生物学者で思想家の最首悟(さいしゅさとる)さんが東京大学の最終講義でお話しした言葉に、感動しました
曰く
"一般教育というのは、何を教えるかではない。何を教えるべきかという問いを教師が持つことである。
私はそのような教育というのを、特殊に位置づけるためには、問学(もんがく)という言葉を復活させたらよろしいと。
学問というのはあまりにも擦り切れている。専門家ということがそこではあまりにも特殊化されて出てきてしまう。
問学も学問と全く同じ意味であるけれど、やはりそこに特殊に問いを立てる学、それも近代科学技術が要求した解ける形の問いではない。
そのような制約を払った問いを最も重要視する学"
ここから私は思いました
1、教師自身が自らを問い続ける
2、解けない問いを問い続ける
3、誰もが問いを持つ世界
1、教師自身が自らを問い続ける
これまで、問いを考えることが重要であると、いうお話は、最近ではたくさん聞くようになりましたが
それを教える、教師自身が、「何を教えるべきかを問い続ける教師」であることを、明確に言われたのは初めて聞きました
問い続けることを教えるのが教師ではなく、自らが何を教えるべきかを問い続けるのが教師、というのは、とても心に刺さりました
それを見る生徒も、自ずから、自ら何を学ぶべきなのか、なぜ学ぶべきなのかを、問い続けることになっていく
まずは自らがその範を示すということが、問学においては、教師自らを問う、そういう姿勢に現れるということなのだと、学ばせていただきました
2、解けない問いを問い続ける
学校での試験は、まさに、絶対に溶ける問題を解かせることが主流でやられてきています
それとは、全く逆で、問学においては、決して解けない問いを、問い続けるということをすることが大事なのである、ということを改めて認識しました
それは、より根源的な問いとなり、様々な解釈や立場による違いにより、如何様にも問い続けることができる
そういう問いに、向き合うことがとても大切ということだと思います
「どうすれば売上が上がるか」という問いではなく、「私たちは何のために存在するのか」「本当に解くべき課題は何か」という、簡単には答えの出ない問いが
これまで意識されていない真の課題を導きだ出して、新しい時代を切り拓く鍵を握ることになるのだと思います
哲学者カール・ヤスパースは、「哲学するとは、問い続けることである」と述べてい流ように
解けない問いを持ち続けることが、人間を成長させるものになる、そんなことかと思いました
3、誰もが問いを持つ世界
問学の大義は何なのだろう、と考えた時に、世界中のすべての人々が、問いを持つことができる世界、そんな世界を目指すことなのかもしれないと思いました
我々はなぜ、紛争をしているのだろう、なぜ止められないのだろう、なぜ対立が生まれてしまうのだろう
すべての人が、自らに対して、問いを立てられている世界
それは、自分自身の主張だけが、世界においては正しいことではなく、相手がなぜそういうことを言っているのかを、一旦聞き入れることができる世界
自分たちの常識や信念が揺らぐような考え方が、自分たちと同じように何の疑いもなく信じられている世界があるかもしれない
そんな想像ができる世界、自ら自身を疑うことが、みんなが是とする世界
そんな世界が問学によって、出現することができたら、素敵なだなあと、思いました
「この社会は本当にこれでいいのだろうか。」
「私は何を成し遂げたいのだろうか。」
「未来の子どもたちに何を残したいのだろうか。」
その問いこそが、一人ひとりの人生を動かし、仲間を巻き込み、やがて社会を変える力になりのかもしれない
イノベーションとは、新しい答えを生み出すことではなく
誰も立てなかった問いを立てることから始まる
ということで、一言で言えば
問学(もんがく)ノベーション
学問と問学、逆さまにすることで、全く違う世界が出現する
そんな話をしています
参考:NHK Eテレ東京 こころの時代 わからなさのなかで~最首悟の思想をたどる~2026/7/20(月)https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-X83KJR6973/ep/K7QYR56NJ8
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!