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次はね、189ページ。
だいぶ終盤ですね。もうほんと終盤ですね、ここはね。
ここは、ゴビンダっていう彼の友人が、
第一部でブッダと出会って、ゴータマ・ブッダに元についていって、
久しぶりに再会してっていう場面ですよね。
そこで、ゴビンダとシッダルタが会話をするっていう場面です。
はい。
で、読んでいきますね。
はい。
いかにも私は高齢です、とゴビンダは言った。
だからもうずいぶん年いってるんですよ、もうこれほんとに。高齢になってる場面、もうほんとに。
時間が流れてるんですね。
しかし私は道を求めることはやめていません。
ゴビンダが言ってるんですね、これ。
これからも道を求めることをやめるときはありますまい。
これが私の運命、定めかと思われます。
あなたも道を求められた方だ。
そう、私には思われる。
私は一言、私に一言の教えを語ってくださるまいか、起きなよ。
シッダルタは言った。
尊きミソウよ、私は何の語る言葉がありましょう。
強いて仰せられるなら、あなたはあまりに多くを求めすぎておられるのではありますまいか。
求めるあまりに、見出すことができない場合もあるものです。
という意味は、とゴビンダが尋げた。
ものを求めるときは、とシッダルタが言った。
かようなことが起こりがちです。
求める人の目が、ただ、求めるものをのみ見ているために、
何ものをも見出すことができず、何ものをも心に受け入れることができないのです。
それは必強、その人が、ただ、求めるものばかりを考えているからです。
目標があり、その目標に取り憑かれているからです。
求めるとは、何かの目標を持つことです。
しかし見出すとは、とらわれぬことです。
とらわれぬこと、懐を開くこと、目標を持たぬことです。
ミソオヨ。
あなたは、実際求める人のように思われます。
なぜなら、あなたは、あなたの目標を追うあまり、
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しばしば、あなたの、目の前にあるものに気づかれぬから。
その後、小田さんは、まだよく私には得できないって言ってるんですね。
どういう意味なんですかって。
これはなんか、僕もなんだろうな。
やっぱり、頭で理解しているけれども、
なんか、
大得できてないことだなと思って、やっぱり引っ張りたいんでしょうね。
そうだね、大得ね。
自分、なんか私たちって、なんだろうな。
やっぱり自分が求める、何かを求めると、
その求めるものにしか目が行かなくなっちゃうから。
まあそれは、いいことでもあるんだけども、
やがて求めるものを探すだろうから。
だから、まあそのいいことでもあるのかもしれないんだけども、
求めるあまりに、何か自分に与えられているものを
見逃しているのではないだろうかってことを言ってるんですよね。
すでにもうお前に与えられている、何かを見落としてはいないか。
それを見つけることができたとき、
お前はかえって、求めるものを見つけられるだろう。
求めるものを手放すことがかえって、
お前の求めるものに近づくだろうってことを語ってくれてるんですよね。
これはいろんな人がね、感覚としてありそうです。
持ってるんじゃないかな、共有しているものがありそうですね。
ね。
僕なんかも、本を多く読んでしまう。
知識を求めるみたいな話とか。
知識を求めて、英知を求めて、
何かこう、本を求めてしまうし、
多く読んでしまうんだけど、
本当は、何だろうな、
他の本読まずに、
この知ったあるたの本、
何回も読んだりとかした方が得るものが大きいかもしれない。
自分が求めているものが。
でもなんか、できないですね。
そうなんだよね、こういうのね。
頭ではわかってんだけど。
やっぱり、特に仕事なんかしてると、
そういう求めるみたいな話って多いし。
そうだね。
人間関係でも、求めてしまっていることあるし。
なかなかに難しいですね。
ね。本当に。
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ガリレー・ガリレーのさ、好きな言葉でさ、
神は二つの書物を書かれた。
一つは聖書であり、もう一つは自然そのものである。
言葉があるんですよ。
聖書、本ばっかり読んでないと、
お前の求めるものは自然にも眠ってんだぞって、
ことを言ってくれてるわけですよね。
なるほどね。
つながってくるんですね、ここでもね。
見出す、そこで見出すことができるんだぞと。
いやー、本当こういうのって頭でわかってても本当に難しい。
いきなりはできないんですよ、やっぱりこれ。
知ってあげたのも、この境地で何かこう体現してることだから。
そうですね。
でもなんか、頭の片隅にやっぱ置いときたいなと思うし、
こういうのを読むたんびに何かね、
求めてるものを一旦横に置くってことを大事にしたいなって。
確かに確かに。
じゃあちょっと次行っていいですか。
はい。