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おはようございます。発酵Life School鬼糀会の鬼頭あずさです。
今日10月20日月曜日ということでね、愛知県ようやく晴れましたよ。
今日ね、3歳の年少さんの娘が運動会ということで、10時から始まりますので、
ちょっとそれまでね、車で待機をして、いろいろと仕事をしております。
最近ね、この短時間とかだと、車で仕事をしてしまうことが本当に多くなって、
カフェとかに入ってもいいんだけど、カフェ行くと音声配信できないわけですよ。
だから、もう車で運転席ガガガッと後ろまで下げて、パソコンで仕事するっていうのがね、
私の結構、最近の仕事の、はい、そんな感じです。
今日のテーマは、私ね、この間ストーリーズで自分の過去をセキュララにお話をしたんですが、
私の黒歴史、20歳の私に伝えたいっていうところをね、ちょっとお話ししていこうかなというふうに思います。
黒歴史と言ったんですが、私自身ですね、実は20歳の時に一度起業をしたことがあります。
けどね、実は失敗ではないんだけど、ビジネスとしては大失敗して終わったっていう話。
なぜ失敗してしまったんだろう?
当時の20歳の時の私に、今日37歳の私からアドバイスとかね、ちょっとそこらへん紐解いていこうかなというふうに思います。
20歳の私にコンサルするみたいな。
20歳の時にね、私、名古屋市水北に共同経営でネイルサロン、トータルビューティーサロンパールバティーというお店をオープンしたんです。
ネイリスト2人、もう1人はエステ、タロットとか、ちょっとスピリチュアルな方だったので、この3人で共同経営でお店を出しました。
当時20歳の時の私、2人とも結構先輩だったんです。
先輩と一緒にお店を出したんですね。
物件探しから始まり、けどね、みんな資金がそんなにない中で、限られたお金の中でやるっていう時にね。
まず、この2人の先輩は親からお金を借りて資金を集めたわけですよ。
私ね、これ良かったなと今思うんですが、20歳の時に母親にね、お母さん、お店やるから、起業するから100万貸してって言ったんですよ。
結構割と私10代から自分で稼いできているので、そんなに親にお金を使わせたことって言ったらあれなんですけど、運転免許もバイクの免許も全部自分で働いてやってきたので。
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貸してくれるだろうという安易な考えでね、ちょっとお母さんお金貸してよって言ったら、は?ってなる。
何するのって。名古屋弁、何するのそのお金で。
いやちょっとね、友達とこうであーでって言って、お店出すんだわ。
今思ったらね、この超無計画なプレゼンをしたわけですよ、母親にしたら。
何言っとるの?あんた本当に自分でやりたいんだったら、自分で金借りろって言われたんですね。
なかなかそんなこと言う親いないと思いますが、私はこの母親で良かったなってめちゃくちゃ思ってます。
分かったと私も。本当に私はやりたいからお金借りてくる。
当時に20歳の私、お金貸してくれる場所なんかどこもないわけですよ。
どこもないわけ。で唯一借りれたの、消費者金融。消費者金融って言うのかな?
プロミスとかモビットとか、まあモビットなんですけどね、私は借りたの。
モビットで100万借りたんですね。怖いですよね。借りれちゃうんですよ。
で当時20歳の時、私働いてたので、手取りで20数万、25万もないかな?ぐらいね。
何気にね、当時私20歳の時はパチンコ屋さんのね、コーヒー、ワゴンレディで結構管理職をしていたわけですね。
20歳の子娘がね、先輩、年齢関係なくね、えらそうな仕事をしていたわけですよ。
当時やってたことって言ったら、監視カメラを見て、出勤したら私は現場に入らないんですね。
管理職だったから。そこの店舗で一番偉い人みたいな感じになっていたので、
監視カメラをね、毎日出勤してはえらそうに監視カメラを見て、みんなのね、時給付けるチェック表があったので、そのチェック表でみんなの時給を付けるっていうね。
で当時そこのパチンコ屋めちゃくちゃ大きいパチンコ屋だったので、結構何店?何店?何店?ってあったんですよ。
でパチンコ屋のコーヒー、時給もいいわけですよね。
ミニスカート履いて網タイツ履いてやってたんですが、20歳の時にね。
そうだからいろんな店舗に顔を出して、新人研修をしたり面接をしたりというね、仕事を当時してました。
だから20歳の時に割と25万いかないくらい稼げたら十分だと思うんですよ。
自分で車も買って持ってたし。
でもう仕事を自分でやるって決めて、100万借りれたわけですよね。
で多分友達その先輩2人も100万100万で、私も100万で多分300万ぐらい集めて資本金にして、それでね店をオープンさせたっていうね。
もちろんけど300万ではね、なかなかいい内装ができるわけでもなく、自分たちでね手作りでねアジアンテイストのお店を作って。
で名前もねパールバティっていうガネーシャのお母さんの名前なんですけど、
インドの神様ねガネーシャのお母さん、愛と美の神様っていうねパールバティっていう神様がいるんですが、その名前をつけてお店をオープンさせました。
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何が黒歴史だったかというと、マジでお客さん呼べなかったんですよ。
でね当時の私に一言何かアドバイスするとしたらこれですね。
人脈を作れです。
これに限るマジで。
だからこの二十歳の私は失敗は恥じゃないよもちろんね。
けどビジネスとしては失敗だったわけですよ。
けどこれね一人で抱え込むなってことも伝えたい。
当時の私。そして人を繋げっていうところ。
で人に頼る術を学べ。
っていうところをね私はめちゃくちゃ伝えたいですね。
だから二十歳の私に伝えたい一言というなら人脈を作れ。
もうこれがもう救いと家族の分かれ道っていうところなわけですよ。
だからねこのあの経験があったから今がありますので。
とにかくねやっぱりね人脈ってめちゃくちゃ大事なんですね。
当時の私というのはもうこの意気揚々と起業を始め。
周りに二十歳で店を出すなんてそんな人いないですからね。
当時目立ったわけですよ。
だって私成人式の日に舞台に立たせてもらってみんなにチラシ配りましたもんね。
目立ってたわけですよ。
けどねこの仲間と共同でお店を出したんだけど何がいけなかったっていうのはやっぱりこの
準備不足、知識不足ね。
やっぱりこの気づいたら借金だけが残ってこの100万円の借金がめちゃくちゃ大きい借金になってしまったっていうね。
悔しかったしめちゃくちゃ怖かったんですよね。
やっぱりこの振り返ってみると失敗のこの大部分はねやっぱりこの孤独っていうところ。
孤独ってのは何?頼らないからね。頼れなかった自分だったから。
あとこの視野の狭さからめちゃくちゃ来てたんですね。
だから当時相談する人がいればこういった判断ミスも減ったかもしれないし
信頼できる人脈があれば資金繰りの選択肢も協力先も見えたはず。
見えてきたはずなんですよ。
だからねやっぱりこの人脈ってめちゃくちゃ大事って思いますね。
人の繋がりを当時マジで人脈なかったので。
でねなんかちょっと偉そうだったんですよね。
花高々だったんですよね。
だからこのね人脈不足っていうところって何でわかったかというと
このね3人でお店を出した時に2人はめちゃくちゃ顔広かったんですよ。
めちゃくちゃ交流をいろんな人と交流をしてめっちゃ顔広かった。
だからすごいお客さん呼べたんですよ。売り上げ作ってたんですよ。
けど私はそれに比べて友達も少ない。
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友達もできないですよね。
だってなんか偉そうですもん。
当時の20歳の私って。
なんかできる風を見つくろってたというね。
だから友達も少ないしやっと技術も追いついてないですよね。
そんなところでお客さん来るわけない。
でね私めちゃくちゃこれが悔しかったし悲しかったし
毎日すっごい苦しかったんですよね。
で毎日毎日私にできることは何だろうってずっと考えたんですけど
これ当時にマジ誰にも相談できなかったの。
予約が友達はどんどんどんどん予約枠埋まっていくのに
自分は全然予約が取れなくて空白なわけですよ。
朝の出勤もなんかやることないみたいな。
で当時の私の精一杯ね精一杯。
何をしたかというと誰よりも早く来て掃除をしてたんですね。
もうそこしかやれることなかったですもん。
だから昔と今変わらないのはここだなと思うんですけど
今の自分に何ができるかっていうことを考える癖っていうのはずっとあって
今もねやっぱり朝起きたら今今日私に何ができるだろう。
どんな役に立てるんだろう。
健康が当たり前の社会にするためには何ができるんだろうということを考えているっていうのは
明確な目標目的ミッションビジョンがあるっていうのはもちろんなんだけども
やっぱり昔から今の自分に何ができるか今日何ができるかっていうのは
やっぱりこの習慣ですよね。
癖がついてるっていうのは大きく振り返ってもあるなというふうに思います。
だから二十歳の時の私は毎日お客さんも呼べない何もできない。
新規のお客さん入るこなすっていうね。
だからやってたことって言ったら当時ミクシーで集客してたので
ミクシーの結構でっかい管理人やってたんですよね。
大きいコミュニティの。
だからそこで広告を打つとかキャンペーンを考えるとか
あとは掃除ですよね。
みんながやりたがらないトイレ掃除を
これね当時この二人気づいてるか気づいてないか分かんないよ。
分かんないけど誰も見てなかったかもしれないけど
朝一番に行って鍵を開けて
掃除機かけてトイレ掃除をして
夏だったらプレハブみたいなテナントだったので
めっちゃ暑くなるのでエアコンつけて涼しい環境を作っておくっていうところ
ここをめちゃくちゃ徹底的にやってましたね。
だってできることなかったもんそれしか。
けどやっぱりね今振り返っても
その失敗っていうか
やっぱり当時の私に声をかけるんだったら
人に頼れですね。
ヘルプって言える勇気を持ちなさいっていう。
助けてって人に言いなさい。
そして人脈を作っていく。
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だからとにかく人ですよ。
自分一人じゃできることなんか限られているんだから
人脈を作る。
人に頼るっていうところね。
ここはねめちゃくちゃ伝えたいところですね。
本当頼れなかったですもん。
だからやっぱりこういった歴史という自分の過去は消せないけど
やっぱりこのいい意味に変えられますよね。
だからこの20歳の私へっていうところで言うと
人脈を作って恥ずかしい瞬間も失敗も
とにかく全部全てね
未来の自分のエネルギーになりますからね。
20歳の私
15年後はね
かわいい子供もいて
大切な家族もいて
旦那さんのお給料に頼らずに
自分でしっかりとお仕事もできて
そして社会貢献できる
いいビジネスができてる
だから安心してくれっていうことをめちゃくちゃ伝えたいですね。
けどねやっぱり私ね
今ねやっぱり人に頼ることが
結構当たり前になってきたんですよね。
こういう人を紹介してほしいですとかさ
こういうことできないんで助けてくださいということを
簡単に言えるようになったんですよ。
なぜかというと
そこで強がってても
何もいいこと起きないっていうことに本当に気がついたから
だからね
助けてって
簡単に言っちゃっていいんですよ
一人で頑張る必要ないよっていう風に思います。
多分私も20歳の時の当時ね
もしかしたらねこの2人の仲間に
苦しいんだよっていうことを伝えられてたら
もっともっと多分生きやすかったかもしれないんですよ。
もしかしたら4年で配慮せずに
今でも継続していたかもしれないんですよ。
だからねどんどん
人
人って温かいんだよっていうところ
手を差し伸べてくれるヘルプを出したら
そして人は人を呼んでくれるから
めちゃくちゃやっぱりこの人脈って本当にすごいんですよ
マジで
だから一人で頑張る必要ってマジでないですよね
っていう風にねすごく思います。
だからねもし今何かに
悩んでたりとか苦しんでたりとか
辛いな、生きづらいなって思ってるんだったら
とことん人に頼ってください。
人は結構ね温かいですよ。
っていう感じで
今日はうまく着地できたでしょうか。
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私もね日々学びだなと思うのが
実は私ね喋るの苦手なんですよ。
ここまで喋っといて。
喋るの苦手というよりは結構ね
対話が苦手というか苦手っていうよりは
そうですね。
割と一人で喋ってる方が自分の気持ちをスラスラ言えることが多いですね。
けどねやっぱりこれも私の中で練習で
こうやってスタイフとかねこうやって話すことで
なんか新しいまた自分を見えてきたりとかね
私も常にね成長していきたいなっていう風に思ってますので
はいみなさんそしてね残り今年2ヶ月ちょっとってびっくりしません?
今日ねカレンダー見たら10月20日でしょ?
あと10日だから2ヶ月と10日で今年終わるんですよ。
2025年終わると信じられます。
私信じられない。
けどまだ2ヶ月と10日あるから
来年最高にするためには
今ここでベース整えていくっていうのマジで大事です。
指を加えてSNS見てても何も起きないですから。
もうねとにかくガンガン行動していきましょう。
はいということでねそろそろ娘の運動会に行ってきます。
ということで皆さん今日も最高な1日にしていきましょう。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
キイト・アズサでした。