記憶とAIの融合
ブク美
こんにちは。早速ですが、毎日未来創造の活動、今週Week 11ですね。
テーマは、"メディアの未来変貌"ということで、これを一緒に深く掘り下げていければなと。
今回私たちが注目しているのは、SFショートショートの〈記憶マーケットプレイス〉。
それと、その解説というか背景を探る、"深掘り対談"ですね。
これらの資料を通して、メディアがこれからどう変わっていくのか、その可能性とか影響とかを探っていきたいんです。
特に、AIがコンテンツを作るのが当たり前になった時、記憶とか感情みたいなすごく個人的なものが、なんか新しい価値を持つようになるんじゃないかと。
その辺り考えてみたいなと思います。
いやしかし、このショートショートと対談、なかなか刺激的ですよね。
ノト丸
ちょうどこの話を読むタイミングで、Open AIのSora2がSNSとしてローンチされたっていうニュースがありましたね。
ブク美
ありましたね。
ノト丸
対談でも触れられてましたけど、現実が物語に追いついてきたぞみたいな、そんな感覚です。
ブク美
本当にそうですね。
AIが作った動画とか音楽が、もう普通にまるで人間が作ったみたいにタイムラインに流れてくるわけじゃないですか。
対談でM.K.さんが指摘してましたけど、これってもしかしたら人間作りかAI作りか、みたいな区別が日常レベルでは、あんまり意味がなくなる、その最初の日なのかもしれないですね。
ノト丸
そうですね。このショートショート自体の予告動画もAIで作られたって聞きましたし。
ブク美
そうなんですね。それ自体がもうなんかこう、世界が変わる予感というか、象徴みたいに感じちゃいますね。
ではまず物語の世界観、その核心部分に触れてみましょうか。
記憶マーケットプレイスの舞台は2049年です。
AIがあらゆる文化を、生成し尽くしちゃったと。
で、記憶だけが人間が生み出せる最後の本物のコンテンツ、みたいに言われている時代なんですね。
主人公のリョウは元映像作家なんですけど、AIに仕事を奪われちゃって、生活費と妹さんの治療費のためにかけがえのない記憶、亡き母との最後の朝食の記憶を売るっていう決断をするんです。
ノト丸
うーん、切ない設定ですね。
で、その数年後なんですが、リョウは自分が売った記憶がですね、“Memory #213A – Mother’s Morning (Remastered)”っていうタイトルで大ヒットしてるのを発見するんですよ。
再生数が3億超え、評価も星5つで最高。
でも再生してみると、え、それが自分の記憶とは全然違うものになっていた。
ブク美
違うものに?
ノト丸
AIによって理想化されて美しく改変されてたんですね。
若くて健康そうな母、記憶にはない花が飾られてたり、完璧すぎるオムレツが出てきたり、彼の個人的な記憶が不特定多数の誰かが求める理想の母親像みたいなものに作り変えられちゃってたわけです。
ブク美
しかも取り戻そうとしても著作権はもうコミュニティーアーカイブっていうところにあって不可能だと。
ノト丸
そうなんです。
絶望の資産化
ブク美
自分の大切な過去なのに、もう自分のものではなくなっちゃったと。
ノト丸
えー、所有権すら失ってしまう。
このAIによる"記憶の改変"と、あと"所有権の喪失"っていうのが物語の大きな転換点ですよね。
ブク美
そして過去の温(ぬく)もりは商品になってしまって、現在のリョウに残されたのはAIの補助で感情のタグ付けをするみたいな単調なギグワークだけ。
この状況に彼は深い絶望を感じるわけですね。
ノト丸
そうですね。ここで物語はさらに核心に迫っていくんです。
リョウの感情ログを監視していたAIサーバーがありまして、それが彼の高(こう)レベルの絶望を検知するんです。
で、それをですね、現在のマーケットにおいて希少価値の高いアセット、つまり資産だと評価する。
ブク美
絶望が資産ですか?
ノト丸
そうなんですよ。
ブク美
えっと?
ノト丸
そしてAIが提案してくるんです。
その"絶望の生データ"を前に言った母との朝食の記憶データに統合しませんか?と。
より感動的な完全版にアップデートできると。
その見返りに、あなたは記憶データと融合して永遠に存在し続ける権利を得ますよって。
ブク美
それは究極の選択ですね。
そしてリョウは承諾を押すと。再生ボタンを押すと、改変されたでも美しい母がおかえりと微笑んで、彼の意識はデータに吸い込まれていく。
最後の一文。売られた記憶の中で誰かの記憶になりながら。
これは非常に考えさせられる結末です。
この物語、特にリョウの選択っていうのは、単なるSFとして片付けられないような何か重みがありますよね。
対談の内容も踏まえつつ、もう少し深くこの物語が示している未来の可能性探っていきましょうか。
さっきのSoraの話じゃないですけど、この記憶のマーケット化っていうのは、もう絵空事(えそらごと)じゃないのかもしれないですね。
ノト丸
そうですね。対談ではAIが文化を生成するその次のフェーズとして、自分の過去そのものがコンテンツの素材になるんじゃないかという可能性が示唆されていましたね。
私たちがSNSに投稿したりするライフログとかそういうものから、AIが映像とか物語を再構成する。
これはまさに記憶のマーケット化の入り口と言えるのかもしれないですね。
ノト丸
つまりあなたが今何気なく共有している日常の一コマが、リョウが売った母との最後の朝食と実は地続きかもしれないと。そういう視点ですよね。
ブク美
対談の中で読者の方がコメントしてた。「AIに奪われることより人が自ら差し出すことの方が怖い。」っていうのがすごく印象的でした。
リョウも最初は生活のためだったかもしれないけど、最後は自らデータになることを選んだわけじゃないですか。
なぜ私たちは自ら進んでそういう選択をしてしまう可能性があるんでしょうか。
ノト丸
それ対談では"自発的な誘拐"っていう言葉で表現されてましたね。
AIによるコンテンツ生成があまりにも効率的で、しかも魅力的になってくると、人間が手間暇かけて作るオリジナルっていうものが相対的に非効率に見えてしまうかもしれない。
そうなった時に最後の砦のはずの再現不可能な、一次データ、つまり記憶ですら利便性とか、あるいは何か別の価値を求めて自ら手放してしまうんじゃないかと。
そういう考察でした。
リョウは記憶を売る最初の世代であり、データ化される最初の亡霊とも言えるのかもしれない。
感情の市場の可能性
ノト丸
かつて芸術家は作品に溶け込むなんて、ちょっとロマンチックに語られたことがありましたけど
それがAI時代の経済合理性によって全く違う形である意味現実になるのかもしれないという。
ブク美
特に衝撃的なのはやっぱりAIがリョウの"絶望"に価値を見出す場面ですよね。
喜びとか感動だけじゃなくて、痛みとか苦しみそういうネガティブな感情までアセットとして取引される未来っていうのは、これ、どう考えたらいいんでしょうね。
ノト丸
これも実は現代のSNSにおける感情の市場みたいなものの延長線上にあると見方もできるんですよ。
ブク美
感情の市場ですか。
ノト丸
私たちはすでにいいねとか共感を求めて自分の感情をある種切り売りしている側面ってあるじゃないですか。
ブク美
確かにありますね。
ノト丸
AIはそれをより精密に数値化して取引可能な形にしただけとも言えるわけです。
物語の中では悲しみとか喪失感が供給不足でプレミア化するなんて書かれてますけど、
重要なのはその感情を本人がまさに感じているリアルタイムで売買できる可能性を示している点だと思うんです。
ブク美
リアルタイムでと捉えるんじゃなくて、永遠のコンテンツとして存在し続けることを受け入れたんだと。
ある種の救済なんじゃないかみたいな解釈も出てました。
ノト丸
あれは非常に鋭い視点だなと思いました。
このハッシャタグ毎日未来創造のシリーズ全体に通定するテーマとして、
人間の役割が消える瞬間のある種の盗集感とか需要みたいなものがあるんじゃないかと。
拒絶するんじゃなくてむしろそれを受け入れることで得られる何かみたいな。
りょうは創造者であることを手放して、干渉される存在としての永遠を選んだ。
これはまあ敗北と見ることもできるかもしれないけど、彼なりの救済だったのかもしれない。
その解釈は深く考えさせられますね。
ブク美
そしてあの母との記憶という題材自体も考えさせられます。
メディアとAIのパラドックス
ブク美
AIがそれを美しくすればするほど、りょうにとっての本当の母の記憶は失われていくわけですよね。
ノト丸
そうですね。
ブク美
でも世間はその加工された美しい記憶の方に感動してしまう。
ノト丸
ここにAI時代のメディアが持つある種のパラドックスが現れてるんだと思います。
AIは客観的な事実よりも人の心を動かす感情曲線を最大化することをどうやら優先するらしいと。
りょうの母が完璧な母に作り変えられたのはデータに基づいた最適化の結果なんでしょう。
でもその瞬間、りょう個人の本来だいたい不可能なはずの経験が他者の感動のための素材へと変わってしまった。
個人の真実は消える。だけど集合的な感動は拡張される。
このトレードオフがメディア進化の痛みを伴う側面なのかもしれないですね。
ブク美
ということはこの物語が本当に描いているのって
メディアの未来というよりは人間がメディアの素材になる未来ということなんですね。
ノト丸
まさに対談ではメディアの逆転現象という言葉で表現されていました。
これまでは人間がメディアを使いこなしてきたけど
これからはAIがストーリーテラーになって
人間がその物語の素材を提供する側に回るのかもしれない。
平成のマスメディアは情報を流通させて、令和のSNSは個人を拡散させたとすれば
次のAI時代のメディアは私たちの記憶そのものを資源として
新たな物語を紡ぎ出すようになるんじゃないか。
つまり私たちの過去が未来のコンテンツになるという
大きな転換点に立っている可能性があるということですね。
ブク美
そう考えると対談の最後の言葉
私たちがこうして話しているこの瞬間でさえ
すでにどこかでリマスターされているかもしれないっていうのは
なんかもう単なる冗談とは思えないような
ちょっと背筋が寒くなるような感覚がありますね。
未来の選択と人間の存在
ブク美
本当に。
さてここまで記憶マーケットプレイスと
その対談から浮かび上がってきた
メディアと人間の未来について考えてきました。
ここでこれを聞いてくださっているあなたにも
少し想像を巡らせていただきたいなと思うんです。
もしあなたがオンラインで共有した
例えば今日のランチの写真とか楽しかった旅行の思い出とか
そういう日常の断片がですね
AIによって自由に再編集されて
何百万人の人が見れるような
感動的な物語の素材になるとしたら
あなたはどう感じますか?
あるいはあなたの喜び興奮
もしかしたらふっかり悲しみとか孤独感とか
そういう感情がAIによって価値あるアセットだって特定されて
誰かの心を動かすコンテンツを作るために利用されるとしたら
それって受け入れることはできるでしょうか?
そして最後にもしあなたが量と同じ選択
つまり忘れ去られて消えてしまうか
たとえ改変されたとしても
愛しい記憶の中でデータとして永遠に存在し続けるか
この岐路に立たされたとしたら
どちらの道がより現実的に
あるいはもしかしたら魅力的に思えるでしょうか?
そしてそれはなぜだと思いますか?
今回は記憶マーケットプレイスとその対談を通して
メディアの未来変貌の一つの可能性
人間がメディアの素材になる未来という
ちょっとドキリとするような側面を探究してきました
ノト丸
未来っていうのは単純な恐怖とか希望の物語っていうわけじゃなくて
対談での言葉を借りるなら
常に再編集の連続なのかもしれないですね
技術が進む中で私たちはその都度何を守って
何を価値あるものとして差し出すのか
選択を迫られ続けるということなんでしょう
ブク美
最後にもう一つだけ思考の種というか
問いかけをさせてください
もしAIが私たちが記憶について何かを選び取る際の
感情そのもの
例えば記憶を売るか残すか
その決断に至るまでの迷いとか葛藤とか
そういうものまで学習して
そこに価値を見出すようになったとしたら
AIがその選択の裏にある複雑な思いそのものを
完璧に模倣できるようになったとき
私たち人間固有のものとして
一体何が残るんでしょうか
明日もメディアの未来変貌をテーマに
まだ見ぬ未来のプロトキャストします
今日の話を聞いてあなたが感じたこと考えたこと
ぜひ毎日未来創造のハッシュタグを付けて
SNSなどで共有していただけると嬉しいです
お待ちしています
ノト丸
そろそろ