1. パラレルワーカーの本音
  2. #67 自己欺瞞をし続ける私たち..
2026-10-27 54:11

#67 自己欺瞞をし続ける私たちへの処方箋

パラレルワーカーであるユウスケ氏とアヤコ氏が語る本音雑談へようこそ!

「箱」に入ってませんか?の続編です。トイレットペーパーとティッシュペーパーを巡って争う夫婦間・家族間の問題から大事なコミュニケーションに到達した神回!

ユウスケ氏の新しいサービス=自己理解を深めてキャリアを描き直すための対話型サービス 「Career Re-design Dialogue(キャリア・リデザイン・ダイアローグ)」は継続してモニター募集中です!

アヤコ氏の著書「パラレルワーカーの教科書」の感想もお待ちしておりますー!

=MC紹介=
ユウスケ氏
兵庫県出身、京都府在住。一児の父。ひふみコーチ株式会社認定 プロフェッショナルコーチ。 大学卒業後に大手ビール会社へ入社、現在はクラフトビールを始めとした酒類全般の営業に加え、2023年より⁠⁠ “自己理解コーチ” ⁠⁠として活動開始。 自身のキャリア迷子や育休中の自己理解をきっかけに、パラレルワーク(複業)として対人支援を開始。「個性のウラオモテを認めて味わう人を増やしたい」という想いを胸に活動し、累計200名以上を支援。

2025年、個人配信を開始した『自己理解を深める心理学ラジオ』はApple Podcast Ranking 社会科学カテゴリ TOP5入り。現在は番組名とカテゴリを変更し⁠、『自己理解を深めてキャリアを描くラジオ』⁠として配信継続中。 instagram:⁠https://www.instagram.com/kyanapioka0913⁠

アヤコ氏
早稲田大学卒業後、2001年就職氷河期のどん底に大手情報通信会社に入社。バンキングサービスの構築から、製造業向けの貿易コンプライアンスサービスを発案し事業化。マネジメント職に従事後、2022年8月から独立。 事業コンサル・営業支援・PMなど複数のクライアントと契約するパラレルワーカーでありつつ、事業法人経営も同時並行。 生粋のPodcast Crazy。Podcast番組「⁠⁠⁠⁠無限塔の秘密⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠」を配信しながら、ニュースレター「⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠リベルタス⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠」を配布中。著書に⁠『パラレルワーカーの教科書』⁠。 X:⁠https://x.com/ayakoPizumi

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サマリー

前回に続き、アヤコ氏が紹介した『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を手がかりに、身近な人との間で起こる自己欺瞞について語る。トイレットペーパーの交換やティッシュを何枚使うかといった些細な生活習慣でも、自分の良心に背いた行動を正当化するうちに、相手を敵と見なし、夫婦や家族の断絶へ発展しうることが説明される。目先の快楽に流されるスマホ依存や、勉強・家事を後回しにする例も挙げ、短期の自分と長期の自分、家族や共同体との関係を意識することが自己欺瞞を減らす手がかりになると話す。 さらに、家族も長期的に協力するプロジェクトでありながら、休息や一人の時間も必要だと整理する。子どもは親の口論や攻撃的なコミュニケーションを見て学ぶため、親自身が弱さを含めて人として向き合うことが大切だという。夫婦それぞれの「父親像」「母親像」を押しつけるのではなく、家庭ごとの最適解を擦り合わせる必要がある。最後に、自分の違和感を飲み込まず、相手を攻撃しないアサーティブな伝え方と、コミュニケーションを続けることの重要性を確認する。

身近な人との間で起きる「箱」と自己欺瞞
始まりました、パラレルワーカーの本音。 この番組は、2人のパラレルワーカーによる異なる仕事を並行する副業に対する疑問、発見、哲学を本音で雑談する番組です。
各週火曜日に配信しています。 おはようございます、ユウスケです。 おはようございます、アヤコPです。
はい、今回はね、我々の番組では珍しく、前回からの続きということで。 前回、アヤコCが本をね、お勧めしてくださって、自分の小さな箱から脱出する方法という緑色の本を読んで、その感想とか、実体験に基づく
話、
あとは正論って怖いよね、みたいな話から、やっぱりでも組織を率いるリーダーは、こう、いろいろ矢が飛んできたり、風が吹いたりして痛いかもしれないけど、箱から出るそのタフさみたいなことがないと務まらない
よね、っていうそんな話をして。
で、最後にアヤコCが、じゃあユウスケさんはそんなことも、箱から出れなくなる瞬間ってあるんですか、みたいな投げかけをしてくれて、続きという感じですかね。
はい。
あの、前回の冒頭でも言ったかもしれないですけど、箱に入っちゃう時ってあるよねっていう、それでもねっていう。
あるねー。
話をできればと思うんですけど。
最後あの、前回の最後で身近な人には、どうしても箱に結構入っちゃいがちみたいな、そんな話にもなって、家族とかね、すごく仲のいい友人とかには、実はそうなりがちだみたいな話もありましたので、その辺りをね、ぜ
ひ聞いてみたいなと。
そうですね。私で言うと、一番近くにいる家族が妻と子供なんですけど、不思議と子供に対して箱に入ることってあんまりないなと思っていて、それでもなんでなのかなって今ふと考えてるんですけど、
多分ね、向こうが箱に入るということを知らないイコール、両親そのままで生きてるからなんだと思うんですよね。
そうだね。
はい。で、あまりにも無邪気で、なんか悪いことやっちゃったらもうそれが全部表情とか態度にも出てるし、隠そうとしても隠しきれてないみたいな時は、こっちもなんか箱に入れないっていうか、
あーもうもうみたいな感じになるっていうのは、やっぱりさらけ出してる弱い相手には箱に入ったまま対応できないなみたいなことをふと思いましたし。
あとさ、それはちょっと違うかもしれないんだけど、箱に入るっていうことはさ、防御イコール、防御ってさ攻めでもあると思うんだよね、なんか。
はいはいはい。
相手を攻める手段。
そうですね。身を守るために相手を攻めるっていうのはありますよね。
あるよね。で、要はその、それに反応しないとかさ、相手の言うことを聞かないとか、働きかけに答えないとかっていうこともさ、一種の攻めるってことじゃない?
うんうんうん。
そういうのが多分通用しないってどっかでわかってるんじゃないかなっていうのはあって。
子供に対してってことですか?
そう。子供が、子供にさ、そういうことしても伝わらないじゃん、多分。
そうなんですよ。
ねえ。
うん。
だし、変にねじ曲がってさ、父ちゃんはなんか話をしてくれないとかさ、そんな風になっちゃうと、それはそういうつもりじゃないし、みたいな。
まあ、やっぱり両親がね。
そうだよね。
親の両親というか、自分の良い心と書いての両親がうずきますよね。
うずく。
でも本当はそれ子供だけじゃなくて、全人に対してその両親っていうのは、人は持ってるはずという前提が多分この本にはあって。
うんうんうん。
だけどなんでそれを押し殺してしまうのかみたいなところが主題なような気がしますけど。
うんうん。
トイレットペーパーから始まる関係悪化
で、そういう意味ではこう、僕の場合は子供にはあんまり箱に入ることないんだけども、やっぱ妻との言い争いみたいになった時にお互いに箱に入ってるなという感じがこの本読んでてあって。
うんうん。
まさにこの本の中でも、前回も紹介したかもですけど、寝かしつけの例が出てて、夫婦の間の中での。
どんな例かというと。
はい。
この本の中では旦那さん側イコール僕側の目線で書かれているんですけど、妻が基本的には寝かしつけをしてくれているんだが、その妻がたまたま寝ていて自分が起きてる時に子供が泣き出した。
うん。
今自分は起き上がって子供をあやさなければみたいな。
うん。
そんな両親がこう思い浮かんでくるんだけど、でも自分は疲れてるし眠たいしみたいなことで、その沸き上がってきた両親に背く意志決定をしてしまうと、自分を一旦自分の立ち上がってきた両親を裏切ることになると。
うん。
そうすると、でもそのことを自分の中では正当化していかないと自分の中の理屈がつかないので。
これは妻が怠け者なんだとか、気づかないのが悪いとか、俺は疲れてるんだからとか、そういうふうにその感情にそむいた、本当は両親にそむいてるんだけど、その意志決定を補強するようなことを勝手に脳は探し出して、
で、そうして当然だったんだというロジックが出来上がってしまうと。
なんかそんなことが書かれているんですけど。
こんな感じの身に覚えがあるってことですか。
そうですね、その寝かしつけではないにしろ、ちっちゃい話ですけど、トイレットペーパーの芯とかあるじゃないですか。
はいはい。
で、ギリギリまで使ってなくなるかもっていうところで、なくしきっちゃって変えることもできるんだけど、なくさずにギリギリのところで止めて変えないみたいな、めんどくさいから。
そういうことをやっちゃうこともあって。
ゆうすけ氏が?
そうそうそうそう。
それを今思うとなんかもうそれぐらいちょっとめんどくさくても変えたらいいじゃんって思うんだけど、
でもいや、これまだちょっとぐらい使えるしとか言って、それを正当化して、なんかなくなってたでみたいなこと言われた時に、
いやいや、まだあったやんかみたいな。
みたいなその、自分のやらなかった、でもちょっと心がうずいてるんだけど、やらなかった理論の方を言い訳として言って、
いつも私が変えてないけど、みたいな。
いやそんなことないって、たまたまやでみたいなことになると、自分では気づいてるわけですよね。
あの時、変えれたタイミング、ちょっと1センチ使ったらもう使い切れたみたいなことはめちゃくちゃどうでもいい例ですけど、
自分の良心にそう向いてること自分でもわかってるが、まあでもなんかそれを言えない、言い出せないみたいな。
そんな例としてちっちゃなこととしてあるかもしれないですね。
いやーなんか痛いところ疲れるみたいな、っていう風に思ったりもするよね、そういうの言われるとさ。
いやそれたま、確かにそれ重なったかもしれないけど、他にもいろいろやってるじゃないか、みたいな。
そうなんですよ。もうそう思っちゃってる時点で、相手を敵イコール、このナンシーの例で言うとひどい母親とかひどい妻と、
旦那さんが思っちゃっていくように、僕もそんな細かいことでトイレのシングライで、みたいな風に妻のことを批判する目線が自分の中で育っていっちゃうっていう。
自分が自己欺瞞したことがきっかけなのに。
だから、自己欺瞞を一回始めると、周りのことを敵だと見なしちゃうっていう、そういうことなんですよね。自分を正当化したいがために。
じゃないと自分の中での理屈が立たなくなっていくから。
これ怖いですよね。全然無意識にそれをそこまで言っちゃってるわけですからね。
トイレットペーパーはでもさ、どうなんだろうね。
そういう生活の細かい部分の価値観みたいな。
それってさ、正解はないじゃないですか。
2人で正解を作っていく感じ。どうすればお互い心地よいかみたいな。
そうですね。
仮に、ゆうすけ氏のお相手が、それについて何にも思わない人かもしれないよね。
そうですね。
そうだとするとさ、どうなるんだろう。
あんまり自己正当化が一回自分の中で起こるだけで済むというか。
そういうことは何も言ってこないわけじゃないですか。
そうだね。何も思わないわけだから。
だから小さな自己欺瞞だけで終わるということなんじゃないかな。
さっきの例で言うと、変えようと思ったら変えれたけど変えないみたいなことを自分がやり続けるだけで、
その時にちょっとずつ良心は痛んでるんだけど、
相手のことを悪く思うみたいなとこまでは発展しない。
なぜなら、そのことを言われないわけなんで。
そうだね。
なので、傷は深まらないなという感じはしますが、
小さな自己欺瞞は続いていくのかな、なんて思いますけどね。
なるほど。
同じ事象であったとしても、やっぱり相手にもよるよね。
だから当たり前かもしれないけど。
自分が箱に入っちゃうかどうなるかってね。
同じ事象が起こってもさ。
確かに確かに。自己欺瞞はあるんだけど箱には入ってないもんね。
ある意味ね、その相手が何も言ってこなかった。
それはでも、気にならないという言い方もできるかもしれないけど、
気にしてたとしても、細かいことだから言わなかったり、
相手を攻めなかったとしたら、
その人は箱から出てるとも言えるのかもしれないですけどね。
相手方がってこと?
そうそうそう。
相手方が箱から出てれば、自分も攻撃し合いみたいにならないから、
箱に入らなくて済むという、ラッキーみたいな状態かもしれないですね。
そうだね。
でもほんとさ、他人と共同生活をするっていう、
他人じゃなくてもいいんだけど家族でもね、元の親とかでもいいんだけど、
人と共同生活をすると絶対そういうの起こるじゃないですか。
起こる。そういうことだらけですよね。
だらけて、下手したらそういうことで離婚とかになったりするでしょ?
そう思います。
そうならないようにしたいじゃないですか。
だってそういうことは別のところでちゃんと好きになって結婚してとかなんだろうからさ。
相手のことを好きだっていう気持ちがあるんだったら、
そういう小さな大事にしたいことのすれ違いとかで、
めちゃくちゃになりたくないじゃん?
そうですね。
どうしたらいいんですかね。
まさに、さっきのトイレットペーパーの話を引っ張ると、
これ買いといた方が相手は楽かもなとか、
少しでもそういう気持ちが浮かんだら、
そのことに愚直に、感情に損かずに実行するっていうことしかないのかなと思ってて。
このタオルちょっとびちゃびちゃに濡れてきたから洗濯箱に入れとこうとかね。
なんかそれって、良心ある人間だったらいつでも気づけることだけど、
何回いろんな理由でそのことに背いて、良心に背いて、
自分の都合を優先しちゃうんだと思うんですよ。
だけどそうすると、相手のことを回り回って、
相手のことを悪く見ちゃうってところに発展していくってことが、
この本を読むとわかったので、
自分がやってあげたいとかやった方がいいって、家のために家族のためにって思ったことを、
もうそれぞれがやっていけば、
その自己欺瞞の種ができるだけ少なくなっていくので、
相手のことを悪く思うリスクが減っていくと。
自分側がね。
自分側が。
はいはいはい。
お互いがそういう心がけの下生活してたら、
相手のことを悪く思う理由がなくなっていくのかなって思いました。
仮に、こういう場合はどうだろうっていう話で、
ティッシュの使い方と価値観の衝突
今のトイレットペーパーの話とか、タオルびちゃびちゃの話とかありましたと。
逆に、私結構こういう例の方が多いんじゃないかなと思うんだけど、
まだ使えるじゃんとか。
そっち系の価値観もあるじゃん。
で、良かれと思って捨てましたとか、
良かれと思ってもう洗濯箱に入れました。
いやいやこれまだ使えるでしょみたいな。
なんでそんな無駄遣いするの?みたいなケースとかも結構聞きまして。
ありそうありそうありそう。
だから明らかに捨てた方がいいとか、そういう方の価値観ではなく、
良かれと思ってやっているところのレベルが合わないっていうのがね。
それも今の例でいうと、
まだ使えるじゃんって言ってる側が箱に入ってんじゃないかなと思ってて。
それちょっと非難のニュアンスがありますよね。
相手の行動を責めたニュアンスがあるのは、
なんでかというと、俯瞰した目線、もしくは相手側の目線ではなくて、
自分の論理に基づいて、自分の価値観に基づいて、
まだ使えたのになんで捨てたの?っていうことを言っちゃってるわけなんで。
それがフラットな物の見方になってない時点で、
自分の箱、自分の価値観の中で相手に石を投げちゃってるっていうことなような気がしました。
よく、いや、身近であったのが、ティッシュペーパーをね、2枚取るか1枚取るかっていうさ。
めっちゃある。まさにそれ。もう毎日起こってる。
子供がやっぱりいっぱい取っちゃうんですよ。
はいはいはい。
僕は、みみっちいので、いやまだ使えるじゃないとか、1枚でいいやんとか。
1回その机の端だけピュッと隅っこで拭いたんやったら、その部分だけくちゃくちゃとしてもう1回使えみたいなこと言うんですけど。
そこもなんか、いやそれはもう捨てた方がいいとか、これはまだ使えるみたいな、しょうもないところで、やっぱそういう話にはなりますよね。
それをきっかけにして、いろんなものに波及させるっていうか、人格否定にまで行くとかね。
本当、なんか笑い話じゃなくて、本当そういうことが起こり得て断絶するとか、めっちゃきついよね。
さっきのメカニズムですよね。
相手に対する良心、配慮とか、そういうことを書いた自分は、誰かのことを非難してしまう自分に結果的になっていくっていうことが、何度も何度も高速でループを繰り返してそこまで行っちゃう。
イコール、自分が正しいと強く思う箱に入ると、相手に非がある、だから自分以外は正しくないっていうことに相対的になってしまうっていう。
その二律背反というか、対立構造から抜けないと、相手攻めるしか落としどころかなくなっちゃうから仲悪くなっていくみたいな。
そういうことな気がしましたね、小さいことから。
いい構造になってるね、実態はね。
人間関係っていうのはね、これ本当無意識でね、こんなのこの本読むまで意識したことなかったですよ。
良くないことだとは思ってますよ、トイレットペーパー買えるのに買えないとかが。
いいことではあるとは決して思ってないんだけど、そこまで関係悪化に最終的にたどり着くんだ、こういうプロセスでみたいなことを示されたときに、やっぱり小さなことの積み重ねでこんなことになるんだなみたいな。
本当そう。
なんかきっかけはそういうところから、めちゃめちゃ重要な問題までに至って、完全に箱に入って、何の話し合いもできないとか。
いや、結構ちょっとした身近で怒ってて、周りはどうすることもできないみたいな。なぜそこで怒ったみたいな。
あれどうなったの?ティッシュ事件からだよとか言って。
ティッシュ?いやいやいや、みたいな。どうでもいいじゃん、ではないんだけど、そんな些細なことで何でそんなずっと怒って断絶してるの?みたいな風に。
方から見ると思うんだけど、そうじゃないんだよね。当事者同士で怒っていることって。
当事者同士は一個そういうことがあると、相手を敵として見ちゃう構造が始まっちゃうから、
敵として見たままお互いがコミュニケーションを取ったり生活をしていくと、火に油を注いでいくというか、燃えるしかないというかね。
何にしても火種が勃発する。何でもないことでも。
あら探しみたいな目線になっちゃうんでしょうね、相手に対して。
そうだね。
いや本当にそうだよな。
だからすごい、旗から見ると不可解なんだけど、いやそういうことかってちょっと今思いましたね。
愛子氏自身はどうですか?箱に入ってしまったと。
いやありますよ、あります、あります、本当に。
まあでもなるべく、この本を読んだ影響も多分あるんだろうけど、なるべく自分は出ていようと思うんだけど、
出ていられる、出なきゃって自分で自覚して出ているときと、全くそんなことを忘れ去って、感情のままに自己欺瞞しているということは2パターンありますよ、だから。
その後者の方の、忘れ去って自己欺瞞しちゃってる気づいたら、みたいな時って例えばどんな時ですか?
いややっぱり身近な人だよね。
会社の、会社というか働いてる人はやっぱりどことなく遠慮もあるし、自制心も働くし、コミュニケーション気をつけるからやっぱり、働く関係だとね。
だから割と自分も大丈夫なんだけど、やっぱ遠慮しなくていい相手だと自分が思っている人だと甘えちゃって、
甘えが逆に自分の正当化に走らせるっていうかね、自分の行動とか。
明らかに良くないことをしてても、それを言われるとシャットダウンしちゃうとかありますよ。
目先の快楽と長期的な自分
今の話で浮かんだのが、受験生の子供と親で勉強しようと思ってたのに、みたいな。
そういう話も結構近いなと思って。
本当は勉強しないといけないなって思いながらゲームをしちゃってたりする時に、
でもその勉強した方がいいなっていう両親を無視してゲームし続けてる時に、
外側から、母親とかから、勉強するって言ってたじゃんって言われたら、
もう後戻り聞かないぐらい、したかったという両親すら吹き飛んで、
その恥ずかしさとか、そういうことに流されて、もう一切したくなくなるみたいな勉強を。
だよね。
自分で分かってる、気づいてることを見過ごしてるっていうところが本当に厳境というか。
そうだね。
そこの目から積まないと。
そうだね。
それそれそれそれ、ほんとそれ。
そういうことなんですよね。
もうね、分かってるんですよ、冷静になって落ち着いて考えれば。
もう分かっていることなんですが、その時疲れてるとか、後回しにさせてくれとか。
そこ痛いところを分かれると、何も分かってないくせにとか。
ギャーってなっちゃうよね。
そうですよね。
どうしたら、同じところを何回も言ってるかもしれないですけど、
どうしたら箱から痛いところを自分で分かった時に、その目を積むことができるんだろう。
アンガーマネジメントじゃないけど、6秒落ち着くとか、そんな感じですかね。
グッとこらえるみたいな、反射してしまう。
なんかこれ依存症の例とかにもあるような気がするんですけど、
たまたま副業の関連でスマホ依存のことを調べる機会があって、
スマホ依存の人って、言うなれば自己欺瞞をずっと続けている状態なんですよね。
本当はこんな無駄なことに時間を使っていいわけがないって分かってるんだけど、
触り続けちゃうとか、ショート動画を見続けちゃうみたいな。
だからずっと自己欺瞞して、自分はもうできないやつなんだ。
自分で自分を裏切り続けている人なんだっていう自己認知も出来上がって、
自己肯定感も爆落ちして、みたいな。
でも、その時スマホ触らずに筋トレに行くとか、勉強するっていう小さなことじゃないですか。
一個一個見ると。
分かっているし、やることも簡単じゃないですか。
一個一個の行動自体は客観的に見たり。
だけどそれがなぜだか出来ないみたいな。
そういうことだなと思った時にどうしたらいいんでしょうね。
今で言うドッパ書きってやつですか。
そうですね。
そっちの方が気持ちいいから。
楽な方に楽な方にっていう人間の本能みたいなところですよね。
楽だし、逆に気持ちいいんだよね。
面白いからショート動画とかだけ見る。
そうですね。
ゲームとかさ。
さっき冒頭に話題出した、この本に出てきた例だと、
子供を操るより寝続けている方が、無視して横たわっている方が楽だからね。
気持ちいいし。
かぶった。
そうですね。
本当そう。気持ちよさに流れちゃうんだな、やっぱりな。
そうですね。
報酬に流れる。報酬が欲しくなる。
いろんなところからいろんな種類の報酬が自分にとって気持ちいいのが、
それに流される。
そうですね。
スマホ依存の話も夜泣き無視して寝ることも似てるなと思うのが、
短期ではすごい大変なことなんだけど、
長期で考えたら、絶対それはやった方がいいことっていうのが分かってるっていうことかもしれないですね。
ということは、言い方を変えると、どうやったら自己疑問を防げるのか、箱から出れるのかっていうのは、
どうやったら目先の快楽に流されず長期視点を持ち続けられるのかとも言えるかもしれないですけどね。
はい。
そうすると感情と理性みたいな話になってきて、
動物的だとどうしても自己疑問が起こっちゃうみたいなことになるのかもしれないですけどね。
人間の本能的な欲に宝うのは本当に難しいと思うんだよね。
寝たいとかさ。
そうですね。
寝たいとか、快楽に溺れたいとかさ。
なんかいっぱい食べたいとかさ。
全部気持ちいいじゃないですか。
本当にショート動画見たいとかね。
その誘惑に打ち勝つっていうのはやっぱ、精神力が試されるよね。
将来的なこと考えたらさ、
今日ちょっとだけでも勉強しておこうとか、
ちょっとめんどくさい家事やってやるとか、掃除やっておこうとか、
その方が明日気持ちいいしって当たり前のことが分かってるのに。
そうだね。
そういう意味では、
一つ思ったのは、
やっぱり一人でいることとか、そういうシーンを想像するだけでは、
その気持ちいいことでOKじゃんという理屈になってしまうから。
なるほど。
誰かとの人間関係、もしくは自分自身との人間関係、
自分自身との関係性みたいなことを鑑みると、
長期イコール、
例えばドバガキを例にすると、
そのショート動画を見ている、
その時気持ちいい目先の自分と、
でも勉強を、それを我慢して頑張って勉強を続けた先にいる、
どっか大学とかに合格した自分というのは、
ある意味別人という風に捉えて、
短期の自分と中長期の自分を。
中長期の自分にも胸張って握手しに行けるかというか、
面と向かって目を見て、
俺はやったって言える自分であるのか。
もしくは他人だったら、
夜泣きをスルーして、起きているのにスルーしている状態で、
妻と目を合わせて、何か会話ができるのかという、
周りの人とかもう一人の自分を意識すると、
良心が働きやすくなって、
いやいやこれは顔向けできない、みたいな気持ちが働くのかもしれないですね。
なるほど。
共同体としての家族と一人の時間
嫌われる勇気っていう本あったじゃん。
はいはい、アドラー心理学。
あれでさ、大事なポイントで共同体感覚っていうのがあったじゃないですか。
ありましたね。
大事なやつの中の一つみたいな感じで。
あるあるある。
自分は例えば一人暮らしで、自分で何でもやって、
自分さえ良ければみたいな。
誰にも迷惑かけないし、自分がゲームしてても別にね、みたいなさ。
っていうところの自分と、やっぱり社会に出て何かしら関わりを持って、
だから生きていられるんだっていう、その共同体感覚っていうのを持ってると、
そんな風にならないと思うんだけど、なかなか忘れがちですよねっていう、それを。
いや本当そうですし、あやこ氏がやっぱり、
仕事の関係だと自己欺瞞になりづらいみたいなことをしてるんですけど、
それもまさにそうですよね。
他者と常に関わってて、見られてるし、自分も見ているっていう、
そして仲間、他者、共同体の一員だからっていう目線が常にあるから、
自分に嘘つきづらいですよね。
つきづらい。で、力をお互い合わせないとできないものばかりだから、
自ずと尊重するっていうかさ、っていう感じになると思うんですけど、
それ忘れがちなんだよね、たぶん家族とか。
家族もだって本当に、まさに一つのプロジェクトでもあるというかね。
そうなんだよ。
関係パートナーでもありながら、
だいぶ長期の一緒に力を合わせないと出し遂げれないプロジェクトでもあるので、
でもそのことって近くに居すぎて、日常すぎて忘れちゃってるのかもしれないですね。
そうだね。
あとはやっぱり、仕事が大変だと思うからみんな。
仕事でそういうさ、無理してというか頑張って箱の外に出ようとしてても、
もう家の中ぐらいずっと楽にしててさせてくれよみたいなさ、
甘えもあったり、癒しの場を求めたりとかさ、
ダラダラできる快楽に溺れて楽なことできる家ぐらい休みたいみたいな。
だからやっぱりあると思ってて。
そうですね。
そうなるとトレートペーパーで言われるとカチンとくるよなっていうさ、
仕事じゃねえんだぞここはとかさ。
本当にそうですね。
でも仕事じゃないんだけどやっぱりプロジェクトとして、
人と共同してやっていく活動なわけでやっぱり。
本当にそう。
そういう意味では一方で全部プロジェクト、本当は全部プロジェクトなんだけど、
一方でプロジェクトばっかりだと息苦しいなっていう感じることもそれまた人間と思ってて。
だから趣味とか一人の時間とか休息がそもそもあるんだろうと。
なるほど。
そこだけは自分が思うがままに何かをやったり何かをしなかったりすることが許される場があるから、
共同体モードでもいられるみたいなね。
なるほどね。
だからある意味その意図的に箱に入って、
でもその時は別に他者に関わらないし、
自分にそういう客観的な自分とか中長期の自分もいない場を、
あえて自分から作りにいっとけば、
その無意識に箱に入って逃げるみたいなことが少なくなるのかもしれない。
そうだね。
そうですね。セルフケアみたいな話に最後なってきましたけど。
だからやっぱり一人部屋がないと結構きついよねっていう。
きつい。
よくね、やっぱり子供には一人部屋を用意するけど、
それぞれ夫婦はあんまなかったりとか、
子供優先すると個室がなかったりとかね、どうしてもしちゃうじゃないですか、都合で。
本当に今土地がない日本なら余計にね、
狭いとこに住まないといけないからね。
そうそう。そういうのも本当はね、
お父さんもお母さんも、所在というのは個室があるといいよねっていうね。
それは物理的なスペースじゃなくてもね、
例えば僕だったら夜に一人の時間をもらえてるみたいなことは、
健全な関係を続けていく上ですごくありがたいことだと。
なるほどね。
だから一緒にいるときとか、
気を使わなきゃいけないところでちゃんと気を使えるということあるかもしれないですね。
いやー、パラレルワーカーとはどう繋がるんだろうと、
ふと今思ってしまいましたが。
いやー、パラレルワーカーに限らずですよね、これはね。
本当に。
それも当然含まれますけどね。
親の姿から学ぶコミュニケーション
でもこういうのってさ、
この自己欺瞞の話ってさ、
子育てってどういうふうにすれば子供もこういうのがわかるようになるのかね。
これ、自己欺瞞に限らず全てのことで言えることですけど、
やっぱり子供は親の背中とか姿を見て育つということに限るかなと思ってて。
子供が自己欺瞞しないように生きてほしいんだったら、
親が自己欺瞞できるだけ子供の前でしないようにするっていうことに限るのかなって思ってますけどね。
なるほど。
でもさ、自己欺瞞してるって、この本読むまでさ、気づかないレベルじゃん、もう。
はいはいはい。だって日常的にお互い箱に入って口論したりするわけですからね。
そう。
だからさ、自己欺瞞という概念があるっていうこと自体は、
なんかどっかで意識しないとわかりえないんじゃないかなと思って。
子供側からしてもってことですか。
そうそうそうそう。
でも、自己欺瞞という言葉は知らなくても、
本当にこれうちでも起こってる時は良くないなと思うんですけど、
一般的にも子供の前で口論とか夫婦喧嘩をしない方がいい、絶対やめた方がいいってされてるんですね。
それ何でかというと、夫婦喧嘩をしてる時っていうのは、
お互いこの本で言うと自己欺瞞が起こってる、イコール箱に入って、
それぞれの立場から相手のことを非難したり攻撃したりしているんですよ。
そうなんだ。夫婦喧嘩はそうなんだ。
まあ、どっちかから責められた時に守るということも含めてね。
夫婦喧嘩なんかはまさに、夫婦じゃなくても喧嘩っていうのは、
どっちかが箱に入って相手のことを攻撃して、
イコール自分の価値観で相手のことを断罪して、
責めて、それを守ったりするわけですから。
喧嘩というのはそういう状態だと思うんですけど、
そういう姿ばっかり子供が見てると、
人とのコミュニケーションっていうのは、
この箱に入ってやるもんなんだって思っちゃうんですよね。
なるほど。
いつも喧嘩してるし、
友達にも当然そういう温度感で、
言葉を投げたりボールを投げたりするわけですよ。
そうか。
ということだと思ってるので、
思ってるのとできてるのはまた違うんですが、
やっぱり対妻、
対子供に対しても一人の人として、
両親があるお互いに人として、
心の通ったコミュニケーションをするっていうことに限るのかなって、
思いますけどね。
そうか。
そんな成熟した夫婦ばかりじゃないじゃないですか。
ないです。
やっぱりいろんな子がいるよね。
そうだし、子育てはずっと修行だっていう感覚を持ってます。
常に見られてるわけですからね。
どんな姿も子供に。
それは弱いところ見せられないっていう言い方もできるし、
弱いところ見せられないっていうのは、
鎧を被るっていうことではないんですけど、
弱みも含めてさらけ出せていると、
あんまり相手も攻撃しなくていいし、
前回の話からするとね。
自分を出せたり、素直に表現したり、
相手のことは人間、自分のことも人間と思って、
接し合えてりゃそれでいいっていう話ではあるんですか。
なるほど。
夫婦の理想像を擦り合わせる
だから逆に牙っちゃうのかもね。
父親とはこうあるべきだとかさ。
自分一人の感覚で。
いや、そうですよ。
親とはこうあるべきっていうのが自分の中にあると、
それはもう相手とコミュニケーションするときには箱になっちゃう。
そうそうそうそう。
自分は父親としてこうあるべきだと思っているから、
お前も母親としてこうあるべきじゃないか。
みたいなことになっちゃうわけですよ。
それそれそれ。
自分の中のね、
理想の父親像の正義感っていうのがあって。
でもそれって人によって違って当然だから、
それを強く集団の中、
夫婦関係の中では当然持たない方が、
相手とのコミュニケーションがスムーズになるはずだけど、
どうしてもその正義感とか頑張らなきゃっていう気持ちで、
持っちゃってる人がどちらかにいると、
箱に入りがちかもしれないですね。
それだわ。
何かに思い当たったわけですか?
いやいや、
そこが難しい原因なんだろうなって思ったっていうか。
その、
個別の父親像、母親像ではなく、
その夫婦の中での最適解みたいなのを、
自分たちで発見して擦り合わせしていくべきなのに、
自分は良かれと思って自分の理想を掲げ、
お互いが掲げてると、
それは衝突するわなってちょっと思ったっていうか。
いやー、ほんとそうですね。
それは全然、
サボろうとかさ、
家のことサボろうとかも全く思ってなかったりとかさ。
そうですね。むしろ、
いい状態であろうとしてるだけの。
そうそうそうそう。
いやー、ほんとにそうですね。
たまたまそれが似通ってたら、
全然それでも成立するし、
一昔前だと、
大体似たような価値観だから、
日本人だったらみたいな。
そうかもね。
なんかそれが露呈せずに、
崩壊せずにうまくいってたんだけど、
みんなが自分らしく生き出したら、
多様な価値観の中で、
そういう社会になっていったら、
そういうのは、そもそも人と揃っていないもんだっていう前提で、
擦り合わせるところから、
人間関係っていうのは必要なのかもしれないですね。
ね。
いいこと聞いたね。
そういう意味では、
ちょっと人間関係、
めんどくさいというか、
ステップが多いですよね。
一昔前に比べるとね。
そういうことかもしれない、ほんとに。
手数を減らしたい人にとっては、すごくめんどくさいかもしれないんだけど、
いろんな人が、
普通に交わる世の中だと、
そのことを、お互いのスタンダードみたいな、
共通スタンダードみたいなのを擦り合わせるコミュニケーションが、
絶対最初にあった方がいいよねっていう。
ほんとに。
それの連続だよな、でもコミュニケーションって。
いや、ほんとそうだね。
ズレて、トライアンドエラーというか、ズレて、
うんってなって、何がズレてるのって確認して、
そのズレを直して、またズレて、みたいな。
終わりない、コミュニケーションって終わりがないなと、
思いましたけど。
自己一致とアサーティブな伝え方
ね。そのズレる矯正をね、
矯正というか、ズレる擦り合わせを、
私はね、割と苦手なんだよな。
あー、なるほどね。
うん。
何、めんどくさいって思っちゃうんですか?それとも、
ズレが解消できないのが怖いって思っちゃう、なんか。
その、どこまで行ってもズレ続けるもんだと、
は思ってるけど、
でもその、いつまで経っても何かが埋まらない状態が怖いっていうこと。
あ、それでね、なんか関係が破綻するのが怖いって感じかな、逆に言うと。
うん。
せっかくのご縁で、
うん。
知り合って、
はい。
まあまあ、なんか、ちょっと嫌だけど、
私が我慢しておけば、
あー。
とどこりなく、
うん。
進むだろう、みたいな時は、割と黙るね。
でもそれ自己疑問ですよね、一種のね。
自己疑問です。
ふふふ。
自分が、うんと思ってる、そこを、
いや、うんとは思わない方がいいんじゃない?って言って、
でもそれは、うんと思わない方の理論でも正当化していくわけですもんね、きっとね。
なんかでもその、自分とちょ、あ、もちろんさ、本当にまずいやつはあれだけど、
うん。
ちょっと我慢しておけば、
他の、なんか10%うんと思うけど90%OKであれば、
うんうん。
90%の方見ようって思っちゃうかな、私はだから。
あー、なるほどねー。
だってそんな10%を、
うん。
多分だからね、
うん、そう、10%を受け入れることは多分難しいんじゃないかなと思うっていうのがね、
そんな全ての人をさ、
うん。
えっと、認めることはできるんだけど、
自分の中に吸収はどうせできない。
自分もそれに同意することはできないから。
自分と単には違いますもんね。
違うから、そうそうそう。
ただその、そういう意味では、うんと思うことも、
なんかその、生理的に思っちゃうことは仕方ないが、
別にその、思って当然だという前線で生きてるっていう感じ。
そうだね。
うん。
あ、またこの人はこういう感じかー、みたいな。
ちょっと私あんま好きじゃないなー、みたいな。
あー。
でも9割好きだから、みたいな。
あー、でもそれって全然疑問してないですね、そういうことだと。
なぜなら、好きじゃないなーって自分で思ってることを、
いや、でもこれは好きだからって思い込もうとしてないじゃないですか。
それはない。
それはないけど、それをさ、あえてその10のところを言ったりはしないっていう感じ。
うんうんうん。
あー、それだと嘘ついてることにはならない気がしましたけどね。
そうかね。
うん、だって自分が思って。
それぐらいじゃないと難しくないと思って。
いや、それを思い込ませたり、なかったことにするっていうのが自己疑問なんだろうなと。
うん、なるほど。
いうふうに思いました。
虹負けたりね、あとね。
そうそうそう。
言わないだけで自分の中でちゃんと思ってたり、感じてたりできてたら、別に疑問ではないかなって思いました。
そこの割合がやっぱり、めっちゃ多かったりするとそもそもさ、
うん。
まあまあ気が合わないですねっていう感じじゃないですか。
そうです。
で、そこで離れたいと思った自分に欺かずに、それの時は離れられてたら別に疑問にはなってないよね。
そうだね。
うん。
こう、対人性の用語で言うと自己一致っていうふうにも言うんですけど。
うん。
自分が自分の感じたこと、気持ちと常に一致してる言動行動ができてるかっていう概念なんですけど。
なるほどね。
うん。
だからうんと思うことがあったら、対人性の場ではこういうことにうんと10%思いましたって感じてることを正しく伝えるっていうことは必要だとされているっていう。
あ、相手に?
そうそう相手に。
あ、ほんとに?
まあ、んじゃないと、言ってないとその場で自分がうんって思ってることがずっと引っかかったままコミュニケーションしちゃうんですよ。
うんうん。
そうすると矢印が自分に向き続けるんですよね。
うんうんって思ってる自分のうんうんにずっと目線が当たってるんで、相手の話聞けてないってことになっちゃうんですよ。
あ、逆にね。
はい。
だから対人支援では自己一致っていうのは、自分の感じてることがあったら即座にそれを、言い方はもちろん工夫しますけど、言うべきだと思ったことを飲み込んでずっと違和感を感じたまま対話をしてはいけないっていう
概念はあります。
なるほど。
うん。難しい。
だからそこで今度は伝え方とか。
そうそうそうそう。
がすごく大事になってくるよね。ほんとに。
そうですね。アサーティブに伝えないと相手も受け取れないし。
そう。ただの喧嘩別れになっちゃうもんね。
そうそうそうそう。
80%のさ、ずれでさ。別に90はいいと思ってるのにみたいな。
うんうん。そうですねそうですね。
自分の言いたいことを伝える方法っていう名著があるよね。
えー。なんかまたいい本おすすめしてくるじゃないですか。
あの、結構薄くて読みやすいです。これか。2016年に買っている。
自分の気持ちをきちんと伝える技術だ。
へー。
ひらきのりこさんの。
あ、ひらきさんか。
うん。
心理学系の人ですね。
そう。これめっちゃいいんだよね。
えー。いいです。
できてるかどうかを置いといて、ちょっと勇気をもらえたというか、こういう風に言えばいいのかとか、
あとみんな悩んでるんだなっていうね。その素直に伝えられなくて。
うーん。
我慢して飲み込んでいる。
まさにアサーションの話ですね。
うん。ほんとね。アサーションって書いてあるね。
これほんと初心者っていうか、その心理学とか全然勉強してない人でも、
分かりやすい、めっちゃ分かりやすい本で。
これはね、リーダーシップ研修の時に渡されましたね、これ。
あ、そうですか。
やっぱり言いにくいことをちゃんと言わないといけないから。
ほんとにと思うわ。
ね。
やり取りを、間に入って見てたりしたりして。
ほんとに、それってでも向き合うの本当にめんどくさいことだから、
ついついそれをやらずにうまいことを進めようとしちゃうんだよね。
ほんとそうなんだよ。ほんとそうなんだよ。
そんな時間もないし。
ないし。
短期で成果出ないし。
ね。
だけど、それをほっとくとマジで組織が崩壊していくなっていうのをすごい感じる。
組織もプライベートの関係性もそうですね。
そうですね。
これもう一回読もう、ちょっと。
うーん。
ズレちゃっているわ。
やっぱ相手を攻めるみたいなイメージがあるんだよね、言いたいことを言うってさ。
そうだね。
昨日、前回もありましたけど、正論みたいな話もね。
そうそうそうそう。
正論言うときに攻めるトーンで言っちゃうとかね。
そうなっちゃうとかね、そんなつもりなくてもね。
そうそうそうそう。
いやまだまだ話したいな、これは。
これ図書館で借りてくださいよ。
そうですね。
私持ってるのですぐ読んで。
借りました。
信頼と思いやりが支える幸せ
いやー、じゃあこのシリーズはね、一旦ここで締めようかと思いますが。
まあ、やっぱお互いなんかコミュニケーションが興味があるテーマなのかもしれませんね。
うーん。
だってよく言うじゃないですか、もう人の悩みのほぼほぼはコミュニケーションか人間関係だって言ってね。
そうですね。
裏を返すと、人間の幸せっていうのは、コミュニケーションさえ上手く周りの人と取れたり繋がれてたりすると、結構満たされるみたいなことも言えますもんね。
いやー、ほんとそうだと思う。
お金の量とかさ、そんなのももちろん大事だけども。
いや、何よりもね、いい関係性を築けていれば本当に、それが多い少ないとかは全然関係なく、ストレスが減って、やっぱりちょっと嬉しいよね。
そうなんですよね。
なんか人間らしいなとすごく思うんですよね。それが嬉しいということがね。
うん、うん、うん。
動物だったらね、そこまでもうこの個体で生きていくためにやれることって、ある意味箱の中に入っててもできるようなことかもしれないけど。
人間ってそういうふうにできてるんでしょうね。
そうだね。
これ誰かのレビューでさ、人間は生まれながら人との信頼、思いやり、親密さを育んでいく権利を持ってるって。
うん。
これいい言葉だな。
だし、権利もそうだけど、同時に、そうしないと幸せに生きられないっていう、義務じゃないけど、そういう生物であることも宿命みたいな。
宿命だよね、それ。
うん、感じもするな。
そうだよね。
いや、いい話だね、本当に。
いい話っていうか、大事なことを話した気がします、この2回で。
我々がありがちな3ヶ月に1回ぐらい、自分たちで神回認定をしてしまうっていう、独特な感じですけど。
2回聞いていただいた方がいればありがとうございましたということと、読まれたり聞かれたりして感想をね、お持ちになった方はぜひ知りたいですよね。
すごく、自分に刃が向く本でもあると、この小さな箱から出しする本は、簡単な、手軽なコミュニケーション本ではないなということは断っておきますけども、
ぐさぐさきながら、うーって思いながら読む本ではありますが、すごくいい本だなと。
はい、本当に。ちょっと目から鱗落ちる感じもあるしね。
ある。
だってさ、こんだけ心理学とか色々勉強してるゆうすけ氏でさえさ、思って思ったわけでしょ。
思いました。ここまでそのことを論理的に、構造的に、コミュニケーションのことを語ってる本ってあんまりないなと思いましたね。
名著だわ。
じゃあ、名著ラジオということで。
お相手はゆうすけと。
はい、コピーでした。
お疲れ様でございました。
お疲れ様でした。ありがとうございます。
54:11

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