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こんばんは、今夜もまた、おやすみ歴史ラジオの時間がやってきました。 ベッドに入って、一番リラックスできる姿勢で聞いてね。
今夜お届けするのは、徳川家康の生涯を書く物語の第2話です。 前回は、幼い頃から寸歩での長い人質生活に耐えぬいた家康が、
桶狭間の戦いをきっかけに見事に独立を果たし、生まれ故郷の岡崎城を取り戻すまでのお話をお届けしました。自分の国を持ち、ようやく一歩を踏み出した家康。
しかし今夜は、そんな家康の前に、戦国最強と恐れられた本物の怪物が立ちはだかる、人生最大の負け戦のお話です。
独立を成し遂げた家康は、かつて敵同士であった織田信長と同盟を結びます。 信長が京都を中心として天下統一へ向かって突き進む中、家康は信長の頼れる相棒となり、東の国からの敵を食い止める盾の役割を命懸けで果たしていました。
信長が安心して前へ進めるのは、家康が後ろをがっちりと守ってくれているからでした。そんな順調に見えた家康の前に、歴史上最も恐ろしい敵が現れます。
海の国、今の山梨県を中心に、無敵の騎馬軍団を率いていた武田信玄です。信玄は戦いの天才なだけでなく、日本中にたくさんのスパイを雇って相手の情報を集める、全く隙のない老練な武将でした。
1572年の凍りつくような冬、武田信玄は信長を倒して天下を取るために、3万人という圧倒的な大軍を率いて、家康の領地へと怒涛の勢いで攻め込んできました。これに対して、当時の家康の軍は味方をすべて集めても、わずか1万人ほど。まともにぶつかり合えば、勝ち目などどこにもないほどの力の差でした。
同盟相手の信長からは、お城に籠ってこちらの援軍が到着するまでじっと耐えろと言われていました。家康も最初は、自分のいる浜松城に深く籠って、嵐が過ぎ去るのをやり過ごすつもりでした。しかし、百戦錬磨の武田信玄は、家康のそんな作戦をすべて見抜いていたのです。
信玄は、家康のいる浜松城を攻撃するどころか、わざと城の目の前を完全にすどおりし、家康など相手にする価値もない、若造は城の中で震えていると言わんばかりに通り過ぎていきました。これを見た家康は、武士としてのプライドを激しく傷つけられました。
それだけでなく、信玄が進む先には、家康が命を懸けて守るべき大切な領民たちが住む村々や、味方の大事な小さなお城がたくさんあったのです。
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自分の領民たちが今まさに踏みにじられようとしているのに、自分だけが安全なお城に隠れているわけにはいかない。家康は、これが信玄の罠かもしれない、自分を城からおびき寄せるための作戦かもしれないと頭ではわかりつつも、男としての意地と、領民を守るという大名としての強い責任感から、ついに城の門を開け放ちます。
そして、武田軍を後ろから追いかけることを決意したのです。こうして、今の浜松市にある味方ヶ原という広大な平原で、両軍は激突することになりました。しかし、戦国最高の戦術家である武田信玄の強さは、家康の想像を遥かに超えていたのです。
雪の降る極寒の夕暮れ、冷たい風が吹き荒れる中、武田の無敵の騎馬軍団が怒涛の地鳴りを立てて押し寄せると、家康の軍勢は一瞬にして粉砕されてしまいました。守りを固める暇さえ与えられない完璧な奇襲により、辺りはあっという間に味方の血で染まり、絶対絶命の地獄絵図へと変わっていったのです。
家康の必死の抵抗も虚しく、戦況は完全に武田軍の圧倒的なペースで進んでいきました。敵の激しい攻撃によって徳川の軍勢が次々と倒れ、家康自身もあと一歩で命を落とすというところまで追い詰められました。
誰もが諦めかけたその時、家康を逃がすために徳川の誇る熱い部下たちが立ち上がります。まず、本田忠実という勇敢な武将が、大きな旗をなびかせながら我が殿はここには居られぬ。命が惜しくない者はかかって来いと大声を張り上げ、自ら盾となって敵の軍勢の中に突撃していきました。
さらに、夏目義信という部下は家康の身代わりとなるために、私が家康であると叫んで敵を引きつけ、激しい戦いの中で壮絶な打ち死にを遂げたのです。こうした忠義の部下たちが自らの命を犠牲にして時間を稼いでくれたおかげで、家康は夜の闇に紛れ、命からがら浜松城へと逃げ帰ることができました。
城にたどり着いた家康は、恐怖のあまり体がガタガタと震え、馬の上で漏らしてしまうほど情けない姿だったと言われています。しかし、家康が本当にすごかったのはここからの行動でした。
城に戻って一息ついた家康は、すぐに絵師を部屋に呼び、恐怖で顔をひずませ、眉をひそめてがっかりしている自分の情けない表情を、そのままリアルな絵に描かせたのです。これを、しかみ像と呼びます。普通なら、これほど恥ずかしくて情けない姿は誰にも見せたくないし、すぐに忘れてしまいたいおぞましい記憶です。
しかし家康は、この自分の負け姿の絵を生涯大切に手元に置き、この悔しさと恐怖、そして自分の未熟さを絶対に忘れるな。またいつか油断が生じたときは、必ずこの顔を思い出して自分を引き締めろと、毎日のようにその絵を眺めては自分を戒め続けたのです。
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失敗を恥じて隠すのではなく、最高の教科書として自分の成長の糧にする。これこそが家康の強さの本質でした。その後、家康は信長と共に、この時の悔しさをバネにして軍を強くしていきました。
そして三年後の1575年、長篠の戦いという大きな合戦で、家康は信長と共に最新兵器である鉄砲を三千丁も並べ、あの無敵と言われた武田の騎馬軍団を完璧に打ち破ったのです。
こうして家康は苦心の末についに宿敵であった武田家を滅ぼし、東の国々にその名を轟かせる一流の大名絵と急成長を遂げていきました。どんなに打ちのめされても、そこから学び、じっと耐えて次のチャンスで倍にして返す。家康の我慢の才能が本物の強さへと変わった瞬間でした。
しかしそんな家康の心の支えであり最大の同盟相手であった織田信長にも誰も予想できなかった突然の悲劇が襲いかかろうとしていました。それでは第2話のお話はここまで。ゆっくり目を閉じて明日の続きを楽しみにしていてね。おやすみなさい。