になった
お客さんに書いてもらったんだって
言って見せてくれたメモが
ノートの
裏拍子の切れ端で
それがですね
自分の訪いだ家の修作さんの
ノートの切れ端であることに
気づくわけですよ
しかも修作さんはかつて
結婚しようと思っていた女性のために
専用のお茶碗を買っていたけれども
それを渡すことはできなかった
それを鈴さんが
使うことになったりとか諸々あるわけですよ
つまりは鈴さんからすると
修作さんの
元々の思い人っていうものを
の存在を
なんとなく知ってはいたけれども
それがまさか自分の目の前に現れて
しかもそれが仲良くなった鈴さんであるっていう
そこにちょっと驚きを隠せない
しかもそれっていうのはある種
本当に鈴さんみたいなですね
カラカラと笑ってですね
美しい鈴さんそして修作さんの中では
絶対に消えず
美化され続ける鈴さんに対して
自分っていうものは
立ち打ちできないなっていう
その苦しみっていうものと
まさに向き合っている時なんですね
ここでやっぱり
はっきり見えてくるのは代用品っていうものは
本物を超えることができないという
他論なんかも
結局燃焼率なんか
どう考えたって炭に勝てるわけないじゃないですか
っていう風に考えると
自分自身っていうものが
いわゆる代用品であって
自分自身が本物になれないという
その苦しみなわけですよ
ある種戦争が奪ったのは
贅沢は敵だっていう物質的な
豊かさではなくて
だけではなくての方がいいかな
だけではなくて
自分のために生きる
自分自身の本物の人生を生きるっていうことの
正当性を奪っていったんじゃないのかな
という風に思うわけですよ
面白いのはオーストリアの
ヴィクトール・フランクルと人間の最後の自由
ビクトール・フランク
っていう人ですね
彼はユダヤ人で
アウシュビッツをはじめ
強制収容所に収容されたことがある人物なんですよ
彼はそういう
極限状態の中で一緒に
習慣されてきたけれども
そこから生き延びた人たちの中に
共通するものっていうのを分析して
人間の最後の自由は
与えられた状況に対して
どのような態度を取るかを選ぶ自由だ
っていうことを言ってるんですね
強制収容所に入れられて
その後どうなるかっていう命運を握られた人々
っていうのは当然選択肢を与えられてないわけですから
それ自体はひっくり返すことはできないんだよね
ただ一方で
そういった現状に対してどんな態度を
選ぶかっていう自由だけは奪えないわけですよ
それはどんなに環境を変えても
だからこそ収容所の中でも
本当に自分たちがこの後
理不尽な死を迎えるって分かっていても他者を
気遣ってパンを分け合う
人々っていうものがいたと
それこそがそういった選択こそが
人間の尊厳なんじゃないのかっていうことを
フランクルは言ってるわけなんでね
はい
なんていうのかな
スズっていう人物を
少し丁寧に見ていくと
周囲からのんびりしてる
っていう風に評価されてる
人間じゃないですか
ただ実際にどうだったのかな
っていう風に考えると
のんびりした人間なんだなっていう
バイアスを抜きにして
もう一度頭から作品を見ていくと
スズって非常に繊細で多感な
人間だよねっていう
はい
実際それがはっきりと
現れているのが部分脱毛が
起きてるという
そうだね
スズに縫ってあげるんや
スズちゃんハゲてるよみたいな
言われてましたけれども
彼女の
ストレスっていうのは確かに
そこにはあって
それは体にも出ているんだけれども
彼女はそれをのんびりした性格というもので
蓋をしているというかうまく乗れるくらいと
交わしているような状態なんじゃないのかと
そういった感情の出口
感情の
吐け口っていうのが絵になっていた
っていうのはさっきお前が言ってくれたところに
重なるかなと思います
日常のいろんな場面を絵にして
それを記録していく
嬉しかったこと悲しかったこととかあるいは
見た景色そのものだったり心に引っかかったもの
だからスズにとって絵を描くっていうのは
言葉でもあって
自己表現の唯一の手段
ある種彼女が
のんびりとした自分っていう
ロールをこなして
受け流しているものもの
でもそれでも受け流しきれない
いろんな思いっていうものが
言語の代わりに絵っていうツールで
持ってそれを外に出して
心の安寧を
作り出していたんじゃないのかと
いうことだと思うんですね
すずの生き方と「贅沢」の意味
スズがやっていることっていうのは
本当にこう
自分のための絵だったりするのかな
という気がするんですけれども
ところが戦争の最中
爆弾ですね
スズは右手を
失うことになると
これはもう完全に彼女が
自分のための言語っていうものを失った瞬間
だったと思うんです
ただ一方で
じゃあその腕をなくした後の
スズはどう生きていったのかっていうところを
見てみると非常に興味深くて
失ってすぐは明らかにやっぱり
自分はどう生きるかっていうところのアイデンティティが
崩壊して非常に揺れている状態だ
と思うんだけれども
一方でいざその腕を失った
後の空襲での下りを見てみると
それまでは
いわゆる避難指示
ですよね空襲の時に
どういう動きをするのかっていうのも徹底的に
守っていたんですよスズは
火よしみたいな指差し確認をして
みたいなそういうのをやっていて
臨機応変さっていうのはある意味全然ないから
それがきっかけで
家族とぶつかって
ちょっとわちゃわちゃするみたいなのが描かれていたり
したんですけれども一方で
彼女はその腕を失った後に
あれはなんですかね
焼夷弾にしては
油が出てないんですけれども
まあ
でもまあ焼夷弾でしょう
おそらく
焼夷弾だと思いますけれども
それがこう
家に落ちてきちゃうんですよね
でパチパチパチと畳が燃え始める
という
で早く逃げなさい
って周りの人に言われてるのに
スズは立ち尽くして動かない
最終的に叫びながら
水ぶっかけて布団被せて
ゴロゴロして消火活動して
彼女のその起点でもって
家は残るんですよ
でも
これって彼女は
絵っていう手段
心の釣り合いを取るための
手段を失ったんだけれども
その一方でその後は明らかに
自分の意志で
自分の生き方っていうものを選択しつつ
あるよねっていう
だからある意味では
その絵っていう一つの手段を
失ったのだけれども
その一方で彼女は
生き方っていうものを見つめ直す
機会を得たとも言えるんじゃないのかな
っていう気はするんだよね
だからなんていうのかなその言語の代わりとなる
ものがなくなったことによって彼女は
ある意味初めてそこで言語を手にした
自分自身の意志っていうものを
表出させるっていうことの重要性に
気づいたんじゃないのかみたいなことも
言えるんじゃないのかなと
そしてその生き方って結構贅沢じゃないっていう
自分で自分の選択をできている
わけだから
それは今までの環境の中で
こっそり
自分のストレスっていうものに蓋をして
なんとなく生きてますよ
のんびり生きてますよっていう
不利をして生き続けるのよりは
ある意味では彼女にとっての豊かな生き方に
繋がっていったんじゃないのかなっていうことを感じました
ということですね
リンの「贅沢」:記憶と愛の引き受け
リンちゃんですよね
やっぱりリンのセリフっていうものを
深掘りしていきたいなというふうに思います
何もですね
この作品は恋物語ではないので
これも一つの物語の一側面に
過ぎないんですけれども
やっぱりこのリンとスズの二人にとっての
贅沢っていう言葉はやっぱりちゃんと
よく咀嚼しておきたいなと思ったので
自分なりに考えてみました
リンが言ってるセリフね
人が死んだら記憶も消えて脳なる
約束はなかったことになる
秘密はなかったことになる
それはそれで贅沢なことかもしれんよ
みたいなことを言うんですよね
有格で生きてる彼女にとって
自分だけのものって
存在するのかっていう
そうね
自分の体ですらたぶん自分のものではないんだよね
そういうことなんだよね
人間っていうのは生まれた時も死ぬ時も
実一つなんですけれども
友情に至っては
その実一つさえ
自分の意思で好きにはできないんですよね
それはつまり彼女にとって
そのものを持つということは
ものすごい贅沢なことなんですよ
それで言うとこのセリフの後に
自分専用のお茶碗と同じくらいにね
みたいなことが続くんですけれども
それはつまりリンにとって
その習作が身受けをしてくれる
そしてそのために茶碗を買ってくれている
っていうことの事実が
いかに彼女にとってのものすごく大きな
希望だったかっていうことが
そこからすごく感じ取れるわけですよ
だから彼女は
自分自身の秘密の中でもね
受け取ることができなかった茶碗
だけどそこに
込められた思い、愛っていうものに対して
ものすごい重要性を感じている
でも彼女は
その事実っていうものを誰にも明かさないし
習作自身も
それを周りに言うことはないわけですよ
当たり前ですね
親が反対してるわけだから
親の反対で潰れた話だし
そこにはおそらく
友情を身受けするなんてないでしょうみたいな
そこに対する恥みたいな
世間様への恥みたいなものも
おそらくあったわけで
っていう風に考えると
彼女が習作を愛し
かつ習作もリンを愛していた
という事実というものは
この二人の間で完結しているわけで
そうするとリンからすると
全ての記憶が
自分が死ぬことで
亡くなっていく
そしてその秘密の関係というものも
亡くなっていく
それは悲しいことのように見えるかもしれないけど
リンからするとその全てを
自分が引き受けてあの世へ行けるわけだから
それってものすごく贅沢なことじゃないの
っていう
この記憶だけは自分のものだと言える
つまり他の誰かがそれについて
物知り顔で話すこともないわけじゃないですか
わけ知り顔で話すこともない
この愛っていうものそしてその愛の
記憶っていうものは全て自分のもの
っていう風に言える
だから彼女が人生の中で唯一手にした
自分だけのものっていうのは
自分の体でもなく
この記憶なんだよね習作との愛の記憶
それが彼女にとっての
いわゆる贅沢に
当たるわけなんでね生きる上での贅沢だったと
一方スズは
リンは気づいていないんだけれども
その過去を知ってるんだよね
タドン作る時にもっていうのはさっきお話しした通りなんですけれども
彼女は
ごめんなさいと
あれは何のシーンだっけな
リンが死んじゃった後かな
割れた茶碗拾うんだよね
そうそうそうそう
ごめんなさいみたいな
リンさんのこと秘密じゃなくしてしまったみたいな
でもこれはこれで贅沢な気がするよみたいな
ことを言っているわけだよね
つまりリンが思った通りに
秘密の関係が秘密じゃなくなっちゃったわけだ
スズが知ったことで
でもスズはそれはそれで贅沢であるという風に
言っているわけだよね
これはつまり何なのかっていうと
スズはリンの愛っていうものを
インとシューザクトの愛という物語を
引き受けることにしたわけですよね
タドンのシーンの時にはまだ引き受け切れていないから
全くそれを咀嚼してないし飲み込めていない状態なんだけれども
その後ですね
もろもろあって
彼女はそのリンの物語っていうものを
自分自身の内側に取り込むことにしたんじゃないのかと
つまりはリンは死んでなお
スズの記憶の中で生き続けるし
そしてスズの心の中で
リンがシューザクを愛しているという事実は
ずっと引き継がれ続けるわけですから
だとしたらそれって死んでもまだ愛が残っているわけですよ
この世に
それはそれですごく贅沢な生き方じゃないの
自分が死んでもこの世に何かが残るってめちゃくちゃ重要じゃない
っていうことなんじゃないのかな
それをスズは言いたいんじゃないのか
ということなんですね
ここで大物ニーチェを引っ張りますが
アモールファティっていう
運命への愛ですね
これって僕の人生哲学にもつながるんですけれども
自分の人生に起きた全てのこと
つまりは運命ですよね
自分の身に降りかかる全ての出来事を
そうあるべきものだったんだなとして受け入れること
これこそが最高の肯定であるという
これがアモールファティですね
受け入れるってことは重要で
諦めでも美化することでもなく
その運命これはこうなったけど
つまりはそういうことだったんだなっていう風に
それを引き受けていくことっていうのが
最高の肯定ですから
最終的なメッセージ:生きる場所を見つけること
ある種人生をよりよく生きるための
肯定的なというかポジティブな
生き方なんじゃないかなっていう風に
俺は思うんだけれども
スズがたどり着いた場所っていうのが
アモールファティに近いんじゃないかと
戦争が奪ったもの
戦争があって
あろうがなかろうが
奪えなかった
習作にとっての
初めての一番みたいなものもそうだけれども
そしてある種戦争によって
失った右腕のこともそうかもしれないけれども
その全てを引き受けて
でもこの世界の中に
片隅にですよ
自分の生きる場所はあるんだという
ことを
はっきり彼女は断言して生きていくわけですから
スズは最終的に
全てを引き受けて
生きていくことにこそ贅沢があるんだ
っていう風に
落ち着いたんじゃないのかと
そう考えると
本作っていうのは2人の女性の
愛について
描いたエピソードを含んでいるんだけれども
実際その愛を通して
いかにねこの恵まれない
時代の中で贅沢に生きるか
っていうところに人間ドラマ
っていうものを見出した作品だったんじゃないのかな
っていう風に思いましたよという
映画の価値と鑑賞体験
ことなんですね
なるほどね
っていう風に思うと結構面白かったなあ
っていう感じがしたし
最後のシーンもなかなか
面白かったですね
原爆で母親を
亡くした孤児を引き受けて
そして
歩んでいくっていう
あれなんかもやっぱり
家族を作っていく中で
その親を亡くして
完全な孤児として
生きていくことになる
はずだった
あの子も
ある種こう凛の
凛と
同じじゃないですか
親を失って
孤児としてどうやって
生きるのかっていうところで
最後のシーンで出てくる
女の子を引き受けて育っていく
っていうのはある種こう凛を
救うことにも繋がるんじゃないのかなっていう
気がするんですよね
なんかこう本当にいろんな要素が
組み合わさってこの映画
っていうのが出来上がっていて
そこがなんかこう
何度も見たくなれる
映画だなっていう風に
思いましたね
そうね
あと最後のその女の子なんだけどさ
二つの意味が結構乗っかってるのかな
って俺は思ってて
見てくれが
なんとなく凛っぽいっていうところも
そうだし
あとその
失ってしまったはるみちゃんの
ところ
の救済っていう意味も
あっこにやっぱ乗っかってるのかな
と思うとさ
凛の要素もはるみの要素も
両方とも持った存在として
いるのかなって気がするね
なるほどね
確かに贅沢
なんてないものね
贅沢なんてどこにもない中で
でもやっぱり人として生きる上で
できる贅沢っていうものがそこに
やっぱりあるのかなと
そしてそれっていうのはある種
生き方を選択すること
だったりするんだよねっていう
始めの話に戻ってくるけれども
やっぱりこの選択する
自由を奪われる時代に
ありながらやっぱり人間が
尊厳を持って生きる上では
それでも絶対に奪えない
選択肢っていうものが存在しているんだなっていうことにも
気づかせてもらえたので
それが非常に大きな
収穫だったなという
気がしました
そうね
やっぱりこの映画いいよ
いいですね
すごく良かった
本当に変に美化してないから
救いがないところが徹底して
淡々と救いがないのよね
うん
本当に救いがない
スズの家族は普通に
広島市ですから
原子爆弾を受けて
お母さんは多分即死なのかな
お父さんは
お父さんは
被爆の関係だろうと
おそらく思われるけれども
原爆症で亡くなっているはずだよね
すぐに具合が悪くなって
死んでしまったので
そして妹さんも腕に
朝が出始めているという
おそらくなんか被爆による
白血病かなんかの症状
染色体状が出ている状態
なのかなと
というふうに思うと
家族はおそらくは
早いうちに全員
亡くなってしまって
スズさんは親族いなく
状態におそらくなるのかなと
ただそれでもやっぱり
自分の居場所というものを
戦後の日本の中で
見つけて生きていくんだ
という意志を持って
最後終わっていくという
非常にいい作品でしたね
素晴らしい
また何回か
見たくなるよな
今年も
そうね
そんなわけで
最後のメッセージとリスナーへの呼びかけ
リルヴァルリスナーの皆さんも
ぜひご視聴いただいて
改めて
タイミング的にも
いいんじゃないのかな
って気がしますね
そうですね
本当にやっぱり
なんだかんだ
年代が経ってしまったがゆえに
こういう機会でも
っていう
時代になりつつあるからこそ
こういう機会を
逃さないようにした方が
いい気もするんだよね
そうですね
今収録してるエピソードは
1週間後に公開になるんで
なんですけど
今まさに
皆さんが聞いてる頃1週間前に収録してるんで
まさにあの終戦の日に
話してるっていう
確かに
そうなんですよ
昨日眠すぎて延期した結果
終戦の記念日に
お話をしているっていう
状況に当たるんですけれども
確かに
本当でもね
やっぱり戦争っていうものが
どんどんどんどん
過去の
本当にただの歴史の一部になって
いってしまってる感
はありますので
僕らなんかもね
生まれた
頃には
戦争って
なんだろうっていうぐらいの
普通に
暮らせていたので
やっぱり
僕らもちゃんと当事者意識を持って
もっと理解に努めなきゃいけないし
その上で
継承にもちゃんとつつ関わって
いかないといけないんだなっていうところを
考えると
こういういい作品を見つけて語られて
その中で自分たちが
感じて深めたことっていうものを
何かしら発信していく
そこにもすごく大きな意味が
あるんじゃないかなみたいなことを感じさせて
いただきました
そんなところで
よろしいですかね
じゃあ何か言い残したことが
あれば最後は聞いて終わりたいと思いますけれども
いかがでしょうか
そうですね
不謹慎かもしれないんですけど
この映画見てね
すごくやっぱり一番
思ったのは
ガチ恋はしちゃダメだなって
そう思いました
語りたいものがある
好きでたまらないものがある
それならもう話すしかない
気になったもの
ハマったもの
人生をちょっと楽しくしてくれるものたちを持ち寄って
本気で語り倒す30分
笑えてちょっとためになって
たまに明日何か書いたくなる
毎週日曜更新
俺たちの物語
誠大間でお送りいたします
まあそうだよね
まあそうだけどさ
なんだろうな
ガチ恋は
どうなんだろうね
メリットデメリットで語るなよ
そんなことって話だけど
ガチ恋は純愛ですか
難しい問いですね
それは人によりきるじゃない
献身に触れる人
だったら別にいいじゃないですか
次回予告:真夏のホラー映画祭り
自己愛的
自己犠牲になっちゃう人が
いると困るんじゃないですか
それこそ容疑者Xの献身だよね
これだけ身を削ったんだからどうこう
みたいな感じになっちゃうんだったら意味はないけど
自分が好きだから
いくらでもこういうことができるけれども
相手から何も返ってこなくても
別に構わないと
これこそ石神ですよね
一読みです
それができるんだったら
全然いいんじゃないのかなって気がしますけど
なんだっけあいつ
水原だっけ
水原さん
いいキャラクターでしたね
彼には本当に幸せになってほしい
って心から思います
水原とスズの関係は
もう明らかに時代が違ったら
別に普通に
結婚してますからね
そうですよね
何々どっちからの
どっちからのとか言ってさ
別にどっちからとかなくて
まあそろそろかな
自然みたいな
言ってそうな
二人
みたいな感じがして
それが全然成立しない時代という
そういうところも感じるところがあったな
って気がしましたね
もちろん当時の
結婚感というのは
家同士っていうところももちろんあるし
あと戦争っていうものも
さらに重なって
っていうところでもあるとは思うんだけど
なかなかですね
なんかすごく
だからいろんな場面で
いろんな気持ちにさせられるんで
なんだろうな
ある意味では本当に
漫画原作だなっていうところ
ちょっとそういうところから感じましたけど
そのエピソードがいくつか
そのエピソードにちゃんと
それぞれの独語感があるみたいな
感じあるじゃないですかやっぱり
映画としてのまとまりというよりは
本当にいろんな要素が
組み合わさってる
でもそれが結果として
人々の生活っていう生活って
一本軸じゃないから
それがむしろ
いろいろ交差していろいろ同時多発的に
起きてるのが暮らしですから
あるしそれが本作の人々の暮らし
みたいなところを
いろんな表情で描いていくっていう
ところと相性が良かったんだろうな
って気がしましたね
さてじゃあね
次回何を語るかなんですけど
なんかアイディア
あります?
なんか候補あったっけ
やっぱりもう
8月の中旬迎えてしまいましたんで
なんか電波悪いな
ぼちぼちですね
そう
リルヴァ・ルイスさんの皆さんが
楽しみでしょうがないと思うんで
エルマモーシンで待ち続けているこの企画
真夏のホラー映画
祭り
こちらをですね
スタートしていこうかなという風に思っております
ということで
次回は祭りいこうか
出たよ
これね
最近見たんですよ
勧められてって言っていいか分かんないですけど
見た結果ですね
これは俺
何を見せられたんだと
何度も言えない
感覚に陥ったんで
ぜひこれをですね
ちょっと語ってみようかと
さゆり
ネットフリックスにあるっぽいな
ちょっと待ってね携帯で一応調べてみる
これを見たら
多分
ホラー映画もっと
なんかあるだろうみたいな感じ
多分なると思うんで
思うかもしれない
他のホラーも見てみたいなって気持ちになるかもしれない
そんな作品なんで
変化球もいいとこですから
そうね
ということで
こいつを語って
いこうかなと思いますので
ぜひですね
ホラーが見たくて
いやホラーを語ってほしくてたまんないぜっていう
エンディング
リスナーの皆さんはですね
ここぞばかりにたくさん
メッセージを
投稿していただいて
いっぱいいるんだよな
残念なことに
ぜひですね
最近投稿フォームの方は停滞しがちなんで
遠慮せずガンガン送ってください
皆さん本当に
お待ちしておりますから
聞いてくれて本当に嬉しいんですけど
皆さんがもっとこういうの聞きたいっていう
声が
僕らに届くと僕らが喜ぶんで
それ以上でも
以下でもないです
特に何も返せるものは
エピソードの更新ぐらいしかないんで
そうね
僕らからのビッグラブぐらい
お便り読んでいる瞬間
僕もすごく嬉しいですし
その瞬間ぐらいが皆さんとつながれるチャンスなので
ぜひ皆さん
ぜひぜひ
リスナー投稿フォームの方に
メッセージくださいというところで
まとめましょうかね
そうですね
ヒューマンドローマン待ってます
ということで
お聞きいただきましたのは
ユリフレンズイン東京今回は
夏の放課祭り第4弾
この世界のさらにいくつもの片隅に
戦艦の人々はたくましかったのだろうか
ということでお送りいたしました
番組では投稿フォームを通じて寄せられた感想やリクエストを
実際に番組のテーマや構成に
反映しながら制作しています
面白かったここは引っかかったの
の短い言葉でも大歓迎です
またXハッシュタグリルパルをつけたポストも
受け取っております
いただいた声は番組の中でご紹介させていただくこともありますので
ぜひあなたの声をお届けください
公式エクサカウントはリールフレンズイン東京で
検索フォローもよろしくお願いします
リールフレンズイン東京は
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大間でした
それじゃまたね
01:35:59

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