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アイデアマンという言葉をネガティブに使う時もあるらしい
2026-05-19 32:34

アイデアマンという言葉をネガティブに使う時もあるらしい

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サマリー

このエピソードでは、「アイデアマン」という言葉が持つポジティブな側面とネガティブな側面について掘り下げています。一般的に、アイデアマンは新しいアイデアを生み出し、それを実現していく創造的な人物と捉えられますが、一方で「アイデアは出すが実行しない人」という否定的な意味で使われることもあると指摘します。番組では、なぜアイデアを実行しないのか、その背景にある人間関係や環境、過去の経験などが、アイデアマンという言葉の捉え方にどう影響するかを考察しています。最終的には、アイデアを形にしていくことの難しさと重要性、そしてそれを支える環境や人間関係の大切さを説いています。

「アイデアマン」の定義と二つの側面
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
よろしくお願いします。今回ですね、テーマはアイデアマンということで、アイデアマンとは一体何ですかと、そんな話をしてみたいと思います。もしかしてですね、このポッドキャストで話したことがあるかもしれませんが、
ちょっと思い出しまして、そんな話をしてみたいと思います。まずですね、結論的に言うと、アイデアマンとは、僕自身はですね、ポジティブな意味で使っています。
要は、アイデアを考え、それを実現していく。要は、新しい工夫や解決策、世の中に対して貢献するような人というふうにポジティブに捉えているんですが、
アイデアマンというのがネガティブな意味で用いられるケースもございますと、あんまり僕自身はですね、直接は聞いたことはないんですけど、
インターネットだったりね、主にインターネットですが、アイデアマンだからアイデアをしか出さないと、つまりやらないというような言葉で捉えている方もいらっしゃるんですね。
そういう方、もしくはそういう視点の人にとっては、アイデアというものがどうもあまりよろしくないもので、
いむべきというかですね、何かそんなに言うのってダメなんだなと。
ここはですね、個人の心情、価値観なりが出てくるところだとは思いますが、
そういうふうにですね、アイデアマンって何だろうねということを、結論はですね、そんな何だろうねというところを考えていくことなので、
結論的にどうとかないんですけど、ちょっとアイデアマンについて考えてみましょうと、そんな感じになります。
アイデアマンのポジティブな意味とネガティブな意味
ご興味があれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。
今回のテーマは、アイデアマンとは何ですかという話です。
まずですね、言葉の意味としては、僕自身は冒頭で述べたように、アイデアを実現し形にしていく。
それがですね、1個や2個じゃなく、何度もね、課題、再現性があるといいますか。課題があれば解決していくという。
工夫があふれる人、相違工夫がみなぎる人みたいなイメージです。だからやってるんですね。形にしてるんですね。
一方で、真逆の意味もございますと、多分、そういうふうに使ってる方もしかしたらいるかもしれませんし、これを聞いてる方はそうじゃない、そういうふうに捉えてないって方もいらっしゃるかもしれませんが、
アイデアマンという時に、アイデアを出すが、やらない。逆に言えば、アイデアとして口だけでは言うんだけど、それをやることはないと。真逆なんですけど、そういうふうに使われる方もいると。
これは別に特定の人のみが、一人が言ってるわけじゃなくて、多くの人は多分アイデアマンってポジティブなイメージじゃないかなと思ってますが、
言葉というのは変わっていくんで、今だけそうかもしれないし、昔は違ってたかもしれないし、ある種批判的にアイデアしか出さない。
形にしない人を皮にくる意味でアイデアマンと使ってるかもしれないですね。
なので、自称でアイデアマンとか多称でアイデアマンというふうに表現するときは、マニアックな話ですが、若干注意が必要みたいな。
そんなこと言わなきゃいいんですけどね。アイデアマンといったときの前後の文脈でどう捉えられるかで変わるんで、別にそんな神経質になる必要はないんですけど。
アイデアを実行しない理由とその心理
若干ウル覚えではあるんですが、アイデアマンというののポジティブな方はいいと思うんですね。今回ね。
ネゲティブな方を若干放り下げると。
で、残算書という話です。つまり、自分がアイデアしか出さないので実行しませんよっていう時に、自称でアイデアマンという人は多分あんまりいないんじゃないかなって伝わってます。
両方としてですね。誰かを、他人を批判すると言いますか、否定すると言いますか、やってくれないよねみたいな意味でのアイデアマンって言葉があるんですが、自称で自分は形にしませんと。
一切何か言うことはやりませんっていう時に、私はアイデアマンだからっていうのはあんまりないんじゃないかなと。
だからそれは自称して誇るべきことじゃないというのも、アイデアを出す、アイデアのみ出してやらないという人にとっても何かしらあるんじゃないですかね。
このあたりですね、友人と昔喋ったのかちょっとわかんないですけど、そこでも友人が言ってたような気がしますが、本当にそのアイデアだけしか出さないという状況ってあり得るのか?
でもあるっちゃあるんですよね。あるっちゃある。だけどそれって言うけどやらない人みたいなポジションになりますよね。
でもそれはその状況としてどういうことかというと、例えば仕事で飲食店で働いてる人がドーナツ屋さんで働いてて、店長とこういう商品作ったらいいんじゃないですかっていうのはアイデアじゃないですか。新商品のアイデア。
それを店長が受けるかその店が好んでやるかは置いておきましょう。だけど求められたり求められなかったりわかりませんが、そういうアイデアがあると。
その時に店員さんとして働いてる人が働いてたとして、じゃあこういうドーナツ作ったらいいですよねっていうアイデアは私は言いますが私は形にしませんよというのってめちゃくちゃ冷たくないですか。
愛がないみたいな話になっちゃうんですけど。どうせなら実現したくないんですかねっていうのが第一義というか第一感でありますね。
あなたはどう考えでしょうか。こういうことを考えてみました。やってみたいことがありますという時にやってみたいというのは他者でも誰でもないあなたですから自分ですからね。
それに対してやりたくないっていうのは反してないんですかねっていうのがあります。第一感としてね。
もうちょっと話はめんどくさくなってくるんですけど。じゃあドーナツのアイデアを出します。なんかちょっと変わった形とか、いろんな形があったり色んな食感が楽しめたり、どこか海外で流行っているのを持ってくるでもいいし、そういうのでとりあえずやってみましょうと。
何かしら具体的なものができてて。スケッチなんか書いたりしてね。実はやってみたいじゃんって思いません?だけどやらないと。それ何でだと。何かあったんですかって思うのが僕の感覚です。
これは世の中的な社会的なとか知らないですけど、そこまで考えるならやりたいってことだよねってなりません。
で、それをやりたくないってことは若干めんどくさい人っていう。ここで言うめんどくさいというのは、別に行動が矛盾してるというわけじゃなくて、やりたいって言ってるのに、じゃあやりたいんだねって言ったら、いややりたくないですみたいな。
持ってき方が難しい人っていうんですか。きちんとそれをやりたいってことだよねっていうふうな論理とか整理すると、やりたいって自分では言わないんだけど、しれっとやっていきたいみたいな形があります。若干これめんどくさいですね。
実行しない背景にあるトラウマと環境
だけど、もしかしたらそういう人が増えてるかもしれないし、いやわかんないです。知らないです。そういうめんどくさいと言いますか、要するにこの2つ目のケースというか、あれっていうのはやりたいんだけど、トラウマじゃないですけど、過去に嫌なことがあったと。
何かを形にしていくときにトラブルがあると。例えばですけど、やりたいって言ってるんだけど、みんなが全然賛同してくれないんですとか、自分はいいアイデアだと思ってるんだけど、他の人とかが乗ってこないです。要は提案が受け入れられないという状況ですね。
つまりドーナツに新しい面白いものを乗せると。まあ面白いものはわかんないですけど、果物を乗せると。だけど果物はコストが高かったり、よくわかんないですよねって言われて終わってしまうというか、うまくいかなかったと。だけど自分にはこだわりがあって、それはどうしてもやりたいんだと。
何か理想ですけど、ここで難しいのは、アイデアって別に自分がやりたいことはやるっていうケースでも全然いいんですけど、店としてね、店舗として商品として作るのであれば、それは個人の店員さんの意思のみでできるものではないですよねっていう話になってきますよね。
個人が思うだけでは当然できないし、様々な事情や状況があったり、運も正直ありますよね。店長や同僚とか、お客さんとかが盛り上げてくれたらまた話は別ですよね。
だからといってその人が好かれたりすれば別に商品化できたりするとか、そういう話ではもちろんないんですけど、プラスにはなるんでしょうね。
そういう時に何々さんがやるっていうのは別にそこまで応援したくないですとか、むしろ若干3番目に入ってくるんですけど、それってそこまでやらなくてよくないですかみたいな。
つまり、自分はやりたいんだけど周りがあんまり乗り気じゃないと。店長は若干乗り気なんだけどみたいな。そういうのが現実じゃないかなと思います。
それを聞いて、社会ってめんどくさいですよねっていうことを伝えたいわけじゃなくて、だいたいそんなもんですね。みんながやりたい、やるぞって言って、そんなすっきり、かっきり、ぱっきり、たけ終わったようなことはわかりませんが、そんなことはございません。
むしろそれぐらいめんどくさいことが普通で、そのめんどくささが低いか高いかぐらいかなっていう感じでしょうか。伝わってますかわかりませんが。つまり2番目的に思ったのは、当事者にとってアイデアを出すとかやりたいっていう人にとって何かしら良くないことが起きて形にしていくのってあんまりトラブルになるってわかります?
自分が言うとあんまりうまくいかないっていうパターンがあるから言わないですみたいな人はいらっしゃるんじゃないかなと思ったりします。でもそれはアイデアとかの話じゃなくて、どちらかというとその人の人間関係性とか生き方の問題になってくるような気がしますし、あと性格の問題もなってくるから何とも言えないんですよね。
だけど、別に批判しているというよりも、自分が何か考えてそれを形にしていくことって割と難しいんじゃないのかなと思ったりするんですよ。分かります?割と難しい。だけどめちゃくちゃ難しいわけじゃなくて、少しずつ地道にやっていくしかないっていうね。確認しながらね。っていうのは変わらないんじゃないかなと思ったりします。
で、さっき言った3番目というのは先走りましたけど、要は周りの環境ですよね。アイデアっていうものに対して実現しようとか、それいいねっていうような環境が周りにない。環境というのはもう本当にその通りで人間関係である。周りの友達とか職場でもいいですし、自分がその種で動いているコミュニティでもいいですし、サークルでもいいですし、家族でもね、家庭でも、友達でも、どんな状況でもいいんですけど、
そういった周りにいる人がその乗り気であるかどうかっていう、単純にアイデアに対してどう構えているかという、そんな話です。
それがないと、あまり歓迎されないと、アイデアを出すんだけどやってくれないとか、やらないと。今、環境と言いましたけど、それはアイデア満等。やや否定的にアイデアを出すんだけどやらないっていう人が周りにいたら、アイデアを出すんだけどやらない人が応出っていうね。
それはちょっとよくわかんないですけど、信頼はあんまりされないですよね。言うだけですって言って、そういう態勢とかポーズというか、姿勢でいるっていうのは別に批判されるべきではないかもしれませんが、なんか言うならやってほしいですよねっていうのがあります。
アイデアを実行することの難しさとジレンマ
でもさらにめんどくさいのは、次行くんですけど、言う人がやる、だから言ったらやりますよねみたいなことになると、なんかアイデアが出てくる人にとっては不安なわけですよ。なぜなら改善点はいっぱいあるんだけど、これ言ったら自分がやるってことは負担になりますよね。
そんなことできないですよって。一人ですからね。が、もしくは、出てきたらそれを誰かとプロジェクト組んで何かやっていいっすっていうような権限が与えられてたら別ですけど、そういう権限じゃない平社員とか、立場がそんな上じゃない人だったら別に言ってもなみたいな風になりませんか。
っていう風にアイデアが潰されるというよりも、自分が考えて何かやるっていうのがあんまり意味がないと。そういう状況もあり得るんじゃないかなって思ったりします。そうするとやらないですよね。
で、そういう風に言ってしまうと、その辺りをまとめてしまうと、アイデアが割りかしあるという人にとっては、じゃあ言うとやらなきゃいけないから言わないですよね。やらない方が得みたいな感じになってきて、囚人のジレンマとか社会的ジレンマみたいなのがあるんですけど、
その板挟みあって結局行動としてその内面の言葉はブラックボックスでわからないとしても、結局行動としてはやらないっていう行動を取ると。それらを全部踏まえた人がアイデアマンっていう風に批判される側ですね。つまりアイデアだけでやらないっていう人がもしかしたら生まれるかもしれないですね。
もうちょっと広く引いてみると、自分が考えたことは何かしら形にしていった方がいいんじゃないですかみたいな。趣味とか研究とかそうですけど、僕だったらアイデアの発想法、違和感発想法なんて言ってますけど、それ別に誰かに求められてるわけでもなく、自分がやった方がいいかなと思ったりするし、提示した時にそうやって考えることができるんですねみたいな。
教官というか教姉、それはお世辞かもしれませんが、やられたりするわけなんで、そういうのをやるわけですよ、自らね。だったら形にしていくし、そういうのをアイデア発想法を形にするっていうのは、それを伝えるっていうことだけですよね。もしくはこういう風にやってみたらどうですかと言っていくことになりますよね。書いていくことでもいいしね。それを示していくことになると。そんな感じになります。
アイデアを育む環境と教育の影響
あとは環境という意味では教育環境みたいなのもあって、読書感想文の話を昔したかもしれませんが、僕自身はよかったんですけど、小学生の時に読書感想文って読書感想画みたいな絵を書くのもあるみたいな話を聞いたことがありますが、
自分にとって文章を書いたり、本を読んで感想を書くというのを強制させられるわけですよね。書きなさいとか夏休みの宿題とかね、わかりませんけどね、宿題でね。それでもう嫌だと、書きたくないと、読みたくないと、いう人にとってはもう苦痛でしかないですよね。そんなのわかんないよと。
あらすじ書いたらそれはあらすじでしょって言われるし、感想ってなんで面白かったですよ、しかないじゃんみたいな。つまんなかったらつまんないって言うよみたいな。それを感情を込めたり、〇〇が〇〇で〇〇だと書いたからそういう方ですって書くんですかっていうね。
そういうところで嫌になって、本を読むとか本の感想を書くっていうのがものすごく嫌になるっていう人が多発してるんじゃないかっていうね。そういう運みたいな、ガチャみたいなのが起きてるわけですよね。
同様にアイディアも、さっき言ったように、言ったら否定されたと。そんなの何考えてるの?もっとかたちにできるやつ言ってよって人いませんか?ちょっとわかんないですけどね。
そういうふうに対話と言いますか、聞いてくれる?その回避ぜひ置いといてね。回避とかね。アイディアを言ったらその回避をすぐ批判して、いわゆるブレストと言いますかアイディア出しの鉄則としてあるのが、拡散と収束ですね。
発散ですかね。つまりアイディアを出すという場面と、それをまとめて違うよね、それともこういうふうには現実的だよねっていうふうに、要は妄想とか空想化するみたいなイメージと状況、ステージ1と、ステージ2っていうのは別で収束は収めていく、現実的によりしていくっていうのは分けたほうがいいんですよ。
なんでかっていうと脳がそういうふうになってないからですね。そういうふうになってないっていうのは、発散していろいろあったらいいんじゃない?ふわふわするドーナツ作ったらいいんじゃない?面白いじゃんみたいな。絵に描いたらドーナツできたらいいよねみたいな。そんなくだらない話でいいんですよ。くだらないと思っていただいてよくて。
そういうときに水を刺すようにピシャリと、そんなのダメなんで真面目に考えてくださいみたいなことを言われてしまうと、たぶんやる気投げられません。もういいっす、もう無理っすみたいな。
ここで言っておくと、くだらない話とか、これみたいなところからアイデアって生まれるんで、雑談関係なし、そういうことを言える環境じゃないとダメかなと思います。ただそれも、条件を全く踏まえてないとかをずっとやり続けてもしょうがない部分はもちろんありますよ。程度はもちろんあるんだけど。
完全に論理的に収束、現実的なものを意識していきなり発するものがすごいものが出るってことはないですよね。クリエイティブみたいな意味合いで言えば、いきなりすごい短歌とか、いきなりすごい小説とか、いきなりすごい写真や、いきなりすごいイラストっていうのが出てくるわけじゃなくて、何十何百何千でしょうか。
わかりませんが、そういうのを繰り返していく中で一つぽっこりと出てくる感じ?ぽっこり?ぽっこりと出てくるので、そこは否定しちゃダメなんですよね。
多分そういうところで、なんか良くないものは良くないって言わなきゃいけないんじゃないかっていうような話とごっちゃになるかもしれませんが、それはそれでいいんですけど、さっき言ったドーナツの話で言えば、考えててこういうのはどうですかっていうときに、やるなみたいな風に誓うっていうのは慎重になった方がいいんじゃないかなと思いますね。
一旦受けてやっていくと。今そういう風に一旦受けるとか批判しないみたいなことをさらっと言ってるんですけど、これも結構技術というか訓練がいるんじゃないかなと思ってます。正直なところ対話と言いますか。
その人の何をこの人が伝えたいんだろうかっていうね。だからそこはちょっと違うよねっていう風に言ってもいいし、ここは大事にしなきゃいけないよねって。
アイディアだよって言っている妄想でも何でもいいんですけど、ってときにそれをまず受け入れた上で言うみたいなのは対話的ですし、イエス・アンドと言われているような傾聴みたいなものであるので、全部受け入れたらいいっていう話じゃないですけど、バランスが非常に難しい。正解もないですからね。
っていう意味でアイディアを出します工夫ですよね。今必要かもしれない、もしくは今後必要かもしれないということを考える、それをついて話し合えるというところはものすごく大事なんじゃないかなと思ってます。
アイデアの保護と育成のバランス
そういう風に言えば四国離スペースという四国離ディスコードをやってますけど、それができてるか置いといて、オンラインでそういうのをやろうとするっていうのは結構クレイジーだなと。クレイジーっていうのは狂ってるっていう意味もあるし、とんがってるぐらいのクールだっていう意味もあると思いますけど、自分で自分のことをそう思いますね。
多分ですけどね。結構そこが難しかったりするんじゃないかなと思います。要は聞いてくれるっていう人が大事ってことですよね、アイディアはね。アイディアって結局何度かお話ししてるかわかりませんが、このBODCASTでもね。
ヒナみたいに、コインとかコネコみたいに、もしくは鳥でいうヒナかイノか。その存在として保護しなきゃいけないんですよね。すぐにやられちゃうんですよね。カラスとかにやられちゃいますから。カラスじゃなくてもやられますから。
そういう保護対象にあるものを全力で叩くみたいな人がもしかしたらいるかもしれないですけど、それなんかちょっとナンセンスと言いますか、違うのかなと思います。だからそれはないんじゃないかなと思います。
一方で形にしていくには、保護で丁寧に傷つかないように。それは過保護ってやつですけど、やり過ぎなわけですよね。その部分は考えなきゃいけないよねって時に、傷つかないようにお願いしますみたいなのはちょっと違うと。
今言っているのは、アイディアとして弱い立ち屋なものは育てなきゃいけないんだけど、育てるってことは結局その人を完全に守るみたいな、完璧なバリアを張るっていう意味ではなくて、そこでじゃあわかりましたと。さっき言った発散収束というフェーズがあれば、それは空想の部分がありますよねっていう。出し切ってから次考えましょうねっていう。それを繰り返していくしかないですよね。
このポッドキャストにも話したことがあるかもしれませんが、左利きのエレンでしたか。その漫画の中で書かれていた夢に日付を入れないみたいな。夢に日付を入れないってちょっと表現が違うんですけど、夢があります、やりたいことがありますと。
これは若干こじらせているケースってことで捉えていただいていいんですけど、自分がやりたいことがありますってことを自分でやりたくないんだったら別にいいですよね。あとは人にやってもらっても全然結構だったらいいんだけど、自分がやることで自分ができなかったことが確認されるじゃないですか。
これ何言ってるかというと、さっき言ったドーナツの話をすると、自分で考えた新しいドーナツを作りたいと。それが新しくなかったとしても、どこかで誰かがやってたとしても自分で作ってみたいみたいなのがあったときに、それを一つだけ夢化して冷凍保存みたいな感じですね。
自分はそれをやらないことで、自分はそういうドーナツを作るんだと。新しいドーナツを作るんだと。もっと壮大な方がいいかもしれないですけど、ドーナツ屋さんを作り、それで世界に店を作る。それを別に僕が本当に思ってても思わなくても全然いいんですけど、本当に思ってたらするじゃないですか。
その場合、それをやらないということで、つまりドーナツを作らない、ドーナツ屋さんのための行動を取らないということで、それは一生できないじゃないですか。これは伝わりますよね。伝わってると思います。そうすると何が起きるかというと、その夢は一生やれないし、僕の視点からするとやれないんだけど、その人を保護したい、冷凍保存するという立場からすると、それによって心理的に守られるわけです。
つまりそれはやらないし、やらない夢だから一生やらないと。それは本当に笑い話のように聞いてもらえばいいんですけど、そういうことで人間ってメンタルというか精神のバランスをとったりするわけですよね。だから別にそれが人としておかしいとかいうことは全然思わないです。そういうこともありますよね。
だけど本当にやりたいのであれば少しでもやるじゃないですか。なので冒頭に話したようにアイディアを出す。新しい工夫や課題解決や企画でもいいし、自分のやりたいことというようなことがあれば、それを言ったりやろうとしたりするのが僕にとっては当たり前なんじゃないかなと思ったりします。
だけどさっき言った考察してきたようにトラウマがあるとか、叶えようとしたら邪魔されたとか、そもそもすごい環境が劣悪だったらしょうがないんですけど、僕からは何とも言えないですけど、そんなことするなって言われたからできません。でもそれも子供の頃であったらそれを何か克服して自分でやっていくっていう風にするしかしょうがないですよね。
それは厳しいように聞こえるかもしれませんが。そういうのを少しでもやっていくと。実際にアイディアっていうのも、はいやります、はいドーナツ作ります、はいできますっていう話じゃなくて、じゃあどういうものを作ったら喜ばれるんだろうとか、こういうのはどうだろうか。よくありますけど試食とか試飲とかわかりませんが、開発を繰り返してやっていくしかないんですよね。本当に。
アイディアを結局形にしていくってことは、そういう諸々のものを乗り越えて、アイディアマンの話ですけどね、今回はね、やっていくので、正確は正直あるなっていうふうに思いました。
アイデアを形にするための環境作りと人間関係
よく僕もですね、アイディアを出したり何か考えたりするって、才能じゃないなとか、なんかやろうと思えば学べるしできますよねっていうことは言うし、その通りだと思います。できる、できます、自分でも誰でもできます。だけど、よくないですか、その勉強を継続することが才能、それを学べ続けられるのが才能だよみたいなね。努力ができるのが才能だよみたいな言うんですけど、正直それはあるかもしれないです。
で、あと才能じゃないところで言えば、周りの環境を作れるかどうかみたいな話になってきて、肯定的ですね。自分でできる。でもその、じゃあ周りが勉強し続けたり学び続けたり、アイディアを出し続けたり形にし続ける環境って何でしゃろうみたいな話になってくるんですよね。って思ったことある方いらっしゃいませんか。
結局ですね、自分から見つけて、お前、芸人さんじゃないですけど、時間の使い方とか、住む場所とかね、付き合う人を変えるみたいなことをやらないといけないんですよね。付き合う人を変えるっていうのは結構大きくて、なんか違いますよねって時は、多分それ付き合ってる人が微妙だったっていうことは割とあると思います。
なんで僕がそれ言えるかっていうと、付き合う人っていうのは別に恋愛関係とか、密に付き合うっていうのもありますが、そういうのよりも周りにいる人がどうなのとか、仕事でもいいですし、学校でもいいですけど、学校だと変えづらいですけどね、仕事も変えづらいんですけど、
そういう中でも、少しでもその中でもトップオブトップというか、自分が話があったり、考えが合うみたいなところで、話ができる人みたいなのが非常に大事になってくるんですね。でもそれって、何ていうの、軽んじるやすいところかもしれないです。
話せるってね。でもめちゃくちゃ大事で話が合うとか話せる。例えばよくあるのが、起業したいんです、どうしたらいいですかって時に、周りが全然そんな興味がなかったり、分かりやすいのが、そんなのやめときなみたいな、失敗するよみたいな。
そんなこと言ったら何もできないんで、それはちょっと論外なんですけど、そういうのを話し聞いてくれてどうしていったらいいんだろうねみたいなのを、経験や体験や知識とか知恵とか、何でもいいんですけど、ない中でも試行錯誤していくってことが非常に大事じゃないですかねって思います。
何でそんなこと言ってるかというと、周りでそうやっていなかった時に、結局僕自身も、こういう人いないんだろうかとか、こういう人と話してた方がいいな、面白いなっていうのを、取捨選択ですよね。選んでるんじゃないかなと思います。
そういう中で話し合えて、こいつ面白いなみたいなことはそんなに言わないですけど、面白いなと思えば長く付き合うし、つまんねえなと思ったら付き合わなくなる。それはすごいドライに思うかもしれないですけど、それは何かしら緩急つけて聞いてるね、リサのあなたもやってやられてるんじゃないかなと思います。
もしくはその考説と言いますか、上手い下手っていうのはもちろんあると思いますけど、そうやって生きていくんじゃないかなみたいなことを思いました。長くやりましたけど、アイデアマンって言葉はね、ポジティブに使う部分は全然いいかなと思いますけど、ネガティブな部分のケースもあるんじゃないかしらっていう話でした。
建設的なアイデアマンシップの実践
それに対してはアイデアを形にするっていうところの環境ですよね、そういうことやるなとか言われたり、やることでトラウマじゃないんだけどうまくいかなかった過去があるから、それを引きずって、私はアイデアを出すだけの人です。やりませんっていうのはあるかもしれないですね。
だけどそれって、僕はあんまり健全というか、建設的じゃないかなと思ってて、言うってことはやったほうがいいんじゃないかと思うわけです。だけど、その話した通りで言うやつが全部やるっていうふうな、言ったもんがやれみたいな、言ったやつがやれみたいなのもまたどうかなと思うんですよね。
だからそれが設計だったり、どういうふうにしていったらいいかっていうのはありつつも、気づいた人がどんどんやっていく、お互いどんどんやっていくっていうほうがいいんじゃないかなと思ったりしました。
アイデアマンっていう言葉を使う人がどれだけいるかわかりませんが、僕自身は少しでもこういうことをやったほうがいいんじゃないかなってことは自分でもやりたいですし、仕事として企業アイデア、ビジネスアイデアを考えるというのは別に僕が自身がやるわけじゃないんですが、まさに自分がやるわけじゃないんだけど、それでお金をいただいてそのアイデアを考えるということをしてますが、
そうなると仕事としてのアイデア出しというのはまた別だと思いますけど、でもそれで喜んでくれたり感謝いただいたりということもありますから、そういうことを生きがいというのもちょっと言い過ぎなんですけど、大事にして引き続きしごくりですね。
自分にとってもこういうことをやったらいいんじゃないか、こういうことをやったらいいんじゃないか、少しでも引き続きやっていきたいかなと思いました。
今回は以上となります。しごくりラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。
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