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024「話しやすさ」とは何か
2025-05-29 29:34

024「話しやすさ」とは何か

話しやすさについて本気出して考えてみた


■好きなポッドキャスト


ペーパードライブ

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Wナガイと哲学対話

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■概要

次回 / 物量で押す / 面陳 / 読書会ZINE / ×文芸誌 ○文学賞 / 下半期 / 半年すぎた / 頑張り<楽しさ / 内側 / 検索 / レア / ファシリテーター / ド素人 / 乱高下 / 永井玲衣さん / 哲学対話 / ちゃんと聴ける / 追い込み漁 / 話しにくさとは / 執着 / 横入り / 最後まで / 茶化す / 無に帰す / 真面目なトーン / 助け舟 / 挙手制 / 反応 / 相槌 / 満足感 / ラリーの数 / 知識マウント / 内輪 / アンチ / もう講座をやれ / 転校 / やり直し / 隔たり / 共通の話題 / Wikipedia / 逆ひろゆき / 態度 / 評価しない / 意見 / ノウハウではなかった / 聴き手 / 修行とか罰 / 反動 / 恐ろしいほどのマイペース / 楽しい/ 快楽


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感想

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00:04
こんにちは、パーラー風待へようこそ! ということで、小説書きの風待葵です。
はい、ちょっと間が空いてしまったんですが、 文振りの振り返り会以来、初更新という感じでね。
はい、まあだいぶね、あのなんだ、文振りのその本も、結構いろんな方に、文振り来られなかった方とかも いらっしゃったんで、まあそういう方にもお渡ししたりして、
だいぶ落ち着いては来たかなーっていうところなんですけど、 なんか次回の在庫というか、次回売る本
どのぐらいにしようかなって、今からちょっと考えててっていうのも、 まあ今回私2つしか売るものがなかったから、結構売り場が寂しくて、
まあディスプレイを組むのにちょっと苦労したんですけれど、 ちょっと商品数がさ少しでも多くなれば、
まあ本で埋めていくのが一番の理想的。 基本的にディスプレイってさ、並べる商品がいっぱいあれば、それを
あのもう物量で押していくみたいな感じで、出してた方が絶対いいんだよね。 基本的に文振りとか特にわかりやすいじゃん、本を買いに来るわけですよ、お客さんが。
だからその本がめっちゃバーって面鎮されたりとかする方が絶対目が行くはずだから、それが理想的なんだけど、
私の場合まだね、初めて、初めてっていうかまあ、 その再開して、同人活動を再開して日が浅いんで、そんなに並べられるものもなくっていうところで、
結構その期間をどれぐらいすり増しするかっていうのを考えていますね、今から。 正直11月の文振り申し込んでるんですけど、私のちょっと個人紙の新刊が出るかちょっとわからず、
合同誌、その友人と一緒にやる合同誌と、あと最近発表したというか、決めたのが、
読書会の方の陣を一冊作ろうかなと思っていて、 今まで取り上げた本の話とか、
あと読書会に今まで参加していただいた方に、ちょっと寄稿していただくような企画とかもやりながら、
薄めの本を出そうかなっていうふうに思っていますね。 なんで私のその小説が、
次の文振りで並ぶっていうよりかは、他の方、私の周りの方と作ったものが、 店頭に並ぶ形になるかなって
思います。 自分が出したい文芸紙の
予定っていうのかな、それが全部ね、ほぼ下半期に締め切りが集中しちゃってるので、 おそらくその文振りに出せるような原稿を書く時間が取れない
気がしてまして、ちょっと公募の方も頑張りたいなと思ってて、 長いものをちょっと書けるようになりたいので、
03:07
という形でね、下半期は予定を考えてます。 という感じで、
はい今日はね、話にも出たんですけど、その読書会の話をしようかなと思ってて、 と言ってはまあほとんどの人にとって読書会ってまあ人事っていうか別に行ったことも
なければ、 まあ行こうとも思ってませんっていう方がほとんどだと思うので、
話しやすいってどういうことかっていう話をちょっと考えたいなっていうことで、 録音してますね。
私は読書会を主催しているんですけど、まあだいたい半年ぐらい
過ぎてっていうところ、まあ今年の10月で1年経つんだけど、 まあそれまではちょっと頑張りたいさすがにって思ってやってきて、
まあでも正直頑張るとかっていうよりかは、 なんか割と楽しくで続いたっていうのが正直なところなので、
まあこれからもちょっともうやめないとダメだ、みたいな状態になるまではちょっとやりたいっていうところですね。
私がその読書会始めるにあたってとか、あとやっていく上で一番、 一番なんかこう力を入れた部分っていうのがその話しやすさの部分なんですけど、
ありがたいことに参加者の方にいつもアンケートとかを書いていただくんですね、
終わった後に。そこでも割と話しやすかったですとかいう感想をいただくことが多くて、
本当に良かったなっていうふうに常々思っているんですけど、 話しやすくするにあたってどういうことを考えているかみたいな話をちょっとしてみたいんですけど、
で、なんでそのポッドキャストでこれを喋るかっていうと、私あんまり主催者側の、言ったらその内外、
言ったらその内側の話をあまり表に出すっていうことにちょっとどうなのかなぁみたいな気持ちがあり、
ノートとかだと特に検索に引っかかってきちゃったりとか、やっぱ文字なので、
文字情報だとそういう検索で引っかかりやすかったりとかするのが若干ネックというか、
あと結構比較的簡単にアクセスできちゃうのがちょっと微妙だなって実は思ってまして、
読書会に参加される方で割とそのポッドキャストまでたどり着く方って結構レアだと思うので、
まああえてこういうところで喋っているんですけど、
まあだからあんまりその何話しやすい環境とか場を作るみたいなことにそんなに関わってない人が多いかもしれないんだけど、
まあちょっと喋ってみます。
まずその大前提として私が主催をする側なんで、ファシリテーション、ファシリテーターとして振る舞わなきゃいけないんだけど、
06:03
私はちなみにファシリテーター的なことをやったことがなかったですね。
仕事でもそういうことはやらないですし、その場を回すみたいなことをやったことがなかったので、
まずその私がファシリテーターとしてど素人であるっていうことをまず前提にして考えないといけなくて、
そうなった時に私のコンディションとかそういうスキルの面でその場のクオリティみたいなものが乱抗議するみたいなのが一番避けたい事態なので、
ある程度その場のクオリティが担保されつつ、かつあまり乱抗議しない形っていうので思った時に、
私はよくこの話をしてるんですけど、長居玲さんっていう哲学者がいて、私と年そんな変わらないちょっとお姉さんぐらいなんですけど、
長居玲さんがやってらっしゃる哲学対話っていうものがあって、哲学対話自体は別に長居さんが始めたわけではなくて、
いろんな哲学者が実践してきたものになるんですけど、私は個人的に長居さんの哲学対話にしか参加したことがないっていうのと、
あとよく長居さんとか結構ねポッドキャストとかやってたりするんですよ。番組いくつかレギュラーのやつに出てたりとかするから、
長居さんが一番身近なそういう哲学対話を実践している方だっていうのもあって、長居さんの哲学対話を参考にやっているっていう形になるんですけど、
私は長居さんの哲学対話に自分が参加したときは、一度も発言はしなくてずっと聞いてるだけだったんだけど、すごく楽しくて、
機会があればまた行きたいなって思ってるんだけど、なかなか情報がなくて、長居さん自身がおっしゃるには会社とか学校でやることが多いっていうふうによく聞いてるので、
たぶん一般の人が出入りできる場所っていうか、ある程度閉鎖的な場所でやってるのかな、多くやってるのかなっていう印象なんですけど、
とにかく長居さんの哲学対話は話しやすいなっていうところと、あとやっぱり人の話をちゃんと聞けるなっていう印象があったんですよね。
なんでもそうなんだけど、こういうふうにしたいみたいなのを考えるときに、その逆から考えていくと割とやりやすいなって私は思ってるんですけど、
追い込み量みたいな感じでやっていくんですけど、話しやすい場を考えたかったので、逆に話しにくい時ってどういう時かなみたいなのを考えながら、
設計というのかな、していったんですけど、やっぱりね、話しにくいって多分私がすごく実は感じていることなんじゃないかなというふうに思ったのね。
09:07
ここまで話しやすさに執着するっていうことは、やっぱり話しにくいんだと思うんですよ、私が普段。
それは多分ずっと感じてきているし、それがもう当たり前になっているからあんまり深く考えなかったんだけど、結構話しにくいって思ってるなって
いうことには気づいたんですよね。私がどういう時にそれを感じるかっていうと、例えば、
私の場合はもうそれで割り切っちゃってるからあれなんですけど、話を遮られるっていうこと?
私はもうなんか自分の話が遮られるのは別にもういいと思ってて、
なんかあんま気にならないんだけど、他人が他人の話を遮ってるのが結構苦手なんだよね。
例えば、私が3人で話したとするじゃん。私がAさんの話を聞いてるっていう状況があった時に、Aさんが喋ってるという状況ね。
私はAさんの話を最後まで聞きたいなって思いながらその話を聞いてるんだけど、なんかわかんないけど途中でBさんが横入りしてきて、
で、そのAさんの会話を奪ってしまうみたいな状況って結構あると思うんですよ。
私はそれがすごく苦手だし、ちょっとその自分のコンディションが良くない時とかだとイライラしたりすることさえあるっていう感じで、
なんかそういうのが起きない場にしたいなってまず思ったんだよね。
最後まで一人の人の話を聞きたいみたいな、聞いてからちょっと考えたいんでみたいなのがあって、
それはちょっと読書会では起きないようにしたいなっていうのがまず1個あったので、その人の話を遮らないでくださいみたいなルールは追加したんですよ。
で、あと私が遮るみたいな話で割と苦手なのが茶化すっていうあれなんですけど、
だから本当にこれを喋ってると、コミュニケーショントーンでやめろみたいなこと言いたくなる人もいる気がするんだけど、
私とにかく茶化しが苦手で、普通のトーンで喋ってるのに茶化すことによって全てがムニキスみたいなことがあって、
それがすごいもうなんでそういうことをするのみたいなのが結構よくわからないっていうか、
なんていうのかな、なんか真面目なトーンに耐えられない人っていうのを言っている気がしてて、
で、茶化すことによってその真面目なトーンを崩して、そういうテンションに持っていかないようにするみたいなことが起こるなっていうのを私は感じていたんだけど、
それもちょっと読書会ではやりたくないなって思ったので、そういう意味でもその間に入れないようにするっていうことですね。
基本的に口を挟めないっていう構造にしたのはそういうことですね。
12:06
で、あとはなんだろうな、だからそれは逆に言えば助け舟を一切出さないっていう意味でもあるんですけど、
つまりそのだいたいなんかこう友達とかと話してたりする時に、その適切に質問とかを適宜その入れることによって、
話がはっきりする場合ももちろんあると思うんですよ。例えば主語が明確じゃない時とか、主語を言わないで話し始めちゃう人っているじゃん、私もそういう時あるんですけど、
そういう時にちょっと待ってちょっと待ってみたいな感じで、誰が何をやったのみたいな感じで質問を入れることによって話の筋がはっきりしてくるとかそういうこともあるんですけど、
そういう可能性も潰すっていうことには同時になるわけだけど、それに関しては別に覚えておいて、誰が何してるかちょっとわからなかったなって思いながら聞いておいて、
その話が一段落した段階でごめんさっきのここちょっとわからなかったんだけどどういうことって聞けば別にそれで済むっちゃ済むからまあいいかなみたいな感じで、
その可能性はちょっと私は封じてもまあいいだろうという判断にしたんですよね。
なんか割とだから挙手制なんだよね。まあ学校の授業にちょっと近いかもしれないんですけど、挙手制というか、
次じゃあ自分話しますみたいな感じで宣言してもらって話すっていう形を取ってますね。
まあだから結局私がその封じてるので多分反応とか感情みたいな部分なんですよね、おそらく。
まあ感情的であることを別に否定はしないんだけど、あの反応っていう、あの応答と反応の違いみたいなところのような気もするんだけど、
もうそれって反応じゃねえかみたいな時ってあると思うんだよね。なんかもう私もそういう時あると思うんだよ正直。
普段の自分の会話とか帰りに行って、その反応でしかないなんか返しとかをしてる時って全然あると思うんですよ。
だから自分のそういう部分を封じるためのルールなんですけど結局は。
でやっぱ反応ってまあなんか脊髄反射みたいなことですよね。
反応ってやっぱりその話をするとか、なんかこう聞き合うみたいなその落ち着いてちょっと一旦やりとりしたいなっていう場においては、
その反応が多すぎると深いところまで行けなくなっちゃうなっていうのがあって、
なのであんまり反応をそのまま言葉にするっていうのをやりづらくわざとしてるところはあるかもしれないです。
まあ合図値とかは全然あのどんどん打ってくださいっていうふうにお願いはしているんですけど、
だって誰もさ直立不動で聞いてるのか聞いてないのかわかんないみたいな一番きついから、
合図値は打ってくださいっていうふうにお願いはしてるけど、その言葉で何か話を奪ってしまうようなことはしないでねっていうのはお願いをしてますね。
15:01
まあそれで意外となんかこう自由に話せなくて嫌だったみたいな意見はあまり実は出てこなくて、
みんなそのなんだろうな心行くまでというか満足行くまでとりあえず一旦その喋るので一つのターンで。
でそうすると結構話せたなーっていう感じになるんですよねおそらく。
まあ私も自分ももちろん主催者だけど一位参加者として発言とかもしたり全然するので、
なんか自分のターンでじっくり考えながら誰にもこうペースを乱されずに話せるので、
割とそれが満足感があって。
だから多分その普通の会話よりかはラリーの数とかも絶対少ないし、
多分それぞれの発言量みたいなのもおそらく少ないのかもしれないんだけど、
意外とそのなんか別に全然話せなくて嫌だったみたいな意見とかは今のところは見てないです。
私実はそんなに他の読書会に行ったことがないんですけど、
実は私が行った読書会でそういうことはなかったっていうのは最初に言っておくんですけど、
主催していて他の読書会に行った方とかが私の読書に来られた時に、
結構その知識マウントが始まってしまうみたいなことだったりとか、
だからその本に関して詳しい人がずっと喋っちゃってるみたいな状態があったりだとか、
あとはなんかその主催者じゃないのにずっと来てるからって言って、
なんかすごいボスみたいな感じで、
内輪の空気を作っちゃうみたいな人がいるみたいな話とかを聞いたりとかすることがあって、
私はその両方のアンチなんですけど、
内輪のアンチだし、知識マウントのアンチなんですけど、
知識マウントに関しては、
なんかもう自分でそういう教える講座とかをやればいいと思うんですよね。
もうなんかその読書会っていうある意味そのフラットな場というか、
その勾配がない場みたいなところでやるのではなくて、
自分がもうそういう先生になってそれはやりなよって思うことなんですよ。
そうね、内輪ノリに関しては、
私前回ちょっとその文振りの話で言ったけど、
私自身が内輪ノリが非常に苦手なんですね。
まあこれは自分の老いたちにも関係あると思うけど、
あのとにかくその内輪の空気を感じた瞬間に結構逃げ出したくなるタイプで、
それはなんか自分がその内輪の中に入れてたとしても結構、
うわーってなっちゃうタイプなんですけど、
なんでかって言うと、私ちっちゃい頃に転校を繰り返していたんですね。
まあ繰り返してって言っても3回ぐらいなんだけど、
そのまあ私がその転校というか引っ越しだよね、だから。
18:00
転勤ね、親の転勤について行ってたので、
そうすると私の場合習い事もさせてもらってたんですよ。
で、その習い事の友達と学校の友達と、
まああとなんだ、ちっちゃい時だったら近所の公園で遊んでた子とか、
まあとにかくそういうもうすべてのコミュニティを離れ、
その新しい土地に行って、その自分が所属するコミュニティだから習い事とか、
全部をやり直さないといけないですね、毎回。
で別に私それを苦にしてはいなかったんだけど、
なんていうのかな、結局その積み上げがないわけですよ。
ポッドでの新人みたいな感じなんで、
まあその場でとりあえず仲良くはなるし、
だんだんその年月というか一緒に過ごす時間が長くなれば、
同じ時間を共有しているので話し合う話とか、
わかる話も増えていくけど、
やっぱ時々その友達とかと一緒にいる時に、
急に自分がわからない話とかが出てくる場合があるわけですね。
だから私がいなかった頃からずっとそのなんだろう、
タイムライン的には地続きなんだけど、
私がその年に来たのがそのタイムラインの始まりより後なので、
それより以前の話をされても私はまあわからないし知りようもないわけですね。
なのでその時に急に断絶みたいなのが発生して、
その内輪のりみたいなのを外から見てるみたいな状態になるわけですね。
で別にそのすべてのそういうなんだろう、
シーンとか具体的な記憶っていうのを覚えてるわけではないんですけど、
まあ結構それが苦手だっていうことは割とそういうことがあったんじゃないかなって思うんですよね。
まあちっちゃい時だからもうわからないんだけど、
だからそういう自分にはどうしようもない理由で、
なんかその隔たりを感じてしまうみたいな瞬間がおそらく多かったんでしょうっていう予想なんですよね。
だからその自分がたとえその内側に入れたとしても、
それから阻害されてる人のことが常に頭のどこかにあって、
なんか楽しくないですよね、全然。
なんか仮にその内輪のりに乗れてない人がその場にゼロ人だったとしても多分あんま楽しめないんですよね、もう。
っていうのがあるので、その内輪のりはできるだけ発生しないような設計にしていて、
具体的には毎回ニックネームをつけてくださいっていうふうにお願いしていて、
だから本名とか年齢とか職業とかもうすべて言わないでいいっていうふうにしていて、
その日のニックネームとそのニックネームにした理由だけなんか教えてくださいみたいな、
その2点だけ自己紹介では聞くんですけど、それ以外の情報は一切聞かないから、
あんまりその共通の話題がだから発生しないんですよね。
何回も来てくださる方もちろんいるんですけど、
その来てくださる方同士での仲間みたいな、その仲間意識じゃないですけど、
21:03
そのノリみたいなのがあまり発生はしてないかなっていうのは個人的に見てて思うところなんですけど、
ただ私とは何回もお会いすることになるので、
自分主催者なんで必然的に毎回いる人間だから。
そういう場合は私とちょっとお話ししたりはしますけど、
私の方も別に、初めて来た方がいたらその方にお話を振ったりとかもするので、
そこは結構気を使っているというか、
私がもともとそういう感覚の人間なので自然とそうなるっていう感じですね。
さっきの知識マウント的な話に補足するとしたら、
私は自分が思っていることとしては、
Wikipediaと同じことを言わなくてもいいっていうのを思ってるんですよね。
調べてわかることを話さなくて別にいいって思ってて、
あなたからしか聞けない話が聞きたいって思っているんですよ。
常に思ってて。
だからWikipediaで調べたら出てきそうなことじゃなくて、
もっと素直なっていうか、
それは別に一般的な社会とか会社とかでは別に歓迎されないものなのかもしれないけど、
私は今目の前にいるあなたからしか聞けない話を聞きたいんだよなって思ってるから、
知識マウントしてる人も別に知識マウントしてるからあなたが嫌いですっていう話じゃなくて、
知識はいったんいいからあなたの話ちょっと聞かせてくれないって思うっていう話なんだけど、
だから広雪の逆ですね。逆広雪なんですよね。
あなたの感想を聞かせてくださいっていうのをやり続けてるまんなんですけど、
だから知識マウントにはなりづらいと思いますね。
私は今のところそういうのをあんまり見てないっていうか、少なくとも長々公釈たれちゃうみたいなタイプの人は今のところは来られてなくて、
そこは非常に安心というか、そういう風に応募とか文面とかもそういう人があまり来ないというか、来づらいような風に書いてるので、
自分としては。それがこうそうしたのかなっていう感じなんですけど、
まあそうですね。あと多分私の態度もあるのかなとは思うんですよね。
なんか結構本読んでそうな方とかもちろん読書会なのでいらっしゃるんですけど、
私がことさにあまり評価するってことを基本的にしないようにしてて、別にそれは知識があることに対して評価しないっていう話ではなくて、
24:07
全ての意見、出てきた意見に対してあまり評価っていうのをくださない、いい意見ですねとかを言わないようにしてて、
個人的に私は面白いと思いましたとか、そういう意見にできるだけ変換してる感じなんですよね。
だからあんまり作家の名前とかを具体的に出して、意見を出してくださった方がいても、
まあまあそうなんだみたいな感じで聞いていて、あまりこうよく知ってますねとか、
なんかいろいろ勉強されててすごいんですねみたいな、すごいですねとかよく知っていますねとかそういうまあ、
私はそれをこう結構評価する言葉だと思うんですけど、そういうのはできるだけ使わないようにしていて、
だから逆に言えばそういうふうによく知ってなくてもいいんだってそういう人に思ってもらいたいんですよね。
この場においては別によく知っていることを別に、良いこととも悪いことともジャッジをしないんだっていうことを思ってほしいというか、
まあそれそういう場所なんだなっていうふうに受け取ってもらえればと思ってやってますね。
話しやすさについてちょっと考えてみたんですけど、
主にその読書会を通して自分が考えてたどり着いたというか、これが話しやすいっていうことなんじゃないのかっていう話をしてみたんですけど、
正直あまり日常生活で使えるノウハウとかではなかったかなっていうのは思うところではあるんですけど、
自分の意識としては、自分が話しやすくなるっていう、自分が話しやすい場を自分で作るっていうのは結構難しいんですけど、
相手が話しやすいような聞き手でいるっていうことは多分できて、それをやるしかないのかなっていうのがありますかね。
人の話を聞くことを何かこう修行とか、何かこう罰みたいなふうに捉えてる人が多いような気がするんだよね、感覚ですけど。
まあそういう私は結構喋るより聞く方が好きで、他人との会話においてはね。
まあポッドキャストをやってるのはおそらくその反動もあるのかもしれないんだけど、
私あんまり人と一緒にいる時は自分の話をそこまでしないと自分では思ってるんですけど、
相手の言ったことに対して何か、それはこうなんじゃない、なぜならこうこうだからみたいな感じで、そういう意見をちょっと言うみたいなことはあるけど、
なんかこうとうとうと自分の話をするみたいなのはあまりなくて、
27:03
っていうのは私がなんていうの、もう恐ろしいほどのマイペース人間だからっていうのがある気がしてて、
その自分のペースで喋りたいんだけど、やっぱその会話ってそういうものじゃないし、
その相手とのこうなんかセッションみたいなものでこう変わっていったり話題がどんどん変わっていったりするっていうのがまあ会話のおもろいところでもあるわけで、
ってなるとやっぱ自分の話をとうとうとするっていうのはその私のその会話の概念みたいなところがちょっと外れるんで、
だからあんまりこういうポッドキャストみたいなその壁打ち的なその語りをおそらく会話では封じているんですけど、
そうっていうのもあってやっぱ聞く方にもあることが多いかなって自分では思ってて、
別にそれは消去法的に聞くことを選んでいるというよりかは聞くの楽しいんですよね私は。
なんか別になんだろうその相手が喋ってるから聞く以外に仕方がありませんみたいなそういうマイナスな捉え方ではなくて、
だからその罰としての聞き手みたいなことではない、その自分が話す隙がないからしょうがないから聞いていますみたいな、
そういう意味での聞いていることが多いっていう話ではなくて、
シンプルに話聞くのって面白いなっていうのがあって聞いてるんですけど、
それはまあ私がたまたまなんていうのその聞くことの楽しさみたいなところ、その快楽に近い何かそういう部分を
まあどっかのタイミングでおそらくつかんで、
それでこうなんかこう病みつきになってる面もまあおそらくはあると思うんだけど、まあ私はそういうふうに捉えてますね。
だからまあ話聞くのが楽しいなって思えるようになるとまあ楽ですよねいろいろ。
なんか変に頑張らなくていいというか、変にこう力を入れてその場にいなくてもいいなっていうふうに思えるようになるから、
それはすごくまあ自分がそういう聞くのが好きだっていうところで得してるところかなっていうふうには思いますね。
はい、ということでねまあちょっと話しやすさなどについて話してみました。
なんかまあ参考になるかはちょっとわかんないけど、
活かせる部分があればいいなと思います。
はい、ということでお聞きいただきありがとうございました。
29:34

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