で、十字軍を見てその後は、
硝煙制について見ていきますね。
これもルネサンスに関わってくるところで、
前々のエピソードとかで、
言葉だけを出して、軽く、
言葉だけを出して、
といった感じで今回は進めていきます。
まずは十字軍の話からですね。
十字軍、名前だけは聞いたことあるんじゃないかなと思います。
で、ラジオは、
ラジオは、
ラジオは、
ラジオは、
ラジオは、
ラジオは、
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ラジオは、
ラジオは、
扱う上で注目したいのはこれがいかにルネサンスに関わってくるかっていうところですよね
人々がキリスト教に対してどう思っていたかだったり あとはキリスト教がどれだけ民衆に一般市民に影響を与えていたのか
そこの影響力というか干渉自体 その関係とか関連とかについてフォーカスをしたいんですね
特別演に基本的なことを話したんですけど特別演を聞いていない方にも分かりやすいように また今回ざっくりとした説明をしてから
内容に入っていきたいと思います十字軍という言葉は皆さんもうご存知ですよね なんとなく聞いたことがあるんじゃないかなと思います
一般的に言われる十字軍のイメージってヨーロッパのキリスト教勢力 十字架を背負った軍団
バーサスアラビアとかアフリカあたりのイスラーム勢力 このキリスト教バーサスイスラームの戦いであるという風な話で話がされる時が多いんじゃないかなと思います
大枠としてはこの説明はほとんど間違ってないんですけど 実際はねもうちょっと細かく見てみると
厳密には違うところもあるかなみたいな話はあるにはあるんですが今回はそこは あんまり重要じゃないのでそのキリスト教バーサスイスラームの
聖戦? ジハード? みたいに思ってもらって全然問題ないです 特別編の聞いた方にも新しい見方で十字軍を見れるように今回はあの時とはまた別の切り口十字軍を見ていきたいと思います
そもそもねこの十字軍が始まるのって11世紀なんですよ 西暦1000年代ですね
この当時のヨーロッパってすごい人口が急増していたんですね 実はこの時の中世ヨーロッパってそもそも地球が温暖化していたんですよ
あとそれと農業生産の技術が高まっていたんですね 具体的に言うとユーリンスキーとかの農具の開発がすごい進んでたんですよ
でこの温暖化と技術のレベルアップ この2つのファクターのせいでこの農産物農作物っていうのがすごい取れるようになってきたんです
要は食べ物が増えたんですよね 食べ物が増えるとまず死ぬ人が減るしつまり人口がどんどんどんどん増えていくわけですよね
人口が増えていくと住む土地がなくなってくるんですよ そうなると今まで住んでいなかった側いわゆる外の世界へどんどんどんどん人が溢れ出ていくんですね
でこういう膨張運動としてのすごく有名なイベントっていうのが十字軍なんです だから十字軍はキリスト教対イスラームのいわゆる宗教的な戦いっていう捉え方もあるんですが
この人口が増えすぎていて外に行くしか新しい土地に移り住むしかなかったみたいないわゆる膨張する拡大する運動としてのビッグキャンペーンみたいなものが十字軍なんですよね
でいろんな職業の人が移動しました 騎士いわゆるナイトですねとか生殖者農民
私工業者 私工業者っていうのはいわゆる技術者 技術 技術者
技術者のことですね いろんな業種の人が外に出ていって引っ越しをしていったっていうことです だいたいどこらへんに行ったかっていうとエルベー川伊東
想像つく方は少ないかもしれないですけどエルベー川伊東 ポーランド側っていうのかな東側に行ったんですね
いわゆる元のプロイセン側 バルト三角とかあっち側ですね
の方に移動していったりあとはもちろんイベリア半島に行ったり パレス地のあたり東中海沿岸の部分に移動していったんです
いろんな傍聴運動あったんですよこのエルベー川伊東に行ったりイベリアに行ったり 東中海沿岸に行ったパレス地だとかね行ったりといろんな傍聴運動が起こっていた
引っ越しが起こっていたんですけどこの中でもね東中海沿岸の方に 移っていった傍聴運動が十字軍なんです
だから十字軍はイエルサレムを奪還せよって言って 体裁としてはイスラム勢力に奪われたイエルサレムを奪うみたいな感じなんですけど
普通に土地が足りなくなったので外の世界に新しい住むところを見つけに行こうって言って ただ単にシリアパレス地のあたり
いわゆる東中海沿岸に移っていったという背景もあります でこの他のエルベー川伊東とかイベリア半島とは違って
このイエルサレムに行く傍聴運動だけはローマ教皇が積極的に関わっている部分なんですね なのでここに宗教的な要因みたいなものがまとわりついて
十字軍っていうキリスト教の戦争みたいな感じに現代では認識されるということです 十字軍の発生の要因について
その原因についてちょっと整理したいと思います 簡単に3つ言えますね
一つはですね一般人一般民衆のこの宗教的な意欲 具体的に言うと巡礼意欲って言うんですかね
聖地に行きたいみたいなそういう意欲がすごく高まってた時期だったんですよ もちろんキリスト教がねすごい広く一般に渡ったし
信仰もどんどん厚くなっていた時代だったんで一般民衆の一人さえ聖地に行きたいっていうような 宗教的な意欲の高まりがあったんです
であとこれ教皇側の目的2つ目ですね教皇側はですね 東西教会を統一したいっていう目論みがありましたというか目的があったんですね
これに関しては後でちょっと詳しく説明します 今はちょっと一旦置いておきますね
で3つ目はですね騎士ナイトの人たちが領土を獲得したいっていう 目的がありました
で騎士とかナイト特にですね中でも次男とか三男に生まれた騎士たちに関してが外の方に領土を獲得しに膨張していった
溢れ出ていった移り住んでいったっていう形です でまぁここから僕の想像になるんですけど
次男三男だけがその外に出ていくっていうことは多分この時代には長子相続社会に変わったんじゃないかなって思うんですよね
フラン公国の時代は分割相続だったんですよね だからフラン公国は西フランク東フランク中部フランクの3つに分かれちゃったじゃないですか
けどこの時期になると次男三男が領土獲得っていう風になっているのでおそらく長男に関しては親の遺産というか領土を引き継ぎできてる相続できてるんで
まあ長子相続社会に変わったんじゃないかなと思います あんまり詳しいことはわかんないんですけど
まあおそらくそんなことが起こったんじゃないかなと思います まああんまどうでもいいです本当に大筋には関係ないですけど
はいでは3つの主な要因 原因といった感じです
直接のきっかけについてもお話しますね ビザンツ帝国覚えてますかね
前回説明したいわゆる東ローマ帝国のことですね が東一中海あたりギリシャあたりを中心に生き残ってましたね
首都はコンスタンティノープルです今のイスタンブルですね あの周辺ら辺でか細くいろいろやっていたわけですよ
なんとかなんとか耐え抜いてたみたいな感じ そんなビザンツ帝国だったんですけどこの時ピンチが訪れるんですね
それはイスラーム勢力のセルジウク町っていうこれイスラム国家ですね にめちゃめちゃ侵攻を受けるんですよ侵略されるってことです
でこれやばいって思ったビザンツ皇帝側が西ヨーロッパ世界に救援を要請するんです 助けてくれって
でビザンツ皇帝が西ヨーロッパに救援を要請するってことはこれつまり西ヨーロッパ っていうのはイコールローマ教皇のことですね
西ヨーロッパ世界を統制しているのはローマ教皇ですからというか一番権威があるの ローマ教皇なので
ということでローマ教皇側に救援を依頼します でその結果1095年に教皇ウルバヌス2世によって十字軍が提唱されます
つまり11世紀末ですね でこのウルバヌス2世が提唱したということなんですが
ウルバヌス2世はですねもちろん会議室で偉い人たちだけ集めて こういう十字軍っていうのを行おうっていう話をしたのはもちろんなんですけど
普通に野外でて演説みたいにもしてるんですよね外の一般民衆に向けて これ実際に行ったと言われていることなんですけど教皇側ですね
聖地をサラセン人の手から奪還せよと サラセン人というのはいわゆるイスラームの人たちのことです
でそれに対して一般民衆が神の御心のままに叫んだ そういう話が残ってるらしいですね
まあこういうこともあっていわゆる武器とか軍隊を持っている諸皇とか国王とか 騎士とかそういう人たちに向けたお話っていうだけではなくてですね一般民衆に対して
投げかけるようなことをしていたので実は十字軍が起こったのって 第1回十字軍が1996年に起こるんですけどそれよりも先にですね民衆十字軍っていうのが起こったんですね
民衆十字軍というのは例えばどっかの国王が提唱して行った十字軍みたいな正式なものではなくて
非正規の十字軍なんですよ どういうことかというと普通の一般民衆がここ集合ねって言ってフランスのとある町に集まったんですね
ここ集合なって言って集まって普通の一般人だけ もう無造無造の一般民衆がフランスの普通の町に集結してそこから
世紀の十字軍です いわゆるこれは諸行とかが主催して行われたやつですね
1096年実施ですね 1099年にイエルサレムを完全に落とします
このイエルサレムっていうのは聖地ですね キリスト教に対してもイスラームに対しても聖地であるところ
ここがイスラーム側に占領されていたんですけど この第一回十字軍によってキリスト教徒の手に取り戻すことができたということですね
このイエルサレムをイスラーム勢力から完全に奪い取ってここにイエルサレム王国っていうのを建設します
これはもう文字通りですね聖地を奪還したので十字軍の成功と言えるような結果に終わりました
単純にちゃんとね民衆十字軍のようなふざけた編成ではないですよ ちゃんとした軍隊を用いて行ったので勝てたっていうのもあるしあとは
イスラーム内で結構分裂していたっていうのも大きかったですね そのイスラーム側って僕は今こうイスラム勢力イスラム勢力って言ってますけど
こうなんか連合軍みたいなのがイスラーム側にあるっていうわけじゃなくて イスラーム世界もイスラーム世界でこう軍友閣権の戦国時代になってるんですね
なのでちょっと内部分裂をしていたり内紛していたりっていう風なのがあったのでそういう要因も 相まってここでは第一回十字軍の勝利という結果に終わりました
でそこから第2回第3回と続くんですが あんまり成功しないというかやっぱりイスラム勢力側も着々とね
力をつけてなかなか十字軍が勝てるようにはならなかったんですね でその次に行われたのが第4回十字軍ですこれは1202年の自治です
この第4回十字軍に関しては エルサレムに行くんじゃなくてコンスタンティノープルに侵攻しますでコンスタンティノープルを占領します
何がおかしいかわかりますかこれ えっとコンスタンティノープルっていうのはビザンス帝国の首都ですよ
ビザンス帝国っていうのはお願い助けて西ヨーロッパの皆さん方って言ってた 助けてほしい側
sos出している側の国の首都を占領してそこを略奪して結果的にそこにラテン帝国っていう 西ヨーロッパ人の国を作るんですね
で略奪の限りを尽くすと何やってんですかねこれは あの詳しく説明すると
えっとコンスタンティノープル自体が何というか衰退しゆく帝国の首都とはいえですね まあすごく栄えた
まあなんていうか公益都市の側面もあったので街にですね金銀財宝が眠りまくっていたん ですよ
本当にお金の動く街といった感じです だからこそ
十字軍の人たち特にこれは十字軍に参加した商人たちが いやエルサレムを攻めるより
コンスタンティノープル攻めた方が俺ら儲かるくないって思って コンスタンティノープルを攻めるんですよ
でまあいろいろね財宝を手に入れてやったねみたいな感じで終わるんです この第4回十字軍って
ここから何がわかるかというとこれぐらいから十字軍の目的が反れてきてるんですよ 少しおかしいベクトルに向かっているというのが何となくわかりますよね
でこの第4回十字軍に関して言うと こういうねベクトルのズレを生ませたのは
商人たちだったという話です そして次第5回十字軍が起こって
まあご想像通りね大したことないですよ第5回も でこの後第6回第7回と続いていきますでこの6回7回に関しては特別園の方で説明した
いわゆるフランス王ルイ9世率十字軍ですね で第6回に関しては詳しい話を聞きたい場合は
ぜひ特別編の方を聞いてみてください 特別園の時は第7回って言ってるんですけど
まああの 本とかあとはネットのサイトによってこれを第6回といった第7回といったり
まあいろいろズレはあるんですけど まあ大体同じ時のことを言ってますといった感じです
でこんなですねあの最初は良かったんだけど後々ちょっとチャラチャラしてきたなっていう十字軍 この十字軍運動っていうのはだいたい13世紀末には落ち着きを見せるというか
活発さを失っていくという形になります まあいわゆるこの東中海側に行く十字軍っていうのは終わっていきますね
けどその広い意味での十字軍いわゆるキリスト教勢力がまあ敵対勢力のところ もしくはなんというか野蛮人がいるところに攻めていくっていう意味での十字軍に関して
広い意味の十字軍に関しては今後も続いていくことになります 例えばさっきエルベガワ伊東に行ったって言ったんですけど
あれはドイツ騎士団という宗教騎士団が 東方に
新しい土地を自分たちの住むところを見つけるっていう風に行って行った 傍聴運動があったんですね
でこの傍聴運動がいわゆる今のドイツ連邦の起源になっています 大本をたどるとこのドイツ騎士団による東方植民が原因ですね
だとイベリア半島にも傍聴運動あったよというふうに言ったんですがこれは レコンキスターと言われる運動です
これはイベリア半島を巡るキリスト教バーサスイスラムの戦いですね でここはいわゆる現在のスペインとかポルトガルの起源になっています
このレコンキスターと言われる十字軍によってイベリア半島っていうのをイスラーム勢力から ダッシュすることに成功したので現在スペインとかポルトガルっていうキリスト教国が
イベリア半島イスパニアに栄えているという現在につながっています なんでレコンキスターかっていうと
おそらくこれは高校世界史ぐらいで習う内容だと思うんですけどリーコンクエスト リーコンクエストリーコンクエストリーコンキスターレコンキスターレコンキスターレコンキスター
っていうふうな感じですね といった感じ十字軍運動というかまあいわゆる傍聴運動は続いていったよという話ですね
それではこれからは十字軍以降の世界について見ていきたいと思います
でまぁなんというか省円勢の話もここにするしその十字軍の意義についてもまとめるし あとその後の世界についてもお話しするよという感じですね
でも十字軍の前にちょっと省円勢の話をさせてください 省円勢も前に説明を軽いのはしました
なので今回はちょっと軽くだけ本当に軽くだけ説明します もう難しい説明は一切しません
簡単に言うとですね省円勢っていうのはいわゆるこの中世ヨーロッパでメインに行われた 社会の形社会体制のことを指していて
いわゆる一般民衆っていうのは権力者の運営する省円と呼ばれる場所 閉塞的な空間に住んでいたんですね
まあ閉塞的な集落って言った方がいいですね この閉ざされた世界に住んでいた民衆
こういう権力者が土地を持ってその土地の空間の中に閉塞的な集落が存在して その集落の中に外の世界とは出入りできないような民衆たちが住んでいると
そこには領主の屋敷と民衆の家屋と教会と畑があるだけの空間なんですね これが省円なんですよ
一般民衆に関しては毎日農作業して教会に通うっていうそれだけの生活を行ってました 大体の一般民衆はこんな感じに生活していきました
これはちょっと難しい話をするんですけどこれは古典的省円と言われるもので 省円の形もこれからあとは出入りできるような省円の形になったりみたいな話もあるんですが
今回はこれぐらいでいいです いわゆる閉ざされた世界に住んでいたということですね 十字軍あたりからはちょっと出入りできるようになったよといった
そんな感じで全然大丈夫です というのが省円制についての説明でした
省円制が浸透した中の世界 つまり閉ざされた空間の中にいて外の世界の情報を知るとしたら教会の話を聞くぐらいかなみたいな
民衆がこの後十字軍が起こって十字軍の説明はさっきしましたね あんなことが起こって結局十字軍っていうのはどんな意義があったのかっていうのをちょっとこれから説明します
まず第一にでかいのは人々が外の世界を知ったということです 今説明したようにそれまでは省円制の世界だったんですよ
だから世界についての説明を各省円内の教会が行っていたんですよね けど十字軍によってこの省円の外に出ることによって
初めて自分で世界を知るようになったんです だから教会の説明なしで世界を認知するようになったんです一般民衆が
でまぁちょっと例えばの説明をするんですけど イタリアの商人たちっていうのはムスリム商人と交易を開始しました
こういう潮流と関連して次起こっていくのが12世紀ルネサンスです
12世紀ルネサンスは 最初の方で説明した
いわゆるカロリングレネサンスみたいな感じと同じ感じ説明したいわゆるメインの 14世紀のレネサンスより前に行われた小さいルネサンスの一つです
この12世紀ルネサンスに関しては この2世紀後200年後に14世紀のイタリアのルネサンスが起こっていくので
その先駆けとなるような運動です 先駆けというよりかはむしろこの12世紀ルネサンスがなければ
14世紀にルネサンスは起こらなかったんじゃないかとも言われています この12世紀っていう時期はイスラム文化圏との接触によって
中世西ヨーロッパ世界に大きな転化をもたらした時期なんですよね ざっくり言うとスコラ哲学とか
ゴシク様式とか あと大学の登場を岸堂物語 銀庸詩人とかの誕生ですね
こういったことが起こりました こんな今覚えなくていいですよ
ちなみにですね このスコラ哲学とかゴシク様式とかが12世紀ルネサンスの時に出てきたみたいな情報とか
どこで12世紀ルネサンスが起こりましたかとか 何との接触によって起こったんですか
古代イスラム文化圏とか 12世紀ルネサンスの起こった場所をどうたらこうたらみたいに書きなさいみたいな試験問題が大学入試でめっちゃ出ます
特に教廷はもちろん出るんですけど 次第の論述でめっちゃ出ます
まあ このポッドキャストに高校生はいないと思うので
まあこんな話はどうでもいいんですが ちょっと詳しくこの12世紀ルネサンスについて見ていこうと思いますね
この12世紀ルネサンスが起こった直接のきっかけなんですけど これはまあ主に2つありまして
一番有名なのはこれトレドの翻訳学校って言われてます そもそもですねあのトレドっていうのはイベリア半島の真ん中ぐらいにある都市ですね
まあ今のスペインの都市です ここでレコンキスタっていうキリスト教バーサスイスラーム勢力の戦いが起こってたって言いましたよね
なのでここにおいてキリスト教 西ヨーロッパの人たちとイスラームの人たちの接触が起こっていたんですね
これは文化圏での接触と言いも起こってました そもそもイスラーム文化圏においてはこのギリシャ哲学
いわゆる古代ギリシャの文化っていうのが多く著作されていたんですよ それもアレベア語に翻訳された形で結構楽しまれてたんですね
でそんなイスラーム文化圏とレコンキスタが起こることによって西ヨーロッパ世界が衝突します 接触するんですね
でその接触する中で西ヨーロッパの人たちっていうのはイスラームの文化を積極的に 取り入れていったんですよ
文化の交流が起こったんですね でその取り入れたイスラーム文化の中にアラビア語訳されたギリシャ哲学っていうのが紛れていたんですね
でなんでこんな形でギリシャ哲学が流入していく流れができたのかっていうと そもそもこのギリシャ学術文化っていうのがイスラームに残っていたっていうのはさっきお話しした
通りです でさらに古代ローマあったじゃないですか
ローマにおいてはキリスト教が国教化されたことによって他の文化っていうのが禁止されたんですよね まあなんか統制されたっていった感じです
なのでギリシャ哲学っていうのはこの古代ローマの世界では生きることができなかったんですよ けど古代ローマローマ帝国と言い換えますけどローマ帝国はギリシャの方も征服していたじゃないですか
なのでこのギリシャ哲学を専門にした研究者はこのローマ帝国の中で生き残ることができなかったんですね なのでイスラーム圏に逃げていたんですよ
逆にイスラーム文化圏においてはすごい学術的なものってイスラームの宗教と対立するからダメですよ みたいなことは一切起こっていなくて
むしろ尊重されて人々がそれを積極的に授与していたという形になっていたのがイスラーム圏だったんですね
エジプトにアレクサンドリアとかがあるぐらいですからね そういう背景があった上でイベリア半島で
イスラームと西ヨーロッパが接触します でそのイベリアの真ん中にあったトレードの街に翻訳学校があったんですね
でそこのトレードの翻訳学校で 古代ギリシャ文献翻訳された古代ギリシャ文献がどんどんこうヨーロッパ世界にそこから入っていった
という流入のルートを取っていきます こういった翻訳活動の結果ですね
古代文化古代ギリシャの文化っていうのがヨーロッパに逆輸入されると そういった形で起こっていったのが12世紀ルニューサンスでした
で大体どんなのを輸入したかっていう 逆輸入したかっていう話なんですけど
ほとんど有名どころですねアリストテレスとか ユークリットとかプトレマイオスとかヒポクラテスとかガレノスとかね
であとイスラーム文化も取り入れましたねイブンルシドとかイブンシーナーとか こんな覚えなくていいんですけど
ちなみにテストにはめっちゃ出ますね 世界一のテストはめっちゃ出ますね
そうだこういう12世紀ルニューサンスの時期に起こっていたやつとして 翻訳活動とは別にですね
スコラ哲学っていうのが入りました あと大学の誕生もこの時期ですね
大学がどうやって起こったかというと教会付属の教育機関として生まれたのが大学だったんですよ
であとこのスコラ哲学のスコラってスクールの語源になってますね なのでこの学術とか教育って言われるものが中世ヨーロッパにおいては
キリスト教特にカトリック密接に関わっていたということですね でスコラ哲学なんぜって話なんですけど簡単に言うとキリスト教とギリシャ哲学を
融合しようとする試みのことです まあどっかで聞いたことあるなぁと思う方いると思います
あの ネオプラトニズムの説明的にこんな似たような話をしたと思います
まあこういうのが流行っていったんだよということですね というのが12世紀ルネサンスでした
では次はですね さっきちょこっと出てきた
イタリアに都市国家がどうたらこうたらみたいな話をしたんですけど 都市っていうものも実はこれは
中世後期のヨーロッパ特有の文化なんですね そもそも都市っていうものがそれ以前の世界にはできていなかった成立していなかったんですよね
なぜなら省エンという閉ざされた文化圏の中に人々が生きていたので都市っていう いわゆる商業的な文化の面でも交流するような
もの拠点というのはまあ意味がなかったし必要がなかったんですけど だいたい省エンがですねまぁキリスト教の十字軍とかの影響もあってどんどん出入りが
自由になっていくんですね 古典的省エンの解体みたいな感じで言うんですけどこういうのもあって都市っていうものが
発達していきます だからこそ都市っていうものは省エン性に対するアンチテーゼのようなものなんですね
反省エン的な存在としての都市です なので都市っていうのは民衆による共同自治を行うんですね
これこそ本当に省エンとは真反対の特徴ですよね 領主はいらないわけですよ
ちなみに自治都市ってこういろんなところにできるんですね けど名称の細かい違いがあって地域によって
南フランスだとコミュン イタリアだとコムーネ シンセロンにおいては自由都市っていう風な呼び方をするんですけど
今回はイタリアの話をするので中でもこのコムーネについて喋っていると思ってください でイタリアの都市に関してはだいたい商人が中心です
商人が運営を行っている共同自治都市ですね なんで商人かっていうと商人東方貿易でとっても栄えました
東方貿易っていうのはいわゆるイスラーム圏との交易ですね さっきしゃべったやつです
商人っていうのは十字軍に参加した結果このイスラームの人たちとの交易ルートっていう 交易ルートっていうのを新しく獲得したわけです
でまぁそれが儲かると気づいたのでイタリアの商人たちはこの交易をどんどんどんどん していって結構
儲かるといった形になりました でそれまでイタリアに住んでいた人たちっていうのは平民はですねだいたいこう貿易商人になっていって
貴族に関しては両外商になりましたね いわゆる銀行家ですねこの銀行業を行うことによって財を成した貴族
一番有名なのはメディチケですね このメディチケが14世紀ルネサンスにおける最大のパトロンです
ある意味ルネサンスはメディチケによってどんどん促進されていったというふうに言われています こうしてですね十字軍以降の一連の動きがルネサンスへと繋がっていきます
もうこの後直後ですねこの直後ルネサンスが発生します つまりこれで中世が終わって近世へと移ります