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AIだけで学ぶのはやや危ないというか偏るのかも
2026-09-09 33:51

AIだけで学ぶのはやや危ないというか偏るのかも

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00:17
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
よろしくお願いします。 シゴクリラジオはスポーティファイ、YouTubeでも聞くことができます。
はい、スポーティファイ、YouTube。
はい、Sunday FMでは配信しておりますが、お好きなプラットフォームで聞いてみてください。
今回テーマはですね、AIの話ですね。よくある、というか、ここのね、シゴクリラジオではずっと話しているので、耳にタコができているという方がいらっしゃるかもしれませんが、また改めて、AIで、もしくはAIと考えるですよね。
考えるって何?みたいな話かなと思います。あるいは、これは何だろう。日経クロステック、日経の記事ですが、日経系の記事か、日経新聞系の記事ですが、いわゆるハット組んで、無料会員等でしか見えませんが、よかったら見てみてください。
そこでですね、書かれていたことが気になったというか、端的に言えば、考えないと衰えるよね、みたいな認識ですかね。
最後に、大塚さんというですね、教授の方から書かれていたものが引っ張ってくるというか、気になったところで、格差を埋めるためと。格差と言っているのは、上と下がどうしてもあるじゃないですか。
上だから偉いってことじゃなくてね。なかなかあんまり上に行けないよねっていう人が、それを埋めるためにあると思ってました。これは僕も結構同意で、そうだよなと思ってたんですが、違っていて、埋めようとするっていう。
大塚教授が書かれているわけじゃないですけど、そもそもそれはなんだろうなと思ったときに、ちょっと長くなるので簡単に言うと、前提が違うんじゃないかと。つまり、人って僕もそうですし、リスナーのあなたもそう、ありたいとか理想はあると思うんですけど、
この間の話で言えば木下さんですよね。地頭スイッチの話で言えば、地頭でみんな考えてるよと。みんな考えてやってるんだよと。別に切れてるわけじゃないですよ。だけどその中で、そうならんよねとかできないよねっていうのが往々にしてあると。
これは僕自身偉そうに言ってるわけじゃなくて、そうだよなって思いながら話します。できないじゃんっていう。実際にできないよねってことを、できてないですよねって言われても、できないでしょっていう。半分切れるぐらいの感じってわかります?
03:11
これは落ちこぼれるとか受験失敗とかじゃなくてもなんでもいいんですけど、自分が将棋とかでもなんでもいいんですけど、スポーツでもいいですけど、勉強とかもいいんじゃないですか?今の方はわからないですけど、めっちゃ小学校中学校で勉強とか塾行かずにできてたから、いけると思ったらめちゃくちゃ勉強できるやつが周りにいて驚いたみたいな。
僕は別に手前無双じゃないですけど、勉強できるとかできないとかよくわかんないですけど、とりあえず高校行くまでに、自分が勉強できるとは思ってなかったんですけど、周りにできる人がいないとそうなるじゃないですか。どうしても転軍になっちゃうじゃないですか。で、高校行くとめちゃくちゃ勉強できる人がいて、驚きましたね。
その時点で色々悟ったというか、僕の中で悟りを開いてて、これは要は革新しちゃいけないし、だからといって自分よりできない人を見下すとかはダメだなと思いました。
そうならざるを得ないっていう環境はわからないでもないんですけど、その場合環境のアップデートとか見直しが少ないだけだよねっていう、耳の痛い話かもしれませんが、でもそんなもんじゃないですか。だから別に擁護するわけじゃないですよ。
俺はすげーぞって言ってる人を擁護するわけでは全くなく、そこは言わなくてもいいんじゃないかなっていう感じもしますし、環境問題かなと思ったりします。
自分なりにこれだけやってるんだけどできないよねっていうある種の挫折感とか、失敗という小さな失敗というよりも、こんなもんなの?こんなにできないんだろうねっていうようなことって感じたことあります?
実はあなたに問いかけてます。それがないと、その時にじゃあAIを使って埋めていこうとか、埋めていくっていうのは武器としてやっていこうってなるかもしれないですけど、そこで挫折して立ち直れなくなって、もう嫌ってなったらやらなくないですか。
あとちょっと長くなってますけど、人間って楽したいじゃないですか。前も言ったかもしれませんが、頭モードとかは、既にあるものをコピーして真似るっていう方が楽なんですよ。自分で考えるより。これはもうそうじゃないですか。
自分で企画して1から考えて0から作る方が楽って人は僕はいないと思ってます。楽っていうのは楽しいっていうのがあると思いますよ。ないものを作るっていうのはクリエイター的なね。それはめちゃくちゃわかるんですけど、いわゆる時間的なものとか負担みたいな話でいくと、圧倒的に真似する方が脳も認知もそうですし楽だと思います。
06:09
もちろん既にあるものをコピーするものも実力だよねとかっていう話はあるんですけど、形にするみたいなところは結局一緒だとするならば、なんか大変な気がします。だから企画することが大変だから、それ分大変ですよって言っても、それが伝わるか伝わらないかわからないですけど、それが得意不得意みたいなものがあるんで。
そのあたりで前提が違うからAIがツールとして期待されているように格差を埋めるようなものにはならないよねっていうのは僕が補っただけなんです解釈。思った次第です。ちょっとこのあたりですね、もうちょっと深掘りできればいいかなと思います。ご興味があれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、中国リアジオ大橋です。よろしくお願いします。ちょっと冒頭長くなりましたが、引き続き話していきたいと思います。AIとか考えるってことですね。日経のクロステックですね。記事を簡易限定記事なんで、ちょっと全般も紹介できないんですが、ある教授の言葉だけちょこっと紹介して、そこから紐解くというか考えてみるところです。
おさらいしますと、結局AIでいろいろできますよねってなってくるときに、大塚さんという教授が格差を埋めるための役立つるっていうふうに捉えていたという話なんですよね、コメントとしてね。確かにと思いました。
これは友人とも話してて、例えば文章があんまり書きたくない、もしくは苦手な人がAIに投げればこういうことを書きたいんだけどって言ったときに、60点、70点というか、60点というのはここでは100点がその人が書きたい文章、もしくはその人が書けないものなんですけど、なんか良さそうなものを出してくる。これはあくまでも主観です。書けない人がいいよねって思っている文章を書いてくる。
一方で、ごめんなさいここ手前ミスですが、僕から見るとその文章はその人が書いたというのも、AIが書いたって思うから、別にAIが書いたことがダメじゃないですよ。だけどその人が感情であったり、その強調したいものは何かがっていうのがやっぱり伝わらないわけです。
で、なんでそうなる?これはもう感じておられる方いらっしゃるかもしれないですけど、いろいろAIに触ったり、AIのものを見たりね。それは当然だから、書いた本人がそのAIの文章、アウトプットを見て判断できないわけですよ。
これはちょっとAIっぽいなとか、これはあんまり伝わらないなって。話はそれだけで。それができるんであれば書いてますし、苦労せんわっていう、多分ツッコミが来ると思います。これは一つのケースとして、書くことが苦手っていう人と、僕は書くことが多分得意なんでしょう。もしくはそれを見て判断できるっていう、それなりに見て読んでるんでっていうところだけですよ。
09:14
僕よりもできる人はいるし、できない人もいると。そこは変わらないです。っていうところがあったら、今の話戻すとAIによって、出すから確認しなくていいよねって、確認したくないわけじゃなくて確認ができないんですよ。ないから。知識や経験が不足してる人が多いですよね。浅い。もしくは単純に価値観の問題もありますよね。
例えば文章よりも絵で伝えたい、絵で書いてるっていう人がいるときに、変換、手間だなみたいな。もしくは変換してるからいちいち、逐次ね。めっちゃ時間かかるんですよ。こういうときはこうだよねとか。はい、わかります。だからそれが良い悪いとかってよりも時間かかるからAIに任せると。
で、そのときに前提となっているのが、ここがさっきの話に戻ってくるんですけど、例えば僕から見ると、文章がある程度書けるっていう立場として言うと、その人が文章を書けるようにしたいのであるとか、文章を書いていきたいのだっていうある種の成長や願望や希望、学びたいというそういうのがあるっていう前提なんですよ。
もう一回言いますよ。要は文章が苦手な人が、今まさに自分は文章をよくしたい、書き言葉をよくしたい、うまく伝えられるようになりたいと思っているっていう前提があるんですよ。
これはもちろん推測です。っていう前提で、この教授の方が考えられているとかはちょっとわかんないです。だけど、僕自身は多分、教授が言われている立場はよくわかるというか、考え方を勝手ながら同意してるんですけど、その立場を考えると、僕もそうなんですけど、
AIを使うことはいいんだけど、この人はAIを使って自分の文章をよくしたいとかっていうふうに思ってるんだなっていう無意識のアンコンシャツバイアスっていうんですか、ある種の偏見でもありますよね。
要は人を見たら、こいつ泥棒だなみたいなのって嫌じゃないですか。嫌ですよね。歩いたら泥棒だらけとか嫌じゃないですか。
考えただけで嫌ですよね。よりも、どっかのタイミングで助けてくれたり、気づいてくれたりっていう方が幸せじゃないですか、豊かじゃないですか。それは立場のあなたに押し付けてるわけじゃなくて、知らない人ですよ。
僕も含めて、あなたが知らない人がどうこうしてくれるってことがあるって思ってる方が、それを平和ボケって言うかもしれませんが、そんなことなくて、そっちのほうが絶対いいなって僕は思ってるんです。
ストレスもやばいですね。助けてくれないとか、どうもいいやみたいになりますよね。じゃなくて、そういう前提がどうしてもあるんですよね。
12:06
これは認知特性みたいな話。認知特性っていうのはその人が優位というか、割りつきもあると思います、これについては。もうしょうがない。
音に強いとか、言葉に強いとか、イラストや画像とかに変化に強いとか、あと動画とか映像とか、わかりませんけど、そういうのがある。
それは訓練である程度になるんだけど、やっぱり向き不向きあるじゃないですか。
だからさっき言った、言葉で紡ぐ人は小説とか書くことはそこまでクリにならない。もしくは言葉で、小説はまた別かもしれないですけど、言葉でやることができる文章を書いたり、脚本を書いたり。
だけどイラストで行く人は漫画で書いたほうが早いというか、イラストで書いたほうが早いってなる。
それはもう比較しようがないというか、別に言葉が優位で漫画がダメとか、そんな話じゃないですよね。
その人にとっての手段として最適化、もしくは慣れているものは何かみたいな話になってくるんで、なかなか難しいなと。
で、その時にまさに苦手な、だから自分がイラストが、僕はですね、すごいイラストを書いてなんかやってたら、なんでもっとみんなイラストを書いたりしないんだろうなと思ったりするし、
誰かが絵を描いてた時に、この人はどんどん学習して学ぼうと思ってるんだよねって思ってるような前提です。
だから、真情とまで言わないんですけど、僕自身が言葉に対する思い入れが強いんでしょうね。
無意識なものがあるから、他の人が何かやろうとしている時にその学習意欲があるっていう前提に立ちたいんでしょうね。
これは別に決まった話もなく、リスナーの方がどうかもわかんないです。
だけど、自分が得意なものっていうのがある時に、それができない人にとって、なんでやらないのっていう風な詰め方をしがちなんです。
これめちゃくちゃ気をつけた方がいいですよね。僕もやってる可能性もありますし、言ってるかもしれないです。
例えば、よくある話ではないんですが、小学校、中学校ぐらいで体育の授業があったかなと思います。
法律部科、カルキュラムである文科省ですよね。
その運動とか体育で、例えば飛び箱とかサッカー上がりみたいなのがあるわけですけど、それもそうだし、かけっこみたいなのがあった時に、
走り方がちょっとおかしかったら笑われて終わるみたいなのがあるわけじゃないですか。今でもあると思います。
その時に、何か直してくれたり、こうしたらいいんじゃないかとか、早くなるよとか、
踏まえた上でアドバイスができる人がほとんどいないですよね。
学校の先生がそんなことできたらすげーなと思うんで。
そういう先生がいたらいいけど、そうじゃなかったりして、例えば体育とかあんま好きじゃないよねって先生は、
ある種、人間だから手を抜くじゃないですか。だから速い奴に聞けって言って、
じゃあ、足が速いよ、走ったら別に速くできるじゃんっていう子に聞いても、
いや、なんか速く走ろうとすればいいんだよみたいなアドバイスしかならないじゃないですか。
15:03
それ役立ちます?っていう。分かんないんですよ。
っていう時に、まさに足が速い子が足が遅い子にやればできるみたいなことを言ってたりする。
で、やればできるというアドバイスの話じゃなくて、今回は何で足が速くないのかが分かんないみたいな話です。
きつくないですか。だから僕もきついこと言ってるようなこともあるんじゃないかなと思ってるわけですね。
反省というよりもそういうふうに思われるんじゃないかな。つまりAIで、文章の話に戻すと、
苦手な人がAIを使って書こうとするってことは全然いいんだけど、それに対して添削したり、
それをステップアップするっていう術がほとんどない。
で、別にこれは救いようがない話じゃなくて、プログラミングでもそうなんですけど、
プログラムのコードを書いたことがない人がAIにプログラムさせてやるっていうのはあると思います。
だけど、それでなんでそうなるんですかねっていうことを本当に一切考えなければ、
そのプログラミング、もしくはプログラミングをAIに支持するということで、
学びにはならないですよね。
分かります?だから、これは友人とこの辺りの話ではないんですけど、
この間話してて思ったのが、僕は別に英語できるわけじゃないですけど、
英語に変換してよとかって使ってるんです。
するとAIがそれを翻訳してくれるんだけど、
じゃあその英語が正しいというか適切かって分かんないわけです。
頑張ってどういう状況で言うかくらいじゃないですか。
その状況で言うAIが最適な回を出してるだけで、
じゃあそうやって挨拶がハイなのかハローなのかね、
分かんないじゃないですか。最適なのか。
そこまで気にしなくていいかもしれないじゃないですか。分かんないですよね。
だから僕もその英語に関しては、例えばね、他のこともいっぱいそうなんですけど、
AIに任せてこれは確認しない、確認できないってわけですよ。
これって学びになるのかって言ったら、たぶんなんですけど学びにならないですよね。
そういうふうにしたんだよねぐらいで、もう済ますというか、
それでもう終わっちゃうわけですよ。
だから別にAIで文章を書かせない日本語の話ですね。
日本語ネイティブの人が日本語を書かせる。
だからそれは何でかって言ったら文章が書くのが苦手だからですね。
そういう方結構いらっしゃると思ってるんですよ。
みんながみんな文章得意とかは別に思ってないですよ。
だけどそういうような状況というか感覚になったりする。
それはある種のAIをツールですね。
変換ツールとして捉えると外国語を訳す、ネイティブじゃない外国語に訳すぐらいの感覚なんじゃないか。
であれば今僕がまさに英語をそれで訳したときに
それを見て学習したらこういうふうに使えばいいんだなってことをあんまり思ってないです。
全く思わないわけじゃないけど。
だけど思う量が少ないしたり感じたりする量が少ないから考えたりね。
これで合ってるのかなって思うぐらいでもういってそれで通じたらいいかなみたいになっちゃうんですよ。
18:01
良くないですよね。
だけどごめんなさい英語を学びたいという意思や意欲がそこまでないというときに僕がね。
そういうもんじゃないですか。
だからそれは比較している文章が日本語で苦手な人が
日本語ネイティブの話ですよ。
ネイティブの人が日本語書きたくないあまり文章書きたくないというときに
AIに書かせてOKみたいなのと一緒なわけです。
そうすると話戻ってきまして今言ってた前提として学ぼうとするというのはないから
AIを使うことで学びになるってことが意外にないわけですよ。
ここで反論としてあり得るのが
AIで自分は学んでますよっていう人がいたときに
それは何を根拠にしてるかって話になってきて
結局AIが何を参照してるかになってくるから
そこから学んでる。ネット見て学んでるとか動画見て学ぶとか
それを簡略化しているだけですよね。
ソースがなくてここからっていうのはない方がちょっと怖いというか
あらゆるフェイクがあるわけで
嘘の情報とか全然違うようなことを学んでしまってる可能性もありますよね。
AIでのチャットとかAIでのやり取りだけ。
AI検索ってことだけだとちょっと怖いよねっていうのがあったりします。
話に若干また戻していくと
そういう学びが苦手だよねってことをAIにやらせると
時にまさにその人が学ぼうとしているわけではないんじゃないかなっていう
ですよね。要はAIを使って
僕だったら英語で翻訳できたらそれで手段になりますよね。
日本語から日本語に自分が苦手だったらよりいいよねってなる。
それだけなんです。それで伝わればいいんだけど
伝わったところでそれが
僕の感覚的に言えば
その人の言葉がないとその人が本当に書いてると思わないし
その人の伝えたいことがよくわからないわけです。
AIフィルターがかかるからね。それっぽくなるから。
そこがもったいないよなって思うんで
自分の言葉で書いたほうがいいんじゃないかなって思ったりするんですよ。
だけどわかりますよ。自分の言葉で書くとかが難しいし
書けないからAI使ってるんだよってなるんだけど
そうするとそこに学びの話になってきて
じゃあいつ自分の言葉で書くんですか?みたいになってくるんですね。
それは僕今言いながら
じゃあ自分の言葉で英語で書いたほうがいいよねってわかるんだけど
ああそうかって自分で言いながら
そうだよねって思いながら喋ってます。
結論的なものはなかなかないんですけど
結局ここでどういう状況であれ
まだ学ぶ意思とか学びたくないとかはわからないんですけど
楽するみたいなのもあるわけじゃないですか。
楽なんですよね。入れて英語にしてって言ったらやってくれる。
楽じゃないですか。
でもそこにはこの記事にも書いてあるんですけど
仮定がないから
ただ入れただけだよねってなるから
入れてるものを見てるだけだよねって
見るならまだいいかもしれないですけど
見てそこで修正したら判断できるっていうのはないと
21:04
それができるのが英語がわかってたりもしくは日本語ができる
っていうような話じゃないですか今
その際は経験値とか知見がなければできない
っていう意味ではまともな話になってて
ほとんどそういうのがなければ
AIを効率化したり手段としてうまくすることはできないですよね。
知見があって経験があることしかほとんど意味がない。
学びとするにはちょっと厳しくて
学びの入り口ぐらいでいいけど
あとは自分でやっていって
参考となるものを見ていくしかないよね。
AIとのやりとりでどうこうっていうのは
多分驚くほど難しいような気がします。
AIで学ぶっていうことを僕は結構期待してたり
そういう話があればよかったんですけど
多分AIでっていうのはちょっと怖いですよね。
AIだけでね。
補う装置としてはいいんだけど
入り口とかまとめたり
なんかね、AIを先生にみたいのは結構怖いんじゃないかなと思います。
半分冗談で言ってたらいいんですけど
AIを先生にいくらいにして言うのはいいんだけど
じゃあそれのソースとかって判断できるの?っていう時に
やっぱりここで
叱るべき経験をして
学んできている先生と言われている人
その分野でやっている人から
知見を引き出した方がいいですよね。
その人が教え方がうまいかはまた別だから
また厄介というか難しいんですけどね。
というわけで
大塚さんという方もよく考えるってことは言われてるんですけど
じゃあよく考えるって何?ってなるわけですよ。
考えたらわかりますよ。
僕なりの定義は
よくあるのが
思うと考えると違うよねって話なんですけど
思うは感情にひも付くわけですね。
なんかめんどくさいとかね。
疲れたとか。
読みたくないみたいな。
そういう感覚的なもの、感情的なものが思う。
だから推測にも近いですよね。
推測は思うと考える両方入っているのかな。
あと考えるって根拠があったり
こういうことが言えるので
原因はこうだと言えるからこうなりますっていう
因果関係みたいなものとか
推論とかっていうのは
考えるかなと思う方に入るかと思います。
推論は別にね。
推測は思うかもしれないけど
要は思いますだと
それはあなたが思っているだけであって
別に理由はないよねっていうのが思う。
理由があるのが考える。
その理由の有無だけでそんな違うのかっていったときに
理由を思っていっちゃダメですよね。
自分が苦しいと思うのではなくて
その根拠というのが
状況がないといけないというところですよね。
わかります?
だから
なんていうんだろうな。
ここが難しいところなんですけど
じゃあ考えたところで
分からないこともいっぱいあるわけです。
分からないって何って言ったら
分かると分からないが分けられることなんですよね。
分からないっていう状態は
24:01
どこまで分かりますかっていうことを
確認しなきゃいけないんですよね。
その確認も大変ですよね。
ここまでは分かって
ここになると分からない。
それが分かる人は
多分ちょっと分からない部分を
分かるところから埋めていけば
ある程度いけるかもしれないですけど
いきなりステップアップして
分からないことを
調べたり学んだりすることはできないですよね。
そんな話でもあるかなと思います。
考えるってことはある種
問いを立てるとかいろいろ言ってますけど
質問にするとか
あとは分かる分からないっていう意味では
考える、理解するみたいな風にするならば
理解するっていうのは分けられること
分かることなんです。
分からないってことを
明確にするってこともありますし
分かってることを明確にするってこともあるんで
それは思う作業じゃないんですよね。
こう思いますじゃなくて
自分はここまで理解できている
っていうところを分かるというので
そこはしっかり決めていかなきゃいけないです。
分かってますってよく言うじゃないですか。
分かりましたって言うじゃないですか。
分かってないけど分かってる
ふりをすることもありますよね、人間ってね。
だから自分が
これはもう自分の中でのやり取りになると思うんですが
自分がどこまで
例えばAIについて分かってますかって話ですよね。
AIは全て正しいことを言っている。
イエス・イエス可能ですかって言ったときに
イエス・イエスって言ってると
さすがにちょっと怖いですよね。
だから分かってないこともありますよね、いっぱい。
僕も分かんないこといっぱいです。
分かることもありますよね。
っていうこともAIについて考えることですし
自分が考えているかって話ですよね。
分かんないですけど
ラムネの話ばっかりしてるんで
飴についてですけど
やめましょう。
ビジネスについて考えたときに
ビジネスについて、企業についてって言ったときに
何を分かってるんですか?
ビジネスってどういうことをするんですか?
企業って何をしたらいいんですか?
って言ってる人は多分企業について分かってないですよね。
ってことはやってる人の真似をしてみたり
じゃあ何をやったらいいんだろうなってことで
まず決めて
アイデアでもいいし
物を売ってみるでもいいし
アルバイトでもいいし、タイミングでもいいですけど
そういう経験をしみて何か考える
材料がないので材料を集めようと
そういう風になるのが考えてることだと思います。
それを何も考えずに
AIに聞いて
その通りにやると
血頭であり
何も考えてないんで
AIで何かやりましたって言っても
多分あんまりいい成果にならないんじゃないですか。
まぐれで運よくいくのはあると思うんですけど
それなんかあんまり意味がないというか
定着しないっていうのは
過程や経験がないから
知識ベースであっても
だから全部覚えろってことはないんですけど
瞬発的にすぐ
ストックされてて何かすぐ
使えるようなものになってなければ
使えないですからね
毎回調べて何回やったら遅いですし
27:01
調べるってことは
分からないってことだから
じゃあ分かる情報は何ってことになってくると
抽象化せざるを得ないわけです。
言ってること分かりますかね
具体的な情報を
ITトラブルみたいなものでいいんですけど
パソコンでね
パソコン調子が悪くなったらどうするってときに
そういうのって
もう決まってくるわけです。やるべきこと
それを具体的な
例で言えるかどうか
それを調べられるかはもちろん大事なんですけど
それ全部覚えてるわけじゃなくて覚えられないわけです。
そうすると抽象的なパターンというところで
例えば
例えばパソコンのディスプレイの方が固まってるだけなのか
それともパソコンを再起動するということで
OS側の問題なのか
それともプログラムだけの問題なのかみたいな
そういうのを切り分けて
システムエンジニアとかプログラマーの人は得意だと思うんですけど
このプログラムとかパソコンの話においてはね
そうじゃないことを
多分他の人はやれるわけです。
それこそ水道事業者とか給水設備とかね
そういう人は水についてそういうことを
切り分けられるわけです。
でも考え方としては
抽象化すれば一緒になってくるわけです。
問題点やボトルネックはどこで
そこをいじれる変数というか
可変可能なところはどこなのか
そもそも可変できるというかいじれるんだけど
自分でできるかどうかはまた別ですよねみたいな
複数の切り分け方を持っている
手札を持っているカードを持っている
もしくはそのカードが増やせるかとかもありますから
それは本当にプロというか
プロフェッショナル専門家の領域になってくるんじゃないかなと思います。
話が広くなりましたけど
結局ですね
AIで
学ぶとか
AIを使って学ぶというのは
きっかけとしてはいいんだけど
それ自体で学んでいくのは
ちょっと危ないかなみたいな
危ないというか
何で根拠というか参照して
裏を取るというか
やってきますというところですね。
その裏なんか取らなくてもいいよ
大橋さんと。だいたい合っているよ
というのは怖いというか
多分6割ぐらいは合っているみたいな話で
6割が合っていて
次にアップデートした6割があったら
48%まで下がるわけです。
さらに4割。どんどん5割減っていくわけです。
それがどんどん
束ねていって確実に固まっていくには
多分
AIがどうとかじゃなくて
自分で動き出してやって
確かにこうだよねと納得したりする
もしくは分からないよね分かるよねと
切り分けがないと
ワークしないというか機能しないような気がします。
ちょっと散らかりましたけど
何言いたかったかというと
みんながみんな
僕もそうですし僕ができないことも
いっぱいありますけど
自分が苦手なことに対してAIを使うときって
それを
レポートじゃないけどテストを乗り切りたいとか
そういう感覚がある
これをどうにかしたいからやる
形としては出てくるんだけど
イラストだったり資料だったり文章だったりね
翻訳だったりね
プログラムでもいいですけど
言い方悪いんですけどやっつけ仕事みたいな話で
もうこれでいいよねってなっちゃうわけですよ
30:00
それを見て
判断しているなら自分で書くし
っていう話なんですよ
判断できないもしくはその能力がないってことを
言ってるようなもんなんですよね
できない側からするとね
僕もできない側でっていう自覚はあります
今回ね
できる側の人っていうのは
できる側の人はなんでAIできたんだ
なんで自分で書かないんだってなるんだけど
それも国じゃないですか
ってことはどこかで塩梅がいいところが出てくるんだけど
結局
ごめんなさい話は戻るんだけど
学ぼうとしたり
それを習得するってことがなければ厳しいと
だけど文章苦手な人に文章を書かせる
ってのもまた
どうなんだと角にね
だから補えばいいじゃんって思うんだけど
その補い方とか
どうしていくかってところが
ポイントで難しいなみたいになってきます
だからAIの使い方とか
そういう感じよりも
感情の話で
うまく
向き合ってたり
やってるっていうのを
AIで全部やって確認してやったんだけど
うまくできなかったったら
サポートするけど
AIにやらせても分からんから全部投げてしたら
もう嫌じゃないですか
って思いません
感情の問題になってきてるような気がします
僕も感情の話で
だからAIで書かれたものがダメと思わないけど
AIで書かれたものがあまりにも
読みづらかったら
この人改善する気あんのかってなるじゃないですか
だからそのあたりなんですよね
だからその違うケースで
AIで書かせてて
自分でめちゃくちゃ
考えて全然それが伝わらなかった
っていうケースがあったりしたときに
どうなるんですかね
やっぱりもう考えても自分で書かせようがないから
AIで任せようってなっちゃうんじゃないですか
特にこれは
自分が得意なものはいいんですよ
だって判断できるから
じゃないケースですね
っていうところが格差を埋める
ある種のハッシュゴーラダーというか
駆け上がれるような感じはするんだけど
実際に駆け上がるためには
駆け上がっても多分60点ぐらいしか取れないから
駆け上がれないような気がしてます
だから別の能力がいる
別の抽象化の視点
別の経験から補って
こういう風にしていったらいいんじゃないかなって思ったりします
ちょっとまた散らかりましたけど
今回はこれぐらいにしたいと思います
ぜひAIを使うとき
もしくはAIを使って考えてる考えてない
もしくはAIを学びにしようとしている
結局今AI出てますけど
AIを意識せずにAIを使ってたりするし
そのAIで
使う前に考えてなかったり
ほとんどAIを使っているときに考えてなかったら
これは結構アラートだと僕は思ってまして
なんでAIを使っているの
何を欲しいの
うまくいってなかったらなんでうまくいかないんだろうね
ってことを考えててAIを使っているなら
問題ないかなと思います
脳を使っているのでそうじゃないと
いやまずいよねって僕はずっと
言ってますしその主張は変わらないな
と思いますしやっぱり変わらないんじゃないかな
と思います
いくらフェーブルファイブとかね
GPTの何でしたっけ
33:00
ソランとかテラとかありますけどどんどん
賢くなっていっても結局人間側が
それをどう使うかだけなんで
勝手になんかやって勝手にやれる
っていうのは
意外に人間の感情の部分と
学ぼうとするってところと
参照問題ってところですよね
なんでそれでできるの
なってから難しい
だから一時体験とか体験
経験っていうのが重要されているはず
なんですけどそれすらコスパ
とかタイパとかで省こうとすると
それはちょっと違いますよね
だから
自分ができるものを効率化したなら
その分をできないことを学ぼうとする
ことでAIを使わずにもしくは
入り口としてやるのが
最適解にはなるのかなと
今ふと思いました
リスナーのあなたはどうお考えでしょうか
今回は以上としたいと思います
四国よりラジオ大橋でした
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
以上失礼いたします
33:51

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