で、そうですね。ちょっと私がなんで翻訳する私を選んでるかっていう話を最初にしちゃうと、
これ買ったのが、これ結構、ちょっと後でちゃんと話すけど、
2025年に出てるんですよ、日本で。
4月ですね。あ、もうでも1年以上前なんだ。
で、今年の2、3月に買ったんだよな。
なんかふと。見かけて。
これちょっとずっと気になってたやつだと思って。
なんとなくこれを買ったんですよね。
気になったのは、これ多分別の言葉でっていうイタリア語で書かれたエッセイもありまして、
それも読んだ上で、ちょっとこれ読めばよかったなとちょっと後悔してるんですけど。
別の言葉でとか、多分翻訳する私とかが、
結構私はタクラムの渡辺幸太郎さんを結構フォローしてるというか、
彼の話を聞く機会を結構積極的に作ってるんですけど、
イベント行ったりとかね。
結構ね、このジュンパラルヒーのことについて結構話されるんですよね。
もともとアメリカにいて英語で作品を発表してたけれども、
ある時イタリアに移ってイタリア語で作品を発表するようになったっていう不思議な、
結構その幼い頃に移住して、言語を習得して、
それによって作品を発表するみたいな、
割とその移民とか難民の方、そういう文学あると思うんですけど、
ラリヒーに関しては大人になってて、
もう十分英語で昆虫部の地位を築いた後にイタリアに行ってるっていう、
かなり特殊な経歴を持っている方で、
たまにその話をされるんで、
そもそもラリヒーは定殿の夜にっていう素晴らしい作品があるんで、
その作品で結構有名な作品なんで結構読まれてる方、
我々も一回紹介してますし、読んだ方いると思うんですけど、
めちゃめちゃアメリカで評価された作家だけれども、
もうイタリアに行ってっていうところで、
すごいその辺のことが禁言はなっていたので、
ちょっといつか読みたいなと思ってたんで、
ちょっとこのタイミングでというところで、
ちょっと挑戦させていただきましたって感じですかね。
確かにね、気になりますよね。
何でイタリアなんだろうって。
次、僕はですね、リスポン日和ですね。
さっき紹介でリスポン日和と言ってしまったんですけど、
正しくはリスポン日和ですね。読み方。
で、イム・キョンソンさんの作品は、
去年ラジオでも小説は紹介していまして、
そっと呼ぶ名前を紹介していて、
僕はもう一つ、イム・キョンソンさんのエッセイ、
村上春樹の聖霊というのもですね、読んだんですけども、
それもすごいよくてですね、
もう本当その二つ読んで、
この人はすごい信頼できる作家さんだっていうのはですね、
もうちょっとすごい強く感じてですね。
で、イム・キョンソンさん作品は読んでいきたいなというのを思っていて、
リスポン日和もすごく内容が面白そうで、
これはどこかのタイミングで、
ちょっとできるだけ早いうちに読みたいなと思っていたものではあるんですよね。
なるほど。
これはイム・キョンソンさんがリスポンに12日間ですね、
滞在された旅行期にはなるんですけども、
単純な旅行期ではなくて、
もともと子供の頃からお父さんが外交官で、
仕事の関係でいろんな国を転々としていたんですけども、
10歳の時ですね、イム・キョンソンさんが。
その時リスポン滞在していたその1年間というのが、
人生を振り返った時にすごい幸福な1年間だったんです。
そこの記憶はすごい幸せな記憶ばかりというかですね。
そんなのもあって、ちょっと人生のある節目で、
ちょっと子供が10歳になったタイミングでもあるんですけど、
ちょっと思い出のリスポンに行くっていうですね。
そんな話ですね。
なるほど、いいですね。
じゃあちょっとそんな感じで今日は紹介していきましょうか。
じゃあ私の方からまず、翻訳する私を紹介したいと思います。
まずですね、これはジュンパ・ラリヒが書いていて、
小川隆義さんが訳していて、新職レストブックスですね。
さっき言ったとおり2025年、去年発売しています。
日本では刊行されています。
本国ではコロナ禍の話は結構あるんですけど、
もうちょっとレストブックスはここに書いてある。
2022年に英語で出版されてますね。
っていうものになってます。
じゃあちょっと本元ホームページの紹介を読み上げさせていただきますと、
ベンガル人の両親の下、ロンドンで生まれアメリカで育った著者は、
幼い頃から自ら家族のことを頭の中で常にベンガル語から英語に翻訳してきた。
大人になってから習得したイタリア語に見出した救い、
母の見取りなど自身の反省を紐解きながら綴られる小説を書くことを
鼓舞してくれる翻訳について考えたこととなっておりますね。
翻訳がすごいテーマなエッセイですね。
さっき言ったとおりジュンパラリヒさんはですね、
イタリアに移ってイタリア語で作品を発表してきました。
ジュンパラリヒさんのことを紹介しますね。
まず1967年ロンドンに生まれます。
両親ともベンガル人となってますね。
2歳で都兵、コロンビア大学、ボストン大学大学院を経て
99年病気の通訳で王遍利賞、
同作収録の定伝の夜にピュウリッツァ賞を取っているというわけですね。
デビュー作でピュウリッツァ賞を取るっていうなかなかやっぱりすごい作家ですよね。
カザガス文学賞、新人賞などを受賞しています。
2003年長編小説、その日何でを発表。
2008年のミシュラの場所でフランク・オコナー国際短編賞を受賞しています。
2013年に長編小説定一を発表していますが、
その後ですね、家族とともにロンドンに移住し、イタリア語で創作を開始。
15年にエッセイ別の言葉で、これイタリア語ですね。
2018年長編小説、私のいるところもイタリア語で発表しています。
2022年からコロンビア大学で教鞭を取るとあるんですけれども、
またちょっとアメリカの方に戻ってきた感じですね。
ちょっと後で触れるかどうかあれですけど、
そのタイミングで母、お母さんを見取ったりしていますというところですね。
というのが翻訳する私とジュンパラヒさんなんですけれども、
この今のプロフィールにある通り、途中からイタリア語で作品を発表するということになっていて、
その感じでもこの本ではかなり増えられています。
そもそもラヒリ自体が、ずっとこのベンガル語が頭の中にあって、
それを英語に翻訳してコミュニケーションを取ったりとか、
執筆をされていたので、翻訳するっていうことが日常化している人だと思うんですよね。
また英語というものを脱ぎ捨てて、イタリア語に行って、
また新しい言葉の感覚を身に付けようとしたというのがあると思うんですけど、
結構このエッセイは、翻訳する私というタイトル通り、
エッセイ集になっているので、10本のエッセイが入っています。
その発表されたタイミングも結構バラバラではあって、
全てがわりと翻訳に関わること、基本的に翻訳に関わることになっています。
これも2022年にアメリカの方にまた大学で教鞭を取っているので、
その時がきっかけになっていて、英語でエッセイを書いた。
9年ぶりに英語で書かれた彼女の作品となっています。
じゃあここからちょっといろいろ話していきますけど、
まず、わりと最初の方が、なぜイタリア語なのかというのが一番最初のエッセイで来ていて、
ニスさんがですね、彼女はイタリア語の作品を英訳しているんですよね。
それがドメニコ・スタルノーネという方の作品を3作訳しているのかな。
それに関してちょっといろいろ役者序文みたいなのが載っています。
ニーさんとあと7番かな。
あとはもう翻訳についての文章がわりとあって、
わりと短いかな。
2、30ページぐらいずつのものがポンポンと入っていて、
長くても40ページぐらいなのかなって感じですね。
いろいろ翻訳について考えたことがですね、書かれているんですけど、
多分繰り返しこれ結構書かれることなんですけど、
イタリア語で作品を発表した時に、やはりなんでイタリア語でみたいなものはもちろんあって、
やっぱりそれなりにきつい言葉も浴びせられてきたっぽいことは書かれてますね。
我々の言葉を使って少々書いているみたいな、イタリアの方からですね、
言われて、自分の言葉はまだイタリア語じゃないのかみたいなとか、
こういうことを考えてしまうような言葉も投げかけられていることが、
レビューとか批評とかで目にすることもあったようで、
そのことに関しても書かれてますね。
でもやっぱりちょっと違う言語で書くことに関して、
結構わりと最初だったかな、の方に書かれてるんですけど、
視野の話かな。
視野というか見えるもの、視点の話かな。
英語だと今私は見えすぎていると。
英語で書くということはもう自分にとっては見えすぎてるという話があって、
イタリアで書くことは逆に全然見えない。
もう本当にこれ、
失明状態っていう、やっぱり視力を獲得していくことっていうのが書いてあって、
これ結構別の言葉っていうエッセーションでも書いてるみたいなんですけど、
そっちオンラインでちょっとこの辺の情報量がどうなってるかちょっとあれなんですけど、
ここ面白いなと思うことが、やっぱりイタリア語で書こうとすると、
まだ見えてない感覚がすごく強いらしいんですね。
でも逆にだからこそ見えるものがあるみたいな。
逆に英語で書くと見えすぎちゃってるが故に見落とすものがあるみたいな。
その感覚が結構英語とイタリア語で出筆するってことにおいて、
すごく感じたことらしくて。
最初書くときは全部見えてる状態で書いてるわけじゃなくて、
なんか書きながら試行錯誤というか、何が見えてくるんだろうみたいな感じなんですかね。
そうですね。正しいイタリア語でとか書いてあったと思う、どっかで書いてあったと思うんだけど、
多分まだ十分に使いこなせない言語っていうことで。
それはあれですね、小説を書くときの話ですよね。
やっぱりまだ発達しきってない目をこれから発達するための実験みたいなことを書かれてたと思うんですけど、
これがやっぱりすごいなと思ってて、
そのことを継ぎ木、他のこともそうなんだけど、継ぎ木に例えててこの人は、
イタリア語っていうものを継ぎ木していくみたいな。
すごい武骨になるけど、でもそれが成長していくっていうことだと思うんですけど、
メタファーを使ってたんですけど、
この辺りは面白いなと思ったんですけど、
これは割と何にでも言えるなと思って、
身につけていく過程って面白いものだと思うんですよ。
面白いし視野が広がっていくものだと思うんですけど、
やっぱりある程度この達成度が上がっちゃうと、確かに何かいろんなものになれちゃって、
視野が広いようで見落とすものとか出てくるっていうのは、
仕事でも何でもあるような気はしていて、
そこに対して、何だっけな、何か言ってたんじゃない、
そこに安定しちゃうことの危険性とか、
そこにアグラをかいてしまうことの弱さっていうのも絶対あるなと思っていて、
そこを行き来することによって感じるものはあったんだろうなっていうのが、
割と前半に出てきた文章では感じましたね。
それはでも言語でそれするってすごい話ですね。
すごいよね。
だからちょっと、
全然ラルヒのものって久しぶりに手に取って読んでるけど、
持ってはいるんですよね。
いろいろ積んではいるんですよね。
ちょっと小説読みたいなってちょっと思いましたね。
イタリア語で書いた小説。
私のいるところか、ちょっと読みたいなとか思ったりしました。
あと別の言葉にも気になるしね、っていうとこですね。
その後、半ばぐらいで、
なんてやつだったかな、ちょっと待ってね。
自分の書いた作品を、
イタリア語で書いた作品を自ら英訳するっていうことをするんですよ。
87ページの、
私のいるところ、自作翻訳についてかな、6章ですね。
私のいるところという小説をイタリア語で書いたんですけど、
英語版が出ると。
これ最初ね、自分じゃできないと思ってたので、
人に頼んだんですね。
イタリア人で英訳に慣れてらっしゃる方に頼んだんですけど、
試訳、試した訳数って書いて試訳ですね。
試訳を1章目かな、なんかを見たときに、
これはなんか自分がやった方がいいっていうか、
やった方がいいって人が酷かった訳じゃなくて、
なんか怖がってたけど、自分がやりたいと思ったらしいんですよね。
今まではすごい、この行為がすごく怖いものに見えてたのかな、
なんだかんだ書いてたんですけど、
怖いと思っていたけれども、やりたいっていう気持ちがすごく芽生えて、
結局手をつけるんですけど、
手をつけた結果ですね、やっぱり、
英語に訳そうとすると自分の作品のあらが見えてくるらしいんですね。
で、そのなんていうのかな、
結局もう完成、一度イタリア語で完成させたものだから、
それを英語に訳すってことは、
翻訳っていう行為自体いろんな角度で語られるんですけど、
一種のエコーだったりとかっていう表現もこの中ではされるし、
やっぱりある言語からある言葉に翻訳するってことは、
変容であるし、原文のままではないっていうのはもちろんあるし、
っていうことはもう翻訳、自分が翻訳を経験してるからこそすごいわかる。
作家であり翻訳家であるからこそわかること、
っていうのはもうすごく強調して言ってるんですけど、あるんですけど、
で、やっぱりそのイタリア語っていうもので完成させたものを
自ら英訳するっていうことが、
すごい多分、なんていうのかな、
イタリア語で書いたもののあらが見えてきてしまって、
細かい、細かいけど、あ、ここダメだったなっていうか、
あ、これ全然違う、全然違うっていうかなんていうのかな、
見えてきちゃったらしいですね。
で、もちろん英訳するときに、英訳は作るんだけれども、
でもどうしてもこうイタリア語版っていうか、
もうなんか重版するときにここだけはみたいなのが何個か出てきてしまったと、
っていうことが書かれてましたね。
だからその行為も多分すごい自分の中で翻訳者として、
自身の作品に向き合うっていう行為が、
多分すごい貴重な経験だったと思うんですね。
そのことに対してもいろいろ書かれていて、
なんかね、これはちょっとなんというか、
おそらくちょっと特殊すぎて、
さっきの言語を行き来するっていうのは、
さっきも言ったように仕事に感覚としては持っていけるようなところがあるかなと
読みながら思ったんだけど、
これはちょっと自分読みながら特殊すぎて、
なんかこう他のものに例えることはできないなと思ったんだけれども、
でもすごく貴重な体験をしてるんだろうなと思って、
すごい面白く読みました。
なんかそう、なんかやっぱり、
どこだったっけな、
私は自作を振り返ることが苦手で、できれば採読したくないと思うくらいだから、
私のいるところの翻訳には責任だだとは言い難い。
何しろ翻訳とは読み返すという行為の最高度の集約形なのだ、
っていうね、ことも言ってて、
まあそうだよなと思って、
なかなかこれはすごい行為だったんだろうなとちょっと思いますね。
でもそういうこともちょっと経験してみたいなところもありましたね。
で結構やっぱりこの本では、
やっぱりかなり言語に関していろんな言葉、
ラテン語も含めて、
もともとイタリア語のこの語源はこういうラテン語から来てるとか、
アメリカのこの語源はこういう言葉から来てるみたいなのを結構やってて、
でこの言葉はやっぱりどうしても対応しないんだとか、
そういうのも結構ね、いろんな言語をまたいで出てきますね。
翻訳ってすごい行為だなとは思いますね。
これ日本語と同じなのかわからないけど、
翻訳家をやってるっていう話をすると、
なんかねやっぱり一部下に見られるらしいんですよ。
翻訳に手を出してるってことはもうあなたは各地から失ったのねみたいな。
小説家としてはもうやっていかないのねみたいな、
そういう空気を出されるらしいんですけど、
でも全然そういうわけじゃなくて翻訳をやってるわけですよ。
まだ村上春樹とかと一緒ですよねきっとね。
そういうのもあって、
でもこの翻訳ってこういう多分何というかめちゃくちゃ難易度も高いし、
とんでもない労力を使って作品をトランスレーションさせてるわけじゃないですか。
これ役者あと書きにあったのが、
日本の翻訳っていう言葉の本、ひるがえるっていう言葉ですよね。
英語はトランスレーションっていうかトランスっていうのがあって、
日本語はなんか厳密に意味を当てていくみたいな意味合いが強そうに、
その役者の小川さんは感じたらしくて、
英語のトランスはやっぱり変容させるっていう意味があるから、
言語を越えて橋渡しをしていくみたいな、
この感覚がトランスレーションのトランスの部分に感じるっていうことをちょっと後書きに書いたって、
日本語の翻訳の感覚とトランスレーションっていう英語の感覚が結構違うんじゃないかっていうことがいてて、
その辺もすごい面白くて、とはいえ別にやってることは一緒だと思うんで、
日本の翻訳家の方たちも我々日本人にわかるように変容させてあり、
なるべく忠実にとか思いながらやってると思うんですけど、
それでもそのリズムのこととか、言語、抜け落ちてしまったりとか、
うまく言い当てられないこととか絶対あると思うんで、
我々もずっとこんな翻訳小説を読んできてるんで、感じてる部分はあると思うんですけど、
そういうのも後書きとか読むと感じることができて、
なかなかこの翻訳っていうものに対する改造度の上がる一冊だったなと思いますね。
ちょっとこんな感じで長くなっちゃったかもしれないけど。
一旦は私の方から終わって。
リスボンビューリーでもポルトガル語の中にサウダーデっていう言葉があって、
これは翻訳がすごいするのが難しい言葉で、
ポルトガル人を象徴する代表的な情緒って言うんですかね。
なんかこの哀愁とか追憶とか煽謀とかですね、
いろんな言葉が当てはまるけど、それら全てを合わせたような何か、
でもピタッと日本語でサウダーデとはこういう意味ですって一言で言えるような言葉がない、
そんなポルトガル語なんか言葉があるんですけど、
多分イタリア語と英語の中でもなんかありそうだなと思うんですよね。
英語にできないイタリア語とか。
あるでしょうね。
ライフリーさんとかそういうのをどういうふうにして翻訳のときに、
結構気になったりしますね。
具体例があったのとかな。
あ、ほんまですか。
具体的な言葉であったね。
これはちょっと英語のこれとは違うんだけど、どうなんだろうみたいな。
それこそ何だっけな、翻訳した3つの作品を書いてる著者に聞いてみて、
うんうんみたいな、やり取りをしたみたいなことがあるとかありましたね。
その辺のこともちょっと垣間見える一冊ですね。
もう一個気になったのが、僕字読んでるとカルビーノについて書いてるSマルですよね。
一番最後ですね。
一番最後。
カルビーノってイタリアの超有名な作家ですけども、
カルビーノってあれらしいですね。
ちょっと私も全然知らなかったんですけど、結構いろんな国を点々としてるので、
そもそも多分イタリア語に縛られてないらしくて、
イタリア語で書いてはいるけれども、
言語感覚としていろんな国の言語感覚を持っているらしいっていうのが書かれていて、
だからこそ翻訳がしやすいルートみたいな。
なるほど。
彼の作品は難しいですよね。
確かにイタリアを飛び出たかなり広い世界というか、そんなの書いてる印象ありますね。
だから世界的に人気のある作家ではあるわけですよね。
結構このカルビーノは短いけど面白かったですね。
これ一番短いのかもしかして。
5、6ページぐらいのあれですね。
ちょっと諸文章ですけどね。
カルビーノのエッセイも読んでみたいなと。
ずっと思ってはいるけど。
これ勝手さえもいないけどね。
すげえ分厚いのは知ってるんだけど。
そんなところですかね。
面白そう。
ナヒリさんの小説、イタリア語で書かれたものですよね。
そうですね。
なんか読みたくなりますね。
私のいるところか。
これはちょっと、全部身長クエストに出てるはずなんで。
あとあれですよね。
さっき言ってたドメニコ・スタルノーデという作家さん。
イタリアの靴紐を描いた人。
この人も身長クエスト、ブックスから出てる靴ですね。
セキュリティさんかな。
セキュリティさん役だよね。
あれも気になりますよね。
すごいですよね。
じゃあそんなところでバトンタッチしていきましょうか。
じゃあ次が、僕が読んだリスボン日和ですね。
大河、10歳の娘と10歳だった私が歩く優しい街。
イム・キョンソンさん、著者で。
クマキ・ストムさん役。
日の出出版から2024年に出ているものになります。
ちょっとだけ半元の紹介文を読むと。
両親との思い出の地、リスボンで過去と向き合い、子供との絆を深く考える。
とあって、新しい時代の女性像を描き続け、韓国の女性たちから愛される作家イム・キョンソン。
自身が最も大切な作品と位置づけるエッセイ、リスボン日和が待望の方訳出版。
亡き父母への様々な思いを胸に、幼少期に家族と過ごした思い出の地に娘ユンソと共に採訪することを決意したキョンソン。
過去の思い出と向き合い、家族の大切さや娘との新たな絆を築いた12日間の旅路を記すとあります。
なるほど、いいですね。
これあれですよね、私思ってますけど、ちょっと今本田のどっかあるんで、ちょっと引っ張り出さないですけど。
西田直美さんがあれですよね、帯になってましたよね。違いましたっけ?
そうです。女優の西田直美さんが。
そうですよね、なんかそれがすごく印象的だなって。
あーと思って。
そうですね。
なんかご推薦というか帯のね、文章書いてらっしゃったなっていうイメージはちょっとありますけど。
いやーでもこれもリスボンに行く話ではあるんですけども、やっぱりそのきっかけのところで、リム・キョンソンさんのお父さんが亡くなられて。
で、ここでちょっとやっぱりいろいろと思うところというかですね。
もちろん悲しさであったり寂しさであったり、そういうのがある中でちょっとリム・キョンソンさんが子供の頃の記憶ですよね。
お父さんがエコー館で海外てんてんとしていろんな国で生活していたんですけど、その中でリスボンで過ごして1年間っていうのが一番幸福な時期で。
ちょっとそこでリスボンにもう1回戻りたいなというので、行くっていうそういうきっかけがあるんですけども。
で、行った先で12日間滞在するんですけども、読んでいくとですね、最初の3日ぐらいは結構この気候文学というか、リスボンに行って観光したりとかの話になってくるんですけど、
4日目あたりからですね、お父さんの思い出にだんだんアプローチしていくんですね。
子供の頃、お父さんと家族ぐるみで付き合いをしていたおじさんがいて、そのおじさんの元にちょっと会いに行って、
だんだんですね、このルーツというかですね、というのを探るような旅にもなっていくと。
で、これがお父さんが外交官してたんですけども、40歳の時に語学留学というのでポルトガル語を習うために1年間ですかね、リスボン滞在していて。
で、お母さんも一緒に語学留学でいて、実は子供3人いたんですけども、
イムキョンソンさんだけ一緒に来て、あと2人の子供は韓国に残して、実際は1ヶ月ぐらいになるんですかね。
この辺、留学自体はもっと長いスパンなんですけども、
この家族3人でちょっと旅行を行ったりとか、すごい自由に遊んでいた時期があって、
で、イムキョンソンさんの中ではそれがすごい幸福な時期で、やっぱりお母さんとかもですね、ちょっと厳しかったりとか、
お父さんもそんなになんていうか、ちょっとあんまり褒めてくれないとかですね。
思うところはいろいろあるんですけど、リスボンにいた時は両親ともにすごい性格がちょっとそれまでと違って、
すごいのびのびとしていたような。で、もしかすると両親がですね、リスボンにいたこの期間というのは人生の中で本当に自由にできる時間というので、
それで1年だけ自分たちのために来たんじゃないかとかですね。ちょっとそんなことも想像しながら。
旅行しつつ、このお父さんお母さんも40くらいの頃、実はこうだったんじゃないかとかですね。そんなのもちょっと考えたりする。
その辺が現在と過去と、ちょっとシンクロしつつお話が延びられていくと。
プラスですね、イムキョンソンさんの娘のユンソンも一緒に、今回2人旅なので、ユンソンも10歳で。
イムキョンソンさんも10歳の時にリスボンに来ていたんで、結構ですね、何か呼んでいくと親子3世代の話がリスボンの中で、過去と現在がすごい重なっていくような。
すごいね、何か呼んでいるとすごいな、そういうのもちょっと想像してしまう。
いいですね。
何か書き方をされていて。このリスボンっていうのがやっぱりすごい魅力的な街で。そもそもリスボンなんですけども、ポルトガルといえばやっぱりこの海に面していてとかですね。
そんな印象があると思うんですけど、リスボンはちょっとだけ内陸になるんですよね。
そうなんですね。
これまでちょっと行けばもう海岸にはなるんですけど、ちょっと内陸で。
で、定城川っていうですね、大きな川があって、その川に面していると。何かね、丘があったりして坂がたくさんあって、何でもすごい絶景とかもあったりするんですけども、街を見下ろすような。
移動がね結構大変とかですね。
そうなんだ。
そう。
あと路面電車が走っていて、トラムっていう名前のそういうのに乗ったりして、街をね、移動したりとか。
あと食べ物が美味しいとかですね。いろいろあるんですけども。
で、結構やっぱりね、この今の世の中ってすごい効率化されていたり。
何かそのちょっとあんまり、何て言うんですかね、隙がないというかですね。何か慌ただしかったりとかですね。
何かそういった、今の都会にいたりするとそういうのを感じることが多いと思うんですけども、リスボンに行くと、何かそんな効率化された今の世の中とはちょっとまた違う。
むしろ効率的ではないようなところになんか惹かれるような、何かそんなところがあってですね。
例えばホテル選びとか、最初の方はですね、リスボンに行くときにどのホテルしようか。
Mキャンソンさんがいくつかリストアップするんですけど、で何か結構細かく、このホテルはここがダメだから省くとかやっていくんですけど、最終的にはもう外観の見た目で決めてしまうとかですね。
そうなんだ。
何か緑色の外観だから、その見た目で決めてしまったっていう。何か合理的に行こうと思っていても何かちょっと、何かその合理的ではない部分で動いてしまうところがあって、リスボンで。
あとリスボンで売られている、例えばハンカチとかもすごい職人が手縫いで作っていたりするのがあって、そういったのもですね特産品で、そんなのもリスボンらしいものですし。
そうしてリスボンを滞在していって、リスボンのいろんなとこ行ったり、あとサッカーですね、ポルトガルのサラマーゴであったり、あとシジムのペスワーであったり。
この後にもMキャンソンさんがすごいお好きな作家さんたちで、そのちょっとですねサラマーゴとかペスワーを被刑人に出した話も結構出てきたりしたりして。
で、この滞在が1日1章の形式で、大体何日目とかで進んでいくんですけども、だんだんですね、やっぱりこのリスボンでいろんなところ行ったりするんですけど、同時に結構ね、そのお父さんの思い出とか、お母さんもそうですけど、そういったのも書かれていくという、そういう話になってますね。
なるほど。
そうですね。で、まあ最後はね、もう出発して、ポルトガルを経って終わりにはなるんですけども。
あ、じゃあその、そうか、その期間の間のことなんですね。
そうですそうです。
結構このじゃあ、その娘と親とのこのなんか、シンクロするようなシーンとか結構ある。
そうですね。やっぱり一番個人的にもう感情に来たのですね。もうほんと78ページっていうあの、これ5日目の話なんですけども。
ちょっと海辺に行くんですね。これは子供の頃の記憶で、両親とかおじさんとかと遊びに行った記憶があって、でリスボンから行くとしたらなんか候補が2つぐらいに絞られるんですね。
で、まあおじさんに教えてもらって、なんかあそこ行ったんじゃないかとかですね。
で行くと、でその海辺に行くとですね、なんかそのやっぱり海っていうのもちょっとなんか不思議なもの。
なんかね、特に子供とか、いくら気難しくしてても、やっぱり海行ってちょっとはさくと笑ったりするという。
あー。
そう。でまあこのね、子供のイエンスもやっぱり海行くと、お客さんとね、やっぱ遊んだりするような姿があったと思ったら、目の前にはその昔の自分がやっぱり同じように遊んでいたような姿があるっていう。
まあそんな別があって、もうそこはすごいこの本能の中でも一番好きなところですね。
そっかそっかね。そこに自分の姿を見るわけですね。
そうそうそうそうそうそうそうそう。
そっかね。それは確かにちょっと狂気そうですね。なんか映像的にもなんかすごい。
そうなんですよ。
夢に浮かぶし。
そう。そうですよね。なんかちょっと子供からお母さん何してるのって、ちょっと現実に戻されてしまうんですけど。
なんかね、そうなんですよね。すごいあと印象的なのは、やっぱりこのリムキャンソンさんがリスボンに行ったあちこちで、やっぱりその過去を何か照らし合わせるような。
なんかそんな瞬間がいくつも書かれてるんですけど、結構それらがですね。どう書かれてるんだろう。
なんか幻想を抱かされてくれるようなものですよね。
そういうのはいつも日常の場所にあったっていうふうに書かれていて、現地の住宅街とか公園とか町の書店とかですね。
その特別なスポットとかじゃなくて、日常の場所。そこに幻想で浮かせるというようなものがある。
で、そういうのを旅先で行った時に、そういうところに足運んだりすると、それまでの過去はすべて削除されて、ずっと前からそこに住んでいて。
で、それが自分の人生の一部だったような錯覚に陥ると。
で、自分の中にはもちろん違和感とか覚えつつも、その感覚の中の甘美を楽しむっていうですね。
で、一方で、それとは反対に観光名所に行ってしまうと。
それちょっと非日常的な場所に行ってしまうと、自分が外国人観光客であるという。
それを強く感じてしまうんで。
なるほど。確かに。
ここもすごい面白い。
難しいですよね。
そうなんですよね。旅行とか旅した時とか。
観光名所じゃなくて、庭園にしようっていう。
でもそれ、感覚はすごい僕もわかるんですよね。
いや、なんかね、本当にね、本当に深く入り込んでいくような、そんな感覚がありましたね。
なるほど。ちなみにリスボンってポルトガルの首都だよね。
そう。
ですよね。
これは結構、近代化っていうか、10歳の頃にいた頃とはだいぶ都市の風景とか変わっちゃったりとかしてない。
それとも昔のものがやっぱり残っている街なのかな。
いや、たぶんそんな変わってないんじゃないですかね。
なるほどね。これが東京だったらだいぶ変わってそうじゃん。
まあ、確かにそうですよね。
なるほど。
一応、図書館で本借りてきて、光の街リスボンを歩くっていうですね。
これ、図書館官房から出ている、2017年に出た本ですね。
これがリスボンのガイドブックにもなっているんですけど、そこでいろんな街の風景が見れるんで、
ちょっと見ながら、こっちを見ながらエッセイも読んだりしてたんですけど。
やっぱ何て言うんですかね、昔ながらのこの建物。
この丘の下から、魔女の宅急便のような。
あれはクラッチャーの都市がモデルでやっててますけど。
そんな感じの、昔から変わらないヨーロッパの綺麗な街っていう印象ですね。
やっぱそうだよね。ヨーロッパとかってそうなのかもね。
たしかにね。あんまり風景が変わらない世界なのかもね。
新しい建物とか、別に古い建物こそ価値があるみたいな感覚ありそうだもんね。
日本でもあるけどもちろん。
そうなんですよね。これ副題がですね。
10歳の娘と10歳だった私が歩く優しい街ってあってですね。
優しい街なんですよね、このリスボンっていうのは。
なるほど。
明確にこの本の中でリスボンはこういう点で優しいとかって書かれてるわけじゃないんですけども、
ちょっと読み取れるものはですね。リスボンで出会う人とか、この街そのものとか、
リスボンから見える風景とか、あとはちょっと海辺とかですね。
ちょっとリスボンから離れてるんですけど。
そういうリスボンの日常に溢れているものに優しさっていうのがあるんじゃないかっていうですね。
それを読んでてすごい感じましたね。
だから本の中でもリスボンの、本当ちょっとしたことなんですけど、
リスボンの男性はこういうことはしないとかですね。
そうそう、通りかかりの女性につきまとうようなことはしないと。
お先にどうぞと道を譲ってくれる男性は多く見たと。
とかあとクラクション鳴らしたりとか、相手の子供に罵声浴びせたりとか。
そういうのは、リスボンの人がローマとか北京とか、ボゴッタとか他の都市に移住することはおそらくないんじゃないかなと。
同じようにポルトガルの女性はブラジルの女性に比べると。
イム・キョンソンさんブラジルにも3年間住んでいたので。
ブラジルの女性に比べるとはるかに静かで温和であるというですね。
ちょっと国民性みたいなところとか。
あとは滞在中お世話になるホテルの人とか。
結構そこも書いてあるホテルの人のネパールから来ている人かな。
仕事ぶりとかすごい良いとかですね。
あとはお父さんのことを調べようと思って問い合わせをしたときの大学の職員のすごい気の利いた対応とかですね。
ちょっとしたことかもしれないですけど結構リスボンの中で出会う人とか。
やっぱり優しさを感じるようなところが随所にあって。
なるほど。
それでですね。リスボンっていうのがすごい魅力的な。
マジだよなっていうのはすごい呼んでて感じましたし。
そうですよね。でもなんか呼んでるとですね。
やっぱり自分がちょっと旅行に行ったりするときとかそんなないんですけども。
でもなんか自分が行くときってあんまり観光とかで行くことってなくてですね。
なんとなくもうちょっとブラブラしたいとか。
なんかそういうちょっと目的もなく行きたくなるっていうのがあるんですけども。
いやーわかるな。
そういったのをすごくしたくなるような。両親との思い出の地位でもあるんですけども。
行ってそこで自分に向き合うというか、自分の格好。両親と向き合うっていうですね。
そういうのをちょっとしたくなるような。あのエッセイでしたね。
すごいね。リスボンめっちゃよさそうだ。すごいな。
そうですね。
でもなんかそういう海外の生活とか海外の旅行、滞在を描くエッセイとかいいよね。
日本の方が描くやつでもそうだけども。
そうですね。
もちろんリスボンって観光名所でもあるんで、都市として釣りが多かったりとかですね。
なるほど。
まあいろんななんかあったりはする。で、この本でもですね。
そういうのへのちょっと不安とかも書かれてたりはするんですけども。
そこだけじゃなくてやっぱりその出会う人たちとの温かい交流っていうんですかね。
とか交流と言えなくてもレムキョンソンさんの目を通して見えるその人の優しさというか。
そんなのがやっぱりあっていいなと思いますね。
なるほど。分かりました。
でもちょっと読みたくなりましたね。ちょっと私も手元にあるんで。
そうですよね。大地さんも持ってるから。
持ってるんで読ませていただきたいなと思ってますけど。
なるほどね。いいね。リスボン行きたくなるだろうな。
いや、そうですよね。やっぱり憧れますね。
そうだよね。で、ここからちょっとエッセイについて少し話したいなと思ってたんですけど。
結構いい時間来てるんで。ちょっと話しすぎてしまったなと思いながらなんですけど。
ちょっとだけ話させてもらうと。
翻訳する私のラストでエッセイとはと書いてあったんですよね。
で、翻訳についてのエッセイ集と言ってしまえばそれは間違いないとしてこの2号が日本語では悩ましい。
エッセイも翻訳も訳ことして危なっかしいと書いてあったね。
まずエッセイとはあるテーマを論じて分析や考察がなされる文章のコツである。
質に任せた新編雑記ではない。って書いてあって。
なんか割と自分が読んできた、それこそ文学フリマとかで好んで買うようなものって新編雑記な気がしていて。
あの面白さって結構好きなんだよなと思いながらちょっとこの後書きを読んで。
あ、俺が読んでるのはエッセイじゃないのかと思ってしまったんですけど。
エッセイって何なんだろうなと思って。
なんかすごくこの後書きを読むときに分かんなくなってしまったんだよね。
なるほど。
このリスポン日和もですね。
現代は優しい救いなんですよ。
翻訳するときにリスポンのことを書いた本でも分かるようにタイトルリスポン日和プラスサブタイトルにしてるんですけども。
優しい救いっていうのが元々のタイトルで。
そうですね。エッセイってそうですよね。
なんかその考察とか分析とか。
ただ旅行行ってそれの日記とかそういうのだけではないんですよね。
そうだよね。日記とはまた違うわけですよね。
そうですね。日記とかではないし。
やっぱり難しくなった。
そうですね。確かに。
でも僕はリスポン日和読んでるとすごい自分の内面にどんどん向き合おうとしている。
そういうことを書いてるのだなと思ってます。
でも翻訳する私は結構翻訳論に入っていく部分も結構あったんで。
そういう意味では考察というかある一定の伝えたいことっていうのは結構あるんだなって思いながら。
そうですね。
確かに新編雑記っていうと日記的に分かんないけどね。
今日何を食べておいしかったみたいな。幸せを感じたみたいな。
なんかそんな子供なんかエッセイになっちゃいそうな気もしていたけどもそれは新編雑記なのかなとか。
でも日本語で言うと随筆とかあるじゃん。随奏とかさ。
随筆とか。
その辺の隅分けっていうかこれはこれっていうのはなんかよくわかんないなってちょっと思って。
別にカテゴライズすることに意味はあんまりないのかなとかちょっと思ったりもするんだけど。
そうですね。確かに随筆とエッセイって同義語として扱われている印象ではあるんですけど。
でもその辺り確かによくわかんないんですよね。
思ってちょっと考えていくと意外と迷子になったなと思って。
今回ちょっとその話を最後したいなと思ったんですけど。
ちょっとあんまりグイグイ行くと長くなっちゃいそうなんで。
今日はこの程度でと思ってますけど。
その辺もたまにねちょっと考えてみたいなと思いましたね。
随筆、エッセイ、日記。
なんか一つ思ったのはこれちょっと今回の2つってもう完全に商業出版っていうかさ。
しかも成功してるからもう翻訳されてるわけで。
もちろんすごく読み手が多い作品っていう言い方しちゃうとあれなんだけど。
読みたい人が多い作品なわけじゃないですか。
でもなんか文学振り間とかに行って書いた人たちから直使う時とか。
なんていうのかな。いろいろ思うんだけど。
なんかこのノートとかに書いてる人も同じなのかもしれないんだけど。
誰に向けて書いてるのかなっていう。
ちょっと今回気になったというか。
すごいなんかあのっていうとなんかすごい否定的な響きを含んだように聞こえちゃうかもしれないけど。
別に誰に向けて書いてるわけでもない作品が結構ほとんどだと思うんですよね。
何においても。自分が書きたいものを書いてるし。
もしかしたらすごく特定の誰かのためだけに書いてるかもしれないし。
でもそれがすごい普遍的な価値を生むってことも絶対あると思うし。
その自分が放ったものって誰に向けて書いてるんだろうみたいなのをちょっとなんかエッセイを考える上でちょっと思ったことでもあるんですけど。
例えばイム・キョンソンさんもラヒリーも小説家でもあるし、いろんな作品を世に放っているわけで。
伝えたいことっていうのは多分たくさんあると思うんですよ。多くの人に。
一方で別に限られた人に伝わればいいと思って放っている人たちも。
結局ラヒリーさんもイム・キョンソンさんも全員が全員に世界中の人が納得してくれる文章を書いてるって感覚は絶対ないと思うんで。
ある程度分かる人だけに分かってもらいたいみたいな感覚は絶対あると思うんですけど。
エッセイの文振りとかに出てくる例とかノートにちょっと書いてるような人たちって、
すごくターゲットにしてる人とか読んでもらいたい人っていうのはすごく絞られてる感じはするんですよね。
意識してよが無意識だろうが。自覚してよが自覚してまいが。
そういうのをちょっと今回エッセイを読みながら全然違うところで考えたところでもあって。
これもいつかちゃんといろいろ話したいなってちょっと思いました。話したみたいに見えてくるものあるんだろうなと思って。
今日はおそらくそれやるとまた1時間かかっちゃうね。1時間かかんないかもしれないけど。
どうなんですかね。対策になっちゃうね。
でもこのイム・キョンソンさんに関してはリスボンに行った話で、リスボン料理っていうタイトルもそうなんですけども、
まずそこの本としての魅力がめちゃめちゃ高くて、そこプラス自分の内面も書いてるエッセイとしての部分が組み合わさってるんで、
確かにこの読者層っていうんですかね。この本を読みたいと思う人っていうのは相当広いので、
そういうふうにアプローチできる本なのかなって思いましたね。なんか今ちょっと聞いてると。
そうっすよね。そんなこともちょっと思いましたが、今日はちょっとそのとこで。