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はい、こんばんは。 兵庫県尼崎市、阪急塚口で、太鼓式マッサージのサロンとスクールをしております。
ジムサヤームの藤原です。 今日は、今回ですね、テーマが、適応障害からの初めてのタイから10年、
っていう、私の中ではある種、節目なので、ちょっとその話でもしようかなと思います。
もし途中で、どなたかコメントとかもらったら、ちょっと話脱線したりとかするかもなんですけど、
2012年ですね、10年前に、 当時、リゾートホテルのスパの中で店長をしてたんですけど、ちょっと頑張りすぎたっていうのと、自分の中で、
当時、26歳、5歳とかで、 未熟だったのもあって、動けなくなっちゃったんですよね。
劇務だったのもあるんですけど、精神的なものですよね。 それで、本当にね、8月15日って言ったら、お盆だし、
この日にタイに行ったってことは、 その当時のお仕事、2週間か3週間、
この何日か前から、お盆のど真ん中から、 初めて給食させてもらったんですね。
店舗の責任者だし、ただでさえ半分おきだし、 なんかこんな時に休むなんてって思う自分と、
ちょっと解放されたみたいな自分もいて、 で、淡路島に住んでたから、
とにかくもう出たかったんですよ。 で、実家帰ってきてて、
で、とある当時、同業者の友人がね、 どうせこっち居るんやったら、行くとこないし、やることないんやったら、
タイ行ったら?みたいに言ってくれて、 チェンマイに行ったら、その人自身も
チェンマイ行くし、他の誰々さんも その時期チェンマイに居るから、向こうで遊ぼうよ、みたいに言ってくれて、
もうね、お盆ど真ん中というか真っ只中の8月15日にね、 初めてタイのチェンマイに行きました。
それまでは、タイに行ったことがない タイマッサージのセラピストやったんですよ。
これもよく誤解されやすいというか、 なんですかね、思い込みされやすいところで、
タイに行ってからタイマッサージ好きになったんじゃなくて、 私は職業の一つとしてリラクゼーションを選んで、
で、リラクゼーションの中でたまたま採用されて、 タイ子式を始めているので、なんかこう、
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いいエピソードってないんですよね。 そのタイマッサージに深く感銘を受けたとか、
タイに旅行に行ったらすごく良くてハマったとか、 そういうなんか良さげなエピソードってなくて、
割と合理、当時の若かりし頃の自分の中の、 選択肢より選択肢の中での合理性と、あともうタイミングですよね。
それでたまたま選んだだけだったんで、そんななんか、 今でこそタイマッサージ大好きとかタイ大好きとか言ってますけど、
当時はタイのこと知らずにタイマッサージをやってました。 なのでこのタイに飛び立つ10年前の時点で、
3年弱ですね、セラピストとしては3年弱やってて、
会社員だったんで、その会社員セラピストっていう働き方だったんですけど、 ちょっと2、3週間休養をいただいて、
会社の人にはね、タイ行ってきますとか言えなかったというかね、 お前何旅行行っとんねんってなるから、
そういうのは言わなかったけど、実家帰ってますっていう建前で、 実はこっそりとタイに行ってました。
最近でこそ適応障害って、芸能人が適応障害になって休養を取るとか、
適応障害ってあんまりじゃないんだよとかっていうのは広まってたけど、 当時ってまだあんまりうつ病とかも、
一部の人から見る目が厳しかったりとかっていうのがあったと思うんですけど、 なのでわかってもらえることはないよねって自分で当時思ってて、
だからそんな人には言わなかったんですけど、 時間が経ってね、今だからあの時こうでしたって言えるっていう感じかな。
で、初めてのタイですね。 この時多分なんですけど、記憶がちょっと曖昧なんですけど、
1週間くらいはおったと思います。
で、ノープランで最初の3泊か4泊分くらいだけ宿を決めてたんですよ。
あとは向こうに行ってから考えようって、 なんかね謎の無謀な考え方っていうんですかね。
普通やったらそれまでは2泊3日とか3泊4日の海外旅行しか行ったことなかったくせに、
いきなり1週間ってちょっとね多く日数とって、 しかも初めてじゃないけど1人で海外旅行。
だからもうちょっと安全な方法あったんちゃうかなって思うんですけど。
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でも向こう行ったらとりあえず知ってる人2人はおるって思えてたので、
毎日一緒にいるわけじゃなくても、 連絡さえ取れれば助けてくれる人がいるかなみたいな、
そういう気持ちで行きました。
すごいだから今となってはなんですけど、
自分の中ですごく適応障害になったっていうのも一つの切り替えの節目にはなったんですけど、
プラスタイに行ったっていう大きなイベントですね。
今思うとしかも1週間ですね。
たまたまなんですけど、いつかタイに行けるようになった時に困らないでいいようにと思って、
これまでの期間の1年くらいですかね。
半年か1年くらいずっと12時間労働収録勤務の中で、
私毎晩仕事から帰ってオンライン英会話スカイプでお勉強してたので、
英語はとりあえず話せるんじゃないかなみたいな部分があったのは大きかったですね。
だからちょっと大胆な旅行の日程全部ホテルで撮るんじゃなくて、
何日間か撮ってあとは向こうで考えようみたいに決められたのかなと思います。
それも結果的に良くて、それはなぜかというと、
適応障害になって治ってないというかむしろ療養中であって、
それの原因っていうのはやはり人間関係だったりとか、
勤務のハードさとかもあると思うんですけど、
やっぱり精神的に落ちてるっていうんですかね。
ダメージをとても食らっている状態なので、
とにかくコミュニケーションがちょっと苦手になってたんですよ。
職業的にもね、積極業ですし、どっちかと言うたらお話好きな方なんですけど、
でも初めて会った人と音便にというか、
失礼のない程度にコミュニケーションをとっていくっていうことを、
仕事ではできても療養中にできるかって言ったらやっぱりそれは難しいというか、
やりたい、できるようにありたいっていう気持ちと事実って多分当時は違うので。
最初に泊まったところが、日本人がよく泊まるゲストハウスだったんですね。
日本人経営で日本語の案内があって、他の宿泊者も日本人っていう環境だったら、
不安はないかなっていうのが安全な選択肢ではあったんですよ。
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でも、だからこそのしがらみみたいなのもあって、そこはね、言ってみてわかったんですけど、
それはそのお宿が良くないとか、当時宿泊してた人が良くないんじゃなくて、
当時の自分の状態で楽しめる環境ってわけではなかったっていう結果論なので、
誤解がないようにあればいいなと思うんですけど。
ゲストハウスってホテルと違って、お部屋は自分の一人のお部屋予約できるけど、
シャワールームとかお手洗いとかが共用だったりするし、
自分のお部屋に向かうまでの間に、リビングだったりキッチンとかがあって、
他の宿泊者の人と顔を合わせるとか、宿泊者同士でちょっと、
みんなでリビングで集まってお話したりとか、どこか出かけたりとか、
そういうのが生まれるのがゲストハウスの良いところで、
そういうところで過ごしてみたいなって思う自分もいたから行ったんですけど、
それまでの自分の働き方とか人との関わり方で、
散々周りに気を使って、状況に合わせた自分の振る舞いをしているから、
癖にはなっているんですけど、それってやっぱり自由ではないんですよね。
なんで私、仕事で大変なことになって、体も心もボロボロになって外国来たのに、
なんでまたここで周りの人たちの目気にして、合わせて、話したくもないのに、
おいでおいでって言われて、嫌われたくないみたいな気持ちで、
じゃあとか言ってお邪魔して、作り笑いしてるのかなみたいになっちゃって、
自分が悪いんですけどね、そういうとこ行ったからなんですけど、わかんなかったんでしょうがない。
そういう日々を何日間か過ごして、他の宿泊者の人たちは本当に気を使ってじゃないですけど、
何も別に配慮するとか、好きとか嫌いとかじゃなく、
顔を合わせれば、今日どこ行くのとか、今日どこ行ってきたのとか、
今からどこどこ行くけど一緒に行くとか、
そういう気楽な気軽な気持ちで話しかけてきてくれてるだけなんだけど、
当時の自分の精神状態ではそう思えなくて、
なんかすごい干渉されてるなぁみたいな風に受け取ってしまってて、
なんかいつも人の目があると、別に私がどこに行こうが何時に起きようが、
誰と遊んで帰ってこようがいいじゃないと、
そういう風に思っちゃってて、ひねくれですよね。
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完全にひねくれなんですけど、ただ自分の精神状態が良くなかった。
それだけなんですけど、それでだんだん宿に帰るのが嫌って言って、
私、知り合いとご飯食べに行ってる間に泣いてたんですよ。
幼稚だったなと思うんですけど、当時25、6ですか。
なんかもう宿帰ったら絶対誰かに話しかけられるし、絶対飲み会に引きずり込まれるし、
面白くない中で、じゃあお休みとか言って抜け出すタイミングも分からず、
ずるずるずるずるその場にいちゃうとか、だからもう宿帰りたくないとか言って、
ただこねてて。
で、とはいえ何人かはやっぱり話せる人というか、落ち着いてコミュニケーションを取ってくれる人とかもいて、
つかず離れずの距離感ですね。
で、たまたま向こうで知り合ったお兄さんの一人が、私が泊まってた宿のお隣の宿で泊まってて、
で、ホテルとゲストハウスの間みたいな感じのサービスアパートかな、分類で言うと。
自分のエリアの中にキッチンというか、ミニキッチンもあるし、冷蔵庫もあるし、
シャワーもトイレもついてると。
そういう完全にプライベートな空間でその人が泊まってて、
で、僕明日出るから、僕の部屋空くからそこに泊まったらって言ってくれたんですよ。
そんな嫌なんやったらその宿出たらいいねって言ってくれて、
なんか私はハッてなったんですよね。
もうとにかく精神が不安定な状態で当時おるから、
例えば1週間、3日、5日泊まりますって言って、
事前にね、そうやってお約束してる宿を早く出て他に移るっていう発想もなかったんですよ。
今考えたらね、さっさとそうしたらいいやんって感じなんですけど、
やっぱりね、精神的にまだ幼かったのもあって、経験値もないので、
分かんなかったところにそういう風に助言してくれたお兄さんがいたんで、
あ、じゃあもうそうするわって急に明るく見えたというか。
それで、本当に2泊ぐらいでそのお宿は出たんですよ。
で、隣の宿に移って。
そしたらね、もちろん宿の受付の人とね、行ってくるとか帰ってくる時とかに、
おはようとかお帰りとかって言われるだけで、何にも干渉されずに自分の時間を過ごすことができて、
まずなんか快適さを取り戻して過ごすんですけど、
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1週間すっごい短く感じましたね。
初めてだった割には、もうエンジョイできたというか、
もうちょっと拳を発動するかなとか思ったんですけど、
でも、そうやってね、人の集まりがしんどいとか言っときながら、
初めてのチェンマイで、初めてのタイで、初めての3泊以上の一人海外旅行で、
なんかいっぱいお友達できたんですよ。
どっちだねんって感じですよね。人と関わりたいのか関わりたくないのか。
その中のホテルをこっちにおいでよってね、僕帰るからそこ入れないよって言ってくれたお兄さんは、
東京でお店をやってる人だったので、日本帰ってきてからも東京に行く機会があったらね、
必ず寄るようにしてたんですけど、
あともう一人別のお兄さんも仲良くなって、
その人はね、ゆくゆく私と知り合ったことがきっかけで、
とあるお店に入って、とある方と結婚して、
それがまたその周囲の人も全部お友達だったりとかするから、
すごいね、なんて言うんですか、
あまりお相手の顔出さないようにしてるんですけど、
なんかね、タイマッサージの世界狭いんで、そんなことがあったりとか、
あとこの10年前のね、今日、
ツイッターでも面白い出会いがあって、
初めての海外旅行でね、お友達もいない、家族も一緒じゃない、
一人でね、チケット取って一人で乗り換えして、
タイに行ってゲストハウスチェックインしてみたいな、
そういうのを、当時の自分の個人のツイッターアカウントで書いてたんですね。
チェンマイ空港ツイッターとか、ここのおカフェが良かったとか、
ここの何々がすごく美味しい、ナンバーツだったとか、
そういうのを個人のツイッターで適当にというか記録として書いてたんですね。
そしたらね、とあるDMが来て、女の子からでした。
当時大学生だった女の子からDMが来て、
私何日からチェンマイに行くんで、良かったら一緒に遊びませんか?みたいな。
こんなことあるんやと思って、すごい驚いたんですよ。
私がツイッターに味を占めたのは、その頃からかもしれないですね。
とはいえね、どんな子か分かんないし、どうしようと思いながら、
自分より年下というかね、年もそんなに大きく変わらない女の子だし、
すごい行動力のある子なんだなって思って、
会ったらすごくいい子だったので、何日間か一緒に遊んで、
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自分が仲良かったお兄さんも含めて、いろんなとこ行って遊んで、
日本に帰ってきてからも、当時大学生だった女の子とは今も繋がってるんですけど、
何回か会ってるし。
その子とは多分、次の年もチェンマイで集合しましたね。
いついつくらいにチェンマイ行くから、もし行って会うんやったらおいでよ、みたいな感じで。
なぜか、その子とは初めてがチェンマイで知り合って、
次の年もチェンマイで合流して、その次の年くらいには東京で一旦合流して、
知り合うお兄さんと一緒に行ったんですけど、
そんな感じで、自分の中で8月15日っていうのは、
真心ともに満身創痍の中でタイに渡ったっていうだけじゃなくて、
ツイッターでね、ツイッター経由で自分のことを知ってくれた人と初めて外国で会う。
そして日本でも継続して人間関係ができた。
っていう記念の日だったなっていうのは、すっごい考え深いなと思います。
いろんなハプニングとかいろんな出会いは10年前だったのかみたいな、
時の流れを恐ろしく感じます。
あさみさんこんばんは。お疲れ様です。
今日はね、10時から一旦切り替えて、雑談用の配信もしようと思うんですけど、
今はちょうど10年前に私が適応障害で会社休みにして、
勇気を出して初めてチェンマイに行って、
そしたらツイッター経由でお友達ができましたっていうお話をしてるんですけど、
私その頃からだから、今思うとこのツイッターでお友達できたっていうのも喋りながら思い出したんですよ。
その子のことは覚えてるけど、その子との出会いのことはいつも頭にあったわけじゃないというか、
だから驚いたけどね。
そうそう。ツイッターがきっかけで海外で初対面するみたいな。
面白いですよね。そう思うと。
なんか最近お店のインスタ結構サボりがちなんですけど、なかなかツイッターほどの面白さがないんですよね。
ツイッターの方が断然おもろい。
あさみさん体調も適応障害のご経験があったんですね。
そうなんですよ。
この配信後から聞いてくれる方がもしいたら、このセラピストの鬼軍装チャンネルの最初の方に一回適応障害になったって話してるので聞いていただけたらなって思うんですけど。
適応障害だったんですよ。
21:00
割と早めに治りましたけどね。
あさみさんまた聞かせていただきます。ありがとうございます。
早く自分が立て直したのは、この適応障害になって逃げるようにチェンマーに飛んで、好きなように過ごしてっていうのを経て、
2、3週間の休養期間を終わって、私会社に戻らなかったんですよ。
そのまま辞めました。
もちろん飛んだんじゃなくてきっちり手順踏んで辞めたんですけど、
当たり前なんですけど、ホテルスパの夏ってすごく忙しいので、その繁忙期に店長がいないって普通ありえないじゃないですか。
だから罪悪感はあるんですよ。
でも店舗がいくつかあって、ホテルスパもそのエリアにホテルがいっぱいあるので、各ホテルに私が働いてた会社のお店が入ってたので連携はいつも取ってたんですけど、
その連携を取っている他店の人たちからも、いつ帰ってくるのとか、シフト作るからいつ帰ってくるか教えてくれない、困るみたいな連絡が、休養の後半くらいにきだして、
なんやろう、なんかそれに急に嫌気がさせたんですよね。
私はお店のためとエリアのためにすごい頑張って、自分がボロボロなるまで頑張ったつもりでいたんですけど、
頑張ってこうなってちょっと休んでるのに、早く帰ってこいみたいに聞こえて、当たり前なんですけどね。
でもなんかすごい自分が人に言わずそれまで頑張ってきたことが全然伝わってないかったんだな、みたいなのがあったから急に吹っ切れて。
私は休養中も早くお店に戻れるように元気にならなきゃって思ってはいたんですけど、そう思っている最中に水を注いでた気持ちになって、
なんかまた戻ったって、また無理して、またみんなの顔を読みながらみんなに迷惑をかけないようにいろんなことを背負い込んで、また同じことになるよねって急に思って。
そしたらこのお休みもなかったことになるし、また繰り返したらまた迷惑も結局かけるし、今迷惑かけてるんだったらこのまま迷惑かけ倒してやめていいんじゃないかみたいに急に吹っ切れたんですよね。
やっぱり心がちょっと回復してたからでしょうね。
自分の考え方の軸がずっと外向いてたのが、ちょっと自分にちゃんと向き始めた瞬間だったのかなって思います。
24:07
それで本当にもう無責任ではあると思うし、当時のみんなには迷惑かけたと思うんですよ。
急に休んで急にいなくなって、何の引き継ぎもせず、新人ばっかり残して。
でも今思うとね、そういう栽培をしてたのは会社なんだから、私は悪くないんですよ。
そこまで考えることじゃないんですよね。
やっぱり栽培するのは上の方なんで、その結果やんかって。
今の自分の立場、考えでは思いますよ。
でも当時は会社に迷惑かけないようにしなきゃ、新人育てなきゃ、ちゃんとお店回さなきゃ。
近隣のみんなにも、できるだけ迷惑かけずに自分の店舗のメンバーだけでなんとかしなきゃとか、いろんなものを背負ってたわけなんですけど。
なんかもういいやみたいに、あれ急に吹っ切れるのなんなんでしょうね。
あさみさん、私も急にやめよって思いました。
やっぱあれ急に来るんですかね。不思議ですよね。
急に思い切った決断するくらいだったら、ちょいちょいガス抜きができてればよかったのにって思いませんか。
たぶんその方が、長い目で見たらいいはずやし、もっと最悪な迷惑のかけ方はしないはずやねんけど、やっぱ抱え込んじゃうあるあるなのかもしれませんね。
あさみさん本当に思います。
たぶんね、上手に甘えられない人あるあるかもしれへんね。
なんかね、私はね、当時本当に何と戦ってんねんってくらい、めっちゃ自分の中で殺伐としてて、
今の感じからは想像しにくい人もいるかもだけど、
人に甘えるとか、人に頼る弱みを見せることは全部、足元を救われるきっかけになるって思ってたんですよ。
だから、誰にも好き見せられなかったし、
人に頼るより自分でやった方が早いって思ってたし、今は思わないですよ。
ゆっくりでも人の力借りた方がいいなって思えるようになったけど、
当時は、私は出せよく強かったので、自分の力で結果出せば出すほど上にいけるって思ってたんですよ。
当時若くて、キャリア的にも年齢的にも若くて、会社で一番忙しいお店の店長をやってたので、
なおさら、自分へのプレッシャーはありました。
こんなもんじゃなく、もっと上に行きたい、もっと上の立場に行きたいって、
めっちゃそういう意味ではメラメラしてたタイプなので、
27:07
抜かされたくないしね。
あさみさん、私もいつも何かと戦ってました。
やっぱりあるあるなんかな。
でも何かと戦ってた時の自分って、すごい今から見たら、
グラグラやし、パリンって割れそうなあの脆さ?半端ないですよね。
脆すぎみたいな。もう首の皮一枚っていうのかな。
何かちょっとでもバランスが崩れたら、すべてが崩れる、あの儚い感じ。
もう嫌やわな。
それになんか、きっとね、弱いから余計だったのかなって思います。
あさみさん、こないだ後輩に、あの時だいぶ変でしたよって言われました。
マジで、その頃に知り合ってなくてよかったですよね、私たち。
多分その頃に知り合ってたら絶対に仲良くならんかったと思う。
もう何かお互いがお互いのことテキンってみんなしてそうじゃないですか。
バキバキですやって。
もうバキバキに闘争心メラメラで何か同じ会社でも違う会社でも、
もうどんな関係性であっても多分戦ってましたよね。
もうそういう時期だったのかもしれない。
そういうメンダルっていうの。
もう誰も悪くないしね。
今はふわふわです。
確かになんかこう、ふにゃふにゃふにゃって感じ、あさみさん。
すごい力の抜け方がいい感じですよね。
私はなんか、自分のプライドすごい高いので、
実力が伴っているという自信がないままのプライドだったので、
余計ね、もうバッチバチバキバキでしたね。
だから本当に当時ね、
頑張ってたにも関わらず、まあ頑張ってたつもりにも関わらず、
その当時、自分が適応障害になった当時の仕事仲間、
同じお店の人とか近隣の店舗の人、
辞めた瞬間に、もう全員キレましたもんね。
誰一人味方でいてくれる人いなかったです。
だから、私嫌な奴だったんだと思う。
普通にシンプルに嫌な奴だったんでしょうね。
誰とも会ってないわ。
あさみさん、わお。
やばいでしょ、私。鬼群そうどころの話しちゃいますよ。
ただの嫌われ者ね。
それで余計思うんですよ。
私は別にみんなのこと嫌いじゃなかったし、好きでもなかったけど、
30:03
でも、お店をなるべくトラブルなくスムーズに回すために
全力だっただけのつもりだったんですけど、
そうは移ってなかったんでしょうね。
それでいろんなものが変わりました。
それを経て、適応障害になってタイに行って、
みんなに採側されて、こっちも嫌になって辞めて、
辞めた後仲良いと思ってたほんの数人の子たちからも手のひら返されて、
全部がひっくり返って、一人ぼっちやなって感じて、
ほんまに全部ひっくり返ったんですよ。
自分が積み上げたと思ってたものが何にも積み上がってなかったっていうのを
もう突きつけられた感じですよね。
それを経て、考え方とか、タイに行っていろんな感じ取ったものも含めてですけど、
めっちゃ変わりましたね。
多分真逆になったんちゃうかぐらい。
あさみさん、それを経ての今。
絶望ですよね、でも。
簡単に言うと、全員と仲がいいと思ってなかったけど、
この子とこの子だけはって思ってた子たちからも手のひら返されたんですよ。
ちゃんと話し合う時間ももらえなかった。
なんかそれで、なんだって思いましたね。
あさみさんたまらんです、それ。
一番ひどいのは、ひどいパターンいっぱいあるんやけど、
結構グサッときたのは、
私が店長になるちょっと前に辞めた先輩がいたんですけど、
その先輩からも、
当時ね、まだLINEとか全員やってたわけじゃない時代だったんで、
Eメールになったんですけど、
辞めてちょっとしたら、
SNSもEメールも全部ブロックとか拒否されました。
一応その人は社交性が高くて、
私にも建前上は優しくしてくれてると思ってたんですよ。
私のこと好きじゃないなっていうのは分かってたんだけど、
好きじゃないながら波風立てへんように周りと同じようには接するっていうのを
頑張ってくれてたというか、
大人だなこの人くらいには思ってたんやけど、
もうね、もう全部オール拒否。
何やろう、別に関わらへんとかもあるじゃないですか。
でも拒絶を表示されたのはその人が一番早かったし、
一番明確にこっちに分かる形でされて、
33:01
私めっちゃ嫌われとってるなと思いましたね。
他のメンバーたちも、他の人たちも何らかあったりとかもあったけど、
あとなんか私のことそんな好きじゃないやろって思ってたような先輩だけ、
なぜかめっちゃウザ絡みでLINEしてきた人はいますけどね。
辞めてんのにも連絡してくんなよって思いながら、
めっちゃ先輩風吹かせて連絡してくる人いますけど、
結局好かれてはないですよね、そういう態度って。
いつまでも自分の射程やと思ってるというか、
自分の古文やと思ってるというか。
何にせよ全部良くなかった。
あさみさん怖いね。
あさみさん、私もすぐに上司のアカウントは削りました。
やっぱそうなるんかな。
私基本的に、自分から誰かをブロックするとかってないんですよ。
よっぽど被害にあった場合は別ですよ。
でも私生活においても、仕事面においても、
自分から拒否ってしないんですよ。
別に見んかったらいいだけやし、
握手もせんかったらいいだけって思ってほったらかす方なんですけど、
結構みんなブロックってするんだって思って、
それちょっと傷つきましたね。
でもそれって自分がやった答えだから、
職場の人間関係的な意味では、
ちょっとあるんかなって。
あ、いまひさんこれコラボのボタン押してくれてるけど、
喋ってくれるの?
まさか?
間違えた。やっぱりな。
いまひさんお疲れ様です。
えへへじゃないよ。
あさみさん、えへへかわいいね。
ほんまだからこのみんなと知り合ったの、
マジでいまでよかったです。
10年前の自分やったら、私全員に嫌われとったわ。
マジで。
私ほんま自分心入れ替えたって思ってるもん。
たくさん痛い思いもしてきましたから、10年で。
間違いなくいまみたいに、
SNS21日間チャレンジだったり、練習会だったり、
同業者のSNSつながりだったりで、
いまいろんな人と
広く浅くっていうんですか、
いろんな交流もしてもらってるけど、
10年前の自分やったらたぶんね、
いまいさんとか大神さんからは嫌われてたと思う。
ビビらせ散らかしてたと思うしね、こっちは。
めっちゃ威嚇してたと思う。
たぶんあさみさんとはお互いに目で戦ってたと思う。
36:02
あさみさん、ビビらせ散らかす。
ほんまほんま。
負けたらアカンみたいに思っとったもん、いつも。
誰に負けるやねんし、誰に勝つやねんって話やねんけど、
当時はね、やっぱり自分の出世欲がいろんなこと邪魔してましたよね。
で、実力が、ちゃんと実力伴ってないというかね。
だから、実力ゆえんの自信じゃなくて、虚勢だったんで、
負けたくない、抜かされたくない、自分の立場を脅かされたくない。
それが会社の中だけじゃなくて、会社の外での人間関係にも出てしまったのかなとは思いますけど、
癒しとは対極ですよね。
それだけ、ある意味、この職業、当時所属してた会社に居続けたかったからなんですよ。
結局、セラピストやり続けたかったし、会社にも居たかったですからね。
待遇はよかったし。
正社員でセラピストですよ。
お金シャンシャン貯まりましたもん。
結果、適応障がいにはなってしまったけど、
それまでのホテルスーパー時代か、貯金マジで12万から14万ぐらい貯金してたんですよ。
もうすぐお金貯まりましたよ。
それがあってのその後の活動につながるんですけど、
今回は8月15日っていうのは自分の中で初めてタイに行った節目の日でしたっていうお話でした。
ちょっと一回これ終わって、もう一回次のやつ放送します。
よかったら聞きに来てください。
じゃあここで終わります。ありがとうございました。