このエピソードでは、ポッドキャストの父と呼ばれるアダム・カリーの半生を辿りながら、ポッドキャスト誕生の背景を探ります。幼少期にラジオでNBAを聴き、頭の中で試合を想像して楽しんだ経験が、後の彼の活動に繋がっていきます。海賊ラジオやMTVでの活動を経てインターネットの可能性に魅せられたカリーは、インターネット起業家として成功を収めます。その後、常時接続インターネット環境に衝撃を受け、「The Last Yard」構想、すなわち、聴きたい放送を自動的にダウンロードしていつでも聴けるようにするシステムを考案しました。この構想が、後のポッドキャストの誕生にどのように繋がっていくのか、次回の放送で詳しく解説されます。
▼ 参考文献
- Adam Curry - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Curry - Interview with Adam Curry | Library of Congress
https://www.loc.gov/static/programs/national-recording-preservation-plan/tools-and-resources/documents/Interview_Adam-Curry.pdf - Joe Rogan Experience #1436 - Adam Curry
https://www.youtube.com/watch?v=NaPKrZTUoUs
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サマリー
このエピソードでは、ポッドキャストの父と呼ばれるアダム・カリーの半生を辿りながら、ポッドキャスト誕生の背景を探ります。幼少期にラジオでNBAを聴き、頭の中で試合を想像して楽しんだ経験が、後の彼の活動に繋がっていきます。海賊ラジオやMTVでの活動を経てインターネットの可能性に魅せられたカリーは、インターネット起業家として成功を収めます。その後、常時接続インターネット環境に衝撃を受け、「The Last Yard」構想、すなわち、聴きたい放送を自動的にダウンロードしていつでも聴けるようにするシステムを考案しました。この構想が、後のポッドキャストの誕生にどのように繋がっていくのか、次回の放送で詳しく解説されます。
はじめに:ポッドキャスト史への導入と番組の意気込み
音声包装研究所、Pod史。
この番組は、ポッドキャストにまつわる様々な歴史をひもときながら、
ポッドキャストとは何かについて、理解を深めていくポッドキャスト番組です。
こんにちは、サイトーです。
今回2回目ということで、前回初回を配信して、何人かの方にコメントをいただいて、
やっぱりモチベーションになるというか、これからやっぱり続けていきたいなという風に思って、
どう面白い話をしていこうかなーってハードルを上げちゃったりとかして、
ちょっと自分でクオリティコントロールはしていきたいなと思うんですが、
単純に楽しいなと思うので、その楽しいところを続けていければなと思ってまして、
前回の配信を聞いて、やっぱりちょっと固いなというか、楽しそうじゃないなっていうところもちょっと感じたので、
今回はちょっと楽しさを少し上げていくような感じで語りたいなと思ってますので、
ちょっとテイストが変わってるなと思うかもしれませんが、
いろいろトライアルでやっていきたいなと思っています。
というわけで第2回目、第1章について話をしていきたいと思います。
ポッドキャスト誕生の定義と歴史的背景
第1章はポッドキャストが誕生するまで、その歩みですね。
ポッドキャストの誕生をどことおくかに関しては、
2005年のAppleがポッドキャストをiTunesの機能に取り込んだときを、そこをゴールとして定めたいと思います。
ポッドキャストという言葉はでもその前からあったっていうような話は前回もしましたが、
それってどういう流れで誰がどうやって作ったのか、
そもそもその名前をつける前に誰がどういうことをやってたかのポッドキャストって名前が生まれてきたのかとか、
その辺の流れをですね、詳しく見ていくとポッドキャストとは何なのかがちょっとはわかってくるなと思うので、
楽しく考えていきたいなと思いますので、皆様お付き合いいただければと思います。
まず今日はですね、そのポッドキャストが誕生するまでの流れとして、
どこから遡るかということをちょっと考えたんですが、
1995年が10年単位で考えたいなと思うので、
インターネットの普及というのが一つの節目ではあるんですけど、
ちょっとその前から今日は話をしたいと思います。
アダム・カリーの幼少期とラジオ体験
時は遡って1970年頃、アメリカバージニア州に一人の男の子が住んでいました。
昔話みたいな感じになって、別に男の子一人だけ住んでたわけじゃないんですけど、
この少年は家のベッドで寝ながらラジオを枕の下に入れて聞いていたそうです。
このラジオはおばあちゃんからもらったソニー製のトランジスタラジオで、
聞いてたのはアメリカのバスケットボールの試合、NBAの試合を聞いていたと。
シューズがキュッキュッと鳴る音とか、観客の声とか、アナウンサーが実況するその様子を聞いて、
頭の中でそのバスケットの試合を想像して楽しむ。
この体験というのが彼のこの後のポッドキャストにつながる非常に重要な体験として深く関わってくることになります。
アダム・カリーの初期キャリア:海賊ラジオからMTVへ
彼の名前はお察しの通り、アダム・カリー。
ポッドキャストの父、英語ではポッドファーザーと呼ばれる人ですね。
このアダム・カリーは1964年にアメリカに生まれて、幼少期をアメリカで過ごし、
そこから10歳くらいの時にオランダに家族で移ります。
そしてオランダで彼はFMトランスミッター、FMの電波を飛ばす装置ですよね。
これを自作するということをして、そして街中を自分の作った送信機を使って電波を飛ばして回って、
知り合いにその電波を受信してもらうようなことをやったりとかしていました。
彼がそんなこともあってか、最初に働き始めた仕事というのが正式な仕事ではないと思うんですけど、
オランダのラジオ局で法律的に認められていない電波を飛ばして放送する、
いわゆる海賊ラジオというんですかね。
そういうラジオを放送しているところで偽名で働くというようなところから始まって、
警察だたになったりとかそういったことも得ながら、
その後ヨーロッパの有名な放送局などで活躍した後、
アメリカのMTB、めちゃくちゃ有名な放送局ですよね。
アメリカのMTBのVJ、ビデオジョッキーとして許可のオファーを受けてアメリカに渡ることになりました。
これが1987年で21歳、2歳とかそのくらいだと思います。
彼がアメリカに渡ってMTBで非常に活躍しますと。
マイケル・ジャクソンへのインタビューだったり、
ポール・マッカートニーとかソーソータルメンバーとのインタビューをしたりとか、
MTBの中ではだいぶ活躍していた人だったようです。
インターネットとの出会いとMTV退職
しかし彼が1994年に電撃退職します。
7年くらい働いて急にMTBを辞める。
まだ30歳になる手前ぐらいですよね。
若いですね。
彼がなぜMTBを辞めたのか、その大きな理由というのがインターネットの衝撃でした。
インターネット黎明期:モザイクとネットスケープ
1994年ってインターネットはまだ普及はしてない。
その頃っていうのはようやくインターネットでホームページを閲覧とか要はウェブを閲覧する、
ブラウザーでホームページを閲覧するって体験ができるようになってきたタイミングなんですね。
1993年にモザイクっていうブラウザーが登場します。
このモザイクっていうものが非常に革新的だったのは、
それまでテキストしか表示できないブラウザーだった。
そこに画像も付けられるよ、画像付きのホームページ見れるよっていうのがこのモザイクの特徴だったんですね。
なんか当たり前じゃんと思うんですけど、
その当時まだインターネットは研究用途で使われることが多かったし、論文とかをアクセスするために作られていたし、
画像情報が入っていると読み込みに時間がかかったりして重いので、
基本テキストベースだったのにそこにモザイクっていうブラウザーが登場して、
画像が入って見栄えのいいホームページを見ることができるっていう体験ができてきたのが、
93年、94年とかそういった時期でした。
この時に活躍してた有名な人がマーク・アンドリーセンっていうイリノイ大学の学生ですね。
当時まだイリノイ大学の学生時代にモザイクっていうブラウザーを開発して、
その1年後に1994年にネットスケープっていう超有名な会社を立ち上げることになります。
アダム・カリーはこのマーク・アンドリーセンとかともシリコンバレーとか、
そういった技術者界隈の中でつながってインターネットについて色々学ぶことが多分あったと思われます。
インターネット起業家への転身と成功
アダム・カリーがそういったインターネットというものがみんなの手元に近づいてきているっていうことを知った時に、
自分が昔やりたかったこと、ラジオで発信する、
例えばオランダで海賊ラジオで発信する、
警察だたになりながらも自分たちが発信したいことを発信する、
そういったことがラジオ局とかMTVとかだとできなかった、
そういうジレンマがすごく強かったみたいです。
言いたいことは言えないし、時間も限られてるし、
でもインターネットっていうのはそれを管理する中央集権的なものがなくて、
技術さえあれば自分たちの声を発信できる、
そういった可能性に非常にワクワクして、
そこにフルベッドするためにMTVを辞めて、
彼はインターネット起業家として次のキャリアを歩み始めます。
MTVを辞めた後、彼はいくつかの会社を立ち上げたり合併したりとかをしているんですが、
一つ一つの事業は触れることは今回ないんですが、
1994年に立ち上げた会社が2年後に自分が立ち上げた別の会社と合併して大きくなって、
さらにその3年後、1999年にまたさらに大きな会社に買収されて、
巨額の資産を得てExitするという形で、
彼はインターネット起業家として成功します。
ただ、彼が本当にやりたかったインターネットを使って、
誰もが放送する、発信する、
そういったことはまだ実現できていなかったんじゃないかなと思います。
彼がやりたかったことは音声とか動画とかそういうことじゃなくて、
メディアとして自分たちがインターネットを使って発信していくんだ、
そこに自由があるんだというところが彼のやりたかったことだと思います。
「The Last Yard」構想の誕生
そしてアダム・カリーは1999年に巨額の富を得て、
彼の奥さんの故郷であるオランダの方に移り住みます。
そしてオランダに移った時に彼にまた衝撃が走りました。
それは何だったかというと、
当時まだ珍しかったケーブルモデルによる常時接続のインターネット環境、
インターネットのインフラがそこにはあったということに衝撃を受けました。
ただ、この時の常時接続はまだブロードバンドとは言えずに、
回線速度はそんなに速くないという状況がありました。
しかし彼はここで一つ閃きました。
常時接続できるんだったら、
自分が聴きたいラジオ、聴きたい放送を登録しておいたら、
自分がインターネットにアクセスしていない、
例えば夜寝てる時とか、そういう時に自動的にダウンロードされて、
自分がすぐ聞ける環境に自動的に置かれるというシステムを作ることができるんじゃないか。
そして彼はこの構想をThe Last Yardというタイトルで、
彼のブログで公開します。
このThe Last Yardという言葉はラストマイルという言葉がありますが、
映画でもラストマイルという映画がありますけど、
要するに何か情報とか何か荷物とかをあるところからあるところに運ぶ時に、
例えば荷物だったら高速道路で大量の荷物を運ぶところはすごく一気に運べるんだけれども、
そこから自分の自宅まで荷物を運ぶところっていうのが立足となって、
そこの部分をラストマイルと呼んでいるわけですよね。
だから彼の中ではインターネットの回線も常時接続で、
その機関道路みたいなところは回線は十分早いんだけども、
そこから交換機などを通って自分の家まで届くところまですごい回線が遅くなる、
そのラストマイルを克服するために、
自分が考えた夜寝てる間に自動的にダウンロードされる仕組みっていうのが入れば、
それはラストマイルを超えてザ・ラストヤード、もっと短い距離ですね。
そこまでの問題になるよねっていうような考え方。
ちょっと正確には違うかもしれないですけど、
そういうザ・ラストヤード構想っていうものを考えつきます。
しかし彼はこの時にそれを実現するための技術とか具体的なやり方っていうのはまだ見えてなかった。
それが1999年の年末のことでした。
次回予告:デイブ・ワイナーとポッドキャストへの道
そして彼がこの後ポッドファーザーと呼ばれるに至るまで、
当然iPodの発売もあるし、
自分が登録している番組が自動的にダウンロードされて自分が聞きたいところに置いてくれているっていうそのシステム。
これを作っていったっていうのが誰なのか、
それを次回話していきたいというふうに思います。
はい、というわけで今回はポッドキャストが生まれるまでの全体像の初回、
アダム・カリーがザ・ラストヤード構想というものを思いつくまでの流れをお話をしてきました。
次回はデイブ・ワイナーというブログの父と言ってもいいぐらい、
ブログに対する貢献の大きい人で、
RSSという技術を発展させていった人として有名な人ですね。
彼がアダム・カリーと接触してどのようにポッドキャストにつながっていったのかっていったところを話していきたいと思います。
はい、というわけでここまで聞いていただいてありがとうございました。
また次回もお待ちしております。
12:31
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