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こんばんは。今夜もまた、おやすみ歴史ラジオの時間がやってきました。
ベッドに入って、一番リラックスできる姿勢で聞いてね。
関ヶ原の戦い、第2話のお時間です。
前回は、秀吉の死後に深まる家康と三成の対立、そして暗闇と豪雨が吹き荒れる中、
両軍が天下分け目の地である関ヶ原へと集結を開始したところまでお話ししましたね。
1600年9月15日の早朝、関ヶ原の盆地は一面の深い霧に覆われていました。
一寸先も見通せないほどの農務の中、数万もの兵たちが息を殺し、じっとその時を待っています。
午前8時ごろ、冷たい風が吹き抜け、霧がすっと晴れ渡ると同時に、
E・ナオマサラのフライング攻撃によって、歴史に名高い大決戦の火蓋が切って落とされました。
野山に響き渡る鉄砲の重苦しい轟音と武士たちの激しいお叫び、
石田三成や大谷義次、浮田秀枝率いる西軍は笹尾山などの要所に陣取り、
地理的な優位を生かして東軍の猛攻を押し返します。
序盤の戦況は、各翼の陣を強いて東軍を包囲する形となっていた西軍が有利に進んでいました。
三成は自陣からのろしを上げ、松尾山に陣を構える小早川秀明や、
南宮山の毛利英本らへ一斉攻撃の合図を送ります。
しかし、西軍の勝利が目前に迫っているかに見えたその時、
戦場の空気は不気味な静寂と共に一変することとなります。
三成が何度も放ったのろしに対して、松尾山の小早川陣営も、
南宮山の毛利陣営もピクリとも動こうとしなかったのです。
それぞれの思惑と打算が錯綜する中、
関ヶ原の運命を決定づける巨大な暗雲が、静かに垂れ込め始めていました。
三成が打ち上げたのろしは虚しく秋空へと消えていき、
松尾山の上に立つ小早川秀明の陣営は、静まり返ったまま微動だにしませんでした。
当時わずか19歳の青年であった秀明は、関ヶ原の盤面を一望できる松尾山頂から、
眼下で繰り広げられる激戦をどのような思いで見つめていたのでしょうか。
秀吉の親族として育ちながらも豊臣家内での立場に揺れ、
家康と三成の両者から必要な怪獣工作を受けていた秀明の心は激しく揺れ動いていました。
東軍に就くべきか西軍に就くべきか、
自らの一種の決断が日本の未来と加盟の存続を左右するという重圧の前に、
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若き将はただただ呆然と立ち尽くしていたのです。
そして桃配山に陣を構えて戦況を見守っていた徳川家康もまた、
動こうとしない秀明の態度に苛立ちを募らせていました。
日が高く昇り、戦況が激行する中で焦りを深めた家康は、
ついに前代未聞の恐ろしい一手へと打って出ます。
なんと未だ日和みを続ける秀明の陣地である松尾山に向けて、
一斉に鉄砲を打ち込ませたのです。
問い鉄砲と呼ばれるこの凄まじい強迫の銃声は山々に重々しく響き渡り、
秀明の迷いを強引に打ち砕きました。
頭上で弾丸が弾ける恐怖と家康の容赦ない執念に突き動かされた秀明は、
顔色を変えついに決断を下します。
狙うは大谷義坪の神祖正後杉、松尾山を駆け降りた1万5千の小早川軍は、
これまで西軍として共に戦っていた味方の側面へと牙を剥いて突撃を開始したのです。
小早川秀明の反逆によって関ヶ原の戦況は一瞬にして崩壊の怒涛へと飲み込まれていきました。
松尾山を一気に駆け降りてきた怒涛の裏切りに対し、
視覚を疲れる形となったのは三成の親友であり、
両親を推して参戦していた大谷義坪の陣営でした。
義坪は小早川の不審な動きをあらかじめ予見し、事前に備えを固めていましたが、
秀明の寝返りに抗して脇坂康春や口木本綱といった他の西軍署長までもが相次いで裏切りへと転じたのです。
なだれを打って襲いかかる激動の圧力の前に、義坪の軍勢はついに壊滅。
義坪は友である三成への義理を最後まで果たし、武士としての壮絶な最後を遂げました。
この大谷陣営の崩壊をきっかけに、西軍の防衛戦は一気に我解していきます。
笹尾山で奮闘を続けていた石田三成の陣も持ちこたえることができず、三成は失意のまま茨城山を目指して戦場を脱出していきました。
わずか半日で決着がついたとされる天下分け目の大決戦。
関ヶ原の地に広がっていた農務が完全に晴れ渡ったとき、そこに広がっていたのは豊臣の時代の終わりと新しき覇者徳川の世の到来を告げる静かな風景でした。
今夜のお話はこれでおしまいです。激しい決断の瞬間に思いを馳せながら、どうか今夜は心も体もゆっくりとお休みさせてあげてくださいね。
次は一体どのような激動の瞬間があなたを待っているのでしょうか。
それではおやすみなさい。