1. 哲学以前の違和感
  2. 第5871回 人間維持記録
第5871回 人間維持記録
2026-07-08 1:09:54

第5871回 人間維持記録

止まるって選択肢は最初から入ってない。 理由じゃなくて、手順で日常が続いてるだけ。意味づけが出てきても、「はいはい」って感じで横に置いとく。

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サマリー

このエピソードでは、ストイックさゆえに終わりのない「回収作業」に陥る心理や、社会に出ることへの不安、そして「救い」の幻想について語られています。また、人気が出る芸能人の特徴に見られる矛盾や、専門家の説明が矛盾して聞こえる理由についても考察されています。さらに、人生の意味を感じられない状況でも生き続けること、苦しい思いの先に幸せがあるという考えの幻想、そして「物語を書かない」という生き方について深く掘り下げられています。結婚や人間関係における幻想、思考のループ、欲望との向き合い方、心の奥を探求することの難しさ、そして希望や安定を求める人間の心理が、様々な角度から分析されています。最終的には、合理性の中にも人間味や感情を求める心理、そして「意味」に依存しない生き方について語られています。

ストイックさと終わらない回収作業
現在ここです。
これストイックな人は経験あるんじゃないでしょうか。
たまに結構とんでもないループに落ちることがあって、
ストイックゆえに取り返しをつけようとするときがあるんですね。
でもそうすると、無限に終わらないんですよ。
今の自分では足りないとか、取り返さなければとか、
まだ足りないと思うと。その繰り返しですよね。
この苦しむ原因は、失ったものを完全に回収しなければいけないということが前提なんですね。
でも結構、小さなことと言えば小さなことなんですけど、
とにかくストイックなので、
今朝はですね、
特に何かあったってわけじゃないんだけど、
自分が何か失敗してたというより、
前回話しましたね。
昨日あまり寝れなくて、英語会失敗して、
いろいろうまくいかなくて、
別に取り返しつける必要はないと思うんですけど、
とにかく5年中取り返しつけるわけですけど、
でも、この回収作業って終わらないんですよね。
永遠に続くんですよ。
本来後でやるやつだったものを先にやって、
で、多少達成感なんか味わって、
でもですよ、その後楽できるわけじゃないんですよ。
なぜかというとストイックだから。
じゃあその後にやる予定だったことを今やるっていう風になるというか、
ここ最近はあれですね、
前倒しするというのもそうだし、
気がずっと休まらない感じですね。
でも例えば10年を失った人が10年を取り戻すことってできないし、
そもそも失ったという誤解がありますよね。
逆に取り返しがつかないっていうシビアさもあるけど、
まあ捉え方ですよね、それは。
で、人間ですよね。
いつも言ってますよね、自分は物語を書かないように生きてるんだって言ってるけど、
やっぱり通常ならですよ。
ある程度そうやって物語を書きながらやってるから、生きてるから。
あとはどういう物語の書き方がですよね。
解釈の仕方だったりもそうだし。
だからストイックなすぎる人は、
今できることをやるっていう方が比較的安定するんでしょうね。
過去の損失をゼロにするっていうより。
社会への不安と救いの幻想
では次の話。
自分がもし社会に出るとしたら、
これ完全にありえない話なんですけど、
社会に出るとしたら生き地獄があるから、
宗教はないと思うけど、そういう救いが必要なんだろうなと思ったんですよ。
もし社会に出るという世界線があったとして。
でも救いはですね、もう機能しないんですよ。
そんなもの幻想だとは知ってしまったから。
生きる意味を求めて宗教に入ることは間違いなくないんですね。
そういう理由では入らないんですよね。
丸つき不安になりやすいんですよ。
だから無神経になり何とか維持してきた。
今はですね、社会に出ても出なくても不安。
会社はやわらいではない。
失うものないという開き直りでもないんですけど、
ただ生きる覚悟はあるので、
不安と戦いながら生きていく感じになるのかと思います。
人気芸能人の矛盾と説明の難しさ
では次。人気出る芸能人の特徴があるみたいなパターン。
というか でそれを知るとじゃあなんでこの子はなぜ人気出るのか
みたいなことになる やっぱり人間って矛盾でできてるのかなと思うんですねで
人間の脳って矛盾をあえて持とうとしているのではないかとさえ思うんですよ で物事を単純化してルールを作ろうとする部分と
例外とか個別の事情も気にするという 逆向きの働きがあるんですね
例えば 人気出る子はこういう
子みたいなパターンがあって 例えば守りたいと思わせるではこの子なぜに人気なんだでもそれは
こういうこともあるからではじゃあなんでこの子が人気出るんだみたいなことってありますよね
例えば人気が出る子には守りたくなる要素があるではこの子はそう見えないじゃあなぜ人気なんだろうそれは親しみやすいからだ
でもこの子は親しみやすいタイプでもない気がするじゃあ別の理由かってなりますよね まあこれでも矛盾と感じてしまうのはまあ自分の
脳の性能なのかもしれないんですね いろんな評価軸があるとすれば例えばカリスマ性がある人も人気あるだろうし
保護したい以外にも憧れるとか尊敬するとか でも矛盾に感じてしまうんですよあれ
守りたいと思える人が人気なんじゃないのと思うんですよ だからあの
大抵の人の物事の説明の仕方って ちょっと自分には多分あってないんですねこの前話したあの科学者とか医者が
矛盾しているように感じるって言ったのもあれも 考えてみたんですけどやっぱり彼らは
あるある条件においてのことしか言わないんですね だからダイエットこれは食べましょうとか
でも 自分からしてみたらいやいやそんなの人によって逆に悪かったり
逆に食べ合わせだったりあの その状況とか
年齢によっても違うかもしれが全く効果ないかもしれない逆に悪いかもしれない
食べる量によっても違うかもしれないえっといろんな条件重なったら 人で
そうやって言えないじゃないかこれがいいなんて言えるわけがないじゃないか そんなこれがいいなんてものがあったとしたらみんなそれやってるんじゃないかと思って
しまうんですね まあこれははっきり言って
専門家の言い方説明の仕方頭悪い悪いですよそれは でですね
まあでも これも一つの考え方だと思うんですよ
守りたくなるから人気なのであれば その真逆な人は
人気でないとは言わないまでも守りたくなる人と比べたら そこそこしか人気でないんじゃないかっていう発想もなんとなく
わかってもらえるかなって
わかんないかな まあでも一理あるんじゃないかなぁと思うんですよね
守りたくなるってことが 人気要素なのであればそれが欠落していれば
不人気になる可能性はあるっていうことは言えると思うんですよ だから疑問なんですよね
なんでこの子全く守りたくなる要素ないのに でもちろん他の人気出る要素があるのはわかるけど
おかしくないかと だってここの子は
特に
ヴィジュアルも特にアレだしでも守りたくなる要素がこれだけ人気あるってことは それだけ強い要素なんじゃないか
と思うわけでこっちは じゃあですよ
人によるんだ 守りたくなる人を好きになる人がいれば全くそれ関係なく
人もいるんだ っていうのであればそもそもじゃあ守りたくなる人が人気出るって言わなきゃ
いいって話じゃないですかね 人によって
好みは違うんだで良くないですかね それをなんか一般論のように守りたくなるから人気が出るんだと言ってしまうのがおかしくないですかね
人によって好みと違うと言い始めたら守りたくなる子が人気で安いみたいな
大体の人を言い表してそうなことって 言えなくなるんですよねと思うんですよ
もしくは守りたくなる要素って思ったほど重要でないか では次です
救いの否定と関心の継続
普通ですね救いを求めないっていうには救いは存在するかもしれないけど向かわないっていう人と
それは能動的な否定拒否ですね 自分はそうじゃなくて構造的な否定なんですよ救いが存在しね
そもそも救いというものが幻想だという認識なんですね 圧倒的後者なんですよ
だから求める求めない以前の問題ですよね ないものを求める気にならないだろうし
ないものを探そうという発想ないじゃないですか ないものを頼りにしようという発想にならないだろうし
でもどっちかというとですよ 救いっていうのは存在しないっていうことを言いたいというよりも
とても存在するようには見えないなっていう感覚なんですね
どっちかというとですよ もちろん救いなんて存在しないと思ってるけどどっちかというと
これ思想で言うと2パターンあるんですよね 難しいことだけど
前者は結論だし後者は現代の認識だから 絶対に存在しないと証明したということを言うことは
さらさらそんなこと言うつもりもなくて ただ存在するようにはとても見えない
信じることもできないというニュアンスですよね どっちかというと
あと救いは幻想だという認識はかなり強いんですよ 相当強いんだけど
しかしその問題そのものへの関心はまだ残ってるんですね
救いがあるかどうか迷ってるというよりも そのテーマからは離れたわけではないから
他の人が救いを求めることにとても疑問心してるわけです
でも自分は救いをどうしても求めてしまうということを
それ自体は恐れてるということではあっては欲しくないですけど
このテーマへの関心は消えないということですね
人間って否定的な対象についても考え続けることってあるわけですよね
例えば自由意志は存在しないと思う人が自由意志について考えるとか
なぜそのテーマを考えてしまうかというとやっぱり宗教やってたから
というのもあるし哲学的なことが好きだからというのもあるし
救いを求めてる人がとても滑稽だから気になってしまうというのもあるし
人間の愚かな部分というよりは逆に面白がってしまうんですね
救いを求めちゃってるよみんなって感じですよね
あとは否定と確信は別だから
絶望と物語を書かない生き方
やっぱりこれはあとは人間って絶対に救いを信じなくなったとしても
苦しみとか不安とどう付き合うかっていうのは問題になるから
あとは脳の構造上答えが出たと思っていてもまた本当にそうだろうかと考えてしまうですね
では次宗教辞めて将来も絶望的で
こうやって生きていて絶望することもなく淡々と毎日やるべきこと
でも生きてる意味は一切感じていなくて
状況も変わらないし希望も救いも持てないのか持てないのか分かんないけど
生きるのをやめるのも希望も絶望も物語を書き始めていると分かってるんですね
でそれが自分を崩壊させると分かってる
でも今の生き方が良くて安定してるとも思ってないんですよ
とにかく生きてるって感じでもう生きるしかないっていう感じ
でも生きれている生きようとしているというよりは
なぜか今生きてここまで生きてこれました今生きてるんです
なぜか今生きてるってことに気づいてしまった
気づいたら今になってるって感じたんですね
今の生き方に自信も不信もないんですよ
希望を持って生きてるでも絶望して生きられなくなってるでもないんですね
もちろん何かのために生きてる感覚もないですし
絶望に浸ることもないし
今の生き方が正しいと間違ってるとも思わないし
とにかく生きるしかないというよりは
なぜか今生きてる気づいたら今になってるという感覚なんですね
生きること覚悟はあるんだけどでも決意してるという感じではない
ちょっと曖昧になってきますね
生きるかどうかを大きなテーマにしないで気づけば時間が進んでるという感じ
もちろん生きることの意味とかそこら辺は考えてますけど
道がないところを歩んできたという意味では
気づけば時間が進んでたという感覚ですね
苦しみの先に幸せはない
普通は希望は良いもの絶望は悪いものと捉えますけど
どちらも物語になり得るから
どちらにも大きく乗らないと思ってるんです
苦しい思いをしたらその先に幸せがあるとか
次の話
苦しい思いをしたらその先に幸せがあると考えるのって
自分は努力してるのに追いそれと追い抜かれちゃ悔しい
だからそう思ってるというよりそう思いたいだけなのかなと思うんですよね
苦しい思いをしたらその先に幸せがある
自分はストイックだからこそですね
この考えはおかしいってわかりますね
そんな幸せを求めて苦しい思いするのはやっぱりおかしいと思いますね
自分はですね
楽しいことをしてしまうと
どうしてもこれは自分の場合生物としての性質上
どうしてもそれが基準になってしまう
だからお金を使いすぎると
お金を今月これくらい使ったというその基準に
次の月も合わせちゃうんですよどうしても
その快感を覚えてしまうと
それと同じで
逆に苦しい思いをしてたらですね
その方がまだ
何だろう基準が下がって辛いってことはないわけです
でもこれは生物学的な性質の話であって
その先に何か幸せがある
例えば
さっさと離婚したいけど我慢してるとか
そしたら何かその先に幸せがあるんだろうっていうのは幻想でしかないんですよね
でえっとですね
でも報われると限らないじゃないですか
だからそう思ってられないと続けられないんですよ
思い込ませるんですね自分に
だから価値の支えになる言葉を見つけるんですよ
これをやってれば何とかなるみたいな
事実というより自分の支えですよね
支えになっていること自体には意味があるかもしれないけど
でもですねこれで人のことを否定することがあるわけですよ
自分はこんなに頑張ってるのに何で話すとか
ってなるわけですね
この人たちは自分で言い聞かせるために人を否定するんですよ
それで芸能人にやつ当たりしたりするじゃないですか
自分は振りもせずに頑張ってるのに
何であの芸能人はスキャンダルを起こしたんだとか
こういうことなんですよ
自分は頑張って我慢してれば救われると思ってる
でも多い人だと上手くやられちゃう
そりゃこっちも溜まってられないとなっちゃうんですよね
自分はどうなるかというと
そんなことをそうやって人にやつ当たりしてしまうのって
やっぱり自分のプライドが許せないんですよ
そんなのだって解決しないじゃないですか
だから自分にとって世間の人ってそうやって
上手く物語を書きながら絶対に問題の確信を捉えないで
解決しないで
ただちょっと精神的に楽になる方向だけ行って
ちょっと合理的なのかな
合理的かどうかっていう話とも違う気がするんだけど
この人たちに共通するのは
そう思ってるというよりもそう思いたいだけなんですよね
この人たちは幸せになれないってのも分かってるはずなんですよね
また別の話です
配信の失敗と欲、日常の出来事
アタッチャーが打ち出すとき
引きこもり打ち出すとき
あとはですね
この番組名についてかなりにあたり
身分類だと思うときもあったり
アタッチャー外のとき
引きこもりの時
身分類の時
うつの時
にひるの時
でも全ては側面でしかなくて、とにかく道がないことをやってきたんだって思いました。それが一番の特徴なんじゃないかなと思いました。
今ちょっと配信のことで話あるんですけど、なんとか昨夜大失敗したけどうまくいって、うまくいったと言えるのかわかんないけど、今日は大丈夫で。
そしたらまた欲が出てきて、後から考えてみたらこれがいけないんですね。今までダメだったんですよ。もっといいアプリの使用方法をなんとかないかといくら探してもなくて、でもいい方法があったとなり、
次の段階でまた問題が起きてですね、いやーこれは困りましたね。でももう一つ目のいい方法を見つかったんで、後は後に引けない状況なんですよ。なんとかそれを利用したいし、やっぱり欲が出るのって良くないですね、本当に。
しかも今回はいい方法を見つかったんだから、しばらくはこれでやっていこうってなったんですけど、ちょっとした隙がダメですよね、作っちゃ。
今日の午後あったことですけど、隣の家で焼肉してて気になって、ラジオ全然聞けなかったのと、あともちろん昨日寝ていないからラジオ聞きたいの全然聞けなかったのと、でもラジオの場合、もう一回聞くっていう風にもならないし、
何かの番組を見始めたらじゃあ他のも聞かないといけないってなってしまうし、あと窓を早めに閉めたら逆にそれはそれでもう少し話し声聞きたかったなって思うし、窓閉めちゃって暑くて後悔するし。
でも夏の時期は窓開けてて隣から見えるから、多分向こうもこっちもすごい気遣うんですよ。
一度父親がですね、レースを勝手に閉めたことがあって、普段窓を触らないのに勝手にいじった時はあの時は本当に何が起きたかパニックになりましたね。
まあでも風邪が入ってこなくなるんでしょうがないんですけど。
いやラジオ聞けなかったとはいえ、それ結構悔しくてですね、こういう時、毎日悔しい思いしてますね。
どうしても夜なんだかんだいろいろカバーアートを作ってたり、時間を費やして昼間寝ちゃうんですね、悪循環ですね。
あとは、本当にたまに絶望的な気分になります。将来。
そうだから、やっぱり自分の人生のテーマは人間関係だし、虚無だとか何とか言ってるけどとにかく人間関係なんですよ。
これは解決しないとどうしたらいいのかまだわかんない。
また人間関係で悔しい思いをするかと思うと本当に絶望的になりますね。
あともしこの家で何か緊急の時どうするかっていうのをやっぱり今でも考えるし、
メールもできないし何かいい方法探した方がいいかなとか考えてました。
あとは2階に上がってからも、兵庫階とか通って余裕ある分、そして涼しいから身体的負荷もないし、
だからこういう時は焦るんですよ。今のうちに何かやっときたい。
でもそれで焦ってるのもやめにしたんで、とりあえずジングル作ってましたけど、とりあえずそうするしかないんですね。
夜に近づくと、いや今日はポッドキャスト聞かないように決めたけど、
どうせ聞いちゃうのも明るいしでも、せっかくこの機会に何か充実させることができればっていう欲も出てくるからそうならないのが悔しいし。
あと食事中は幻聴が聞こえるようになってきてですね、親がおならしてるような音が聞こえるようになってきて、
したらなんと幻聴じゃなかったですね。本当におならしてました。何回か。信じられないです。
昨日はですね、アプリ調べたり、男性が釣り目の女性を好む理由を調べたり、
あと野球チームの監督はなぜ交代させられなかったかとか、
あと日本一のシェフについて調べてましたね。日本一のシェフってのは誰なんだろうとか。
あとは放送禁止用語って誰が困るのかとか、あとは何が問題だって禁止になるのか、
そういう構造が気になるし、あとはなぜ人はグロテスクなものを好むのか、好む人がいるのかということですね。
単に好奇心みたいですね。未知なものに対する好奇心。
精神の安定とコントロール
自分は精神的に安定するっていうのも、これも言葉のあやですけど、
安定してる時って安定してないんじゃないかと思って、多少揺れがあった方が、
逆に安定してるんじゃないかぐらいに思ったんですね。
これ言葉のあやですね。常に一定状態にある状態のイメージだけど、コントロールできる状態ですね。
完全に揺れない状態って無神経な状態か、あるいは感情を抑圧してる。
完全に自分は両方当てはまりますね。
ちなみにブッダは弦が突っ張ってるよりも、ある程度しなやかな状態がいいって言ってたけど、
なんか通ずるとこありそうですね。
夕食の話ですが、昨日話したと思うんですけど、鶏肉が牛乳で漬けといたから美味しかったんですね。
普通に焼いてるだけなんですけど、美味しかったですね。
今日のは卵ってすごい優しい味ですよね。ニラ、卵と、あと、
ずいぶん餃子みたいな匂いするなと思ったら、白菜使った煮物でしたね。
豚肉も鶏肉もたまに異常に美味しく感じる時があって、
今日は薄いシャブシャブ用の肉かなあれは。
多分お酒も使ってて、椎茸も入ってて美味しかったですね。
キュウリと。
結婚という幻想と社会の構造
結婚なんていうのも、人間が作り出したすごい幻想だなと思ってて、
これがうまくいくっていう幻想でしかないなと思うんですよね。
生物学的には、非対称性だらけで結婚が長く続くなんて、
ありえないんじゃないかと思うくらいなんですね。
だから、社会も、あと、それぞれの人間も、
うまくいってるものだと思い込んでるだけ。形は結婚として成り立ってるけど、
実質は伴ってないわけですよね。
しょうないんだけど、それが社会の出した答えですからね。
結婚という形で安定させようとしているわけですけど、
無理があると思うんですよね。
じゃあなぜこれが続いてるかというと、
結婚が、みんな結婚、それは離婚する人もいるけど、
結婚続いてる過程のほうが多いんだから、うまくいってるだろうという幻想でしかないんですよね。
例えば性戦略についても非対称すぎるんですよね。
男性は、割と外交的に、女性は安定を求める。
そして一人の人を大事にするみたいな。
これは釣り合わないですよね、全くね。
でも釣り合ってると思ってる幻想なんですよ。
物語化のメカニズム:固定と因果
どうしてですね、人間が信じるということが物語につながるかっていうことを話していきたいんですけど、
まず固定化ということから考えるとわかりやすいと思います。
人間って何かを固定するとですね、
ちょっとすごいわかりやすく話しますけど、
例えば今日あの人冷たかったなと思うとしますよね。
これは物語はまだ書いてないんですよ。
それが同じ思いを繰り返す。
次の日もやっぱり冷たかったなと思う。
あるいはドラマになっていて、何度もその場面が放棄されてやっぱりつらかったなってなると、
この繰り返しなんですよ、物語ってのは。
人間の、この前話しましたよね、パターンによって物語が、とかそういう意味ってできてしまうんですね。
一回だけだったら、あの子冷たかったなーっておしまいなんですよ。
で、他の動物は限りなくこれ、この一回に近いんですね。
人間はこれ何回も、記憶力があるから、何回も何回も繰り返して、でですね、それが固定なんですよ。
だから何か宗教を信じるっていうのも、この人何か言ってるなーって終わるはずだけど、
そうじゃなくて、どこから信念につながるかというと、
まあこれを信じてたら救われるかもしれないとか、動き回るかもしれないとか言って、
それを徐々に徐々に頼りにし始めることですよね。
で、固定をして物語、固定を説明するために因果関係が必要なんですよね。理由が必要になってくる。
で、そこから行動につながるんですよ。
自分が何か悪いことしたから決めたいんじゃないかとか、そこからあまり話さないでしようとかいう行動につながってしまうんですよね。
だから物語を書かないようにしてますけど、それとトラウマを作らないってことはまた別の話なので、
トラウマによって何回も想起することによって10年前のことが自分の物語になってしまう。
しかも人間の記憶ってだいぶすり替えられるから、より悪いものになってくるわけですね。
でも物語を書くこと自体がそうですから、事実とはだいぶ違う、歪められたことになってしまいますから。
さっきの結婚の話と同じように、だいぶ事実とずれた現実を手にしてしまうんですね。
あと役割ってものできてしまいますよね。
自分はこういう人間だとか、こういうタイプの人間なんだと決めつけて固定してしまうと、
その役割をするための行動ができて、行動のための理由が必要になるんですよね。
あとこれが正しいみたいなものを持ってしまうと、
違いますね、順番。まず固定すると中心ができてしまう。これが大切。これを中心に生きていけばいいよっていう。
だからそこから生まれる脅迫感みたいなのも物語なんですよね、たぶん。
やっぱり守るための行動が生まれますからね。
あと固定すると、これはいつまででも本当に変化しないのか、いつまで大切なものであり続けるのかっていう時間軸ができてしまうんですね。
そこから物語化につながるんですよ。
言葉の曖昧さと意味の固定
なんでこれが大事だと思い始めたのか、自分がいつも問うてることですよね。
これは将来に渡っても本当に大事なのかという物語が生まれてしまうんですね。
さっき調べているものがあって、
正直ふと思ったんですけど、
割と適当にその言葉でなければいけないんだけど、
何か明確な意味合いをその言葉に与えているというよりも、
大体この言葉で合ってるでしょうぐらいの使い方をするんだけど、
もしその意味で使っている人と厳密な意味合いを持たせてその言葉を使っている人と議論したらそれはありませんよね。
でですね、ちょっと何て調べたか忘れたんだけど、
出てこないんだけど、
厳密にはちょっと違うんだけど、
この言葉で大体いいだろうぐらいに使ったんですけど、逆に
曖昧そのある表現の方が正しかったりするわけですよね。
それと厳密に使っている人たちが議論しだすと、
それは建設的な話し合いにはならないんですよね。
ややもするとですね、自分のこの話も人によってはでは何が言いたいのって聞こえるかもしれないんですけど、
何となく言っただけで意味は後から決まってくる程度に話している言葉なんですね。
でもそれはただ適当に話しているわけじゃなくて、
自分は逆にですね、そこら辺厳密、ある意味厳密さを求めるからこそ結果的に今にたどり着いたのがこういう、
意味を固定しないで言葉を使っているんですね。
そう。で、単なるパズルのピースを渡されても人によっては結論がほしりがあるしとか話してみたら、
いやこれどこに埋めたらいいんですかってなるだろうけど、
いや自分はあくまでも渡しただけっていう。
あそこに何の意味があると問われたら何とも答えれないんですけど。
あとは受け取りに行って次第っていう感じではあるんですけど。
なんだか今の話次第がだいぶ宙に浮いてしまうような話でしたけど。
では次の話です。
楽しみのない状態の良さ
自分はですね、生活の楽しみってあってもなくてもどっちでもいいっていう状態が結構いい状態なんですよ。
一番いい状態なんですよ。
もちろん楽しみがあれば使えてなくても崩れないっていう良さはあるんですけど、
しかも自分はですね、それよりも何よりもそれで実際に楽しみがない状態がいいんですよ。
だからこそ今度の状態が来てくるんですね。
この状態で一番最悪なのが、せっかくこの状態なのに楽しみが連続することなんですね。
やっぱり安定するからでしょうね。
あるはずだという前提がないから、ないと困るということもないし、
だから比較が発生しないから心理的に安定するんですよ。
ポッドキャスト継続の不思議と意味
では次の話ですが、でも不思議だなと思います。
一人でも聞いてくれてる人が、ポッドキャストで聞いてくれてる人がいれば、
それで2年間続き入れちゃうんだから、不思議なものですよね。
だから境界が0か1だってことですよね。
0が1になる瞬間意味が生まれる。
大きいと思いますね。
もちろん多くの人に聞いてほしいって思いもありますけど、
あまりそこは関係なくなってしまうぐらいなんですよね。
不思議なもので。
生の人間観察とフライトレーダー
次。
今日昼間ですね、近所が気になったっていうのは自分は生の人間を見ることがないので、
以前だったら自分の部屋カーテン開けてて、
そしたら外が見えるんですよ。
そしたら人が通るために気になってしょうがないんですよ。
あと今日はちょっとドキッとしてしまい、
普段あれだけ動画では普通に乃木坂を見てるのに、
自分もほぼほぼ人間的な部分なんてないと思ってたけど、
やっぱりオスとしての面があることにちょっと恐ろしさを感じてました。
フライトレーダーっていうツールを使って夜飛行機が通ってたので、
これ何かなと思って調べたら、空港は関係ないようだし、
フライトレーダーにも何も映せないし、また気になる事案が出てきましたね。
あとやっぱり空にはいろいろ飛んでるみたいで、
勝手に興奮してたのと、後であれですね、
バルーンみたいなのも飛んでることあるみたいだし、
だったらUFOと勘違いしてしまうのも、
全部これらのいずれかなような気がするんですけど、
UFOだと思っちゃうんですね。
感情と判断、飽きという理由
あとですね、今もう3つ以上方法あるのに、
配信のことでアプリのことで気になって不安でいろいろ調べてたのと、
やっぱり効率化したくていろいろ今考えてたんだけど、
でも普段綿棒するときなんてめんどくさいことしてるんだから、
これくらいいいだろうと思って考えるのやめました。
あとですね、ポッドキャストを聞くより意味のあることをしたいなと思ってても、
単に飽きてただけだなって気づいたんですよ。
こういうことあるんですね。
判断に影響を与えるのって、考えじゃなくて感情だなと思いました。
考え方変わったから他のことをやろうとしてるときって、
単に飽きてるだけっていうことが多いんですね。
だからあどづけの理由の可能性はあります。
だからもっと、これも言い過ぎかもしれないけど、
方向転換しようとしてたわけではない可能性があるってことですね。
でも飽きたっていうのって人間にとって理由としては弱いんですよ。
だから理由を作りたいんですよね。
自分の場合じゃあ飽きてただけだったら、今のままでもいいやって気づくんですよ。
欲望と周知の隠蔽
あさとって周知とか欲望ってのは必ず存在してるものですよね。
それを隠さないと信頼は得られるけど、世界的リスクがあって、
それを隠す人ほど負担があるけど、隠さない人は拒絶される可能性があるんですよね。
他者に排除されたくないっていう思いから、
そういった自分の情けない部分って隠そうとすると思うんですよ。
周知であればあるほど隠そうとすると思うんですね。
で、面白いのが欲望っていうものを隠そうとする生き物であるんですよね。
でも人間が自然に持つ内部状態なわけですよね。
それを隠そうとするのも、世界的摩擦を避けるために必要なものだし。
自分がこれ何が問題かっていうと、そういった周知とか欲望を持ってはいけないんだと思ってしまうこと。
あるのはもうしょうがないことなので、それをなくそうとする方向に行くのが無理があって問題になると思うんです。
抑えつける、自分のそういった欲望とか周知を見えないようにしようとするのは不可があるけど無理なことではないわけですよね。
というか自然なことです。
自分は思うんですけど隠してはいけないっていう思い自体も、それ自体が周知につながるし、
美化するのっておかしな話で、人間誰でもそういう欲望とかって持ってるものだから。
でも隠してるのってなんか嫌な感じはしますよね。
ある程度表に出た方がいいんじゃないのかって思いもありますよね。
自分でそこに目を向けてない感じもするし。
でも他人に対しては置いとくとして、自分に対してはある程度その純粋に自分の奥にあるものってものを表に出る方が多い人で、しっかりそれを凝視しながら生きていきたいような気はしますね。
っていうのもどうしてもですね、
何気に感じてしまうんですよね。
それを美化しちゃいけないってさっき言いましたけど、
どうしてもそれを見ていかなきゃいけないものなんじゃないかと思ってしまうんですよね。
ということでさっき言ったことに話戻るんですよ。
だからこれを持っていちゃいけないものだとか、ことさら取り上げようとすること自体が問題なんじゃないかと。
自然にそのまま放っておけばいいものであるんじゃないかと思うんですけど。
じゃあ実際どうですかね。
人のそういう悪い部分見えてしまうし、人にそれをとやかく言われることもあるだろうし。
でも実はその悪いものだという、やっぱりそれも物語なんですよね。
では次です。
心の奥の探求と幻想
人は心の奥と表面があると考えていて、本音は何だろうと自分でもわからなくなったり嘘をついている気になってしまったりしてるけども、
心の奥に本当の何かあるというのは幻想で、見つからないから葛藤が暴れるんじゃないかと思いました。
ここ、心を掘っていったら深くなるどころか逆に表面に戻っているみたいなこともあるんではないかと。
というより、そんなことがあったらという単なるファンタジーなんですけど。
でも心を掘っていったら、表面に結局戻ってしまうという。
確かに一つの捉え方かもしれないけど、でも実際そんなことはありそうだし。
まあありますよね、多分そういうことって。
どんどん深くに行って、自分の本心というものを探しているつもりが。
一体、自分は今どこにいるのかわからない。
だから山にいて、自分は今上に向かっているのか下っているのかわからないみたいな感じになることもあると思うんですよ。
そんなことあるのかと思うんじゃないですか。
実際山でもあるんですよね。
上るということを繰り返していると、それに身体が慣れますよね。
だからその慣れが、後に今上っているのか下っているのかわからなくなるんですよ。
でも普通に考えたら、上っていれば身体に不安がかかるし、下っていれば
楽に下りられるしって思うじゃないですか。
そこなんですよね。この慣れによって、それがわからなくなるんですよ。
人間の心を捉えるときも同じで。
ちなみにですね、多分心理学的に説明しやすくするように、分かりやすく捉える方で
心に奥とか表面とかはないし、そもそもこれに出したら心なんて実態がないんですけど。
人間の奥には本音っていうのは揺るがない何かだって感じしますね。
心がある人ない人いるけど、心の奥にはしっかり何か固まったものがありそうなイメージですけど、
常に変動してるんで、だからそういった固定のものが心の奥にあって、
それが自分の本心なんだと思って探すけれども、常に移ろいゆくものだから、心の奥って。
だからあれ何が本心なんだってなっちゃうんでしょうね。
何かの思考状態になるとき、表面なのか奥なのかってわからなくなるっていうことはありそうですね。
今の話から言うと、これと似たことがあって、思考のループが続くと、
自動的に考えるようになって、結果的に何が何だかわからなくなってる状態で。
だから自分の奥の部分を見ようとしてるんだけど、単なるループになってることにも気づかないんですよね。
心の奥を探すってことについてもちょっと考えてみたんですけど、
もちろん奥を探してるって自分を客観視できますよね、人間は。
そうなんですよ。だから奥を探してるってことがわかってるからこそ、でも見つからない。
でも自分はより奥に行ってると思ってるわけですよね。探してる自分がいる。
もっと深く行こうとする自分がいるのがわかる。
でも実際は奥に行っちゃいないこともわかってる。
心の深くに何かあるのを探してるけど見つからない。
そうするとどうなるかっていうと、自らより奥を作ってしまうんですよね。
そもそもか、心の奥なんて幻想だから、幻想に幻想を重ねてより心に奥を作ってる状態ですよね。
そんな見つからないであろう心の奥をまた自ら作り出してしまってる。
で、奥がまた見えるからさらに奥に進もうとする。
でもこれって何だか単なる変な物語に聞こえると思うんですけど、
ファンタジーに聞こえると思うんですけど、でもこういうことを実際やってしまうわけですよ。
だから観測してるっていう自分は見えてるわけですよね。
心の奥に行ってることは確かめはないけど。
だからその誤解によって奥があるように見えてしまう。
人間って何なんでしょう。探してるの分かるのから奥に行ってないのだけど奥に行ってるという錯覚に落ちる。
でも本心が見つからないけどでもあると思い込んでるから、じゃあつまり奥があるのだろうとなってしまう。
だからまた奥に行ってしまうっていう悪循環以外の何でもないですよね。
極めることの悪循環と希望
で、何かを極めてる作業なんかも同じですよね。
侍とか職人とかは特にそうだろうけど、スポーツ選手だって経営者だってサラリーマンだって主婦だってみんな何かを極めてる感覚あるかもしれない。
例えば縫い物をしてるときとか何でもいいんですよ。工場をさせようってことは何か極めてる感覚になって。
プロ並みではないけど何かにたどり着くと思ってるけど。
最悠期で天竺を目指すけども実際にそんな場所はなかったってのと似てるなと思ったけど、天竺に実際には今調べてみたらたどり着いたみたいで。
でも宗教でそういう話ってあるんですよ。目的地に救いがあると思ってたけど。
ついてみたら思っていたものはなくて、その過程が大事だったみたいな話って聞いたことあると思うんですよ。
ちょっと話ずれちゃうんだけど。だから希望は幻想だけど、その希望を目指す過程は何か意味がありそうな人って意味があるっていうことも人によってはあるのかなって思いますね。
だからこそ強調したいのは、でも希望ってのは人によっては安定措置になるし、あと行動の方向づけにもなるし、いいんですけどただ希望。
だから精神の安定ってこの配信で話した通りちょうどいい揺れなんですよね。そういう意味では希望によって大きな高揚感、快感があるのであれば、それはどうなんでしょう。あまり精神的にいい状態とは言いませんよね。
もし明らかな快感とか高揚感をいい状態とするのであれば話は変わりますけど。話戻りますけど、何か極める先があると思って、自分はそれに向かって極めてることを自覚してるからこそ、でも何か見つからない。
だからもっと奥に極めたものがあると思ってしまう。でもなかなか辿り着かないという悪循環ですよね。
あとさっきの登山ですね、山登りから学べることってたくさんあって、自分はストイックに生活してますけど、この負荷が続くとですね、山で新しい自分の水平感覚っていうのが普通になってしまうのと同じで。
負荷がある状態が普通になってしまい、本当は疲れてるのに疲れてないような感じがするとか、限界が感じられなくなってしまう。
で、山登りしてると省エネものになるんですよね。走ってる時なんかもそうですよね。
で、その時と同じで、今はどんな状態かわからなくなるんですよね。自分は今ストイックにできてるのが逆に楽をしてるんじゃないのか、逆にストイック過ぎるんじゃないかとか、もう何かなんだかわからなくなってくるんですよね。
さっき希望を目指す過程に意味があることもあるかもしれないって言いましたけど、そうだ忘れてました。
でも、希望を目指そうがどこを目指そうが同じことだから、希望を目指すことに意味があるというよりは問題はない場合もある程度にしか思ってないんですよね。
ただ自分にとってはもちろん希望を求めてしまったら大変なことになるんですけど、大抵の人は希望を目指しても問題がない程度だと思います。
A地点を目指そうがB地点を目指そうが、あんまり道の様子は変わらないという感じですね。
難しさの回避と合理性
やっぱり一番ミニマリストなのかなと思います。難しさって嫌い大っ嫌いなんですよ。
なぜかというとですね、不要なものを付け足してるから、ただでさえ難しいものをよりシンプルに説明しなきゃいけないのに、よりわけのわからなくするという行為がどうしても不合理にしか思えないんですよね。
難しいものはもうこれはしょうないわけですよね。難しいものには比はないんですよ。
小難しいものって中身がないし、煙に巻く、あるいはカッコつけてるだけ。
難しいものって理解するのが大変だけど、理解したらわりと世界の見え方って変わるものだし、あとはですね、小難しそうに見えるものってものもあると思ってるんですよ。
外見は複雑そうだけど、中身は筋が通ってるっていう。あと、かねってからの疑問で、
高揚感がありすぎるのって、これ幸せ云々の問題、以前の問題ですよね。
これどう考えても精神的に異常な状態だし、でもそれがいいと思ってしまうのか、求めてしまうのか。
確かにわかりますよ。人間って短期的な快楽を求めてしまう。でも人間は他の動物と違って理性がありますよね。
理性があるはずなのに、動物的に生きてることへの嫌悪感なんでしょうね。
次の話ですが、合理的に生活してる人。
目指すことの物語化
自分は合理的に生活してるんだけど、合理的に生活してる人よりは、無駄なことを惜しまない人の方が魅力を感じるんですよ。
あと、自分は普通でないのに、普通なことをしてる人に安心感を覚えるんですよね。なぜか。
合理的だけど、無駄を惜しまないっていう人でもいいんですけど。
あまり合理的だと機械に見えてしまいますよね。そこは人間らしさもあってバランスがよく見える。
そのバランスに惹かれるのかわからないけど、自分は中身は異質なんですよ、だいぶ。
でも外側は、ありと普通に生活してるつもり。個性的な生活ではあるけど、生活リムズムとか規律を大事にしてる。
秩序を大事にしてる。中身がだいぶカオスな状態だからこそ、混沌すぎるからこそ秩序を大事にしてるのかもしれない。
希望を目指すのも物語だけど、何かを目指すことの時点で物語なんじゃないかと思うんですけど、
未来という点に対する現在からの線が生まれますよね。
やっぱり過去から現在に対しているのと同じで、因果が生まれるから、その時点で物語化になるんですよね。
何も目指しちゃいけないってつらい話ですけど、
例えば、簡単に言うと他の動物だって何か目指すわけじゃないですか。
最初単位で例えば餌を目指すとか、これを拒否してるんですけど、物語化しないように拒否してるわけですよね。
自分はですね、さっき言ったかな、ここで小難しい話をしてる、小難しそうな話はしてますけど、
でも割と軽い感じの性格だと思ってて、でも中身が、軽い感じの音楽って好きなんですよ。
でも中身がないわけじゃないんですよ。
こういったものは余計な小難しさとか文学性、余計な小難しい文学性がないと思ってて、音を純粋に楽しもうという感じに感じるんですね。
自分も同じで、小難しい文学、次の性格ではないんですよ。
でも人生の意味とか哲学とか何にも考えない、老天気な感じでもないわけです。
さっきの話に戻りますけど、理性によって報酬系のループを抑えてるわけですね。
好評感を求めるループを抑えてるわけですよ。
だからこそ原始的な報酬ループに負けてる人を見ると違和感を覚えるんですね。
人間であるんだからそんなことを、とても切な主義、
別に切な主義は否定すると思わないけど、悪い意味での切な主義だな、というか自分が困るだけだなって思うんですよ。
合理的なのに無駄を惜しまない人が魅力を感じるんですね。
無駄を許容する人間味と感情
それについてもう一回話しますけど、
自分は合理的に生活してるけど、無駄を惜しまない人に魅力があると感じて。
うちの前に引っ越してきた人がですね、一人民の男性なんだけど、結構庭掃除してたり、
東京の人ですからちょっと北海道の人と感覚も違うし、お金もあるし、どういう使い方してるのかなと思ったけど、
結婚祭とかで知り合った女性連れてきたり、別にお金あるんだからそんなことしなくてもいいのになーとかこっちは思うんですけど、
無駄を許容してるからこそ人間味があったり感情があると思えるんですよね。
感情がある人っていうのは自分にとって安心材料なんですよ。
自分はですね、サイコパスではないんですよ。
全く。逆に過敏な人なんですね。
だけど実施を持てなくて罪悪感が出てきたり、優しくされて自分の弱い部分見てしまい、耐えれなくなったりってことはないんですよ。
優しくされたりしたら自分はそんな人間じゃないのにとか、自分の醜い部分、弱い部分に耐えれなくなることってあると思うんですよ。
あとは自分の行動に対する罪悪感とか、自分はそんな素晴らしいことをしてないんだとか思ってしまう。
それは単純に自分が恥ずかしいことはしないっていうのも理念としてあるけれども。
希望を使わない安定と空虚
次の話ですが、自分は希望とか持ってないし、使わないし、逆に普通の人は希望を使うし、未来に期待も抱くし。
なぜそういう普通の人の方が安心するのか。
普通とは言ってもいろんな意味の普通があるでしょうけど、今はそのことに焦点を当てるとは。
自分は意味を使わないで安定してるんですよ。
自分は意味を使わないからかどうか空虚なわけですよね。
でも、自分にとっては普通の人の方がしっかり意味を感じて安定してるように見えるんですね。
よく夫婦は補完、支え合うようなバランスが大事とか言うじゃないですか。そんな感じなんですよね。
優しくされても壊れないとか、罪悪感に沈まないとかっていうのは、自我が安定してるんでしょうね。
普通の過弁な人って弱さを見せるのが怖いし、自己嫌悪に陥るし。
評価への依存と自己認識
だから自分はですね、なぜ評価にそんな依存してしまうんだろうと思うんですよ。
逆に自分は評価には全く左右されないんですよね。
逆に褒められても、割と冷めてる。冷めた捉え方しかできないんですよ。
01:09:54

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