そういうコンボと言いますか、連携と言いますか、セットと言うか、枠組みと言うか、統合と言うのかわかりませんが、パッケージ?
そういう一連のサイクルか、循環みたいなものを作るというか、作っておけばいいんじゃないかなって話なんです。
作りなさいっていうのもおかしくて、多分やってるんですよね。すでに気づいたらやっているようなものというか。
何かやろうと思いますじゃなくて、やっていますっていうものが、多分それは至極理的に適切なんじゃないかなと思います。
そしてですよ、自分がついついやってるわっていうようなことで、かつそれに対して評価です。
人がいいなとかやってほしいっていうようなことがあるんじゃないかなと思います。
それを見落とすというか見過ごすというか、ガチなんですよ。
なんでかっていうと簡単なロジックでわかると思うんですけど、自分は別にアイディアは出せるし普通だと思っているから、
人がそういうふうに出せるのすごいねって言われても、別になんとも思わないですっていう話になるんですよ。
この視点とかで言えば、僕は別に何か考えているっていうよりも、いろんな人の考え方とか、自分はどうなんだろうねっていうふうに批判しかり、
意見をぶつけるしかり、もちろんぶつけるだけじゃなくて、相手の意見を聞くとかもそうですけど、
そういうのが普通なんですよ。それは普通じゃないですよって思った方もいらっしゃると思うんですよね、多分ね。
でも考え方っていうのがすごく大事だと思うし、考え自体もね、好きなんで、そういう人が周りに多いですよね。
どういうふうに考えているのっていうのを、もしかしたらある方は、実際の方でそういう方がいらっしゃるか分かりませんけど、
詰める、リクルートではお前はどうしたいのっていうふうに詰められるっていうふうに聞くんですけど、知らないですよ本当は。
それは別にね、本当に詰めてるって、冗談ですよ。詰めるっていうのは、その人の意見をちゃんと主張するというか、
意見を言ってください、その人の考え方を教えてくださいっていう意味で詰め寄るっていうニュアンスですが、
その時に、普段考えたり、こうしていきたいっていうふうに思って考えるか、
実行したりなんかやって固めていって、普段からそういうことをやってる人は特段気にならないですよね。
どう思うんですか、こういうふうですかねって言える。
だけど本当にそれを考えていない人にとっては、どう思うのっていうのがめちゃくちゃ辛いんですよ。
だって考えたことないし、そんなことを求められなかったし、困りますみたいな。
わかります?
例えば、この例がいいかわかんないけど、飲食店でアルバイトしてて、新しい季節のメニューを作らなきゃいけないと。
それはいつも店長がやってたんだけど、あなたがアルバイトで働いてて、僕がアルバイトで働いてて、
店員してた時に、店長がちょっと今度考えてみてよ、新しいメニュー考えてみてよ。
もちろんそれはアルバイトとして、仕事としてっていうよりじゃないんだけど、
そういうのもやってみたらどう?やれるんじゃない?って。
お客さんの好みとか、もしくは今の季節とかを踏まえて。
そうじゃないの、今までじゃないものを作りたいみたいなことを言った時に、
それはアルバイトの範疇を買ってますって言ってやらないっていう人もいると思うんですけど、
そういうのを置いといて、ちょっとめんどくさい話は置いといて、やると。
その時に、そんなの私考えたことないんでとか、そういう方もいらっしゃると思うんですよ。
あと自信がないっていう意味で、やりたくないと。
分かります。
だけど、そういうところで、考えたことないんだけどやってみますとか、分かんないけどチャレンジしてます。
それは店長の上司というか、上の人の振り方とか、指示の仕方とかはもちろんありますよ。
マネジメントの話はありますよね。
ありますが、そういうふうに振られて、もしくは考えてみてよって言われた時に、
全く何も想像つかなかったらやっぱりできないわけじゃないですか。
だけど、そこでちょっと話としてはやってみるんじゃなくて、やってみることが全くなかったら大変ですよねって話だから。
無理強いはないんですけど。
話を戻すと、そういうふうに僕自身は考えることっていうのが、割と普通にやってるわけですよ。
あるからニュース見たり、人の話聞いたらこういうことも言えそうですね、こういうことも言えますよね、
立場違うけどこういうこともなりますよね、みたいなことがいろいろ出てくるわけですよ。
別にこれは、僕自身が特殊能力を持っているわけでも全くなく、考えている人だったらできる職業というか、
作業でもないか、技な気がしますよね。
少なくとも考えていただきたいのは、自分の視点しか見てないよねっていう人は基本的には仕事ができないですよね。
仕事ができないからダメっていうわけじゃないですよ。
だけど仕事ができないイコール、ここで言っているのはお客さんから見てどうかっていうことになる。
例えばですよ、そんなことないと思うんですけど、
例えばスーパーの品出しとかして、出札が乱れてるから直すとかっていうのは、割と基本だと思うんですよ。
たぶんね、知らないですよ。
それが斜めになったり飛んでったり全然違ってたり、もしくは椎茸がドーナツの値段になっているとか、
出札がドーナツになっていて、椎茸ドーナツじゃないですよね。
それは商品提供を販売するものとしてはダメじゃないですか。
だから直しておくとか。
例えば椎茸の価格のラベルが逆になっていて見えないとかね。
そんなことあります?って思うことがあり得るわけじゃないですか。
っていうのを基本というからやらなきゃいけないというよりも、
言わなくても価格のラベルの100割を考えたら、それを見えるようにするっていうのが基本になるわけですよ。
きっとね。ごめんなさいね、僕は別に販売業をやってたわけじゃないですけどね。
だけど見えなかったらダメじゃないですかっていう話になってきて、
そういうものが当たり前じゃないんだけど、
それは何もせず当たり前のようにやりませんっていう話を言いたいわけですよ。
その当たり前っていうのが、
リサーナーだったらご自身が当たり前だと思っていることは実は当たり前じゃないんですよね。
っていうのを1回でも気づくか、もしくは単純にその人に感謝されたり、
あれおかしいな、自分ではそこまでっていうギャップですよね。
何か差異、違いを見つけて、
もしかしてこれって自分が思っているより人ができなかったりするんだけど、
自分にとっては全然苦じゃないな、苦じゃないがいいと思います。
好きとかって言うとちょっとこじらせ気味になるんで、
っていうのが一番いいんじゃなかろうかなっていうふうに改めて思ったっていう話になります。
今回の話で言えばアイディアを出すこととか、もしくは考えることに関して、
特段なんか僕自身が頭に負荷をかけて、ものすごく消耗して出すみたいな、
そういう感じじゃないんですよね。
もしかしたらそういうふうに思われているかもしれない。
一方でお客さんから感謝いただいたときに、
そんなに考えてくれたとか、いろんな視点を見てくれたっていうのはあるかもしれないですけど、
それを別にやっているからって言って、
そのお客さんから見たらもしかしたら100倍時間かけたみたいな、
もしくは100時間かかったみたいな、納期としてはそんなにないんですけど、
思ったかもしれないですよね。
だけどそもそも考えている量がたくさんあるし、いろんなものを見ていて、
その人の考えとか欲しがるものとか、問いかけとかアイディアについて考えているので、
いろんな引き出しがあるわけですよ。
多分。
僕自身が言うと手前ミスなんだけど、それはお客さんが言っているからもういいですよねって話ではあるんですよね。
これはもうだいぶ前に吹っ切れていまして、もういいからいいじゃんみたいな。
僕が言ったんじゃないですよ。お客さんが言っているんですよみたいな。
いいですよね。
そういうふうに評価いただくわけですよね。
だからそこがポイントですよね。
そんなにやってくれたんだみたいな。
こちらは別にこんなにたくさんありましたよなんてことは一切言ってないですよ。
だって言う必要がないですからね。
だからアウトプットで成果でアイディアというもので示せばいいだけで、
それにご満足いただいてそういうふうに評価をいただくと。
これは別に僕が他の人に依頼をしたときに考えてくれたか考えてくれないかどう思うかということなんですけど、
僕自身もアイディア出しとか他の人に仕事というか依頼をしたときに、
ちゃんと考えてくれる人というのはわかるわけじゃないですか。
そうしたら感謝しますしありがとうということになるから、
こういうお客さんの気分でこんな感じかなというのは容易に想像できるわけですよ。
別に依頼をするというような状況のシチュエーションじゃなくても、
さっき言ったスーパーしかりコンビニしかり飲食店しかりでサービスを受けるお客さんの立場になると、
それはわかるじゃないですか。
気持ちいい対応があったり気持ちよくない対応があったりするときに、
気持ちいい対応してくれる人もしくは気持ちいい対応してくれる店、
そういうことになってきませんかねという話ですよね。
その気持ちいい何々とかプロの何々とか安定したサービス提供みたいな、品質とかわからないですけど、
それをものすごく頑張って何かやるというよりも、
ろうせずそこまで自分にとって苦労しているわけじゃない、苦にならないかなというのをやってた方がいいかなと思います。
そういう話をすると一個だけ批判という意味ではコンフォートゾーンみたいな感じで、
腕が上がらないというか技術が上がらないとか成長しないみたいなのがもしかしたらあるかもしれないですね。
だけど基本的に全く同じことをずっとやっていくということは多分できないような気がしていて、
毎回変わると思うんですよね。
それと成長しませんとか、これ以外やりませんというのはちょっと違うかなという気がします。
その時の成長って何ですかね。
同じことをやり続けているとか、いわゆる単純に成長している感が自分の中でなかったり、
学びというやつですよね。刺激とか変えたりとかやり方をね。
そういうのがないとダメというか面白くないかなと思います。
という感覚を頼りにするしかないかなと思いますけどね。
その辺りは難しいと思います。
要は自分が苦にならないことをやるんだけど、でも苦にならないからイコール、
今自分がやっていることだけ淡々とやっていけばいいかなという話ではないんですよね。
これ新卒とか社会人で経験が浅い方とかが若い人いたら、
勘違いされる方がいると思う。
もしかしたらいるかもしれないし、そんな方いないかもしれないので、
老馬心の中で言っておくと、今学生さんとかが今まで勉強してきたこととか学んだことを使って、
はい、そのままずっとそのままで走り切れますよみたいな時代では全然ないんですよね。
そういう時代ではないわけですよ。
就寝雇用40年みたいな時でもアップデートしていったはずなんですね。知らないですけどね。
要は社会人だろうが、どんな人だろうが、どんな年齢だろうが学んで、
やれることを増やして、もしくはやれることを磨いていって、
それを提供するということしかないという、もともとない話になってきます。
何か大変ですか?一定程度できるようになったら、あとは消化試合みたいなね。
消化試合っていうのは、試合に勝ち負けを、勝ちを求めなくても負けでもいいっていうような、
あまり良い風に使われない、ただ試合数をこなせばいいっていう、まさに消化じゃないですか。
概念ですが、どうなんでしょうね。
消化試合みたいな仕事の仕方嫌じゃないですか。
そんな感じです。まとめますと、アイディア出しっていうのを、
僕は主語繰り的に言ったら、労せずやってるって感じです。
だけど、当然お客様から感謝されてるんで、別にいいなって思ったりします。
一方で、じゃあ楽かって言われたら、労せず苦にならないって言ってるけど、
楽かって言われたら、多分楽じゃないんじゃないですかね。分かんないですよ。
僕自身が苦労してやってるわけじゃないですけど、
インプットして、時にニュース見たり考えたり、これ調べたいなとかって時に調べたり、
あと、これが通われるんじゃないですか。全く自分が関係ないとか、ジャンル、特にエンタメとか、
何その分野みたいなのを、怖いもの見たさみたいな感じで、
全然興味ないけど何なんだろうなみたいな意味で逆に興味があるパターンがあるわけなんですけど、
そういうのをやりますっていうのは結構ありますよね。
それやらなきゃいけないってわけじゃないですか。
例えばドーナツに全然興味ないのに、ドーナツについて調べてくださいって言われたら、
どうします?っていうような話です。分かります?その感じで。
だから、何でも興味を持つっていうことは言われるかもしれないですけど、
何でも興味を持つことは難しいと思いますよ。ぶっちゃけね。
だけど、そのドーナツっていうのを食べ物じゃなくて、
難しい概念としてやりましょう。
単純に仕事としてやりますみたいな感じでやったらできる人もいるじゃないですか。
自分がドーナツが好きではなくても調べられる人と、好きじゃないと調べられない人がいたら、
好きじゃないと調べられない人は好きだから調べられるっていう人だけで、
それについてあまり得意じゃないよねとか、自分が好きじゃない、例えば何がいいんだろう。
魚が好きじゃなかったら魚について調べてください。魚嫌だ嫌だ嫌だみたいな人も多分いると思うんですよ。
これ調べるんだったらね。そんなもんじゃないですか。
例えば小説家もそうですけど、これについて書いてくださいって言われたときに、
これが全く興味がない。どうします?みたいな。断ります?やります?みたいな。
ことが逐次ですよね。問われると思うんですよ。
主告理もそうかなと思います。自分で仕事を選べるっていうと、
すごい贅沢なような聞こえるかもしれないですけど、別に贅沢とかではなく、
単純に自分が仕事を作って起業するなら、やりたいことをやりたいわけだから、
じゃあやりたいことをやります。でもやりたいことを順度を高めすぎると、
友人のところで喋ったんですけど、そのやりたいこと、ドーナツについて関わることしかやりたくなかったら、
ドーナツじゃないからやめますっていうね。ケーキはやめますとか。
わかります?シュークリームはやめます。バームクーヘンはドーナツではないみたいな。
いろいろこだわり出してきて、真ん中に穴が開いてなかったらドーナツじゃないとか。
定義は知らん。あとドーナツに関わるってもわからないです。
だけど、そのこだわりがいいこともあれば悪いこともあるというか、
状況によりますよねって話になってきて、
何もしてない。ドーナツにこだわってて、ドーナツの仕事がないから何もできてませんっていうのは、
ぶっちゃけ言い訳にしか聞こえないですよね。
もしくはそれをこだわりとしてリスクとしてるから別にいいんだっていう人だったら別にいいと思いますよ。
だけどこれは何度か言ってますけど、農業とかもそうですが、やっぱり経験がなかなかできないじゃないですか。
作物を育ててやる回数が少ない。趣向回数っていうのが少ないから、
やっぱり学習しづらいっていうのがあると思ってまして、
ゆえに参入障壁になるかなと思いますが、それが増やした、その学習を増やしていったほうがいいかな、
経験を増やしていったほうがいいかな、トライアンドエラーの回数は増やしていったほうがいいかなっていう意味で、
今言ったようにドーナツにこだわって、バームクーヘンの仕事って何かわからないですけど、
辞めるっていうのは僕はあんまりお勧めしないですね。
だったらバームクーヘンでいいって言って、それで試しにやってみて、ここがポイントなんですよ。
具体的なことをやったところで、その具体的なバームクーヘンでの仕事か何か知らないけど、
そこから得られた仕事の流れとかは得られるんです。抽象化できるんです。
だから何でも経験だってよく言うじゃないですか。
その真意は結局そこで抽象化できて、具体的なこととか一部のことしか覚えてなくても、
実はこういう経験があったからこういうことを言えるよねっていう抽象化していることがよくあるんですよね。
だから何でもやったほうがいいんじゃないですか。
こだわることも大事です。
でもこだわりすぎて動けなくなったら、やっぱりもうとうもこもないと言いますか、