収録前の雑談に花が咲きすぎる / 行くべきではない場所に行かないライフハック / 波長が合わない場に行きたくないWATA / 社交辞令としての飲み会にどう向き合うか / 飲み会で「ネタ」として喋れるかどうか /「行きたくない」というネガティブな自己処理が怨念化する / 飲み会キャンセル時代の副作用 / 冒険心と探求心を持って生きる
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■ クレジット
Opening Theme : Composed by WATA
Cover Artwork : Designed by WATA
CG Character : Modeling & Designed by WATA
Ending Theme : Composed by TAZAWA
©終わりかけのRadio
番組エンディングテーマ『life』
感想
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サマリー
このエピソードでは、行きたくない場所や集まりに無理して行かないことのメリットと、それによって失われる経験について考察します。波長が合わない場を避けることでストレスを減らすライフハックを紹介する一方、そうした場を「ネタ」として消化し、経験値に変えることの重要性も語られます。現代では飲み会などをキャンセルしやすい時代になりましたが、その選択が経験損失につながる可能性も指摘。最終的には、好奇心や探求心を持って未知の場に飛び込むことで、新たな発見や成長があるという結論に至ります。
収録前の雑談と本日のテーマ設定
どうも、WATAです。 TAZAWAです。
まあ、この収録始まる前にだいぶ、ちょっと話が。 1時間喋っちゃいましたね。 1時間喋ってて。
もはや、それを撮ってた方がいいんじゃないかっていう話をしたんですけど、もう話すことなくなっちゃいました。
健康の話で盛り上がりました。 健康の話で、一番多分放送でこう、流した方がいいような内容を話したんで。
ちょっとね、もう話を終えちゃったんですけど、もうほとんどが。 僕の中では今日。
なんか、そうですね、いろいろトピックはあるんですけど、ちょっとなんかどうしようかな。
あんまりこう、役目と会話が広がらないやつにしたいんですけど。
今あれですね、ちょっとその収録前に話してた内容とかに近いんですけど。
なんかこう、前回僕確かあれですよね。
TAZAWAさんの部屋に行って、特定の場所に行って、自分の影響を養うというか、セーブポイントの形でリセットできたりとか。
そういう行くべき場所みたいなのを見つけるみたいな話をしたんですけど。
逆に言うと、行くべきではない場所とか、やるべきではないことみたいなのを、ちょっと軽く話したいなと思ってまして。
波長が合わない場を避けるライフハック
なんか行くべきではない場所で言うと、これはTAZAWAさんも僕もすごい、多分いろいろ候補はいろいろあると思うんですけど。
結構僕の中で、そうですね、ちょっとこれスピっぽい話になるんですけど。
なんかこう、波長が合わない場所ってありますよね。
なんとなく感覚的な話ですけど、居心地が悪い、会話が噛み合わない、なんかわかんないけど変なモヤモヤした、なんか罪悪感なのか羞恥心なのかわからない、何かを感じて言いづらい。
あとは、そもそも場の空気が悪い、悪口ばっか言ってる人がいるとか、そういう波長が少し乱れそうな場所には、もう積極的に行かないようにしだしたんですよ。
したら、ちょっとこれさっきの収録前の話にも繋がるんですけど、やっぱストレスを溜め込まない考え方にはなってきたなっていうのは思うんですよね。
結構こう、僕の悪い癖で、そういう付き合いとかで行きがちなんですよ、断れなくて。
本当は行きたくないんだけど、そういう飲み会とかに行ってしまったりとか、あとは何も考えずに行った特定の場所、飲み会でも何でもいいです、何かの催し事みたいなとこで、
明らかに空気が合ってないのに、帰りますとか言えなくて、無理やりもう何時間もそこにいてしまって、結局ストレスを溜め込むみたいなのが結構30代とか多かったんですけど、
40代になって割とそれをきっぱり結構やめてて、あんまりもうそもそも、ちょっとこれはドライな言い方なんですけど、あんま合理的じゃないとこにはいかないようにするようにしてて。
結構それで割と、あんまりそういう場所に行くっていうことのプレッシャーもなくなったし、逆に言うと断ればいいだけの話じゃないですか。
断るとか、変な無限に断るというよりも、何か理由をつけていかなければいいだけなんで、すごいそれが楽になって、取り繕わなくていいから、行ったときに気まずい空気の中にいることを想像しただけでめちゃくちゃストレスになる。
だから、そこから解放されただけでも、だいぶ人生のQOLが上がったみたいなのがあって、結構これはライフハック的にすごい良かったライフハックだし、今も続けてる。
逆に言うと、自分が行きたい場所に行く神社みたいな、自分の波長って言うとすごいスビーな感じになりますけど、波長が良いところに行くみたいなのはめちゃくちゃ心がけてるんですけど、これは本当にめちゃくちゃ良いライフハックだと思ってまして。
行きたくない場所に行かないTAZAWAのスタンス
TAZAWAパイセンもね、多分結構近いと思うんですけど感覚的にね、TAZAWAさんもね、あんまり行きたくない場所、行かない方が良い場所、メリットない場所ってあるじゃないですか。何か意識的に避けてるところとかありますか?
いや、なんか今聞きながら考えたんですけどね、意外とね、僕元々ないんですよね。だから行きたくないけど行ってたとかっていうことって意外とないかもしれない。
ちゃんとある程度自分が意識的に行ってるだけって感じですね。だから行きたくないときはそもそも行かないんじゃないかな、かといって断ることもないし。
まあ、客観的に見ててあんまそういうのを無限に断ってるイメージもないし、避けてるイメージもそんなないですね。
基本的には全部行ってるし、全部好きで行ってるなっていう。なんかそう考えたら納天気な感じもするなって感じですね。ストレスたまんないですね。
まあ、それはそれで楽しんじゃうかな。
行って、これ失敗したなみたいな。まあでもそれは失敗というよりは、そこに行って考えたことがあったら、それはそれで良かったなって。
そうかそうか、それをポジティブに捉える。
「ネタ」として消化する力
人に話せるし、和田さんに。
そうなんですよね。そこがやっぱ強いなと思ってて。要するにネタとして話せれば、元が取れるみたいなとこもあるじゃないですか。
そこはちょっと僕が苦手とするところで、ネタというか、そうなんですよね。面白い話として消化できれば、すごいカタルシスというか浄化できる感じがあるんですけど。
これ確かにそうで、ヤフーの小沢さんとミノワさんが言ってたのは、これ飲み会で喋れるなって思えるかどうかって言ってました。
だからその、授業とかでめちゃめちゃ大変なこと失敗したとしても、これ飲み会で喋れるなとか思うと、それはそれで良い。
まあ、取れ高ではないけど。でもまあ、一つ自分のボキャブラリーが増えたって思うと、すごいポジティブですよね。
ネガティブに捉えちゃうと、もう二度とあんなとこ行きたくないみたいな感じではありますけど。
僕も、もしかしたらそうかもしれない。だから行って、すごい後悔してる時も、これどうやって面白く喋れるかなって考えるかもしれない。
確かにね。だからその、あれですよね。ある意味、ちょっとさっきの言ってたことを矛盾しちゃうんですけど、
基本的に飲み会とか集まりの場って、もちろんすごい合理的に、いろいろ前向きに
いろんな建設的な話ができる場合もあるんだけど、反面大体しょうもないみたいな、そもそも立て付けとして、
ろくでもないみたいな前提もあるじゃないですか。だから、それはまあ、僕も40過ぎてるんで、その前提は理解した上で向き合うんですけど、
コントではないけど、乗っかって付き合うみたいな感覚というか、せいぜいそんなもんだけど、そんなもんだし、あんまり深刻に捉えずに、
まあ、そのまま楽しめるかどうかわかんないけど、乗っかってネタを見つけるなり、なんかわかんないけど、自分の中でプラスになる糧を得るっていう考え方は確かにあるなとは思ってて、
それはだから逆に言うと、40代とかあれで心の余裕が出てくると、少しちょっと俯瞰して見れるじゃない。20代とかは、なんだこのクソみたいな飲み会みたいな感じで、すごい逆情して書いたりするわけですけど、確かに心の余裕を持って望めるっていうのもありますよね、確かにね。
だから、めちゃくちゃ行きたくない飲み会をやめた方がいいと思うけど、言ってもくだらないことも話すだろうけど、話したことを自分の足しになるようなことがあればいいかぐらいの感覚で、とりあえず行ってみるみたいな、っていうのも確かにあるなっていうのは。
ネガティブな感情の「怨念化」
そうですね。
付き合いというか、愛想笑いを振り舞えて、その場に合わせるみたいなことになるわけだから、そもそもそういうもんだっていうところはあるんですけど、でもそうね、確かに。
まあね、ネガティブにならなければいいんで、何らかの方法を取ってね。
だから、それほんといいですね。やっぱり結局、自分の捉え方っていうのもあるじゃないですか。その場が嫌な場なのか、嫌というか、何なんだこれはみたいな。何でこの飲み会に来ちゃったんだ、俺はって思う捉え方と、そう捉えない捉え方もあって。
結構自分の捉え方次第で、自分のストレスの溜まり具合が変わるみたいなのはありますよね。極端に自分の中で、それをすごい老悪的に捉えるというか、悪いものとしてどんどん自分の中で変えていく。
カタルシスとは逆の、悪いものとして消化して避けるみたいな。割とやりがちではあるんですけど、そうですよね。もう少し気楽に考えて、見てもいいかなみたいなね。
評価として、マイナスの評価を結果しない方がいいのかなと思ってて。それだから、良くない飲み会だっていう風な評価も結果的にはあんまりしない方がいいのかもしれないなと思ってて。
確かに。そうなんだよね。 やっぱりそこも認識というかさ、自分の中でそう決めちゃったらそうなるみたいな、そういうメカニズムありますよね。
自分の価値観と合わない場だったなとは思っていいと思うんですけど、それを悪いものとして評価しちゃうと、結果ネガティブな感情が残っちゃう。怨念が残るから。
良い言葉出ましたね。怨念化するってありますよね。別に普通に状態として捉えれば、別に何のことない普通のただの飲み会なんだけど、自分の中で変な悪い感情で変換しちゃって、
悪いものとして自分の中で悪霊みたいなことに扱いになって、自分の中の折りというかさ、変な悪い感情が蓄積するみたいなところはあるから。
だから結構それも自分を正当化するために、悪いものとして対比することによって自分を守るっていう感情になってるから、結果ネガティブなものが残っちゃう気はするんですよね。
キャンセル時代の経験損失
これね、たださんすごい良い質差だと思ってて、この現代的な飲み会とかもキャンセルできる時代になったじゃないですか。あんまり昔みたいに付き合いで行かなくて良くなったし、酒飲むこと自体も別に強要されないし、飲み会行ったとしても酒飲まなくて大丈夫だし。
で、一時会の途中で帰ってもいいし、途中で来てもいいし、昔だったら怒られ、付き合いとして変なマナーを押し付けられてみたいなのあったけど、そういう時代になって割と選択というかさ、自由に選べる時代になったんだけど、
逆に言うと、自分の中で嫌な、その場にいると気まずいなとか、何か合わせるのだるいなって思うものを、自分の中で悪いものとしてカタカシしちゃって、結局行かなくなるみたいな。行かない選択肢を選ぶのはいいんだけど、変な嫌な気持ちになるぐらいだったら行かなくてもいいんだよみたいな風潮ってあるじゃないですか。
正しいんだけど、逆に言うと自分の中で悪いものとして捉えたっていう結果だけが残って、一生それは抜けないものになるから。だから、もちろんそういう場にいて、いいこともあれば悪いこともあるんだけど、やっぱり悪いことっていう方で捉えちゃって、逆に言うといい出会いがある場所なのかもしれないけど、機会損失するみたいなことが起きてるっていうね。
トータルの評価として、全体としてネガティブな話ですよね。
そうそうそう。時代的に、僕が最初に言った話と全然逆の話をしてダブスターで申し訳ないですけど、ただ時代的に悪いことは悪いこととして避けていいよっていう時代になったからこそ、みんなネガティブにそれをネガティブな箱にしまうようになったっていう。
軸足ネガティブにいますからね。
だから無理しなくていいんだよっていう、無理みたいな状態を肯定するようになったね。
そうなんですよ。そうそうそうそう。そうすると、逆に言うと、よしよし言い悪いで判断しがちになるというか、物事。で、悪いものは避けていいんだと。
要するに、無理しなくていいんだみたいな感じになって、悪いっていうレッテルを自分の中で個人的に処理しちゃうみたいな感覚がすごい根強くなって。だから、もちろん無理しなくてはいいんですけど、そうすることによって物事を常にネガティブに振り分けるっていう姿勢が現代人がつき始めている。
ネガティブに振り分けるまで行かなくていいのに行くんですよね。ただ気分が乗らないから今日はいいやって終わればいいのに、わざわざ怨念まで行く。
怨念でしかも堅かするからね。もうだからこういうことを誘ってくる奴は悪い奴らだって言わんとばかりの、だからくだらない奴らだみたいな、そういう逆に言うとレッテルを張ってしまうというか。だからなんか先入観がすごい時代にはなったっていう。
冒険心と探求心を持って場を楽しむ
だからちょっとそういう部分は多摘っぽいところが感じるなと思うんで。だから言って面白くなかったなと思ったらそれは自分のせいだし、言って面白かったと思ったら場のおかげだしって思えばいいと思う。
確かにね。だからそうなんですよね。しかもなんて言うんだろう。もちろん嫌な思いとかもあるかもしれないけど、逆に言うといい部分、いい思いというか普通に楽しくお話できたなとか、お友達がちょっとできたなとか。
そういう部分もあるわけじゃない。必ずしも悪い部分じゃなくて、ご飯おいしかったなとか、酒がただで飲めてよかったなとか。結構そういう部分もあるから、そっちを逆に言うともうちょっとフォーカスしたりしてもいいし。
何でも学びって言うとちょっと気持ち悪いですけど、僕もよく渡田さんに話すと思うんですけど、こういう場所に行ってこういうことがあってって言うときって、僕はこういう状況になると僕はこういう感情を持つんだとか、こういう人はああいう時にこうなるんだとかって観察して、その学んだ話を渡田さんにしてる。
そうですね、そうそうそうそう。 だから僕、それで生きがいを感じてるんで。だから別にその時のことを悪いとも何とも思ってないっていうか、あとその時自体もネガティブな感情でその場を見てはいなくてとか、ただ傍観してるだけってことで。
状況を観察してみたいな。 そうそう、感情を持つ必要はないかなと思うんですよね。 なんかやっぱりちょっとその逆に言うとイメージだけで悪いっていう悪い方のイメージが先行して、その場でちょっと判断しすぎちゃう人が僕も例外に漏れずですけど、なんかこうその場で何この飲み会みたいな感じで、なんか脊髄反射というかしちゃいやすくなってるんだろうね、やっぱね。
要するに行かなければ行かないほど免疫がなくなってるみたいな、体制もなくなってるから、そういう場に出くわした時になんで俺はこんな思いしなきゃいけないんだみたいな、そういうマインドになるじゃん、その場のせいにするというか。
でもなんかその、前提そこを取っ払っちゃって、だからまずその、なんていうかね、そういうとこに行った時に、なんで私の大切な時間を奪われなきゃいけないんだみたいな、そこからやっぱまずちょっと一回こう脱却しなきゃいけないのかもしれないというか。
なんでも冒険してると思えばいいと思うんですよね。僕だから、なにこれって思ったら、もうちょっと嬉しくなるんですよね、これ後でどうだっけ食べようかな、どう料理して、だから逆に引き出そうとしますよね、もっと変なこと言ってくんないからね。
そうそうそうそうそう、もっと変なこと言わせようとするみたいな。なんか確かにな、それはだからこういう状況を楽しむというか、だからその、なんていうんですかね、経験値として自分の中で消化できれば、めちゃくちゃプラスになるわけじゃない。
ネタ不足とコミュニケーションの変化
だから思うんですけど、コロナ禍以降、やっぱりそういう飲み換えて、さっきのキャンセルカルチャーみたいなのもあるし、やっぱり昔と比べると数減ったと思うんですよ。
だから、なんていうかその話題とかネタというかさ、これちょっと僕の思い込みかもしれないけど、なんかそういう雑談というかネタが少なくなったよね、みんなそういう面白話みたいなのしなくなった気がしてて、飲み会行ってないし、
なんかそういう、なんかある種、変なことがあり得ないことが起きたっていうことが機械損失してるから、みんなネタがないというか、話す話題がないから、なんかそのネトフリのアニメの話題とかしか盛り上がらないみたいな感じの空気なのとか、なんか面白い話題ってなくなったよね、そう考えてみると。
こんなやつに出会ったとか、たださんはさ、とにかくいろんな人と出会ったりするから、そんな人いるんですか?みたいな話をしてくれるんですか?
やっぱり、僕はだから、すべらない話とか千原ジュニアが好きだから、あの感じってやっぱすごいいいんですよ、やっぱり。なんかあれができると思ったら、全然なんか得したなって思っちゃう。
あと、和田さんがね、聞いてくれることあるんですよ。だから、たぶん、そうそうそう、この話をする人がいるかどうかも大事だと思う。
そうですね、確かに。だから、それはありますよね。これを誰かに話したいなみたいなっていう、これどうやって伝えようかなみたいな、なんかその奇想天外なことが起こったほうが、その話を誰かに伝えたいっていうふうに逆になるし。
だから、日々つまんないことばっかりだと、そういう話がなくなるから、逆に言うと人との会話とかも、そういうエピソードトークしづらくなるから、逆に言うとネタがなくて話しづらくなるんだけど、あれば誰かに話したいですもんね。
話す相手と面白さの循環
それはいい引き差ですね。
同じような価値観を持っている人で聞いてくれる人がいると。だから、WATAさんはいいリアクションで聞いてくれるから、僕はすごく喋りがいがあるわけですよ。だけど人によっては、人それぞれなんじゃないですかとかって言う人いるんですよ。
もういいわ、大人な、じゃあいいわってなる。分かってるから、そんなことって僕は思うからね。
でもさ、こういうエピソードトークのいいところってさ、人からのまたぎきなんだけど、それを僕も話せるっていうメリットありません?だから僕は結構ネタの供給者として、たださん結構有用な言い方ですけど、すごいネタの宝庫みたいな感じになってるんですけど、
そう捉えたいですよね。こんなやついるんだよって、こんな面白いやつがこの日本にいるんですよっていう。それ人に、僕も逆に聞いた話で言いたいこといっぱいあるんですよ。し、たまにちょっとまたぎきとして人に話したりすることもあるから、話せる内容のやつは。
なんかそう捉えられると、そういう面白い話が循環するわけじゃないですか。みんな噂レベルかもしれないけど、そういう話で盛り上がれる。ちょっと聞いてよ、この前さ、友達がこんな人と会ってさ、みたいな話ができるというか。
しかもそういう話って、だから一見ディスりみたいなふうに思う、勘違いする人もいると思うんですけど、そうじゃなくて落語に近いところがあって、人の面白さの話なんですよ。要は例人さんってこういう話をみんなするじゃないですか。だけどその例人さんって人に対する愛がすごくあるじゃないですか。
人をよく見てるから。人の面白さとかを観察して、それを面白おかしく人に伝えてるってことだから、そういうところの魅力というか、そういうことを見るのも楽しいものだと思うと、人の人間模様って全部面白いんですよね。
よく千原ジュニアとかも言ってるけど、普通に生きてたら、面白いわけですよ、世の中。そんな面白いことなんて起きないわけですよ、なかなか。でも捉え方と、あとはいかに着眼して面白い部分を見つけられるかって、人の会話のボケぶらりにめちゃくちゃ影響するみたいな話を聞いたことがあって、千原さんから。
面白さを見つける視点
何かどう物事を見るかによって、面白さを発見できるかどうかっていうのが、もちろん変わるわけじゃないですか。何も面白くないし、何も聞く必要がないって思ってたら、センサーがもう拒否してるわけだから、そういうアンテナがなくて、めちゃくちゃつまんない世界に見えるわけですよ。
でもすごい注視してみたら、めちゃくちゃこの人、飯食うとき変な箸の持ち方してるなとか、分かんないけど、この人、ブロッコリー絶対最後に残すなとか、分かんないですけど、ちょっと捉え方を、見方を変えるだけで、その人の愛すべきポイントが見つかったりとか。
その人を引き出させるために、対比として何を持ってくるかとか。 そうですよね。こういうボケブラリーがいっぱい引き出しが自分の中であると、確かにそういう人見たことあって、同調して話に乗っかれたりとか、俺のこの前会った人こんな感じだったんだよみたいな話が言えたりとか。
っていうことで、やっぱ人との会話を楽しむっていう、もうちょっと原理的な、人を楽しませるみたいな、会話を楽しく提供できるみたいなモチベが生まれると、日々の会話がみんな賑わうし、彩りがつくわけじゃないですか。
それがさっきの、あんまり主者選択場を選びすぎると、そういう会話がみんな引き出しがないから、つまんない会話になり、つまんないって言うと失礼だけど、そういう面白い人いたんだよとか、こんな思いしたんだよみたいな話がなんとなく減ってきたっていうのは、そういうとこにあるのかもしれないですね。
なんかこう、面白さを見つけにみんなアクティビティをしなくなってきてるというか、なんか嫌な思いするぐらいなら行かないって言って、なんかこう、そういう、ある種、自由ではあるけど、そういうふうにつまんない捉え方の価値観にはなっていきやすいみたいな。
臭いものに嗅ぎに行く探求心
臭いものに蓋をするんじゃなくて、もう嗅ぎに行くから。 そう、一回嗅いでみようみたいな。だからどういう匂いなのか一回嗅いでみようってなるよね。でもさ、でもそれで言ったらやっぱ臭いものってちょっと嗅ぎたくなるじゃないですか。
そうね、そうそうそうそう。だからWATAさんも、だから僕もそうかもしれないけど、多くの人は嗅ぐぐらいならもう蓋閉めたいって思うんじゃないですか。 そうね、うん。確かにね。
だから、そこですよね。でも一回ちょっとね、臭い香りを知っときたい。だからどれぐらいなのかってさ。臭さもさ、いろいろ種類あるじゃん。本当にダメな臭いもあるけど。ちょっと癖になる臭さみたいな。
あれ好きかもって。 なんかありますよね、なんかね。だから魚介類の匂いとかでさ、ちょっと臭いけどさ、若干癖になる香ばしいさもあって。
それでね、好きなものが変わっていくわけだから。 変わっていくわけだから、そう。しかも自分の中でそういうレパートリーというかさ、こういう匂いとこういう匂いが俺は嗅いだことあってみたいな。
あの匂いこうだよって言えるっていう。だから、それありますよね、なんかね。
確かに臭い者2人って、川越シェフ、僕川越シェフ大ファンだから。YouTube見てるんですけど、川越シェフって臭いものの耐性めっちゃ強いんですよ。
だからシュレルストレーミングとかでも全然平気なんですって。だから逆に言うと料理人って多分めちゃくちゃいろんな匂い、臭いものに慣れてるから、だからこそいい料理もできるんじゃないですか。
まあでもそうっすよね。臭さが必ずしも料理のまずさにイコールしてない、直結してない。だから台湾の臭豆腐さ、おいしいと言うじゃないですか。臭いものほどおいしかったりするみたいなのもあるし。
それだからそこ、好奇心というか探求心とかが、新しいこう臭いけど味はめちゃくちゃおいしいよみたいなね。
だから突き抜けるためにはちゃんと臭さを知ってないといけない。
そうそうそう。探求しなきゃいけないですよね。で、どれくらい臭いのか知っとかないと批評できないしってのがあるしね。
だからなんか、それはでも現実の世界でも言えて妙ですけど、同じところはありますよね。
一回感じ取ってみないと、自分が本当に嫌なのかどうかがわからないみたいな。
だからその臭さの話で言えばさ、ちょっと自分の足嗅いだくらいで、うわ臭っとか言ってもっと臭いわみたいな感じで。
でも言うて足の匂いなんて大した話じゃないですか。で、もしかしたらめちゃくちゃこうね、ちょっとこれ言い方失礼ですけど、
欧米圏の人とかがなかなかこうね、排臭とかも強かったりするみたいなのがあるし、よりこう強い人がいたりするわけですけど、
自分の足の匂いぐらいでしか臭さが判断できないし、これで拒絶しちゃうわけですから、他人のことを受け入れられないみたいな感じになるじゃないですか。
自分のそのキャパシティというか、臭さのキャパシティをやっぱりこう訓練をすることで。
慣れるからね。そのうち自分も痛くなってきますからね。
そうそうそう。で、ちょっと癖になるし、ちょっと年に一回は嗅ぎたいなみたいなね。
飲み会と足の臭いの類似性
だからそれはやっぱりその場とかさ、嫌な思いっていうさ、その抽象化されたその体型ですよね。
それちょっと安直に、やっぱりこうすごいなんか飲み会って嫌だよね、みたいな。
だからその捉え方に今なってたりとかするし、なんか面倒いよね、合わせるのだるいよね、みたいな。
だから、それってやっぱ臭さの話で言うと、足って臭いよね、みたいな。
飲み会は足の臭さだ。
そう、僕結構近いと思うんですよ。
そうですね。
だから飲み会行こうるおっさんがいて、おっさんがなんか長い武勇伝語るとか、なんかその下ネタを言うとか、なんかそういうテンプレートなんですよ。
だから足って、だいたいみんな仕事の後はそれなりに匂うわけで、足って臭いよね、みたいな。
ぐらいの、やっぱりすごいそれはみんな知ってんだよ、みたいな前提があって。
でもその臭さを乗り越えて、どれぐらい臭いのかとか、人によっても匂いが違うしとか。
まあでもちょっと足臭い、確かに臭いんだけど、ちょっとやっぱなんかたまに嗅ぎたくなるみたいな。
なんか変なね、こう癖になるところもあるかもしれないし。
人によっちゃうんですけど、これは。
だから一応嗅いどこうみたいなね。
一応嗅いどこうみたいな、そう、だからチェックね、チェックしとかないとみたいな、あるから。
無菌状態のリスクと冒険心
そういうところが、やっぱ確かにそういう人とのコミュニティとか、行っちゃいけない場所、行っていい場所とかもあるけど、結構相関性があるなというか。
なんかあまりに注射選択しすぎると、無菌状態で育ちすぎちゃって、ちょっとした菌に感染しただけで病気になっちゃうみたいな、あるじゃないですか。
この温室育ちじゃないけど、それはもっとこう、冒険心を持って探求しなきゃいけない。
無理する必要ないんだけど、でもやっぱある程度冒険をする心も必要で。
やっぱたまにわけわかんない飲み会行くのも、いいわけですよね。
だからそれも無理に行こうとかじゃなくて、普通にそういう意味で楽しんでいけばいいと思うんですよね。
そうだよね、モチベーションを変えればいいみたいな。これはなんか香ばしいぞ、みたいな。これはあの人が来るからだいぶ香ばしい匂いがするなって言って行ってみるみたいな。
そっから誰かに話を準備しとくから、もう。
そうそうそう。だから、ルポーだよね。調査として行くみたいな。
行ってみないと分からない場所
でも確かにな、ちょっと僕の最初の前段がだいぶ、全然これでいいんですけど、結論としては。
だいぶダブスターなことを言いますけど、でも行ってみなきゃわからない場所ってあるじゃないですか。
要するにそのイメージ語りで行かない場所。なんかあの場所はちょっと治安が悪そうだとか、聞いてる噂では良くなさそうだみたいな場所ってあるじゃないですか。
でもそれって結構だいぶ、行く人によって感じる感じ方が違うし、起きる出来事もその時々じゃないですか、言っても。
その場所に至っては。なんかそれでレッテルを貼っちゃって、あの場所には行かないとか、治安が悪い場所には行かないようにするとか。
絶対に近寄らないようにする。身の安全とかが影響する場所には行く必要はないと思うんですけど、
それをしないことで、見えてなかった世界が見える可能性もあるんだけど、とか新しい価値観というか。
あとは意外と悪くないかもな、みたいな。共有できる。広い心ではないですけど。
そういう自分の中のキャパシティも変わるだろうし、かわいい子には旅をさせろじゃないですけど、そういうマインドは逆に必要な時代にもなってきてるみたいなね。
やっぱりだいぶ自分で情報とか場所とか働き方とか選べる時代になったからこそ、あえて行ってみるみたいな。
タドラ そうですよね。 確かにそれは大事かもしれないなっていうのはね。
正当化できない場所との向き合い方
タドラ でも最初のWATAさんの話に戻ると、どう頑張っても正当化できないものはわざわざ行かなくてもいいかなって。あるから、そういうのもあるから。僕は行かないから、たぶんそういうのは。
タドラさんたまにすげえとこ行くからな。
タドラ わざわざミサイルが落ちてる戦場まで行く必要はないじゃないですか。でもまあ行っちゃうのか。
タドラさんはジャーナリスト傾向があるから、割と行く時あるし。それは僕が逆にその話を楽しみにしてくれてるから、行ってくれてるっていうのもあるかもしれない。
やっぱりルポライターとしては、読んでくれてる人がいたら行きたくなるわけじゃないですか。読者が期待してるからさ。期待されてるっていう感覚があるから、やっぱり行ってくれるっていうね。
そういう開拓者みたいな先人を切って行ってくれる人がいるから、その情報があるみたいな話もありますよね。
タドラ そういうことがね、期待できるときはいけばいいと思うんですけど、どう頑張っても制度化できないものは無理じゃなくてもいい。
とんでもないヤバいものもあるかもしれないし、危険な場合もあるから。
タドラ とかどう考えても自分が精神的にやられそうなやつがあるから。
それはまあ確かに。
タドラ ルポート所、取材所じゃないやつもたまにあるからね。
それはちょっと出し分けしてもらって。
結論:捉え方次第で場は面白くなる
なるほど、ということでですね、非常に良い回答というか、話のオチとしては非常に良かったですね。
選んで取捨選択するというよりは、むしろちょっと本来選ばないであろう場所に、たまに行くことで発見というか、それは自分の捉え方次第で、
面白くできるかどうかっていうのは結構自分の中に答えがあるっていうところで、
そうすると逆に、そういう場に行くときに億劫じゃなくなるというか、
ちょっと楽しいことを逆に見つけに行くぐらいな感じでね、
望めば気も楽になるんじゃないかっていう感じで、
ぜひ皆さんも飲み会には、行きたくない飲み会もあるかもしれませんけど、
たまに臭いものかけに行こうみたいな感じでね、行ってみるのはいかがでしょうか。
一人言えばいいんだから。
そう、面白くそう。
メモ帳とか持ってたもんですよ。
ちゃんと録音とかしておいて、忘れないように。
そう考えてみると飲み会に行くのが楽しみになってきましたけど、
っていうような感じでした。
じゃ、ありがとうございました。
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