1. 新型オトナウィルス
  2. #168 【教えて!コバ先生 vol..

「教えて!こば先生」の第3回は、著作権について!
古林は530ページの本が読めるようになり、著作権の真理のかけらを手に入れる。

樋口はレゲエミュージシャンと分かり合えなかった過去が。

才能とビジネスセンスと権利は混ぜるな!危険!

本来の役割が伝わらないは拡大解釈のなれの果てであり、NFTの誕生は自然の摂理なのか。

※意見や考えには個人差があります。

※今回こばやしが読んだ本は「情報倫理ー技術・プライバシー・著作権ー」(大谷卓史 著)

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情報倫理について
皆さんこんにちは、今日もあなたにインフェクション 新型オトナウィルス小林です
樋口です よろしくお願いします
よろしくお願いします
樋口さん、今回はですね
教えて小林先生のコーナー きた!
第3回目をいこうかなと きたよ大好評
はい 俺にとって
樋口さんにはめっちゃウケてる
そう、反響の数こそ少ないけれども
けれども
いやこれ絶対面白いと思うやけど
うん、俺なんか面白いんじゃないかなと思ったりしてるんですけどね
楽しみですよ
今回はですね、読書感想も踏まえてやろうかなと思っております
これちゃんと本読んだりとかして
勉強しながらやりますと言ったんで
コツコツ本読んでるんですよ
どんな本読んでるんですか?
今回はですね、こちら
樋口さんにも見てもらってるんですけど
かなりごっつい太い、情報倫理
という書籍を
これはですね
確か岡山の方の
大学の先生してらっしゃる
太谷拓司先生っていう
人が書いてるのです
ちょっと見ていい?これ何ページあるこれ
水須書房さんから出てますけど
はい
500、600ページぐらいじゃないですか
そうね
500
だから途中だ
530ページある
これ、ようこんな
伝えたいことがあるな
まあ大学の先生なんで
いや500何十ページもね
1個のテーマで
伝えたいことがあるってのはすごいわ
これすごいですよね
ちょっと背景からふわっと話していくんですけど
結構このITの話
みたいなのしてる中で
IT化社会進んできてるよね
インターネットとか
ITとか
テクノロジー的なものを
どういうふうに
付き合っていくのか
自分ら人間にとってどの立ち位置に置くのか
みたいのを
もっと考えた方がいいなって個人的に
結構考えてるみたいな
ところがいつも出発点なんですよね
その中で
1個俺の中では
情報倫理学
っていうテーマで
考えてる部分があるんですよ
倫理っていうのはあれですよね
そこに人が集う限りは
マナーとかルールとか
そういったものが必要でしょう
っていう考え方なんで
IT化社会における倫理
っていう話題なんですけど
これやっぱ
研究してる先生って結構少ないんですよ
その中で
何人か
俺が国内で
このテーマ扱って研究してる先生たちを
調べて、この大谷拓司先生
っていう人がちょっと
ピンときてたので
一冊書籍を購入して
今回
読んでみたんですけど
どんから読んだ?
全部読みました すごー
全部読みました 厚い本よこれ
厚かったです、ざっくり言うと
前は情報化社会になってきて
こういう問題が
世の中に出てきましたよねみたいな
話があります
公と私
公と私が揺らいでいくよね
って話とか、匿名性と
個人情報とか
ネットが発達した
著作権について
世の中の状態
世常みたいなのとか
書籍とか図書館の未来が
どうなるんだとか
あとメディアと現実とかいろんなお話が
ある中で
中にですね
著作権の哲学っていうのが
あるんですよこの本の中に
第5章が著作権の哲学なんですけど
そこがめちゃくちゃ
面白かったので
今回お話させていただきたいなと
いう感じなんですよね
どっからいこうかな
ちょっとふわっと
なんか以前
著作権の話で
ここの新型で
少しなんかしたのって覚えてます?
何だっけ
なんかその時俺言ったのが
俺結構ヒップホップとか好きだから
マッシュアップみたいなとか
サンプリングとかがあるから
作品引用したりとか
パクリパクられみたいのって
あって当然じゃないけど
そんな抵抗ないみたいな
話をチラッとしてた
ことがあったりしたと思うんですよね
そういう風にして
ちょっと俺個人的に
なんか著作権なみたいな
なんていうか
もやもや考えてたところがあったんですけど
この本のおかげで
バッチリきました
そういうことかっていうのがきました
ちょっと
この本のおかげで
ちょっと
この本に書いてあった内容から
引用しつつちょっとお話ししていくんですけど
まず著作権で
一般的に言ってるんですけど
いわゆる
著作権の哲学
著作権と著作者人格権
っていうのがまずありますよね
っていうヒビさんこのあたりってご存知ですか
ある程度わかるな
これざっくりいくと
著作権っていうのは
自分の著作物の権利
要は簡単に言うと
例えどこれでお金稼ぐ権利
著作者人格権っていうのは
これは俺が作ったんです
って言っていいとか
俺が作ったやつ
そういう使われ方してほしくないです
っていうやつとか
自分が作った
作品を元に
例えばネガティブなことをされたりとかしたら
こっちの人格まで
傷ついちゃうじゃんみたいな
いうことですね
そういう権利として二つに以上分かれて
いるんですけど
この
太谷拓司先生の情報倫理って本の中で
言われてたのが
めっちゃ面白くて
まず二つありますよね
著作権と著作者人格権がありますと
その中で著作者人格権
っていうのは哲学的
倫理学的に
基づいた
自然権として
考えていいもの
だろうと
人権レベルの問題
っていうことですね
自然権っていうのは確か
どこの文化権にも
共通して
自然に人間社会が生まれれば
自然に出てくるって思われてるやつで
人殺しちゃいけないとか
盗んじゃいけないとか
そういうことをされない権利は
最低限あるよねみたいな
考え方なんですけど
著作者人格権っていうのは
著作権の起源
どっちかっていうとそっちに近いと
著作権
これを使ってお金を稼いでいいですよ
っていう権利は
そういう人権的なものではなく
ある一定の目的を
満たすために
作られたものだと考えられると
歴史的に見たときに
こちらの営利目的の
著作権っていう権利の方は
確かイギリスだったかな
出版っていうのが
出始めたときに
王室
政府ですね
王室からの
なんていうんですかね
検閲を受けるっていう前提と
プロパガンダを手伝う
っていう見返りのもと
あんたのとこの出版社保護してやりますぜと
この契約が
著作権の原点らしいんですよ
っていうことらしくて
だいぶ見え方変わるじゃないですか
利益をもたらすための契約だった
そういうことです
ある程度こっちの言うこと聞くんやったら
保護してあげるよと利益を
確保してあげるよとその代わり
バーターでやらなきゃいけないことがあったわけですよ
検閲を手伝うとかそういった部分があったと
そこから派生してきたものなんだと
確か
著作権の目的と法律
著作権とか
そういう著作物にまつわるような
国際条約が一応ありますよと
その中でどうなってるかっていうと
いわゆる著作権ですね
人格権じゃなくて著作権の方は
人類の文化の
発展のために
金銭的インセンティブを
与えます
っていうことらしいんですよね
頑張って作った人が得するようにしてないと
みんな作んないじゃん
みんな作ったりとかしたら
人類の文化発展すんじゃん
だから
作った人にはメリットがあるような
状態にしとこうね
ってこういうことらしいんですよね
これはもう各国の条文の中にも入ってて
日本でもそうなっていると
そうなってきた時に
著作権の目的っていうのは
作った人が儲かるようにすることではないと
社会が良くなること
が大前提であって
そのために
一部利益を保護しましょう
っていう風になっております
著作権の適応範囲と例外
つまり
上位概念が社会のための方なので
一部の人の利益を制限してでも
社会的にメリットがあるだろうと思われたら
著作権の適応外
って考えるのが普通だろう
っていうことになる
なので
例えば
俺がCD買ってくるとするじゃないですか
樋口さんこのCD聴いてくださいよ
めっちゃかっこいいですこのバンド
樋口さん聴いたとするじゃないですか
めっちゃいいねってなって
樋口さんと一緒にライブに行ったとするじゃないですか
そしたらこれ著作権的には
かなりクリアなんですよ
社会が良くなっているから
そうです
文化芸術活動が促進されてるじゃないですか
なので
ただ今
世の中で言っている一般的な
ラインっていうのは
金払ってないやつ聞くな
のラインじゃないですか
これって
元々著作権で
定義された
法律の目的に合ってる
みたいな
考え方が世の中
あるんだと
営利でやってる人たち側からすると
それを武器に振りかざしてやってて
正直こういう
情報倫理学者とか法学者からすると
いやいや著作権
行き過ぎですぜっていう世界観らしいんですよ
へえ
行き過ぎですぜの世界観なんやね
はい
それ逆に制限してないっていう
ラインまで行ってると
見てる人が多いらしいです
業界側は
それを使って
やってくるっていうことなんですけど
っていうのがあって
まずこのお話が
情報倫理っていう書籍に書いて
ありましたよとさらにこっからなんですけど
いわゆるインターネットの
発覚思想の中に
その似たようなものがあるんですよ
例えば
北欧にコピミズム伝道教会
っていう宗教法人があります
コントロールCVね
そうそう
コピーして貼り付ける
神聖な行いだと考えましょう
情報を複製する
神の力を今人間は手に入れたのに
これを抑制するなんてこと
あってはならないっていう考え方
つまり
イコール著作権否定
ではないんですけど
それ鋭利のために
それを止めるなっていう考え方なんですよね
で北欧の方では
それを元にした政党も出来上がったりしてるみたいで
海賊版の何が悪いねん
っていう考え方の政党
海賊党っていうらしいんですけど
へえ
本当にいるみたいです
スウェーデンやったかな
ノルウェーやったかな
あの辺で実際にあるらしいんですけど
みたいのがあって
これも
どこまで本当かわかんないんですけど
ウィニー
映画出てて
ちょっとまだ俺見てないんですけど
話題になってる
P2Pファイル共有ソフトの
話題になってるんですけど
あれはつまり
個人同士で
自分が持ってるデータを交換し合う
推奨したソフト
そうね不特定多数の人と貸し借りができる
貸し借りじゃないかコピーができる
そうですね
さっき言ったみたいに俺がCD買ってきて
自分のパソコンに取り込んで
誰かにあげちゃうとか全然知らない誰かに
あげちゃうっていうことも容易にできちゃう
ソフトを作ったんだと
これですね
日本の国内では結構
揉めてて
要は
ウィニーを作った金子さんっていう人がいるんですけど
この人が有罪なのか無罪なのか
すごい揉めてるところがあって
これの論点ってですね
ウィニーは法律を破れる
ソフトだったと
それ作った人に
罪あんのか
っていうのが論点に
著作権に関する論争
包丁説ね
そうそうそうそう
包丁を作った人が悪いわけじゃないでしょう
でもそれは
悪意を持って作ったんであれば
そうだよねみたいな
ずっと精査されてて
その
どうですかね
俺が見聞きする文脈では結構
優秀なソフトウェア開発者を
ちょっと悪い使い方されたからって
5人逮捕というか
強制逮捕しちゃってやりすぎでしょうみたいな
そういうことするから
日本のIT進まねえんだみたいな
考え方で語られていることが
多いと思うんですけど
どうもこの
ウィニー開発者の金子さんは
ウィニー開発している段階で
ニチャンの掲示板とかに
その
著作権という考え方に
一石投じてやるみたいなことを
どうも書き込んでたらしいんですよね
つまり
コピミズム教や
そうですそういうことです
なんていうんですかね
インターネットの世界に
そこの垣根はいらんでしょう
って思っている
人がやっぱいる
っていうことなんですよね
ちなみに
若干俺もそっち近いです
要は
ワールドワイドウェブに
一回掲載したやつがどうなるかとか
ガタガタ言うなやって俺思っちゃうんですよね
だって公開情報じゃん
前提としてっていうのが
思うんで
それは少しインターネットの
考え方として古いんでしょうけど
そういう
発観失望の一部の部類が
いるんですよね
それが
何言ってんだろうって
思ってたんですけど
この本を読むことによってなるほどねと
そういうことをあの人たち言ってたのか
っていうのがしっくりきた
っていうお話なんですよ
今回
これ
でもさ
社会を良くするために著作権を守らなきゃいけない
っていうのはめちゃめちゃ納得やん
でコピーが蔓延すると
発明するインセンティブが
なくなるっていうのは確かにそうやん
そこに関しては答えを出している
その
人は
みんながんばって作曲するより
パクったがいいやんってなるやん
新しいものが生まれにくい
みたいなのは構造的に生まれてしまう
それに関しては
どう捉えているの
それが
ちゃんとやっぱ学者さんたちが
曲線でグラフにして
出してるんですよね
これぐらいの強度だと
逆に萎縮効果が生まれるとか
それで言って
適切じゃないって考えてる人が結構いる
っていう なるほどね
面白いわだから程度の問題なわけや
01じゃなくて
だから完全にパクりオッケーでも
成長は止まるし
完全に
ダメでも成長止まって
適切なラインがあるわけや
なるほどそれよりも
厳しめになっているっていうのが集中になったわけで
これはめちゃめちゃしっくりくるわ
どうしても我々は
ありかなしかの議論をしちゃうね
なるほど
なんでまあ
ガイドラインというかどの辺に
基準値を持ってくるかを少し
改めるべきなんじゃないかみたいな
大谷先生が
そこまで言ってるかっていうかそういう風に
考えてる人も結構いますよ
っていう話なんですけど
なるほど
分かった分かったあとやっぱり
人格権と
著作人格権と著作権も
分けて考えてなかったね
そうそうね
だから
俺の曲全然使っていいよ
ちゃんと使ってくれれば
っていうことはあると思うんよね
それはだから
人格権は守りたいけど権利は
渡すよってこと?著作権は渡すよってこと?
そうそうそう
ちょうどこの間
ネットでハイジが
権利切れちゃうよねアルプスの少女
ハイジが権利切れてさ
へえ
ええとね
いつやったっけ切れたのが
それで18禁の
もう人
殺しまくるやつを
マットハイジっていう名前で
作ってちょっと話題になっちゃったんだけど
これはだから
人格権を侵害しちゃうよねたぶん
そうですね人格権を侵害しちゃう
怒りのハイジがアルプスで
大暴れこの映画
18禁ですみたいな
教えておじいさん復讐の
仕方を
そうですね
それは人格権の方たぶんちょっと問題があると思うんですけど
ペーターが殺されてそれで
復讐するみたいな
やつなんやけど
だから
それからすると同じで
著作権という言葉でくくっているから
著作権切れしているから
何やってもいいやろっていう発想でたぶんこれ作っちゃう
だから
例えばだけど人格権は永久に守られて
著作権と死後の権利
著作権は
期限があるみたいなことすればいい
ちょっと
マシになるのか
死んだ人に
あれは
これ作っていいですか
って聞けんもんな
となるとどうなるんやろな
って問題はあるな
どうだったかなちょっとごめんなさいそこ
俺もあんまり覚えてないんですけど
なんかそういう話題もありました
もう著作者が
人格権と著作権
亡くなってしまったとか例えば民謡とか
ああいうのはそもそも
著者不明みたいな作品をどう
取り扱っていくかみたいなのを
情報倫理の分野としては
やっぱ考えなきゃいけない分野っていう
なんかね
詳しくは忘れてたんやけどそれこそ
前回出てきた池田
音楽プロデューサーの池田っていうのは
広告音楽のプロデューサーやけさ
権利めちゃくちゃ詳しいわけよ
一回レクチャーしてもらったんやけど
現番権とかも死んだら何年で
とかがあるからだから法人に
持っていくらしいね権利を
法人は寿命がないから
だから
その
そういうのあるしよ
だから
著作権の基礎知識
どうなのね
多分ドラえもんとかも
家族にあるんかな
フジコプロにあるんかな
確かなんか権利が
もう無くなったってさ
だからドラえもんの何か使いたいときは
家族か何かに許可がいるんだね
だからそうやって
人間
に持たせるのか
人間以外の
法人とか何かしらの
引き継がれた
何かに持たせるのかみたいなのも
あるやろしね
権利めっちゃむずいよね
その著作
人格権の侵害っていうのが
何が侵害なのかってめちゃめちゃ
主観的な話になるので
著作権やったらさ
ここで使ったらいくらみたいな感じで
パシッと分かるけど
これは侵害している
これは侵害してないってめちゃめちゃ
主観やん
これどうやって
判断するかみたいな問題もあるよね
主観のものを
これも面白くて
要はこの本の中で言われてたことなんですけど
著作権っていうのは
そういうふうに
あくまでみんなのためにあるので
どの程度
縛るかとか現実どういう
運用するかっていう問題が
出てくると
例えばアメリカではフェアユース
っていうのがあるらしいんですよ
フェアユースの考え方みたいなのが基本であって
どういうことかっていうと
例えばこの
本を授業で使いましょう
したときに
社会のために使ってるんだからいいっこなしね
みたいな
考え方があるらしいんですよ
フェアユースって言って
みんなのために使うんだったら
それもいいっこなしだぜみたいなのがあると
日本の場合は
侵含罪になってますよね
っていうやつがあって
侵含したら罪になる
そうですそうです
侵含してない状態だと問題ないけど
それやめてくれって言われたらやめなきゃいけない
っていうふうになってますよねと
結局そういうのがあるから
二次捜索もできるし
言っても個人間での
そういうやり取りぐらいは
グレーゾーンとして許容されている
そのグレーゾーンをうまく活用して
日本国内の
どこに権利があってとか
どの程度使ってよくてみたいのは
なんとなく運用されている状態
著作権の文化圏による違い
面白いこれだから空気感でやるやんや
っていうことらしいですね
であんまやろうと思ったら
訴えるみたいな
それしかないのか
それしかないよね
だって人によってバンバン使ってほしい
っていう人もいれば一切使わない
っていう人もいる
これっち人によるもんね
やったら人が決めるしかないってことか
で人が何に対して不愉快と思って
何に対して許容するかっていうのは
監修とか文化によって決まるもんだ
結構俺は
ここの考え方広くていいんじゃないかなって
思ってて
基本的には人の著作権を
使っちゃダメっていうのは
道徳的観念として
ギュッと強めにある
気がしてるんですけど
俺はITリテラシーとしては
ダメじゃなければ大丈夫
っていう考え方は全然
持ってた方がいいところなんですよね
それで自分の枠とか文化の
枠を狭くしてしまうよりは
ダメだったら言ってくるっしょ
ぐらいの考え方も
なしじゃないというか
日本の現在の法律ではそうなってるってことなんで
俺はプロとしてやり寄った時に困るのは
じゃあテレビCMで
一応ルール上
申告されたら罪になる
ような使い方をすると
アウトなわけよ
だから明文化されたルール
によってやっぱり
プロは困る
なるほど
だってじゃあ俺が
資生堂のCM作って
って言われた時にさ
まぁメシチュラの曲使っても
言われんかったらいいっしょ
メシチュラやったら言ってこんっしょ
するとするやん
これはアウトやん
だからなんかね
明文化されないとそうなるんよね
空気だけではなんとも言えないというか
だから
まぁでも
プロはしょうがないんかな
プロはしょうがないのかも
そうっすね
いや俺だからそれ
レゲエとまたね
レゲエの世界と
ポップスやロックの世界だったら全然違う
って
レゲエの世界やったら
使い放題だよね
もう人のトラックどんだけ
使ってもいいしなんやったら
俺が作ったトラックに
リリック載せてくれたんやろありがとうみたいな
あれよかったよみたいな感じらしい
シェアするしバンバンみたいな
そういう文化圏
そういう文化圏
プロとしての著作権の扱い
で一回俺はやっぱそのレゲエの
人とお仕事した時に
権利の話は捨てざるを得んやん
こっち仕事として作ったわけやん
でレゲエのトラック作ったんやけど
権利の話したら
え?みたいな
まあそうなりますよね
いやこれ使うときちゃんと言ってもらわないと
これ発生するんでとかいう話を
ちょっとしたらさえ?
みたいな感じなわけやん
リリムなのにっていう話ですよね
リリム中やねリリムなのに
え?
普通ないっすよそんなの
レゲエは絶対そうでしょうね
普通っていうか一応僕ら仕事でやってるときは
こういう契約でやってもらってるんで
え?契約?え?みたいな
結局もう馬が合わんで
まあじゃあ今回いいですって
知らなかったんでこっちも確認しとくべきでした
って思ったんだけど
だからこれ同じ日本の中でも
ジャンルとか文化圏によって
全然権利っていう考え方
違うなと目の当たりにしたんやけど
そうっすね
ちょっともうちょっと掘り下げていきたいんですけど
えっとすね
俺は
著作権の考え方
例えばレゲエだったりヒップホップだったり好きなんで
若干そっちに考え方が寄っちゃってる
部分もありながらなんですけど
やっぱり
お金に買えることを前提にしすぎてんな
ってその
目線から見ちゃうんですよね
っていうのも
この情報倫理の
書籍にすげえいいこと書いてあったんですけど
例えば
著作権っていうのは
まず
頑張ったかどうかは関係ない
っていうのがあって
著作権が
付与される瞬間っていうのは
私がこれを作品だと解釈して
世の中に出す瞬間
に付与されるんだと
著作物と創造性
例えばその辺の
落ち葉ポンと拾ってきてこれは芸術です
って言ってもいいわけじゃないですか
なんで
あんたが頑張ったかどうかに
金がついてきているんじゃありません
っていうのが著作権のまず考え方
として前提としてある
っていうことなんですよね
あともう一個あったのがこれ面白いな
と思ったのが
なんやったかな
日本の話でいくと
数式が
解けたら
神社に奉納するみたいな時代があったらしい
あったね数学を神に奉納する
みたいな
例えばそういうところから見られる
根本的な考え方をひも解く
みたいな話があったんですけど
例えば俺が曲
作ったりとか何らかしら
数式を書いたりとか
何かしら著作物みたいなのを作る時に
お前自分一人で作った
わけじゃないやん
お前何か本読んだよね
とか参考になる曲
聞いて育ったよねとかギター誰から
教わったんみたいな話があって
お前の中に頭の中に
ある情報空間
とか創造性って
あなた個人のものじゃなくて
社会のものですよっていう前提がそもそも
あるらしいんですよ
だから
あなたが作り出したもの
情報自体が
あなたのものっていう話じゃなくて
これを切り出すって
切り出して作品にしますって
言った行為に対して
権利とビジネス
権利がついてくるんだみたいな
話なんですよね
それでいくと
確かに
俺は今まで
頑張ったからそれに対する権利がついてくる
みたいなイメージで
捉えてたところが多かったな
って個人的に思ってたんですよね
確かにそう思うと
それをビジネスにするかどうか
っていうのは
ビジネスサイドの能力であって
クリエイターとしての能力と
そこを一緒くたにしすぎなのでは
みたいなところですかね
作った作れた
だからそれをお金に変えるっていうのは
別のフェーズの話というか
っていう風に考えれば
ちょっと今
クリエイター業界というか
著作物の
業界の
考え方はその目線で
見てみると少し変わってくるのかもな
っていう感覚を得たんですよね
この本を読んでみて
俺でも何とも言えんのよね
俺はやっぱり
飯を食い寄った時さ
権利で
広告音楽業界一
要は権利だよね
あれ
実は曲を売るんじゃなくて権利を売るよ
広告音楽で使われてる時も
渡してないんよね権利を
オフィス
樋口というものが曲の権利を持っていて
半年間貸します
だいたい
権利ごと渡す時って
3倍ぐらい金かかる
例えば50万で作ったんやったら
だいたい150万ぐらい
取るんよね
でもだいたいみんなそんなことせんき50万で借りるんやけど
だから基本的に権利値残るわけよ
となると
権利ビジネスだよね
なんかね
その感覚
で捉えると
なんかこれが
崩壊するっていうのも
なんかね
なんやろな
むずい
なんかどう言ったらいいんやろ
もうちょっと
ピンとくる例のほうがいいんかな
例えばじゃあ
とても無名な
えーじゃあ
作家でいいや
がいましたと
でものすごい良い小説書くけど全然認められんと
だったらめちゃくちゃ有名やけど
そんなに才能がない
人が見せてやる
君良い才能あるね
頑張るよっつって
半年後にその有名な人が
ほぼ丸々同じ文章で
出したっつるやん
これ爆発したっつるやん
これを良しと捉えるかどうかみたいな
これは良し?
でも
俺個人的には
俺個人はですね
良しと捉えちゃうんですね
その
アイデアと
それをビジネスにする才能は別というか
なんですかな
例えば
この本を読む前の
俺の感覚としたら
いい曲作ったらそれ相応のお金もらって
当然でしょって
思ってたんですよね
今俺思うのは確かに
良い曲バーン作るのと
それをお金に変えるっていうのは
全然別の話やな
って感じがするんで
小判的な良しはじゃあ
この人かわいそうじゃない?
前者の人
この人はめっちゃ腹立ったっつるやん
なんで俺のパクられて
俺に1円も入らんのか
今の著作権の法律じゃ
なるやん
結構俺は
かわいそうと思っちゃうよねこの人
もちろん俺もかわいそうと思うんですけど
それを良しと
するっていうか
なんて言ったらいいんかな
その人も書いた
わけじゃないですか
どっちかっていうと著作者人格権
の方にこだわるべきというか
あれ元ネタ俺なんだってみたいな
パクられたんじゃんの方は
こだわるべきで
俺に金入ってこねぇじゃんは有筋やいない
みたいな感覚ですかね
でもなんかそれってさ
どう言ったらいいんやろ
この人は金を稼ぎたくてやりよったっつるやん
やったら
著作権とビジネスの関係
めちゃくちゃかわいそうやなみたいな感じだよね
どう言ったらいいんやろ
そうっすねそこなんですけど
そこなんですけど
それを稼ぐか稼がないかは
その人次第じゃないですか
例えばですね
同人誌とか趣味で作って
やってる人いるじゃないですか
売れるっていうのはある種ご褒美
として必要なのかもしれないですけど
インセンティブですよね
それで生活しようって思って
やってるっていうか生活できたにももちろんするんでしょうけど
なんていうか
頑張るための餌
ぐらいの感じで
メインはそこじゃないと思うんですよ
同人誌を作りたい
っていうところの方が
大きいと思うんですよね
もともとそれでお金を稼ぎたい
って思って
そういう構想
なんであれば
そこまでをビジネスプランに組み込む必要がある
物作りの才能はあったけど
詳細なかったよねって話になっちゃう
逆のパターンは全然
あり得ると思うんで
物作りの才能はなかったけど
詳細はあったんで
何かしらで売れましたってことは全然あると思うんですよね
それとある意味表裏一体というか
いいもん作ったから
それは正当に評価されて欲しいですけど
正当に評価されるためには
ビジネスの才能がいる
っていう感覚ですかね
ビジネスの才能がなかったからしょうがないという感覚
極端に言うと
何やろうな
ビジネスの才能だけじゃなくない
有名度の違いとか
止めるものがもっと富むみたいな感じになる
有名度で言うと
Twitterのフォロワーが50人の人間と
10万人の人間がおったとするやん
10万人の人間がその本出したら
もっと増えるわな
そういう感覚なんよね
手に入れ方がされないと
そうですね
もちろん今の話で言って俺もかわいそうだと思うし
そうじゃない方がいいと思ってるんですけど
今考え方を変えてみた俺にとっては
全然見え方が違うっていう感じで
そんなこと言ったらそんな人いくらでもいるっしょ
っていう話で
例えば
何かしら
さっきの人みたいに
何かを作れましたと
もっと有名な人がそれを取り上げました
その人のものになっちゃいました
っていう時に
元の人は自分の作品で世の中を変えられたかどうか
ですよね
という評価軸で見ると
変えられちゃうよね
そうですね
元々影響力がないわけだから
影響力のある人の力を借りて
作品が世に出た状態
なわけじゃないですか
さっき言ってたビジネスの詳細みたいなものと
少し似てると
もちろんモテるものが
より強くなっちゃうよね
っていうのはでも資本主義社会はそう
なので今の社会設計でいくとそれはそう
なんですよね
なんていうか
ちょっといいものを作れたら
評価されねばならないみたいな
とか頑張ったやつ評価されなきゃいけない
みたいな固定観念
ありきでいくとそうなるんだけど
そこをさっぴくと
そうでもねえなって結構
なってくるっていう感じですかね
ちょっと待って
もう一回整理すると
作った人は金が欲しくて作っちゃう
社会的インパクトを別に
出したいと思ってなくて
これで俺はプロになってバイト辞めたい
と思って作る
今バイトしながら小説を書きようとして
そう
なのに
自分が
だからこの人は
社会的影響力を別に求めてないわけ
社会的影響力でいうとそれは
バーンと出ちゃうだから
同人誌の話は多分ちょっと違う
同人誌はもう好きで趣味で
なんていうかな
これが面白くなったらいい
そもそも目的で作っておき
別に権利とか
しかないけど
営利目的でやる人にとっては
結構きついんじゃないかな
っていうのはあるわけだよね
そうですよね
それは確かにそうなんですけど
それはもう産業保護するって話
になってきません
そうやね
そうかも
っていう感じに俺は捉えちゃってる
なるほどね
だって
その人がこれで金を稼ぎたいんだ
って言ったことが保護されるべきではない
まあそうかそうか
仮に俺が
アイティンズラボで今これで金を
稼ぎたいんだってめちゃくちゃいい教室
作ったはずなのに売れない
そんなこといくらでもある
それはそうだ
なるほどね
それを守られるのが
著作権法で
なくてもいいってことか
そうそうそうそういうことです
クリエイターの生活と評価
そういうことか
法律
著作権じゃなくて
俺らの例えばアイティンズラボの話でいくと
特許なのか商標権なのか
そういったものあると思うんですけど
ビジネスのスキームとか
パクったって
全然問題ないし
ロゴも似せようが被せようが
俺らのやってる業務内容とかを
可能な範囲で収集してパクって
同じもの作っても
普通のことじゃないですか
だから
クリエイターの会話以外で普通に
起こってる
っていうのを見ると
権利の過保護について
何かちょっと過剰じゃないっていう
感覚になるってことか
めちゃくちゃ分かったわ
もっと言うと多分権利とか
あごめん法律か
法律によって
守られすぎ
もしそこでお金にしたいんやったら
何かこう
寄付集めるなり
そういったんやろな
これを作ったのは実は俺だ
著作権の解釈と問題点
それで影響力集めてなんかするなり
みたいな
法律じゃない
何かでやる方法を
探さないといけない
強く生き残るために
弱肉強食は
どこでも一緒なんですよ
めちゃくちゃ分かった
どっちかっていうと
この情報倫理の本の
後もちょっとその辺の
話を俺なりに調べてみて
要はもともと
そういう目的で作られてて条文にも
著作権ってそういう風に
世界的に解釈されてるんだけれども
要は
著作権で
鋭利を作りたい
業界が
拡大解釈して押し切ってる状態
みたいな
なるほどな
感じっぽいです
それでまとまったわ俺の中で
それでまとまった
だから
利用できるんやね
元々社会を良くしようと思ったものが
逆に
利用して
みたいな状態になっちゃう
なるほど
で一般に
その感覚が降りてきてる
本当の法学者の人とか
小泉理学者の人は
ちょっと違うんやけどな
って思ってるけど
ちょっと声が小さいみたいな
状態っぽいですね
これ
難しいね 難しいですね
だって既得権益があるもんね
そこに
でまたなんかこう
難しいのが
日本自体が多分
コンテンツだなんやら言って
でなんか
IPだIPだみたいな
キャラの権利でみたいな
ところで押し進めよう
のとパッティングするよね
そうですね
そうだと思いますね
むしろだから権利をめちゃくちゃ守って
この日本のキャラクターだったり
作品の権利みたいなものを
使って国力を
上げていこうとしよった
一時期
強く掲げた時期があって
そっから今も続くわけやん
でもこれ例えばじゃあ
言うたら
中国でドラえもん
売っていいですよってことや
それ日本に1円も入ってきませんですよ
ってなるってことやねこれ
まあまあ考え方によっては
突き詰めたら
これ国のあれとパッティングするもんな
利益と そうですね
これむずいね
むずいっすよね
多分
俺は少し考えたんですけど
俺今曲作ったりとか
してるんですけど
金とか全然ならなくていいんですよ
作ってることが好きだし
聴いてくれる人が喜んでくれたら
いいなって思ったりしてる
程度なんですね趣味なんで
っていう人と
ビジネスベースで
そういうクリエイティブを
回したい人は
基本
別だって思った方が
いいなって思って
ビジネスベースで回したい人は
ビジネスベースで回す
能力
別行いるのは当たり前やな
みたいな感じですかね
さっきのドラえもんの件に関しても
それをやるって言ってんだったら
それをビジネスベースで回していく
アイディアと
あくまで
そのとき著作権がどうなっているか
っていうのは
あくまでゲームの縛りじゃないですか
その縛りどう使うんだっていう中から
ビジネスやんなきゃいけないっていう
話なんだろうなと
だからもう
NFTとかも必然な流れやなと思った
要はもう
コピーするのを止めることはできないんやから
じゃあコピーされた前提で
権利をどう捉えるか
の中で所有権
をユニークに
するっていうか
コピーはされてもいいけど
所有するっていう概念をもう一個作り出して
そうっすね
今までコピーデータも
所有できたら所有やったんやけど
コピーデータはコピーデータなのに
本物はこれだっていう風にすることによって
コピーがある前提の世界の中で
権利というものをもう一個
獲得したっていうのがNFTと
思うじゃんけど
だから
そうね
それを前提で考えるみたいなことになるな
コピーされることを前提で
そうですね
ウェブ公開と著作権意識の相克
俺的には
ウェブに載せるんなら
俺は思っちゃうんすよ
ウェブってこういうもんでしょ
みたいな感覚が強いから
多分古き良きハッカーの中に
そういう派閥が
いるっていうことなんですよね
ウェブに公開したんだから
共有財産でしょ全員の
何コピーすんなとか言っちゃってんの
みたいな
だいたい著作権ってそういう意味じゃねえじゃん
って思っている一部のキレキレハッカーたちが
結構
思想の派閥としてあるっていう
面白いねウェブの始まりがそっちやん
おそらく
多分日本の
工業とかの
発展は
技術を高めて
それを売っていく
っていうので
多分日本の産業一市あったと思う
そこで言うと技術は
盗まれてはならないやん
技術は盗まれてはならない
とか
ある種囲い込むみたいなところ
ウェブの始まりが別のところやん
でも今それが同じ世界で
使われているから
インターネットの中で
なんかこれは
それは感覚
分かれるわなと思った
著作権バランスの追求
難しいね
なるほど
難しいですよね
まあ両方の視点から
見れないけどね完全に
廃止しろっていう話じゃなくて
適正なバランスって
もうちょいあるくないですか
って言ってる人が結構いるっていう話
ですよね
かなり前に戻るけど
適切なバランスが
曲線であるっていうのが面白いなと思った
ありなしじゃなくて
もうちょいこっちみたいな
ファジーな
ところに多分
どうやって何を計算したのか
わかんないですけど
考え方してるグラフみたいの
実際見たことあって
今はここですみたいな
もうちょいこっちにずらして制限緩めたら
文化の発展もうちょっと広がると
考えられるんですけど
どうですかねみたいな
発言をしてるあれとかがあって
ちゃんとそのグラフ
書けるんやみたいな
それが一番面白かったな
なるほど
そんなお話でございました
教えてこば先生コーナーで持ってきました
情報倫理
情報倫理ですね
これも
もっとね
前8章くらいある中の
第5章の部分だけピックアップして
話したんでこれ自体もっと
情報量のあるいい書籍なので
気が向いたらぜひ皆さん読んでみてください
あと太谷先生ありがとうございました
今回はここまでということに
させていただきます
ありがとうございました
46:20

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