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2022-04-07 08:56

#39 映画「アライブフーン」と二本松市のエビスサーキットの話

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6月から公開される映画「アライブフーン」の下山天監督、監修されたドリフトキングの土屋圭市さんのトークイベントに行きました。

二本松のエビスサーキットをはじめ、福島県のあちこちでロケされたそうです。ドリフトの聖地となったエビスサーキットの支配人が若かったころの伝説について話をしております。


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おはようございます。このチャンネルは福島県氷山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そんな話の一言を聞きなりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気はなかったんです。
こうにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、だらだらと言わせていただきます。
あらたまして、おはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の4月7日、木曜日です。
本日は第39回目のお話となります。
6月10日にですね、アライブ風雲という映画が公開されます。
ソノス監督の下山添監督とですね、この映画を監修されたドライブキングの土屋圭市さんの特別対談がね、
郡山市の日産で行われるというので、昨日の4月6日に行ってきました。
映画についてね、いろいろと面白いお話を伺ってね、お二人と一緒に写真を撮ってもらいました。
そしてね、サイン入りステッカーもらいましたよ。ありがとうございます。
この映画はですね、レーシングゲームのゲーマーの主人公がですね、実戦レーシングに出場するというお話です。
主演の野村修平さんはですね、実写版のチハヤフルで、まじま太一の役を演じられた方です。
テレビね、よく出てますよね。チハヤフルではですね、チハヤにずっと側にいる2枚目の男の子ですね。
原田先生的に言うと、松下くんですね。
そして監督はですね、青森県出身で、木階田リブートの監督であります。
下山添監督ですがね、監督は徹底取材を重ねて、企画構想に3年かけて、この企画本を書き上げたんだそうです。
でもね、アイデアの元のところはね、土屋さんからもらったんだそうですよ。
知らなかったんですけど、本当に今のレーサーって、グランツーリスモのゲームなんかの元ゲーマーがいるんだそうですよ。びっくりしました。
土屋圭一さんは2006年のワイドスピード3東京ドリフトでもですね、スーパーバイザーとして参加したドリフト界のキングオブキングですよ。
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当初ですね、今回の映画、協力はいいけども監修はしたくないと言っていたんだけども、監督と話をしたら客観よくできたんでね、監修となったそうです。
土屋さんのこだわりでね、この映画では全くCGを使わないで、ドリフトする車をですね、ドリフトする車で並行して撮影するっていう方法をとられたそうですよ。
もちろんそのためにですね、運転技術が必要なんで、運転してるのは全てですね、このドリフトの大会のチャンピオンたちだったらそうなんですよ。
ものすごい重力がかかってしまうんで、カメラマンが乗って撮影するのは無理なんで、車にカメラを取り付けて撮影したそうです。
実際どんな映像になっているか楽しみですね。
土屋さんというとですね、アニメになったイニシャルDの監修をしたことも有名な方です。
イニシャルDはもちろんですね、ヤングマガジンで撮影された茂野修一さんの名作漫画ですね。
監督がですね、映画を作っている途中でですね、これは福島復興という設定を盛り込むといいんじゃないの?という風にやったんですね。
見事にピースがはまった感じになって、うまくストーリーできたそうなんですよね。
というわけで福島県とか福島市だとか福島民放などが公演となっております。
そのためこの映画ではですね、福島県のあちこちでロケが行われたそうなんですね。
福島市の運動公園だとか相馬市の相馬港、日本松の日本松城、田見町の田後の裏ダムの周辺などで撮影されたそうなんですね。
日本映画ではこれまでほとんど行われなかったですね。
高度を3キロに渡って停止止めてね、そして撮影というのも行ったそうですよ。
でもですね、やはり今回ですね、この福島県に中止になった理由としては、やはり日本松市にですね、エビスサーキットがあるからなんでしょうね。
もうドリフトのメッカとしてね、もう世界的で有名なレーシング場です。
インシャルDのね、最初の方で走りのコートテクニックとして登場する水落としですが、これはエビスサーキットで生まれたという伝説があるほど有名なんですね。
まあ詳細は不明なんですけどね。
ちなみにですね、そのエビスサーキットの支配人はですね、日本松市出身で小林にある日大東北高校の卒業生なんですよ。
この支配人ですが、お若い頃からですね、地域ではものすごく有名な方でね、数々の伝説を持っている方でした。
お父さんがですね、さらに伝説をたくさん持っている人ですね。東北サファリパーク、那須サファリパーク、那須モンキーパーク、岩手サファリパークなどの卒業をさせた人物です。
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一度ね、講演を聞く機会がありましたが、テンガロンハットをかぶっていてね、非常に特徴的な方でしたね。
自分の息子にですね、経営というのを学ばせたかったのか、直接お金を与えずにですね、アパート一つを買ってあげてね、それで後は自分を好きにしなさいという風にやったそうなんですよね。
そのアパートというのが実は私の住んでいたアパートのすぐそばにあったんでね。
当時ですね、ここがそのアパートかと毎日見ていました。
そして自分だったらね、これどういう風にしてやっていくかななんて気になって見ていました。
ところがですね、モトクロスバイクにものすごく夢中になっていたみたいで、いつもそのアパートに大きなバンがあって、そのバンの中にですね、そのモトクロスのバイクが入っていました。
そしてですね、これでこのバンを使ってですね、日本中あちこちのバイクレースに出場して歩いていたらしいんですよ。
それで全然アパートにいなくなっちゃったんですね。他人事ながら別れ通すんだろうと思って心配しておりました。
その後そのアパートからですね、いなくなってどうしてるのかなと思ったら、新しく始めたサーキット上の支配人をしているという話で、
あとモトクロスバイクをやめたのかなと思ったら、今度は自分もレーサーとしてサーキットを走るようになっていたというので、へーと思ったんですね。
しかもそのサーキット上はドリフト走行OKというサーキット上にして、ドリフトを駆使したレーシング大会をですね、2000年から開催したそうなんですね。
それでYouTubeで配信したと。
ドリフト走行というのは瞬く間に日本中で流行って、そして世界に広がって、今ではドリフトが走られる大会がですね、世界で50箇所以上になったそうですよ。
その今でもですね、世界中のドリフト不安がこのエビスサーキットに集まっているんだそうですよね。すごいですよね。
当時あのアパートの前を通る時ですね、大丈夫かなと心配して通ったんですが、まさかここからですね、世界が変わってしまうとはね、全然考えてもいなかったですね。
というわけでいつの間かエビスサーキットの支配人についての話になってしまいましたけども、でもこの映画だってね、もしも知らなかったら作られたと思わなかったんでしょうね。
はい、というわけでアライブフーンね、映画を見るのを楽しみにしております。
それではまた次回よろしくはピョン吉のオタクの話にお付き合いください。
今日もまた一日頑張りましょう。
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