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推しについて語り合う番組、おしばなし、始まります。
さあ、ということで、第3回、前回はね、第3回のラビさんの過去の推し達の話をたっぷりと聞かせていただきましたけれども。
今回第4回ということで、いよいよ私の番が回ってまいりました。
いよいよ、いよいよ。
なんとなくですけど、皆さんね、聞いていただいている方も感じていただいていると思いますけれども、
たぶんこの3人の中で一番の年長者が私なんですよ。
ほんとかな?どうかな?
違うかもしれない。実は僕が一番若い説ある?
どうかな?
なんとなくね、これからお話しする話を聞いていただいてもわかると思うんですけど、なんとなく歴としても長いですし。
まあまあ、良さげなおじさんになってきてもいいですね。
これに共感いただける方はぜひ共感をしていただきながら聞いていただきたいというところで、
今日は私の過去の推し達の話をさせていただきたいと思います。
で、前にもちょっとお話をしたんですけれども、
最初の推し: スピードと鈴木亜美さん
一番最初なんかアイドルらしいものにはまったなあという記憶があるのが、
やっぱりスピードなんですよね、一番最初はね。
スピードをアイドルと呼ぶのかっていう、毎回議論になっているんですけど、
アーティストと呼ばれると歌っている人っていうところでいくと、スピードが一番最初で、
やっぱり僕がちょうど小学校5年生とか6年生ぐらいの時だったと思うんですけど、
その時にスピードが流行っていて、みんなスピードのホワイトラブのダンサー踊れるし、
振り付けはできるし、っていうような時代だったんですよ。
そこでこういう活動をする職業の人たちがいるんだっていうのを肌で感じ始めたというか、
っていうところがあって、ちょうど小学校ぐらいの時ってそれこそ将来の夢なんだみたいな話をするじゃないですか。
はいはいはい。しますね。
その時に僕の一番興味があるカテゴリーが、その時は芸能界だったんですよ。
芸能界となんか関われる仕事したいな。
目立つのが好きだったんですよね。
人を楽しませたいってどっかで思ってたんだと思うんですけど、
芸能界にちょっと憧れもありつつ、こういうキラキラした人たちがいるんだっていうのでなんとなく見始めた。
結局親が芸能の道に進むという全ての扉を閉ざしてきたんだけど。
強かった親。
その道に進もうという意志は途中でどうとなくなってはいったんですが、
ずっと憧れの対象として歌を歌っているテレビに出ている人たちっていうところがあって、スピードがまずいました。
それと同じ時期に鈴木亜美さんっていうね、これお一人でアーティストをやられている方ですけど、
その鈴木亜美さんが出てきて、その鈴木亜美さんの歌も好きで聴いていてっていうのがあって、
当時そんなに夜遅いテレビ番組ってもちろん見せてもらえなかったんですけど、
鈴木亜美さんってその当時やってたアサヤンっていう番組があって、
アサヤンっていろいろオーディションで歌手を募集したりとか、
素人の登竜門的なアーティストになるためのそういう番組があったんです。
そうなんですね。
テレビがそういう歌手を募集していて、それで一人選ばれたのが鈴木亜美さんだったりして、
そういうオーディション番組が結構その当時は盛り上がってたんですよね、この周りでも。
そういうところから出てきたんだと思ってたら、その同じアサヤンという番組でもう一人、
鈴木亜美さんとは別にまた女性歌手デビューするオーディションっていうのが開催されたんですよ。
第2回みたいな感じで。
それで募集して選ばれたのが平家道夫さんっていう方だったんですよ。
グランプリ取られたのが。
聞いたことある方もいらっしゃると思うんですけど、平家道夫さんがグランプリになりましたっていうので、
それは代々的にドーンと出たんですけど、そのオーディションの最終まで残って落ちた子たちっていうのがいるわけですよ。
やっぱりオーディションなんで。
で、この子たち歌う上手かったりするのに落ちちゃったんだ、残念だねってその番組は終わらずに。
じゃあその女性ボーカルオーディションから落ちた子たちをグループにして売り出しちゃえっていう。
そんな企画が立ち上がりまして、それで生まれたのがモーニング娘。だったんですよ。
モーニング娘。と℃-ute
そういうことなんだ。
だからモーニング娘。ってモーニング娘。のオーディションでグループができたわけではなく、
メインの女性ボーカルオーディションから会えなく敗退した子たちで作られたのがモーニング娘。で、
蓋を開けてみると、形的にはモーニング娘。の方が注目を浴びたというか。
やっぱり負けた子たちっていうところもあったのか、みんなからの頑張れ頑張れっていうような応援もあって、
結構話題になったんですよ、その時から。
そうなんだ。
そうなんですよ。それで第一期生、ラビさんはご存知だと思いますけど、ダッチ含めてね。
中澤祐子さんとか石倉彩さんとか初期メンバーが集まって、それで売り出して、
その当時は本当におしとやかなお姉さんたちが歌うっていうような、ちょっと影のある歌もあったりとか、
ツンクさんが作られる独特の歌っていうところを歌い出して話題になりっていうのがあって、
その当時はモーニング娘。っていうのができたんだって、軽く情報をつかんでるっていうぐらいだったんですけど、
そっから第3期生として入った後藤真樹さんにベタボレしまして。
運命の出会いが。
運命の出会いがそこであって、っていうのはやっぱり元々芸能界に憧れてたっていうのもあって、
かつ後藤真樹さんって同い年なんですよ。
全く同い年で、確か中2ぐらいの時にオーディションで入ったんですけど、後藤真樹さんが。
でも超話題になったんですよ、その当時は。
すげーのが来たぞと。とんでもねーやつがモームスに入ったぞって。
っていうのがあって、それに便乗する形で、同い年でもこんなお仕事できる人がいるんだなっていうところから見始めて、
それでだいぶモーニング娘。に押す期間がずっとあって。
プッチモニアラ、ソロで活動してるんですけど、
そこから松浦彩さんが出てきて、藤本美希さんが出てきて、藤本美希さんがモームスに入ったりして。
ややこしい。
結構いろんなね、うよ曲折あって、そこら辺でモームスをしばらく追ってたのが、
やっぱり一番メインで追ってたのは後藤真樹さんだったので、
一時期なんとなく芸能界から離れた時期があって、
それとともに僕もモームスの熱が若干冷めてきてしまったというか。
それと同じくらいのタイミングで、先ほどもお話し上がりましたけど、
メリーズ工房と℃-uteっていうのが1年時期をずらして出てきたんですね。
それはハロプロキッズという子供たちが集められたところからグループが増えてきて、
先にメリーズが出て後追いで、残りの子たちが℃-uteというのが出てくるという。
またそういうことをやるんだみたいなね。
メリーズが先に出ちゃったから℃-uteの子たちはモヤモヤしながら、
1年後くらいに℃-uteとしてようやく出てきて。
そういう感じなんだ。
AKBにハマる
僕はメリーズよりも℃-uteのほうが、
メリーズよりも℃-uteのほうが、
メリーズよりも℃-uteのほうが、
それぞれのグループの歌を聴きつつ、
それが大体大学生くらいかな。
ちょうどニコニコ動画が流行った時期でもあって、
あの当時っていろんな歌がプロモーションビデオも含めて
ニコニコ動画にアップされてた時期でもあるので、
ダメなんですよ。本当はダメなんですけど、
カチカチやってると自動で流れてくるっていうのがあって、
それで知ってCD借りに行ったりとかっていうのがあって、
それでハマってっていうところがしばらくあって、
大学2年か3年くらいの時に、
もともと昔、おにゃんこクラブというのをやってたプロデューサーの
秋元康という人間が、
大学2年か3年くらいの時に、
大学2年か3年くらいの時に、
おにゃんこクラブというのをやってたプロデューサーの
秋元康という人間がですね、
新たなアイドルグループを立ち上げますと。
なんじゃそれはと。
いうところでオーディションがあって、
補足したのがAKBで。
だからもう最初の段階からAKBを見てて、
この子たちちょっと追っていこうかなってことで、
AKBにしばらくハマり。
最初からすごいな。
めっちゃ子さん。
そう、すっごい子さんだった。
しばらくAKB推しだったんですね。
その後社会人になって2年目くらいから
ポトキャストを始めたので、
配信も通信もの方でもしばらく最初の方は
AKBの話をしていたし。
その時くらいかな。
桃黒さんから乃木坂へ
ちょうど桃黒さんも出てきて、
桃黒も一時期ハマり。
その時期と同じく、
あと少女時代も同じくハマり。
通ってる通ってる。
アイドルマップの全てにホンネストさん出てくる。
ちょうど桃黒さんが出た時って、
あの子たちすごいなと思ったのが、
週末ヒロインだったんですよ最初は。
そうだわそうだわ。
学生だったんで、週末ヒロインっていう名誉ってやってて、
その時東京都内をオープンカーで
桃黒メンバーが走りまくるっていう。
キャンペーンやってて。
なんのそのイカれたキャンペーンは。
それでね、僕一回会ったことあるんですよ。
桃黒ちゃんがそのオープンカーに乗って、
本当に僕が大田歩道で待ってるその前を
信号待ちしてる桃黒ちゃんたちに会うっていう。
オープンカーってあれですよね。
天井のない車のことですよね。
しかもオープンカーで回ってると休みないじゃないですか。
ずっと見られてるわけなんで。
信号で止まってる間もずっと歩いてる人たちに
よろしくお願いしますってずっと言ってるじゃん。
あの子たち、すげーなこの子たちはみたいな。
それはすごいな。
それもあって、桃黒ってのはすごいんだなと思って
そこで聴き始めて、やっぱり歌もずっと聴いてるしっていうのがあって
そこで桃黒とかもいろいろ通っていって
AKBをしばらく推してたところから
AKBのライバルとして乃木坂46が出ましたと。
で、乃木坂は最初の方はあんまり推してなくて
AKBだろうと思ってた自分なんですけど
しばらく経ったくらい2015年くらいの時に
あるタイミングでちょうどね、北九州のTGC
東京ガールズコレクション
東京ガールズコレクションのチケットをもらったんですよ。
行けるチケットを。
で、私その時東京に行ったんですけど
せっかくだから行こうと。
その時に、乃木坂の子たちがライブをやって
目の前で見れたんですよ。
で、そこでパーンってハマりまして。
ちなみにその時何の曲披露してたんですか?
その時はね、斎藤アスカセンターの裸足でサマーだったんですよ。
で、ちょうど橋本奈々美さんが卒業する直前
初めて斎藤アスカがセンターになった時で
そのちょっとくらい前から見てはいたんだけど
バチバチにそこでハマり
そこからずっと乃木坂で今まで来て
その後にね、欅坂とか日向坂とか出てきて
あとはもちろんAKBさんの妹分というか
新入社員と乃木坂
そういうのでSKEとかも
SKE、NMBとかありましたけど
そこら辺一通り通って
すっごい!
乃木坂さんも、でもね本当に浅くなんですよ
一番深いのが乃木坂とモームスの初期ぐらいかなっていう感じで
今はそれで今メインは乃木坂さんで
最近は番組もね、はいりむつしもやってますんで
僕が見たかった青空さん
青空さんをね
ちょこちょこチェックさせてもらいながらっていう感じ
そうですね
すごい
そのアンテナの高さに毎度すごい感銘を受けます
すごい受信量ですよね
本当にすごい
でもね、最近のやつはほぼ指名感みたいなのもあります
番組をやっていて
アイドル好きっていう
ある意味一つのキャラクターでもやってるので
最新の話題になるアイドルは見とかなきゃいけないだろうっていう
大手さんが基本的に多いんですけど
そういうので見てるところが多いですかね
すごい
それこそリスナーさんのお便りで
ベビーメタルも一時期
あとCDめっちゃ借りて
今でも聴いてますし
なんかすっげー手出してるんですよ
いろいろ
でもそれぞれのハマってる時期の
その時の思いはやっぱりそれぞれあるので
押してる思いは
ちゃんと押してる思いはあるので
薄っぺらいわけではないんですけど
今後そういったところの話もちょっとしていければなと思いつつ
前回から違うところだけ最後にちょっとだけお話させていただくと
前回はこうやって押しの話を大っぺらいにできる友人がいないんですよ
だからこれやりたいんですって話をしてたんですけど
あの後に
うちに新入社員が入りまして
あれ?だったなー
なんか聞いたなそんな話どっかで
うちのグループ
僕がいるグループに新入社員の子が入ったんですけど
その子が乃木坂ファンなんですよ
ファンだということが分かりまして
そう?
僕も乃木坂ファンですということを結構早々に打ち明けまして
あそうなんですかみたいなところに意気投合になりまして
今普通に会社で乃木坂の話してます
いいなー
それができるようになったのがすっごいありがたくて
年は全然違うんですよ
それこそゆうかっぺさんの方が全然近いぐらいだと思うんですけど
もう入りたての子なので
そうかも
15年ぐらい違う子なんですけど
共通の話題で話ができるという
いいですね
全然違いますよね周りに一緒に語れる人いると
共通言語でそれが喋れるっていうのはやっぱりね
いいですね
確かに確かに
ラビさんにとってもこの番組はそういう番にしてもらいたい
本当に
自分の推しの話をたっぷりしていくかも
聞いてください聞かせてください
ちょっとね今回話しすぎましたけど
来週はまだどうなるかわかりませんが
こういうような形で我々の推しのお話をさせてもらいつつ
皆さんからのお便りも随時募集をしておりますので
お便りSNSの投稿引き続きお待ちしております
お便りは概要欄にあるリンクから
そしてハッシュタグは平仲なので
推し花で投稿していただければと思います
それでは今週も良い推し花しよう
バイバイ