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2022-11-28 22:13

ダムや河川の取水ゲート、放水ゲートをつくる会社「丸島アクアシステム 」の社長インタビュー(前編)

ゲストは株式会社丸島アクアシステム 代表取締役社長・島岡秀和氏。創業95年の老舗で、一貫して「水門」の製作会社だった同社、現在も、河川の取水施設や、ダムに内蔵されるゲートなど、水に関する社会インフラ設備の設計と据付を担う。それらは「特殊な施設」で、完全個別受注のオーダーメイドで…

【聞き手】安本寿久(産経新聞大阪本社・編集委員)

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00:01
【岡田】改めまして、今晩のゲストはですね、株式会社丸島アクアシステムの代表取締役社長、島岡秀勝さんです。島岡社長、こんばんは。
【島岡】こんばんは。
【岡田】よろしくお願いします。まずですね、いろんなことを伺いたいんですが、この会社の歴史と業務内容について、簡単にまず伺えますか。
【島岡】はい、わかりました。改めまして、丸島アクアシステムの社長の島岡です。よろしくお願いいたします。
当社は昭和の3年の創業でございまして、従って今年で95年目になります。
【岡田】そうですね、長いです。
【島岡】もともとは私の祖父が起こした会社です。当時の社名は丸島水紋製作所と申しまして、その当時は水紋設備の海外輸出とかそういうことも一生懸命やっていた時代が長かったんですが、
なかなか水紋だけで飯食っていくのは難しいよねということで、平成の元年に現在の丸島アクアシステムに社名変更して今に至っている。
私自身は祖父が初代、父が2代、私3代目の社長を拝命していて、ここ15年間ぐらい社長をしております。
【岡田】となりますと、もうこの会社の跡継ぎになるということは若い時からずっと意識されていたんでしょうか。
【島岡】跡継ぎあるあるかなと思うんですけども、どうしても小さい頃っていうのは、お前んとこう会社やってていいななんて言われると、そんなことないわ言って反発したくなるもんで。
私自身も周りの友達なんかに俺はそんなうちの会社なんかやる気ないとか、ケツの合うことを言って先週に時代を過ごしました。
【岡田】学校出てからは違う仕事をされたりしたことはあるんですか。
【島岡】大学を出まして、最初は竹中公務店の方にお世話になりました。私、学生時代に映画を撮ったり、ロックバンドをやったりとか、そういうのを非常に好きで、いわゆる典型的な私立文系学生だったんですけど。
当時竹中がいろんなランドマークって言いますかね、ヒルトンホテルだとか、新神戸オリエンタルホテルだとか、あんなのを作ってて、あそこの会社は自分の作ったビルを作品っていう文で、これはなかなかええやないかと思って、竹中を受験して入れていただきました。
【岡田】今、文系とおっしゃいましたけど、制作系をしたり、そういった工学系ではなかったんですかね。【島岡】いや、全然。関西学院大学の小学部で、専攻はマーケティングなんですけど、マーケティングをかじったぐらいの感じでございました。大体大学っていうのはそんなもんですけどね。
【岡田】となると、竹中コウモテンでやるのは、もう営業とかそういった分野に行かれたわけですか。【島岡】あそこの会社、変わっててですね、新入社員は全員神戸に大集合で、二人一部屋で合部屋で、一年間修行生みたいな制度なんですよ。私もそういうことを経まして、2年目から本配属で配属してくれるんですけど。
03:14
私、大学受験で、本当は東京の大学行きたかったんだけど失敗しましてね。勤務希望地東京って書きましたら、当時もう東京を猫の手も借りたいほど忙しい時代でございましたから、ポンと東京に行って、東京本店の総務部の方に配属になりました。
で、まだバーボルっていう言葉はなかったんですけど、それこそもうクソ忙しい。もう赴任初日から終電みたいな生活が続いたんですが、なんて言っても若いですから。11時半ぐらいまで仕事をして、そこから会社銀座の八丁目にあったんですけども、銀座のディスコに行こうやなんて言って、もう帰らんでいいやないかって言って、8日朝また出勤するとか、そんなふざけた生活を送ってました。
じゃあ、そこにはどれくらい最終的にいらっしゃったことになるんですか、竹中本店には。
高橋 88年に入りまして、96年に辞めましたから、約8年。
8年。じゃあその後に会社に帰ってこられたということですか。
高橋 そうです。
ちょうど30歳ぐらいですね、8年です。大学で8年でした。
高橋 一浪しましたから、31か2かそんなぐらいだったと記憶してます。
まあ、一番社会人と喋られてる時かもしれませんが、これ帰ってくるには、例えば社長のお父さんとかから帰ってきてくれとか、そういった要望というのはあったんでしょうか。
高橋 父はですね、2代目で自分自身もよその会社に行きたかったのに、祖父にお前アホか言われて、すぐに丸島水門に入ったんですね。
すぐに、はい。
高橋 だから息子にはちょっとそれじゃあいかんなって言うんで、お前好きにしたらええねんとか会社入れると思うなよみたいな。
高橋 こっちもケツ青いですから、よそんなつもりないからって言ったんですね。しばらくほっといてくれたんです。ところが私、竹中時代に海外研修生みたいなのに選ばれて、喜んでくれるやろうなと思って、研修生選ばれてロンドン行くねなんて言ったら父が激怒してですね。
高橋 お前そんなん言ったら竹中辞められへんやないかみたいな怒られまして、こっちも好きにしたらええよみたいな感じで言い争ってまして。海外に研修、これ1年間だったんですけども、戻ってからもう20時2年間ぐらい父と言い合いながら竹中にお世話になってました。
なるほど。じゃあお父さんは本音では早く帰ってきてほしかったと。
高橋 いやずっとそうだったんだろうなと思いますし、そういう気持ちを内心ではちょっとわかってはいたんですけど、高校の時点での生活ってわりと忙しかったけどすごく楽しかったし、研修生で海外にも行かせてもらったのにすぐ辞めるなんて不義な真似できへんなっていう気持ちもあったんで、まあウジウジしてて。
06:05
なるほど。それでトータル8年間。
帰ってくることを決めた決定的な要素というのはありますか。
高橋 いろいろと悩みに悩んだりしたんですけども、考えに考えた結果ですね、俺が竹中にいたいと思っているのは、今の生活が楽しいやりがいがある、上司にも恵まれてるとか、わりとそういうのに居心地の良さを感じてたんですね。
高橋 なんで丸島に入りたくないかというと、そんなに入ってたら3代目ってどんな奴やとか色々見られて、めちゃくちゃ居心地悪いんやろなと。つまり嫌なことから逃げようとしてるんやなというふうに思うに至りましたけど、だけどそんなロックバンドで俺はロックな人間やとか言ってたのに、嫌なことから逃げてええんかという気持ちもありましたし。
高橋 その当時、そういう3代目で職望された丸島に入れる人間って私しかいなかったものですから、そういう役割から逃げたらあかんやろなと、最終的には思うに至りました。
岡田 なるほど、責任感かもしれないですね。
高橋 どうなんでしょうね。
岡田 帰ってこられて、会社の居心地とやはり想像通りだったですか。
高橋 いや、もっともっと居心地悪いんかなと思ったんですけど、最初は私、丸島の東京地点からスタートしまして、少女帯ですし、周りの人も非常によくしてくれましたから、おもとおもとそんな居心地悪いっていう感じはありませんでしたね。
岡田 なるほど。そこでは主に営業されたんですか。
高橋 そうですね。営業と言いますか、ついて回って勉強させてもらったっていう感じでございます。
岡田 なるほど。今、新しく入社してからというか、再入社になるわけですけど、今で大体社歴は何年くらいになりますか。
高橋 96年に入れていただきましたんで。
岡田 今年が2022年ですから、まあ26年ですね。市販盛期ということですが、入ってみて会社に対する社長のイメージというのは何だか変わったでしょうか。
高橋 入社する前はですね、300人程度の規模の企業ですから、もっと中堅中小企業っぽいんやろうなと思ってたんですけども、入ってみるとそんなことは全然なくて、割と人事制度といういろんな仕組みという、随分と整ってる、しっかりしてるんだよなっていう、嬉しい驚きでした。
岡田 なるほどね。それだけ初代、二代目がしっかりと会社経営をされてきた。
高橋 そうだと思います。
岡田 その蓄積だということでしょうね。社長になられたのは何歳のときですか。
高橋 42歳ですね。
09:00
岡田 やっぱり若いですね。帰ってきて10年くらいということですね。31で。
高橋 そうです。今、社長を拝命して15年、6年ですから、そのくらいです。
岡田 なるほど。42歳というのは、社会に出て大体20年ですが、社長と言われたときにどういう気持ちでした。いよいよ自分の時代か、あるいはまだ早いんじゃないかとか、どちらでしょうか。
高橋 あのですね、当時非常に会社が大変な時期でしたね。2期連続赤字だったり、いろんな団子事件に巻き込まれたり、もう乗るか反るかみたいな時期だったんです。
高橋 実は社長を交代してくれって言ったのは、私の方から父に言いました。父は、こんな大変な時期にとか、俺の男の腹道がとか、随分と誇示されたんですけども、そうは言うても、やっぱり何らかの見そぎみたいなものも必要だし、会社に、うちの会社は大丈夫だと思ってもらうのも必要だと思いましたので。
高橋 その年の時に、いろいろと父とも相談しまして、社長を交代してもらって、父は会長になってもらったと。そんな経緯がございます。したがって、社長になったときは、ほんまに大丈夫なんかなみたいな、もう不安いっぱいみたいなのが正直なところでしたね。
高橋 でも、その不安を抑えながら、自分から名乗りをあげられたわけです。この大変な時にカジトリを任せてくれと。
高橋 そう言ったら、「こんな大変な時期に、あんた社長だったらアホちゃうか?」みたいな言われ方をしましたから。まあまあ、それだけ客観的には大変だったんですよ。
岡田 なるほど。なんかお話が終わると、ロック魂みたいなものが一貫して流れてるなという感じがします。後半は、今度は社業のこと、仕事内容について伺っていこうと思います。よろしくお願いします。
高橋 よろしくお願いします。
岡田 今夜は、マルシマアクアシステムの島岡秀一社長にお越しいただいております。前半は、社長のロック魂に溢れた前半戦みたいなものを伺いました。後半は、いよいよ社業について伺おうと思います。
岡田 最初にお話しいただきましたのも、旧の社名はマルシマ水門製作所ということですから、水門、ウォーターゲートを作るのが主な事業にされていたということなので、僕たちも水門は川に行ったときに見たりすることなので、一番身近なインフラの一つだと思うんですが、この水門事業というのは具体的にはどういうふうに進めていくのか、伺いますか。
12:05
高橋 水門というのは、英語ではフラッドゲート、洪水の調査するゲート。具体的に水門ってどこにあるのかと言ったら、ダムにもいろんな水門が内蔵されています。放流ゲートや出水ゲートやさまざまな。河川にもゲートがあって、川の河口にもゲートがある。
したがって、なかなか範囲が広くて、何を持って水門とくくるんだという議論のあるところかなと思うんですけど。そういう水をとか川を対応する社会インフラ設備ですから、当然公共事業ということになります。
岡田 管理者が大体自治体だったり国だったりするわけですね。 高橋 そうですね。国土交通省、農林水産省、水資源機構さん、あるいは各都道府県さん、民間で言えば電力会社さん、そういうところがお客さまという位置づけになります。
岡田 となると、そういうところがここに水門が必要だなということを判断したときに、発注をしてくるという形ですか。 高橋 刻々簡単に言うとそういうことになります。
岡田 となると、そのときに初めてここに水門を作るんだなということで、当然見ていって説明も書いたりということになるわけですか、そういう手順に。
高橋 なかなかそういう水に関連する社会インフラ設備というのは、さまざまな知見者の問題もあるし、実際に計画が立ち上がってから実現に至るまで、ダムなんかだとしたら20年30年も経たないんです。
高橋 そしてそういう計画が上がったというときから弊社は、もちろん情報はキャッチしますけど、そういう計画にいろいろ協力性とか言われることもございますし、具体的な基本設計なんですけど、それは設計コンサルさんのほうにまた勘がご発注されます。
岡田 なるほど。じゃあその設計図に基づいて工事をしていくということが。
高橋 技術提案と価格の制度と両方で一番高い点数のメーカーが落札する。だいたいそういう仕組みです。
例えば建物なんか作るのと違って、川はいつも生きているというか動いているわけですから、そこに建造物を作るというのは普通の技術以上に難しいかなというふうに僕のような人は思うんですけども、やはり技術的にはかなり高いものがないとできない分野ということでよろしいんでしょうかね。
高橋 非常に特殊な技術分野ですよね。よく誤解されるんですけど、私まだ島岡さんのところってダム作ってるんだよねって言われることが多いんですけど、ダムみたいなコンクリート構造物っていうのはこれはジャネコンさんのお仕事。我々はそのダムに内蔵されるゲートを設計して製作して据え付ける仕事なんですね。
15:19
高橋 これは岡さんのほうでも畑が違いまして、ダムはダムでご発注されるし、ゲートはゲートでご発注される。そういうケースがほとんどになります。
岡田 ゲートということになると開閉ができるところというふうに僕のような素人は理解していたらいいんでしょうか。開けたり閉めたりできると思うんですからね。
高橋 もちろんそうです。開閉ができて水を取水することができる。あるいは洪水の時に湿ることによって沈水することができる。あるいは発電用に水を持ってくるとか。そういう用途によってさまざまなゲートの形式種類ってこれはバラバラなんですね。
ゲートが一番面白いところは完全なる個別受注生産品で一品一様なんです。
岡田 そこだけのものを作っているということですね。
高橋 そこだけのものなんです。ですから企画品を大量生産したりすることもできませんし、それぞれの水源地に応じた所源というものを決めて、それに合う形で作ると。そういうことになります。
岡田 なるほどね。やっぱりかなり高い技術とそこだけに合うものを作るということですから、大量生産できないわけですから、それこそ一芸でここだけという仕事の難しさ面白さみたいなものを感じますね。
高橋 それはあると思います。当社は建設業よりのメーカー、製作者、製付けするわけですけど、ですから工場でステンレスとか叩いてゲートを作るわけですが、工場の人間も完全に一品一様なんで、非常にやりがいを持って、
高橋 どこをどう分割してとか、どんな成果をしたりとか、どういう溶接にしたら一番うまくいくんだとか、一番歪まないんだとか、そういうことをチェーシュ埋もりながらやってくれてるんで、彼らの仕事はすごい楽しいだろうなと思いますね。
高橋 非常に素人っぽい質問しますけども、となると、ここはこの会社が作ったんだ、ここは前嶋さんが作ったんだとかいうのが、僕たちにもわかるような何かあるんですか、ここに社のマークが一番入ってるとか。
高橋 それはございます。ダムのゲートは内蔵されてたりするんで、なかなか一般の方はご覧いただくのが難しいと思うんですけど、傘のゲートの場合は、ピアっていう土木構造物のところに、ゲートはここの会社が作った、名版がプレートが貼られてますんで、それをご覧いただければわかると思うし、
一番、弊社の製品で一般の方が目にしていただきやすいのは、地下鉄の大雨が降った時に水が浸水してくる防水頭部だったんですけど、それをいろんなところで、弊社が囲らいさせてもらってまして、通常は壁みたいになってるんでわからないんですけど、よくよく見ると壁みたいな形のゲートがくっついてて、そこに丸島の名版が貼ってあるっていう。
18:14
西野 ああ、そうですか。
西野 じゃあ、大阪地下鉄の中でも見れば、探せば、あるわけですね。
西野 うめだ駅にもありますし。
西野 非常に街歩きが楽しくなるようなお話に伺ってるなと思いますが、ただ、公共事業になってると思いますんで、結構大変な時代もあったんではないかなと思うんですが、今晩の放送の最後に、公共事業との関係ですね。
西野 公共事業を扱ってる上の難しさとか苦労といった点も教えてもらえると嬉しいんですが。
西野 私、入社して最初の十二、三年ぐらいは大変なことだらけ。いわゆる公共事業削減だとか、そういう時代が非常に長かったんですね。だからずっと十二、三年逆風だったようなものがあります。
西野 記憶にパッパッと出てくることで言えば、長野県知事の脱ダム宣言であるとか、ダムは無駄だとか。
西野 民主党政権時代ね。
西野 人勝って入社して、何年かして総務部長も拝命して、その時にも二期連続赤字とかありましたから、当社始まって以来の早期退職募集をしないといけない。
西野 お前、人頭に立ってやれとか。営業部長になったら、今度はそういう団子事件みたいなものがあって、何度もコートで三人が生まれて。
西野 しかし、全国各社の、その当時、水紋メーカー大手重工さん、外社さんはじめのきなみを覚えたんですけど、一律指名停止みたいな感じで、半年から一年間ぐらい一切水紋が発注されなかったんですね。
西野 父が偉かったのは、私は社長を早めにしたのがそのぐらいの時期なんですけど、父が偉かったなと思うのは、いやいや、お前は一切水紋出てきえへんから、これお前指名停止終わったら一気に出てきよるんや。水紋バブルみたいになるぞと、明るく旗を取ってくれましたね。
西野 ほんまにそんなことになるのかとか、出てきてもそれを取れへんかったら始まらへんのかとか、そうは内心は思ってたんですけど、そういう旗を明るく振ってくれたっていうのは非常にありがたかったですね。
西野 なるほどね。 西野 その指名停止期間中、一生懸命みんなで技術提案のネタを考えたりしてですね、本当にその指名停止半年ぐらいから明けだしたんですけど、その時に当社連続受注できて、半年間ぐらいしか受注期間なかったんですけど、その半年間で過去最高の受注を計上できた。
西野 なるほど。 西野 ところがですね、その後に政権交代で、またガッと足りない時代があったりするんです。 西野 なるほど。
21:26
西野 こちらこそよろしくお願いします。
西野 またアップルポッドキャストでは高評価とレビューをお待ちしております。ぜひ皆様のご感想をお聞かせください。
22:13

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