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おはようございます、Rayです。
本日も、Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
Ray Wow FMでは、主に株式会社耳に関する様々なテーマを扱って、
時にはゲストもお招きしながら、ゆるくやっていくラジオとなっております。
今日はですね、シャドーについて話したいと思います。
シャドーって何?みたいな形でね、初めて聞いた方は疑問に思うかもしれないんですけれども、
心理学の用語です。シャドーというのは、ユング心理学ですね。
ユングと呼ばれる心理学者が提唱した概念なんですけれども、
ただ、ユングとかは、結構実践をそのもんじるっていうところの学者らしくて、
明確な書籍とか書物とかっていうところで、
そういう残すことをしていないんですよね。
遠いこともあり、シャドーってこれ?みたいな、明確な定義っていうところがないんですよね。
実際に調べても、明確に定義されているところはなかったりするんですよね。インターネットとかでも。
なので、ゆめみでは、用語の定義をしておかないと、その概念に基づいた議論とか、
考察っていうところが会社の中で行うことができないので、
共通言語化っていう意味で、社内で用語を定義しています。
その上で、シャドーっていうのは何かっていうところを理解した上で、
シャドーを統合するっていうのはあるんですけれども、シャドーを統合できるようにして、
人間的な成長していこうじゃないかっていうことを目指しています。
シャドーとは何かっていう定義なんですけれども、
定義としては、否定してきたもう一人の自分ですね。っていうふうに定義しています。
見たくない自分、否定したい自分、否定してきたもう一人の自分、要するに影みたいなものですね。
光と影があったときに、影の部分、自分の影というものは、自分で普段は見ないし、
基本見ることができないものとして捉えていますと。
じゃあ、その否定してきたもう一人の自分、影っていうのは、どういうふうに形成されるかっていうところなんですけれども、
いわゆる小さい頃とか、周りから褒められたりとか認められたりとか、そういったものから自分はこういう人間だっていう、
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そのアイデンティティというのが確立されるんですけれども
そのアイデンティティですね
自分は責任がある人間だとか
勇気がある人間だとか
優しさがある人間だとか
そういうアイデンティティと
社会において
例えば会社とか
そういうところで周りから期待される役割ですね
ある意味仮面みたいなところですね
どういう仮面をかぶるかみたいな
それをペルソナと言うんですけれども
特に自分のアイデンティティ
自分は率先推翻して
みんなを引っ張るのが得意なんだ
それが自分らしさなんだ
というアイデンティティを持っている人が
周りから
あの人はリーダーが本当にふさわしいよね
という形で
周りから期待される役割ですね
統一したときに
そのアイデンティティ
というのはより
確固たるものになるんですけれども
じゃあそのアイデンティティって
なんで生まれたのみたいなところとしては
やはりその幼少期とかの体験が
非常に影響が大きいんですけれども
例えば長男で
しっかりとした
完璧なお兄ちゃんというところを期待されていて
何でも万能にこなして
例えば兄弟とか
親からも
頼られるような存在
あるいは
尊敬されたりとか
期待されたりする存在
というところから
自分はしっかりとした
完璧なお兄ちゃんであるべきなんだ
そういう観念が
形成されていって
自分はそういう人間なんだ
という形でどんどん
アイデンティティが
確立されていくんですけれども
一方で
その
小さい頃
そういう風に
完璧な
しっかりとした
お兄ちゃんっていうのを
期待される人に関しては
ある意味
その例えば
だらしない自分とか
弱い自分とか
頼りない兄
みたいなものっていうところは
あってはいけない
それを否定するんですよね
ただその
100%完璧っていうのは
ありえないですよね
なので
20%
不完全な部分があったり
例えばその
体調が悪かったりすれば
あるいはその
気分が落ち込んだ時には
弱い自分っていうのも
もちろんありますと
必ずそういう側面はある
わけなんですよね
ただ
いや完璧でないといけない
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っていう形で
その周りから期待されてるので
いやいや
こんな弱音を吐いちゃいけない
っていう形で
自分が自分を
行動を否定するんですよね
どんどんどんどん
で
それを否定していくうちに
そんな自分はいないはずだ
っていう形で
ある意味
見ないふりをしたりとか
っていう形で
思い込みみたいなものが
どんどん強くなっていくことによって
極端に言えば
そんな自分はもういなかった
っていう形で
自分で
自分の記憶を
塗り替えてしまって
そんな過去はなかった
っていう風に
捉えてしまうっていうことがあるんですよね
それが全く無意識っていう形で
本当に思い出せないっていうものもあれば
実際のところは
いろいろ弱かった自分はあったけれども
いやいや
基本的にはもう俺は強かった
みたいな形で
完全に無意識ではないものの
ある程度意識は
ぬんやりとはあるけれども
そんなことはないっていう風に
覚えているような状態もありますね
なのでそのあたりは
100%無意識かどうかっていうわけでは
ないんですけれども
少なくとも
影に追いやって
普段はもう見ないし
振り向いてチラッと影が
目に入ってくるかもしれないけれども
いよいよ俺は前を向くっていう形で
光の方を自分の姿っていうのを見ると
そういう形で追いやられてしまった
否定してきた自分っていうところを
一応シャドウという風に呼ぶ
ユングの心理学におけると
どちらかというと
その無意識感
もう本当に覚えてないような
自分でも意識してないような
そんな自分がいるんだっていうところを
シャドウって言うと
という風により
正確には呼んでいるようなんですけども
イメミにおけるシャドウっていうのは
そこまで厳密的に
そんな弱い自分に気づきませんでした
みたいな感じで
振り返った時に
そんな影があったんだっていうような
100%無意識みたいなところまでは
対象とはせず
そこまでではないですね
自分でも認めている
弱い部分っていうところも含めて
定義してます
単に弱みとか弱点っていう意味ではないですね
スキルとして
ちょっとミスが多いみたいな
頼りない
完璧なお兄ちゃんっていうのを期待されて育ち
完璧なリーダーみたいな形で
率先推翻することを
周りからも期待されて
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認められ尊敬されてる人でも
例えばスキルとして
ちょっとケアレスミスが多かったり
みたいなところが
例えばあったり
そういうところのスキルの弱点とか弱み
っていうところではないんですよね
否定してきた自分なので
ある意味
自分が普段はそんなことはない
っていうふうに意識してる
意識してないことなんですけども
そういうシャドウと呼ばれるものっていうところを
大事なのは認知すると
自分はそういう
えー
無意識化に否定してきた自分がいるんだっていうことを
意識するっていうことがまず重要なんですね
で意識していないとどういうことが起きるかっていうと
例えば会社とか家族とかですね
あの自分が所属しているそのコミュニティに
所属している場合に
その目の前に
目の前にいる人の人間の行動に対して
自分が否定してきた行動を相手が
取った時に
その
えー
まあ
あたかも目の前にいる人は
その否定してきた行動
自分が否定してきた行動を
とっても許されているっていう状態に
認知してしまうんですよね
例えばその
えー
完璧な
しっかりとしたお兄ちゃんっていうのを
期待されてきた人が
えー
弱い自分をどんどん否定してきたり
だらしない自分を
否定してきたり
頼りない自分っていうのを否定してきたり
いやいやそんなことないはずだ
そんなことあってはならないって否定してきた人が
同じ会社で
同じ部署で
目の前にいる人が
仕事において
だらしない行動をとったり
弱気な発言をしたり
なんかお願いしても
すごい頼りないみたいな行動をしていた場合に
それに対して
お前何やってんだ
だらしない状況とか弱気になるなとか
もっと頼りがあるような行動しろよみたいな形で
こう叱られたり怒られたり注意されたりせずに
まあもっと言うと
しょうがないな誰々さんはみたいな感じで
だらしないんだからみたいな
私がやっとくわみたいな形で
そのだらしない行動を否定されずに
もっと言うとその人のキャラクターが
キャラだよねみたいな形で
認められているような状況があったとすると
小さい頃から
その頼りがいがある
しっかりとした完璧なお兄ちゃんっていうのを
期待されて
弱い自分を否定してきた
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その本人からすると
なんであいつだけだらしない行動
弱気な発言
頼りない
そぶり
なんで許されてんのみたいな
そういうふうに不公平感を感じるんですね
不公平感
これはその同じコミュニティにおいては
その公平に人は扱われるべきだ
っていうような暗黙のルールがあって
それがあるからそのそのルール
公平なルールを守っていれば
そのコミュニティから排除されずに
安全な領域として自分が生きることができる
これはどのコミュニティもそうなんですけども
ちゃんとその公平に守るべき
暗黙明確なルールがあって
それが守られるってことが前提としてるんですよね
で今お話したように
目の前にいる人があたかも
そのそういうだらしなさ
弱気頼りなさみたいなところを
否定されずに認められてるっていう状況は
不公平っていうふうに感じてしまうんですよね
なんであいつだけ許されてんの
その背景には自分が自分を否定してきた
っていう過去があるので
自分は許されてないのに
自分はこんなに一生懸命
弱い自分を否定して
奮い立たせて強く生きてきたのに
なんであいつだけみたいな形で
特に身近なコミュニティ
コミュニティにおいて
身近にいる人が目の前にいて
その人だけ認められているとき
否定されずに認められてると
不公平感が起きるんですね
これが別に全く違う会社とか
世界の裏側の別の人であれば
全く自分とは関わりがないので
そんな怒りの感情とか
なんであいつだけみたいな
不公平感ってのは起きないんですけども
身近にいるからそれが起きると
同じ公平なルールが適用されるはずなのに
なんであいつだけ得してんのみたいな
エコヒーキーされてんのみたいな感じになるんですよね
これは人間だけに起こるような反応ではなくて
実は動物でも起こるような
割と本能的な反応っていうふうに言われてます
実際その動物行動学者の有名な実験があるんですけれども
チンパンジーとかは道徳を持っているか
っていうようなテーマで実験したことがあります
実験によるとどういうものかというと
あるチンパンジーっていうところの2匹
檻に入れてそれぞれ別の檻に入れて
それぞれそのチンパンジーに
あるタスクをしてもらうんですね
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簡単なタスクをしてもらいます
どういうタスクかというと
一つのチンパンジー
それぞれのチンパンジーに石を
檻の外からチンパンジーに石を渡して
その石をまた戻してもらうという形で
タスクを行ってもらうという形で
それが成功するとご褒美にきゅうりをあげる
きゅうりですね
きゅうりをあげるっていう言葉なんですけれども
なのでチンパンジーに石を渡して返してくれると
はいご褒美っていう形できゅうりを渡すと
そういうのを25回繰り返していく中で
一方のチンパンジーにだけ
きゅうりではなくてぶどうをあげるんですね
ぶどうを
その一方のチンパンジーにだけ
きゅうりではなくてぶどうをあげる
でそのもう一方の
チンパンジーは
横のチンパンジー見てなんであいつぶどうもらってるのみたいな感じで
じゃあ俺ももらえるかなみたいな形で期待して
石をもらってまた石を返してタスクを完了させて
ぶどうくるかなみたいな形で期待していると
きゅうりがもらえるんですね
きゅうりしかもらえないっていう形で
なのでもう一方のチンパンジーにはきゅうりしかあげない
っていう形でやるとチンパンジーみたいな形で
なんで俺きゅうりだけなのみたいな感じで
受け取ったきゅうりを見てで
檻の外にポーンって投げるんですよね
いらねえみたいな感じで
なんだよきゅうりみたいな
ぶどうくれよみたいな形で
でもう一回一方のチンパンジーにはぶどうをあげて
でもう一方のチンパンジーにはまたきゅうりじゃなくて
きゅうりをあげるんですねぶどうじゃなくて
でまたなんだよ俺だけまたきゅうりかよみたいな形で
もらったチンパンジーはそのきゅうりを見て
またポーンって
投げ捨ててその後ガンガンガンガンって感じで
その檻をわーみたいな感じで檻を手で掴んで
ガンガンガンって音を鳴らしながらムキーって言って
めっちゃ怒るんですよね表情として
ムキーって怒るんですよ
さあチンパンジーが
っていうような形でその反応を示す
でこれが逃走反応って言われてます
逃走ってのは戦う戦い争う反応ですね
でもう一つの逃走は逃げる走る反応逃走ですね
で英語で言うと
ファイトオアフライトレスポンスって言うんですけど
ファイト戦うぞってのと
フライト逃げ回すみたいな逃避行ですみたいな
ファイトフライトレスポンスって言うんですけども
こういう反応がそのチンパンジーには引き起こってるんですね
でこれは実はものすごい原始的な脳の反応で
哺乳類とかで特に起きるんですけども
生存本能ですね要するに
目の前に敵が現れた時に戦うぞみたいな形で
ファイティングポーズを示して戦うっていう状態になる時には
例えば血圧が上がって瞳孔が開いて
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戦うための生理的な反応っていうところが起きて
で実際に戦うんですよね
でただこいつはやべえなみたいな
一旦戦う反応を示して
こいつやべえなと思った場合は
スタコラサッサーって感じで逃げると逃走する
フライトレスポンスを示すんですね
そういう形で戦うか逃げるかっていう形の生存反応を示すことで
哺乳類とか人間っていうのは生き延びてきたんですよね
で今回のチンパンジーの場合っていうのは
別にキュウリをもらって
で一方だけあいつだけブドウもらったのに
なんで俺だけキュウリなのみたいな感じで
別にブドウをもらなくても死ぬわけではないんですね
死ぬわけではないと
死ぬわけではないのに
なんで生存本能である逃走反応を示したかというと
同じコミュニティじゃないですか
近くにいるもう一方の猿ですと
同じコミュニティにおいて
なんであいつだけ不公平な扱いを受けてんのみたいな
で俺だけなんでキュウリなのみたいな感じで
別に飢餓とか餓死するわけではないけれども
そのコミュニティにおいては
公平に扱われないということっていうのが
いわゆる道徳性っていう観点で
不公平なんじゃないのみたいな形なんですね
モラルの問題っていう
なのでその動物っていうのは
実はそのモラリティ
道徳観というところがあり
不公平性を感じることができるよっていうのを
証明したのがこの実験なんですね
これはチンパンジーだけじゃなくて
いろんな動物でも
実際に検証されている有名な実験なんですけれども
で後日談というかエピソードとして
実際そのチンパンジーの中に
はブドウをもらったチンパンジーは
得してるわけじゃないですか
でもなんかもう一方のキュウリだけもらってる
チンパンジーを見て
なんかかわいそうだなみたいな形で
なんかそのもう一方のチンパンジーが
キュウリじゃなくて
そのブドウをもらえるまでは
私もブドウはもらえません
みたいな感じで
ブドウをもらうことを拒否するんですよね
もう一方のチンパンジーが
キュウリじゃなくてブドウもらえるようになったら
うん私もブドウを受け入れますよみたいな形で
周りのその同じコミュニティの別の人を
ちゃんと排除するっていうのは
そういう道徳観も持っていますよっていうのも
同じ実験の中で検証されたりはしたんですけれども
つまり動物っていうのは
実はその道徳っていうのを
モラリティっていうのを持ってますよって
そういうことなんですね
でその観点で見たときに
なんで俺だけその不遇な扱いを受けるの
なんで俺だけ尊重されないのっていう形で
コミュニティの中で
そういう不遇な扱いとかを受ける公平な
扱いを受けないっていうことは
ゆくゆくは自分の身に危機が起こり得るっていう形で
おそらく進化する中で
そういう不幸な扱いを受けるってことは
ゆくゆくは生存に危機を及ぼすっていう形で
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その原始的な反応として
そこに対しても怒りを示すとか
逃げるという形を
ちゃんと本能的にとっているっていうところが
現れなんですけれども
そういった意味で
チンパンジーもなんでキュウリじゃなくて
キュウリなのみたいな形で怒っていると
本当に要するに原始的な反応なんですね
原始的な反応なので
人間でももちろん起こるし
チンパンジーでも起こると
原始的な反応なんですね
でその上でさっきの話に戻ると
そのあるコミュニティにおいて
目の前にいる人っていうところだけ
本当は否定されるべき行動っていうところを
認められていると
だらしない頼りない
弱音吐いてるってところに対して
あの人はキャラだからねみたいな形で
その認められている
なんで俺だけ認められずに
なんで
目の前のやつだけ認められるの
正確に言うと
別に自分は認められてないわけではなくて
自分で自分を否定してるだけなんですね
勝手な自分ルールで俺はダメだ
俺はそんな弱音吐いちゃダメだ
俺はそんな頼りない行動をとっちゃダメだ
っていう形で
自分に否定してきたマイルールなだけなので
別にそのコミュニティのルールではないわけなんですよ
だからそれは勘違いで錯覚なんですけれども
まあその自分で否定してきたってことさえも
その気づいてないっていうところがあるので
まあその勝手に
その錯覚してしまう
その時に闘争反応を示してしまう
っていうことがあるんです
これは原始的な人間の反応なんですよね
そういったところをちゃんと理解するっていうところが
このシャドウっていうところを理解する上での
結構重要な観点になるんですよね
こういった部分っていうのは
やっぱりいろんな問題っていうのは
引き起こすんですけれども
そのシャドウをある意味
目の前の人に
怒りを示すとか怒りをぶつけるとか
嫌悪を示すとか
嫌悪を示すっていうのを
シャドウの投影っていうふうに言ってるんですね
シャドウの投影
影を投げる
投げる影と書いて投影って言うんですけれども
このシャドウの投影
っていうのは結構重要な概念で
本当は錯覚なんですけれども
投影するってことで
周りへの非難をしたりとか
ひどすぎる場合には
暴力的なコミュニケーションで
相手を傷つけたりとかっていうところが
やっぱり起き得るんですよね
それによってコミュニティの強調性とか
強調性っていうところを崩したりします
なのでこのシャドウの投影っていうところを
本当は会社においてはきちんと見つけて
そういった部分を対処しないといけないんですけれども
シャドウの投影っていうことに関しては
そういう問題が起こりますと
あとはですね
ペルソナの問題もあるんですけれども
自分は完璧な人間だっていう形で
ずっとずっと演じて
そういう弱い部分ではないはずだっていう形で
シャドウを見ないふりをして
ある意味完璧な自分を演じ続ける
仮面をかぶって
その舞台の上で演じ続けるっていうことで
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やっぱり自分の中にどこか無理をきたして
ストレスがかかったりとか
精神的な病気になったりとか
っていう形になったりとか
あるいは会社という中では
そのコミュニティの中で
仮面をかぶって演じ続けたとしても
そこのやっぱり反動で
例えば家の中で
家に帰って家族とかあるいは友人関係の中で
その溜まったストレスとか鬱憤っていうのをぶつけてしまう
っていう反動もあったりして
そういった意味でもやっぱり
仮面をつけて演じ続けるっていうところの
危険性っていうところもあるんですよね
あるいはあまりにも仮面をかぶって
演じ続けるところっていうところになりきっちゃうと
周りからは
なんか本性じゃないかな
ないよねみたいなところを感じてしまって
ちょっと近づきづらいなとか
自己開示がされてないので
ちょっと深い共感を得られないみたいな
そういう問題もあったりしますと
こういったシャドウの問題点っていうところを
どういうふうに克服して解決して
組織でそれをより良い成長の機会に
つなげていくかっていうところは
シャドウの統合っていう形で
言われてるんですけども
このシャドウを統合していく
つまりずっと見なかった影っていうものを見つめて
それを自分の体の中に取り込んでいくみたいな
そういうイメージなんですけども
そういうことをやっていくっていうことが
人間としての変容って言うんですけども
発達心理学における
人間としての発達の段階として
変容自己変容っていうところがあるんですけども
そういう段階につながっていくんですね
よく言うのはあの人昔はめちゃくちゃ
上司としてはすごい厳しい
スパルタみたいな人だったけれども
なんか人間的に丸くなったよねみたいな
そういう変化っていうのは
すごい怖い上司でもあると思うんですけれども
そういうのは人間的に成長していった
変容していたっていうと現れたんですよね
そういうところをやっぱりその
人間としてトランスフォームしていく
変容していくっていうところを
個人だけではなくて
組織として発達していく
というところが重要になるんですよね
例えばそのいわゆる
ブラック企業みたいなところで言うと
何かこうミスをしたりとか
サボったりとかっていうところに対して
組織的にそれに対して詰めるとか
非難するみたいな形があった時に
組織の成熟度としてはまだ
発達の途中にあって
そういったところをいかにシャドーを投影せずに
適切な形で受け入れるかっていうところが
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組織としての発達段階としても
より変容していく
トランスフォームしていくっていうところが
重要になっていくんですよね
それをどういうふうに行っていくかっていう中で
いろんな取り組みがあるんですけれども
次回以降は
イメミでのシャドーの統合の仕方の取り組みとして
ステップを作っていくというところが重要になってくるんですよね
ステップ1からステップ4までのステップがあるんですけれども
そのそれぞれのステップにおいて
どういったやり方でイメミが取り組んでいるかっていうところを
一つ一つ解説をしながら
説明していければなと思っております
今日はですね
そのシャドーに関しての基本的な理解や
イメミでの定義
およびなぜそれが起きるかっていう
ちょっとメカニズムについて話をしました