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スピーカー 2
今日は日本におけるハンセン病差別の歴史をやりたいと思います。
スピーカー 1
あーハンセン病、はいはい。
スピーカー 2
ちなみにハンセン病知ってる?
スピーカー 1
うん、知ってるけど全然詳しくない。
スピーカー 2
あー、まあそうだよね。
まあちょっとじゃあちょっとその辺から入っていきたいと思うんだけれども、
ハンセン病ってちょっとまずどんな病気かっていうところなんだけれども、
まず雷菌っていう菌ね、菌がいて、それに感染すると起きる病気なんだよ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、具体的にどんな症状が出るかっていうと、
まあ手足とかのこう抹消神経が麻痺することで、
例えば発汗作用、まあ汗かかなくなっちゃったりとか、
あと熱とか痛みの神経、そういったものも麻痺しちゃうから、
なんか熱を感じなくなっちゃったりするっていうところなんだよね。
で、まあそれだけでいいわけじゃないんだけれども、
スピーカー 1
基本的にこのハンセン病にかかって重症化すると変形しちゃうんだよね、手とか足が。
スピーカー 2
はい。
まあ要は体の見た目がこうなんていうの変形するっていうか、
まあ見てこの人病気だみたいな感じなのがわかっちゃうんだよね。
っていうのがまあすごいこのハンセン病の特徴なんだよ。
はい。
で、その雷菌っていう菌に感染することによって起きるから、
まあもちろんもううつる病気なんだよ。
うん。
ただめちゃめちゃうつるかっていうと、そんなに感染力が強い病気ではないのよ。
主にどんな経緯で感染するのが多いかっていうと、
免疫機能がまだ弱い乳幼児の時にハンセン病患者の、
まあ例えばくしゃみだったり咳だったりとか、
まあいわゆる飛沫感染っていうのが多いって言われてるんだよね。
うん。
で、あ、ちなみになんだけど、さっきから雷菌って言ってるけれども、
もともと雷病とかって呼ばれてたのよ、ハンセン病って。
はい。
で、その雷菌を発見したのがハンセンさんっていう方で、
その方の名前を取ってハンセン病って呼んでるのね。
うん。
今さ、日本、まあ小片郎ハンセン病そんなこう、
詳しく知らないって話だったけど、
まあそれはその通りだと思うんだよ。
実際周りに多分いないと思うんだよね。
うん。
そう、今日本でハンセン病にかかる人ってもうほぼいないんだよ。
はい。
だから、なんかいきなりなんか俺ハンセン病かかっちゃったよーなんていうことは
多分ね、ほぼない。
年間にね、ほんと数名いるかどうかぐらいしかいないんだって。
で、まあさっきも言った通り、このハンセン病っていう病気は、
感染力がとにかくそんなに強くないのよ。
まあ弱いんだよね。もっと言っちゃうと。弱いのよ。
うん。
だから、今の日本みたいに衛生環境がものすごく整っている国では、
もう発症っていうのはほぼほぼもう起きないっていうようなものなんだよね。
うん。
ただ、衛生環境がこれ悪かったりする、
まあいわゆる発展途上国とかそういったところではまだこう感染はあったりするんだけれども、
うん。
あと、ハンセン病にこうかかっちゃうとどうなるかっていうところなんだけれども、
現代の医学において、ハンセン病にかかったとしても早期発見と治療ができれば、
まずまず後遺症も残らないで感知するのよ。
スピーカー 1
うんうん。
スピーカー 2
さっきさ、ちょっと手足とかが変形しちゃうみたいな話を言ったじゃん。
はい。
これって重症化した場合なんだよ。
うん。
だから、今ハンセン病にかかっちゃいましたってなって、
全然その早期の段階だったら、
もう本当に何も、そんな変形とか何も起きないで治すことができるっていうのがもう現代の医学なんだよね。
うん。
そう。で、しかも別になんか手術が必要とかそういうレベルじゃなくて、
基本的に薬飲めば、まあ1年もかからずに治るぐらいのイメージなんだよね。
あーそうなんだ。
そう。だから、まあ何がここで痛かったかっていうと、
そんなこうビビるような病気じゃないよっていうのがまず痛かったのね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
でも、このハンセン病ってさ、めちゃめちゃ差別されてきた歴史があるのよ、患者が。
はいはい。
そう。それはやっぱり、ちょっと先に言っちゃうと、知らなかったことへの恐怖なんだよね。
うん。
そう。っていうところで、ちょっと今日差別の歴史にこう入っていきたいなと思います。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、全くそのハンセン病の原因が全くわからなかった時代。
ハンセン病自体はずっと昔からあったの。もう日本にもずっと昔からあって、
もちろんこれが病気なのか病気じゃないのかとかそういうのもよくわからない時代から多分あったと思うんだよね。
うん。
だから、さっきちょっと触れたけれども、体が変形しちゃう?その手足が変形しちゃったりっていうところでさ、明らかに見てわかるのよ。
はいはい。
なんか、あれ、この人ちょっと手がおかしいぞとかさ、そういう感じになるから、見てわかるからやっぱ差別しやすいんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
明らかじゃん。なんかさ、風邪ひいてたってさ、別に咳とか鼻水とか出てなかったらわかんないけどさ、
明らかにもう見てさ、わかる特徴になってたらさ、あ、この人この病気なんだっていうのがわかっちゃうからさ、
だからこそ、その外見的な特徴で偏見や差別の対象になりやすかったんだよ。これは昔からずっと昔からそうなんだよ。
うん。
でさ、得た否認の回やったじゃん。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、得た否認の中に、この実はハンセン病患者も含まれてるんだよね。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そう、まあ言い方悪いけど、奇形なわけよ。あの、形が変だから。だから奇形っていうのもやっぱりそういう、なんだろう、差別の対象になってるから、得た否認の枠組みの中に、
ハンセン、まあ特に否認の方だよね。にハンセン病患者っていうのも含まれてたって言われてるんだよね。
うん。
まあだから江戸時代とかそれぐらいの時っていうのは、まあそういう感じで、身分制度としてもうちょっとハンセン病患者ってちょっとこう、意味嫌われてたような感じなんだけれども、
明治時代に入って、これは得た否認の回でもやった通り、市民平等にはなったじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、そのハンセン病患者であっても当たり前だけれども、もちろん人であるから、あの人権っていうものはあるわけじゃん。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
だけれども、その明治時代に入ってからも、その、なかなかこのハンセン病患者っていう人たちに対しては、いわゆるさ、何にもない、病気のない人と比べると、
明らかに人権っていう意味では、あのすごくこう、下げられてたって言えばいいのかな。明らかに差別があったんだよ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、一つ挙げるとすると、もうこれなんだよね。あの、療養所に無理やり押し込めちゃうっていう政策を取ってたのよ。
うん。
これハンセン病絶滅政策っていう名前があるんだけれども、
うん。
ハンセン病絶滅政策っていうとさ、なんかもうこのネーミングだけでちょっとヤバそうじゃん。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
なんか病気を根絶させるじゃなくて、絶滅ってあたりがさ、なんかもうヤバそうな雰囲気伝わってくるんだけども、実際ヤバいのよ。これ確かに。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、政府としてもそういうさ、なんかハンセン病患者はとにかく隔離しようってしたのよ。
うん。
これは、あのもちろん移るからなんだけれども、移るんだけど、さっきあの冒頭で話した通り、そもそも感染力は元々ないわけじゃん。そんなに。
はい。
だからそれ以上にこのよくわからない病気に対する恐怖、もうなんかわからない恐怖っていうのが、そういう隔離政策を助長させたんだよね。
うん。
で、やっぱりそこには偏見とか差別っていうものがあったからこそ、こう助長されてっちゃったっていうところはあるのよ。
はい。
で、このハンセン病絶滅政策なんだけれども、もともとはその辺にこう放浪してた?
もともとさ、俺、得た否認とかさ、要はさ、あのちょっと小敷っぽい人たちがこのハンセン病患者って多かったのよ。
うん。
だから、なんかその辺に放浪してる人がいて、だからそういう人はとにかくもう片っ端からハンセン病患者を隔離しようって言うんで、そういう療養所に無理やり入れちゃうのよ。
うん。
だからそういう隔離の対象になってたんだけれども、だんだんとその隔離政策っていうのは強まっていくのね。
はい。
で、そのことによって、例えば一家があって、その一家の中に一人ハンセン病患者がいたら、そのハンセン病患者をもう家族が押し込んじゃうみたいな、そんな感じにどんどん流れがなっていくのよ。
うん。
で、これは何でかっていうと、家族がもちろんその、例えば自分の父親がさ、ハンセン病になっちゃいましたってなって、父親のこと嫌いだからこう療養所に押し込んじゃおうとかっていう、もちろんそういう例もあったのかもしれないけれども、
そうじゃなくて、その父親が家にいることによって、家族自体が差別対象になっちゃったのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからある意味、家族を守るために、その父親に犠牲になってもらうためにもう療養所に押し込んじゃうみたいな。
あー、はいはい。
そう、そういう感じで、どんどんどんどんなんだろう、この差別っていうのがさ、やっぱ広まっていくとこういうことが起きるんだなっていう一個の例なんだろうけど、そういう流れになってったのね、世の中は。
うん。
スピーカー 2
うん。
ちょっと今、療養所の話があったんで、療養所の実態のところに行きたいんだけれども、さっき言った通り、医者はいたけれども、まあ、そもそも医者の数は少なかったし、
例えばさ、医者って別にさ、私全範囲網羅してますなんて医者いないわけじゃん。
うん。
なんか、内科医だったら内科が専門なわけだしさ、外科医だったら外科が専門だしさ、そんな感じで、医者ってさ、ある程度専門分野があるわけだけれども、
基本的にその療養所にいた医者っていうのは、ハンセン病治療を一応、当時の治療ができる医者がいたわけよ。
うん。
だから、それが一応専門みたいなものだから、例えばさ、重い病気にかかっちゃいました。
で、それはなんか、内科の先生だったら分かるんだけれども、このハンセン病のお医者さんは分からないみたいな、そんな状況でもあったんだよね。
はい。
だから結局、本来だったら治るかもしれない病気でも、正確な診断ができなくて、そのまま病気で亡くなっちゃう方もいたらしいんだよね。実際。
うん。
で、あと、基本的に療養所って言うけれども、もう一個のコミュニティだと思ってもらえればいいんだよね。隔離されたコミュニティ、もう一個の村だと思ってもらえればいいかな。
うん。
だから、別に、なんか例えばさ、看護師さんがいてさ、なんかこう、手足が不自由な患者さんがいたら、いろいろこう、介護してもらえるとか、そういうことはなかったのよ。
うん。
基本的に自分のことは自分でやらなきゃいけなかったし、で、手足がもう全然不自由になっちゃってる人の世話なんかは、患者同士でやんなきゃいけなかったの。
スピーカー 1
あー、そうなんだ。
スピーカー 2
そう。当たり前だけどさ、そこにいるってことは自分も何らかのさ、手がさ、ちょっと指が変形しちゃってたりとか、そういう状態にもかかわらず、でも自分はまだ動けるから、そういう人の介護をやったりしなきゃいけなかったわけね。
まあ、持つもたれつっていう言い方だとちょっとあれなんだけれども、まあそういう状態だったと。
はい。
で、さっき言った通り、一個の村みたいな感じになってたから、その療養所の中で実は専用のお金も普及してたのよ。
うん。
療養所内でしか通用しないお金があって、それで何か買ったりすることもできたわけね。
で、そのお金じゃあどうやったらもらえるかっていうと、療養所内の何らかの作業だね、に取り組むと賃金として、賃金表みたいなのがあって、こういう作業やると1日いくらですよみたいなのがあって、全然安いよ、安いけど一応それでもらえてた。
そういう形で、まだ全然病気が重くない人はそういう形で働いてお金を得るっていうことは一応できてたのよね。
はい。
ただしそれは療養所内だけのお金だから、外出たら全く使えないお金。
うん。
あと、例えば結婚だね。結婚が結構すごい特徴的なんだけれども、ハンセン病患者だから結婚ができなかったっていうことはないのよ。
別にさ、その療養所にさ、男性しかいないとか女性しかいないとかっていうことはなくて、男女両方いたわけね。
だから一応結婚することはできたのよ。相手を見つけて。
スピーカー 1
ああ、その療養所内で。
スピーカー 2
療養所内でね。もちろんさ、もともと結婚してた人が自分だけ来たりとか、夫婦ともに来たりっていうパターンもあったらしいんだけどね。
基本的にその療養所内でも結婚はできたわけ。
うん。
ただ、結婚はできたんだけれども、男主手術を半ば強制されたっていうような証言もあるんだよね。
うんうん。
これ、男性も女性もなんだけれども、男性だったら男主手術も要はパイプカットだね。
で、女性だったら妊娠が発覚したら中絶させられてたの。
ああ、そうなんだ。
基本的にこれはやっぱり差別とか偏見から来るんだけれども、ハンセン病患者の子供も遺伝するんじゃないかっていうところを思って、それでだから生まれてくる子供。
まあこれあれだよね。あの、優生思想にちょっと近いところもあるんだけれども、やっぱりそういった病気の人から生まれてくる子供だからっていう理由も一応あった。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
とにかく、政策として子供を産ませないようにしようっていうような圧力があったんだよね。
これ一応補足しとくと、あくまでも圧力だから絶対そうしろではないんだよね。そこがまた中途半端なところなんだけど。
うん。
それはもう半ばさ、やっぱそういう目で見られてるから、男性側はもしその奥さんが妊娠しちゃったら中絶させられちゃうわけじゃん。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、中絶ってやっぱりすごい体に負担かかるから、そんなこと自分の奥さんにさせるぐらいだったら自分が断手しようって言って、自ら断手手術した人もいるしとかっていう感じで、結構やっぱお互い思いやってどうしようかみたいな感じで決めてやってたっていうのが一応あるんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、あと、結婚つってもずっと一緒に住めるわけじゃないんだよ。基本的には通い込んだったんだよね。
スピーカー 1
えー、そうなんだ。
スピーカー 2
そう、別に男女一緒のところに住んでたわけじゃないから、男性が女性のところに通って、別に一人部屋とかじゃないから複数人いて、そういうところで夫婦の仲を深めるみたいな、そんな感じの状況だったわけ。もちろんだから心が休まるわけはないんだよ。
うん。
スピーカー 1
で、ある人の証言がすごい印象的だなって思ったんだけれども、女性ね。夫と一緒に朝ご飯を食べてみたかったって言ってる証言があるんだよ。
スピーカー 2
あー、そうなんだ。
スピーカー 1
そう、ご飯すら一緒に食べられる状況ではなかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
で、ただこれは後々一緒に住めるようにはなってくのよ。ただそれも結局二人っきりで住めるわけじゃなくて、相部屋で夫婦部屋みたいな感じ?
うん。
三部屋ぐらいの夫婦作って、敷居だけあって、夫婦でそこで生活するみたいな。
はい。
だから今の概念でいうプライバシーなんていうものはあったものではないっていう。
うん。
あと特徴的なのが、患者って無理やり押し込められてるわけじゃん。
うん。
だからさ、反乱、まあ反乱って言うとちょっとあれなんだけどさ、反抗してくる人も絶対いるわけじゃん。
うん。
スピーカー 2
で、そういう患者を統制する目的で、その療養所の所長っていうか偉い人に懲戒検索権って呼ばれるものがあったのよね。
うん。
まあ簡単に言うと懲罰を与えられる権限、その患者に。で、監禁室っていうものも作られたのよ。
スピーカー 1
えぇ。
スピーカー 2
監禁室はもう名前の通りや。要は従わないやつはその監禁室に閉じ込めることができるの。
うん。
もうこれは牢屋だよね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
なんかここの懲戒検索権とか監禁室っていうあたりはもうなんかすごい刑務所だなってちょっと思って俺。
スピーカー 1
そうだよね。
スピーカー 2
まあ、で、実際その監禁室ね、やばいんだよ結構。もうほんとに狭い部屋で、しかも冬とか薄掛け1枚しかもらえないの。
で、ご飯も6人、ちゃんとしたものももらえないの。普通にご飯だけにたくわんだけとかさ、ほんとそういうレベルの食事だから。
劣悪な環境で、冬なんかめちゃめちゃ寒いから薄掛け1枚しかないのに気温がほんと氷点下行くようなところで寝かせられたりして、透視しちゃう人も結構多かったんだよね。
うん。
そんな感じでとにかく劣悪な環境に押し込むぞっていうのがある意味恐怖政治みたくなってて、恐怖で統制できてたっていうところも一応あるんだけれども。
そういった形でかなり人権っていうものはこう無視されてきたんだよ。療養所の中でも。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
そんなハンセン病についてなんだけれども、やっとこれ治療薬が出てくるのよ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
これ1943年にアメリカでプロミンっていう薬がハンセン病に効くんじゃないかっていうことが判明するのよ。
うん。
戦後になるんだけど日本では1947年からそのプロミンによる治療が始まって、プロミンじゃない薬でその後治療方法っていうのを確立されたことによってハンセン病っていうのが今までの治らない病気って思われてたものから治る病気には変わってったんだよ。
うん。
ただこれは闇なんだけれども隔離政策はなんとこの後も続いていくんだよ。治るんだったら隔離する必要ないじゃん。
スピーカー 1
そうだよね。
スピーカー 2
そう前提として。ただこれは来予防法っていう法律が続いている限りずっと続くのよ。
スピーカー 1
えぇ。
スピーカー 2
ちなみに来予防法が廃止されたのはいつでしょう?
スピーカー 1
えっと1970年ぐらい。
スピーカー 2
違うんだよ。これ1996年。
スピーカー 1
うわぁすごいね。
スピーカー 2
もう我々普通に生まれてその頃の記憶はバンバンあるぐらいの時代までこんな隔離政策を行う法律が残ってたのよ。
スピーカー 1
確かにハンセン病患者が国に訴えてるっていうようなニュース見たことあるもん。
スピーカー 2
そうこの後にその訴えとかが出てくるのよ。今までの来予防法がこれは違憲だっただろうつって国に対してハンセン病の患者だったり家族だったりっていうのが国を訴えるっていう。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
でちょっと今裁判の話になったんでこの裁判もすごくて普通さ原告っていうのは自分の名前を名乗って裁判を受けるのよ。
うん。
でもこのハンセン病の裁判はほとんどが匿名だったのよ。
スピーカー 1
えーそうなんだ。
スピーカー 2
理由はもう簡単でバレちゃうじゃん。名前出したら。だから周囲にバレてしまうことを避けるためにほとんどの人が自分の名を挙げて戦いたいけれども名を伏せて戦ったんだよね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
でさっき言った通り1996年来予防法が廃止されたことによってやっとそこで患者隔離政策っていうのは終止符を打たれたのよ。
うん。
でそのことによって今まで我慢してた患者とかが国と戦っていくっていうのが流れになって最後2019年に国がごめんなさいしたんだよね簡単に言うと。今まで間違ってました申し訳ありませんっていう感じで原告側が勝ったんだよね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
こんな感じで今日ちょっとハンセン病について扱ったんだけれども今日の話っていうのは実は国立ハンセン病資料館っていうところに俺行ってきたんだよ。
スピーカー 1
あ、そうなの。
スピーカー 2
そうそこで見てきたものとか資料とかそういう何か体験者が話してるムービーとかそういうのを見て今日の話ってちょっと作ってます。
スピーカー 1
あ、すごい。
スピーカー 2
で国立ハンセン病資料館って東京の東村山市にあって東京とか近郊住んでる方はちょっとぜひ行ってみてほしいんですけれども本当ね無料の資料館なんだけれどもすごいよ。全然もう無料の展示料じゃない。
あ、そう。
めちゃめちゃ力入れてるなっていうのはすごい伝わってくるね。
スピーカー 1
うちらがいた野口秀夫のあれよりも。
スピーカー 2
全然あれのね多分大きさで言ったら4、5倍ぐらいある。
スピーカー 1
あ、そうなの。あそこも感染病とかねやってたけどね。
スピーカー 2
うん。あそこって野口秀夫の功績を称える要素が強いじゃん。
このハンセン病資料館はどちらかというとそういう差別の歴史っていうところを扱ってるんだよね。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そんな感じで今日はハンセン病についてやりましたが、ちょっと尾形郎のコメントで締めたいと思います。お願いします。
スピーカー 1
ハンセン病、具体的に本当に知らなかった部分が多かったんで、流れとかこれまでの対応っていうのを聞けてよかったなって思うし、
今までわからないものに対して人って結構恐怖だったりとか過剰な対応してしまうっていうのがこれまでもいろんな歴史を見てもあると思うんだけども、
まさにこのハンセン病っていうのが一つの例だなと思って。
なんかまた内容は違うかもしれないけど、うちは最近で言ったらコロナが出てきた時にすごくみんな恐怖を感じて、過剰なまでに、
例えば患者が現れたら最初防護服、完全武装で患者に接してたりとかすごい隔離政策をしたわけじゃん。
今、原因とかそういうワクチンとか出てきた中でさ、今もう本当にインフルエンザと同じくらいな対応になって、
あの当時の比べると全然対応が変わってきてるわけじゃん。
なんかその原因がわからない、何かその得体の知れないものっていうところに過剰な対応が生まれたっていうところがすごく印象的だなと思った。
スピーカー 2
そう、今尾形郎が言ったことって、俺も思ってたことで、コロナ禍の時ってさ、結局さ、偏見とか差別っていうのはさ、やっぱ起きたじゃん。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
そう、で、それって無知から来るんだよね。実際じゃあコロナっていうものがわかってきたらさ、そういったものってなくなったわけじゃん。
うん。
そう、だから偏見とか差別っていうのはとにかく無知から来るんだっていうところをすごく本当に、やっぱハンセン病資料館行ってコロナ思い出して、なんかやっぱそうなんだなっていうのは思ったし、
で、何よりもさ、ハンセン病昔のことでしょみたいな感じには思えなかったんだよね。やっぱ最近はコロナがあったから。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
全然起きるじゃんみたいな、2019年でしょコロナって。全然起きるじゃんって、つい何年か前だよ。だから、例えば、あと来年にまた別のパンデミックみたいなのが起きてさ、自分がかかっちゃったら俺が今度隔離されるかもしれないわけじゃん。そういう全然大したことない病気であっても。
うん。
だからもう全然これ一言じゃないんだなっていうのはすごい、なんだろう、これ聞いてる人はもう本当みんなそう思ってほしいなって思ってて俺は。
スピーカー 1
確かにそうだよね。
スピーカー 2
そう、だから本当に偏見とか差別って自分がする側にもなるし、される側にもなるんだなっていう可能性は全然あるんだよっていうことをちょっと今日は知ってほしかったなってところです。
スピーカー 1
いやー本当に素晴らしい回でした。
スピーカー 2
いやーもう小片郎のね、ほら今超絶好調の回に比べたらまた俺の回ってストーンって落ちてっちゃうからさ、そこが悲しいんだけれども。
スピーカー 1
マジで嘘じゃん。
スピーカー 2
いやいや、俺嘘つき呼ばれすんのやめてほしいんだけど、俺本当のことしか言わないから。
スピーカー 1
まあということで今回はハンセン病についてでした。