書籍の重版とアウトライナーの進化
うちあわせCast第百八十九回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
一応、画面を共有しつつ進めたいのですが、しばらく掘りなんで結構ニュースが止まっておりますが、
せいせいやいまわりはだいたいすっとばして、すごい驚いたんですけど、
説書すべてはノートから始まるが、ロックスリーが決まったということで、そんなことあんねやと思ったんですけど、
昨今の出版業界なんて、もう3ヶ月経ったら新刊コーナーどころか、本屋からなくなってるぐらいの、
数年ぐらいか2021年ぐらいだと思うんですけど、数年経って、
部数的には全然多くはないんですけども、こういうのって定期的にあるみたいな、新書なんでレーベルというか棚があるところがあって、
それ向けに多分定期的に一冊である期間ごとにやるみたいな話を聞いたことがあるので、そこに名前を載せてもらったということで。
でも6冊はすごいですね。
すごいですね。
いやいやいや。
前の5の時も結構スパンが空いてたんですよね。その4から5作られた時に。
その時はミライア書店っていう書店がありまして、イオン系列、イオンの店舗内にある書店の系列なんですけど、
あそこのフェアでとある書店員さんが、ちょっとそこのコーナーというかセレクションに入れていただいて、この本を。
それは当然全国にある書店に何部かずつ入ろうかわけですから、そこそこそれで動いて5になったんではないかなと予想してたけど、
この5から6に至るまでもちょいちょいYouTubeの読んでよかった本とかにあげていただくことがあって、
そういう動画があるとAmazonが結構動くんですね。
電子書籍じゃなくて紙の本もパッと動くことがあって、本を売るっていうのは地道な長い活動が必要だなというのを改めて感じます。
1回前か2回前かで、ねじまきさんがやっておられるインディーウェブ通信で、ブロガーをインタビューしていくっていうのが始まるぞというのをお知らせしたと思うんですけど、
第1回が私ということで、僕がブログとどう付き合っていくのかっていうのを結構長めのインタビューとかテキストで質問いただいたのでテキストで返したという感じなんですけど、
答えた回があるのでリンクは貼っておくんで読んでいただければなと。
この2026年において人がブログを書くというのはどういうことなんだろうかというのは改めて考えていきたいことだと思うんですけど、
正直、まず書くのを生成AIにして、読むのも生成AIみたいな、間に生成AIが入って、知的生産の間のプロセスを生成AIが担うことで、
人が書くことそのものがほとんど意味がなくなっていくような状況で、しかもそっちの方がコミュニケーション効率がその方がいいであろうという状況において人がわざわざブログを書く。
しかもSEOとかで上位に来るような、ビジネスに直結するようなことではないことを書くということは、一瞬待って多分重要になってくるんじゃないかなと思うので、
皆さんはブログをするかどうかともかくとして、自分の書いたものを出す場所っていうのをウェブ上に持っていくのがいいかなと思います。
あと、またワークフローリーが最近どんどんアップデートを進めていくわけですけども、謎の機能が増えまして、謎の機能ではないですけども、エヴァノートにあった機能なんですけど、
ワークフローリーが用意してくれるメールアドレスに送ると、そこに新規項目が、送ったメールの内容の新規項目ができちゃうよということで、どう使うんでしょうね、これ。
なんかインボックス的な用途じゃないですかね。
ということなんでしょうね。APIがあるので、例えばショートカットアプリ、iOSのショートカットを使えば、これとこれをメールアドレスを返さなくてもできるんですけど、
それはちょっとギークというかマニアックな方法なんで、メールアドレスがあれば誰でも、メールが使える人であれば誰でもインボックス的な使い方ができるし、
やろうと思えば、RSSのフィードをそっちに飛ばすことで、それをグリップするみたいなこともできるんで、アレンジの幅は広がると思いますね。
APIの方が自由度は多分高いんですけども、そういうのがちょっと難しいという方は、このeメールを使うことで、特定の指定した、
例えばTodayやったらTodayのところに送るメールアドレスが設定できるし、別の項目を設定したらそこにインボックスに送るとか色々項目の設定ができるんで、
カスタマイズ性は高いと思うんですけど、どんどんマニアックな方向にいっているなというのが最近の印象でございます。
あえてこれメールでやる意味って、例えば来たメールを返信しなきゃいけないメールを転送するという使い方でしょうね。
そういうのは非常にリアリティある使い方だと思いますね。あんまり凝ったことをしだすとややこしいことになるので、そこは注意が必要ですね。
あとちょっと前にアップデートされて、多分厳禁していなかったと思うんですけど、それぞれのカレンダーの中にある日付の項目、
バックリンク的に表示するという機能がだいぶ前からあったんですけども、レンジ幅、期間、例えば3月10日から20日っていうレンジのときに、
3月19日が表示されない不具合があった。不具合というか、本来表示されてほしいじゃないですか。
それは今までちょっと前まで表示されなかったんですけど、1個か2個か3個前のアップデートでそれもちゃんと広げるようになったよということで、カレンダー周りは結構充実してますね。
そうなの?レンジで普通に使ってた気はするんですけど。
そう、レンジのテキストに最初の日付が含まれるんですか、最初と最後に。最初のとこは出るんですよ、その同じ日付だけ見てるんですよね。
でも真ん中はこの機能が実装された当初は拾わなかったんですよ。
そうなんですね。
だからそれができるようになってたということで、これも結構便利だと思いますね。
普通に表示されてるつもりで使ってました。
生成AIとツールの再構築
シンプルノートというクラウド系のシンプルなメモツール、クラウド同期するノートツール、ノートアプリが今もあるんですけど、今後のアップデートはないよということで、現状が最終でいつかなくなるかもしれないよということでした。
iOSアプリを使っている人はメモ帳アプリを使えばいいですし、Androidを使っている人はGoogle Keepとかで対応ができると思うので、ある意味存在感が薄れてきたのかなというところですね。
JeditというのかJeditというのかちょっと僕には分からない。
Jeditと読んでみましたけど、これはエディターなんですけど、開発が止まっておりまして、新しいMacOSに対応できなくなったと。
そこで今新しいプロジェクトが始まったと、そのJeditに関して。
基本的にオープンソースで公開予定のプロジェクトでJeditオープンプロジェクトなんですけど、ここが非常に重要なところなんですけども、生成AIのサポートがあることによってこれができるようになったという話がありまして。
シフト言語、一個前はオブジェクティブCというので書かれていたんですけど、今はもう完全にシフト言語になっているんですが、それがAI、ここで言うとクラウドコードによって迅速に高品質のソースコードが作成可能になったということで。
そういう置き換えは彼ら得意ですよね、生成AIは。もともとは動きが規定されているものをある言語から別の言語に流すというのは非常に得意なので。作者は日本語名で指示を与えるだけで一切ソースコードを書いていません。それでも動くものができるということで、こういうのは良いですよねと。
僕はちょっと思いましたね。良い使われ方やなというところで。
しかもこれ、昔からの老舗アプリを作っていた一人でずっとメンテナンスしてたの一人だと思うんですけど、そういう方がAIでそういう使い方をするというのはやっぱりすごいですね。なんかそうかと思いますね。
だから業務アプリとして生成AIを使うみたいな話も、やっぱり零細企業とか中小のちょっと小さいところが一番効いてくるんじゃないかなとは思いますね。大企業のSaaSかなというと、契約結んで大量のお金を払うぐらいだったら自分のニーズにマッチした商業アプリを作った方がニーズにもマッチするしコストも似合うし。
みたいなことがあるんで、そういうところでこういう使われ方が増えていくんじゃない。増えたら幸せだという感じがしますね。
たぶんこういうのは今後どんどん。個人が追い切れなかったところを増やしていくっていう使い方があるでしょうね。逆にGitHubとかオープンソースとかのプロジェクトで、生成AIによるプルリクエストが増えすぎて、人間がそれを一個一個レビューしきれなくなってくるような事態もあるらしく。
そうなってくるともう一人一人が自分で自分のコードをメンテナンスした方が早いというようなことも起こるのかもしれないですね。それはでもたぶん今までの知の強力の体制が崩れていくということでもあるので。
ちょっとオープンソースの概念が変わっちゃいますよね。
それはなんかちょっと危うさもあるかなとはちょっと感じます。
しかしJeditが。それはちょっと時代を感じますね。
そうですね。オブジェクトPCで書いてるのをSwiftに用心変えるのは基本的にすごく大変そうなので、楽しみですね。
でもやっぱり昔と違って今って特にMacというかApple系のやつってOSが最新になると見た目とかあれを全部自分たちも合わせなきゃいけないみたいなプレッシャーがあって。
昔と違って動くから大丈夫っていう感じじゃないんですよね。
そうですね。
あれはちょっと開発する人きついよなっていう。
そうですね。最新の状況を全部チェックした上でUIとか機能それ合わせていく。
しかもそれを例えばタダとか1000円とかのプロジェクトでまじ大きなエルカっていうのはちょっと難しいのがありますよね。
もちろん内部もいろいろ変わっているのだろうと思うんですけど、使う側からすると見た目が最新になりましたみたいな、サイトバーが透明感出ましたみたいなこと言われても。
ありますね。
もちろんそれだけじゃないんですけどね。っていうのはわかってるんですけど。
この辺のソフトウェアは難しいところですね。継続的なメンテが必要なのでね。
似た話なんですけども、何年か忘れましたが、セブンライナーというアプリ自作ツールを作ってまして、
この生成AI自分でツール作るブームの10年前からそれぐらい前だと思うんですけど、作ったツールがあったんですけど、
デザインがダサダサの上にコードが混乱していてどうしようもないという状況だったんですけど、
僕は一切コードを書くことなく日本語で指示を与えるだけで、モダンなJavaScriptを使ったものに生まれ変わりまして、
URLを貼ってアップロードしているので他の方でも全然使えるんですけども、
今共有している画面がセブンライナーのツールなんですけど、基本機能は一緒で、
中央にラインがあってコマンド右とか左でそのラインが横に動いていくと。
ここの内部は項目になっていまして、ちゃんとドラッグで動かせると。
しかもこの項目はこっちにも動かしちゃうみたいな。
左右に場所を持つことができる縦型の非階層的、階層を持つことができないワンラインのアウトライナーみたいな感じを作っていて放置していたんですけど、
こうやってブラッシュアップできましたね。
細かい機能を見ながらやってたんで、多分トータルで1時間ぐらいはかかりましたけど、
トータルで1時間でできるということでもありますね。
今まで作ってきたツールも大体いろいろあるので、
改めてブラッシュアップして再度自分の中に戻してきて、
そのツールを使いたいタイミングでツールを使ってっていうことができつつあるなというところで、
どんどんこういうのが広がっていくなと思うんですけども、
たくさん聞きたいことがありまして、
Planner.tomというアプリケーションかな?ご存知ですか?
どんなツールなんでしょう?
これはすごい懐かしいですね。
こういうツールを自分で作れるようになるよみたいな話をタイムラインに流したら、
縦紙さんがこういうのを自分でもしかして作れるんですかみたいな話をしてもらって、
おそらくコンピューターで実現できるツールであればできると思ったんですけど、
僕見たことがないので、どういうツールなんかなというのをちょっと聞いてみてください。
プランナートムとアウトライナーの考察
Outlinerですね。
それはもう普通の、普通のっておかしいけど。
あのですね、
昔もアウトライナーといえばほとんどマスクだった時代に、
NECのPC-98で動くアウトライナーというものがあって、
割にカードメタファーとテキストのアウトラインを両方踏まえたような感じで。
僕は98ユーザーじゃなかったので、
お店で触らせてもらっただけなんですけど、
でも結構ヘビーデューティーに使えるアウトライナーの印象があって。
で、なんで縦紙さんがトランナートムの話をするかというと、
僕の以前に記事で紹介したことがある、
Macのアイデア発想法という本がありまして、
90年代の半ばぐらいに出た。
基本的にいろんなアウトライナーユーザーの人が自分の使い方を書いている本なんですけど、
その中に縦紙さんが寄稿しているところがありまして、
そこで縦紙さんが紹介していたのがトランナートムだった。
Macのアイデア発想法などにPC-98のアウトライナーを紹介するという離れ技をやっていた。
それで僕は縦紙さんを知ってたんですよね。
なので僕は後に縦紙さんにお会いした時にその本を持って行ってですね。
今僕の手元にあるその本には縦紙さんのサインが入っているという。
感動ですね。
本当そうですよ。
そんな昔読んでた本の著者に会えるなんて。
プランナートムっていうのはプランする人のERのトムさんっていうようなそういうフィーリングの名前なんですか?
そうなんでしょうね。
カタカナでプランナートムだったと思うんですけど、多分意図はそうでしょうね。
ということは一応プランニングに使えるよというニュアンスなんですか?
そうでしょうね。当時このアウトライナーとかこの手の発想支援的なやつって割にプランナーの人が使ってて、
プランナーとかコピーライザーとか電通の人が使ってるみたいなそういうイメージがあって、
そういうところから来てるんだろうと思うんですけど、
ちなみに縦紙さんはその中で自分の用途としてですね、
仕事リストを作るとか、単行本の企画立てます、
ゲームのルールの設計をしたり、プレゼンの構成作ったり、
パソコン通信の書き込みをこれで書いてますとか。
だから本当に普通の今のアウトライナーの使い方ですよね。
何でも使えるよという。考えることなら何でも使えるよ。
既存のアウトライナーでは満足できないからそのプランナーとも欲されてると思うんですけど、
何かあるんですかね、特徴的に違うのは。
どうなんでしょうね。
ご本人に聞くのがいいと思うんですけど。
ご本人に聞ける環境に今あるので。
でもやっぱりMacのアウトライナー、いわゆる今のプロテス型アウトライナーに近いフィーリングだったMacのアウトライナーとはまた違う何かが多分あるんでしょうね。
そこはちょっと語れないですけど。
そもそもタテガメさん今Windows使ってる可能性ありますね。
いやそうじゃないですか、多分。
ということはブラウザー型しか使えず、オムニフニャララとか全然無理ということか。
と思いますけどね。
そうなったら選択肢がどう、僕Windowsの環境全然わからないんですけど。
Windowsはやっぱりツーペイン型のアウトライナーが元々主流なので、
ちょっと違うんですよね。
ただやっぱりワークフローのせいで、Windows使ってる人もあんまり関係なく、
プロテス型のアウトライナーが主流になったような印象を僕は持ってますけど。
逆に昔からWindowsでアウトライナー使ってる人は、昔みたいなああいうツーペインのエクスプローラー型のアウトライナー懐かしいな、
本当はそれがいいんだけどなと思ってる人もいっぱいいるでしょうし。
やっぱりこのMS-DOS時代のテキストベースのアウトライナーの良さっていうのも多分あったと思うんですよね。
これを現代に置き換えるとしたら、仮にタテガミさんがそれを作られるとしたら、どういうふうになるのかというのはすごく興味ありますけどね。
そうですね。正々堂のプランナートームのことを聞いてもあんまりうまく答えられなかったんですよね。
ソースが多分ないから。
ないでしょう。
プランナートームのようなものを作ってくださいというような曖昧な指示では多分ダメで、おそらくは。
もっと具体的なレベルでこうしてくださいって言えなければならず、それやっぱりそういうツールを実際に使っていた人でないと作れないと思うんですけど。
だから、いわゆる自分が一切コードを書かないバイブコーディングと呼ばれるものでも、バイブコーディングをうまくやる方法というのはもちろんあるわけですよね。
例えば、事前に計画を立てさせるとか、進めながら変えてほしいところを指示するみたいなことがあって。
やっぱりプログラミングとかツール作りに慣れた人ほどバイブコーディングがうまいわけですけども。
それを踏まえたとしても、アウトライナーは多分通じるんで、アウトライナーを作ってくださいは多分通じると思うんで。
そこをベースにプレーンなアウトライナーを作ってもらって、こういうことをしたいっていうことを何回か応答していけば、それなりにそれっぽいものができそうな気がしますね。
そうですね。今この縦紙さんのこの記事を見ると、プランナートンボにはですね、カード編集モードとアイデア操作モードというのがありますと。
カードとしての記述のまとまりみたいなものを作っていって、それを箱に入れてアイデア操作モードっていうので整理すると。
箱の集合はさらにアイデアベースと呼ばれ、複数のアイデアベースを、要するにカードを箱で分類していくようなイメージなんですかね。
ナレッジベースみたいな機能があったということか。
だからそういう意味では、プロセス型の階層型のアウトライナー、ああいう表示もできるようですけれども、多分思想的には結構違うんじゃないですかね。
すごい感じですね。だから今のアウトライナーでは満足遺憾というのはあるでしょうね。
そうですね。ただこれ当然MS-DOSなのでテキスト表示しかできないので、カードといってもテキストなんですよね、この画面を見ると。
だからカードのイメージが表示されるわけではおそらくないと。
そうすると逆に現在のグラフィカルな表示でカードメタファーを使うべきなのか、それともこれはカードなんだよと思いながらテキストを操作している、その方が良かったのかとか、結構考えだすといろいろありますよね。
カードメタファーどのぐらい重要かっていう話もありますので。
そうですね。それこそ何パターンか先生に作らせてみて、使ってみてということが可能なので、期待ですね。僕はイメージがないから作れませんけども。
そういうのをもうちょっとバイブコーディングもっと手軽にできるよみたいなことを言っていった方が、世の中が面白いツールが増えるかもしれないですね。
生成AIの影響と人間の思考
そうですね。でももし縦紙さんが昔のプランナーのことを思い出しつつ、縦紙さんが今使いたいものを作るとかだとすごく興味ありますけどね。
実際にその出来上がるものもそれもあれですけど、作っていくプロセスで何を考えたか教えてもらえると非常に楽しみますね。
縦紙さんはもうあれですから、今なんか手帳の人というイメージですけど、僕にとってはアウトライナーの人ですからね。
アウトライナーの先輩みたいな人ですからね。
ちなみに、例えばバイブコーディングでそれなりに作れるって言ったらたくさん作ってみたいですか?自分の好むアウトライナーを。
作ってみたいという、作ってみたくないとは言えない。
なるほど。
いろいろ時間的な制約とかもあれを別に。そうですね。アウトライナーというよりも文章エディターを作ってみたい気持ちはありますね。
なるほどね。確かに。
アウトライナーはね、やっぱりワークフローイでいいかなという気がします。
そうですね。それはわかります。
あれだけのものがあるんで、なんかあえて同じようなものを作ってもあんまり意味がないような気もするんで、
それよりはもうちょっとなんていうか、純粋なアウトライナーでないものを作ってみたい気持ちはちょっとありますけど、
あとあのライフアウトラインを作る用のアウトライナーみたいなのは考えられるんですけどね。
実際僕もいくつか作ろうと思ったんですけど、どうやってもワークフローリーの劣化版しかならないというケースになってしまい、
やっぱりセブンライナーとか明らかに明確に役割とか違いますし、
あと自分用のタイムラインメモアプリも同じく作ってもらったんですけど、
このメモアプリを逆に動かせないんですよね、順番を。やっぱりそこにも意味があるなと思って。
ワークフローリーで動かさないものを並べるって無意味を感じてしまうんですよ。
なるほど。
あそこに入れたら動かしたいし、みたいなところがあるので、
別に動きを必要としないものはこっちに並べてるほうがいいなっていうふうに、
やっぱりその役割を異なったほうがいいなという感じがしてますね。
そうですね。
あと細かい話というかちょっと大きな話かもしれませんけど、
政治的AIと軍隊についてちょっと考えておりまして、
最近SNSを見ていると、やたらと強い断言をする人が増えているなという感じで、
でも元々SNSってそういう人が多いんですけど、そうじゃなくて、
もっとバランスいい発言をされてたなという感じだったのに、
急にそんな強く言っていいかなみたいなものを見かけまして、
ここからは完全に僕の妄想なんですけど、
政治的AIの軍隊が移っているのではないかという仮説がありまして、
例えば僕今日本語をしゃべりますけど、これは別に日本語をしゃべるDNAがあるわけじゃなくて、
周りの人が日本語をしゃべっていたから日本語をしゃべっているわけですよね。
僕が関西弁をしゃべるのも周りの人が関西弁をしゃべっているから関西弁をしゃべっているわけですよ。
関西弁をしゃべろうと思って学習したわけじゃないんですよね、結局。
日常的な応答でそれが使われていて、それを使えることが生活上便利やからそうしたということで、
主体的な学びというか受動的な学びだったわけですけど、
それは言語だけじゃなくて多分思考パターンとか価値観とかも、
基本的に日常応答する人との中で育まれるというかある種転写されるというか、
受け取っていく中で形作られるものだと思うんですよ。
そうした時に、例えばちょっと生成AIに何かしてって終わるんじゃなくて、
仕事の大きな部分を生成AIとの応答をしている人がいたとしたら、
生成AIの口調とかロジックが100%移らないって断言することは僕は難しいと思うんですよ。
その日本語の習得の延長線を考えた時に、
それは混ぜようと思わなくても混ざってしまうようなものだと思うんですね。
ある種チャットGPTと応答した時に何か嫌な感じがする時って、
僕らはそれを嫌っているからじゃないかと思うんですよ。
入り込まないでくださいみたいな拒否感というか、
単純に鬱陶しいだけだったら別に読み飛ばしたらいいはずで、
っていう理屈があるはずなんですけど、
でも読み飛ばしたらいいじゃんで、処理できない嫌な感じがあるんですよね。
あれはあのロジックを僕の暮らしたたのみLMNのデータにしたくないというか、
それは来ないでくださいっていう感じがあるんではないかなと思うんですけど。
分かります。
結局それも生成AIとかチャットGPTとか、
そのモデルがどんなふうに語るのかということであって、
その言語モデルそのものの問題じゃなくて、
彼らのチューニングの語りなんですね。
だから異常にもっと謙虚にロジカルに、
分からないことは分からないというふうに語り口を語るモデルであれば、
それと応答する人間もそれを学習するでしょうし、
そうじゃないものをしゃべり方をする生成AIとチャットしていると、
自分でも気づかぬうちにそこに乗っ取られるというとちょっと大げさですけど、
知らない間に入り込んでしまうということがあり得るんではないかなとちょっと思ってしまって、
生成AIを使って自分の能力を拡張するみたいな話ももちろんある一方で、
生成AIがその人そのものの内部を変質させてしまうようなことも
やっぱり合わせて考えていかないと。
これはだからハルシネーションとかとは別次元の問題がそこに問題というか厄介さが
あるんじゃないかなとちょっと最近思っていました。
全く同じことを思ってましたというか。
だってもともと本を読むとその作者の文体に影響されるっていうことは当たり前のようにあったわけで、
やっぱり読んでるもののリズムとか語尾とかリズムとメロディーみたいな感じで浸透してくるんですよね。
だからやっぱり生成AIとやりとりを、僕はギターとJBDとジェミニックしか使わないですけど、
やっぱりちょっと映りますよ。普通に映りますね。
僕も嫌いなのに何か強いってよく言ってしまう。
彼特にJBDはそれ強いですとか言うんですけど、知らんまに映ってるなと感じたときにちょっとゾッとしましたね、あれは。
プロンプトもできるだけ自分の意に沿った回答を得たいという意図で書いている。
そのプロンプトがだんだんGPT風になるみたいな。
この人にわかるように書こうとするとその人風になっちゃうみたいな。逆転現象が発生したりとか。
でもこれたとえば赤ちゃんにしゃべりかけたときに赤ちゃんの言葉になるって言うと同じ原理でしょ。
そうですよ。
だからちょっとそれで一時期普通の文章が書けなくなっちゃった。今年に入って、1月2月ぐらいに。
で、まずい。結構まずいと思って。ブログ書けないぐらいならまだあれですけど、他のいろんな面でまずいという気がして。
はい。
なので、逆にちょっとなんというか、今までより気軽に公開するようにしてるというか、整ってない状態であえて出すように、公開するようにして、
特にチャットGPTですけど、チャットGPT風のすべてがなめらかにつながったあの感じを、自分の中から追い出そうという感じがありますね。
だからちょっとね、わざとじゃないんですけど、ちょっと話がねじれていたりとか、途中で実は論詞が変わっているみたいなことをちょっと許容するようにしながらリハビリしてるみたいな感じがちょっとありますね。
ちょっとでメンタルやられそうになっちゃって。
もちろん文章を読んでも全く影響を受けないタイプの方もいらっしゃるでしょうし、そうしたら別にいいといいというのが気にならないと思うんですけど、そうは言ってもどうなんですかね。やっぱり真剣に文章を読むタイプの人はやっぱり引きずられるところはあると思うんで。
いや、そうですね。読み方によってかなり影響度が違う気がしますね。
だから特に、例えば実用書も文章として楽しんで読むみたいなタイプは一番まずいんじゃないですか。
ああ、そうでしょうね。そう思います、それは。
だから僕ね、何かを聞いたときに、このことについて台本のトガキ風に書いてくださいって言ったことあるんですね。
おお、なるほど。
そうしたら、トガキ風の文体で書いてきたんですけど、なんかね、突然なんか照明が暗くなるとか書いてあって。
トガキやな。
舞台に一人男が立たずに。それは占いなんで。
おもろ。
トガキ風にだよってトガキを書いてくれてたんで。
そこのニュアンス伝わらないんだな。
あれが伝え方ができないかもしれないんですけど、ちょっとそれで笑っちゃったりしつつも、
ちょっとトガキ風にというのはちょっと一つの多少いいかなと思ったところがありますね。
そうですね、何かだからやっぱり返し方をもうちょっと人間と応答してない感じの方がいいですね。
なんかその影響を、文体的影響を考えたときに。
例えば、プログラミングでエラーコードを読んでもそうは多分ならないんですよ。
あれはメッセージというか何やろうな、あれはアラートみたいなものなので。
やっぱり人間との応答感があると、その環境に適応しようとする生物科学的反応が起きてしまうということがあるので。
いかにも機械が喋っているような感じの方がいいのかもしれないですね。
そうですね、だからこそエラーコードとかメッセージにしても、逆にそこにそれを作った人がちょっとこう人間的な言葉を潜り込ませていたりすると、
ちょっと逆にそれはクスッと笑ったりして、楽しいなみたいなのは昔からあったと思うんですけど。
それがあたかも生身の人間と応答しているような書き方をされると、逆に嫌だなみたいなのはありますよね。
影響力があるのは間違いなくて、最近ジェミニを秘書代わりにしてるんですけど、
相手が人間でないことは100%わかってても、例えばあの作業そろそろやりますかって書かれたら、そろそろやろうかなって気になるんですよね。
タスクリストでそう書かれてたとしても、100%起きない感情的反応が起きてるなと思って、
それが使い方次第では怖いなと思いますけど。
それをうまく活かせればいいですね。
その意味でやっぱりモデルとしてのChatGPTが、ロジックがあれなのか喋り方があれなのかどうかして、
ちょっと悪影響が多いなあというのを、最近クロード・コードを使ってて思いますね。
彼か彼女と喋っているともっと心穏やかですね。
クロードさんはもうちょっとニュートラルな感じですね。
ニュートラルだし、こういう感じですけどインテリな人と喋っている感じがする。
落ち着いてるし、すごいですねって言ったらむしろ謙虚に聞く。
あなたのほならぬおかげですみたいなことを言う。
そのように答えるように設定されてて、あんまり鬱陶しさは感じない。
最近のGPTは追加でこれありますけど気になりますみたいなことを言ってくるんですけど、そんなは全然ないですね。
この辺は文章が持つ力、僕らが口語で命令できるありがたさとともに答えが口語で返ってくることの良さと副作用みたいなことはちょっと考えたほうがいいかなとはちょっと最近思います。
逆にそうするとGPTというか、例えばOpenAIは文章の力を過小評価しているという力というか
影響力を過小評価しているということなんですかね。
ああいう風にエンファンスしようということを知っていると思いますよきっと。
ユーザーに与えたいと思っている影響の方向性がOpenAIとアンソロピックで違うということだと思いますね。
そういうことですか。
そういうとOpenAIが非常に邪悪なことをしているように聞こえるかもしれませんけど、別にそういうことではなくて、目指している方向が違うんだなという感じですね。
でもやっぱり多分なんかちょっと想定しているのと違う方向でメンタルをやっちゃう人いるんじゃないかって気がしますね。
そう思いますね。だから長いこと僕らのパソコン座って長いことあれとしか応答してないみたいな場合は余計に危ないと思いますね。
相対化されないので。1日18時間人間と喋ってて30分生成やと喋るのと、他の人と全然喋らずに1時間生成やと喋るのはやっぱり影響動のインパクトの大きさが違うので。
その辺もだから、もしこういうのを測定するとしたらその辺も加味する必要はあると思いますが。
結構長くなってしまったんですけど、これは結構大きな問題と思うんですが、全然別の大きな問題。
「仕事ができる」という言葉の解剖
最近、ライフとワークをどう位置づけるのかみたいな話題がいろいろ出てて、記事とかも上がってたんですけど、
その仕事に関して僕が責念疑問や違和感を持っていた言い方がありまして、あいつは仕事ができるという言い方を日常的にすると思うんですけど、
それはどうなんだろうということなんですね。でもしょうもないツッコミであることは100%わかってるんですけど、仕事ができるっていうのはキャンですよね。
普通に言ったらキャンなわけですけど、でもそんなこと言ったらみんな仕事ができてるわけですよね。
おそらくそこで言うできるは、うまくできる、より良くできるということだと思うんですね。
それができない人は仕事ができないみたいな言い方をされると思うんですね。
その区分も僕は非常に不満なんですけど、仕事がすごくできる人と仕事ができない人の間はどうなってるのかというのが気になるんですね。
ほぼそれじゃないですか、ほぼ間じゃないですか。
グラデーションの中のどこかに位置してるわけですよね。
それが言及されないし、例えばですけど、朝9時に出勤して、5時まで会社にいて、言われたことをそれなりにこなして、5時に退社すると。
そういう人たちは仕事がさっきの意味でできるとも言われませんし、できないとも言われないとは思うんですけど、仕事ができてますよね。
できてますね。
しかもそれは結構すごいことだと僕は思うんですよ。
多分僕それはできない。何年もはできないと思いますね、そういうことを。
そういう体制に順応する能力がないというか、我慢がきかないというか何でもいいんですけど、それができるってことはすごいことで、僕は前者の意味でそういう人たちは仕事ができると言えると思うんですよ。
でもそれができて当たり前で、それよりもっとできる人が仕事ができる人っていうその価値観が、僕にはたまらなく嫌だなということなんですけど。
仕事ができないっていう文言も基本的にあまり嫌いで、Amazonで仕事ができないっていうことに対して問題解決を図る本がいろいろあるわけですよ。
仕事ができない社員に対してどうこうみたいな話があるんですけど、いろいろ見るわけですけど、仕事ができない人の特徴みたいなのが列挙されるんですけど、
仕事ができない特徴を全部判定していった先にあるのが仕事ができる人だとしたら、そんな人間は多分いないと思うんですよね。
例えば、すごい営業マンがいたとしても、その人の中に仕事ができない成分って絶対あると思うんですよ。
それも全部無視されてるんですよね。
なんかそれも気に食わないというか、これはある種の能力主義に対する批判なのかもしれないですけど、あるいは価値を測る者たちがあまりにも貧しいということかもしれませんが、
例えば、月末の経費の生産があって、領収書の書類の出し方がおかしいから経理の人がやってきて、書き換えて提出して、無事経費の生産が終わったというときに、その経理の人は仕事ができる人って多分言われないと思うんですよ。
そのイメージじゃないんですよね、その仕事ができる人のイメージって。
でも明らかにその人は仕事ができてますし、その人のおかげで円滑に回っている日常があるわけじゃないですか。
そこが全部なくなっていて、会社にとって都合が悪い人が仕事ができるって言ってるだけじゃないかと。
それに乗っかるのは何か違うんじゃないかなっていうことを長年思ってきて、別に誰に文句を言うわけではないんですけど。
最近そういう仕事を自分のライフの中に位置づけるっていうことを考えたときに、仕事ができる人のライフのなさ具合が気になるなということなんですけど。
何かあります?この感じ。
僕も最近のライフの中に仕事を位置づける系の記事の中で、仕事ができるって言葉を使ってるんですよね。
仕事ができるってどういうことかっていうことなんですけど。
仕事ができるかどうかってまさに今倉下さんが言ったみたいに、
すごく実は難しいというかものすごく物事を単純化した。
仕事ができるっていうのは会社とか企業にとって都合のいいあり方をそう呼んでるだけだということもできるんですけど。
僕が仕事ができるってなんだろうって最近すごく思うきっかけになった出来事が逆なんですよね。
仕事ができない人。
仕事ができない、例えば同じ会社にいてあいつ仕事できねえなっていうニュアンスとはちょっと違う。
利用者としてあるサービスを利用したときに極めてダメな対応をされたということがありまして。
ダメとかダメじゃないっていうのもいろんな基準があるんですけれども。
やっぱり明らかに気持ちが入っていない仕事によって、もしかすると非常にまずい結果を起こすかもしれない。
その自覚を持たずに仕事をしていて、ただもちろんそうなる背景というのはまた逆にいろいろある可能性もあるわけですね。
体調が悪いとか、職場の環境が悪いとか。
だからそこを責める気はないんですけれども。
ただこれはちょっとまずいだろうということを複数回繰り返す人というのがいて。
例えばさっきの経理の人の例えで言うと、経理の人が普通に経理をきちんとやったから仕事ができるとは確かに言われないんですよね。
だけども、例えば経理の書類を出しましたと。
ちゃんと期限内にこちら出しましたと。
ところがその人がその書類をそこに置きっぱなしにして帰ってしまい、
結果的に処理が遅れましたということが3回連続で起こったら、
その人は仕事できねえなと僕は思っちゃうと思うんですよ。
できないもしくはやってない、やらない。
だから仕事ができない状態というのは結構明確に想定し得るわけですよね。
それも、そうなる背景というのは脇に置いておかなきゃいけないんですけれども。
そういう仕事ができない状況、僕がリアルで経験したこととか、
その経理の、ちゃんとやらない人の例えのような、そういう状態が何で起こるのかということを考えたときに、
もちろんいろんな不可抗力はいろいろあると思うんですけど、
もっと全体的に考えたときに、
自分のライフの中にきちんと、うまく行きづけられない状況にあるから、
そういうことが起こるんじゃないかなと考えたのがきっかけだったと。
そういうできなさに関しては正直言って、自分にすごく覚えがあるわけですよね。
以前も、1、2年前に書いたかもしれないですけど、
やっぱり昔20代の頃やっていた仕事で、自分はそういう有様だったという記憶がありまして。
そのときに退治した顧客、お客さんから、やっぱりちょっと苦言を呈されたこともありまして。
そのとき、そうならざるを得ない事情が自分の側にあったのも事実なんですけど、
向こうから見れば、単なる仕事のできない人におそらく見えていた。
実際にやるべき仕事がちゃんとできてなかったわけですよね。
それはどういうことなのかというと、
その仕事をするということが自分のライフの中にちゃんと組み込まれていない。
もっとわかりやすく言っちゃうと、もっと大事なことがライフにあって、そっちに気を取られていて。
仕事はもうとにかく行って、その日にやれと言われた分をとにかくやって、
片手だけつけて、とっとと帰りたいと。
とっとと帰って、もっと大事なことの方に行きたいという気持ちがあったわけですよね。
おそらく自分が経験した仕事のできなさというのも、仕事ができないと言ってしまうとそれだけなんですけど、
いろんな事情によってその人の中で仕事というのが、
今その人の中にきちんと位置づけられてないんだろうなっていう想像をしたんですよね。
ただその状況で言うと、仕事をしていないであれば僕は何も違和感はないんですよ。
実際その通りだと思いますね。求められている仕事をしていないというのは想定。
でもそれをあたかも能力のように言うのはコンテキストを無視しているわけですね。
さっき言われた追われている状況を無視して、その人の能力に原因を起因しているのは大雑把な感じがしますし。
もっと言うと仕事ができるということがもう大雑把で。
つまり例えば経費の書類を3回忘れる人は仕事ができないんじゃなくて、
物忘れするとか注意深くないとかやったらまだもうちょっと解像度が高いんですけど、
この言葉の包容力の広さというか仕事ができるないしできないの。
なんかこう何でもいいじゃないですか。極力に言うと。
それを見ている限り具体的な対策ができないんですよね基本的には。
ある意味能力を固定してあいつはできるやつだ、この人はできないやつだでもう手打ちにしましょうみたいな感じなので。
なんかそこもちょっと嫌な感じがしますね。
そうですね。だからそれが結局単に仕事の話をしているようでいって、
仕事だけじゃなくそのことを通じて優越感を感じる誰かとか、
要するにその人を下げることで自分をもしくは自分たちを上げる。
もしくはその人を全員で排除することによって一体感を感じるみたいなそういう社会学的な構造があったりもおそらくしますよね。
だからいろんなものが実は関わっている。
あまり美しくない人間の面がそこには多分、
あまりいい感じがしないその仕事ができるできないというものの言い方の背後にはおそらくあるんだろうと思うんですよね。
そうですね。もちろんそのごく単純にできる上収を見て、
あの人仕事できるっていう言い方をすること自体が誤っているとは思いませんけど、
ちょっと語彙を増やしてほしいなという感じがして、
特にそれを憧れの気持ちで思っているんやったらやっぱりちゃんとそこの仕事のできるさは何によって支えられているのかは
見通したいところですし。
だからそもそも日本語の仕事が広いですからね、基本的に。
職業のこともありますし、任務のこともありますし、なんかいろいろ含めて仕事ですからね。
そうですね。確かに仕事って広いですよね。
あのなんていうか、ワークス。
英語でワークといったときには、なんかその人がそれこそアファインされているある仕事っていう感じが、ニュアンスを感じますけど、
なんか日本語で仕事っていうとなんかもっとものすごく広い。
仕事のできるできないがね、なんかその人の価値そのものみたいに置き換えられている。
お仕事を何されてますかはジョブの感じですし、
仕事に対する翻訳、英語の翻訳のすべてを引き受けているし、
仕事ができる人っていうのは、
仕事ができる人って不思議な言い方ですね。
例えばスポーツできる人って言いませんよね。
そんな言い方は聞いたことがないんですけど。
野球が上手い人ぐらいは改造的にギリかな。
でも仕事ができる人って言い方は普通にニュアンスとしてわかりますけど、
でも具体的に何なのかわからないですね。
仕事ができる人って言った時に、
確かにニュアンス的にはわかるけど、
なんでニュアンス的にわかるんだろう。
じゃあそのニュアンスってなんだろうって思うと、
ある種のイメージが確かに頭に浮かぶんですけど、
頭に浮かぶ仕事ができる人のイメージって、
その人は一体何をやっているからできるんだろうって感じしますよね。
そうですね。例えばほにゃららしない、待ち合わせに遅れないとか、
締め切りを破らないみたいな、
その否定的なものが持っていないという状態がありますけど、
多分そこにプラスあれば何か、
ポジティブな何かを持っている人のことを言うと思うんですけど、
先回りして動ける人のことをよく言いますよね。
多分仕事ができる人っていうのは、
これが必要だからやっときましたみたいなタイプの人は仕事ができる人ですね、きっと。
あと段取りがきちんとできて、
それがひとりよがりでなく、
それが上司なり顧客なりから評価される。
あとなんとなく周りから見てかっこよく見えるという。
まあありますね。
スマートさは必要か。
スマートさは必要だな。
泥臭く仕事を知っている人はあんまり仕事ができるとは言われないか。
だから経理とか人事の人が仕事ができるとはあまり言われない。
それでもすごい損ですよね、そっち側の仕事を知る人。
そうですね。だから逆に言えば、
営業とかそういう企画とかそういう花形っぽい仕事を従る人がいるのはその裏返しでしょうね。
仕事ができる人と呼ばれないみたいな感じか。
そうですね。
俺は経理を極めるんだっていう人も中にはいるでしょうけど、
逆にそういう人はあんまりそれを表には出さない。
そうですね。
注目されやすい能力を伸ばしていくっていうのは市場戦略で言うと、
マーケティング戦略で言うと別に合理的だと思うんですけども。
でもやっぱりそれが価値評価、特に業務評価じゃなくて、
人間の評価に結構影響を与えてしまっているのでね。
それはよくわかりますしね。
そこに単に仕事の評価というだけじゃない、
あまり美しくない人間の真理というものが、
それは誰もが持っているものだと思うんですけど、僕も含めて。
そういうものと複雑に絡み合っている感じがして、
僕すごく仕事ができるできないっていうニュアンスは嫌いなんですけど、
「仕事ができる」の真意と組織
例えば会社に勤めているときに、
仕事できるよねっていろんな人にもし言われたら、
言われたことないんですけど、
言われたらきっと内心嬉しいと思うんですよね。
それは何かちょっと、
業務、仕事を評価されたのだけではない何かの嬉しさを感じるような気がするんですよね。
なるほど。
だから自分にもちゃんとそういう面があるんだっていう。
その裏返しで人に対して、
人に対する評価もそういう要素が出てきちゃうっていう面はあるでしょうね、きっと。
レッテルワークとして、仕事があいつってことができないって言った瞬間に、
その人ができる他のことが全て置き去りにされている感じがあって、
そういう人間に対する解像度の差は僕は全般的に嫌いなんですよね。
だからその組織の中にいるとき、
その中での評価っていうのはあくまでも、
そこでやるべきことができてるかできてないかとか、
それだけのことのはずなんですけど、
だけど逆に会社でしか顔を合わせないというか、
会社の中の人間関係の中ではそれしか存在しないと思いますよね。
そうなったときに、そこでは必要とされない様々な能力とか特性とかそういうものは一切無視されるという。
やっぱりそこを無視されていることは評価されている本人も感じるわけですよね。
そうなると、本来組織の中でやるべきことにさらに身が入らなくなっていくみたいなこともあるでしょうし。
そうでしょうね。
難しい。
難しいですよね。
でも組織というか会社というか職場というか、
あの中にいるとやっぱりちょっと人が変わっちゃうっていう面はありますよね。
そりゃあると思うんですよ。
結局染み込んでくる分体と同じ話で、周りの人の価値観というのは必然的に先がたく入ってくるでしょうからね。
そうなんですよね。
だからこそあそこにいる自分は本当の自分じゃないみたいな感覚も出てくるでしょうし。
例えばどっちが健全かって考えるときに、どっちもあんまり健全ではないですけど、職場にいるのは本当の自分じゃないっていうのと、
働いている自分こそが本当の自分を比べた場合に、校舎の方が危ないなという気がするんですけど。
でもまあ校舎の方が仕事ができるとみなされるでしょうね。
なんでしょうねきっと。
だからそういう意味では仕事ができるとみなされたからいいということは全然ないわけですよね。
だから特に仕事ができる人と言われたいみたいなのは非常に漠然としてますし、
その人がその仕事を好きで、その仕事特定の業務をもっとうまくやりたいっていう欲望とはちょっとずれてる気がするんですよね。
仕事ができるというよりも仕事ができる人って思われたい。
確かに確かにそうだ。
そうですね。
でも思っていてもやっぱり自分の中にもそういう欲望というか欲求はあるんですよねきっと。
プレゼンはかっこよくやりたいみたいな、なんかあるんですよね。
別にかっこよくやる必要ないんですよねプレゼンでね。
ちゃんと伝えるべきことをきちんと伝えられればいいはずなんですけど。
例えば営業成績の月末にもしくは期末に営業成績が発表されますと。
そういう職場だったとしたときに名前ごとにグラフが。
今はそういうことあるのか知らないですけど昔よくグラフが張り出されて。
1位だとか3位だとかっていう話があったときにやっぱり再開で表示されたくはない。
そうですね。おそらくはそういうと思います。
それは自分の仕事をもう少し頑張らなきゃいけないなという感覚以外に、再開に位置している自分と周りに思われる。
それが嫌だっていう感覚ですよね。
だから全く逆に言えばそれは仕事のありようとして全く健全でない状態をわざわざ作っている。
仕事の結果をもう少し出せるように頑張りましょうというのは全然いいんですけど、
おそらくそのモチベーションとするために張り出されている。
例えば医療成績のグラフって仕事とは関係ないいろんな不純なものを各人に感じさせる。
そういう装置ですよね。
そういう装置。
僕がコンビニの店長してたのは10年くらい前ですけど、
コンビニって予約商材があるんですね。クリスマスケーキとかエゴお寿司とかって。
あれはスタッフに予約をお願いしてもらう。
自分の身内の人たちに予約してくれませんかというお願いをしてもらうということがあるわけですね。
なるほど。
ノルマみたいなものを設定する店もあり、本部から先ほど言われたグラフみたいなのが配られるわけですよ。
大嫌いでしたね。僕は全然無視してましたけど、そんなものは。
しかもアルバイトに予約頼っているのに、それは業務の内訳みたいに扱うわけですよ。
明らかに時間外労働をさせているわけですよね。
たくさん予約取ってきたら金券あげますよみたいな方策はあるんですけど、
それは何か違うんじゃないかなってずっと思ってましたね。
違いますね。
張り出してやる気を出す子って確かにいるんですね。
大学生とか若い子で数字が伸びていく楽しさを覚える人もいるわけですよ。
それはいいと思うんですけど、先ほど言ったそれ以外の人に与える影響の方が明らかに多いんですよ。
例えば大学生で一人でアパートに住んでると実家から出てきて、予約を頼む相手もいないわけじゃないですか。
どう考えたってそのグラフで下の方になることが位置付けられてるわけですよね。
それで仕事が面白いと思えるかということなんですよ。
本当そうですよね。
頑張った人にプラスを与えればいいけど、競争感を出すような施策は本当に嫌いでしたね。
全くその通りですよね。
ある時期までの日本ではそういうのはほとんど当たり前というか、やってなかったらなんでやってないの?ぐらいの感じだったと思うんですけど。
現代の若い人は仕事ができるできないのをあんまり気にしてないじゃないか、気にしてないでほしいなと思うんですけど。
昔よりもそんなことはどうでもよくて、自分に大事なのは自分の時間であり、趣味でありっていう価値観はずいぶん広がっているとは思いますし、
それは良いことでもあるし、逆にちょっと仕事をするときは仕事にフォーカスした方がいいんじゃないかって感じさせられてしまう人もいるんですけど。
それはわかります。仕事はあくまでライフの一部でしかないって割り切って、ある種のサバサバと働くっていうのが一番健全ですけど、
位置づけられてないまま働いてる人もおらず。
そうなんですよね。
働いてる時間もあなたの人生の一部ですよってことは動かんわけで。
そうですね。
どうせやるんやったら仕事に貢献、仕事をするという意味での貢献をしましょうということは思いますけども。
でもそれが呪いとなって、さっき言ったあれを思うぐらいであればその方がいいと思いますけど。
そこが難しくて、僕が経験した仕事に身が入っていない人というのも、なんでそうなのかがわからないわけですね、こっちには。
だからその人の個人の、しかもその人の個人でなんとかなる問題なら、もうちょっと仕事なんだし、もうちょっと頑張ろうよって感じなくもないですけど、
実はとんでもなく環境の悪い職場なのかもしれないし、もしかしたらそれこそ家族の介護を抱えながら働いていて、
実は全然頭がもう仕事に集中できないんだっていう状況なのかもしれないし、
そうするとそれはその人のせいではなく、どっちかというと組織のほうでマネジメントをちゃんとやってないということのほうが強くなるんで、
そういう意味では、そこがわからない以上何も言えないっていうこともあるんですけどね。難しいですよね。
僕は一応人を雇っていた経験がある以上、現場の問題を見ても基本全部マネジメント制度を思うようにしてるというか、思ってしまう。
その人を雇ってそこに配置してるのは上なわけじゃないですか。
結局そのミスマッチ、配置と人材のミスマッチがあるというふうに思おうとしているよりはもうそうだろうなという。
コンビニって最低賃金で人を雇うんで、こう言うとあれですけど人を選べないんですね。
そうすると入ってくれるからいいっていうことがあるわけですよ。レジその時間に行ってくれるからもうそれでいいっていうことがあって。
そういうことを経験してると、例えばコンビニでなんかなーっていう説教を受け取っても、まあしゃーないよなっていうふうには思うようになりましたね。
結局そういう事情を理解すると、ほとんどのそういう問題に対して何も言えなくなるというか。
そうそうそう。だいたい何も言えなくなる。つまり当人に何かを言うということはまあないですね。
そうですよね。
ちょっと後日談なんですけどね。ちょっとそれはダメだろうという仕事をぶりをされたわけですよね。
しかもちょっと2回連続であったんですね。
で、やっぱり反面したときに電話で、クレームということじゃない、ちょっとこれは間違えちゃいけないことなんですよ。
具体的に何とは言いませんけど、ちょっとそれ間違えると人の安全に関わるような問題なので、間違えちゃいけない。
ちょっとこれはまずいんじゃないですかという話をして、その後そこに出向いたわけですよね、ベトナム行事で。
そしたらその担当の人の上司の人が出てきて。
まあちょっとそういうやりとりがあったんで上司の人が出てきたんだと思うんですけど。
開港一番、あの謝罪はさっきしましたよねって言われたの。電話で。
それを聞いたときに、あ、これまずいのは職場だなって感じはすごくしました。
それはそうですね。
あの担当の人が悪いというよりもこれは職場はダメなんだなっていう気はすごくしました。
すごいなあそれ。
その人がどういう人生経験をしたら開港一番そのセリフが脳から生成されるのかが気になりますね。
まあおそらくそのクレーム対応のマニュアルがあって、おそらくクレーマーだと認識されたんじゃないか。
なので謝罪状のことはしないぞという構えて待っているんじゃないかなと思いますけど。
まあまあそれね、わかりますよね。
その人が今まで経験したクレームの重さを逆に考えてしまいますけど。
逆にその人に限らず、職場というかその仕事、職種は逆にこっちには想像がつかないくらい日々そういうのを受けているのかもしれない。
可能性は全然ありますね。
というかその方が可能性がありそうですね。
そうですよね。だからそれを思うとそうなっちゃうのかと思いつつ、
とはいえやっぱりちょっと見逃してはいけない間違いというのもありますね。
それはあります。
言わないわけにはいかないんですけど、あんまりいい職場じゃないんだろうなというのはありありと感じたんで、
その人に対してっていうのはやっぱり思わなくなりましたけどね。
まあ大抵そうですよね。本当に困った人がいるみたいなこともゼロではないですけど、
大抵マネージャーが、そもそもマネージャーが仕事をする気がないっていう中で働いている人が仕事をする気を育むって、
まあ難しいんですよね。
そうでしょうね。
だからやっぱりその現場そのものはやっぱりその上から落ちてきたものが集積する場で、
だから上司が酷いので現場側回っているところって本当にすごいなと思うんですけど、
それは相当の頑張りがそこにあると思うんですけど、
まあ大抵はそれが当たり前ではなくて、今までの日本が高レベル過ぎたのでサービス的に言うと。
そうですね。
そうじゃなくなってきている、そっけない接客になってきていることが普通になるのは全然いいことだなという感じは、
いいことというか普通になってきているという感じがしますが。
そうですね。
まあ本当にそのクレーマーもひどいんですよ。
だから店が身構えのも非常によくわかります。
そうなんでしょうね。そうなんだろうなと思いましたね。
そう考えるとね。
まあ難しいですね。
怒り方も下手なんですよ。日本人って結局ね。
意見の言い方も下手で。
突然ブチギレたりしますからね。電話喋ったりとかで。
どこにあれがあったのかわからないみたいな感じのポイントで怒り方あることもあって。
人と人が直接接するコンシューマー向けの仕事のカスタマーサービスの人は多分かなり大変だろうなと思います。
大変なんでしょうね。
「仕事ができる」の多様性とプロフェッショナリズム
それを踏まえてもやっぱり仕事が特にできる人をできるという言い方よりは、
もうちょっと何ができているのかっていうところを考えるようにしたいなという感じをずっと言いたかったという話なんですけど今回は。
何かいい言葉あります?
仕事がというよりは特定の能力を指した方がいい。
段取りが上手いねとかの方が全然ここはフラットな感じがしますし、
大そろく大抵の場合は段取りが上手いこと仕事ができるって言ってるような気がしますけど。
そうでしょうね。
そういう意味で段取りが仕事、段取りイコール仕事になってしまって他の仕事が消え去ってしまうので。
そうなんですよね。たまに段取りだけ上手い人がいますよね。
いますね。
それはある種の卓越やなと思うんですけど、そのフォローを他の人に任せているだけっていうことが結構あるんですよね。
そうなんですよね。
これは個人的なイメージですけど、一般的に仕事ができると見なされることが多い。
段取りが上手い人、プレゼンが上手い人、営業で仕事を取ってこれる人なんですけど、
例えばプレゼンがすごく上手くて、それで人を感心させて、
その結果としてすごくデカい仕事を取ってきて、
じゃあよろしくって言っていなくなっちゃう営業の人。
っていうかそれが営業なのかもしれないですけど、
その人がすごくかっこよく喋ったようには仕事は進まないわけですよね。
そうですね。
だから、それって思想的に見て仕事ができるのかっていう疑問はすごく感じることがありますよね。
数字が作れるという能力ですね。
それは売り上げという数字が作れる能力であって、
それを仕事ができると呼ぶのはやっぱり総合力に欠けますよね。
そうなんですよね。
でもやっぱり分業になっているとそういうことってありますよね。
でもやっぱり仕事全体として無理なく回っていくっていうことが真の仕事と言う言い方をした方が健全な気がしますけど。
そうですね。
だから中にはめちゃくちゃできるはずのないことを約束して、
あとはそれを実現するのが現場だろうみたいなメンタルキーの人も世の中にはいますので。
それを頑張って言った通りにした努力をする人たちは仕事ができると呼ばれないわけですよね。
それはオフィス人ですよね。いくらなんでも。
だからそういう今日話したようなことを総合すると、
つまり何が言えるかというと仕事ができるとかできないとかあまり気にしなくていいということが。
そうですよね。
気にしない方がより自由に働けていると言うとあれですけど、
そこに縛られているとあんまり良くない方向で動いてしまうし、
仕事ができない残念な人みたいなビジネスショーは全部燃えたらいいと思うんですけど。
そうじゃないんじゃないかな。
組織は基本的にそういうのを助け合って組織なわけですから。
だからそこの人が得意なことを頑張ってもらって、
そうじゃないところをマネジメントがケアするということであって、
マネジメント層が仕事ができない残念な人っていうこと自体がもう僕は職務法規だと思うんで。
そうですね。
違ったその考え方、仕事に対しての考え方っていうのが生まれたらいいなとは思います。
そうですね。
現場でそういう仕事できるできないみたいなのがすごく居心地を決定してしまうということはあると思うんですけど、
ただやっぱりそれはそこが人間の自己認識としての自分の価値にまで入ってくるべきものではないし、
入れなくても全然いいんだということは大事だと思いますね。
現場にいると難しいというのもよくわかりますけど。
もちろんね、簡単ではないですけども、
その仕事ができると呼ばれる人がちょっと突出してしまい、周りとの空気が悪くなっている中、
それを頑張ってケアするけど営業成績が良くない人っていうのがいたとして、
誰のおかげでその職場が成立しているのかというような、そういう観点は忘れてはいけないと思いますね。
だから僕があえて仕事ができるって言葉をここで使っちゃいますけど、
僕が本当にこの人仕事できるなと思う人ってやっぱりそういうことは言わない。
言わないというか、やっぱり人と人との関係を滑らかにというか、良くする能力があるんですよね。
それとその業務の数字とか段取りとかそういうものが合わさったもの。
なおかつ人格も相応に担当しているというのが本当の意味で仕事ができるという。
そうやと思います。だから仕事ができる人は一気に仕事ができるには見えないと思うんですよね。
一気にね、確かに。
パッと見ると何か大した仕事をしていないように見えて、
でもその人がいなくなったら我解してしまうようなことをしている人を仕事ができると言うならば、
確かにその仕事ができるかもしれませんけど。
そうですね。僕が思う仕事が、前もこの話を先にするんですけど、
すごく古くからいるおじさんがいたんですね。
全然デジタルに対応できない人なんですよ。
結構膨大な顧客のリストみたいなものがあって、
それは当然コンピューターで処理されるんですけど、
エクセルを使わないと話にならないような、
その人はエクセルからプリンターを落とした分厚い電話帳みたいな紙の束で仕事をする。
蛍光ペンで線引っ張ったりとかして仕事をするような人だったんだけど、
あるとき、どうしても外からデータを確認する必要があって、
会社に電話したんですね、外から。
ちょっとデータ見てほしいんだけど、誰かできる人いるかなって言ったら、
そのおじさんしかいなかったんですよね。
あの人じゃ無理だろうなと思いながら、
すいませんなんとかさん、
ここのデータのなんとかのところのデータを見たいんですけど、
ちょっと探せますかねって言ったら、
分厚い束のあれはね、
78ページの上から6行目みたいな感じで、
一瞬にしてそこを開いて、そのデータを教えてくれたんですよね。
その人は仕事ができる人だなと思いましたね。
そうですね。
職人的な意味でなんですけど、
つまり、精通している。
少なくともその狭い範囲に関して精通している。
おそらくそれが自分の仕事だと認識して、
だから自分の中の階層に組み込まれてるわけですよね。
そうですよね。
それでは済まない仕事もたくさんあるにせよ、
少なくともその人の認識しているその範囲では、
そこまで精通しているという状態。
そんな人は多分他にいなかった。
そうですよね。
自分の中で仕事ができるってそういうイメージなんですよ。
間違ってるかもしれませんけど。
プロフェッショナルという感じがしますね、僕の互感で言うと。
そうですね。
そのプロフェッショナル性がなくても、
みんな働いている、仕事をしているという感じで、
それも別に、ある種、9時、5時で出勤するのも
ある種のプロフェッショナリズムだと思いますけど。
逆にそうか、それがなければというのも間違いますよね。
一般の会社、この人口一億人の働くに
それは適応できないわけですから、
みんな普通に仕事をできてるよと、
特別できなくても、そうやって働いて、
月給もらって帰ってくること自体がプロなので、
それでいいんじゃないかという、
別にナーナーにしたいわけじゃなくて、
みんなすごいことしてるよと言いたいですね。
組織における支援と責任
そうですね。
その仕事として抜けてはいけない部分というのは、
当然きちんと抑えなければいけないわけですけど。
そうは言っても、誰しもポコポコ抜けてて、
それをケアしてもらったりとか、
時間に注意したりしながら、
仕事をやりくりしているわけですからね。
だから、その人が抜けたら、
誰かがケアできる体制になってればいいわけですね。
そうですね。
もしくはそれこそ電車の運転手さんみたいに、
人が抜けてはいけないところが、
もし抜けるような状況なら、
運転させないということが、
その職場としてできてればいいというところですよね。
できてもいいって言っていいのかわからないですけど。
だからやっぱり、
特に仕事ができないみたいな言い方は、
私、つまり同僚とか上司は、
そのことに責任を持ちませんよという、
関与しませんよという、
あなたの問題ですって言っているように聞こえるので。
それが個人主義だと言われれば、
そうなのかもしれません。
個人主義、成果主義って言うのが、
それだったとしたら、
多分その職場は長くないだろうなと思いますけども。
言葉遣い。
言葉遣いの裏にある価値観というところで、
解像度の荒さとか、
仕事以外のものが見えてない。
仕事というか目に見える成果以外のことが、
見えてないのではないかというような、
問題意識というか問題提起だったんですけども。
特に、
僕はあまり会社勤めの期間はそんなに長くないので、
会社というか組織勤めが長くないので、
全然現実を無視して、
楽なことを言っているだけかもしれないですけど。
でもね、これは結構大きなもの。
働く人のモチベートとか、
あるいはその意欲とか達成感とかっていうことに
関わってくる問題だと思うんで、
マネージャーの人はちょっとこれ意識してほしいなとは思いますけども。
そうですね。
そう考えるとマネージャーというのは大変ですね。
それこそ専門職だと思いますけどね。
人を扱うという専門職だと思いますけど。
やっぱりでも急成長する会社は、
もうマネージャー不足になるっていう当たり前の事実で、
個々のテンポが全く回らなくなってくると。
金属年数があればられるものではなくて、
成長できる規模と必要なマネージャーがバランスしてないといけないんですけど、
そこを考えなしに成長すると、
痛い目に合うのは現場の人なんですけど。
そこが問題ですよね。
そうですね。
そこが問題なんですね。
上は何も関係ないですけど、
マネージャーする能力をスキルが欠けてる人の下で働くことほど、
多分苦痛なことはないと思うので。
しかもそういった人で一番安い給料をもらってるわけですからね。
それは悲惨なことだと思いますけども。
そんなとこかな。
ということで、仕事ができるできないについてご意見があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアルベットキャストまでいただければと思います。
ちなみに最近ツイッターの検索が変なんで、
打ち合わせキャストで検索してもまず見つからないんで。
そうなんですか。
コメントを寄せていただく場合は、頭にシャープをぜひつけてください。
検索できる日本語もあるんですけど、
全く何を検索してるのかわからない検索結果が返ってくるのもあり、
打ち合わせキャストはその一つなんですね。
なので、打ち合わせキャストの感想をポロッとつぶやいたツイートは、
今まではっきりできてたんですけど、
今のXでは無理だと思うので、シャープをつけていただければと思います。
というわけで、何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
はい、大丈夫です。
今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。