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シゴクリラジオ
こんばんは。 シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマ、そうだ、会話、しよう。 なんかよくわかんないですけど、会話しましょうと。
というわけでですね、今回ですね、 話していくといいことあるんじゃないか説、
そんな話をしていきたいと思います。 今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては、そうだ、会話、しよう。
有名なキャッチコピー、JRでしたっけ、そうだ、京都行こうじゃないですけど、
会話をしましょうと、そんな話です。 会話すると何が起きるかってことですね、
場が生まれるんじゃないか、そんな話をしていまして、その余韻に浸りながら話していきたいと思っています。
でですね、場作りというテーマを今年掲げてまして、場作りという、だから場を作っているんですかっていうことは全然聞かれないですけど、
聞かれないので言っていくんですけど、 イベントをやると場になりますよね、人を集めてね。
その時に何が起きるかというと、僕の場の感覚を少し話していくと、1対1で話していてもそこに喋っているという、
いわゆる同期コミュニケーションにおける、同期コミュニケーション、要はそこで時間をとって、
1対1で対面で話す、電話で話すでもいいんですけど、ポードキャストでこういうのでもいいんですけど、
それは場だなと思います。感覚的な話かもしれませんが。
同時にですね、どこかイベントとか、その場がね、カフェとかわかりませんが、
その店の中で1対1で話したら2人なりますか、その人たち、我々となりますが、話している人とその相手、僕と相手がいた時に、
リセラーのあなたが第三者とした時に、なんか場を構成している人に見られるんじゃないかなと思います。
これはそんなに違和感ないんじゃないかなと思います。
ただそこに参加するかどうか、ギラリね、知らない人に、ちょっとお話いいですか、ちょっと怖いとは思いますが、
文化、状況文脈、海外ならあるの、わかりませんが、いろいろあるかなと思います。
だから1対1でもいいし、1対N、要は1対複数人というものでもいい、ワークショップとかイベント講座とかでもいいと思いますし、
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ただそこにコミュニケーションが発生しないとあまり場って感じないですよね。
だから場というのはですね、ある程度双方向性があると参加者、もしくはそこにいる人たちというのがあるかな。
だから対話をするみたいなやつとか、読書会とか結構場っぽいですよね。
ただその講座イベントをやっています、セミナーをやっていますというのは場っぽくないんですよね。
ただセミナーも講師が伝えて、参加者がうんうんと言って終わるというだけじゃなくて、そこの反応を見て、
もしくは手応えを得て、得るか減るかを置いておいて、得てですね、講師がまたこういう講座をアップデートしていったら、
それも長期的に見たら場かなと思います。短期で刈り取るという感じもしない。
場は生まれるし、同時に消滅というと言葉が強いかもしれませんが、消えるというかね、
ふわふわと空気中の水分を凝縮するみたいな、そうすると場が生まれる。
発散して蒸発することもできるから消えていく。そういう空気のようなものであり、
水が変わる、固体、液体、氷、水、機体、水蒸気みたいな感じで変わる感じがしてるんですよね。
でですね、その人が話す。このリスナーのあなたもこのボードキャスト聞いてくれてありがたいんですが、
リスナーのあなたがですね、僕と会話しているとは思いませんが、会話しているような雰囲気になるかもしれないし、
ゲストの人が来たり、何か話をしていると、その話を耳を立てて聞いている。
ながら劇でありがたいんですけど、ながら劇しながら考える、ヒントにする。
面白いところがあったら手を止めて考えていただくとか、あるかもしれませんが。
そういうですね、会話をすることで、さっきの水蒸気みたいに見えないものが水というか、ある種固体。
熱量をもってカロリーをもって、空気を温めたら水になるのか蒸発するのかわかりませんが、
蒸発していってますよね。冷やさなきゃいけないんですけど、動きは置いておいて。
凝縮させると会話みたいな場が生まれて、その場は参加している人がどれだけでもいいんです。
1人でも2人でもいいんですが、別に人数関係なく、その人にどれだけ影響を与えられるか。
影響を与えられるかというと、一発芸みたいな感じで印象に残らなきゃいけないとか、そういうことになりがちですけど、
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そこまでもなくて、よくこのラジオ、ポッドキャストは四国で話してますけど、
今回のテーマはこれで会話しようということが、どれほど伝わるか正直わからなくて、
0%でも困るけど100%もないかなと思っていて、
1、2割ですね、僕の大筋のところとか部分部分をかいつまんでそういうのもあるかなぐらい、
っていうふうに話してるんですよね。
これをキツキツというか遊びがない100%とか99%とかそういうふうになると、
それは多分無理だと思うんですよね、コミュニケーションとして無理だと思うんですけど、
それは双方向で動機でその場にいて、相手のことをかなり知っていても8割もいかないんじゃないかなっていう僕は感覚なんで、
初対面であるとか相手が見えない非同期であるとかのコミュニケーションであればより伝わらないという、
どんどん減っていくんですね。だから最初スタート1、2割で1、2割のままかもしれないですよね。
あまりにもパケットロスと言いますかコミュニケーションのロスが激しいとこれ問題になりますけど、
ある程度高めていくためにこういうフレームワークというかね、
フレームワークというか取り決めというかやり方みたいなのをお互い決めたり、もしくは決めなかったりすることで話がしやすくなるというのはあるんじゃないかなと。
あなたはどうですか、話しやすい人と話しにくい人っていたりしませんか。もしくは話しやすい場とか、
語るでもいいですけど自分のことを伝えたくなる人とか。それは気持ちが動くってことであるんで、好きとかそういうものになっていくんですけど、
嫌いとか好きでもないんだけどいい感じの人っているじゃないですか。そういう人の方がいいなと思っていまして、
そういういい感じの場っていう、すごい言語化する上ではよろしくない表現ですけど、いい感じなんて。
でもそのいい感じというのは良い加減ということであって、ちょうどいい最適な何かというよりも動き変化しながら最適なところを探っていくというところがあるんですよね。
話を戻しますと会話をしていくことでその場が生まれる、場が生まれるんで話をしていくっていうことです。僕の今年1年は。
話していくって言ってるけど、別に話はいつも話しますよね。しゃべってるんで、だべってるんで。話したら世界が良くなっていくとかそこまでは全然思わないんですけど、
どうしても人ってやっぱり一人では生きられなかったり依存するというか誰かに頼ると言いますか、いろんなところに関わればいいんじゃないのかなっていうのは僕の感覚です。
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もちろんそんな関われないよとか、あなたはそういう関われるから言ってるんでしょみたいなことも言われてはないんですけど、言われる方、思う方がいらっしゃるかもしれないですけど、
別に周りの人とか一番あなたの中で話しやすい人に話しかけるとか少しずつできるかなとは思ってます。
僕自身、人との会話によって助けられたとか別にそういうことがあるのかないのか僕の中でちょっと理解しているというかエピソードがあるとかではあんまりないんですけど、
ただシンプルにいろんな人とかに会って話して、こういう人いるんだなということに気づいて、だったら自分もこういうことできるかもなとか、そういうやり方でいいかもしれないなと。
正当化するわけじゃないですよ。絶対自分が正しいとかないんですけど、自分もそういうふうにでもいいかもしれないなぐらいのそれこそいい加減でいくには、
人と出会うとか話すとか、本読むでもいいんですけど、いろんな人の話とか考え方を学ぶのがいいのかなって、学ぶですね、真似するでもいいですけど、やっぱりいいかなと思ってるんですよ。
で、ここでこの四国理ラジオを番人が聴いて番人が唸るとか、インフルエンサーみたいになるとか、そういうことはもしかしたらあるのかわかりませんが、著名になりたいとか有名になりたいとか全くないんで、
そういう真理を使う人がいっぱいいらっしゃるので、そういうところはバンバン叩くわけじゃないですけど、なんか違うなって。で、著名とか有名になりたいとしか全然否定してるわけじゃないんですけど、そうしたらかなり稀だなって僕は思ってまして、
要はですね、周りの人といい関係を築いて、それこそ人生においてですよ、人間関係が良好で、家庭だったり家族とかなんでもいいです、友人、同僚なんでもいいですよね、いろんな方がいらっしゃると思うんで、周りの人が友達でいい感じで困ったらもしかしたら助けてくれたり、もしくは心配してくれたり、もしくは一緒に遊んだり、
それで健康で、なんかすごい治病があろうが遊びに行くことができて、自分が食べたいものをちょっと食べれて、仕事とかするしないとかももちろんあるし状況によるんですが、そこそこ食べれてね。
結構満足しませんか。ここ不思議なんですけど、ものすごい欲がある人って何か良いのかなって僕は分からなくて、僕は分かってないですよ。だから欲があるからダメとかね、良いじゃないですけど、欲が少ない方がその欲をすぐ満たせれませんか。
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それにありがたいなぁと感謝していっていった方が、幸せの位置とか満足の位置っていうやつが低い方が低いと、その位置を超えると充実していると感じるってことなんですけど、いいわけですよね。
それを子どもの魂みたいなふうに思われる方がもしかしたら100人に1人ぐらいはいると思うんですが、そういう意図はなくて、毎日ありがたいなぁとか生きていて素晴らしいなぁって言っている人の方が、あまり唱えすぎると宗教っぽくなりますけど、ただそういう感覚の方が僕は幸せだなぁって思うんですよね。
だからその考えを普及させるとかはないんですけど、僕は例えば楽しい子ども、こんなことがあったの楽しいねって言っている方が本当に楽しいわけですよね。騙されたと思ってとかはないです。進めないです。
ただ、そんなものというかその程度、その小さいもので満足できるんですよね。って僕は思うんですけどね。で、実際に感じてます。そこで、話戻すとこのラジオも聴いてくださる方はいらっしゃるんで、その部分で満足していただいたら割と僕も満足するというか嬉しいというか。
だから少なくとも感じていただけるかもしれませんが、僕自身が話を聞いてもらえなくて誰かと関係がつくれなくて楽しい場がないから話しているとか、そういう感じでしゃべっている方もしかしたらいらっしゃるかもしれないんですけど、それだとさすがに話聞きたくないのに話を聞かせられたとか、
相談って言ってるけど、こちらの意見を聞くとかはなくて、ただただ聞いていればいいみたいなふうに、そういう状況が仮にあるとしても、聞いてくれればいいというのがあったとしても、ただいるだけでふんふんって言ってるだけで、共感もできないし、いる意味あるの?みたいな。
あなたが思っていて、相手が相談に乗らせてよって言って話聞くのは苦痛じゃないですか。そうでもないですかね。僕そういうのって嫌なんで、じゃあ別にAIに話すときはいいじゃんってなるんですよね、そういうの。
だから伝わるし伝えられると思うんですが、それがまさに今お伝えしたいことですが、自分が普段楽しんでいるかどうかが出ちゃうんです。だから隠してつまんないなってときはつまんないでいいと思いますから、そのあたり伝えて。
だから毎日ゲレゲレ言われて楽しいみたいな、毎日そんな感じで生きてるわけではないんですけど、とはいえつまんなかったなーって言って寝るよりも、なんかいい話聞いたらよかったって、今回の話がいい話かどうかわかりませんが、会話してっていいかなとか、あの人に相談するとか連絡しようかなとか思ったらぜひ話してみてもらって、そこまでもないかなと思ったら別にしなくてもいいので、
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なんかそういう話をするっていうのを大事にしてもらえるといいんじゃないかと、まあそんな上から目線ではないですけど、思いました。で、だから会話って言ってるのもなんかその挨拶するとか、ちょっとした話をする立ち回りするみたいなのもありですし、そういうのもあるけど、まあその語るという形で自分の考え方とかそういう風に面白いですねって、より深掘りするとかもありだと思いますし、
会話とか対話っていうかその話すはもうすごいいろいろパターンとかやり方があるわけなんで、そのですね会話、話す、まあ今まで前だと雑談するとかなんか言ってましたし、いろんなねその直接会話する、まあ四国ラジオでも話しますがゲストを呼んで話してみて、こういろいろ学ぶ、まさに僕のそのインタビューというか話を聞いている感じが普段のやってることなんで、そのままです。
そのまま出してるんで、なんかうまく盗めるものがあればですよ。なんかあるかどうかわかんないですけど、盗んでもらって使ってもらえばいいかなという風に思いながら話してますし、まあ僕自身もこういう人がいるんだってことを伝えていくことで、まあ少しでもですねそのなんか楽になるってのは変なんですが、いろいろあっていいなっていう風に一瞬でもね1ミリでも思ってもらえたらそれは成功っていう風に捉えてます。
なので成功の定義はそんなものなんで、ただそれは少なくともリスナーのあなたがもしくはリスナーの人がいて、それで得ていくという感じではあります。
まあ今年わかりません場作りと言ってるところもあるので、まあ今年ですよねどうするか、リアルイベントをやるとかやらないとかはわかりませんし、リアルイベントやってどうすんだっていうのもありますから、まあまあオンラインでねなんかワイワイやるとかもありですし、
仕事繰りスペースというですね、ちょっと軽うなオンラインの場所もありますから、なんかやれるといいかなって思ってます。なんかやりたい、なんかやれる、わかりませんが、なんか面白いそういう、なんだろうな、ポッドキャストでなんかいい感じの場を作ってる人がいたらね、探っていきたいなと思っています。
というわけで会話をしてみてください。雑なまとめですが、以上となります。四国にラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。