やっぱどうしても麺つゆ入れたくはなりますね。
白だしとか使っても割といい感じの和風チャーハンになりますし。
結構好きなんですけど。でもね、中華系のチャーハンには、僕はもう絶対にかけるものがあって。
僕結構中華におけるオスファンなんですよ。
オスが大好き。オスが大好きだから、サラうどんとかにもオスかけるし。
あーいいね。
中華丼にもオスかけるし。
中華丼にも?へー。
とんこつラーメンにもオスかけるし。
それはダメです。
いや、とんこつラーメンって言いましたけど、家系とかにはかけないです。
すがき屋のとんこつラーメンにはオスかけますね。
ダメです。
なんでやねん。なんでやねん、別に。
すがき屋、すがき屋もう、今もうこっちないか?
すがき屋あんま見ないね。
見なくなったよね。どうしたんだろう、すがき屋。
すがき屋って言ったらもう、Z世代はもう伝わらんのかな。
いや、伝わらない気がするね。
ね、なんかちょっと悲しいぞ。
いや、すがき屋、見なくなった代わりにさ、
謎にあの丸太が結構見るようになったよね。
あ、棒ラーメン?
そうそうそう。
あんなんこっちで買えることなかったのにさ。
なんであんのってずっと思ってるんだけどさ。
そうね、わりと西の方のご当地即席麺みたいなもんはいろいろありますけど、
有名どころで言えば熊本のアベックラーメンとかね。
いや、福岡のうまかっちゃんでしょうか。
うまかっちゃんはもう全顧客すぎるから、ご当地感が逆にない。
ないか。
ないのよ、それはもう逆にないやつ。
熊本のアベックラーメンなんて誰も知らねえから。
まあまあ、そりゃそうよね。
でも、うまかっちゃんも僕らが大学生ぐらいの時までは全然売ってなかったね。
そこらのスーパーじゃん。
で、僕大学時代に唯一売ってた場所を押さえてて、
ドンキなんですよ。
ドンキを絶対に売ってたから、僕大学時代一人暮らしを始めてからは、
本当になくなるたびにドンキって買ってましたね。
そうなんだ。
やっぱりそういうのが少しずつ広がっていくというか、
うまいから広がっていくわけじゃないですか。事実としてね。
ただやっぱりおいしければ広がるかっていうと別にそういうわけでもない節もあったりして、
これがうまいんだよっていうのを広げてくれる情報源がないといけないみたいなところはあって、
そこにネット文化の勃興っていうのが結構関わってるんじゃないのかって気がするんですよ。
で、それに後押しされる形でいろいろ置く場所が増えていくみたいな。
たぶん焼きそば弁当とかも最近よく見るじゃないですか。
確かにね。焼き弁よく見るようになったね。
あれ北海道のほうですよね、確かね。
そうだね。
だからそういうのはあるのかなっていう。
やっぱりネットで発信されることっていうのが、みんな興味を持ち始めるみたいなさ。そういう構図はあって。
話すがき屋に戻っちゃって申し訳ないけど、一時期すがき屋、すがき屋わかりますよねみなさん、大丈夫ですか?
すがき屋は普通にわかるでしょ。
すがき屋って名古屋だっけ?愛知かどっかのあれじゃなかったっけな。
あれだよね、トゥントゥントゥンの髪の毛の女の子のやつ。
そうそう、女の子のマークの。ちょっとやべえな。
俺はね、確かにJASCOに入ってたんですよ。
へー。
JASCOのフードコートに入ってたイメージがあるんですけど。
やっぱり名古屋ですかね。
本社工場愛知って書かれてるんで、もともとはそっちのほうだと思いますけど、
ラーメンを中心とした中華レストランというか、中華ファミリーみたいな、中華ファミリーってなんかよくわかんないですけど、
ライトな、本格派じゃないみたいな、なんて言えばいいんだろうね、ああいうのね。
ポッポみたいな感じのあれですよね。
バーミアンよりもライト。
バーミアンよりライト。
あのスカイラークグループのバーミアンよりもライトな感じがする豚骨ラーメンのお店があるんですけど、そこで確かね、ソフトクリーム売ってたんですよ。
あったね。
頼むと、ソフトクリームたてに乗って出てくるんですよ。
わかります?
鉄のリングがついてたスタンド。
ソフトクリームスタンドって、ソフトクリームをたてるためだけに作られているプロダクトがあるんですけど、それに乗ったソフトクリームが出てくるんですね。
非常に特別感があって嬉しかったんですけど、なんかわかんないですけど、あのソフトクリームを豚骨ラーメンに入れて食うみたいな。
頭おかしいんじゃないの?
そういう裏技っていうか、なんかよくわからないんですけど。
裏技?
嘘みたいな本当の話なのか、嘘みたいな本当のような嘘の話なのかわからないのが、若干一時期ネットでバズったような記憶があるんですけど、どうですか?
ちょっと僕ももう一度調べますけど。
でも2016年8月23日のとあるXによると、
スガキヤラーメンにソフトクリームを入れると激うま説を検証し、名古屋においでよっていう。
やっぱりあるんですね。
これが本当は別にそんなにぶち込む必要ないと思うんですよ。
でもスガキヤのラーメンとソフトクリームっていうこの組み合わせは絶妙にうめえぞっていう。
なんかそういうしょっぱいもん食ってまた甘いもん食うみたいな、そういう食べ合わせの話にはなるんですけど。
でも実際にでも俺は画像を見た気がするんですよ。
ソフトクリームをベチャって入れてるっていう。
そんなことやってるからさ、名古屋人は味音痴だ、なんだの言われんだよ。
絶対やってる人は名古屋人じゃないと思うけどね。
そういう悪ふざけが過ぎる人たちっていうのは。
そんな形で、広がっていく物語が広がっていく間に拡張されたりとか、
行き過ぎた表現が乗っかってくるっていうのは、古典作品にもあり得ることなんじゃないかと。
まあそうですね。
いろんなおひれや歯ひれがついたりとか、伸びたり縮んだりとか、増えたり減ったりとか。
というわけで、今回はですね。
長きに渡って親しまれ語り継がれてきた作品がいかにして拡張されたりしていくのかというのをですね。
伸びたり縮んだり増えたり減ったりする主人公を元にした、とある中国古典をベースにお話していこうかなというふうに思います。
はい、というわけで、そんなわけで本日も参りましょう。
はい、というわけでね。本日のテーマは、シルクロード企画第2弾と言えばいいんですか?
そうです。世界一周神話旅行?なんでしょうね。
一応、シルクロードをベースにしたいんで。シルクロード神話企画。いいですかね。
神話ってわけでもない気がするんだよ。だって、起点が陰陽師なんだからさ。
シルクロードおとぎ話企画みたいなのもいい。シルクロード企画でいいよ。
はい。シルクロード企画第2弾ということで、映画。なんだっけ、モンキーマジック。
はい。詳細有機。
これ、副題ついてなかったっけ?
なんかいろいろごちゃごちゃついてたけど、なんだっけね、モンキー。
あ、孫悟空誕生だ。
あ、孫悟空誕生ね。
マジでモンキーマジックに出てきちゃった。
じゃあ、もう一回エフェクト入れながらいきますか。
シルクロード企画第2弾。映画。モンキーマジック。孫悟空誕生。超最有機。
人は悟空に何を重ねるのか。
決まりましたね。
決まりましたね。
はい。ということでね、やっていこうかなというふうに思うんですけれども。
1個いいですか?
なんですか?
何の関連性もない、いや関連性もあるっちゃあるけど、どっちも一応最有機というね、中国古典。
世界4大記書だか3大記書だかに数えられるですね、超有名な古典物語をベースにしているんですけど。
共通点それだけなんだよね。
なんだけど、この2つについてあらすじを2分で説明しないといけないわけね、まとめて。
言うてどっちも、くしくも原作に忠実っていうところは共通してるから。
忠実かな。
そこそこ忠実ではあったよ。
忠実なのかな。起きる出来事はね。
出来事はね。
描写はもう全然でしたけど、出来事はなぞってましたね。
じゃあやりますよ。
いきますよ。
まいったなこれ。
よーいどん。
ということでですね、今回紹介するのは、中国の古典最有機を題材にした2本の映画についてです。
一つは2014年公開のモンキーマジック村国誕生。主演はあのドニー・ゲンでございます。
ゲン。
しかもそれだけじゃないですね。
玉帝に超ユンファーが出てますんで、グリーンデスティニーのですよね、確かね。
おーそっか。
目力すげえなと思いながら見させていただきましたが、
この時点キャストにだいぶお金使ってるのがわかるんですけども、
どうやら制作費85億円かかったらしいという超大作でございます。
牛魔王と玉帝が実は戦って展開が破壊されたと。
それを序歌が再生した時にできた石から悟空が生まれたというちょっと変わった設定からスタートしてですね、
その後悟空がいかに成長していくのか、そしてその成長の果てにですね、
どうやって展開と対立していくのかみたいなのをですね、
大迫力バトルアクションを交えながら描いていくというふうな作品になっております。
描かれるのはですね、悟空さんに封じ込められるまでの出来事なので三蔵法師は出てこないという感じですね。
対してですね、2020年公開の超最悠奇、こちらですね、
偽悟空が出てくるエピソードですね、六次が出てくるエピソードを大胆解釈したもので、
もちろん三蔵法師一行の中の孫悟空も描かれていきます。
描かれた出来事を一通り見ていくとですね、
最終的に主人公悟空じゃねえじゃんっていう感じにはなるんですけれども、
とりあえずですね、いずれもですね、
負け意地と大迫力バトルが繰り広げられるですね、
エフェクト盛り盛りの最高CG&ワイヤーアクションの推移を楽しむことができます。
ぜひ皆さんもですね、中国ファンタジーに浸ってみてはいかがでしょうか。
おお、ジャストですね。
あらすじでもなんでもねえじゃねえか、これ。
すみません、あらすじ語れないわ。一応整理しておこう。
もうちょっと細かく整理しておかないといけないね。
2014年のモンキーマジック、孫悟空誕生は、
孫悟空誕生と言ってるだけあって、
展開で暴れることになるまでの出来事っていうのを描きましたよと。
いうふうな設定でしたので、
孫悟空ってどういうふうに生まれた、どんなものなのっていうのを、
知りたい人はぜひ見てくださいって感じですね。
そうですね。
石から生まれて、
壺台祖師に弟子入りして、戦術を極めて、
自分の生まれた猿山の王さんになって、
水蓮堂だっけ、何蓮堂だっけ。
水蓮堂だったと思ったけど。
ホラーな見つけてとか、いろいろさらに如意金庫房を強奪してですね。
さらには鎧もゆすりたかりみたいな感じで奪い取って、
調子こいてみたいな感じのいろんな出来事が描かれてきますんで。
そこら辺をちょっと見てみたいという人は、
モンキー・マジック見てみるのはいいのかなというふうに思います。
原作とちょっと違う描写はたくさんありますので、
そのあたりは原作も含めて楽しんでもらえると、
違いをおーって思えるかもしれないですね。
で、もう一個のほうが、
超細雄記ですね。
そうですね。
こっちは三蔵法師一行が、
孫悟空も含めて旅してる途中に、
偽の悟空ということですね。
偽悟空です。
これも原作に出てくる悟空に繰りそつな、
繰りそつっていうかもう化けることができるんですね。
普通に六字が化けてるんだよね。
でもその化けクオリティが高すぎて、
ガチで誰にも見破れないという。
如意金庫房も持ってるという。
そういうちょっとしたエピソードがあるんですけど、
それを拡大解釈して、
ものすごい2時間ドラマに膨らませましたよという、
そんな作品です。
本当は三蔵法師一行が旅する過程で、
いろんな出来事が起きて、
その都度悟空がボコボコにしたりとか、
悟空がやりすぎて叱られたりとか、
モロモロしながらひたすら旅が続いていくっていうのが原作なので、
道中でね、水飲んだらみんなに予体化するみたいな、
わけわかんないエピソードもあったりとか、
いろいろするんですけど。
あったね。
そんなのが最悠奇なんですが、
そのうちの一個に過ぎなかったものを、
恋人を救う条件として悟空になりすまして本物を倒すように、
命じられた六字美行が悟空に化けるんだけど、
そうすると記憶がなくなるんだよね。
ガチ悟空になっちゃうんだよね。
ガチ悟空になぜ、なんであの記憶なくなったのか、
俺最後までよくわからなかったんだけど。
よくわからなかったんですけど、
とにかくなりきりすぎてなりきっちゃって、
本物の悟空が誰かをね、
しかも化けのクオリティも高すぎるから、
本人が忘れた以上、
本当に誰にもわからないみたいな状況になり、
観客も正直どっちがどっちかわかんないぜっていう状況の中で、
最終的に、
まあいろいろあるんですよねっていう。
これ原作と違うところで、
陽前が鏡で映してたけど、
原作確か如来がこっち違うぜって言って、
悟空が殴り殺したんだったと思うんだよね確か。
如来まで言ったっけ。
如来まで言ったんだよ確か。
相当誰にもわからなかったですからねということで。
今回はそれをちょっと脚色をさまざましましてですね。
最終的に恋人は失いですね。
自分自身もちょっとこう、
なんていうのかな、
一応敵倒してわーいって感じになったけど、
ちょっと無念のまま死んでいくと。
で、生まれ変わったら一緒になれるのかと思いきやですね。
生まれ変わったら生まれ変わったで、
一緒になれずに終わるっていうそんな話でした。
ぜひ悲しい気持ちになりたい人は見てくださいということで。
そんな感じのね、毛色が違いすぎる2作を全く知らないがゆえに、
最有機ベースの新しい作品ということで取り上げた結果、
どうまとめて語っていいのかさっぱりわからないという状況に陥りましたけれども、
いずれも見応えはあるとは思うんですよ。
思う。
思うんだけど、ちょっとしんどいかなっていうところもあったんですね。
とりあえずさすがにテイスト違いすぎるだろうっていうのが僕の感想でした。
そうですね。
なんとなくちょっとジャブに入っていくんですけど。
どっちからいく?モンキーマジックのジャブからいく?
要するにあれは両方ともまとめていく?
まとめちゃってもいい?
いいよいいよ。
多分乱れ討ちしたい。
はい。
ちょっとまず、ごめんいきなり調査有機の方から入っちゃうんですけど、
おそらく対抗のキャラクターをもじったんだと思われるあのツリジジイ。
あ、ツリジジイね。
はい。
松林サッカーのせいでずっとウサン臭い。
黄金の足の人ですからね。
黄金の足だね。
そうなんだよな。
松林サッカーでさ、松林のシーフになるシーンが一瞬だけあるじゃない?最初の最初の方。
あのイメージカット的な感じで。
あるねあるね。シャシャシャシャシャってやってるところね。
シャーみたいな。
あれがまんまなんか出てきたみたいな感じになっちゃってさ。
そうなんだよね。
こいつ嘘つき仙人とちゃうかってちょっと最初疑っちゃったよね。
やっぱね、初めて見た作品の役柄っていうのはね、ちょっとこう強く残ってしまうからね。
仕方ないっちゃ仕方ないかもしれないですけど。
ちょっと演者さんの圧がちょっと悪影響しましたね。
そうですね。
じゃあ僕からもいいですか?
はいはい。
超最悠期、まあいろいろ言いたいことあるんですけど、大胆解釈だなとか。
主人公お前だったんかい?みたいなのもあるんですけど。
これ途中まで2人悟空がいる状況になるんですよ。
ほとんどがね。ほとんどがどっちが本物の悟空かわからないみたいな感じで描かれるんですけど。
でね、今ちょっと僕2人の悟空のピースしてたらちょっと風船が飛んじゃったんですけど。
2人の悟空がみたいな。でも当然片方にフォーカスが当たってるんですけど。
その片方がですね、結局は悟空だったということで。
お前が主人公なんかい?っていうのがちょっとびっくりしましたね。
びっくりだったねー。
で、それに気づいてからもう一度見返してみると、
ガチで三蔵法師1校が空気なんだよね。
何も残らないなんか。
八戒もそうだし、三蔵法師もそうだしね。
玄奘三蔵も結局なんかよくよく見たらこいつほぼほぼポンコツやなみたいな。
しかも馬なんて最初だけ出てきてさ、以降一切出てこなくなったからね。
そうそうそうそう。いろいろとすごいね。
でなんか二郎真君も結局こいつ何がしたかったんかなみたいな。
謎だね。
ね、あれも謎だったんですよ。
あのー、まあ堂々と出てきてですね。
悟空を天界に連れてってもうちょっと封印するみたいなこと言っといて。
自分がボコボコにされたら平気で悟空解き放っちゃうみたいな。
あと頼むわーみたいな感じの。
そんな感じみたいな。
八戒の扱いどっちも雑なのよ。
一応さ悟空に唯一対抗できると言っても過言ではないぐらいの扱いの八戒もですね。
なんかちょっと扱いひどないっていう感じ。
ちょっとどうしてもなってしまうっていうのがありましたね。
原作最悠季でも割と強キャラの一人である八戒なんですけど、
ちょっと雑に扱いすぎですね、どっちもね。
まあやっぱり悟空を強く見せたいっていうのもあったんですかね。
まあおそらくはね。
とは思いますけど、ちょっとなーという気はしましたね。
あとなんかこう、なんかちょっとこの映画とは離れちゃうんだけどさ、
この2つの映画作品を見てて、僕がたぶんね、小学校幼稚園ぐらいの時だったんですけど、
6時過ぎぐらいになると、昔の手塚治虫のアニメをひたすらやってたんですよ。
それで僕三つ目がとおるもリボンの騎士もブッダも、そして悟空の大冒険も、
これで見たんですけど、いやーなんかまた見たくなっちゃったなーっていう。
悟空の大冒険?
全く知らねえな。
白黒ですから。
僕の手塚治虫が描いた僕の孫悟空を原作に虫プロがギャグアニメとして作り上げたらしいです。
鉄腕アトブの後番組らしいですね。
あ、アトブの後番だ。
古いもん見とるなー。
いやなんかね、何のチャンネルでどう見てたのか全然覚えてないんだけど、
とにかくやってたのよ。それだけは見せてもらえてたの。
でもね、あのね、これカラーだぞ。
悟空カラーだったっけ?
お前のテレビが白黒だったんじゃないの?
いやそんなことはないよ。
さすがに、さすがにカラーだったよ。テレビは。
ほんと?チャンネル物理で回してなかった?パチパチって。
あー、途中でリモコンが壊れて物理で回してましたけど。
ボタンポチポチはしたけど。
カラーのなんか画像しか出てこないですけどね。
カラーだったっけ?
どうなんすかね。ちょっと僕も全く詳しくないから知らないですけどね。
さっきの歌なんて初めて聞きましたけど。
まーったく知らないよこれ。
こんなのやってたよ。
大冒険。
だってお前1967年って書いてあるぞお前。
それはさ、再放送ですよ。
それはわかってますけどね。
それは現役世代で見てないよ。
これ何歳になっちゃうんだよ。
わかってますけど。へー。
懐かしいねー。
これ大好きだったなー。
でもね、僕ら世代、最悠期は割と短でしたよ。
短かったよ。
なんで短かったかよくわかんないですけど。
ドラゴンボールも一応最悠期の設定を借りたギャグ漫画としてスタートしてますし。
まあそうね、確かに。
あとは何だろうね。
あと悟空の設定パクってるのって何だろうね。
わかんないですけども。
でも確かに日本の漫画アニメ史を見ててもさ、
最悠期だったり方針演技だったりとかっていうのはさ、
根強く出てくるのよね。
まあそうね。
何らかの設定は。
何よりやっぱり綾香市文化っていうのがさ、
やっぱり根っこのところでさ、文化圏としても近い分親しみやすいっていうのはあると思うんですよ。
長く生きた生き物が化けるとかね。
やっぱそういう発想だったりっていうのも、
やっぱりすごく感覚的に近いから楽しみやすいっていうのもあったなって気がしますしね。
じゃあちょっとジャブに戻りますけど。
はいはいはいはい。
超最悠期のエンディングで僕はね、
秒速5センチメートルを思い出しました。
俺はなんか最悠期のアクション映画を見ているつもりで、
実は秒速5センチメートルを見てたんだなっていう。
いやーなんか救われなかったねー。
救われなかったねーほんとにね、あれは。
ちょっとびっくりしちゃった。
ね。
いや俺ちょっと期待したよ?
あのー来世ではさ、あっこのヒロってさ、
こう持って行ったところでさ、
あのー実はみたいなところが出てきてさ、
お互いこう手が触れ合った瞬間にピッてなんかが来て、
幸せに暮らしましたかと思ったらさ、
僕あのマコちゃんのね、男は辛いよの話を思い出しました。
男は辛いよだなー。
これはもうダメだ!みたいな。
そうそうそう。
下り、あの豆腐屋の娘だっけなんだっけ。
豆腐屋の娘ですね。
豆腐屋の娘ですね、あれは。
豆腐屋の娘でしたね。
ダメだ!
いやー豆腐屋の娘展開でしたね、これは。
まあちょっとね、だからこう試練が好きなのかな。
どうなんですかね。
原作の6時の設定どうなってたっけなと思うけど。
そんな設定なんて何もないよ。
ただの化け猿でしかないからね。
だから逆にそれをよくこれだけ膨らましたなっていうところですよね。
それはすごくいい試みだったんじゃないのかなという気はしますね。
だからなんかある意味では調査遊戯のそういうなんか挑戦的なというか、
しっかりこのエピソードにフォーカスを当ててそれをしっかり膨らまして、
1ドラマ作り切るぞみたいな感じがよく描けてたなという気がする。
ごめんちょっといい、オウマさっきからなんでピクピクしてんの。
ごめん今ね、オムロンのね、電気パルスのマッサージ機を使って。
舐めてんの?
あのさ、真面目に喋ってんのにさ。
3秒に1回くらい肩すくめられるこっちの気持ちになってほしいんだけど。
はぁ?はぁ?はぁ?みたいな。
肩すっごい今日なんか痛くてさ、肩こり原因のなんかちょっと頭痛くなりそうぐらいなのよ。
あーなるほどね。初めね、おしっこ我慢してんのかなと思って。
あー大丈夫、おしっこはね、ちゃんと収録前に行ってきたから。
あーじゃあ大丈夫ですね。
今日はたぶん途中で行くことはないと思う。
そんなわけで超左右気は結構その点すごく評価したんですけど、
モンキーマジックに対して僕ものすごくがっかりしたことがあるんですよ。
ほう。
あのーまあ皆さんご存知の通り僕はドニー・イェーンさん大好きなんですよ。
はいはいはいはい。
あの甘いマスクにね、あのーに使わしくないようなムキムキマッチョで、
で、カンフーもバリバリやりますよみたいな。
はい。
もうすごい素敵だなっていうふうに思って、そんな彼が悟空を演じると。
こんなんもう面白いに決まっとるやろ思って見たんですけど、
はい。
あのドニー・イェーンである必要がないほどのメイクと演技。
てか俺ちょっとさ、あのーわかんない、
イップマンをイメージしちゃってるからかもしんないけど、
あれドニー・イェーンってこんなに演技下手?って思ったよ。
いやいやいや。
ドニー・イェーンは、あのあれよ、あのテンション、
おふざけするときはすごくふざける人なんだけど、
あれは真面目にやってるんですよ。
あれね、俺も調べたら、
なんかもう撮影1年前から動物園に通い詰めて、猿を観察して、
で、かつ悟空のそのなんていうのかな、天真爛漫さ?
要するにもう精神的な幼さみたいなものを表現するために、
3歳の息子からインスピレーションを受けて、役を作っていったらしいんですけれども。
はー。
はい。
ただね、僕はもう少しかっこいい悟空をちょっと見たかったなって。
ほんとにラストバトルで、
あーそうそうそう、こういう動き見たかったんだよね、みたいなのがちょっと見れたんで、
ようやく救われたんですけれども、
やっぱり序盤は、ほんとになんていうのかな、
設定はポツポツ変えたり、悟空の行動の動機とかもポツポツ変わってはいるんですけど、
まあだいたい最悠期の序盤のですね、悟空誕生からの偽っていうのがなぞられていくだけの話がひたすら続くんで、
なんかこう、盛り上がりもない感じに、ちょっとやっぱ感じあるでしょ。
ルメープして。
そうそうそう。で、ドニー・イェンはずっと猿としてしゃいでるしね。
なんかこう、ドニー・イェンのこれを見たいっていうこの様子に、
視聴者側のわがままでしかない、ファン側のわがままでしかないんだけど、
それが満たされるのが、ほんとに終わりの終わりだったんで、結構きつかったなっていう気がしてしまいましたね。
ちょっと序盤にさ、兄弟子とちょっと戦うぞってなったとき、
お!って思ったじゃん。
トラかいって。
そうなのよ。
まあね、変形のね、72班の技のぶつけ合いなんで仕方ないんですけど、
やっぱりね、こうもっとバチコンバチコンやってほしかったんですね、ちょっと。
そうね。
ね、そこかなと。
今のマコちゃんのちょっとエピソードを聞いてさ、
あのー、ちょっとくさそうかどうか迷ってたことをちょっとやっぱり言おうって思ったんだけど、
あのー、ドニー・エンそこまで観察して猿を再現しようと頑張ってくれたじゃない。
逆にうるさい。
そうなんだよねー。
あのー、たぶん猿独特の鼻のひくつきとか、
口をちょっといってやろうとする動きとかさ、
あとまばたきとかね。
そうそうそうそう。
すごく入れようとしてくれたんだろうなっていうのはわかる。
わかるけども、
あの、すべてのシーンでそれ入れなくていい。
そう、だからなんかね、あのー、
超最勇気のほうは、
あのー、ある意味じゃあなんていうのかな、
あのー、ひらき直りじゃないけれども、
その人間フォルムと猿フォルムがあるみたいな。
うんうんうん。
戦闘シーンだけ、こう、容器をこうワッてさせるのかなんか知らんけど。
うん、知らんけども。
だからまあ、でもそのぐらいの設定でも十分見れるよねっていうか、
逆にそのほうが見やすいよねっていうのはあって、
やっぱあれだけのこう特殊メイクでほんとに猿寄せして、
で、行動も猿寄せすると、もう猿じゃんってなるんだよね。
そう。
やっぱあくまで猿とはいえ、
石から生まれ、戦術極めてっていう、
まあ、あやかしじゃないですか。
そうですよ。
だからもうなんか別に、
猿猿しく猿しなくてもよくないっていうふうにもちょっと思ってしまうという。
さすがに猿が過ぎる。
みんなあの、そもそも彼猿じゃないし。
うん。
石から生まれたあやかしとして生まれてる猿型のあやかしだから、
そもそもが猿じゃないのよね。
まあまあそうだな。そもそも猿と言っていいかわかんない。
岩猿みたいなふうに言われて、岩猿ってなんやねんって話ですから。
っていうのはちょっと思いましたね。
そうね。
あとその猿つながりでもう一個なんだけど、
ドニエの初期の頃の猿の動きたち、
やっぱ2001年宇宙の旅のほうがちょっと解像度高かった気がすんだよね。
そうなんだよ。
そうなんだよ。あれ見て既視感あるなと思ったらね、
これね2001年宇宙の旅なんですよ。
で、やっぱあっちのほうがね、なんかね、より猿なんだよね。
より猿だよね。
で、そこに一体なぜそういうことが起きたのかっていうふうに考えたときに、
モンキーマジックのほうは猿を猿として描こうとするも、
コミュニケーションが取れて言葉も話せるという描写が入ってるんだよ。
そうなってくると、演者としてもどっちに寄せるべきなのかっていうところに
多分ね、揺れが生まれると思うんだよね。
その結果として猿として見るには不自然さが勝つし、
かといって龍鳥に喋られると猿すぎるから入ってこないみたいな、
そういう不和が生まれてしまってるっていうことになったんじゃないのかなって気はしたね。
そうだね。
見やすいのはどっちかって言ったら間違いなく調査有機のほうかなっていうふうにはやっぱ思いましたね。
あと何あるの?
俺ちょっといくつかもうざざっと言っちゃいますね。
まず悟空、筆場音の才能あるんかいっていうね。
いやそこ。
才能あるんかいっていう。
原作では非常によく馬の面倒を見たし、
馬と一卒ができたがゆえに調教がすごくうまかったと。
だから今までそんなに展開の中でも馬の調教って馬だけにうまくいってなかったんだけど、
悟空が筆場音になったら馬は丸々と越えて筋骨流々になり、
軍隊としても非常に素晴らしい軍馬に仕上がったみたいな一説があるんですけど、
ほんまかって。
モンキーマジックの中では。
本当にどうなのかがちょっとよくわからないっていう。
どっちで寄せて描いてるのかわかんないんだよね。
一応すぐ懐いた感は出してたけど、
実際飽きてやめちゃうんだけど、悟空は。
飽きてっていうか、末食に過ぎないことを言われて。
悟って。
ふざけんなってなってもうやめたってなっちゃうんだけど、
そんなに頑張りまくってる感じがないし、
割と早々に飽きてる感出してたしみたいな。
どっちなのかなってちょっと分かりづらい。
どうしてもそれは序盤のエピソードを全部なぞろうとしてるがゆえに、
時間的な制約もあるしっていうのはちょっとあったのかなっていう気がするなというのが一つ。
ちょっと馬不憫だったよね。
馬不憫だったね。
すげえ悟空に気遣ってるんじゃんって思って。
馬不憫でした。
あ、すみません。できないです。
あ、それもすみません。できないです。
ごめんなさいって言って。
あとは、これも俺が詳しくないからわかんないだけなのかわかんないけど、
牛魔王の黒い霧みたいなやつなんなんっていう。
あれ何でしょ。
割と展開でしっかり通用してたんですよ。
あの黒い霧みたいな技って牛魔王使ってましたかっていう。
そんなのあったんだっけっていうちょっと分かんなくなりました。
確か牛魔王原作では、牛何頭分だったとか、
人間何人引っかかってきても吹っ飛ばせるぐらいの強い力をお持ちみたいな。
しかも斧って持ってたっけっていうのがすごい疑問だったんだけど。
そうね。
昔ね、横浜の西口、横浜駅西口の鶴谷町辺りに、
牛魔王っていう中華料理屋があってね、地下にある店舗だったんだけど、
ドア開けたら地下に向かう階段があって、そこを下りてくると、
うわっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、
って牛魔王の笑い声が聞こえてくるっていう超怖いところがあって、
小学生のときに親に連れてかれて泣き叫んだ思い出がありますけれども、
おだしょー はい、ごめんなさい、どうでもいい話でしたね。
で、もうそんなもんでいいかな。もうちょっと喋りすぎてるんで、チャブで。
何かじゃあ大間があれば。
30ページは喋っていい?
いや、特に言わなきゃいけないことはないかな。
おだしょー はい、じゃあ行きましょうか、本題に。
やりますか。
おだしょー はい。
今日どっちから行く?
おだしょー 前回は御苗字。
御苗字は、まこちゃんからか。
おだしょー はい、じゃあどうぞ。
いいですか?
おだしょー はい。
あ、痛い痛い、ちょっと強くしすぎた。
ごめんね、ちょっと首に入り直して今。
おだしょー やかましいわ。
じゃあ、僕の説から。
おだしょー はい、お願いします。
いいですか?
おだしょー はい。
天竺は、俺たちの心の中にあるんだ、説。
おだしょー あのさ、もうさ。
はい。
おだしょー ずっと我々擦ってるんですけど、
あの、我々の更新エピソードの中で一番再生数少ないの、
あの、ミレゴジアあたりですか?
笑
おだしょー あの辺一番回ってないからね、本当に。
いやでも、このネタを擦り続けることによって、
おだしょー そうね。
みんななんだこのネタは?って聞くことによって、
再生数が伸びていくんじゃないかっていう。
おだしょー そうですね。
おだしょー ぜひ皆さんもですね、あの、ゴジラミレニアムだっけ?
だね、ゴジラミレニアム。
ミレニアムだね。
おだしょー ゴジラミレニアムぜひ、
あの2時間ちょいの苦業に耐えて見てみてくださいということで。
で、天竺がこの。
リルヴァル史上。
おだしょー もういい?
リルヴァル史上最も辛い映画です。
おだしょー はい。
はい。で、えーとね、
まあ何なのかっていうところなんですけども、
まあ西遊記っていうのが天竺、今で言うインドらしいんだけども、
の、えー、なんか経典をもらいに行くというお話になってくるんですけれども。
で、その経典をもらうことで、なんかこう、
太平の平和が、なんかどうのこうのみたいなのが主題だったかと思うんですけれども、
この今回のね、映画2つを見て、
あ、悟空ってそういうことだったのかなっていうところがちょっと一つ見えたものがあって、
結局、えーと、あ、まあ悟空、悟空もそうなんだけど、悟空一行っていうところも含めて、
あの一行って人間の中にある心の動きたちを表現していたんじゃないかっていうのが今回の僕の話なんですよ。
はい。
で、あの、まあモンキー・マジックとこの今回の超西遊記っていうところだけちょっとピックアップしていくと、
モンキー・A・マジックっていうのは、この自我が発生する前の心の暴走っていうところが描かれている。
で、超西遊記に関しては、こう、自我を統一する。
つまりこの修行の中で、えーと、自分の心っていうのが二面性を持ち、
そこが揺れ動く段階っていうのをお話しだったのではないかと。
で、えーと、まあちょっとあの超西遊記で、あの5人組ってほとんどちょっと空気なんですけど、
一応ちょっと僕の本筋に入るために、なんとなくちょっと5人組をちょっと説明していくんですけれども、
まず三蔵法師ですね。
5人の中で一番ポンコツなんですけども、ほぼ何もできない。
できるとしたらあの金火獣のノリと唱えて悟空を止めることぐらいしかできないんですけども、
とかこの人っていうのはこの目的をしっかり持ってそれをやり遂げようとする信念を持っているっていうところがこの5人の中で言われている。
だからその自分の心がどこに向かうのかっていうのを決めるっていう中心的な存在となっている。
で孫悟は一番強いんだけれども突発力もあるんだけども、
なんかこの制御ができていないエネルギーとしてこの西遊記でずっと描かれているっていうのはどの話でもあるかなと。
で諸八界に関してはこれすごくわかりやすくて欲望のメタファーとして描かれることが多くて、
この人に関してはもともと天界にいた人なんだけれども、
飯を食らいすぎちゃったか何かで罪を受けて、
人間界に落とされるときに間違えて豚の腹に入ってしまったがゆえに今諸八界になってしまったっていうような設定の人なんですけども、
原作の方でも今回の方でも俗っぽくだらしないっていうような描かれ方がしている。
だから最も現実的な事故として描かれているのがこの諸八界。
女癖の悪さで落とされたらしいです。
女癖か。
そうそう。
なんか肝炎かなんかしたのかしらね。なんだっけな。
なんか言い寄ったみたいな。
あーなんかあったな。
強引に口説いたらしい。
あのなりで。
あのなりで。
らしいですよ。わかんないですけど。
で、この佐護城も同じく天界由来の人間で、この人何やったかマジで忘れちゃったんだけど、
まあ何かやってとりあえず人間界に落とされて。
佐護城もそうだの?
佐護城も天…
あいつはなんかなぜか日本では河童に描かれるよね。
そうだね。なぜか。
なぜか。河童だからかもわかんないけど。なぜかね。
で、なんか人間何人…9人だったかの子供の供養をしながらどうのこうのみたいな。
確か今回の作品ではなんか呪図みたいなのつけてたけど、
本来はこう子供のドクロ首つけてるんだけども。
で、この人って5人組に入ると非常に空気になるんですけれども派手さはないんだけれども、
ただただしっかりと旅を続けるって継続性があるっていうような人物像で描かれている。
あと最後の5人目の馬。
なんですけどもこれ実は海竜聖王かなんかの息子なんだよね確かね。
竜王の息子の一人でなんか天界で追い倒してしまって、
馬になって進んでいくっていうところで。
だから心を前に運んでいく意思みたいなところが描かれているんじゃないかなと。
で、これを仏教でちょっと読み取っていくとどうなるかっていうと、
この修行が軸になっていて、神演威歯っていう言葉があるんですけれども、
心は猿のごとく暴れ、威は馬のごとく走っていくみたいな。
だからこの心っていうものが落ち着かないよねっていうような状況を表した言葉なんだけれども、
悟空はもう言葉の通り神演、だから落ち着かないで飛び出し暴れる心のありさま。
で、白龍馬に関してはこの威歯の部分でどこかを走ろうとするような意思。
で、八海は煩悩で三蔵は求道心、佐護城は身体性、継続性みたいなところを表していて、
だから西遊記っていうのは敵を倒す話っていうよりかは、
なんかいろんな心のありようっていうものがあるんだけれども、
それでも、求道として道を求めるために西へ向かい続けるっていう修行をやっていますよっていう修行僧の話としても読み取れるんではないかと。
で、今回このモンキーマジックをこの視点で読んでいくと、
モンキーマジックはまだ悟空が悟空になる前の話なので、三蔵に出会う前。
だからまだ方向性だったりとか目標がなかったりとか、あるいはこの自生をする心っていうところもないと。
だけどもパワーと才能だけはある。
だから才能と力だけっていうのが先に暴走してしまった時の心の状況。
で、天狗になったりどうのこうのっていうところが多分現実世界でもいろいろあると思うんですけれども、
そういう状況だったんじゃないかなと。
で、最勇気が始まってない時の修行が始まる前、
自分が自分として確立する前の心のありようっていうのがここで描かれる。
で、超最勇気の今回の話でいうと、六次っていうのが自分のシャドウなのかどうかっていうところがちょっと微妙なところではあるんだけども、
自分の分身みたいな人、偽物なんだけれども自分と同じように見えるっていうのが出てくると。
で、外敵っていうよりかは自分そっくりの偽物として現れていってて、
なんか違うよねっていうのはわかるんだけれども、それがなんで違うのかっていうのがわからない。
だから仏教的にはその心身と妄心の争いみたいなところで、この自分の真ことっていうのは自分の内側にしかないわけだから、
外面っていうところをいくら探したところで見当たらないよねっていう空の話になってくるんだけれども、
色族絶空の話の部分がそこで描かれると。
しかもこの名前っていうのもそこら辺若干表してるんちゃうかなっていうのがあって、
孫悟空の、孫はよくわかんないんだけども、悟空っていうのは空を悟る都会で悟空だから、
おそらく多分やっぱり西遊記もかなり仏教に寄せてきてる話なんだろうなっていうところはそこ。
これらをちょっと統合して何らの話なのかっていうと、
エリックソンをまたちょっと引っ張り出してくるとすれば、
自己同一性だったりとかアイデンティティクライシスの話っていうところに非常にこの2話っていうのは近い話になってくるんではないのかなと。
その思春期で自分とは何者なのかとか、自分らしさとは何かっていうところとか、
他者から見えてる自分っていうのと、自分が抱えている本当の自分っていうのは同じなのかみたいなところがこの辺で問われていくような
発達段階になってくるんだけれども、その辺の自分の何者なのかっていうような、
アイデンティティの揺らぎの話っていうところが西遊記、特に悟空として描かれていってるんじゃないかなと。
心の暴走っていうのはその思春期よりちょっと前ぐらいの時の、
パワーとエネルギーはいっぱいあふれてるんだけれども、そこをどう制御していいかわかんないから、とかく暴走するっていうような状況。
それから西遊記の6時の話になっていって、その自己同一性っていうところが由来でまた統合されていく
っていうところがあるんではないかなと。だからその天竺に行く話ではあるんだけれども、結局天竺っていう目的を
心の内に表した話っていうところが西遊記であり、その特にその自分とは何かっていうところを突き詰めた映画が今回の
超西遊記とモンキーマジックになったのではないかというところが今回の初刊でございます。
割と当たり前のこと言ってるっちゃ当たり前のこと言ってんだけどね。
まあそうね、西遊記はもともとファンタジー小説なわけですから、何とも言えないけれども。
でもそもそも玄奘三蔵がインドに経典取りに行ったよっていうのは史実ですから。
その史実をベースにして、この綾香氏鬼譚が生まれていくという流れの中で、
当然仏教的なアプローチでテーマ性が組まれていくのはある意味必然というか。
そもそも仏教の経典取りに行ってる話なんだからっていうのはありますよね。
なんかね、これも僕が昔見ていたダークサイドミステリーという素晴らしい番組があったんですけど、
それでも西遊記がどうしてこんな形になったのかっていうのを分析する回があってすごい面白かったですね。
そもそもだからなんで一人で行ったのに妖怪3人連れてってんだよみたいな。
その妖怪3人って一体何なんだみたいな。一体どこから来たの?なんで猿なんだ?なんで豚なんだ?みたいな。
っていうのがいろいろあって。
で、なんかね、ちゃんと理由があるんですよね。
へー。
そう、ちゃんと理由があるんですよ。
でもあの豚だけ覚えてんだよな。
豚はね、マリシテンが出てくるんだよね、なんかでね。
要するにより史実サイドに近い玄奘三蔵の旅路を描いたものに、
なんかくじけそうになった時に仏が現れて励まされたみたいな逸話があったと思うんですけど。
マリシテンだったかな。
で、そいつの乗り物が豚なんですよ。
あ、マリシテン乗り物?あ、そうなったんだ。
いや、イノシシかな、要するに。
はいはいはい。
中国はイノシシも豚って書きますからね。
うんうんうん。
だからそんなわけで、だからその関連性から豚そのものが味方になるというかね、
お供になるよみたいな話が出てきたりとか。
あと猿の神様なんかはね、ハヌマーンとかいますし、
実際聖天体制っていう土着の神様を祀ってるところも実在するみたいなね。
それが三蔵の辿った道の中で結びついていったんじゃないかとか、
なんかいろいろあって、そういうのを辿っていくのも面白いし、
そのいった中で土着信仰と仏教世界っていうものが結びついて、
ファンタジーに練り上げられていくみたいな、そんな構図がすごく面白いなと思いましたけど。
実際その西洋の心理学的なアプローチ、あるいは発達心理学的なアプローチを、
この作品にあてがって見てみると、新しい発見もありそうで確かに面白いなと思いましたね。
うんうん。
はい。じゃあいいですか、僕からも。
今日なんかさっくり言ってるね。
いいですね、この調子で。で、僕のもサクッと言ってますけど、
そうですね。じゃあサクッといきますから、聞いてください。
映画、モンキーマジック及び超左右気。
事実上の傲慢さこそ最古のイケメン造説。
はい、ということでね。
もうね、この2作品はもう毛色が違いすぎるんで、
どこから切り入っていこうかって思ったときに、
いやまあイケメンって何かについてっていう。
つまり何をかっこいいと思うかという。
はいはい。
それをここから分析していくのが面白いんじゃないのかということです。
これあの前回はね、オンミョージでかっこいいってこういうことさみたいなこと言ってましたけれども、
最古のイケメン像ですね。人類史上最古のイケメン像です。
それは傲慢さにこそあるんじゃないのかということですね。
とりあえずその孫悟空って、モンキーマジックの方を見ればわかると思いますけれども、
とにかく能力を盛ることが好きなんですよね。
そういう人いるじゃないですか、RPGとかでも、
とりあえず力の種めっちゃ集めるとか、
20レベぐらい差がないとボスと戦う気にならない人とかいると思うんですけど。
僕です。
まずそもそも石から生まれてるから、その時点で頑丈ですし。
戦術もあっという間に一を聞いて百を知りですね。
極め切って。
不老長寿になる番頭ですね。
桃ですね、戦闘を。
ムサボリ食いですね、大量に。
大量にムサボリ食い。
で、戦薬もね、飲み。
もうこの時点でですね、死ぬ要素なくなりつつあるんだけど、
ダメ押しで閻魔町の自分の名前と仲間の猿の名前全部消すみたいな。
もうだから死にたくなさすぎるのよね、こいつね。
で、火で燃やされてもちょっと耐え抜いてですね、真実を見抜く目を手に入れるみたいな。
もうだからなんていうのかな、要するに殺せない男みたいな。
要するにもう能力値上げまくってるんですよね。
そんなにもらなくてよくないと思うけど、もらなきゃダメなんですよっていうことなんですよ。
要するに無敵。
ただその、それはまあ要するに丈夫さとか無敵さみたいなところだけなんですけど、
でもまあ確かにそれだったら小学生なんかもよく言うじゃないですか。
俺が考えた最強のなんたらみたいな。
大体ただ能力も俺だけなんですけれども。
でもそれだけじゃなくて、悟空って原作においてはただの子供なんですよね、やってることはね。
そこらへんをちょっと整理していくと、原点の最悠奇における悟空の行動って基本的にはやりたいことをやってるんですよ。
だからさっき話題にも出たけれども、馬の世話役筆場音をやってたときも、
まあ末食だから馬鹿にされてんだろうな、飽きてきたしもう天界から出ちゃうぞって。
自分をデカく見せるためにとにかくいろんなことを口から言いまくるわけですよ。
戦うときも相手を馬鹿にしますし。
桃とかも、さっきの話で桃とか食べますけども、
別にそれを食べることによって強くなって何かを成したいとかじゃなくて、
食べたいから食べてるんですよね。
で、だいたいどこにも何かこうさ、何かを訴えたいみたいなところじゃなくて、
自分が馬鹿にされたら怒るし、自分をデカく見せたいしっていう世界でやっているわけであって、
自己評価がとにかく高い猿なんですよ。
で、そうなるにもおかしくないような力を持ってるんだけれども、
で、何かこう、何だろうな、モンキーマジック見てると、
あいつが怒るのが仲間の猿を殺されたからとか、猿であるという羊を馬鹿にされたからみたいな、
何かこう義憤に近い怒りばかりなんだよね。
そうかね。
正義のために怒ってますみたいな感じのことが多いんだけど、
お前そんなやつではないやろっていう気はやっぱりしてしまう。
それはでもある種仕方なくて、正当な理由でもって暴走しなければ、現代的な価値観に合わないんですよ。
僕らが読んで熱狂した自動版最悠奇においては、そんな余計な演出はされてないので、
ただただですね、馬鹿みたいに強くて傲慢な悟空が描かれるんですけど、
でも小学生である我々はそれに熱狂したわけですよね。
そうだね。
はい。でも、今の映画界ではそれは許されないわけです。
要するに感情移入可能な、要するに大人が見たときに感情移入可能なヒーローに加工しているわけだよね。
で、超最悠奇なんかもある種巧みでですね、本物の悟空を本物の悟空として描いたら、
やっぱりこう、なんなんこいつになってしまいかねないから、
いっそ偽悟空の方にフォーカスを当ててるわけですよ。
偽悟空であれば別に本物の悟空のように描く必要がないわけじゃないですか。
愛する人を大切にするだとか、
自分の人生を懸けて守るべきものを守るみたいな。
もちろんね、原作の悟空も三蔵には忠実に、
初めこそね、調子こいてましたけど、忠実な部下というか、として頑張るんですけれども、
基本的には子供そのものだったんですが、
それを描くわけにはいかないから、偽悟空の方を主人公に据えてですね、描いていく。
だから、昔ながらの孫悟空を描いたときに、熱狂する人はいるかもしれないけれども、
現代の価値観に添えて考えると、厄介者のように感じてしまう人が多くなってしまうような時代にあるんじゃないのか。
ある意味ではアウトなキャラクターになりつつあるんじゃないのかということをちょっと感じたわけですよ。
だからこそ、モンキー・マジックでは悟空が起こる理由を変えたし、
調査有機ではそもそも悟空を主人公にしなかった。巧みな擦り替えによって。
っていうふうなことが読み取れたわけですね。
じゃあ逆にだけれども、そんな気遣いが必要なこのキャラクターが、
一体なんで400年以上にわたってずっと人々の心を掴んできたのかということがやっぱり気になるわけですよ。
現代に合致してないのに。
現代に合致してないとか言うけど、僕には全然合致してるんですけどね。
少なくとも商業ベースに乗せるときに、結構うるさい人たちが増えたという意味での現代に向いてないというだけの話で。
実際のところ最有機を読んだときに、悟空のバカみたいな強さと天真爛漫で傍若無人な態度に本気で怒る人なんていないと思うんですよ。
全然面白いなって見るはずだと思うんですけどね。
じゃあここで戻っていきますけれども、とにかく悟空は圧倒的に強いよねと。
これは本当に原作においてもとにかく強くて、苦戦することはほぼほぼないと言っていいです。
強いぞ強いぞっていう描写をされた敵が来て悟空にボコされるっていう展開のほうが多いので、はるかに。
だからとにかくこいつ強いんだなと。
ただ一人そいつを圧倒できるのは如来ぐらいですよっていう。
いい戦いできるのが二郎真君ぐらいですよみたいな。
そんな感じですね。
なんだかんだで一応勝つことが分かっている戦いを繰り返すという、男は辛いよ的な展開なんですけれども。
男は辛いよはとらさんが負け続けるんですけどね。
とにかく結果が分かっているぐらいの勝負をひたすら続けている。
とにかく強い。
ただそのとにかく強いってことって、ある意味では原始的だけれども圧倒的な安心感と快感があるんだよね。
これなんか騎士感ありませんか。
なろう系主人公ですよね。
そうなんですよ。
とにかく強い。
強すぎるんですけれども。
でもその強さには身を任せたくなるっていうのは、これなろう系だよねっていう気はしてしまうんですよね。
ちょっとここは後でもう一回改めて触れるんですけれども。
謙虚さが一切ないこの悟空というキャラクターになぜかいいなっていうふうに思う理由って、ある意味では以前ね、帰ってきた人らで取り上げたんですけれども、
我々はですね、強い子につき従いたくなるっていう、そういうね脳みそをずっと持ち続けているわけですよ。
これはまあ進化心理学的なお話になるんだけれども、集団の中で最も強い個体がリーダーとなって、そこにつき従うことで生存率を上げてきたから、我々は圧倒的に強いものに従いたくなってしまう。
さらに言えば、自由からの逃走ですね。
ヒフロムのお話ありますけれども、人間は自由を獲得した後に、今度はその自由から逃げ始めるわけですね。
ある意味ではこの自由を持て余してしまう。
あるいは自由によって生まれる責任から逃れたくなる。
結果的に強い権威の服従を今度はまた改めて求め始めるみたいなメカニズムがあったりするんですけれども。
結局、僕らって圧倒的な強さっていうものに、どうしても憧れてしまうというか、そういう仕組みを持ってるんじゃないのかなというふうに思うわけです。
そう考えると、孫悟空っていうのはまさにそういうキャラクターとしてあって、別に彼自身は自分のやりたいようにやるわけですよ。
別にそこに何のイデオロギーもないのかもしれないんだけれども、でもとにかく強くて強くて強いのであれば、その活躍に熱狂して身を任せておけば気持ちいいし楽しいんですよっていう。
だから余計なことを考える必要はないんですよね。
もちろんね、大義はありますよ。三蔵の旅を支援して、なおかつみたいなところはあるんだけれども、でも彼自身の人格が完成している必要はそこには全くなくて。
なんか積極さいことを言いながら、これは何々の文とかさ、俺はなんか悪は許さないみたいな感じじゃなくて、とにかく俺は強いんだぞで殴ってくれって言っても全然気持ちがいいじゃないかっていう。
それがある意味では最高のヒーロー像なんじゃないのかなっていう気がしてくるわけなんですよ。
そう考えると、現代のポップカルチャーにおけるナロウ系ですよね。
小説投稿サイトの小説家になろうから生まれた主人公が異世界転生してですね、圧倒的な力を持って次々困難を乗り越えていくっていう、そういう物語群がいっぱいあるんですけれども。
あれなんかはね、まさにそうじゃないですか。
努力もしないですね、ごく短期間で圧倒的な力を手に入れるわけですよ。
悟空もそうですね。
先日もあっという間に他の弟子たちを追い抜いてですね、何年もかかる修行をあっという間に極めますし。
におい坊もなぜか悟空の命令に従いますし。
どんどん強くなっちゃうじゃないですか。
どんどん病死にね。
これってある意味では非常に、現代の作品に落とし込んだら、ある意味ではちょっと出来すぎだよねっていうお話なんだよね。
重要な視点で言えば、ナロウ系って文芸批評の場においては、安易な欲望充足のためのツールみたいな批評しかされないわけですよ、当たり前だけどね。
結局自分を重ねて、いや俺はここでは評価されてないけど、どっか別のとこ行けば絶対高く評価されるはずだみたいな、精神的な逃げ場みたいなね。
悲しい男たちが欲望を満たすために、どっか別のところに行けば自分はめっちゃ強くて、あっという間に美少女はべらせてハーレムになれるんだみたいな、
かわいそうな妄想に浸されるみたいな、そんなためのものとして扱われるわけなんですけれども、
ただ最悠奇は言って400年以上前の作品ですから、ある意味ではナロウ系って400年以上前のプロンプトをそのまま使い回してるみたいな状態にあるんじゃないのっていう。
展開は予定調和だし努力は最小限ですよって。圧倒的に強い主人公がただ次々と勝っていくっていうフォーマットは、
実は別にナロウ系でフォーカスされたことじゃなくて、400年以上前にもう既に確立されている、人類が最も原始的に快感を覚えるヒーロー物語のフォーマットなんじゃないのかと。
ああいうことなんですね。
だからナロウ系がどんどんどんどん広がっていって、それに具現を呈す人はいるかもしれないし、あるいはそれに魅せられてる人たちいるかもしれないけれども、
そんなことはもうとっくの昔にですね、400年以上前にもう既にもう圧倒的な形で成立していたんじゃないのかということをね、僕はここから感じたわけなんですよ。
まとめていきますとですね、だから結局のところ、僕らは悟空好きだよねっていう。
これはもうどうしようもないんです。悟空好きなんです。
ヒーローが悪役を倒そうという、まさにその時にですね、急に成人ぶってですね、お前を許すとか言われても、なんかちょっと違和感が残る人いっぱいいると思うんですよ。
まあまあまあ。
でも最悠奇にはそれは別に、なんていうのかな、必要なくていいんじゃないのかなっていう気がしていて、
やっぱ強いキャラクターがしっかりと活躍してくれるっていう、そういう本当にシンプルで気持ちがいいヒーロー作品っていうものを見たいのであれば、今すぐKindleで最悠奇シリーズをポチりましょうみたいな。
映画を見ましょうではなく、ぜひちょっと一緒に読んでみませんかということで、最悠奇を読みましょうというのが僕のまとめでございました。
4,200年たっても僕らが悟空を嫌いになれない理由は、脳みその構造にあるということです。
なるほどねー。
とするとよ、その法定式をそのまま借りるとしたらさ、人類っていうのはオラオラ系ヤンキー主人公に憧れるということじゃないですか。
まあそうだよね。っていうか人類はだから、こんなこと言うとあれだけれども、結局人は神を求めてるんだよねっていうことなんだと思うんです。
神っていうのは圧倒的な力を持っているけれども、彼らの意思決定っていうのはこちら側がコントロールすることでもなければ、こちら側の倫理に伴ったものじゃないじゃないですか。
はいはい。
だからまあそういうものを信じるのが人間だから、神がどこ行っても大体いるわけですよ。
はいはい。
ていうことなのかなって気はしましたね。
なるほどねー。
とするとそのまこちゃんの嫌いなさ、ヤンキー映画が流行るっていうのもしょうがないね。
あれは強さを吐き違えてるから。強くもなんでもないじゃんあんな奴ら。
本当に申し訳ないけど一つ言わせてもらうと、若い頃からタバコ吸って酒飲んで、コンビニの前でタムロして、移動するときはひたすらバイク乗って、
で、運動といえば女抱いてるしかやってないような連中が、ゴリゴリの体育会系の部活の連中に勝てるわけねえだろ。普通に考えて。
何喧嘩サイリオンみたいなこと言ってんだよみたいな。
ただそれはお前倫理がないからなんとなく本気で殴れるってだけだろみたいな。
まあね、躊躇がないっていうか。
普通の人は倫理感があるから殴れないっていうだけの話であって。
相手にデバフがかかっているのを自分にバフがかかっていると勘違いしている頭がまず残念ですよねっていう。
まあそうね。殴り合いしようぜって言ったところでビール瓶持ち出す連中にはそれは勝てないよって。
そうそうそうそう。それはだからこちら側がそもそもデバフかかってるんですよっていう。そういうところですよねやっぱり。なんかちょっと愛入れないなっていうふうに思います。
本当に。
だから悪そうに見えるけれども必死に努力してますよって言うんだったら別にまだわからなくもないんですよ。
でも同時に別になんかそれ悪そうに見せる必要あるって思いますけど。
とにかくねだからそこなんですよねなんかね、僕が嫌いなのは。
だから悟空はなあ、好きだなあ。
何なんだろうね。だからこれで結局始めのテーマに戻ってくるんだけど悟空に一体何を重ねてんだろうっていう。何を重ねてるから惹かれるのかってところなんですよね。
まあでも真子ちゃんの説を言うとすると自分のロールモデルを重ねてるんだろうし。
ロールモデル重ねてんのかなあ。
だって神ってロールモデルじゃん結局は。
大きな意味で言うとさ。
どうなんだろうね。でもなんかこうさ、なりたいわけではなくないというか、自分はこうあらねばと思ってるわけでもなくないっていう気はしない?
まあでもこうあらねばと思ってるかと言われるとそうじゃないかもしれないけども、大なり小なりで自分の指針になる方向性じゃない?
でも俺小学生の時に孫悟空を指針にしようなんて一つも思わなかったけどね。
まあ、そっか。
一を聞いて百を知る悟空のことみたいな風に書かれていて、いや俺は98ぐらいが限界かなって思ってた。
あのさ、ポッドキャストで無言のツッコミやめてくれる?
普通に放送事故になるから。言葉でちゃんとツッコんでくれる?
あの、98はありへんやろ。
違う違う違う違う違う。
違う?
お前だったら200ぐらい言ってるよって。
ああ、200言ってるとも。
やかましいわほんとに。
まあそんなわけで別に悟空になりたかったわけではないし、でもなんか強さへの憧れはあるんだと思うんだよね。
漠然とした行動だったりとか、ある意味力を持つことでの自由さと責任とみたいなところが悟空を持って学ぶことができるわけじゃん。
なんだかんだ悟空の行動原理って子供っぽいかもしれない部分は非常にあるけれども、
でも水蓮堂の猿たちと幸せに暮らすために何やかんや最初から最終までやってるわけだからさ。
そういう大きな意味での指針にはなってたんじゃないかとは思うし、
その指針として考えるのであれば、自分のアイデンティティを統合していく上での軸と何かっていうところが悟空に重ねられてるんじゃないかっていうところでは、ある意味共通はしてるのかなと思うけど。
へいへい。なるほど。
真面目に返せば。
じゃあそんな感じかな。
そうですね。
皆さんが悟空に何を重ねてるのかもぜひコメント欄などで返してもらえると嬉しいなと思いますけど、
強いってかっこいいよねっていうことを僕が言いたかったのは結局一言にするとね。
なるほどね。
じゃあそんなところですか。大丈夫ですか。
そんなところですかね。
じゃあ何かしら言い残したことがあれば聞きますけれどもね。
そうですね。なんかちょっとジャブにみたいになっちゃって申し訳ないんですけど、
モンキーマジックに関してちょっと一個だけ言わなきゃいけないことがあって、
炉に放り込まれるシーンいる?
炉に放り込まれるシーンはいるでしょう。
あれ全カットでよくない?
だってモンキーマジックでは一応起きたこと全部やろうとしてるから、
やらざるを得ないんだけど、あれ放り込まれたって言っていいのかな。
まあまあ自分から入ってたわけではあるけどね。
自分から入ってるよね。だからちょっとよくわかんねえんだよなっていうのがちょっとあって。
あれ、もともとは玉丁か何かに放り込まれて、
でも戦闘を食ってるから死ななくて、
しかも中でセンズみたいなのを食っちゃったから、
余計何か手に負えなくなっちゃったみたいなあれだったよね。
え?なんか隅っちょに逃げてたんじゃないの?
隅っちょに逃げてたんっけ?ちっちゃくなって。
隅っちょに逃げて、でも肺で目がやられて。
それで目が赤くなったのか。
そうそうそう、みたいな感じだったと思いますけどね。
あったあったあった。
という感じだったと思いますけど。