1. 空地的ジンブン学
  2. 現代の創作と批評には何が足り..
現代の創作と批評には何が足りないのか? 学
2026-08-06 1:07:10

現代の創作と批評には何が足りないのか? 学

絓秀実×綿野恵太トークイベントの感想/実作者の集まりにも批評家の集まりにもなじめない/人文は理論的すぎて、創作はナイーヴすぎる?/『ゲンロンy』は戦後の現代音楽と似ている?/『群像』の「NO WAR」にモヤる?/今の批評には“文体”がない? 今の創作には“歴史”がない?/『批評空間』の党派性/加藤典洋の文体/“公共性”を獲得にするには歴史を学ぶしかない?/ZINEブームは、反“公共”的なものへの欲求?/服装とクラスタは一致する?/サンリオショップだけが真に公共的?/池袋ヨドバシ問題


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サマリー

このエピソードでは、現代の創作と批評に何が足りないのかについて、絓秀実と綿野恵太のトークイベントをきっかけに議論が展開されます。実作者と批評家の両方のコミュニティになじめないという筆者の感覚から、人文系の理論の難解さや創作のナイーブさ、そして現代の批評や創作における「文体」や「歴史」の欠如について考察が進みます。特に、批評空間の党派性や加藤典洋の文体、ZINEブームの背景にある「反公共」への欲求、サンリオショップのような公共性のあり方などが話題に上ります。また、現代音楽の分析から、歴史認識と作品の関係性や、論理的でありながらも「人肌」を感じさせない批評への疑問が呈されます。さらに、創作における「ナイーブさ」と批評における「冷血さ」の対比、自己実現的な「ノーモア」のポーズ、そしてそれらをどう乗り越えていくかという「アウフヘーベン」の重要性が語られます。文体や歴史認識、公共性の獲得といったテーマを通じて、現代における創作と批評のあり方、そしてそれらが個人の実存とどう結びつくのかが深く掘り下げられています。

トークイベント参加と「サハ」的ファッション
宇治山です。松崎です。中村です。というわけで、ジンブン学、今日もやっていくわけなんですけども。
先日ね、はい、先日、あ、そう、中村ちゃんの話はいいんだけど。 話が逸れたわ、早くも。
いや、先日ね、あの、ネットワンだっけ、あの、 菅秀美とさ、和田の桂太のさ、トークイベントをさ、
行ったわけよ。 先日カウンターロックを押してみたね。
あ、そうそう。私が世界を肯定できる理由5選に入るやつね。 阿部和之家のウサチャンピースの人ですよね。
でさ、行ったらさ、菅秀美さ、村上春樹と、稲川雅人と、シロリアリズム研究の塚原古美と菅秀美が全員1949年に生まれたんだけども。
だから、今年77?なんだけどさ、 出てきてさ、
ハイテクスニーカーでさ、カーゴパンツでさ、 サハやなって思ってさ。
確かに、サハだね。サハだね。いわゆるそんな。 で、ポルシャツでさ。
おお、サハだね。 と思ってさ、自分見たらさ、自分もハイテクスニーカーとさ、カーゴパンツでさ、
バイトの昼休憩でさ、新宿の模索者に行くのが楽しかったんだけどさ。 サハじゃん!
それ別に、カーゴパンツとさ、ハイテクスニーカーまでは表彰だったけどさ、
模索者に行ったら別に、サハ的行動じゃん、別に。 じゃあ、全学連のさ、新しい労働党のさ、
機関誌ね。毎回買ってるから。 あれ面白いんだよね。
あれさ、新聞じゃないから、機関誌だから、すごい医療労働部なんだよ。
こういう書物ってさ、まだあるんだなっていう。
やっぱさ、サハとかさ、ここから一番遠い大学からさ、出た身としてはさ、
同じぐらいの年の若者がさ、やってるんやなっていうさ。
ガリ版じゃないけどさ、そういう系ね。 変なお父さんになっちゃってさ。
確かにでもあるのかもね。俺は高校であったし。 でも模索者って機関誌いっぱい売ってるから。
あとバサガロックスとか信じるから。 模索者ってのはサハ的行動だろ、それは。
でも外からサハになってきちゃってて怖いんだよね。
その中から見たことによってこう、これ菅秀美と同じスタイルやんと思って。
おもろいよね。カーゴパンツもさ、ハイテクスニーカーもどっちもさ、軍隊ものじゃん。
そこから持ってくるっていう。 実は戦果的な。
機能性の高い服っていうのは軍隊の服から着てる。
それを着るっていうのはパンクスのね、 スキンヘッドとかの文化だった訳だけど。
さすが秀美って三大学教授でまださ、教え子とかも着てるんだけどさ、教え子とかでめっちゃ優しいのよ。
雰囲気めっちゃいいじゃん。すごい教え子いっぱい来たりしてる訳でさ。
でもそもそも慕われてるんだろうね。 慕われてるの怖くない?
それをさ、菅秀美を加工会とかだったら分かるじゃん。同窓会じゃないけど。
ただ、菅秀美の仕事の日だもんね。
それは別に菅秀美を起点にさ、コミュニティが形成されてる訳でしょ。卒業した後も。それは凄いね。
だしさ、ちゃんと菅秀美って、菅瀬美っていうさ、昔カラタネがさ、四字屋に作ったのだっけ、あるじゃん。
教育機関じゃん。四十九みたいな。
あそこで20年以上やってるんだよ、そういう読書会的なのが。
やっててさ、でもね、やっと思ったよね。
それコミュニティってこと?
てか、ちゃんとさ、そういうさ、こう。
更新育成?
だし、あとなんつーの、こう、ちゃんと教わりたい先生に教わりたかったみたいな、気もするけど。
同世代でて実態の菅秀美を見て。
菅秀美とかもちゃんと言ってるさ、大人いる人もいるわけじゃん。
だしさ、教わりたい先生に教わるって大事だったなって、もう18歳なんで、思いを発せつつ。
まあしかしこう、自分が来た道も別に間違っちゃいないけどね、みたいな。
人生って何をね、選択肢、何を選択肢しないかの連続だからね、みたいな。
途端に一般論。途端に一般論。
途端に一般論になっちゃったけどね。
まあね、まあそれも後でも、そういうもんかと思うしかないからな、人生って基本的には、マジで。
別にそういうのって今から探してさ、教わりたい先生の、そういう始塾みたいなやつだったら全然いけるんだろうけどね。
あるだろうね、読書会とかもたくさんあるだろうし。
でもさ、何を取るかって難しいよなと思ったわ。
あ、選び取ることってことですか。
そう、俺ずっとね、もうちょっと裸の方がね、楽しめるしね。
コミュニティ形成と「教わりたい先生」
しかしね、何ていうの、批評家とかいわゆる人文系の人がいっぱい集まるとかさ、言論カフェとか行ってさ、
ああいうとこ、ああいうイベントって結局さ、その後のパーティーが大事だったりするじゃん。
うーん、まあそうかね。
世の中の多くのものがそうじゃん、実は。
まだその、コミュニティでもあるしね。
そうそう。でも文句でやって打ち上げじゃん。
私も別に、例えばライブとかさ、俺も知らない世界だけど打ち上げてね、重要なコミュニケーションがある。
行くたびに思うんだけどさ、人文系の人と会うたびにさ、俺って実作者すぎるなって思うんだけどさ、
でも実作者集まりに行くとさ、実作者するには作家っぽくなさすぎる、作家的な男性薄いなって思ってさ、
で帰ってさ、家帰ってさ、家帰ってさ、うちって今ポンヌクの恋人のポスターの枠にさ、
あの推しの生写真が貼ってあってさ。
怖いだろ。なんか不穏だわ。
壁想像してるわ。ポンヌクがメタファーすぎるかもしれない。
ポンヌクの内容が視察的すぎるだろ、生写真に対して。
ポンヌクの恋人のポスターが貼ってあって、推しの生写真が貼ってあって、
デイビッドホッグに貼ってあって、濱口隆介特集のチラシが貼ってあるんだけど、
こうやって見つめながら、
好きなものが並んでるわけ。
だから、どこに行けばいいんだろうなっていう気持ちになりつつ。
でね、なんか適当に喋ってるけど、
やっぱ結局僕としてはですよ、
やっぱりそのね、
作家は内部すぎると思ってるのよ、世の中の多くの。
作家は内部すぎると思ってるし、逆に言えば、
批評家は論理的すぎると思ってる。
すっごい端的に言えばね。
うーん、まあ言ってことはわかるよ。
肌感としては近いし。
俺はやっぱ言論前は内部スネースがなさすぎるっていうことを俺はずっと思ってるわけで。
作品がないしね。
そもそもっていうのはあるよね。
俺と批評家やわ。
文芸批評の重点が一番言うさ、
言論前は作品分析をやってるから批評じゃないっていう。
山本さん今ナチュラルに叩き出しててさ。
よく言われるけどね。
作品批評じゃなくてね。
批評自体が、
いや批評自体が、
作品批評もしてるし、
ちょっとあるし、
批評自体が文芸史によっての文学作品と、
すごい聞き離して別のものとは思ってないけど、
にしても、いわゆるだから前の回じゃなくて、
序章とかそういうものはないよね。
だからそもそも作品批評とかの話じゃなくて、
そもそも創作がないってこと?
っていうか吉本の批評には序章があったよなって話?
なんかそういうのに近い。
批評だけでも、
批評自体が、
みたいなものもあると思うけど、
そういうのには頼ってない。
構成から見ればね、
そこに何かしらの理由付けができるだろうし、
そこに実論的な出現性があるんだろうとは思う。
例えばだから、
現代音楽って考えるときに、
現代音楽ってすごい全部数学で管理した曲とか作ってるわけ。
数列で管理されて、
人の心がないみたいな曲がいっぱいあるわけよ。
それが全然調子が、
心が動かさないから伝わっていくわけなんだけど、
でもあれって実は、
構成から読み解けば、
あれは1945年以降で、
つまり第二次世界大戦っていう、
世界大戦っていうのは、
モダニズム的な人間の、
進歩するっていう、
進歩が終わったってことなんだっていう。
人間は、
人間がね、
人間中心的に終わった世界だからこそ、
創作と批評の「内部さ」と「論理性」
もっと人の、
その前にあった、
いわゆるロマン派とかみたいな感じで、
印象派みたいに、
自分の気持ちを表現するみたいな、
ことってどうなん?ってなってたから、
彼らを完璧な構造を作ろうっていう方向に、
いくわけですよ。
っていうことは、後から読み取れるけど、
たぶん言論Yは、
俺はそういう、
戦後の現代音楽的に見えてる。
俺らすれば。
彼らは完璧な論理を、
だから後から、
歴史認識として、あの時代にこういうことをしたのは、
こういうことだったから、
後になって読み取れることがあるってこと?
とは思うけど、現在の目からしたら、
彼らはすごい頭が良くて、
名責で、完璧な論理を立ち上げてるけれども、
その論理っていうところに、
人肌がないことが、
俺はすごい疑問がある。
それは何?
例えば、
読者に対して、
有益というか、
書く必然性が分からない。
読む必然性の前に。
なんで彼らがこれを書いてるかが、
いまいち、
別に分かんなくてもいいんだけど、
そういう、
きわきわ感。
そういう部分のパッケージを感じないってことですよね。
そういうのがなく、
完璧な論理だけが、きつい質問感というものがあり、
俺はそこが、
よう分からんだと、
思っている面もあるでしょ。
うん。
芸術家のみなさんも、
なんか弱すぎると思うんだよ。
俺は。
そういったものに対しては、
論理がなさすぎるというか。
適当にね。
本当に裸主でしょ。
松崎の。
別にここで共有してるとは、リスナーも思ってないだろうし。
それは大丈夫だと思うけど。
エッセイとかさ、
読んだりするためにさ、
分かるんだけど、
例えばさ、
ジェノサイが起きるときにさ、
落ち込みすぎだと思うんだよな。
俺は単純に。
俺はずっと軍曹の
ノーモーが意味分かってないの。
軍曹のノーモーとさ、
軍曹って関係ないじゃん。
うん。
あれってなんかさ、
すごい自己実現的なノーモーだと
思っちゃうんだよな。
だからそれが、
そういうポーズを取ること自体が
自己救済的であるというか、
自己弁護的でもあるかもしれないし、
ってことね。
例えば軍曹ってさ、
軍曹ってさ、売上でさ、
寄付したりしてるんだもんね。
それどうなんすかね、僕知らないですね。
一回調べるか。
寄付したら話変わってくるからね。
ノーモーで得たものをですか?
どうなんでしょうね。
寄付してるかどうかは関係ないんじゃない?
そこは。
まあでも、
需要がどうなってるかによるか。
軍曹の文芸師としての
立ち位置を、
松崎がどう取るかっていうのは別だけどさ。
パッと見では漢字は出てこないか。
でもなんか、
そこがずっと気になっちゃうんだよな。
そもそも軍曹の売上は軍曹のものじゃないしな。
そこが難しいよな。
ノーモーは分かるんだけど、
なんとなくそこがジェキと結びついてない
感があり、
ソラニーの種田的な
ナイブさや。
ナイブさに回収されてるのではないかという
気持ちがあり、
でもカビって人文側っていうのは
冷血だと思い、
どうアウフェーベンするか
っていうことが
大事なんだよなー
っていうだけの話なんだよな。
「アウフヘーベン」と実存
極端に見えるときもあるけど、
分かるよ。
俺もなんか、
極端に例を2つ言った
ってのも分かるし、
そもそもさ、
具体的な名前は意味ないから
言わないけどさ、
どうなんだろうね。
でもそこのさ、
そこの両立を
取ろうとするっていうか、
そこでアウフェーベン的な
何か、それってさ、
松崎固有の
問題ではあるわけじゃん。
他の人とは距離がある。
松崎が松崎自身である
っていうわけじゃん、それって。
長生きしてきたっていうのもあるじゃん。
高校生くらいだったらそういうことは思わないじゃん。
自然と寄っていけるじゃん。
寄っていけない部分がさ、生きていけば生きていくほど
生まれるから、人間って。
松崎は自分なりに
自分の生き方をしてきたっていう部分が、
もちろんそこから変容していくけれども、
あるから、
そこはそういう年齢になった
っていうのもあるだろうけど。
そういうアウフェーベンすること自体がそもそもさ、
実作者との話だけどさ。
実作者なら別にどっちでもそうだけど。
批評でも。
の態度としてあるんじゃない。
内部差を乗り越えてさ、
他者とさ、
コミュニケーションを取るならさ、
そこにはさ、
論理とカードの
理屈っていうのはさ、
必然とさ、要求されませんかって
だけの話になるんでしょうか。
なんかその、
今松崎が例に挙げた2つだけど、
それぞれの
理念というのがあるわけじゃん。
それに対して、
その人の生活の実存というのがあるわけじゃん。
例えば、
実際にどう振る舞うかっていうのが。
とか、自分のその、
生きてきた、これまでの経歴、
今のポジションとかがあって、
そこと、
折り合いをつけて、
その理念を出さなければいけないから、
そうなると、
例えばその、
言論映画っていうよりもその、
批評的な本たちが、
自分、
その内部さを出すことが
実論的に許されることではない
気がするんだよね。
で、
仕事でもないしね。
そもそも言論が結構若いっていうのもあるよな。
原稿料をもらう批評の仕事っていうのは。
そこで内部さを出しちゃうっていうのはこう、
テロじゃないけどさ。
あとまぁ需要の問題でもあるし、
仕事の問題でもあるしね。
逆に、
内部さを取ろしてもいい職業
という風になってるっていうのはあるんじゃない?
それでお金をもらっても
いいっていう。
普通にもっとその、
現実的問題としてはそうかもしれないけど、
もちろん俺も、
ある程度の強化を示すから思うけど、
感情とか、
そういったものに埋没するべきでもないし、
理屈とか論理っていうものだけに
埋没していたら
良くないってことやろ?
今の話だと松崎の
固有の状況というところから
スタートして
考えなければいけないよな。
それはもう、
松崎が松崎のように
バランス取っていくしかないよな。
でもそれ、作家によってはバランスそれぞれだしな。
本当に。
今、
批評文的な内部の
告白されたら異国だもんね。
嬉しいときはあるけど、おっとはないよね。
でもさ、
パターンもあるしな。
批評文には内面とか
その実存的な問題が
発露されてなくても、
その批評文の存在自体が
その実存的な
問題のパターンもあるし。
批評が文学じゃなくなってんやろな。
文体、歴史、公共性の関係性
対象性があるという規模は
消極してしまうもんね。
松崎が…
確かにそれ自体が
実存的なものを
読者として求めてしまうというのは
文学作品として読んでるからというのは
あれだろうしな。
内部と批評の
頭でっかち的なことと
また別にその松崎が
アフターパーティーが重要としてたけど
その人の属性
とかがあるわけじゃん。
例えばオタクっぽいとか
陽気で
人とコミュニケーションが好きとか
そういうところにもまたこういうの
手癖みたいのが
あり
だからそう思うと
自分だったら
自分だったら
割と
人と能動的に
関わっていくのが得意なタイプではないから
自分が
信頼された人間以外にあんまり
政策の心が開いていないし
だから
例えばそういう意味で自分だと
人を集めて
扇動したりするのは
自分の理想に反すると思ってるし
そういうものをやらないと思ってるし
あと
一方で
私はこの大学で
哲学を学んだ人でもないし
文学はまだ大学も卒業しない人間だから
そちら
借りてきた言葉でしかない
もので
語ることが不実論的な営みではない
みたいな
袋小路感は
自分でもあるし
逆にでも
オルトナティブロックやってると
そこが自分の
固有さでもあるような気がしてくるから
何も持ってない人がチープな手で
やったほうがかっこいい
だし
ありふれてるものの中に助長がある
でもどうなんだろうね
自分がさ
自分固有の
状況に
落ちている
というところから
スタートするものごと
たくさんありますからね
一般論として
文体?
文体なのかな
文体がないのかな
文学作品
小説にもよることやん
文体がないって
分からんけど
それこそさ
文体っていうのはさ
文体もさ
人それぞれによって定義が違いますけど
その人が
その内容を書くにあたって
そうでしかあられないように書くものごと
多くの今までの
善人の人たちが
とられてきたことをざっくばらにまとめると
そんな感じやん
基本的には
とした場合にはさ
松崎が言ってることもさ
ちょっと近づけるとさ
感情なり理屈なりを
感情理屈づける行為でもあるわけだし
文体を作るということは
秩序を作るということでもあるわけですから
それこそさ
理屈を訴えかけるための
訴えかける要素としての
文体もあるわけですし
しっかりした秩序がないと
内部さは出せないよね
お気配的って文体があるんだよね
多分
お気配的ね
これ多分本人は否定するけど
みんな揃って
村坂和志みたいかなって言うんだよ
はいはいはい
私さ結局さ
私はね
加藤天陽派なんだけどさ
今のとき珍しい
加藤天陽ってね
長嶋重彦を空手に本人からしたら
普通に敵である
敵である
そして長嶋空手に文化から離れたと言われている
菅からしても
加藤の論議は常に甘いわけで
批判対象だから
加藤ってインテリゲンチャーと同じで
攻撃されてることでしか最近見ないよ
加藤ってどっちかというと
今は割と
あれだよね
なんていうの
いわゆるこう
古い人が褒めてるよね
この前の国文系
のやつとか
だから
天皇陛下の敗北
加藤褒めてると言えば褒めてたけど
youtubeみたいだよね
天皇陛下の敗北っていうタイトルの煽り感が
赤字で
斜めにゴシックで入っててさ
国文の顔あって後ろが炎燃えてる
サムネが
中田敦彦のyoutubeタイトル
最新型のサムネ
現代史の中心は
〇〇にある
松崎一旦
煽りが収縮してきてる
大丈夫か
youtubeに論理がありますか
長野の論理
あれはどういうことなの
最近の
サインショーを撮ってる知人とか
最近割と出てきた親友の知人が
長野に多すぎる
長野に行くと杉本真彦が
杉本真彦と
中尾大地と石田涼が
まずいる
この前の現代史手帳の
深夜特集の新人の中で
2,3人いるわけ長野
長野ってホスターマグナ通ってるじゃん
伊藤井川からね
中心やん
いいね
こういうことしか言ってないんだけど
そういう加藤範博
加藤範博の言ってること以上に
文体っていうのがあるわけよ
加藤範博もね
文体っていうのがあるから
加藤の批評って面白いって考えるときに
単純に
ずっと言ってることなんだよね
批評の現場性とコミュニティ
批評空間の
バックナンバーを買ったんだけどさ
水戸の古本屋に
水戸の本屋に
法事で水戸に帰ったのよ
水戸の本屋にはさ
返品期限を過ぎてさ
35年経った批評空間が
まだ売ってんだよ
あーなるほどね
しかも叩き売られてんの
300円
で批評空間って結構
高いじゃん今
ちょこちょこ
メルカリとか高いね
それで批評の場所がどこにあるのか
っていうアホみたいな評価統計を
持っててびっくりするよ
唐谷と山城むつみと
大杉茂雄と
福田和也と
井口時代
大杉茂雄が
若くてね
唐谷豪人も若くてね
おじいちゃんしか見たことない
全員ジジイの顔しか覚えてない
おじいちゃんになってからの文章の親しみがある
イキユ太郎がずっと
鈴井貴之に唐谷豪人に似ている
言ってるよね
鈴井貴之に似てるってことは
アダムドライバーに似てるってことなんだよね
永遠期的にね
アダムドライバーは唐谷豪人
俺は福山正晴だみたいな論理じゃない
似てる予想で言ったら
だってスターウォーズの後半
途中からずっとカイロレンが
ミスターにしか見えなかった
って思う時間があるからね
だからさ
そん中でずっと話してるのは
批評の
現場性がなくなってるっていう
唐谷とかすぐ丸々してるみたいなこと
言うわけだけどさ
実地
今を生きる人に
届かないってこと?
なんだけど分かんない
現場性だから
唐谷とかやっぱよくない
批評空間がさ
後ろの世代とかに批判される理由
分かるんだよね
そういう言葉をとりあえず独自の言葉で
みんなで理解し合って
それから唐谷豪人が一行だけ
京都各官はもっとこういう本読んだ方がいいですね
格好悪いとか書いてある
必ずついてくる
批評空間って結局
独自の
コミュニティ内で流通する言語と
明らか明確な
透過性を持って
批評界に派遣を取った
ってことは分かる
ちょっと内輪のりみたいなところもさ
なしには語れないしな
弟子が
唐谷豪人とかハスミの弟子が
山城とかね
参加し合ってるっていうのも
その中でどんどん
循環してる感じというか
結局それはブッとなんじゃないかっていう
それこそ別にさ
それ自体さ
独断さそれについて知らない方が
独自の論理で回してるからさ
現場性がなくなるんじゃない
ナムしたから失敗したともいえませんね
怖すぎるんだよね
唐谷豪人が一行だけ出てきて冷静しててさ
それちょっとおもろい
やっぱりギャグだね
共同動議で言われてるのは
結局
普通に研究者みたいな
文章で論文
研究者でか論文みたいな文章で
批評書いていくから問題じゃないですか
って言ってるだけで
山城くんみんな断章形式書いたりしてるから
やっぱ山城くんいいよねみたいな話をしてる
外部下げ内輪上げで
そういう意味で
文体なのかもしれないって気もしてきたね
最終的な文体意識の欠如
っていう問題になってくるわけですか
批評の
それぞれの固有性が文体によってある
意外と
批評空間の文体ってあるもんね
逆に言えばだよ
仮に
雑に想定してます
今の批評には文体がありません
今のさ
作家には何がないの
文体だよ文体にいいじゃん
でもさ内部差が
炸裂してる方々が文体を持ったらさ
内部差がもっと出るだけなんじゃないの
内部差を理屈付けるのが文体なんじゃない
秩序の
わけだから文体ってテキストの
真ん中に
コッサバグで
文体が
バレちゃうよ
まあでも難しいけどね
一括に文体ということもできるし
例えばそれ自体はさ
和法の問題もあるわけじゃん
語法の問題だけじゃなくて
そもそも和法というものが
その
現代においてどれだけ有効なのかも分かんないし
それ有効だとしてどういったものが有効なのか
とか
どういった種類のものがあるのか
っていうのは全然あれですけど
一般的な
文体意識の欠如と引用の時代
小説の読者は
そういう風に読む人が多いんだろうなとは思うよ
結構
俺が切り抜きでしか見てないけどさ
アズマンがさ
サイトコーヒートーンの
ゲームで言ってた
文学と政治というか
政治と文学というのは両軸なんだよ
って言う
両軸じゃなくなっちゃってるんだよ
サイトコーヒーがめっちゃ陽気やな
サイトコーヒーが陽気やすぎるんだよね
俺あれ見たいんだよ
普通にただのさ
人文
人文ファンとしてめっちゃ面白いんだよ
サイトコーヒーがさ
遅れてくるんだけどさ
ココスカーって言って
めっちゃ滑るっていう
言論がアウェーやから
サイトコーヒーが
ココスカーみたいなノリに対して
ソース感をくらってるっていう
サイトコーヒーがさ
ソース感のせいでさ
今見たことないくらい緊張してたよね
最初の方
これ2秒くらいしか見てないんだけど
マジで
言われたから
マルジェロ来てきましたよ
サイトコーヒーって
陽気やで活動家で
ちゃんとサッカーで
めっちゃ理論家で東大教授なのっていう
完璧だけど若者と接し合ってるしね
熱いよね
本も売れてるし
本売れてるのがでかいよな
なかなか売れる数じゃない数
50万プール
勉強なんだと思うんだよ
指標には文体がなく
サッカーは勉強が足りないっていう
勉強が足りないっていうか
俺が怒ってるとかじゃなくて
自分自身にも言ってることなんだけど
渡野啓太のね
俺トークイベント行ってからさ
トークイベント行く前の
前の日にアイライフ見たんだけど
そっから俺スカヒトリとアイライフと
渡野啓太の話考えてないんだけど
以上成人男性としてね
そうそう以上成人男性として
高額起動体が楽しみっていう
以上成人男性じゃなくて
俺が考えてない
俺が考えてない3つだった
指標とアイライフと
高額起動体が楽しみ
そんな変わんないから大丈夫
熱いってだけだから
そこは考えてないんだけど
渡野啓太が
って何ていうの
差別はいけないとなぜ言うけれど
渡野啓太っていうのはあれは一応
人文書だよねいわゆるさっき言えば
その中で渡野啓太は認知バイアス
の話を持ち出すわけ
差別っていうのは
差別には認知バイアスが関わってるんだっていうこと
これ
俺すごい重要だと思うんだよね
だから例えば
私のこの内部差っていうものを
ただ
内部差と出力するんじゃなくて
例えばどういう風に構造性
されてるのかっていうことを
ちゃんと勉強して検証するっていうことが
大事なんじゃないかって気が
なんとなく裸になるようにするんだよ
これはね
日芸出た人がまだ日芸のこと
ぐちぐち言うかって話なんだよ
いる人に言ってもね
今日も行ってきたわ二人で
リアリティの距離が近くて
良くないのかもしんないなと思いつつ
今日も二人で仲良く一緒の授業を受けてきたんだ
思いつつ
俺が日芸で
距離が遠いと近い人に関わらず
まじで五六人ぐらいの
口から聞いた言葉があって
あなたたちにも何か言うかもしんないけど
あんまり
哲学とかは
距離を取りたいんだと
なんで
距離を取りたいのかっていうと
何かを勉強して
それに自分が
思ってることが言い当てられちゃったら
嫌だからっていうか
例えばパスカル
パスカルじゃないよな例が
メルドポニティとか
直角三角形の人
パスカルじゃない
パスカル考える足の人だ
例えばそれが
メルドポニティだの
ドルースだの
言ってることに
言葉に
そうだと思った時に
自分の思ってることが
全部戦争機械とか
機関無き人体とかになっちゃうことが
怖いっていう
自分に認知バイアスがあって構造の中で
生きてるっていうのが怖い
理屈付けられたくないっていう認識なのかな
を聞いて
これを結構な数聞いて
それ自体が別に
でなんか
一応
今のものを作ることをここで出している若者の中では
何割かはある
ムードなのかもしれない
全体ではないにしろね
そういう人たちが
作品作りをしたいから前後
あれでにしろそういう感覚がある
今エクスキューズがね
ミルクレープが乗ってるみたいな
っていう言葉を聞き
俺が思ったのは
自分のこの世界に対して
何か
ナイブネスな文学性があるとすると
それがさ
認知バイアスだったらってことが
俺は思う
自分の言葉で
自分が思ってることをただ出力することって無理だから
その時に
必要なのってすでに世の中に
解明されていたりする
ことであるとか
あるいは例えばさ
それこそナルタヴィケンジがカレキナダに置いてさ
あれは端的に言っちゃえばだよ
ざっくり言えばさ
反自伝的な内容なわけじゃん
一応家族構成がピッタリ一致してるんだよね
そういう小説っていうのはさ
あれはさオイリプスにだっけ
そういう神話だよね
オイリプス神話ですね
神話を持ってくることで
自分のパーソナルと神話っていうのを
リンクさせることによってさ
一種の公共性が生まれるわけじゃん
それで中身は
中間術的な文体で書いているし
だし
よりサーガというか
神話的なものを求めてるわけです
近代的な総合文学というか
だからなんかそういう
俺はむしろ
勉強した方がいい感じで
俺は高校の時に
トグビズのブログを読んで
トグビズは本を読むだけ読んだ方がいいんだと言ってるわけ
トグビズっていうのは
寝ても覚めてものエンディング曲の
リバーを作る時に
川についての曲を作ってほしい
みたいな感じでいられるわけで
最初にやったことが
本屋に行ってブルーバックスを買うこと
川見に行くことになる
確かにちょっとトグビズ頭デッカチか
それもさ
一般的な別に見るとちょっと頭デッカチか
自分にとっての川はなんだろう
川見に行ってもいいし
今住んでる川見に行ってもいいかもね
しかもどうやって川ができるのか
ブルーバックスを読むところから
先生も始めたんだと
すごいわかる
旅行に行く前にその土地の本を読んで
旅行に行っちゃう人間だからわかる
って考えた時に
だからやっぱり
そこの
自分の思っていることを
もし
出力するなら
人に伝えたいなら
それは何かしら
理論だの歴史だの
そういうものを経由するべきなんじゃないの
っていう裸感
でもそれはさ
公共性の可能性と限界
基本的にアキチェルは共有してきたことではあるんじゃないの
アキチェルが高校3人で
一回LINEグループで投票して
誰が投票したのかバレない
こういうのもあるかもしれない
でもまあ
裸感として
でもさアキチェルというか
そういう時投票し
思わないに入れたいよな
なんか全員思うに
言ってたら
そういう時思わないに入れたい奴しかいないんじゃない
そんな中学の時の
中学生のアボノジャクみたいなもの
まだ抱えてる奴らの
集まりだろ俺ら
そこからスタートしてるの俺ら
だから0だよ
0と8とかになるでしょ
そこの審判も怖いだろ
同じ
政策的認識
多少の差異はあるけど
基本的なものが共通している方がまだいいだろ
なんか手のひらで踊らされてる
お前らすごいなこんな
マウントと切り替えしかしてない番組だったら
俺らさ
基本的にはさ
俺らはさ切り替えされた
でもまあ
でもまあ
俺も近くて
例えば
俺は小説と書いてるわけですけど
例えば何かコミュニケーションを取る場合
読者と
バカ文革という
鋭意があるとしたら
その公共性
そもそも物語にするという時点である程度さ
あるから
小説を書くという行為自体もね
映画とかそれも別の問題では
同じようなことがあるわけだけど
あった時にさ
点と点を結んでいく行為
切断と接続という言葉も使われたりしますけど
ということによって
映画を行われるとしたならば
空間的把握と時間的把握が必要だと思っているから
そういう意味では歴史認識があり
同時代への理解であり
公共への理解であり
っていうのも必要だなと思ってますけどね
なんかこうね
過去からの未来の時間に
自分を置くためには
でもそもそもっても確かに普通に
今まで本読んできたからそんなに自分のことを
大事に思ってないかもな
自分がいかに文化的行動とかさ
社会的バイアスとかさ
そういったものにまみれて生きているか
っていうことを感じますからね
まあでもこれは一個の立場の
違いでしかないですけどね
常に遠いところに行きすぐらいじゃないんだよ
遠い二つの点にいないといけないやっぱり
たまに人それを
倫理的態度と呼ぶしな
そう
アイライフ行って素材に行くしかないんだよ
俺としては
お前の中で繋がってるもんなそれは
倫理がな
なるほどね
子に埋没することは
想像力の欠如って言ってもいいんじゃないかな
と思ってるんですよ俺は
松崎のさっきの話を聞いて
なんとなく
そう思ったけど
正直
自分の外部に興味がないのは
興味がないし
自分の外部に
何か自分を変えられないっていうのは
変えられたのが怖いし
嫌だというのは
なんか普通に
物を作りとして良くない気がする
自分の内部のあるものだけなんとかしよう
それはさ
俺のエクスキューズがさ
無化されない
それは言葉を選ばずに今それを言ってる
それを言った動機の顔が
5人浮かんでるんじゃない
俺も浮かんでるもん
俺も浮かんでるんだ
やっぱりさ
仲村で一番面白いよな
冷血なさ文革世代
いやーでも
冷血な文革世代って
こいつ切り替えしてるだけやねん
こいつ冷血すぎない?
たまにゾッとするくらい冷血すぎない?
いやー
家に温度があるから
冷たく荒れるってこと
熟練夫婦みたいなもんで
家に犬がいるから
無敵っぴ
こいつのライブ映像編集してさ
だからさその一週間
こいつの番2時間ぐらい見てたんだけどさ
こいつさ
オーソドックスな文革青年すぎて
言い方なくて
顔つきが?
オーソドックスな文革青年ってさ
オーソドックスなオルタナティブ小僧ってことでも
そんな遠くない?
文学寄りだよ
いや
松崎に
最初の松崎と淡いの話したけど
松崎に言われたら思い出すわ
文学青年とバンドマンの
どちらでもない顔をしてるって言われた
それは別にオリジナリティという点ではさ
それは確かにそうだと思う
それはそうなんだけど
単純に2時間見てると
誰もお前のこと攻撃してないよ
笑い声
笑い声
笑い声
それはあるよな
それはあるよな
もう終わり
今にも死にそうみたいな
顔でずっと歌ってるんだけど
お前それさ
ビール飲みながら見れるライブしてくれよ
でもさ結局さそこにさ
明らかにさ
あなたのバンドの音楽ってさ
わかりやすい歴史性とさ
世代があるわけじゃない
あそこに
そこが大事だと思う
俺が一人でやってたら
話は変わってくるよあれは
あそこにいろんな
単純にあれはかなり
わかりやすく
文化的な素描がある人が
やってることがするわけじゃん
明確に
リファレンスがある男があって
そこに歴史と
歴史があるわけ一緒に
誰も
攻撃してないように
歌ってるっていうことが
そういう意味でこの話の
意味とは理想的な形なのかもしれないなって
2時間半目に思った
それまでは
笑えちゃうよね
割とそんな
短くない付き合いじゃないですか
のやつを改めて映像で
見たときにすっごい文学セリフの
顔してたらすっごい無情よね
本当に
でもバンドとかは
いいところはやっぱり
俺が文学セリフっぽい顔で
ファッション、アイデンティティ、公共性
ライブするわけじゃん
普段日常とかスタジオとかで話すわけじゃん
あんまりピンときてないことだよね
2人で
別にそこが好きで
一緒にやってるわけでもない
そういう意味でバンドメンバーと
バンドという共同体の時点で
ある程度の公共性が担保されてる
別にそこはどう思うが自由だし
ルールとして
ポジティブなことは
とりあえずやってみようというのがあるから
止めない
それぞれのそういう部分を持ち寄ってるわけでもあるし
あと新たな楽器があるしね
まあね
自分に跳ね返った時にさ
いつかさ俺の人生のどこかに置いてさ
なんか
世界から攻撃されてるみたいなやつが
顔してんのかなって
申し訳ないけど
オマエアオタビ思うよ
誰もそんなオマエのこと置いたててないよ
って思うよね
もうちょっとその
おーおーイージーイージーみたいな
だって俺今日だと思ったもん
最初の集合の時
集合から集合してここから来るまで
30分くらいあるわけじゃないですか
ぐらいの時にものすごい早口で
バーって喋って
そんな攻め立てても
また松崎の別話だけどさ
さっき松崎は
勉強することが結構大事だと思って
みんなのこと言うけどさ
これ同じくらい
ライブとかでナイーブネス突き詰めることが
結構誠意だと思ってる
限界まで練習して
そういうのもあるよね
意外とそこが
分体とかなのかもしんない
ナイーブネスを
短絡なんじゃないか
短絡かな
ナイーブネスに向かって努力をするということが
対して努力をするというのが
分体かもしれないと私が言った
そう考える人もいるよ
どう描くのか
何を描くのか
こういう
対象があって対象に向かって
前進していくみたいなイメージ
距離の取り方じゃない
そこで一回形式というか挟む
そこへ意識を
向けておく
それはね
楽器の場合はまたちょっと違いますよね
バンドで
気持ちをうまく表現したい
ってなった時に
自分の内省じゃなくて普通に練習が
必要になるわけじゃん
あんまり楽器やってない人と
楽器やってたら
バンドマンの顔つきが違うのは多分それなんだよ
あいつらは何も考えずに
一日ギターを触るだけの時間があるんだよ
スポーツとかと同じだよね
それをやらなくちゃいけないし
だから普通に
説明が難しいんだけど
そこですごい脱社会化みたいなところがあるんだよね
そこでされてるっていう
社会が崩壊し
世界が浮上するの
でも本当にスポーツとかって
運動とかってそうじゃない?
それ自体で自己完結してるってこと?
俺が最近運動してる理由も
それだしね
文体なのかちょっと分からないな
言ってみたけど
文体いろんな人がいろんな風に考えてますからね
引用の時代が来たんだよ
サンプリングの時代が終わり引用の時代が
それこそ平面とか
奥行きとかの話かもしれないしな
そういうので
ちょっとずつ
物事を立体的にしていくというかさ
複数の視点を
一つの物事に持ち込むことって
普通に知性ある行動と言っていいから
サンプリングとかって逆に
いろんなもの
いろんなものの見方とかを
一つの平面にグシャッと押しつぶして並べるのが
サンプリングの格好の差で
極の私にね
牧師的なところに向かっていく
モザイク画みたいなイメージ
引用は結構似てるので真逆だよね
引用っていうのは
引用元が分かることが
重要であるし
サンプリング的な
なぜ私が引用しているのかが大事だよね
そして引用しているものの内容と
私の内容がどうリンクしているのか
そこは説明できなければいけない
説明できない
それを文章で果たされるべき責任だから
基本的には
サンプリングっていうのは引用元が分からないことが大事だが
引用っていうのは引用元が分かることが大事だよね
サンプリングって言うのは
シミュレーションについては
自然でこうなんで
あれから
産業が
行動化していくということに
対して
一種のオルタナティブとして
示されたわけだけども
生まれた時からこっちは産業化されていて
全部がモザイク状になっている
ってことは
その中で正しい引用を
していかなきゃいけないんじゃないか
って気がするね
そうしないと
分かり合いが
広く人に届かないでしょ
本当に公共的なある必要があるのか
分からなくなってきた
それも言ってくると分かる
人文部ってそういうことでしょ
人文部ってそういうことでしょ
閉ざされたわけではないけど
その番人という意味ではなく
ある特定のコミュニティに対して
その機能を果たして
そのコミュニティとして
機能していく
そのコミュニティが
規模を拡大していくにつれて
薄い公共性みたいなものが
分からなくなってくる
人ビームと人ビーム
近すぎる
人ブームと人ビーム
近いね
滑舌によるなと思っちゃった
ポッドキャスターとかで
人ブームって言うと人ビーム
人フェスってなってる
人ビーム好きじゃない
人ビームと近いじゃん
人フェスって言うときにさ
ジンのフェスの可能性があるじゃん
肉フェスみたいな感じで
わかる
ジンって言われて真っ先に浮かぶのが
いわゆる
同人誌とかの領域ごとの
人の人と
酒のジンの一人
酒のジンの人が日本で
多い気がする
俺ジン様だけどね
ジン様は誰
ジンのトモドリ
フジワラ乗り換えて離婚した人
そういう認識
乗り物搭載し滑ってる人でしょ
いやそれ
後ろで動画流す人でしょ
後ろで動画流す人やばいね
一番やばいね認識として
ジン大トモドリの認識
後ろで動画流す人
VGじゃん
あんま面白いと思ってなかったから
パワポパワポ
でもありがたかったんだよ
多分ジン大トモドリを
面白くないと思って腐らすのが
うちだった
基本的な
中高とかでもそういう部分があるしね
必要だったと思う彼が
世界の
共通的ということで
ジン大トモドリ面白いけどね
ネタ面白くないけど
わかんないよね
本当に好評的である必要があるのか
わかんないよね
うーん
でもそうかもね
公共というものがそもそもさ
そのさ
あの
日本社会とかさあるいは世界全体
とかっていうものに対して
向けられてるものももちろん
あるわけじゃない
それが実際に可能にしてるものも
あんのかもしんないけど
それがそもそも成り立つ前提なのか
っていうところもハナハナ疑問ではあるし
公共性とか
新自由主義を加速させていくだけ
なのではとも思うより
うん
なんか
そこに加担してるだけのような気もしちゃうよね
公共的なことが既存の構造の
工程であると
うーん
そういう意味でやっぱり公共
なんか
その
アーレント読んでないからわからんけど
正直
アーレントあれは無派的なんだよ
とか配信で言ってたけど
そういうのもなんとなくわかるよね
ニュアンスとして
歴史とか公共とか言うとさ
喫煙所問題と公共性の再考
保守化してくる
俺はどっちかっていうと
あんな結論的な意味での
誰もが参入可能で誰もが離脱可能な
コミュニティってことが最も公共的だと思った上
ずっと公共的って言ってんだけど
うん
今宇野恒博の永遠連のくらい早かったね
こんなくらいのスピードよ
今日ずっと
宇野恒博の永遠連のリスナーから
クレームプロらしいからね
早口すぎる
北野たけし以来も
北野たけし以来もみんなその
低速にして
聞いてたと噂の
そういう意味ではもうね
わかんないよね
俺がずっとさ公共性が大事なんだよ
って言ってたこと言ってるのもさ
日芸でさやっぱさ
公共性がなさすぎる空間だったから
っていう
日芸はさまざまな問題
はらんでる
俺が大学にいるときにずっと
あまりにも
この場で行われている
生み出されている表現の何割か
大半だよね正直
5割以上として思う
あまりにも公共性がないんじゃないかと思いすぎて
これじゃだめだ
と思い続けた結果
謎に公共性にとらわれているのではないか
という一つの危惧がある
基本的には同じ景色を見てきたわけじゃん
専攻まで一緒だから
教室も一緒だったじゃん
俺は基本的に技術の問題だと思ってた
技術があるときは公共的だと思ってた
そうそうだから
そう思ってた
正直俺は彼らがどうなろうが
別にどこでもいいわけだ
ただなんていうの
それを見ながら俺は
公共性がないことを持たねばならないのではないかと
締める
自分のために思ったわけ
公共性について考えているんだけど
わかんないよね
メンタル童貞的なことなのかもしれない
公共性みたいなことが
どういうこと
好きな子に
自分が好きなものを教えたい
純情可憐な君とウィーザー聞きたい
みたいなこと
すべてみたいな歌詞
自己反省の鬼さんに
やっている番組としては
何を言っても自己反省して破綻するんだけど
それ基本的な
知的行為の一つじゃないですか
知的オナリンの話もあるよね
自己反省って
俺が前回言ったけど
俺が自己反省
自己反省は時折
反省している自己っていうものに
離脱じゃないですけど
インしてしまいますから
君はインしているねって言われたらしいから
だよ
小桜寿司
小島の子にプレイソングで最後
会話だけで3ページで続く
君は小説に
インしているよって言われたらしい
小説にインしているということを感じる時って
結構ありますけど
新人賞原稿とかの
インしている部分は
俺は基本的に好みですね
やった方がいいと思う
ああいうのが新人賞を取るんだなと思ってますよ
今日もさ
山田ゆみのベッドタイムアイズを読んだんですけど
暇だったんで
あれも最後インしている部分が出てくるんだけど
そこが
本当に
そんな魅力には思わなかったけど
ここが小説の動力だなと思いました
俺は
中学の時に自己投水という言葉が
ミームになりましたから俺の中で
自己投水
自己投水してはならない
自己投水してはならない
自己投水は結構
流行りがちだよね
そういうあるじゃん
真っ女性みたいな
なかったかしら
自分が公共って
開かれたものをやりたいと思っているけど
本当に開かれたものが開かれたものなのか
結構ちゃんと考える必要がある
2026年でも
自分が考えたものがちゃんと開かれているんですけど
最も公共的なものってなんだろうなと思って
とりあえずアイラインを見に行ったんだけど
アイドルは公共性だと思っている
自分で基本的に
って思っているんだけど
正直アイドルの部分は
終わった感はあるね
2,3ヶ月の間
ちょっと前から
紅白にこんな新しいアイドルがいっぱい出ましたみたいな感じ
終わりなんか
ある程度新規を取り込んで
これから内側に修練していくだけの時代が
来るんだろうなみたいな
結局だから
見に行って
いつも思うのは
こう
一人で
見ちゃうんだけど
赤帽で
一回の内側だけなんだなっていう
魂じゃなくて呪いじゃなくて
そういうようなもんだよね
そもそもそれは
公共性というのがいかに可能なのか
というのは
背後にある社会的
共通認識とか
あるいは文学的な言葉で言えば
大きな物語とか
そういったものが存在しているのかという
疑念もあるし
その上で公共性というものが
例えば作家が
公共性を目指すとして
その公共性がどういったもので
それはどういった形で可能なのか
そもそも可能なのかというのは
すごい議論が必要です
公共性ってポジティブに
誰でも面白いと思いますよ
ってよりかは
誰でも参加できるもの
っていうものが近いと思うんだよな
例えば
何かの特定の
性別とか
出身とか
アイデンティティに寄らずに
見れること
あと怪我や病気
遠い場所に住んでいる
とかでもアクセスしやすいこと
合理的ってことか
いわゆる
やっぱ図書館に誰でも入れるのが
公共性だからさ
そうだね
って思うともっとシンプルかもしれない
そこ以外は逆に
ちょっとわからない
急に意外と悪くなるみたいな
これはもうね
分かる人しかわからないなと思ったんだよ
ブルジョワンの上部構造
上部構造の
パワーブラシ
リベラルなインテリ向けの
映画で誤算したみたいな
気持ちになっちゃったわけ俺は
上野の
ロボシネマズで
めっちゃリベラルな
感じの格好の人がいっぱいでさ
やっぱさ正直さ今において
ファッションって高度だからさ
昨日もね地元のマックで
夕飯食ったのよ
隣の席がさ
モルゲンちゃんみたいな
女の子だったわけ
youtuberの
同じ大学を出ていらっしゃる
出てないんじゃない?
同期なんだっけ?
そこまでわからないけど
心配してたの
元にじこんだ原田すずかもいる
それはいいんだけど
日芸にもいっぱいいるからね
モルゲンちゃんみたいな子が
いたわけ
俺は普通に食ってたわけ
途中で彼氏が来たわけ
虫みたいに得意からね
途中で彼氏が来たの
彼氏かわかんないけど
誰にそっくりだと思うの
これ社会的行動と
ファッションは関連ついてるって話です
モルゲンちゃんと
ごめん
そんな表情浮かばないけど
言いにくくなったよ
すごい言いにくくなった
誰に言ってたの?
ベテラン人
今言おうとしてるけど
言いにくかった
アンマッサーだって
それずるくない?
誘い込まれてるわ
ここでアンマッサーとは言えないじゃん
実体があるじゃん
生アンマッサー
キムタクくらい
横浜流星とか
俺はやっぱ
自分の趣味思考と
ファッションと社会行動は一致するんだ
ってことがわかり
確かに菅秀明の組という人とかも
大体同じ
格好の人がいっぱいいたなと思い
確かに急に
全員同じ格好していたんだよ
そういう意味で
アイデンティティと表彰と
自己実現とか
自己表現と
一つ一つの
大小の問題であって
公共性というのは
あれより内輪に過ぎない
そもそも
モルゲンちゃんみたいな人が
アンマッサーみたいな方を
好むかどうかも議論が
分かれるところですから
ただそうだったというだけ
そもそもそんな界隈が遠い人たちではないし
一緒に仕事もして
一緒にいた人ってことだよね
単純に彼らがロールモデルになっている可能性は
大いにあると思う
あれだけの規模感だったらあるでしょうね
異色重の中で
いいだけが一番外に
自己投影と文学的恋愛
外面的に見える
自己表現だしね
人のファッションでさ
結局今一番熱いのは
産業ショップだと思うんだよね
ずっと喋っていこうだけ
産業ショップだけは
特定の高度の格好の人が
じゃない人もいる結構
時代っぽい女の子とかが
いわゆるピュームとかが
着ている女の子がいっぱいいる
普通の
ツイッターで有名な
レディオヘッドを聞いていない
おばさんっているじゃん
ひどいやついるじゃん
産業おばさんもいるわけだよ
これなんか
ちゃんと読んでないと待つときはすごいひどいこと言ってみたい
なんだっけ
好きなこと何一つない
あれが一番面白いのはケルケゴールのこと
ケルケゴールって書いてある
嫌なんだ
それは置いといて
こういうところちょっと無駄な
必要な話だよ
こんなところに取り上げる話あるよ
あと5分10分でもなきゃ
産業ショップは結構
いろんな人がいるわけよ
そうだね
そう
おじさんもいっぱいいるし
男性中もすごい
リッチとかもあるよなと
それこそね
産業ショップっていいのが
定員が怖いそうなんだよ
いい店だ
ああいう系のショップってさ
定員もさ
スタバなんかさ
夢を作る側に加担してくるじゃん
頑張ってるんだよ彼らは
ディズニーランドのこと言ってますか
夢を作る側に加担してくるじゃん
だからサービスという
常用価値があるわけです
でも産業ショップって
袋減らす
暑いんだけど
スタバみたいな経営理念は持ってないわけだ
スタバには
俺スタバの企業理念にはことごとく
賛同的なんだけど
カスタマーエクスペリエンスって言葉があって
活性区があって
そのカスタマーエクスペリエンスを
重視していると
っていうことを
バイトでも
最初にすごい仲良い方に検証される
お客様の
来た時に気持ちがいいことを
だからスタバってのは
バーなんだよね
毎日そこに行くんだよ
スタバの基本的な経営方針っていうのは
いいよねカスタマーエクスペリエンスみたいな
お前だけって思うよな
お前それおじさんみたいな
いや
俺はね
それであんなクソマズイコーヒー出してんじゃねえよ
自分がだんだんサブカルチャージムに
行ってしまったことによって
店員の合図が悪くてもあれほど嬉しくなっちゃう
普通でいいです
普通でいいです
いやいや
なんかこの人は
何かに疑いを持ってるんだな
って思うと嬉しくなっちゃう
それはお前は事故を投影してるだけだよ
いいだろ
はい事故万歳
すみませんでした
それより前に
人に対して事故を投影してるだけでは
強すぎた言葉として
確かに
フラレタみたいだよね
フラレタリウム
それは僕に事故を投影してるだけだよって
私に自分の問題意識を事故を投影してるだけでしょ
そんなフラレタにしたらもう立ち直れないよ
それはでも若者の恋愛に
応援して起きることではあるだろ
あなたは私を救うことで
自分が救われたいんでしょ
厳しい
古来からの問題だろそれは
でも実際口にしてくれるともっと厳しいね
もういいわ
やっぱ大事な
高校生でもさ
ヤリラフィーもそういう恋愛をしてると思うんだよ
はい
想像力を持つことってことですか
ここでヤリラフィーっていう
この人でしょ
ヤリラフィーも
内部で文学的な
恋愛の失敗をしているのかもしれないって思うことだよね
それをだから
文学的というツールで
語り口で捉えてるかどうかはないしも
ヤリラフィーにも悲しみあるし
ヤリラフィーにも切ない夜はありますわ
それは当たり前です
それは当たり前です
それをヤリラフィーの悲しい夜を我々が
仮に例えば序章と置いてるだけですがね
そうだから
サンリオショップはそういう意味で
いい場所だなと思いながら
行ってみた
俺は隣の記憶に入れていくんだけど
それぞれの大きなうちは
公共性ですわな
そうなんだよね
あれでかい書店って
そういう公共性あっていいよね
だから俺結構
ずっと入りにくい
公共性の定義と現代の課題
オアゾが好きなのはそれかな
趣向性がないじゃん
オアゾいいよね
あるね
俺さ
別に多分擦れなくてもいいんだけどさ
うん
喫煙所がない空間ってさ
やばいなと思ってる
新幹線とか
あーそうだね
喫煙所がないビルとか
たくさんあるけどね
合法なんだよ
合法だし普通に権利として認められてる
でもそれはさ
コストってものがあるわけじゃん
あれを維持するのに
試行品だし
削除してるわけじゃない
だから
タバコとか
吸陶室がなくなると並列に良くなる
いやーでもなんか俺は
新幹線から
喫煙席がなくなったところまでは
かなり理解できた
当時の時代の流れもありましたし
自動喫煙って問題され始めた時代ですから
もちろん
喫煙車っていうものがあった時点で
そこで分園とすることも
できたけど席が取れなくてね
席を占領するわけじゃない
だったら分かるから
そこで東海道新幹線から
喫煙所が
2校になり1校になり
っていうのを理解してましたけど
やがて東海道新幹線から喫煙席がなくなりましたから
やっぱさ多目的トイレがあるのに
喫煙所がないの俺おかしいと思う
俺もおかしい
おかしいと思ってないけど
そんな生きろってないけど変だなと思うよ
別に俺は全然
なければないで全然別に喫煙所全然
で吸うから
ほかの喫煙所で吸うから
俺の権利があって思ってるっていうよりは
こういうところから
どんどんこう
怖いなっていう
本当にさ
禁煙ブームとか
喫煙っていうのはさ
仮想的なわけじゃん
めっちゃ仮想的だよね
実際の実害
とかっていうことをさ
具体的に認知しろって
言ってるわけじゃないけど
そういうことを思っている人はいないでしょ
絶対文言だと思ってる人
共通的じゃん
共通的で社会的な敵だから
一番マイノリティ
そもそも喫煙をたしなんでいる人は
普通のそういった人たちからは
喫煙率って
全体の率じゃなくて
喫煙率が高いコミュニティと低いコミュニティがあるだけで
低いコミュニティの人が
高いコミュニティの人が見えないから
叩いてるわけじゃん
集団とか個人は透明化ですから
そもそも
それぞれが
その人たちが一方的に被害を受けて
っていうのもあります
っていう論法も分からんでもないけど
しかも俺は喫煙者だしね
俺はその肉体的にも精神的にも
いつも知ってますから
酒もやばくねって思うよね
それは俺もよく言う論法だしね
俺は酒を思いますけどね
俺は酒も飲まないからさ
より思うかもしれない
そういう意味では
たぼこ吸ってない人が
たぼこ売りに対して言いたくなる気持ちは
俺は酒に対してはちょっと分かるから
こういうことなんだろうなっていう
酒はマジョリティーですから
泣くなることは
酒飲まない人って
ホームよりゲロの方が多いと思う
一般的には
例えば電車の中で飲むのは
マナーが悪いとされてるわけじゃないですか
路上飲酒とかね
まあ別にできますけど
まあそういったこととかに
近いのかもしれない
普通に喫煙所は作った方がいいと思う
精神の悪い世の中ではないと思うけど
こんな無くさなくていいと思ってるけど
だから結局路上喫煙が増えるだけじゃん
抜本的な覚悟になってなくない?
それなんかゴミ箱がさ
渋谷からなくなったからさ
ゴミがさ保育施設が増えてさ
それでさ路上清掃員の人がさ
何十人とさ歩き回ってる
話に近くない?
それでさUK袋のさ
与度橋カメラにはさ
トイレがないからさ脱粉事件が起きてるわけですよ
抜本的な解決になってないよ
でもあれ行くとめっちゃウコウコしたくなるらしいよね
いや俺も行ったんだけど
したくならなかった
あれ行った方がいいよ怖いよ
あれなんじゃない?
本屋行くとウコウコしたくなる的なノリで
便宜が刺激されるんじゃないですか
あと俺が思ったのは
与度橋電気屋ってキンキンなんだよ
エアコンがね
与度橋が気合い入れて
初日にキンキンにしすぎた説
お腹の調子にこう
いやでもなんかあそこ
異常な空間なのはあると思うわ
その一般家庭にも置けるものの
サイズのものしか売られてないわけじゃん
基本的には
それがあんだけ
広大な
ウンコの味付け
そのところにさ
置かれてたら変だよ
すぐ気持ち悪くなる
とりあえずもういいじゃん
もう終わろう
じゃあ仕方ないね
お疲れ様です
01:07:10

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