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自分が必ず死ぬことを忘れるように。どうもWATAです。 タザワです。
これはですね、誰かの名言というわけではないんですけど、非常に有名なラテン語、メメントモリっていう言葉を聞いたことがありますよね。
古代ローマですね、将軍と言われる太刀打ちの人たちがですね、外戦のパレードとかで、今は将軍の太刀打ちにいるけども、
明日自分が死んで、その背中を奪われるかもしれないということで、常に忘れてはいけないという標語みたいな言葉らしいんですけど、あるいはもっとフランクに変われる言葉で、
食べて飲んで、そして陽気に楽しもうと、どうせ我々は明日死ぬんだからと言うですね、逆説的な、戦争とかやるとさ、いつ死ぬかわかんないから、今日楽しめる時に楽しんでおこうというね、
裏の意味もあると言います。非常に良い言葉ではあるんですけど、今日はこの言葉にのっとってではないんですけど、
なんかね、これはね、変に誤解しないでいただきたいんですけど、なんか最近、死について考えさせられることみたいなのが、ちらほが周りでありまして、
特にね、僕が変に死を意識してるとか、そういう誤解はいただかないでいただきたいんですけど、心配しないで大丈夫ですっていうところなんですけど、
なんて言うんですかね、人ってなんだかんだ、僕も年齢的に41ってですよ、いつ死ぬかわかんないなって、
なんか急に改めて感じ始めてて、別に僕は病気とかそういうことではないんですけど、なんかね、僕がお気に入りのポッドキャストでもそういうエピソードを話してて、
夢で自分の父親が死んだみたいな夢を見たみたいな、朝起きた時に号泣してたと、
自分の父親が死んでしまったっていう事実を受け止めた時に、涙が止まらなかった、起きた時に、結局夢で、
夢であったことが、ある意味得したではないんだけど、生きてたんだっていうことを実感して、夢だからね、
一回得した気分になったみたいな話をしてて、そうだなと思って、だから僕はほんとだから、
退屈な生活を送ってるわけですよ、日々、ストイックと見せかけて、ブクブク太り、毎日不健康な生活をね、YouTubeばっか見てとか、Netflixばっか見てみたいな、
僕が実践するとして、一番有益なライフハックってなんだろうなと思ったら、
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明日死ぬかもしれないと思うこと以上に、優れてるライフハックはない気がしてて、よく言われる、一日一秒一生懸命生きなさいってことだと思うんですけど、
だからね、日々の退屈な生活って、やっぱり真逆で、なんか忘却したいわけじゃないですか、何かを、
自分の置かれてるその環境、忙しい環境とか、仕事のこととか、面倒くさいこととか、そういうのを忘れるために退屈な生活を送ってたりとか、
横浜で無駄な時間使ってたりあるわけじゃないですか、ゲームして、ゲームはいいんだけど、そういう無駄な時間の使い方っていうのは、
ある意味、本来向き合ったことがいいことから、やっぱり目を逸らしている時が、ある意味、死と一番遠いところにあって、
なおかつ、生きるっていうことに関しても、すごい遠いところにあるんだと、いうことを最近すごい思うようになって、
ちょっとね、重いテーマなんですけど、何が言いたいかっていうと、死生感というか、生き死にの話って誰も教えてくんないじゃないですか、
基本的に言えば死ぬことはネガティブだし、誰もが避けたいことだから話題にしないじゃないですか、
どう死ぬかとか、いつ死ぬかとか、みんな避けるから、本来、死に際というか、自分がどう死ぬかっていうのを理想を描くというか、
生きる未来だけじゃなくて、どう最後を迎えるかっていうところを、ちゃんと考えられることが、たぶんいい人生設計に繋がっていくんだろうなっていうのを、
ようやく40を迎えてですね、最近考え始めたって話なんですよ、結構お互いいい年齢でね、田畑さんも僕も、死生感みたいなところを今日、ザック・バロンに話せればなというふうに思ったんですけど、
急にそんなことを思う、和田さんの方が心配ですけどね いやだから、こういうのを言うとさ、心配されるから、これ逆ですよ、真逆ですごいポジティブなんですよ、
ある意味、自分の理想の死みたいなのを明るく語っていこうっていうことなんですよ、
なるほどなるほど わかんないですけど、ネガティブな意味にポジティブな意味にどっちでもいいんですけど、死を意識したみたいなことってあります?やっぱり今までの経験で、過去の
僕はでもないですね 死にたいみたいな思ったりとか
そういうネガティブなあれは結構多いですけど、客観的に死ぬことを想像して何かを考えたことはないかな、
客観的にっていうのは 極端な死にたいとか、そういうようなネガティブな感情っていうのは当然誰もがあると思うんだけど、
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そういうのじゃなくて、自分が死ぬとしたらどうとか、死ぬときはどうとか、そういう冷静に死を考えたことはそんなないかな
なるほどね、でも普通に考えたら、死ないじゃないですか、自分の死ぬときのことなんで、できればみんな考えたくないし
まだ若いからなんですかね そうそうそう、だから僕も多分いい年越えてきたんで、そういう多分積み重ねもあると思うんですけど、
あと家族が死んでとか僕はないんで、まだダイレクトに近い人の死を感じたことないんですけど
身近でそういう人がいたりすると、より考えたりしますけど、そういう意味でも僕もないんですよね、まだ
だからリアリティはあんまないみたいなのありますよね、死に対して、分かんないじゃないですか、でも本当僕だったら兄弟が、明日死んでるとかあるかもしれないんですけど、
変に想像ができないというか、バイアスがかかっちゃってるのかもしれないですけど、だからこそ想像することは大事なんだろうなというか、
芸能人の自殺とかも最近すごく多かったりして、別に僕は赤の他人なんで、変に同情を抱くとか、あえてそういうのはあんまり悲劇だなと思うけど、
変に同情をするとかっていうのはあんまりしないようにはしてるんですけど、自殺の難しいところって、最近芸能人の自殺とか見て思うんですけど、結局死ぬっていう、自分で死を選ぶっていう行為は、
元々の根源的なところで言うと、本来は死を恐れてるっていうか、何かの防衛本能で恐怖とか孤独とかを感じて、精神的に効率していって、本来は死とか最終的に起こる悲劇を避けるために防衛本能が働いてったものが、結果的にそれを自分が首を絞めてしまって、死を選択しちゃうみたいなパラドックスがあるじゃないですか、
あの辺もだから、ある意味死っていうものがリアリティがないというか、忘却してったがゆえに最終的に死に繋がっちゃうというか、理想の死に方みたいなのを描いておくことで、
自分が本当に彼にめちゃめちゃ死にたいと思った時に、これが自分の理想の死に方だっただけか、みたいな映し鏡ができるんじゃないかなというか
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自分で死を考えるっていうことに関しては、僕昔から考えてることがあって、前提自殺が何よりも悪いことだという前提がありますけど、
自殺者が出た時に、まず何より自殺した人に責任があるって僕は責任を言うべきだっていう前提があるんですけど、その上でやっぱり自殺するような人ってめちゃくちゃ真面目でピュアな人ではあるじゃないですか、よく言うだろうし
本来そういう感情を持ってるような人こそ、その感情を生かして強みを生かして活躍すべきなんですけど、そういうふうに自分で自覚できなかった悲しさがあると思うんですけど、
きっと人がもう死のうって死ぬ直前に思う時の感情って、たぶんその人が生きてきた人生の中で一番ピュアな瞬間だと思うんですよ
なるほどね
いろんなエゴとか、人間としての汚い心っていうのが全くなくなる瞬間なんじゃないかなと思うんですよ、もうだって死のうとする瞬間だから
その境地のピュアさに死のうと思った人は気づけてるわけですよ、だとしたら誰もが見えていないそのピュアな感情を見つけられたという自分に自信を持って生きていってほしいなと思う
なるほど
だからそういうもんだって今のうちに意識しておいて、そういう時になったらそれを思い出す努力をするといいのかなって思ったりはするんですけど、まあでも追い詰められてる時ってそうはならないかな
踏みとどまれないところはあるのかもしれないけど、でもそうなんだよね、ピュアさみたいなのをすごい客観的に逆に言うと見れるとちょっと立ち替えるとこはありそうですよね
でもなんかその半々じゃないですか、そのピュアな気持ちとやっぱりもう最終的にこう逃げるというか、ちょっとあえてこう悪い言い方しますけどやっぱ最後こう逃げる形でこう選んでしまうっていう
やっぱ結構すれすれの感情の揺らぎはあるだろうなっていうのがあるから、そのピュアさみたいなところを突き詰めて結局だからそのピュアな感情に立ち返ったら僕なんか死は選ばなくてもいいような気がするんですよね、結果的にはね
でもやっぱ選んじゃうというかさ、だからねまあちょっとそれは本当もう曲知だからさ、その時そうなった人にしかわかんない心境ではあるんで、ちょっとそうなってない人が何も言えないっていうのはあるんですけど
だからやっぱこうあらかじめ自分のこの死っていうのを、あるいはその周りの人の死っていうのをある種想像を事前に働かせておくと
なんかそうなった時にこう照らし合わせられたりとか、ちょっと立ち返られたりとかっていうところがある気はしてて、僕らってそういうのを教わってこないからさ、やっぱ弱いわけですよ、基本的にそういうものに対しての体制というかね
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僕はだから昔コチュカメでリョウさんが死のうとしてる人に生きるって方向に切り替えてから悩めって怒ってたシーンがあったんですよ、あれ僕小学校の時に見てずっと心に残ってたんですよね
いいですね 生きる死ぬとか悩む、小学生の時ってないじゃないですか、ない時にリョウさんのその姿勢を知ってずっとそれがありますけどね
いいこと言いますよね、だからね、意味を求めがちじゃないですか、その人生とかに対して、自分は生きてる意味があるのかとか、生きがいって何なんだろうとかって
僕もちょっと前見たね、ビートたけしさんが言ってた良い言葉で、生きがいなんてもんは死ぬ間際ならないと気づかないんだよみたいなことを言ってて、要はもう結構極地に来ないと気づけないものだから
そもそも求めちゃうのはナンセンスだから、生き物である以上は生きるために生きてるわけじゃないですか、あんまそこを求めないで、生きるっていう大前提を持つっていうのはね、大事なんだろうなっていうのは思うわけなんですけど
でもね、死に対しての美学っていうのもあるからね、だから単純に生きることが全てだとかそういうのは言いたくないんだけど、とはいえ
まあよく死ぬ時に何を思うかみたいなとこで、よく後悔することの定番としてよく言われたりするのが、なんであの時あれをしなかったんだっていうような後悔をめちゃくちゃ定番として多いって言うんですよね
だからそういうことがないように、死ぬ時にね、なんであれやらなかったんだって思わないように、やって後悔することより、やらなくて後悔する方が重いって言いますね
いやそうでしょ、だからまあ本当に悔いが残るというか、本当に自分で死を選んじゃう人もさ、僕でもたぶん走馬灯の中に出てくると思うんですよ、できなかったことみたいな
それを逆に自分を追い詰める素材にもなっちゃったりする可能性もあるしね、それは絶対そうですよね、悔いのない人生みたいなのね
すみません、ちょっと遠いとこでね、かなりヘビーなテーマを持ってきてしまったんですけど、本当は面白おかしく、自制観というか、死に対してフランクに向き合ってもいいかもしれないなっていうテーマなんで、別に深刻に捉えてっていうことじゃないんで、ご心配はいただければなという感じなんですけど
ちょっとね、ここからまたギア変えて体重の報告いくんで、こいつはもうまた怠惰な生活をしてるんじゃないかっていう話になっちゃうんですけど、大丈夫です、今回また500グラム始めました
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80キロに戻ったっていうね、話を前回して、79.5また79.5ですね、またちょっと戻ったというだけなんですけど、でもね、買いました、エアロバイクを、始めたんですよこれ、ちょっと前回のエピソードで話してたの、野宮のオフトークで話しましたけど、買ったんですよ、フィットネスバイク
3万円の、結構いいやつ買って、でもね、僕ね、実はジムとか昔通ってた時期があって、好きなんですよフィットネスバイクって、そもそも、有酸素運動は割と好きなんで、ジョギングとかね、家でライトにできるエアロバイク、前から欲しかったんで、今んとこなんか大丈夫そうですよ、YouTube見ながらできるんですよ
だからなんかしながらっていう理由があったりするといいですよね そうそうそう、ポッドキャスト聞いたりとか、話しながらもできるし、なんせ雨でさ、外に行けないとか、自分に言い訳をしなくて済むっていうのはね、これはね、結構きてます、僕の中で、これは確信につながってるところがあるんで
僕も今日またワタさんが体重増えてるんだろうなと思ってたから、そんなワタさんに、僕も先に仕入れたアドバイスがあるんですよ、最近仕入れた情報によると、三人称で自分に問いかけると、自分を抑えられるらしいですよ、食欲とか
三人称ってどういうこと?
例えば、ワタさんね、いつもビッグマックを片手にしてる時に、ワタ、お前はそれを本当に口に頬張るつもりなのかって言うと、要は自分のことを三人称で自分に言うと、発痛っていう
客観的に見ろ、自分を そうそうそう、その発想なかったですね
ワタ、今何手に持ってる?何のシェイクだ?って言うのを そう言うのをやる
もう持ってるんだからね、そのシェイクを、それあるな、それはあるかもしれない、確かに、僕はだからそうなんですよ、ちょっとね、自分が見えてない可能性はあるんですよ、本当に
自分がビッグマックを食ってるのにも気づけないような男だったりするから、だから問いかけるのも重要かもしれない、自分でハッとするっていうね、今手に持ってるのは
確かに、でもそうだよな、去年もそんな感じでハッとしたからな、確かに気づいた時に、メガビッグマックを二つ食った時に、食った後だったけどね
やばいなって思ったっていう、ちょっと問いかけはやってみます、あとはワタ、今日ちゃんとバイク乗ったか、問いかけをやったりとか、サボるつもりかもね
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やっていこうと思うんで、引き続きダラダラです、というところで、ご視聴ありがとうございました