はじめに:抽象化の重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。今回のテーマはですね、
ある本を読んでまして、たぶん言ってないと思いますが、言ったかな?言語化するための小説志向。紙で買ったんですけど。どこで買ったのかな?本屋で買ったんですけど。
本屋で買ったかな? もうこれ、新書なんですけど、これ新書ですよね。新書ですけど、
意外にお値段がしました。高段写真書ですが、1210円ということで、別に文句ではないんですけど、薄い割に結構するなって今見て思いました。新書1000円で買えないのかな?
本もですね、高くなってきていると、それでも安いとは思うんですが、というところで、その話を置いておいて。
今回はですね、小川哲史さんですね。哲史と読むようですが、言語化するための小説志向という本でですね、
一つ面白かった話がありますと。話じゃないと思いますが、話してたらすみません。抽象化の話が出てきまして、
来た来た!みたいな抽象化好きなリスナーのあなた、四国にポッドガストフリークのあなた、お待たせしました。抽象化の話をして、
今週も乗り切っていきましょう。今週も終えていきましょう。というわけで、今回はですね、この本から抽象化に関する部分を一部だけピックアップして、
ぜひ面白かったら買ってください。というわけで、いってみましょう。今回もどうぞよろしくお願い致します。
経験のないことについて語る方法
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。今回のテーマはですね、小川哲史さんの書かれた本、
高段昇進書から出てます。言語化するための小説志向というわけで、
話していきましょう。内容はですね、読んでくださいということなんですが、一応この小説を書くための本とか創作術みたいな、
小作のテクニックではなく、別に僕は小説を書こうとするわけじゃなくて、
伝え方とかですね、コミュニケーションみたいな文章とか、そんな感じで読んでまして、面白かったなーって半分くらいしか読んでないですけど、
出てきたんで、ちょっと共有させてくださいと。一つに、ちゃんと正確にいきましょう。12トピックあるんですが、
3番目ですね。知らない世界の話について堂々と語る方法なんていう、なかなか面白い話があります。知らない世界について
語るぞという話です。簡単に概要だけ言うと、小川さんは小説家なんですが、ベンチャー企業とかを経営したわけじゃないし、
ベンチャー企業に勤めたわけじゃない、というようなことが書かれていたと思います。 正確には本書を読んでください。
じゃあそういうベンチャー企業経験がないのに、 そのベンチャー企業と
小説家、もしくは小説を書くって似てるんだよ、みたいなメタファーと言いますか、表現をしました。
で、話を展開します。
で、ポイントは、この著者である小川さんが、
要は誰もいいんですが、自分が経験してなくても、自分が経験した小説家、小説っていうことを書いているので、
それに似てくるものを読者に想像させる。もしくは、自分のことを言ってるんだ、もしくは似てるんだな、みたいなふうに思わせることができます。
だからそれは嘘を書いていいということでもあるんですが、嘘であるということがどちらでもよくて、
抽象化してしまうとわからないってことですね。
ここで抽象化に対応する言葉として、具体化ではなく、一応個別化というふうに書かれてたのもちょっと面白かったです。
別に具体化でも個別化でもどちらでも僕は一緒だと思ってますが、
概念である抽象的なものではなく、個別的に語られる。だから小説家の働き方はこうですよっていうふうに言うのではなく、
ベンチャー企業でもこういうふうに言えそうだよねっていうふうに個別化していくということになります。
これが面白かったんですけど、どうですか?面白くないですか?
抽象化の具体例:金曜日の夜
要はどんなことでも似てますよね。ヒット曲の作り方ではないんですが、抽象的な概念的な話をします。
例えば、金曜日とかって、なんか飲みたくなるよねみたいな。
どうですか?そう飲みたくなるお酒ですね。思う方もいらっしゃれば、月金で月曜日から金曜日で働いている人じゃなかったら、
金曜日に飲みたいとかないですね。金曜日仕事始まりなんでっていう人には共感いただけないと思うんですよ。
でも月曜日から金曜日で働いてて、金曜日で残業もしたし、ちょっと飲んでいくかとか、
週末もしくは土日が休みだから飲んでいこうみたいな、気が緩むみたいな方もいらっしゃるんではないでしょうか。
リスナーの方はどうですかっていうところです。
そういう時に、刺さるというか、自分のことを言ってるなっていうのって、個別化具体化した方がいいというよりも、抽象化して飲みたくなるよねぐらいに言っておけば、
ああそうだよなっていうふうに思ってもらうこともできるわけですよね。
その個別化具体化っていうことで言えば、この著者の小川さんがベンチャー企業で経験をしないと、
その個別化具体化のベンチャー企業ではこういうふうに働くんだよってことが言えないわけじゃないですか。
ちょっと伝わってます?入り組んだ話になってるかもしれませんが。
もう一回だけ簡単に整理すると、要は自分が経験してないことも抽象化すれば、それをさぞ経験したかのように言えるってわけですよ。
僕自身はマラソンっていうのを別にやったことないんですけど、思考っていうのはマラソンだよねみたいなふうに言えるわけですよ。
考えることですね。
例えば、考えてごらんよと。
文章を口で喋る、話し言葉で喋るのと文章で表現するのはまたちょっと違うんですが、
基本的には話す、言葉にするってことでは似ている部分があるんじゃないかっていう想定でいくと、
思考はマラソンだよね。時間もかかるしね。
ペースを間違えると苦しくなっていくと。
でも、そうやって言ってるけど今嘘ついてるなと思ったのが、ゴールがあるんですよね、マラソンでね。
思考ってあまりなかったりしますよね。
だからその辺りでフワッとなってくるわけですけどね。
そうやって抽象化をしてしまうことで、もしくは抽象化っていう能力があれば、
そういうふうに知らないことでもさぞ経験したかのように話せるよねっていうような、
ある種の創作術ではないと思うんですが、ひとつそういうふうに話せるよねっていうことが面白かったんですよ。
思考とマラソン、そして経験の普遍性
でですよ、もう一回言うと、じゃあ僕自身がマラソンをしないとマラソンの話をしちゃいけないかっていうと、
そんなこと言い出したら小説って書けないわけじゃないですか。
ね、わかります?
じゃあここにまた飴がありますけど、飴を食べたことない人は飴の話をしちゃいけないのか。
でも飴って舐めたら甘いとか、なんかいろいろあるから、
それは何かものを食べたり、飴的なものというんですか。
砂糖でもいいし、なかなか無くならないものでもいいじゃないですか。
っていうのをから抽象化して飴の話をする。
で、ガムを噛んだことがないっていう人もいらっしゃると思うんですけど、
ガムを噛んで自分はグチャグチャグチャグチャ音を立てないとか、
もしくはよく顎を動かすみたいなところがあるというところで、
それを自分がやってないんだけど、人の経験や見たものから推測して作ることもできるんで、
もうちょっと精度みたいなのは上がりますよね。
これ面白いなと思ったんですよ。
抽象化:持ち運べる知識
で、抽象化ができるってことは、個別化、具体化したものから抽象化して、
持ち運ぶことができるというふうに僕は言ってます。ポータブルですね。
ポータブル、USBとかでもいいですけど、別にポータブルだからカメラ、スマートフォンでもいいですよね。
スマートフォン、ノートパソコンとかそうですよね。持ち運びできますよね。
要は小さく折りたたんで携帯して持ち運ぶことができるみたいなイメージです。
抽象って。だからカバンなんですよね。
で、ノートパソコンなんですよね。持ち運びできるような。
デスクトップPCとかって宅上ですよね。大きなもので一応持ち運ぶものではないみたいな。
設置型ってやつですね。デスクトップ。
ラップトップとか言ってたのは?先に聞かないですけど、まあいいや。
そういったパソコンがあって、それが個別具体的なイメージです。
もののイメージですよ。
つまり個別とか個別化具体化っていうのは、その該当するものによって、
より分かりやすいと言えばいいんでしょうけど、ものになると。体験してね。
だけど、実際に学ぶとか、それを使えるというか召喚するというか、想起する、思い出すというふうにできるには、
抽象化してまとめるっていうのが必須になってくると思うんですよ。
抽象化しておいて、それをもう一回展開して個別化具体化するっていうような動きがまさに学びであるし、
経験不足を補う抽象化の力
ここでも言えるように小説でなくてもいいんですけど、何かを伝えるときに、
自分が経験してないことを抽象化すれば話すことができますよね。
もしくは、自分が経験してない個別具体的なことがなくても言えますよね。
例えば、チキン南蛮の話をすると論争が起きるかもしれませんが、
ある友人が言ってた話では、宮崎県発祥かな、わかりませんが、
チキン南蛮はこうです。確かチキン南蛮って色々ありません?
南蛮漬けみたいなのって酸っぱいイメージ、酸味があるイメージですけど、
チキン南蛮ってそういうタレなのか、もしくはマヨネーズがかかってるのか、タルタルなのか、ちょっとよくわかんない。
南蛮ってついてるよね、とか思いながらも、僕もよくわかってないです。
知ってる方いたら教えてください。
それはどちらでもいいんですけど、本物のチキン南蛮を僕が食べたことがなくても、
チキン南蛮というのはこういうものだって言っても別にいいわけですよ。
もしくは、チキン南蛮というと語弊があるならば、
宮崎のおいしい鶏料理みたいな風にあれをぼかす、もしくは抽象化することで、鶏料理というのは様々にあると言ってしまえば、
別にチキン南蛮、宮崎のチキン南蛮のことは言ってないよね。
でも、そういう鶏料理を食べたことがあると言っても怒られない。
それは有林地とか、いろんな唐揚げとか、さまざまなバンバン地とか、わかりませんが、鶏料理がありますから、
そういうものから推測して考えれば、別に個別具体的な経験がなくても言えるわけですね。
これは、そりゃそうだよ大橋さんって思っている方いらっしゃるかもしれませんが、かなり重要なことなんですよ。
なぜかというと、経験をしていなくても抽象化することで言えてしまう、もしくはカバーできると言ってもいいかもしれないです。
個別の具体的なものがないというか、経験していないということで弱いというのはありますよね。
ということで言えば、人は経験したり体験したりするということで、抽象化できる種というか柱が太くなっていって、
起きない家というかビルというかわかりませんが、立たせることができるんじゃないかなと思っているんです。
経験と体験の価値:抽象化への種
だから経験とか体験って宝なんじゃないかなと思います。どんなことでもいいと思います。
いろんなものをしてもらえるといいんじゃないかなと、別に偉そうには言ってませんがって思っているんですよ。
ただそれをやっただけです。やりました、やりましたというふうに散らかっていると、多分あまり使えるというのは良くないです。
役に立つということではないんですけど、まとまっていない。引き出しに入っていない感じですね。
引き出しに出て使えるようにするには抽象化して統合というか抽象化しましょうということですね。
もしくは抽象化されるようにやっていきましょう。
抽象化したら今度はこういうパターンやこういう個別具体的なものはないかなとか、
もしくは個別具体的なものをやったら実は抽象も精度が上がったり、抽象がよりできたり、
持ち運びしやすくなったり、すぐに引き出したり、引き出しからすると。そんな話なんですよね。
創作と批評における抽象化
このクリティカルというかすごく重要なのは小説家がいろんな物語や創作をするわけですよね。
小説家じゃなくてもしますよね。
ときにそれを全部経験してないと書けないのかって言ったら、そうじゃないよねっていうある種の種明かしでもありますよね。
批評とかもそうな部分はありません?
例えば野球とか全然僕は見ないので、今WBCがどうとか全くなんですが、お好きな方もいらっしゃると。
そのときに大谷選手が、さすがに僕は大谷選手知ってますが、調子がどうとかっていうことに対して、
さまざまな評論家の方が言われてくるわけですよ。評論家というのは別に野遊してるわけじゃなくて、
あらだこうだ言って、酒を飲みながらくだ巻いて話すみたいなのを見かけたことがあったかな。
いいおじさんたちが酒飲んじゃう。いいと思います。全然健全だと思ってて。
それをおじさんなり、僕でもいいんですが、野球やったことがないですから、
プロ野球にやったからプロじゃないんで話しちゃいけませんってなると、何も言えないじゃないですか。
だからその該当経験がない人も言えるっていうのは、ある種面白さではあると思うんですよね。
もしくはそれによって全然違う視点や、ある種の競技人口っていうんですか。
見る人が広がる。感染者が広がる。感染する人ですね。
野球を見る人が広がるっていうのがいいんじゃないかなって思うんですね。
このあたりのバランスはあるわけで、やったことがないから言うなっていうような過激な方もいらっしゃれば、
やってないから言わないよねっていう人もいると、それだと何も言えなくなりません。そうなんですよ。
ここじゃないですか、話としては。そこがポイントなんです。何となく違います。
だから完璧な具体感も完璧な抽象感もなくて、相対的なその人、もしくは僕の中で言える範囲のことを言うと。
もしくは言えない範囲は言わないとかね。それのある種の調整なんですよね。
理解の深化:具体化と抽象化のバランス
すごく面白いなと思いました。まだまだこの本で言いたいというか面白かったことあるんですが、
言ってしまうとね、この本の面白さが消えてしまうかもしれませんので、ぜひ他の部分は本書を読んでいただいてね。
宣伝をしているわけではございませんが、面白いです。読んでいて面白いかなと思いました。
なので僕自身は学びになっているので、その一部を今読んでいるところで共有したという話になります。
具体化と抽象化というのを意識していただくと、話がわからないみたいなのは具体化が足りなかったりしますよね。
だけど話がわからないというところで、抽象的な部分の仕組みとか本質的なところを理解していないからわからないというのもありますよね。
だから抽象化をすればいいのだとか、具体化をしてわかりやすくすればいいのだというような話ではございません。
全くそういう話ではございません。どうにかすればいいということじゃなくて、
基本的にはわからないという状態は、下りる必要はないんですけど、個別具体的にどこまでわかるか、理解の話ですけど、わかるかもしくはわからないかというのを追っていって、
わかる部分があってわからない部分の輪郭といいますか、境界みたいなのがおもろげながら見えるのが望ましいですね。
自分が何がわからないかがわからないと、これはお手上げといいますか、仮に僕がものすごく知っている分野であっても何も話すことはできないです。
リスナーのあなたがすごく詳しい部分じゃないとわからないわけですね。
でも、そんな個別的な具体的な経験をみんながみんなしているわけじゃなくないですか。
例えば社会人経験がありますってよく言うわけですけど、スポーツ選手とかだと社会人というのが会社で企業で働いた経験みたいなことになったりするわけですよ。
学生さんが聞いてたら、会社じゃなくてもいいんですけど、働いたことがあるかってことですよね。
アルバイトじゃないやってるっていう。
その時にいろいろ学んだりやり方があるから、それについて社会人経験があるみたいな。
でもその社会人経験って当たり前ですけど、営業だろうが経営だろうがプログラミングのIT系だったりインフラだったり研究職だったりさまざまな仕事があるじゃないですか。
でもそれをざっくり社会人経験があるって言ってるだけなんで、その細かい部分は全然違ってたりするわけですよね。
中学校とか高校じゃないですけど、自分の家の母親が作ってくれた味噌汁が普通だと思ってたけど、そこに入ってくる具が全然違ってたりするって意味で、
あとこれは何度か言ってますが、東海地域名古屋では赤味噌、いわゆる豆味噌を好むんですが、僕も大好きなんですが、豆味噌自体は5%とか10%とか非常に少ない味噌というわけで、
一般的には麦味噌、米味噌で若干白いというかものが多い。赤味噌は本当に濃いですよね。茶色いみたいな。
ということを名古屋じゃない人と触れ合うことで気づくみたいなのがあったりするわけですよ。
それって若いというか知らないとそんな信じられんみたいな。他の人もみんな赤味噌食べとるんじゃないかみたいになるんですけど、そうじゃないわけですよ。
でも味噌汁食べるとかご飯食べてるっていうので抽象化して共有できてると思ってますよね。
だけど個別的なものを見ていったら違ったりしますよねみたいなギャップもそういうところから生じるんじゃないかなと思ったりしました。
日常における抽象化と具体化の実践
今回はそんなに難しい話をした覚えはないんですが、抽象化することで自分が個別化具体化したような実際にやった経験がなくても伝えることができますよね。
友人とよく話してるんですが結局友人が好きなこともしくは友人がやったことを対して僕がやってない、僕が知らないことはそうなんですねって言って
自分の経験だとこういうことが言えたよね。もしくは自分だとこういう関連のことがあるかもしれないですねって言って
抽象化、要は友人の個別化具体化に対して僕が抽象化して自分での経験で個別化した具体化したものを引き出して話すみたいなことをやってるわけですよ。
これ別に難しい話じゃなくてリスナーのあなたも普段からやってるんじゃないのかなと思ったりします。
それを具体的にシチュエーションを上げられるとより具体化とか抽象化の精度は増すので
相手が何を言ってるんだろうとかもしくはこちらが伝えていることがこういうふうに伝わってるかなみたいなところを整理できていくかもしれないです。
今回はこれぐらいしたいと思います。抽象化具体化面白いですね。またこれですね、違う本のネタを仕込むというかまた面白いの見つけてしまったので
ちょっといいですね、抽象化具体化。全然面白くなかったらごめんなさい。今回は以上となります。
シゴクリラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。