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数値化「中毒」ノベーション(1865回)
2026-06-05 16:55

数値化「中毒」ノベーション(1865回)

早稲田大学文学学術院教授で、専門はパーソナリティ心理学、発達心理学の小塩真司[おしお・あつし]さんより、エビデンス重視、数値重視の落とし穴について、目から鱗がおちる思いでした


曰く

"グッドハートによれば、ある「指標」が報酬や利益、評価と結びつけられると、人々はその指標を最大化すること自体に集中し、もともとの目的や価値を忘れてしまう傾向があります。


政策や制度が善意によって設計されていても、指標が目標に変化していくことで、人々の行動は「数値を上げる」方向に最適化されていくのです。"


"だからこそ、私たちは測定や評価を用いるとき、その背後にある「何のためにその指標を使うのか」という問いを常に意識し続ける必要があります。"


ここから私は思いました

1、わかりやすさバイアス

2、エビデンスよりコンテキスト

3、ネガティブケイパビリティと大義


1、わかりやすさバイアス


確証バイアス、利用可能ヒューリスティック、アンカリングバイアス、代表性ヒューリスティックなどなど、我々が抗いにくい様々なバイアスがありますが


それらのバイアスを駆逐するために、エビデンスという必殺技があって、例えば数値化を用いるべきで、最近ではデータとエビデンスに基づく判断をすべきであるというお話に納得していた私でしたが


実は、そのエビデンスを用いることに、罠が生じてくる、というお話に、衝撃をいただきました


これは私なりに考えると、もしかしたら、わかりやすいことへ飛びついてしまう、わかりやすさバイアスということもあるのかもしれないなあと思ってしまいました


これがエビデンスなので、と言いながら、数値だけを見せられると、みんな、ははあ、とひれ伏してしまう


そんなパワーを数値化というのもは持っていると思いました


もしかしたら、物語化というのも、わかりやすさバイアスの一つなのかもしれない、とかと思うと


誰もが信じてしまう、わかりやすいものには罠がある、くらいの、クリティカルシンキングは持っておかねばならないなあと思いました


2、エビデンスよりコンテキスト


グッドハートの法則は、言われてみれば、数値化目標をした途端に、その目標数値そのものを達成するために、手段が目標化してしまう経験は、自分も何度もしてきたなあと思います


イノベーションに関しても、どれだけの数をアクセラレーションしたか、とか、オープンイノベーションのイベントで何人集まったとか


本来は、世の中を変えるプロジェクトを生み出すことが目的のはずが、その施策の短期的なKPIに奔走してしまうことだったり


来年度の予算どりを確保するために、本質的な内容ではない数値的なものを成果にしてみたり、思い出すと色々な苦労をしていました


その渦中にいた身としては、それも継続していくためには、継続しなくては本来の目的も達成できないから、という矛盾の中でも苦しんでもいた気がします


なぜその数値を目的にしたのか?というそもそもの背景や目的を忘れがちになってしまうし、異動で人が変わると尚更忘れ去られていってしまう


その背景にあるコンテキストこそ、引き継がなくてはならなくて、常日頃、それを確認しながらの数値化をしていく必要があるなと、改めて思いました


3、ネガティブケイパビリティと大義


そいういう意味では、いくらデータ・ドリブン経営で、エビデンスとしての数値が並んだとしても、そこにある背景やコンテキストがどのようなものが重要なのか


それを問い続ける、いわゆるクリティカルシンキングと、簡単でわかりやすい答えに飛びつかないネガティブケイパビリティが大切だし


そもそも何を大義をして掲げていたのか、本当に到達したいことはなんだったんだっけ?という、ラテラルシンキングも重要と思いました


イノベータリップルモデルにおける、パッションから始まり、仲間と共に、誰かが喜んでくれる大義を目指す


その大義は、決して、数値化されるものだけではなくて、社会のどんな人をより良くしようとしているか、どんなより良き世界を作り上げていこうとしているのか


その大義を忘れないで進んでいくということが、大切な気がしました


ということで一言で言えば

数値化「中毒」ノベーション


そんな話をしています


参考:本: 「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか 著 者:小塩真司 発行所:株式会社PHP研究所 製作日:二〇二六年五月十一日

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