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2025-01-04 31:33

#29 花をたてまつるの辞を味わう / 石牟礼道子の『花をたてまつる』その2

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今回は、石牟礼道子さんの「花をたてまつる」

随筆とある詩を紹介していますが、
ここに石牟礼道子さんの祈りが入っています。
そして、彼女にとって文学とは何であったのか、
彼女の文学論も感じられると思います。

前半は、亡き母に対しての想いから、彼女なりの原体験と文学の意味が語られ
後半は、東日本大震災の後にも捧げられた「花をたてまつるの辞」を味わっています。

「花をたてまつるの辞」は、こちらの朝日新聞のサイトから
原文と、石牟礼道子さんの朗読音声があります。
https://www.asahi.com/special/kotonoha311/ishimuremichiko/

サマリー

このエピソードでは、石牟礼道子のエッセイ『花をたてまつる』における詩的な要素やその背後にある思想が掘り下げられます。特に、春の訪れに対する人類の苦悩や花の象徴的な意味について考察され、心の中に光を宿す花の姿が描写されます。また、亡き人を忍ぶ行為と花の象徴についても考察が行われ、文学の力が非視覚的な存在をどのように表現するかが描かれ、夢と現実の境界が探求されます。

『花をたてまつる』の概念
じゃあ、次はね、花をたてまつるの辞、辞っていうのはあれですね、辞表とかの辞ですね。
おー、はい。
まあ、言葉っていう意味です。
これ、花をたてまつるっていう、一応、エッセイなので、ここから多分取られている。
でも、もうさっきの作品も、花をたてまつってるんで。
そうだね、花だよね。
どちらか。はい。
そう、で、これがね、まーだん?って言うんですかね。
これ、祝辞、祝辞とかって言うじゃないですか、じ、じ、じって書いてるから。
はい。
うーん、なので、なんだろうな、歌のようでもあるというか、なんか、詩ですね。
うーん、ちょっと触れてみたときに、またタイトルが味わい深くなるか、感じですね。
うーん。
これ一応1984年に書かれているんだけれども、東日本大震災のときにも、
この花をたてまつるの辞を読んでるんですよね。
あ、読んでる。矢野石村さんが読まれた。
はい、で、それが朝日新聞に残ってるの。
うーん。
読み上げた動画と共に。
へー。
だからこれ、ちょっとね、概要欄に貼っときますよ、これ。
で、この言葉も載ってるし、ここにね、石村美祝さんの朗読。
詩の解釈
あ、YouTubeか何かの動画が貼り付けてあるので見れますね。
そう。
はい。
ちょっと2分半ぐらいの動画ですけれども、最初の何秒かだけちょっと流してみますね。
石村美祝さんの生の声ともに。
聞いてもらえるといいかなというふうに。
で、あのね、言葉が難しいというか、日常の言葉じゃないんですね。
なので、たぶん何言ってるかわからないと思うんですけど、
音楽のようにたぶん聞いてもらえたらいいかなと思うんですよ。
ないしはお経のように聞いてもらえたらいいんじゃないかなと思うんですね。
なので、意味を理解するというよりかは、響きを味わうというか。
洋楽聞くのとかって歌詞わからずにいいなって感じてるじゃないですか。
そうですね。頭で意味を追い過ぎず。
そうそう。響きで。
響きで。
わらえるといいんじゃないかと。
はい。
じゃあ再生します。
花をたてまつる。
春風気ざすといえども、われら人類の後陣、
いまやかさなりて、さんがいいわんかたなくふらし、
まなこをしずめてわずかに日々をしのぶに、
こくはるかに一蓮の花、まさにひらかんとするを聞く。
っていうような感じで、これ読まれていくんです。
初めてお声を聞きました。
本当にお経みたいな感じを見たいでしょう。
ねえ。
これちょっと今から一緒に言葉を味わって、
もっかい最後に石森みちょこさんの読んでるのを聞けたらいいなと思って。
はい。いいですね。
でね、これちょっと漢字とセットで読まないと難しい気がするから、
この朝日新聞社のところに文章書いてあるから、これちょっと見ながら。
はい。
最初に読むとね、
春風気ざすといえども、われら人類の後陣、いまやかさなりて、
三外言わんかたなく暮らし、言うんです。
この春風気ざすといえどもっていうのは、
春が訪れようとしているにもかかわらず、
いうことですね。
で、われら人類の後陣、いまやかさなりて、
言うんですよ。
後陣っていうのもね、これ仏教の言葉なんですよ。
あ、そうですか。
後陣とか陣後とかね。
測ることのできないくらい極めて長い時間。
おー。
ないしは、人の世、世の汚れ、みたいなことも意味してるんですって。
おー。はい。
この長い時間の流れの中で、
重なり合った人類の苦悩みたいな。
そういうもの。
われら人類の歴史が抱く苦悩が重なり重なって、
いうことですね。
三外言わんかたなく暮らし、言うんですよ。
三外っていうのもこれ仏教の言葉なんですよ。
よっかい、しきかい、むしきかいっていう、その3つなんですけど、
すべての世界ってことなんですよね。
言わんかたなくっていうのはもうどうしようもなく、
救いようもないほどっていう意味なんですよ。
はー。
すべての世界が救いようがないほどに、
暗く混沌としているという。
はー。
この文章ね、もう一回言うと、
あるが訪れようとしているにもかかわらず、
われら人類の歴史が抱く苦悩が重なり重なって、
すべての世界が救いようのないほど、
暗く混沌としている。
まいってる。
ですね。
まなこをしずめて、
わずかに日々をしのぶに、
なににさそわるるにや、
こくはるかに、
いちれんのはな、
まさにさかんとするのをきく。
もう一回やりますね。
はい。
まなこをしずめて、
わずかに日々をしのぶに、
なににさそわるるにや、
こくはるかに、
いちれんのはな、
まさにさかんとするのをきく。
詩章が美しいですね、ほんとね。
はー。
ねー。
ほんとだ。
ここでも出てきて。
そうなんですよ。
まなこをしずめてっていうのは、
まあね、瞳を閉じて、
瞳をしずめて、
わずかに日々をしのぶにって、
まあこの、
日々をたえぬくに、
なににさそわるるにやっていうのは、
その、
なにかに、
この、
心がさそわれてるんですよ、
引き寄せられてる。
うん。
な、な、なにに心が引き寄せられてるんだろうか。
こくはるかに、
一蓮の花、
まさに、
さかんとするのをきく。
いうんですね。
ここもすごいね。
すごいね。
この、
さっき、
春が訪れようとしてるにもかかわらず、
すべての世界が救うようのないほどに暗く混沌としているって、
言ってたじゃないですか。
はい。
そうして、
まあ、
まなこを閉じて、
その、
見てみると、
まあ、
そういう混沌の世でありながらも、
一蓮の花、
っていうのが、
今まさに、
咲こうとしている。
そういう気配が聞こえてくるんだ。
って、
言ってるんですな。
うん。
うん。
で、
続き読むと、
ひとひらの花弁、
花弁、
彼方にみじろぐを、
幻のごとくに見えば、
とこよなる炎あかりを、
花、
その懐に抱けり。
うん。
で、
ひとひらの花弁、
ひとひらの花びらは、
彼方にみじろぐを、
みじろぐっていうのは、
あの、わずかに動くっていう意味なんですね。
だから、
あの、
彼方の世界で、
彼方で、
わずかに動き、
幻のごとくに見れば、
これは幻のごとくに見ればっていうのはね、
うん。
僕の解釈ではね、
なんかね、
あの、
その、
花が咲こうとするっていう、
で、その花弁が、
わずかに動いているっていうものを、
幻のように見ればってことじゃないんだと思うんですよ。
それは、
なんだろうな、
世の人は幻のように見えるでしょうと、
でも、
私には幻だとは到底思えません、
ってことは入ってると思うんですね。
だから、
花の象徴
普段の、
私たちのこの、
目で見るのではなく、
何か魂の目で見ればってことなんだと思うんですよ。
ふーん。
もう、
幻のごとくに見ればというのは、
ん?
もうひとつの魂の目で見れば、
とこよなる炎明かりを、
花、その懐に抱けり、
とこよっていうのは、
彼方の世界ですね。
死後の永遠の世界のことですね。
で、その、
炎明かり、
とこよの、
やる彼方の世界にある、
暗闇にほんのり光る明かり、
っていうものを、
花は、
その懐に抱けり、
花は、
内包している、
花は宿しているんだ、
って、
ことを言ってるんですね。
ふーん。
ふーん。
この、
何か、
渋谷美智子さんの中で、
誘われて、
くる、
ものを、
よく眺めていくと、
奥遥かに、
まさに盛んとする花、
の、
声を聞くんだと。
で、
その花っていうのは、
魂の目で見れば、
あの、
暗闇の中で、
光を宿している花なんだと、
言ってるんですね。
で、
次読みますが、
ここよの炎明かりとは、
暁の、
はす沼にゆるる、
蕾のごとくにして、
代々の彼岸を、
あらわせり、
って言うんですね。
ふーん。
とこよの、
ねえ、また、
ねえ、
はす沼。
この、
そのとこよの炎明かり、
っていうものはね、
あの、
暁の、
はす沼に、
ゆるる、
蕾のごとくにして、
その、
暁、
夜明けの、
うーん、
静かな沼に、
の池で、
咲き始める蕾のようなもので、
代々の彼岸を、
あらわせり、
それは、
いよいよ、
人々が抱いてきた、
祈り、
悲願を、
象徴している、
ものです。
ふーん。
で、
ですね。
ふーん。
ふーん。
他の一輪を排除して、
夜べなき、
今日の魂に、
まつらんとす。
他の一輪を、
排除して、
夜べなき、
今日の魂に、
まつらんとす。
で、いうんですね。
ふーん。
ふーん。
他の一輪を排除して、
ふーん。
この、この一輪の花を、
排除して、
うやうやしく、
受け取り、
夜べなき、
今日の魂に、
まつらんとす。
頼るべき、
ものを失ってしまった、
孤独な魂に捧げようではないかと、
ふーん。
言ってるんですね。
ふーん。
ふーん。
次、
花や何、
人それぞれの、
涙の雫に現れて、
咲きいずるなり。
もっかい読むと、
花や何、
人それぞれの、
涙の雫に現れて、
咲きいずるなり。
で、
花や何、
花とは何か、
それは、
人それぞれの、
涙の雫に現れて、
咲きいずるなり。
それは人それぞれが流す涙によって、
浄化されて、
生まれてくるものである。
咲いてくるものである。
ふーん。
言ってるんですね。
ふーん。
花やまた何、
亡き人を、
忍ぶように、
花はまた何、
亡き人を、
忍ぶ、
よすがを、
探さんとするに、
行為に出せぬ、
協定の思いやり、
そうとりて、
花となし、
見明かりにせんとや、
願う。
って言うんですね。
亡き人を忍ぶ花
ふーん。
花やまた何、
花はまた、
亡き人を、
忍ぶよすがを、
探さんとするに、
亡き人を、
忍ぶための、
よすがである、
よすがである、
手がかりとす、
手がかりを、
探そうとする、
手がかりでもあるんだ。
ねえ。
行為には出せぬ、
協定の思いやり、
そうとりて、
花となし、
見明かりにせんとや、
願う。
っていうのは、
その、
まあ、
行為に出せる、
出せない、
ねえ、
そこにある思いっていうもの、
それを、
とって、
花となして、
まあ、
明かりにせんと、
や、
願う。
それが、
明かりとなるようにと、
願う。
ふーん。
ふーん。
ふーん。
まつらんとして、
気うることの葉といえども、
いずれ、
迷路の風の中にて、
おのおの、
ひとりゆくとき、
どばな、
ああ、
これか。
続きか、これ。
おのおの、
ひとりゆくときの、
花の明かりなるを、
この世の、
えにしといい、
無縁ともいう。
っていうんですね。
ともらんとして、
気うることの葉といえども、
っていうのは、
その、
ともろうと、
燃えあがろうとしている、
その小さな光、
っていうものが、
その、
まあ、
消えてしまうような、
言葉であろうとも、
いずれ、
迷路の風の中にて、
いずれゆく、
死後の世界の中で、
おのおの、
ひとりゆくときの、
花明かりなるを、
っていうのは、
その、
我々は、
ねえ、
それぞれひとりで、
旅立ちますね、
迷路に。
ふーん。
で、
それぞれひとりが、
迷路へ行くときの、
花明かりになるだろうと。
ふーん。
ふーん。
その、
その明かりっていうのは、
もう、
ほんとに、
あの、
消えてしまうようなもののように、
感じるかもしれないんだけども、
それは、
あの、
それぞれひとりひとりが、
迷路へ行くときの、
花明かりになるんだよ。
この世の縁にしといい、
無縁、
でもある。
無縁?
え、どういうことなんだろうなあ。
ねえ。
む、む、む、む、
むっていうのは、
超えるってことを、
意味するから、
まあ、
この世との縁でもあり、
文学の力と美しさ
縁を超えたものでもあるんだ。
はあ。
まあ、
いうことなのかなあ。
ふーん。
その境に、
はあ。
ねえ。
これすっごくごめんなさい。
ごめんなさいね。
ねえ。
味わってたね、今一人。
そうだよね。
すごい。
ごめんね。
すいません。
いやあ、そうなんだよなあ。
ほんとに。
いやあ。
ふんふん。
この、
ねえ、
石森、
まだちょっと途中だけど、
石森光子さんがさっき、
文学っていうのは、
その、
子供の不条理を、
まあ、
引き受けて、
自分の中から、
幻の花を作り出すことである。
その幻の花っていうのはね、
なんかどういうことなのかってことが、
もうここに、
なんかもう、
ほんとに、
現れてるでしょ。
そうですね。
さっきの、
聞いた、
ことでさらに味わいが含ましているというか、
そこに描こうとしてたことの、
さらに広がりを、
うん。
今、
ねえ。
感じさせてもらってる、
うん。
なと思います。
ねえ。
なんか、
一行一行が美しくてね。
そうなんだけどね。
美しいね。
はい。
うっとり見てしまいました。
ねえ。
うん。
ちょっともうちょっとなんで、
最後までいきますか。
はい。
その、
境界にありて、
ただ、
夢のごとく、
なるも、
花。
って、
言うんですね。
うん。
この、
その境界にありてっていうのは、
その、
この迷路っていうのが出てるんで、
この世とあの世ですね、
視眼と非眼の境にあってって、
ことですね。
うん。
ただ、
夢のごとく、
なるも、
花。
うん。
ただ夢のごとく、
あっても、
花である。
帰り見れば、
まなうらにある者たちの、
御かたち、
かりそめの姿なれども、
おろそかならず、
ゆえに、
われら、
この、
むなしきを礼拝す。
美しい言葉ですか。
帰り見れば、
帰り見れば、
まなうらにある者たちの御かたち、
まなうら、
目の奥にある、
目の奥にある者たちの御かたち、
かりそめの姿なれども、
おろそかならず、
まなうらの奥にある、
その、
その姿、
その花の姿、
っていう、
ものは、
かりそめの姿、
かりの姿であっても、
おろそかにはできない。
かろんじることはできない。
ゆえに、われら、
この、
むなしきを礼拝す。
このむなしさを、
この無情を、
地上に咲く花の力
礼拝しする。
むなしきを礼拝す。
しかして、
むなしとは、
言わず、
げんせはいよいよ、
じごくとは、
言わん。
きょむとは、
とむや、
きょむとや、
言わん。
いうんですね。
しかし、
むなしいとは、
言えず、
この世というのは、
ますます、
じごく、
のようなものかもしれない。
きょむ、
のようなもの、
かもしれない。
ただ、
滅亡の世、
せまるを待つのみか。
ここにおいて、
われらなお、
地上にひらく、
一輪の花の力を念じて、
合唱す。
ただ滅びゆく、
世をただ待つだけではなく、
ここで私たちは、
ここにおいて私たちは、
地上に咲く、
一輪の花を持つ力を、
念じて、
祈りを込めて、
手を合わせて、
合唱するのだ。
この朝日新聞の最後のところに、
朗読した、
詩、
花をたてまつるの解説をお願いします、
ってこれ書いてあるんですよ。
ん?
で、新聞新聞ですから、
なんて書いてあるかって。
震災後、
瓦礫の中で、
小さな野の花が咲いているのを、
テレビで見ました。
折れているのに、
下を向いたまま、
花を咲かせていた。
上を向いて咲きたかったろうに、
生命とは、
こういうものと思って、
励まされましてね。
花も傷ついている。
清掃を、
全身に受けながら、
花を咲かせている。
それは、
私たちの心をも、
表現している。
花から、
呼びかけられているとも思いました。
これ、解説をお願いします、
って言ってね、
この返しをする。
これ、しみうみちくさんですよ。
確かにね。
ねえ。
確かに、解説っていう、
いわゆるね。
いわゆる解説じゃないんですよ。
ないね。
これは、いつの時代に読んでも、
いいね。
そうですね。
これは、もともとこういう作品で、
これを、今、じゅんさんが紹介してくれた、
今日の本の中にも、
このまんま入っていて、
2011年に、
そのまんま、
これを朗読されたってことですよね。
それがね、一応ね、
あれなんだよね、
この、僕が今日紹介したエッセイの中では、
もうちょっと長いんですよ。
あ、そうなんですね。
これのさらに、
これを、まあ短くして。
ちょっとじゃあ最後に、
朗読聞きますか。
2分半、2分40秒で終わるので。
聞きましょうか。
朗読
朗読
朗読
朗読
2012年2月2日 石森みち子
本当に石森みち子さんの声で この朗読の音声というか動画が
残っていて良かったですね 本当に なんか
声から伝わるものもたくさんあります
ねー
うーん そうねー
そして 10年以上前の動画ですけど
今もね いろんなことが起きてるし 世界中でも 日本でも
すごく
今 聞いても響きましたね
ジョニーさんはどうでした? 紹介して 今日は
石森みち子さんいいですよねー
文学の力 芸術の力っていうものが
文学も芸術の一つだと思うんでね
っていうものが 多分いろんな語り方ができるんだと思うんですけれども
一つやっぱりこれ 石森みち子さんが示してくれた
この 文学の力
なんか
これは
なんか 文学の歴史で消えることないですけれども
なんか やっぱり忘れたくないなぁと
こういう文学に触れていきたいなぁと
うーん なので
ね なんか
この文学ラジオでも やっぱり扱って
お芝居いたかったんですよね 僕
いやー 味わい深い時間でした
ありがとうございます ありがとうございます 終わりましょう
終わりましょう
31:33

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