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2024-10-22 44:37

第948回 不可思議親族紹介 母方祖父編

引きこもりの生活をユーモアを交えながら赤裸々に語ります。醜いところを露呈するだけだし、悲惨なところをひけらかすことにしかならない、そして引きこもりの意外な面を知ってもらえたとして何のプラスにもならないと思いましたが、それでも挑戦してみようと思いPodcastを始めました。

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内容は、不可思議なこと考察・今日あった珍事件・グルメ・毒親VS毒息子・生き方生活術・北海道・新興宗教暴露・音声配信・発達障害・アイドル(坂道)・海外・スポーツ・難病等です。

雑談・海外・人生・食事・趣味・音楽・料理・健康・エンタメ トレンド・人間関係・芸能人・社会・生活・文化・暮らし・ニュース・仕事・おじさん・トーク・恋愛・愚痴・アラサー・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・運動・スポーツ・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・ローカル・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・無駄・怒り・美味しいもの・ご当地・県民性・都道府県・残念・ネトラジ・闘病記

00:01
不可思議親族紹介をしていきたいと思います。
過去にも紹介していたのですが、
改めて、いろんな母方を紹介していきたいと思います。
その一人目が母方の祖父です。
15歳まで、両親が両親で手伝いをしていました。
その後、建具屋職人になり、札幌に移り住みました。
ずっとお弟子さんを抱えて建具屋をやっていました。
建具屋職人になってから、どこかで修行をしていました。
その話は一切聞いたことがありませんでした。
何年かどこかで働かせてもらいました。
でも、そんなに長い期間ではありません。
割とすぐに会社を起こしました。
今日も話していても、海が好きで毎日海に行きました。
なぜ両親を15歳までやって辞めたのかと聞いたのですが、
いまいちピンとする回答は来ませんが、兄弟が多いから、
みんな後継いないと言います。
果たしてそういう理由かと思うのですが、
大変そうだからと言っていたのですが、
毎日札幌から朝に帰るほうが大変だと思うのです。
それは置いておいて、
ちなみに双祖父は、当時の偏差値はどんなものかわからないのですが、
札幌南高という、北海道では一番トップの偏差値の学校です。
そこに行っていたのですが、校長先生を殴って辞めさせられたみたいです。
双父も怒りっぽくて、そことよく喧嘩していたみたいです。
叔父もそうです。
息子もそうです。
怒りっぽい家系です。
03:03
妖感はそんなことはないような気がするのですが、
また遺伝というのは、この一家の男性人はこの流れのあるけど女性人は全くないみたいな、
そういったことってちらほらあるような気がするのですが、
双父はそんな偏差値の高い高校ではないのですが、
まあでも頭は良かったと思うよ。
話聞いている限りではね。
例えば職人って結構難しい計算もするだろうし、頭はいいと思うんだよ。
お弟子さんにもね、厳しいし職人敵だから、
そっちの怒り声、校長から聞こえてるって言ってましたね。
妖感はね、小さい頃から工場で家が不設されていて、
家には職人さんもいるし、
大勢がいるところで夕食なんかも一緒に取って暮らしていたみたいなんだけども、
双父がね、やっぱり職人さんの奥さんってこういう感じなのかな。
でもそれにしてもね、相当忙しかったと思うんだけどね。
まず料理で難いでしょ、お弟子さんの分作らなきゃいけないから。
で、自分の子供たちの分も作って。
で、なんとね、これびっくりしたんだけどね、
建具屋のその仕事もね、いやお弟子さん何人もいるんだよ、だけどね。
双父もいろいろ物運んだりして手伝ったみたいなんだよ。
でね、腕っぷしは強かったね。
だから芋団子ね、っていう北海道のあるんだけども、
それ作ってたりとかね、もう80歳超えてからね。
それも相当大変みたいなんだよ。
芋つぶしてたの、なんだの。体力終わったんだよね。
まあ若い頃世話って手伝ってたからだと思うんだけども。
あと双父はね、最近写真を見せてもらってね、
いやずっとそれまで知らなかったんだよな。
仏壇の上の写真はね、見てたけども。
洋館がね、よくね俳優さんみたいだったって言うからね。
確かにもう年取った時の写真見ても、
若い頃はダンディーな感じだったんだろうなと想像はつくんだけども。
この前写真見せてもらったらね、
いやほんと、いやいや、超人気俳優だろうとは。
06:02
よく昔の俳優さん、四六の写真でなんか見たりする。
まさにそういう感じでね。
いやもう超衝撃だったんだよ。
いやこんな自分の親戚にね、俳優さんになれそうな。
あれで演技できたらもう間違いなく俳優になれるね。
でね、双文はね、別に友達もね、親も、
そんな美人なわけじゃ、
友達じゃない、兄弟も親も、そんな美人なわけじゃ全然なくて。
だからよく洋館がね、
だからよく洋館がね、何回か聞かれたな。
どっちに似てるって。
いやそんなに父親に似てるって言われたいのかなと思ってね。
あ、でも自分では母親に似てしまったって言ってたな。
そんな卑下することもないのにね。
でね、まあいろんな写真あったけど、
まあ若い頃の写真もあったし、
まあどれも超イケメンだったね。
でもこういうことって結構あるあるなんだよ。
知り合いの宗教のね、夫婦もね、
そうだし、本当奥さんは全然冴えないんだよ。
あと親友の親もね、奥さんがすごい美人だけど旦那さんはすごい冴えなくて。
あ、その裏の家もそうだな。
うちの前の家は似たような感じ。
隣の家も奥さんは、
あれ、元宝塚の何て言ったっけな。
えー、黒き瞳?みたいな雰囲気でね。
化粧あんまりしてないからわかんないけど、
まあ多分美人だと思うんだよ若い時は。
でさっきも言いましたけどね、毎日のようにね、
仕事前にですよ、朝5時とかですよね。
起きて、安田っていう港町に行くわけですね。
で漁師さんの手伝いをして帰ってくるっていう。
まあお魚もらったり買ってきたりして。
いやー何が驚きかって。
あんまり売れない魚とか、規格外のものっていうのかな、農作物でいう。
そういうものをもらってくるんだけど、それプラス買ってくるんだよね。
だからね、祖母もね、まあそれが嫌だったみたいで、
洋館も、もう魚はこれこれだって思ってたみたいだね。
だってね、当時はね、北海道で、日本全体で言うと、
09:05
あーどうなんだろうな、北海道ではね、
まあベニージャー系ですよね。
ベニージャー系の漁師さんはね、
北海道で、日本全体で言うと、
あーどうなんだろうな、北海道ではね、
まあベニージャー系ですよね。
あ、違う。北海道以外ではね、
昔も今もベニージャー系で、
いやー昔は日本産のもの食べてたのかな。
今はね、ほとんどロシア産で。
で、北海道便も、日本のベニージャー系なんて馬鹿高いし、
そもそもそんな売ってないんで、ほとんどロシア産とか、
うちだとロシアかアメリカ、
もう一年中食べてる感じ。
で、昔ね、祖母の家では、祖父祖母の家では、
秋ジャケをね、
だからそうやってたくさんもらったりして、買ったりして、
それを冷凍しておいて一年中食べてたみたいなんだよね。
今もそうなんですよ。北海道で、
一応ある程度の値段で食べれるったら、秋ジャケ。
ただね、秋になったらサンマ食べれるんだよね、普通でしょ。
でも秋になったら秋ジャケ食べましょうなんていう習慣が北海道の、
いや南東町はわかんないけどね、
大抵の内陸部の地域の人はないと思うね。
あとは、ベニージャー系といえばもうロシア産とかアメリカ産だし、
つまりは北海道はシャケってイメージあるけども、
クマは食べてるけども、人間は、
あれ有名ですよね、木掘りのクマのお土産ね、買う人多いと思うんだけども、
家に飾ってる人も多いんだけどもね。
昔はわかんないけども、
祖父の家では漁師だったこともあり、
美味しいのを食べてたみたいだけども、
今はね、食べるとしても秋でそんな食べないですよ。
でもね、今日これ、
これ、
いや自分はね、いつこの認識ができたのか。
でも書いてるんですよね、
北海道ではシャケを食べるって、
12:02
北海道ではサーモンって、だからいいんだよ、そうやって思ってたし、
でも全国的にサーモンなんて、
サーモンはね、
特に子供の中では、子供たちの間では一番人気と言ってもいいような感じですよね。
で、北海道だからって別に南米の方の食べるし、
ただね、
ちょっとイタリア人はね、
イタリア人はね、
イタリア人はね、
食べるし。
ただね、
ちょっとじゃないね、結構高い値段だけども、
秋になったら、
なんていうシャケなんだろうね、北海道の。
それは美味しく食べれるのか。
でもそんぐらいなんだよね、そんなのは普通食べない。
秋だけだし。
何だろうね、北海道は。
サーモンとか北海道はシャケっていうイメージは。
昔のその流れなのかな。
今現在はあれだけども。
すごいよね、朝1時間とか、
車は空いてるだろうけども、
いやでも、お盆時期はね、
厚田に向かうときね、結構、
信仰宗教のお墓とかね、
いろいろあってね、
混むんですよね今はね、昔はちょっと分かんないけども。
昔はお墓、
なかったかもしれないし、
いやでもどうだろうね、今3つあって、
お墓、
結構な広さの敷地のね、
当時からそのうちのいくつかあったんじゃないかな、だから、
まあその時期は朝も混んでるし、
大変だったもんね、1時間以上かけて。
で、何より漁師と同じだけの仕事量をして、
なんでだろうね、全く、
好きなんだろうね、海が。
で、それだけの対価のものをもらってくるってわけでもないね。
一応、いらない魚をもらってくるのはあったみたいだけども。
何をために行ってたんだろうね。
で、帰ってきてまた仕事が始まるという。
それを毎日やるんですよ。
とんでもない体力だね。
だからさっきも言ったようにね、
いや何で漁師にならなかったのかなと思ってね。
だって漁師と同じだけのエネルギー使って、
そっから仕事を始めるわけだからね。
しかもね、一回祖父の車に乗った記憶は、
15:10
自分の記憶では一回だけども、
多分何回も乗っててね、毎回ね、
昆布が干してるやつあって、
あれがすごい匂いになるんだよ。
それを食べさせてもらってね、
いやまあ美味しかったね。
それ何で置いてるかというとね、
よう考えを言うにはね、
単なる眠気覚ましだって言うんだけども。
いやーね、匂いだけで何かが柔らかくなってきそうだけども。
それ沢山置いてあったのを覚えてますね。
あれは本当に美味しかったんですよ。
最近聞いたんだけどね、
祖母が骨を折った時に入院してて、
札幌で近くの駅で乗せてもらって、
いやーそんな記憶一切ないんだよね。
入院先まで一緒に行って、
実家に行って、
そういう記憶もないんだよね。
当時いとこと祖母と祖父と、
この二人だね。
あとおじおばもいたのかな。
そうですね、おじおばはずっと住んでて。
ここら辺でね、
深杉親族ってことでね、
一つもうとんでもないエピソードを話したいんだけども。
なんとなくわかるんだよ、祖母がね。
よく皮肉を言ってたみたいなんだよ、祖父に。
まあ言いそうな性格なんだよ。
例えばね、自分が想像するにね、
お金のことで苦しんでたみたいなんで、
また要らないものを買ってきてとか言うんでしょきっと。
こんなものまた買ってきてって。
まあしたらね、
祖母がね、
おかずこれしかないのかとか言って、
あんたがまたいらないものを買ってくるからこうなるんでしょとか言って、
何?って感じでね。
で、
いわばね、昔この話聞いてて、
なかなか洋館も苦労したなとか、
でね、
大鳴堂なんて、
大鳴堂の人たちがね、
大鳴堂の人たちがね、
大鳴堂の人たちがね、
大鳴堂人と同じくらいだなとか、
18:00
でね、
大鳴堂なんていう風にしか思ってなかったんだけども、
今考えてみるとね、
というよりも、
ちょっと異常な、
感情の持ち主というか、
結局ね、
こうやって親族紹介しようとしたのは、
発達障害の血経が出る人ってやっぱり変わり者多いんだよって言いたかったんだけども、
お皿を投げるんだよ
こんな狂気じみってことあるかね
よく生きてたよ二人とも
どの程度怪我してたのか分かんないけど
すごいコントロールだよね
ギリギリ当たらないとこ狙うんでしょ
でも当たらないといければいいって問題じゃないよね
バンバン皿割れてるわけですよ
それ踏んじゃいそうで怖いよね
うちだったら嫌だな
その部屋行きたくないね
落としてるわけじゃなくて
投げて割れてるわけだから
カーテンとか
皿の割れ
破片が
ついついそうだよね
勢いでぶっ刺さって
それをしょっちゅうやってたみたいだね
その度にヨウカは怖い思いしてたみたいで
娘がいるのにそんなことしてんだよ
あと宗教の勧誘に来た人に対しても
しつこいからって
皿投げつけてね
たぶんそれで怪我させたら
もう終わりだね
あっちが何か家に入ってきて
乱暴されてたかなら
生徒防衛になるのかな一応
そういうわけじゃないからたぶんね
かなりやばいことしてたね
お弟子さんも怖かっただろうねきっと
しょっちゅう怒ってたみたいなんで
それで一日中
気休まんなよね食事中も
いるわけだし近くに
食事中は優しかったみたいだけど
普段は優しいんだよ
怒ったらそうなるだけで
自分はねすごい優しかったイメージだね
結構ね
祖父と孫だったら隣もそうだけども
なんていうかな
言葉遣いが悪かったり
孫にちょっと
必要に厳し
なんていうんだろうな
しつけまではしないけど厳しかったり
頑固やじって感じの人もいたり
だと思うんだけどほんとね
21:00
ほからかな
イメージだったね
まあ年取って
なのかな
でも自分の家の前の夫婦なんて
70越えてるのにまあ
しょっちゅうなんか隣り合って喧嘩してるからね
まあそういうとこはそうだろうし
まあ祖父のね
いろんななんか面白いエピソードはまだまだ
掘ればどんどん出てきそうだけども
あとね
まあ
まずこの家ねすごい貧乏だったんだよ
最後ね
赤字も続いて
会社辞めるんだけども
相撲がね相当好きだったみたいで
結構オタク的だったんだろうね
でそのなんかそういう
北海道の
相撲の会みたいのに
入ってたんだろうね
支援する
だからあの巡業っていうのかな来るときに
まあお相撲さんが来てね
やることあるわけですよ
当時どうだろ横綱とかも
そういうレベルのの来てたのかな
でもねいや
あの
確か写真も撮ってもらって
横綱にね当時横綱だった人に
何かものをもらったって言ってたな
それでね
何をするかったらまず
お金も寄付したりね
貧乏だってのに
でそれであと
土俵を作るので手伝ったり
他もいろいろしてたんだろうね
いやーさっき言ったように
漁師さんたちの手伝いもするわ
何か恩があるのかねどうなんだろう
一番の目的は海が好きで
っていうのがあれだけども
相撲の手伝いもやって
相撲の家に
あれだね
何かねお相撲さんの絵が描いた
コップとかああいうのも
集めたのかな
自分もそうだけどね
収集壁があったみたいで
この後話すけどもね
他のことは
まあいろいろ
何だろうなあ
まあそういうのとか
相撲関係のグッズは
いろいろ集めたみたいだね
だから祖母が言うわけですよ
何だこのもん買ってきてっていう風に
で喧嘩になると
でね
24:00
石がね好きでね
でっかい石を買ってくるわけですよまた
それどこに置いてたんだろうね
庭とかに置くのかな
飾って鑑賞するのか
まあそれも
そういう収集壁があったんだね
まあハマったら
抜け出せない性格で
なんとなく想像つくんだよねそれはね
まあ自分に似てるかもしれないけど
まあ自分に似てるかっていうとちょっと怪しいけども
あと盆栽にハマってた
ハマってた時もね
あったしで
会社辞めてから
びっくりしたんだよ
赤字続いて会社辞めて
なのに新しい会社始めるんだよあの
盆栽のね
でそれも
ある程度
段階で
閉めることになるんだけども
それはそうもね
頭悩ましたと思うよ
やっと会社ね
まあそこまで
深刻にならない状況で
会社を折りたたんで
したらまた始めるわけでしょ
しかもそれまで趣味だったこと
そんな全く余裕もないのに
仕事に
仕事に
仕事に仕事に仕事にしちゃって
まあ結構自由
自由奔放な
性格だったんだろうね
多分奥さんの意見なんか無視してね
衝動的に始めちゃってるような
感じですよね
でね前の工場
洋館が何歳の時に行ったかな
多分ね
おじが
離婚して子供連れてくる
段階で
これも最近わかったんだけど
おじが半分お金出したってかな
うんそうなんだよねそれでね
娘息子を連れて来てたから
洋館がもうだから
でも何歳離れてるんでね
まあ高校
生課卒業したあたりか
でしばらく経ちね
再高するんだけども
まあすぐかなその家引っ越してきて
だけどもね
もう二人ともダンスの
教室で忙しいから
ほぼ
親は
祖父と祖母みたいなもんで
で祖母がね入院してた時なんかは
もういとこはね
二十歳超えてんだよだけどね
27:00
料理を
祖父が作ってあげて
いたんだよね家にいたから
で祖父はもうがんになってて
もうかなり
呼吸も苦しかったみたいで
だけどもいとこのためにね
一生懸命
毎食作ってあげた
で祖母はね
毎日
毎食作ってあげた
みたいなんだよね
いとこはもう就職も
当時ね
まだ働いてたかな
後にパチンコ屋でアルバイトするようになるんだけども
もう就職してたかもね当時
まだあの会社にいた頃かもしんない
で祖父は
いとこはかなり
中学
中学1年
1,2年の頃だね
高校入ってからはなったみたいなんだけども
かなりの飛行少年みたいで
警察団体に何回もなってんだけど
だけどね
おじは厳しかったけど祖父は
孫に対しては
全然厳しくなかったみたいだね
祖母もね
でも祖母は相当悩んだみたいだね
何回も黒話聞かされたもん
いやー
本当に苦労させられたと
だからヨーカンにね
あんたの
いやーだから
あんたの息子は
あんな風にならなくてよかったと
よく言ってましたね
でね
今ヨーカンも親が忙しいからね
あんまり遊びに行ったりしてないんだけど
ただね
祖父と
よく映画館には行ってたみたいで
でおじは当時は大きかったんだろうね
二人でね
よく映画館に行って
でもお金もないからポップコーンとかも
買ってもらったりしてないんだろうねきっとね
お風呂なんかも
あれかな
お風呂は一人で行ってたのかね
お風呂行って
銭湯行った時は
ヨーグルト
買ったり
駄菓子屋でね
してたみたいだけど
でも駄菓子屋とはちょっと違うんじゃないかな
っていうのも北海道ってなぜかね
寒いからかな駄菓子屋ってあんまりないんだよね
今はもちろん昔も
あんまりヨーカンは行った記憶がないって言ってるね
で祖父はね
これも最近聞いた話でちょっと衝撃になって
っていうか今日も聞いたんだけどね
改めて
30:01
知り合いの漁師から
鮭をね
さっき言ってた秋鮭だよねだからね
をね
100匹買うわけですよ毎年
秋になったらだろうね秋
いいやつ買ってくるわけで
親戚にね
魚屋さんって言ったかな
そこの地下にね
冷凍庫
あって
冷凍庫があって
そこに置かせてもらってたみたいだね
100匹ですよ100匹
1メートルくらいの
中にはもっと大きいのもあって
で今日聞いたのがね
31日にね
その1匹を使って
もちろん祖母はね
捌いたりできないんで
トモロコシ
祖父が
捌いてで焼いて
みんなに振る舞うと
それはねほんといい鮭でね
秋鮭ってあんまり
鮭はね
ほんといい鮭でね
秋鮭ってあんまり油乗ってない
なんかないんだけども
それも油も乗っててね
いやーいい鮭だって言ってましたね
それは美味しかったって言ってました
普段から食べても飽きてるはずなんだけどもね
それはねはっきり美味しかったって言って
でね
100匹それね1メートルくらいの
まぁちょっと想像しただけで気持ち悪いけども
100匹だからね
それをね
いやーどうやって持ってくんだろうね
まぁちょっと大きい
ワゴンみたいな車
あったんだけども
それでね
いやー100匹ね
いやー
それで珍味を作るわけですよ
鮭のね
大変なんだよあれ
北海道もそれ作るの
いや冬でね
もう雪ある中で
で内臓も取ってでしょ
で捌いてそれを
干すわけですよね
でも行ったり来たりして
でしっかり
丁寧に洗ってたよね
手を干して
いやー水も冷たいだろうし
それを雪の中でやるわけだよね
いやー
100匹作るんですよそれを
想像しただけでも酷だねこれは
知り合いに売るわけですよね
33:04
単に商売目的っていうよりも
なんだろうねお世話になった人に
それ作ってあげたいっていう思いと
あとはとにかく
海とか魚が好きなんだろうね
あとそういう習慣と
それにしても100匹は多いね
で1匹5000円だったけな
まあ安く売ってあげるわけですよそれを
でいろんなその時期になったらいろんな人に
自分で営業かけるって言ってたかな
もう毎年決まって
もう買ってくれるって決まってる人もいるだろうしね
もう誰によるんだか
なんか分かんなくなりそうですよね
まあでも
そんな知り合いがいたんだね
近所の人とか
両親
なんだろうなあの
両親仲間はまあ
自分でやりくりするんだろうけども
お弟子さん
家族関係とか
うんだろうね
まあそれは美味しかったみたいだね
自分は残念ながらね
やっぱり自分がもう
体力的に無理だったんだよね
もう作ってなかったけども
うん
さっき言った昆布は食べたんだけども
これね食べたかったね
で珍味のあの
酒の珍味でもね油のすごい
タイプのと
そうでない
タイプだねあんまり油のないタイプだったかな
でもね
そうでない
タイプだねあんまり油のない
まあでも美味しかったみたいねそれがね
まあ酒もあれ
あれだよね
さばいてても
またなんか外側とか固そうだよねまた
凍ってるんでしょそれ
いやー冷たそうだし
確か手袋しないって言ってたな
いや大変だよね
手縛ったりなんだりとかってやってたら
まあ手
もうちぎれるくらい痛いだろうねほんとに
まあでも
そんな美味しいやつね
秋酒使ったほうがいい
いい鮭の美味しいやつ
手頃な価格で売ってくれるんだからまあ
嬉しかっただろうね
そんなの買ったらもう
すごい値段なると思うよきっと
まあでも商売上手だと思うんだけども
でもたて具屋のほうはね
まあ腕のいい職人になったんだろうけども
洋館から聞くにはね
36:00
ただ
まあそんなにうるおっては
いなかったみたいねそっちはね
あと祖父はね
お弟子さんだったり親愛だったりに
がさっきよりは
助けてあげるんだよねってね
返してくれないこともあって
でそういう場合はね
またプラスしてね
貸してあげるんだけども
また買えてもないってわかってんのに
貸しちゃうのね
だから祖父も
それは皮肉痛くなりますよね
相当人情がある
でも
相当人情がある
人だったんだろうなってのは想像するけども
祖母は祖母でね
人情のある人だったと思うんだけども
ほんとね自分が
祖母の家行ってもね
洋館にいた人もね
ほんとは寂しいだろうにね
疲れるんだから早く借りなさいって言って
いつもね人のことを
大事に考えてくれるような人でしたね
でも自分はね祖父と
遊んでた記憶なんかないんだよね
写真見てなんとなくこんなことあったかなと思い出す程度で
3歳の時に亡くなってるんでね
他の子ってどんなもんなのかな自分はね
発達障害でだいぶ
言語も
運動も遅くて
歩き始めるのとかね立ち上がるのとか
発達は相当遅かったと思うんだよ
だからなのかな全く記憶なくて
葬式の記憶はあるんだけどね
祖父が亡くなったのがまた
あれよくわかんないけども
ありますよね葬式
何日か後に
長引かせる場合って
それはね一瞬で
長引いてね
ずっとね今でも覚えてるんですよ
あのなんか
なんて言うんだろうね長審みたいな
飾って
でまあ親戚いるし楽しかったんだけど
でいろんな人家に来てね
なんか不思議な
時間だった記憶あるんだよね
葬式会場もね
一番なんじゃないかなあれ
だからまあそれ以降葬式行ったらね
いっつもね
それを体験してたもんだからなんだか
小さく感じてしまうんだよね
だから
夜寝る場所もね
まあ広くてね
父方のほうもね割と広い
39:00
家族のほうもね
まあ父方のほうもね割と広い
感じだったんだけど
まあそれよりもはるかに広かったね
廊下広いしあとね豪華なんだよね
廊下とかね覚えてますね
でまたね
まあ人はたくさんいたね葬式
何なんだろうな
またね
叔父がダンス教室の教師だったでしょ
だからね
まあそういう
ダンスのプロがね
すごいオーラのある人たちが
大量に来て手伝いをしてくれるもんだから
まあすごかったんだよね
子供流れにすごいなと思ってたね
人数がとにかくすごくてね
そういう知り合いとか
まあ祖母の祖父の知り合いもいただろうしお弟子さん関係
あとまあ親戚関係も多いし
じゃあ生きてる時の話に戻りますけども
巨人ファンでね
北海道はね当時
ナイトナイターゲーム巨人の
試合がまあ主にやってたんで
巨人戦しかやんないわけですよだから
まあほとんど巨人ファンなんだけども
まあ祖父は巨人好きでね
でねその兄弟も
あの原辰成の
下敷き自分にくれたことあるんだけども
巨人ファンだったみたいで
おじもそうなんだよね
でね読売新聞だし
ちなみに巨人の選手ってね
読売新聞がタダでもらえるみたいです
でソフトバンクの選手は
iPhoneとiPadを
新しいの出るたんびにもらえるみたいです
で日ハムは確かハムとかでしょあと
ロッテはね
ガムとあと
あとお菓子ね
試合中出るって言ってたよな
あとね
あ西武がね
なんて言ったかな
食事券って言ったかな
あそれはどうでもいいんだけども
でねまあ
怒りっぽいソフトで言ってたので
試合で負けてたらねテレビに向かってね
テレビに向かってってか多分ね
家族に聞こえるように言ってんだろうね
洋館か行ってもねそんな感じなんだよ
当時まだ7歳8歳
まあソリエ子もそうか
小さい子供
娘がいるのに
聞こえるように言ってるんだね愚痴をね
また
42:00
こいつに変えて何考えてるんだみたいなこと言うわけでしょきっと
いや面白いよねでもね想像してみたら
一人でそれずっと言ってんだから
なんか応援してんだか文句言うために見てんだか
あそれ祖父はねビールは飲まないみたいでね
でも
まあ少しは飲むんだけども
もうちょっと飲んだらね
もうすぐ
もう
酔っ払っちゃってすぐ寝てたって言ってましたね
あとねすごい甘いものは好きでね甘党で
おしるこなんかつく出てきたらね
おしるこって相当甘いもんだと思うんだけどもね
自分は相当甘く感じるんだけども
もっと甘くしろって言ってね
よく文句言ってたみたいだね
甘いものが出る度に
まあ期待しちゃうんだろうね
他の料理でね煮物とかでね
もっと甘くしろとか言わないと思うんで
おしることかね何だろうねあと
まあそんなスイーツはつくないと思うからおしることか
何だろうか
お揚げは
わかんないけど
もっと甘くしろって言って
相当甘い砂糖入れないとね
食べた気にならなかったみたいだね
あとね
結構年取ってからだと思うんだけど
地になったみたいで
それが相当辛かったんだろうね
甘いものが出る度に
もっと甘くしろって言って
それが相当辛かったんだろうね
一回
あの
線路にね立って
もうGマル行為
しようと
Gマルミスでねだから
まあそこまでいかないか
まあ多分電車来る前に引き返したんだろうけど
それぐらい辛かったみたいで
このね
体力的にも精神的にも
強そうな
祖父母だよ
相当辛かったんだろうなと思ってね
いやいや
いやもし自分がそうなったらと思うと
ドッとするね
それでは
ひたけ
44:37

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