神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授の平芳裕子( ひらよし・ひろこ)さんんのファッションの捉え方に目から鱗がおちる思いでした
曰く
"哲学者であり社会学者であったゲオルク・ジンメルは、このファッションを、現代の社会に特有の現象とみなしました。"
"ジンメルは、ファッションには同一化と差別化の作用があると考えました。
同じ時代、同じ社会を生きている人々と、自分も一緒に同じ感性を分かち合いたいという同一化の願望が一方にはあります。
他方には、大勢の人々のなかに埋もれるのではなく、自分は自分であるという気持ちを尊重したいという差別化の願望があります。
社会や集団に属する個を、一方で同一化させ、一方で差別化する。そういった同一化と差別化の無限反復的な運動が、ファッションなのです。"
ここから私は思いました
1、パッションの源とファッション
2、パッションの源を外に見せるか否か
3、自分らしさは新しい共感
1、パッションの源とファッション
社会と自分とを、同一化と差別化を行ったり来たりしているのがファッション、という観点が、とても腑に落ちました
それは、もしかしたら、自分自身の心の内面、つまり、パッションの源と、とても深い関係があるような気がしました
例えば、大好きパッションが強い人は、同一かや差別化は関係なく、「kawaii」が好きでたまらない。だから、それを着る。
利他パッションが強い人は、人のためになることをしたいので、同一性を重視した外観で接する、ということもあるかもしれないなあと
また、個性パッションが強い人は、何よりも、他の人と同じじゃいや、他の人と違いを出すこと、つまり差別化に、力を注ぐかもしれません
そして、成長・脱出パッションが強い人は、とにかく今への抵抗として、例えば、ロックスピリット溢れる、常識を覆すような格好をするかもしれないなと
そんなふうに考えると、パッションの源がファッションを語る上でもとても大切になるというふうに思いました
2、パッションの源を外に見せるか否か
ただ、心の中は、見えるわけではないので、見せようという気にならなければ、パッションの源と、ファッションに実は乖離があるということもありうるなと思いました
それはある人は、オープンマインドで、自分自身を曝け出すことに、舵を切った人は、パッションの源をファッションにぶつけることに、価値を見出すし
逆に、その人がそんなことを考えているなんて、思いもよらなかったみたいなことがあるように、あえて、外にはおくびにも出さずに、粛々と、自らのパッションの源実現をしている。
そんなパターンがあっても良いかもしれないと思います
むしろ、ファッションを隠れ蓑にすることで、パッションの源を気づかせない戦略ということも、場合によっては良い戦略であることもあるかもなあと思います
もしかしたら、ダサさ、は、自らのパッションの源を理解できておらず、なぜ今自分がそのファッションなのか、ということを、理解できていないことなのかもしれないなあとも思いました
3、自分らしさは新しい共感
養老孟司さんがおっしゃっていた、オリジナリティというのは、全く新しいことではなくて、共感できることなんだけれども、その共感が新しい、というようなお話を思い出しました
つまり、ファッションにおける自分らしさというのも、もしかしたら、全くの差別化要素だけではなく、ある程度の同一性がありながらも、そこに新しい差別性がある。
そんな絶妙なところに、なぜそのような差別性があるのかということに、自らのパッションの源に基づく、理由や物語がある
そんな表現がファッションでできていたら、とても素敵なのではないかなあと思いました
ジョブズの黒いタートルネックも、単なるタートルネックという同一性なんだけれども、そこに全ての判断のエネルギーをアップルの開発に捧げるという差別化のある物語があるからこそ
ジョブスらしさになっているということなのかもなあと思いました
ということで一言で言えば
同一化でありながら差別化ノベーション
そんな話をしています
参考:本: 何がダサいを決めるのか 発行日 2026年4月20日 著者 平芳裕子 発行所 株式会社ポプラ社
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!