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♯01「イラッとした時こそチャンス?親子関係を変える“NVC”という考え方|
2026-04-22 16:12

♯01「イラッとした時こそチャンス?親子関係を変える“NVC”という考え方|

家庭の中の“ちょっとしたイライラ”が、実は大切なヒントかもしれません。

今回のゲストは、NVC(非暴力コミュニケーション)認定トレーナー・中村真紀さん。
「イラッとする」「わかってもらえない」——そんな日常の感情の奥にある“本当のニーズ”に光を当てていきます。

✔ なぜ人は無意識に傷つけ合ってしまうのか
✔ 子どもへのイライラの正体とは?
✔ 相手と自分、両方を大切にするコミュニケーションとは

公園での親子のやり取りを例に、「自由を大切にしたい気持ち」と「安全や社会性を守りたい気持ち」が、実はどちらも“愛”から生まれていることを紐解きます。

NVCは「正しさを押し付ける技術」ではなく、
“お互いの願い(ニーズ)を大切にするための視点”。

子育て中の方はもちろん、人間関係に悩むすべての方へ。
1日の終わりに、自分を責める代わりに“自分を理解する”ヒントをお届けします。

コーヒー片手に、ゆったりとお楽しみください。

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サマリー

今回の「大人の学校」第1回では、NVC(非暴力コミュニケーション)認定トレーナーの中村真紀さんをゲストに迎え、日常の「イラッ」とした感情の奥にある「ニーズ」に焦点を当てたコミュニケーションについて解説しました。NVCは、相手を傷つけず、自分も大切にするための思いやりのあるコミュニケーション手法であり、ガンジーのアヒンサの概念にも近いと説明されました。 番組では、公園で子供が滑り台を逆から登ろうとするのを親が止める場面を例に、子供の「自由」や「好奇心」を大切にしたいというニーズと、親の「安全」や「社会性」を守りたいというニーズが対立するように見えても、実はどちらも子供の健やかな成長を願う「愛」から生まれていることを紐解きました。イラッとしたり、悲しくなったりする感情の背景には、必ず満たしたい「ニーズ」が存在すると考えます。 NVCの第一歩は、相手を非難するのではなく、まず自分の感情やニーズに共感すること。そして、相手の行動の背景にあるニーズを理解しようと努めることで、お互いのニーズを満たすための建設的な対話が可能になると語られました。この考え方は、親子関係だけでなく、あらゆる人間関係に応用できるヒントとなります。

「大人の学校」とNVCの紹介
Blue Seedsのトミーがお届けする家庭の明日を耕すポッドキャスト。毎回、専門的な知見を持つ多彩なゲストを迎えし、その豊かな知恵の種を家庭という日常の土壌に一粒ずつ撒いていく番組です。
専門家の話は、どこか遠い世界のこと、そう感じてしまいがちな知識を日々の暮らしに馴染む形でお届けします。
ここで交わされる言葉たちが、日々の暮らしに新しい視点をもたらし、子どもとの関係性や心地よい自分の在り方を、より豊かなものへと整えていくきっかけになれば幸いです。お気に入りのコーヒーを片手に、どうぞゆったりとお楽しみください。
さあ始まりました。大人の学校第1回目です。記念すべき最初のゲストは、NVC認定トレーナー。いろいろやってあるんですけど、NVC認定トレーナーの中村真紀さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
こちらこそ光栄です。1回目に呼んでいただいて。
ありがとうございます。早速なんですけど、NVC認定トレーナーってことで、NVCっていうのは一般の方に聞き慣れないと思うんですけど、早速NVCって何なんですか?
すいません。なんかちょっと輸入語っていうか英語の略で、NonviolentCommunicationっていう、ノンバイオレントで一語で、それが非暴力、非暴力コミュニケーションっていうものなんですけど、それだけ聞いてもわかんないですよね。
そうですね。普段そんな殴り合いの会話してないかなと思うんですけど、非暴力コミュニケーション。
っていうのは、反暴力ではないんですね。だから暴力がダメっていう話でもなくて、人と人とがコミュニケーション。暴力って言うと、もしかして身体的な暴力を思い浮かべるかもしれないけど、でも人の言葉で傷ついたって感じたりとか、なんかちょっと暴力的な言葉だったなって思うことってないですか?
あります。多々あるかもしれないです。
それがダメってことじゃないんだけど、人と人、結構価値観も違う、いろんな人たちが日々いろんなコミュニケーションしてるんですけど、その中でお互いを大切にできたり、お互いに愛を持ったコミュニケーションができたらいいよねっていうような考えが、これ今のは私の言葉ですけど、そんな感じのイメージ。思いやりのあるコミュニケーションとか、そんなイメージなんですけど。
それがNVCっていう。
そうです。
NVCの概念と日常のコミュニケーション
そしたら、気づかないうちに、僕が傷ついたり、傷つけてしまったって思うってことは、気づかないうちに、僕はバイオレンスコミュニケーションしてるとも言えるってことですかね。
もしくは、自分のすごく大切なものがあふれてて、そういう言い方をしたっていうことってあるじゃないですか。
それをお互い理解し合えたらいいねみたいな。
じゃあ、出す方の感じ方と受け取る方の感じ方と両方あるっていう感じですね。
そうです。関係性の中のコミュニケーションだから、自分がどうなのかっていうのもあるし、自分の言ったことが相手にとってどうなのかっていうのもあるし、相手から受け取った言葉をまた自分がどう受け止めるかっていうのもあるし、でも相手がそういうふうに言った奥には何があるのかっていうのに思いを馳せるのもあるみたいな。
じゃあ、こう言われて傷ついたと思うけど、その人の奥には僕のことを思ってくれてるんだを本当のところを理解できればいいねっていう。
これも家庭の明日を耕しますね。
ただ、いつも理解しなきゃいけないじゃないんですよ。
そんなすぐに言われてうって思った時に、その時にすぐ、この人何を大事にしてるんだろうとも人間は思えないし。
そうですよね。
そうそう。だから、なんとかしなきゃいけないっていう考え方そのものが結構鍵になるっていうか、みんな思っちゃってるんだけど、そこを越えていけたらいいねみたいな。そんな感じの。
なかなか難しいんですよね。矛盾することを言ってるので、こうじゃないといいよねって言いつつ、じゃあこうじゃなきゃダメなの?ではないですよみたいな。
簡単そうで奥が深いんだけど、それを一緒に楽しんで探求しませんか?みたいな。
概念自体が優しいですね。
そうなの?わかりました。嬉しい。
いやいやいや。優しい感じがしました。
なんか、ガンジーっているじゃないですか。
はい。
インドの。あの人とか、あとインド哲学の奥にあるアヒンサっていう考え方がある。
それとなんかすごく近いというか、NVCっていうのはマーシャル・ローゼンバーグっていうユダヤ系のアメリカ人の人が体系化したものなんですけど、
いろんな宗教とか、いろんな思想家の影響を受けて体系化してるんですけど、そのガンジーの影響もすごく受けているので、アヒンサっていう概念にもすごく近くて、
私も別にアヒンサの専門家じゃないんだけど、なんかアヒンサって存在としてもう傷つけたくないと思うような空気感を自分がまとってるみたいな意味もあるっていうふうに聞いたことがあって、
だからなんか暴力しないでよじゃなくて、自分がもうこの人には暴力もしたくないよねって思うような存在になるみたいな意味もあるのかなって。
でもそうじゃなきゃダメっていう話ではないです。
日常にじゃあそういうのがいっぱい隠れてるってことですよね。
例えばとかあるんですか?
公園での親子と「イラッ」の正体
例えばじゃあトミーが最近お子さん、誰でもあると思うんだけど親だったらイラっとしたとかムカついたことってないですか?
僕が子供にイラっとした。
しないのかトミー。
結構しないんですよね。
じゃあしてる親を見たでもいいや。
してる親を見たらもうたまんないんです僕。
じゃあそれでもいいや。
公園とかもたまんないんですよ。
何がたまんないの?
どんなところ見たんですか?
子供が、例えば滑り台を反対側から登ろうとしてて、
これ世間的にいい悪いはちょっとわかんないとして、
小さい子供が滑り台を下から上に登ろうとしたときに、そうじゃないって親がすぐ犠牲するとか、
でもその子がある程度の歳であれば、それは僕はいいんですけど、
それを僕ベンチに座ってながら、まだ2歳ぐらいの子だったら下から登ったらどうなるかとか、
登ってみて滑ってこけたらいいじゃないとか、
自分で感じてるんだからその今を止めないでくれと思って、
イラっとしてしまって。
イラっとするんだ。
イラっとします。
止めてる親に対してイラっとして。
止めてんじゃねえよって。
止めてんじゃねえよっていう考えが湧いてくるんですよ。
そのときのトミーの感情?
止めてんじゃねえよっていうのは考えなんですけど、
感情はなんかやっぱりイラっとする。
イラっとが…
悲しいみたいな。
悲しいはめっちゃあります。
残念とか。
残念とかもめっちゃあります。
そのだから止めてんじゃないよっていう考えの奥だったり、
それを悲しいとか残念って思う感情の奥に、
すごくトミーがこの人生で大事にしてるものが隠れてるっていうふうに、
NVCでは考えるんですけど、
ちょっとそれを間違ってるかもしれないけど、
私が推測してていいですか?
もちろんです。
それはなんか子供の自由とかがすごい大事なんですか?
自立性?
その子がその子で感じてほしいみたいな。
ありのままで、ありのままを受け入れたい。
ありのままとか、その子の感じるままとかですね。
その子の感じるままを大切にしてあげたい。
はい、そうですね。
だから滑り台と一緒にこう、
みんなで紐持って歩いてる演じとか見ちゃうと、
紐持ってるけど、
あ、虫!って言っても、
紐持ってなさい!翔太くん!みたいな。
いやいや、今虫がおったけん。その子はその虫を追っかけたいのに。
その子の好奇心を大事にしたいとか。
だからそれ一緒の感覚です。
滑り台と一緒の感覚ね。
だから、それがすごい大事なんですよね。
富は、その人がその人のままでいたり、
その人の好奇心の赴くままに、
自由に行動するのを見るのが、
大事だっていうことなのかなって思ったんですけど、
感情の奥にある「ニーズ」の理解
そういうふうに聞くと、今どんな感じですか?
めっちゃ安心します。
すごくそれで悲しかった公演の風景とかが、
今思い浮かぶぐらい、
あの時の気持ちに、
言ってもらってるぐらい、
すごい安心します。
それが今言ったようなことを、
NBCの世界ではニーズっていう、
だから何かに、人が見てることにイラッとしたり、
あるいはこうなんじゃないかっていう考えが湧いてきたりする奥に、
誰もが大事にしてる美しい願いとか、
ニーズっていうのがあるっていう。
その今のトミーのニーズは、
多分その親御さんも、
同じニーズ、私にはないって言わないと思うんですよね。
確かにですね。
でも、滑り台を登るか登らないかっていうのは、
それ登っちゃダメなんですよって考えが、
その親御さんには何かの理由であるんだけど、
でも子供の、
あなたのお子さんの生き生きした好奇心とか、
自由に行動するってことは、
大切にしてあげたいですよねって言ったら、
確かにそれは大事にしてあげたいって思うかもしれない。
本当ですね。
っていうところにまで、
そこの願いとかニーズっていうのは、
どんな人にも共通、
人間だったら誰でも持ってるものっていうふうに考えて、
日々人間ってそれを満たそうとして、
その人なりのベストな行動をしてるっていう世界観がNBCにはあるんです。
その奥にあるニーズを満たすために、
行為はいろいろだけど、
っていうことですね。
このニーズを満たしたくて、
そのニーズを満たしたいって意識して知れるかどうか、
もう分からないんだけど、
でもなんかそういうことから、
今のその人として知ってる限りの、
ベストの行動をしてるのが人間だよっていうふうに。
だからその子供も、
自由に好奇心の多くままに滑り台を逆さからやるのも、
子供としてそのニーズを満たしたくて、
遊びとかっていうニーズとか、
楽しさっていうニーズもあるかもしれないんだけど、
ベストを尽くしてる。
それを止める親御さんも、
やっぱりなんだろう、
親御さんの裏にあるのはどんなニーズだと思います?
それを止めたいって言うと、
トミーにとっては、
なかなか受け入れがたい考えかもしれないけど、
その親御さんにも、
すごく大事にしてるトミーも、
賛成できるようなニーズがあって、
それを止めようとしてる。
それ僕いつも自分でも迷うんですよ。
それ二通りあって、
一つは単純に何も考えないで止めてる。
親のニーズと社会的な視点
だからイラッとするっていうのが一つあって、
もう一個は、
周りにもママさんたちが、
公園にいるじゃないですか。
その都合上止めなきゃいけないとか、
だからもし、
しったかぶりして申し訳ないんですけど、
ある意味において、
本当はお母ちゃんは止めたくない、
そこに美しいニーズがあるにもかかわらず、
周りに母ちゃんたちがいるから、
坂口から登っちゃダメよと言わなければならない、
っていう位置にあるんじゃないか、
とか思っちゃったりして、
じゃあそうさせる子供も、
社会はどうなるってなっちゃう。
社会は、
じゃあ亡くなるには、
僕はどうしたらいいんだとか、
すごい思っちゃうんですよ。
そういう可能性もあると思う。
そのお母さんじゃないから、
わかんないんだけど、
でも私はこんなこともあるんじゃないかな、
っていうのを言ってみていいですか。
やっぱそのお母さんは、
子供にすくすくと成長して、
社会の中で生き生きと活躍してほしい、
って思ってるかもしれない。
その中で、
この社会の決まりとか、
ルールっていうのを守った方が、
その子が安全に、
すくすくと、
社会の中で生きていけるんじゃないか、
っていうふうな考えを、
お持ちかもしれない。
めっちゃ愛じゃないですか。
ごめんなさい。
トミーが悪いんじゃないか、
っていう可能性も、
あるような気がしない?
めっちゃします。
って思うと、
そのお母さんへのイライラも、
全くないです。
ありがとうって思いますね。
だけど、
対話はできるかもしれないよね。
トミーが例えば、
NVCによる対話と相互理解
そのお母さんに、
何やってんですか、
子供が自由にやりたい、
っていうのは、
やらせたほうがいいんですよ。
なんであなたは、
そういうこともできないんだよ。
本当に、
押しつけがましい親ですね、
って言われるのと、
お母さんも、
お子さんの成長を願って、
この社会の中のルールとかを、
教えたかったんですよね。
だから、
止めるっていうのは、
すごいわかるんだけど、
でも、もしかしたら今、
このお母さん、
お子さんは、
本当に好奇心から、
こういうふうにやってるから、
それを止めないほうが、
学べることも、
多いこともあるのかな、
って、
僕は思ったりするんだけど、
お母さんこれ着て、
どうですか、
っていうのと、
お母さんの耳が、
どっちが開きそうな感じが。
いやいや、
お母さんのニーズに、
一回寄り添うというか、
同意しながら、
意見を言うというか、
そしたら、
お互いのニーズが、
満たせられる感じがしますね。
だから、
NVCが目指してるのは、
お互いのニーズを、
お互いの手段じゃなくて、
お互いのニーズを、
両方とも同じように、
大切にするためには、
自分は何ができるでしょう、
みたいな、
あるいは、
どんな話しかけ方をしたら、
いいでしょう、
みたいなのを、
学んでいく、
っていう感じなんです。
NVCの実践と自己共感
これじゃあもう、
本当に親子の声かけというか、
急げなさいとかも、
全部に通じますね。
そうそう。
これもう、
NVCがあれば、
もういいんじゃないですかね。
でも、
それは簡単じゃないですか。
ああ、
そうですよね。
あればいいと、
私は思ってたけど、
そんな簡単に人間だから。
それでも、
僕今日もね、
外行って公園出たら、
イラッとしてるかもしれないですね。
そのイラッとすんのも、
悪くないんですよ。
トミーは、
それぐらい、
自由だとか、
好奇心だとか、
そういうことを、
大事にしてるんだって。
だから、
自分も非難しちゃう。
そうですね。
自分でそれ分かっても、
すごいなんか、
嬉しいです。
そうそう。
だから、
NVCの第一歩は、
まず相手っていうより、
まず自分に共感する。
自分を非難しないで済むというか、
そしたらあれですね、
世のお母様方も、
夜になって、
今日、
なんで子供に、
こんなこと言っちゃったんだろう、
とか、
その自分を抱きしめて、
あげてあげたら、
最高ですね。
私は子供のこと愛してて、
本当に大事にしてるから、
言ったんだよね、
っていう。
自分で言ってあげられたら、
そんな反省しなくて、
大丈夫ですよ、
ってとこがありますね。
第1回のまとめと今後の展望
うわあ、
素敵。
へえ。
うわあ。
そしたら、
ちょっともう、
これ、
すっごい充実して、
そのままいきたいところですけど、
じゃあ、
第1回目は、
NVCの概要と、
親子の話とか、
1日の終わりを反省じゃなくて、
自分への癒しというか、
自分のニーズを抱きしめて終われる、
というようなところで、
はい。
ありがとうございました。
またちょっと2回目が、
すごい楽しみです。
2回目も、
私も楽しみです。
またよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと僕がNVC、
すごい勉強したくなりました。
ありがとうございます。
はーい。
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