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今晩は、今夜もまた、おやすみ歴史ラジオの時間がやってきました。
ベッドに入って、一番リラックスできる姿勢で聞いてね。
関ヶ原の戦い、第3話のお時間です。
前回は、霧が晴れた関ヶ原での激闘、
そして小早川秀明の寝返りによって西軍が瞬く間に崩壊し、
天下分け目の大決戦が決着したところまでをお話ししましたね。
正午過ぎの裏切り撃ちによって西軍の陣形は一気に瓦解し、
勝利を確信した東軍の兵たちが関ヶ原の野を埋め尽くしていきました。
主力の壊滅を知った石田三成は、
無念の思いを抱えながら埼玉を帰して茨城山へと逃れ、
大谷義都部をはじめとする多くの武将たちが戦場に散っていったのです。
戦の決着がほぼついたその時、
関ヶ原の南端に陣を張っていた島津義博の軍勢は、
前方も後方も東軍に囲まれるという絶対絶命の危機に陥っていました。
兵力はわずか千数百、周囲は全て圧倒的な敵勢力という孤立無縁の状態です。
大陸を完全に絶たれた島津軍が取った行動は、
常識では考えられない前代未聞の突撃でした。
正面に立ちはだかる敵の防衛線を突き破るのではなく、
なんと目の前にいる徳川家康の本陣に向かってまっすぐに突撃を開始したのです。
家康の本陣をかすめ、
東軍の最前線を正面から力づくで突破して伊勢海道へと逃げ延びる
島津の軒口と呼ばれる捨て身の撤退戦でした。
井伊直政や本田忠勝といった東軍の名だたる猛将たちが追撃をかけますが、
島津の兵たちは心狩りとなった者が死ぬまで立ちふさがる捨て官、捨てがまり、
の戦法で視力を尽くして敵の足止めを図りました。
追撃した井伊直政に不可でさせ、激しい追撃戦を振り切った島津義博は、
わずか数名の家臣とともに無事に薩摩へと生還を果たしたのです。
島津軍の壮絶な撤退戦が終わりを告げると、
嵐のような静けさが関ヶ原の地に広がっていきました。
戦場を脱出し、再起を図ろうと茨城山の山中を潜伏していた石田三成でしたが、
数日後に徳川型の捜索網によって捉えられます。
大阪や京都の街を引き回された後、六条河原にて処刑されることとなった三成。
最後まで豊臣家への忠義を貫き、死に直面しても誇りと信念を崩さなかったその姿は、
多くの人々の心に深い記憶として刻まれました。
この戦いの結果、豊臣家の威信は大きく失墜し、全国の勢力図は一変することになります。
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西軍に加担した大名たちは相次いで戒役や大幅な原報となり、
その広大な領地は当軍で功績を挙げた大名たちへと惜しみなく恩賞として与えられました。
豊臣家の一大名に過ぎなかった徳川家康の地位は不動のものとなり、
天下の権力は完全に家康の手へと握られたのです。
関ヶ原の勝利から3年後の1603年、家康は正位大将軍に就任し、江戸に幕府を開きました。
それは、黄泉の乱以来続いていた長い戦国の世に終止符を打ち、
後に250年以上も続く天下大平の基盤が固まった瞬間でした。
夕闇が静かに包み込む関ヶ原の野には、
昼間の激闘が嘘のように穏やかな秋の風が吹き抜けていきます。
草木を揺らす風の音は散っていった武士たちの無念と、
平和な時代を願った人々の強い思いを優しく撫でていくようでした。
石田三成が命を懸けて守ろうとした豊臣の義と、
徳川家康が目指した大平の世。
それぞれの正義と信念が正面からぶつかり合ったこの地から、
日本の歴史は大きなうねりと共に新しい時代へと歩みを進めました。
関ヶ原の戦いという巨大な嵐が過ぎ去った後、
人々に訪れたのは、もう二度と戦乱に脅かされることのない静かで穏やかな日々でした。
乱世を駆け抜けた武将たちの熱き情熱と、時代を切り開いた壮大な決断。
その歴史の重みにそっと思いを馳せながら、今夜はここまでといたしましょう。
今夜のお話はこれでおしまいです。
静かに夜が更けていく気配と、どこか懐かしい秋の風の音に耳を傾けながら、
どうか今夜は心も体もゆっくりとお休みさせてあげてくださいね。
次は一体どのような激動の瞬間があなたを待っているのでしょうか。
それではおやすみなさい。