1. 哲学以前の違和感
  2. 第5852回 崩壊未確認
第5852回 崩壊未確認
2026-06-26 1:14:50

第5852回 崩壊未確認

何かを変えようとする意志よりも、変えずに維持することのほうが中心にある。

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00:17
現在、ここを撮っております。
よくですね、努力しても限界なんてわかるとか、
だいたい、どの程度かわかるって、
よく、ミュージシャンとか、あと何か、
芸能界を目指したり、あと何だろう、難しいことやる、
人に対しては、言うじゃないですか。でも、
その点で考えると、何やるにしろ能力は、
遺伝で決まってくると思わないのかなと思うんですよ。
もともと丸持ったもので決まってくると思うなら、
一番自分の能力、使えるものを探そうと思わないのかなと思うんですよ。
あと、なぜそういう社に構えたニヒルになるのか、不思議なんですよね。
自分も同じように考えてますが、ちょっとスタンスが違ってですね。
あと、普段そういう言葉ってよく聞くのか、ドラマだけの話か、
03:12
でもよく聞くような気はするんですよね。
でも、音楽が目指してるとかってそうそう言いないのに、
この言葉を使うのって、それはそれで逆におかしいですよね。
何に対して言ってるかわかんないじゃないですか。
例えば、「お前にはあいつとは結婚できないよ。」とかなるわけあるけど、
つまり本当にただただ社に構えた格好つけのニヒルなんですよ、それって。
でですね、これも理解できないですね。
やっぱり自己防衛として本気で探して、
失敗すると自分には何もできないっていうのが確定する。
もうそれが怖いから探さない。
ちょっと自分には理解できないです。
自分はある時からですね、
そうか人間って遺伝で大体能力決まってくるのかと気づき、
自分に才能なんかないにしても自分に合うものを探すことをしてきたわけですけど。
そっか、だから自分がおかしいのかな。
いや、才能がないならないで。
それはそれで、諦めがつくし、
あと自分が、
とにかく自分について分かって、
あと悔しくないですか、自分に何か才能があるかもしれないのに。
あるいはちょっとでも何か得意なものがあればそれを生かせないって、
悔しくないですかね。
まあ自分には才能ないから、
本当はミュージシャンになりたいけど諦めるのは分かるけど
じゃああとは自分のあったものを探せばいいと思うんですよ
そんなに才能で決まってくると思うなら
ミュージシャンの才能がなくても他の才能があるかもしれないわけですから
例えば思想になって弁護士として活躍するかもしれないし
経営者が向いてるかもしれないし
サラリーマンが向いてるのかもしれないし
あとどうせ才能で決まると言っておけば
挑戦しない理由が正当化される
全く理解できないですね
別に挑戦することを称賛するつもりも全くないんですけど
まあというか
別に正当化する必要ないと思うんですよ
自分はこういう才能がおそらくないだろうから
06:00
目指しませんって
それだけの話だし
自分からしてみたら一番悩むとこって
本当に諦めがつくかどうかですよね
本当はやりたいことがあって
それが本当に自分に向いてないと言い切れるのか
って悩むのはわかるんですけど
自分はですね
努力振興も本当に日本人の愚かな部分だなと思うし
でも努力してうまくいかなくて
それを茶化す方向に逃げる
っていうのも正確な悪さが露呈してるのは感じられますね
あとですね
この後でも話しますけど
自分の最適なものを探して
人と比べることにより比較する疲労がたまるわけですよね
自分の位置が明確になり
自分は結構楽しんじゃうんだよな
自分ってめちゃくちゃこれ苦手じゃんとか
自分の偏りがですね
あのなんだろう
偏りがあるかないかが重要っていうか
中途半端なのが嫌なんですよ結局
ちなみに自分はIQテスト
病院でしたことあるんですけど
凸凹がすごくてですね
とても人に見せられるもんじゃないけど
自分は逆にそれが嬉しかったですね
いやーだいぶずれてますね自分は人と
感覚は
まあでもどうなんでしょう
日本人は努力振興があるけど
でもそういうしゃに構えたにひるな人って
どの程度多いのか分かんないけど
もしそうやって
遺伝で能力なんて決まってくると思ってるなら
なぜ努力振興というものが発生するのか
みんなそんな遺伝で決まってくるなんて
考えたべだと思ってるし
そんなこと一切言わないじゃないですか
自分は孤独だと思うほど
みんなは努力で
まあ努力しても
報われたり報われなかったりみたいな
こと言ってますよね
遺伝で才能なんて決まってくるなんて
ほとんどの人言ってないけど
もしその
考えが多いのであればですよ
そういう人が多いのであれば
学校の部活なんでやるんですかね
なんとなく身長とか
大体何ヶ月かやったら
プロには絶対なれないし
多分この環境でやってても
もし才能があったとしても
09:02
チャンスに恵まれないって気付くじゃないですか
確率的にプロになるって
まあ難しいって分かるじゃないですか
それはチャンスがあるない以前に
遺伝的にプロになるような創業がある人って
確率的にだいぶ
1000人に1人とか
1万人に1人とかのレベルだなって
分かるわけですよね
じゃあ限界が見えて
そのせいで2ヒルになるならなんで
部活をやるのか
趣味だと同じですよね
例えばボウリングやったって
ビリヤダやったって
ゴルフやったって
バンドやるにしろ
プログラミングやるにしろ
なんだっていいんですけど
限界が見えてるなら
どうせ限界があるし
意味ないなってならないのかなと思うんですよ
でも限界があることも分かりながら
それでもしょうがないから
自分をだましだましやるっていうのであれば
これは現実的に難しいかもしれないけどさっき言った
ミュージシャンを目指すだって
現実的に難しいかもしれないけど
ただそれを否定する理由にはならなくなりますよね
これは強度幻想みたいなもんですかね
みんなレベルの低さを感じててでもやる
そういう人たちの集まりだからこそ
比較が弱いから自尊心を傷つけられなくて
っていう都合がいいですね
あと趣味だから遊びだからといえば
限界を直視しなくていいし
次に疑問が出てくるんですよ
分かったと
じゃあそんな高みを目指すのであれば限界が見えてくる
じゃあなんで部活でそんな
花からそういうとこを目指してないのに
じゃあなぜ懸命にやるのかって話ですよね
プロにならないと分かった瞬間に昼化するのは
12:05
本気でやる領域ほど限界ってのは露骨に見えるからですよね
で他人との比較も生まれる
この話したら思い出したのが
この話と関係あるかわからないけど自衛隊で
みんな同じもの食べて同じだけ運動しますよね
だから太る人は全く同じように動いてるのに太るんですよ
公立の学校なんかもそうですよね
全く同じ授業を受けてるから
バカとアホが分かれる
間違ったバカと頭いいのが
はっきり露骨に見えてしまう
全く同じことをしてると遺伝が露骨に見えてしまうんですよ
だからよく差別って問題になるけど
難しいことですよね
みんな同じにしたら逆に
その人の能力が見えてしまうわけですから
部活やるのは
まあ手段というかみんなやってるから自分もやる
みんなもうしょうがなく辛そうな感じではないんですよ
割とモチベーションがある感じ
これが理解できないんですよ
まああとこれも話そうと思ったんですけど
まあ例えばバンド目指すんでもなんでもいいんですけど
この集団喧騒っていいのか悪いのか分かんないけど
部活もそうですね
だいたい同じレベルの人と一緒にいますよね
したら
だいたい自分も野球やってたんで分かるんですけど
だいたいどのレベルかって分かるわけですよ
でも胃の中の蛙になるんですよね
自分たちの中で褒めあって
自分たちの中で切磋琢磨しあって競いあって
で周りに勝ったり負けたり
これバンドとかなんでもいいんですよ
趣味でも
エンタメでもなんでもいいんだけど
会社でもなんでもいいんですけど
ただまあこの話
そもそも自分の能力と能力の比較っていう話ですからね
特に喧騒なのはそういう芸術関係だろうけど
で自分たちで褒め合っていればいいんですよねそれで
でもちろん限界も分かってる
自分たちに才能がないのも分かってる
だから誰かが飛び抜けるわけでもなくて
その一つの集団の中で褒め合って
15:00
だからですね別にそれ悪いことだと思ってなくて
なぜこれを利用しないのかなと思うんですよ
結局自分の中で満足できればいいんだから
例えばですよ
音楽やるにしても芸人さめ出すにしても
北海道の番組なんか見てるとですね
ずっとそこに出てる人なんか
結局北海道出たら全く無名だけど
北海道の中では有名で
街にいたら声かけられるし
エンタメ関係の人みんな知り合いだし
北海道にいる限り有名でいられるんですよね
大学なんかも同じで
北大なんかは九州で言うと九大
名古屋で言うと名大とか
特に北海道なんかも
例えば本州との壁があるんで
深刻化されるんですよ
本当にインドの方は変わらずですけど
才能の差がないことを直視しないで済むんですね
共同幻想によって
便利と言えば便利ですよね
上位層と比べない
だから限界を知ってるけど限界を見てない状態なんですね
これが自分が言ってるいつも言ってる幻想ですね
こうやって幻想によって
助けられてる部分もあるし
ただ一つだけいるのは
幻想は幻想なんですよ
才能がないという事実はあるわけですよね
でも人間ってこうやって
何とか自分を保せながら生きてるんですよ
でももっと抽象的に考えると
人間に優劣なんて
実はないんですよね
生物学的に言えば
何かがちょっと偏ってるだけであって
それを人間が単に突出してるという概念で表してるだけ
例えばドラムの才能があったとして
物を結局叩いてるだけですからね結局は
野球のピッチャー
どんなに速い球投げたって
別に石ころみたいなものを
一生懸命投げてるだけですからね
だけどこれはすごいピッチャーだというのもある意味幻想だし
才能がないけどあると思うのも幻想だし
18:03
そもそも幻想で
大体の物は始まってるんで
幻想の上に幻想
を重ねても
いいんじゃないのって思うじゃないですか
でも抽象度が違うんですよ
さすがに野球のピッチャーは石ころ投げるんだとは
あまり追求しないですよね
でも才能があるかないかは追求する
有名な選手は有名な選手として認められるわけじゃないですか
100人いたら100人が有名な選手は分かるし
100人いたら多分1人も石ころ投げてるだけだとは言わないと思うんですよ
では次の話ですがたまに思うことがあるんですよ
結局自分はこういう風に強がってるだけで虚勢を張ってるだけで
やっぱり何もかもから実は逃げてるのではないか
逃げの姿勢なのではないか
つまりこうやってポッドキャストで話してることすべて
自分が正しく生きてると思い込む材料にしてるだけじゃないか
一瞬の逃げなんじゃないか
と思うこともあるんですけど
でも残念ながらその発想自体実はドラマなんですよ
そんな逃げさえ自分は許さないですね
よくそれこそドラマでですよ
ドラマでこういうドラマチックに
登場人物みませんかね
かっこいいけどドラマチックになってるだけなんですよ
21:26
何に対してかわかんないけど
そういう時って何かに許しを乞うとしてるんでしょうね
それが過去の自分なのかわかんないけど
そうやって動機を物語化してるんですよ
ちなみにというか忘れてました
そんな逃げさえ許さないっていうこと自体
価値判断を導入させてしまってるんですよ
多くの職業にいるかもしれないけど
特にアイドル目指してる人
あれだけ目指して好きなものに入って
でも好きだと思い込もうとしてる感じがあるんですね
つまり好きじゃない部分もあるし
でも好きでなきゃいけないっていう部分もあったり
それって不思議だなと思ったんですよ
何故かというと
じゃあ何故こんなたくさんアイドルがいるのか
何故辞めずにいられるのか
好きで始めたのに好きという感情が消えてるって
よく起きる現象みたいですが
ちょっと自分がそれは理解できないです
何故かというと自分は今まで
例えば部活なりなんだり
好きで始めたっていうわけじゃないけど
興味はあって始めて
でも一瞬でそんなものなくなり
つまりすぐ辞めたくなるわけですよ
でも自分は根性で続けてるわけですよ
でも周りはしっかりモチベーションがある感じ
やりたくてやってる感じ
24:02
おかしくないですかこれって
好きで始めたのに
好きという感情がみんな消えてるのであれば
自分と全く同じ状況になるはずなんですよ
つまりさっさと辞めたくなるはずなんですよ
モチベーションなんかないはずなんですよ
これ趣味も同じことですよね
やっぱり飽きるし
好きだっていう感じがなくなるはずなんですよ
じゃあ趣味なら別に義務感でやる必要もないはずですよ
これは趣味に関して
もうはっきり言えるのは
好きだと思い込もうとしてるんですよ
いちいち飽きたからって辞めてたら
世間っても悪いし
自分に対しても失礼だし
好きなものが嫌いになるのは怖いし
好きなはずで始めたのに
そんなすぐ辞めてしまうわけでもいかない
だから好きだと思い込もうとするんですよ
だから好きでいたほうが
自分の物語が壊れないんですよね
自分が選んだ道に対して
正しかったと思いたいんですよ
これもちょっと理解できないです
自分は人一倍強いんです
自分が選んだ道間違ってたとは
思わないように何としてでも
未来を変えることによって
過去の自分の判断が正しかったと思いたいんですよ自分は
でも世間の人も同じように思ってるんだとしたら
自分の場合どうするかというと
はっきりと合理的でないとしても
あの道を進んでたからこうなれたと思えるように何とかする
でもそんなことをしてるとは思えないですね
世間の人がですね
好きだと思い込もうとすることによって
正しかったと思うのって嘘をついてることだと思うんですよ
完全に己への嘘ですよね
それって
まあでも切なくなってくるな
芸能人がとかそうやって
難関なものをくぐって
医者なんかもそうなんですかね
それで受かったりオーディション受かったり
受験で受かったりしても
これでよかったんだと思い込もうとしてるけど
はっきり言って半分失敗だったと思ってる人が多いのであれば
なんか切ないけどそれが現実なんですよ
人間ってそうやって物語を書いて
これでよかったと思って生きてるだけなんですよ
だって半年も経てばいろいろな状況も変わるわけじゃないですか
社会も変わる自分の考えも変わる
ましてや若い女の子男の子
成長することによっていろいろ考えも変わるだろうし
27:00
やりたい仕事だって出てくるわけだし
いやつらいですよねだって仕事だって
一回決めたら帰れないわけですよ
病気になった人がやっぱり研究者になりたいって言ったって無理ですよねそんなの
看護師になったけどやっぱり美容師になりたいって言ったって無理じゃないですかそんなこと
だからもうこの道で正しかったと思い込む物語を書くしかないんですよ
皮肉ですね人生
そうやってやってるうちに
例えばアイドルで言うと
ファンのことを思ってやることが魅力に感じたり
そうやってできてるんですよねだから
使命感なんていらないんですよねだから
結局どの道に進んだって
慣れるようにできてるしだから
変に使命感を持って
自分の
転職はこれだとか言ったって
あまり意味ないんですよねそんなことをしたって
これが転職だと思い込もうとしてるんですよそれだって物語なんですよね
でよく
ドラマなんか見ててると
本来の自分の漢字が後ろに押し込まれるドラマっていうかまあ
なんだろうドキュメンタリーとかもそうかもしれない
やってるうちに本来の自分の漢字が後ろに押し込まれる
本当は
学校の先生になりたかったけどこの仕事
やって親の後を継いで
でそのうちやりがいも出てくるし自分の漢字が後ろに押し込まれるでも
やっぱり自分の夢を尽きれずみたいなってよく話を聞くじゃないですか
別に現実世界でも
つまりだからアイドルなんかこういう理由で
アイドルになった他の仕事もそうですこういう理由でなったと思ってるけど
実際別にその動機を常に持ってる人ないし無理だし
その時々それをやってる理由って変わってくるってことですよね
でも自分のこだわりとしてはですよ
やっぱりいろんな選択肢の中からそれを選んでるわけだから
最初のその
やろうと思った理由を一貫して持っていたいですよね
ポッドキャストこれやってるけれども
やっぱりたまに思い出すんですよ自分は何でこれをやり始めたのか
でもそこから変わったとしてもそれはしょうがないこと
と考える反面
そもそも最初の目的が大きくずれてるならそれは
逆にやる意味がないんじゃないかなでかというとその最初の動機があったから始めてるわけだから
でも人生ってわかんないですよね別の動機でまた始めてるかもしれないわけですから
30:01
ちょっと話戻るんですけど真面目で才能がないってわかっていて
でもそれが見えてしまったら
辛いから
さっき言ったように共同元素を生むとかなるべく自分の中で完結する
その数字数字って嘘つかないですからね数字にどうして現れないようにする
例えば強い人と戦わないでやるとか
うちはだけでやって実際は
世に何も作品を出さないとかでもですよ自分だったら
それも含めてもう少し自信を持ってやるかなと思うんですよ
やるからには才能がないけども
自分を騙すようなことしないで
だって才能ないことわかってるならさっき言いましたよね
自分の限界がわかってだからもう諦める
っていうのが基本的に正解だと思うし
才能がないけどもそれがわかってるけれども
続けるのであれば一種の覚悟みたいなのが生まれると思うんですよね
それでもやるのであればもうそんな隠す必要もないというか
自分を騙す必要もないと思うんですよ
わかりますかね才能の限界があってから目指せないっていう人もいるし
才能ないのわかってるのにやる人そして才能ないことを見ないふりする
よくわかんないんですよ
自分はちょっと多少俯瞰して見てたのか
やっぱり部活の人も他の部活もそうだけど
やっぱり部内でも弱いこともわかってるけど
でも自分はそれでいいんだと
例えば分無両同してることが自分の喜びだったり
何かしらその人なりの妥協点みたいのを探してるし
本当それは人それぞれなんですけど
人間とバランスを取りながらそうやって何とか続けてる
だから続けるってことはそういうバランスが必要なんですよね
どっちか一方の考えに偏ってはいけないし
やめる痛みの方が大きいんでしょうね
特に青春時代仲間を失うとかだから続けなきゃいけない
続けるには才能がないってことは見ていられない
33:00
そういう仲間が集まるからお互いを褒め合う
バンドマンなんかそうなんでしょうねきっと
そういう人たちで群れて褒め合って
でもそれはそれでいいと思うんですよお互いのいいところを見合って
でもそれが幻想だと気づかなければいい話で
現在色とってます
今日食事中ですね
いつも出ないものが出たんですよハンバーグですけど
久しぶりだったんですね
本当に運が悪いのが
こういう時に限って窓を開けてるし
後ろの家の人とですね
毎年庭いじりしてるだけなんですけど何か気になるんですよ
必要以上に気にしてしまうんですよね
体が危険な人物だと認識してるんですよね
音が鳴るだけでこれだけ危機意識持ってるわけですから
それでですね
音が気になって
今だったら気にしてたわけですよね
でもですね今日はあまり気にならなかったんですよ
近くの犬の鳴き声もあまり気にならなくて
逆にこれはいつもと違って違和感があったんですよ
つまり音が鳴るのもいつもと違うし
音が鳴って気にならないのもそれもいつもと違う
だからもう動揺してしまって
つまりフィルターが強く働いてたような感じ
理由はともかく
理由がわかんないからこそ
おかしいですよね
それで普段慣れることもないし
かといって久しぶりの音だから
気にならないってこともないし
でですねこういう時
しっかり味わおうとするわけですよね
しっかり味わうのはいいんですよ
でもですね
これスポーツ選手でもあるかもしれないけど
しっかり味わおうとすればそれでいいんじゃなくて
それでスポーツ選手でいうところのフォームが崩れたらダメじゃないですか
自分はそれで味わおうとして
食べ方が変になる
普通普段そんなことはないんですよ
なぜかというと経験を積んでるからそういう失敗をしてきてるから
でもあまりにもこういうふうに
なんとかしなきゃという思いと動揺が重なるとですね
それさえ危うい
そして最終的にどうなるかというと
36:01
何でしょうとにかく不快感にも耐えられなくなって
脳がバグを起こして
今は別に辛い時間じゃないんだ
そしてこの辛さは意味があるんだと思い込もうとするんですよ
これが一番危ういんですよ
普通であれば
辛い作業をしてる時とか
これは楽しんだみたいな
だからDVを受けてるとか行事虐待とかの被害者がですね
それを快感に感じたりするのも同じ原理で
それってまずいんですよね
でも自分の場合不快を排除すべきものでなくて
負荷として必要なものとしているんですね基本は
それならいいんですよ
でもこれって関連な防衛反応ですよね
快感防衛というらしいです
今調べてみたら
まあはっきり言って防衛反応ですよねただの
でも自分が辛い思いをしててそれを
例えば奴隷みたいに扱われたとして想像してみてください
いやこれは自分にとって楽しいことなんだと思い込むって
ちょっと異常事態ですよね
だから危険の検知が鈍りますよね
でそうやって一生
その副作用って出ますからね
行事虐待の場合
結局今日全然集中集中できなかったんですよ
でも
それ自体が辛いから
今みたいな快感防衛が起きるわけですよ
味わえてなくてもでも味わえてると思い込もうと思い込もうとするんですよ
味でない味を感じてるんですよだから
別に裏の音が原因でなくて味わえてないっていう可能性もあるのに
無理して味わおうとするんですよ
それで今のあれ時間が良かったと思い込もうとするんですよ
とにかくいつも通りできないことが自分にとって
こういう問題を引き起こすんですね
あと思ったんですよ
もやしってあれ育てて安いからっていう理由で安いんですよね
大抵のものはそうだと思います
単に見た目を良くするために
ウニとかもそうだけど
結構こういうの多いんですよ
見た目を良くするために味じゃなくて
それで値段が上乗せされてるだけとか
あと輸出というか
39:02
輸送にお金がかかるからという理由とか
そもそも美味しい美味しくないって人の感性によるじゃないですか
でですよ
特に金持ちでそこにプライドを持ってる人って
安いもの買わないんですよ
これは持論ですけど
なんとなくですよ
経済のこともわからないし
うとい自分からしてみたら
なぜ高級住宅街にあるようなスーパーって値段が高いかっていうと
彼らのプライドを保つためだし
単純に買ってくれるから
それは儲けるからいいわけだし
別に高いものはいいってことではないのを気づいてるだろうけど
なんとなく高いものがいいような気がしてしまって
多分自分も金持ちになったら
今ならわかんないけど以前
自分が金持ちになったら
そういう高級なものばっかり買うようになるかなと思ったことありますね
そういうプライドがあるからですよ
自分は配属として
人よりも良質なものを体内に取り入れなきゃいけないとか思っちゃうんですよ
でですね
今のは極端な例ですけど
安いイコール低価値という価値観ってありますよね
だから安いのが美味しいっていうのだと矛盾がある
人間って矛盾があるとき何とか成功性を保とうとするわけですよね
安いけど高い安い関係ないんだ
安くても美味しいというか関係ないんだ
としてしまうと他の判断基準も選びますよね
高いから美味しいというわけじゃないんだとか
単純にじゃあ安くても高くても全く関係ないとも言えないし
だからある程度高いものは良いものだという風に思う
だから思うようにしてる
だからたまに贅沢はするけど
高いもの買えないけどでも
買えるときは高いもの買いたい
安いもののほうが経済的には嬉しいけども
でもそんなに美味しくない気がしてしまう
それが別に安くても高くても全く同じだとしてしまうと
42:01
それはそれでもやっぱり矛盾があるんですよ
やっぱり高いものが良いなって気づくし
自分はですね
安いのに美味いのが矛盾だから不快に感じてるんじゃないんですよね
そういうことはあると思うんですよ
ただそれが理由で損してるんじゃないかなと思うだけ
大抵の駐留家庭の賭けでもやしっていうのは
なんとなく安っぽいから買わないけども
さっき言ったように種育て安いから安いだけであって
まずいからではないんですね安い理由は
だから損してる家が多いんじゃないかなって思うんですよ
でも大抵の人はその例外を何とも思ってないのかな
例外だとも気づいてないのかなだから
とにかく緩い相関はちょっと自分には理解しがたくて
結局高いものは美味しいんだけどでも
安いものでも分け合ってというか例外的に美味しいものももちろん
安いからという理由で美味しくないということはない
安くても美味しいものもある
こういうものがあると判断に迷いますね
もしですよそんなに高級料理が好きじゃないっていうのと
もやしが好きだっていうのだったら
もやし買った方がいいじゃないですか
でもこれも共同幻想でやっぱり高いものの方がいいと思ってしまう
みんながそれを選んでるからだからもったいないですよね
高いものの方が美味しく感じるちゃうんですよ
どっちかであってほしいですけどね
というわけで今日の夕食の話ですが
きゅうりでしょ
今言ったもやしの炒め物ですね
久しぶりでした美味しかったです
もやしは久しぶりに食べると美味しく感じるし
ただジンギスカのもやしが好きかな
以前昼大量に食べてたことあるんですよ何回か
でももやしって飽きちゃうんだよな不思議と
あとですね
あれはなんだなんか小松菜でもないし
なんだろうあれはあれすごい美味しかったです
45:02
ただめんつゆの味しかしなかったけどでも
あれも美味しかったです
うちでよくとれてたやつですね
今回のはまだスーパーのだろうけど
よく前とれてましたね夏に
うちでとれたやつは美味しいんですよ
おつゆにも入ってたかな
あとハンバーグですね
いや悔しいけど
あとですねきょうは英語会
いろいろ変化があったんでうまくいかなくて
地獄を味わったのと
焦ってきょうも英語会早くとって
あとドラマきょう
ドラマというか映画がですね
ほんとつまらなかったんですよあれ
なんの展開もないし
しかもですね
乃木坂の子が出てて
アイドルになる映画だっていうから
見てたんですよ
親からそう聞いてたんですね
したら主人公が
レコード会社と契約途中で
することになって
つまりその乃木坂の子は歌ってさえいないんですよ
とにかく力でまかすですねいつも
でこれがばれたら知らばっくれるんですよ
言い訳が始まるんですよね
これ見たときは両方二人だと思ったんだけど
って言い訳にさえなってなかったです
まあ別にいいんだけど
まあとにかく
かっこつけてるようにしか見えないんですよ
あれはなんなんでしょう
現代アートの人と同じ心理なのか
ちょっと気をてらってるようにしか
残念ながら自分には見えない
自分の感性がないだけなのか
ただですね感性があろうとなかろうと
とにかく気をてらってるようにしか
まあそれが
ちょっとこれは言い過ぎかな
わかんないですけどね
だから映画が好きな人
文学なら文学映画は映画で
その感じなんか
アングラな感じというか
普通に
芸術性とも違う
芸術性を見てるんでしょうね
そもそも芸術性ってなんなんでしょうね
なんか
ビシビシその
尖ってるところが伝わってくるんですよ
普通ならこうするところを
俺はこうするぜっていう感じ
48:00
いやいや自慢大会じゃないんだから
それを見せられてもね
でも見てる人も
それを見てる自分に酔ってる感じ
ちょっと難しい感じ
でも映画なんかわかんない自分からしてみたら
くだらないんですよ
前純文学を見てても思いました
別に何にも起きない普通の現実ならですよ
普段のこの現実を見てればいいだけであって
そこら辺にいる人の話を聞けばいいだけであって
そっちのほうがよっぽど現実のほうが面白いですよね
ほとんどリアルなフィクションよりも
完全にリアルな現実世界の話のほうが面白いと思うんですよ
特に映像美があるわけでもないし
人間の奇妙を描いて
その密度によって見せてる感じでもないし
ただ単に
なんだろうアングラな
ちょっとこじゃれてるっていうか
だから演劇部もなんか癖の強い奴らで
なんかやだったんですよ
演劇界隈のなんかそういう独特なのあるんですね
自分たちには分かるぞっていう
芸術史上主義っていうやつですかね
だからメインストリームとか商業
映画とは違うぞっていうことを
誇示しようとした結果
なんかそういう偏屈なものができてしまう
でも一つの側面としてはあるような気がするんですよ
どう考えてもそういう気がしてならないですよね
自分は舞台もですね
北海道っていう土地のせいもあって
舞台なんか見る経験もないっていうのもあって
それも相まって理解できないですよ
何度か映像では見たことあるんですけど
本当に何を見させられてるんだっていう気持ちになるんですよ
本当に文化祭を見させられてるような気分
ミュージカルでもないのに歌が入ってきたり
よくわからないですね
コメディな感じも入れたり
人間模様を描いたりしてるようには見えないですね
ほんと単にこう難しくしてるだけ
芸術性ということでごまかそうとしてるだけに見えるんですよ
あとよく振付師がですね
51:00
ここにはこういう意味があるとか言って
あとは美術でも
これはこういうことなんですとか歴史的な背景とかを説明して
それで意味がわかるものってあるじゃないですか
そういうものもあんまり理解できないんですよ
言われないとわからないもの
言葉で説明を最初からすればいいんじゃないかと思うんですよね
言葉によって補強できるものって
芸術性と呼ぶのかと思ってしまうんですよ
それに近しいものがあるかもしれない
批評家とか単純に世間の
意見で映画がこういうことがあるとか
そういうことってあるじゃないですか
誰もそんなことわかんないよっていうもの
裏設定とか
世間の人が言うことによってよとわかるみたいなことありますよね
作り手もそもそもわからそうとしてないところありますよ
ありますよね難解なセリフだったり
抽象的であったり美術もそうだけど
現代アートはそうですよね
哲学用語映画もありますよ今日も
なぜか登場人物が哲学をし始めるってありますね
それを芸術性だといって
つまり芸術性の本当に大事なところを抜かして
単に上っ面などこだけで芸術性に見せてるっていう
ものもあるし
本質的に素晴らしいものももちろんあるし
あとですね昨日から
部屋の中で何か音してるんですよ
外かなと思ったけど違うんですね
多分この時期雲なんですよ
いやー本当にそれが気になった気になって
別に害はないんだけど
気になるんですね
でもですね今日騒音ババアの家のテレビの音うるさくて
そっちの方がまあ
今度は気にならなくなって
いや人生ってわからないもんですね
だから雲がいてくれてよかったんですよ
そっちに慣れちゃったから
映画が撮っております
いやー実は番組名がですね
決まんなくて
番組名決まって番組説明を考えてて
でまた番組名並み始めてですね
自分はこれを大切にしてればよとか希望とか
それから絶望も含め救いとか
そういうことを表す言葉がですね
見つからなくてですね
見つからないんですよ
あと宗教番組と誤解されても困るし
54:06
かといってインパクトがないとそれも困るし
伝わりやすさも大事だし
物語といっても
老いたちっていうのも物語に含まれたり
あとですね
いろいろ悩みながら
他もですね
着替える日
月曜の予定だったけど
今日着替えるかどうかとか
厚かったんで
それはそれで
そしてこの話を
ボットキャストにするかどうかっていうこともそうだし
あとですね
ボットキャスト撮ってるで
一つ一つにちょっといま
詰めすぎというか
時間をかけすぎてるんで
結構話すときに負担になってて
これから
暑くなって頭も働かなくなって
どうなるんだろうとちょっと不安に思ってますね
あとこれも話そうと思ってたんですけど
親とのトラウマもあって
父親とのトラウマもあってですね
明らかに頭おかしいんだけど
でもそんな頭のおかしい親と
そして自分と
この倉木家
全体で考えてみると
特に社会の中で虐げられてきてるわけでもないし
ひどい目に遭ってきてるわけじゃないけど
社会の中で非常に
切ない一人はいるんだろうなと思って
ちょっとした視点を変えてみるとですよ
単に腹立つ親だったのがですね
倉木家という一家として一体として考えてみると
切なくなってきてですね
でも結局ひどい思いをしてるのは自分なのかな
わかんないけど
だから親はもう無自覚のまま
自分が変だって気づいてないだろうし
しかもうちの親の場合
社会、社交性も
ちゃんとあってうまくいってると勘違いしてるだろうけど
どうでしょうね、倉木家全体が
非常に
早うい状況にいると思うんですけど
それはわかってるかな、でも
はい、現在朝です
57:01
お肉の部位っていろいろあって
身のが好きだとか
マニアックなのが好きな人いて
でですね、自分は何故か
それ言い出したら
発とかガツとか美味しいのあるし
って考えてると
もう焼肉自体に興味がなくなってしまうんですよ
結局オーソドックスなのがいいんだよなとか考えてるとですね
興味が薄れてしまうんですよ
で、自分が苦労とで焼肉
いろいろ食べて一周回って
ジャンクなものが好きになったとか
もしくは
焼肉に対する
そういうマニアックなことをする人は
焼肉加減、焼き加減とか
そういう貧評回を押し出すのが嫌いだというわけじゃなくて
一つならいいんですよ
いくつも選択肢ができてしまうとですね
それは自由な世であって
選択できる自由な世であって
選択しなきゃいけないっていう不自由さが
露呈してしまうんですね
でも疲れ切ってしまうんですよ
でもですよ
もう一度言いますけど
それもいくつもいろんなものを食べきって
結局何がいいのかわからないっていうよりも
全然焼肉なんかそもそも
普段食べてこなかった
ですけど人の話聞いてると
いや結局
身のが好きとか
そういうタンが好きとか聞くけど
それ言い出したら
肉の分野なんてたくさんあるし
焼き加減とかいろいろこだわり出したら大変なことになると
たくさんの情報が提示されることによってですね
その中から選ばなきゃいけないという両力を感じてですね
まだ食べてさえいないのに疲れてくるんですよ
では次の話ですが
たまに面白いなって思う人見つけるんですよ
自分が面白いなって思う人って本当に相当変わってるんですけど
本当にちょっと
テレビに出されないくらい変わってると思ってた人が
今ではすごい人気が出てですね
こういう場合ってどうなのかな
こんな一般受けしなさそうな人が人気出るってことは
あくまでも消費しやすい
で 突飛をしもないことをする
っていう
とこ見てるだけね
つまり
多分世間の人は表面的な部分だけ見て
見下ろごう状態ですよねだから
1:00:00
どういうことかっていうと
基本的にそういう
あまりに変わってる人は
なんか変な人で終わってしまうんですよ
芸能人とはいえ
そういうあまりにも
アバンギャラド感があって
だいぶサブカル寄りで
尖ってる人が人気出るってことは
多分自分とは違う興味の持ち方なんだろうなと思うんですよ
自分が興味持ってしかも世間の人
大抵が興味あるっていう
大衆を受けしてるっていう人って
大抵自分とは違う興味の持ち方なんですよ
その人自身は大衆に下向してなくても
大衆がなんか変なレッテルを張ってしまってるんですよね
次ですがアイドルは恋愛禁止ってことについて
これも哲学だなと思ったので考えたいんですけど
まずですね
部外者の介入の感じがしてしまう
これは思うんですよ
じゃあ何万人もファンがいるアイドルはですね
そっちの方が圧倒的に部外者だと思うし
あとですよ
もちろん家族もいるだろうし
友達もいるし
その人が男性アイドルとか
若い男性俳優イケメンが好きだっていう可能性ある
応援してる可能性だってある
下手したらグループ内恋愛してるかもしれない
そう考えると別に恋愛一人としてたところで別に
何ら変わんないともないのかなと思うんですよ
でもこれはアイドル自身もあなたのためにっていう
個人個人を持ってると思わせる幻想
幻想を抱かせてるわけですけど
でもこうやってポッドキャストで話しておきながらですね
やっぱりでも
さっき思うんですよ
そうやって幻想を持つのも生きていくための
必要な手段なんだよなと
だからこんなことを主張したところでしょうないんだよな
という思いもあるんですよね
ただ幻想の中にも
やっぱり持っているとちょっと危ういよっていう幻想と
今回の話みたいに
一応それっておかしくないっていうことを話しましたけど
別に楽しめる分にはそれほど問題じゃない
なんじゃないかという幻想もあるんですよね
じゃあなんでこの話したんだって話ですけど
あくまでも自分がちょっと理解できないなっていう
ことに
重きを置いて話しました
今ポッドキャスト聞いてるんですけど
それがですねすごいくだらないんだけど
でもなぜか自分のポッドキャストと同じで
1:03:01
哲学の方に向かうんですよ
とはいえちょっと
なんて言えばいいかくだらないんですね自分にとって
くだらないって聞かなくていいんですよ
でも
番組名考えたり
寝る前は
スマホあまりいじりたくないんでそれを聞いたり
してるんですけど
聞きながら
ながらで番組名考えちゃってるんですよ
でもそれずっと聞いてるのもなんか
馬鹿らしくなってくるんで
でもですねしたら
哲学の話始まってるのに
番組名にぼっと押してしまって聞いちゃって
聞けなくて
すごい後悔してるんですよ
あとは
ちょっと昨日英語会で
撮るにあたりですね
これもアプリのバグで
録音アプリのバグで
いやバグじゃなくて
なんか
前とちょっと
違うような感じがして
ってことがありましたね
あと今悩んでるのが
もうちょっと日本語会の話すことが多すぎて
でも英語会も撮らなきゃいけなくて
でも一つのエピソードで撮れる時間ってのは
大体決まってるというか
あまり長くしたくなくて
いろいろ主張が出るんですよ
それでですね
かといって日本語会
続けるわけでもいかないし
どうしたらいいかちょっと悩んでますね
そんなこと朝から悩んでました
最近毎日悩んでますそれで
いくら考えたところで
結果は変わんないんですけど
あとは自分は芸人さんには興味ないんですけど
ある芸人さんは奥さん
奥さんじゃない彼女
女優さんと付き合ってて
どんな彼女か見て
すごい美人だったんですよ
でですね
以前の番組見てたら
すごい幸せそうにしてるんですよ
みんなからも祝ってもらって
いやこの1年後に別れるんだよなと思って
なんかかわいそうだなと思って見てましたね
あと昨日見た
ちょっと自分にはくだらなく感じた映画
同じようにくだらないと思ってる人いないのか
っていうのを探してしまいました
なんか共感してる人を探してる人よりも
あれは一体何なんだ
何か自分にも気づけない
何か深い何か
芸術性とか
あったのではないか
気づけてないだけじゃないか
と思って調べてみたけど
特にそういうことでもないみたいだしね
1:06:01
何だったのかなと思いますね
あとよく数字はそうつかないって言うけど
これがもし
本当なのであれば
幻想を抱いてる人には通列に響いてしまうもんですよね
でですね才能の欠如
見ないように普通にするんですね
だから結果として現れないように
数字として見えないようにする
でもやはり思うんですね
才能がないのであれば
それにうつうつ気づいてるのであれば
じゃあやめればいい話だし
それとも続けるなら
それ相当な覚悟が必要ですよ
才能がないにもかかわらず何かを目指すってことは
相当な境地ですよねそれって
趣味でやる分には
別に自分を騙す必要ないだろうし
でも楽しむためにはある程度
自分は才能がないってことに気づいちゃったら
困るんでしょうかね
何とか逃げ道を作って生きてるんですよ
その場所に所属してたりというか
またもう習慣化してしまったとか
そういう理由で続けてしまうんですよね
そういう人は
一番なぜ続けてしまうかっていうと
と言っても学生時代を参考にするしかないんだけど
自分の丹霊だと思ってるからですね
それはそれで問題なんですよ
部活だったらまだいいけど
勉強だったら困るじゃないですか
実際点数を上げることが
第一目標にしなきゃ
優先順位がずれてますよね
とですね
毎年6月ぐらいになったら
今年も
それこそ
歌番組なんかも多くなったり
いろんなイベントがあったり
夏は嫌いですけど
そういう騒がしい感じあんまり好きじゃないし
夏の音楽も好きじゃないけど
ただ
あまりにも暇なんで
そういう情報は嫌いではなかったんですよ
でもですね
単に6月7月は涼しいからまだ
ちょうど寒くもないしちょうど良くて
それで
他のいろんな風水していろんな情報が
よく感じられたのではないかなって気づいたんですよ
だから心理的な意味と誤認してたんですよ
自分たちが
物事がよく見えて
逆に夏はもう疲れて何も考えるにも
かなり能力がいるから
だいぶ今落ちぶれてるぞとも
勘違いしてしまうんですよ
あとよく不倫報道
あったら
ずいぶん
悪く言われるけど
1:09:00
これって自分たちは我慢してるのに
なんでこいつはっていう思いなんですね
だからことさら
生きないと言いたがる
それと同じで
悪いことして寝るわけじゃなくても
何か幸せそうにしてる人
でも自分がわけあってやらない人
それを悪く言いたがるんですよ
それ
心配だよねとか
そんなことして大丈夫とか
なぜそうなるかっていうと
自分がそれをやりたいけどできないから
で悔しいから
でもですよ
何か理由があって
それができないっていうのであれば
もうそれは自分で
そうしてる責任を感じてですよ
いちいち人のことを悲鳴らないで
そう決めたらならそうする
もしもっと自由になりたいなら
それも確保して
それをするでいいじゃないですかね
例えばそんな
いい大人が遊び歩いて
ってことは否定して
そうできないなら
できないなら諦めればいいし
それをやりたいなら
そんな悲願でないでやる
でも現実的に言うと
どちらか選べってことはできないんですよね
とはいえ
そうやって人を悲願むのはおかしいと思うんですよ
そういう人たちって苦しい思いをしたら
その先に幸せがあると思ってるんですね
でもないのもわかるんですよね
ないのもわかってる
だいたい苦しい思いをしても
先に幸せがないこともわかってるからさよって
幸せそうにしてる人を
楽して幸せそうにしてる人を悪く言いたいんですよ
これ世代にもよるんですけど
多分上の世代の人は
戦争経験してる人なんかは
苦しいことをするのが美徳だと
思っちゃってるんですね
自分も人のこと言えないんですけど
ただ苦しいことをしてればその先に
幸せがあるとはとても思えないですね
それは短絡的だと思うし
単に我慢してるだけに過ぎないんじゃないかなと思うし
自分は逆に忍耐すること自体には
多少意味を感じてるんですよ
でも我慢してたらいつか幸せが訪れるって
無理のある論理だと思いますけどね
それで人のことを悲願でるんだから
あとですね
こうやって話すことだいたい今は
メモをするようにしてるんですよ忘れないように
1:12:00
以前からポッドキャスト撮るにあたり
そこら辺も悩んできましたね
メモ撮って意味あるのか
でも後の参考になるかもしれないし
でもですね
じゃあ普通であれば
うまく選別するんだろうけど
自分の場合
中にはメモを取らなくてもいいなと思うのもある
じゃあそこで矛盾が生じるわけですよ
いや話してることに
メモを取らなくてもいい
理由はないだろうと
全てメモを取るべきだろう
で一つ何か例外を作るんだろう
じゃあ他も別にやらなくてもいいだろうっていう風に
こういう性格だからこそ
日々のルーティーンですよね
それはなぜ完璧に守るかというと
こういう例外を出すことによって
こういう思考回路になるからなんですよ
そういえばさっき話すの忘れてましたけど
焼肉の件ですね
でですね
たくさんあると選択肢が増えて疲れてしまう
そうするとですね
どれでもいいに変わるんですよ
どれでもいいっていうのは
どれを選んでも大丈夫だっていうことじゃなくて
無関心ってことなんですよね
どれでもいいっていうのは
どれも素晴らしいとか
どれもいいものだっていうんじゃなくて
どれでもいいっていうのって
無関心なんですよ
面白いですよね
どれでもいいっていう人って
言ってる人って
実は同じように見てるっていうんじゃなくて
単に興味がないだけなんです
でさっきの例外を外すってことはですね
ルール
全体の正当性が
弱くなって
整合性も保てなくなるんですよね
そこまではいいんですよ
そこまではいいんですけど
なぜかそこから
全否定に飛んでしまうんですね
他の基準も揺らいでしまうというよりは
自分が持ってる基準
にもまあ
完璧にこれが基準ってものはいないんですよね
揺れがある
だからやっぱりこれは
揺れなくてもいいよな
ってなるんで
その時に
揺れがもっと大きくなってしまうのか
Aというものを外した
だったらBというものを
外せるんじゃないかとか
そもそも基準がそうやって
曖昧なものだからこそ
全否定に繋がるんですよ
ただまあ基準に対する
否定的な捉え方なんですね
こんな曖昧な基準なくてもいいだろう
と思ってしまうんです
01:14:50

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