長っていうものについて少し話してみたいと思ってまして。
うちの番組の本編でも、公共曲第5番破綻調でございます。ピアノ競争曲第2番破綻調でございますとかいろいろ言います。たまたま破綻調が2つでしたが、代表的な曲があると思ってください。
そういう曲名を見たときに、公共曲第5番っていうのは5番目の公共曲なんだなと思うと思うんですけど、破綻調って言われても破綻調ってなると思うんですよ。普通の方はよくわかんないと思うんです。
ちょっと本編とも重なりますけど、ちょっと説明だけさせてもらいたい。
日本語ではちょっと本編の中では便宜上ドレミファソラシと言いましたが、日本では音の名前をドレミファソラシ、皆さんがイメージするピアノのドレミファソラシ、白い弦のドレミファソラシをハーニーホーヘイトイーロと呼びます。
英語式ではCDEFGABですよね。イタリア語でドレミファソラシと言うんですけど、日本語ではちょっと外国でどうしてるのかわかりませんけど、イタリア語のドレミファソラシを開明と言って、その音そのものではなくて、その調の本編ではイエと説明しましたが、
帰ってくると安心する音、ドにあたる音のことをドと読むっていう決まりにしてますんで、ドレミファソラシってあんまり読まないほうがいいんですよね。
で、ハは英語式ならCが、ちょっと複雑になりますが音名と解明というものがあって、ハっていうのは皆さんが思っているドから始まるドレミファソラシだと。
で、そのドレミファソラシの方式がドレミーって上がっていくやつと、ドレミーってなるやつと2種類あって、それが蝶々と単調、明るいやつと暗いやつって思ってもいいんですけど、まあまあそこらへんはもう一つ先が、もう二つ先になってしまうので、また別の話にしましょう。
で、ドレミファソラ、止まってもシーって止まってもなんか落ち着かないじゃないですか。
ドって戻ると安心するっていう意味の、その安心する場所をハニーホヘイトで表現するんですね。ハ蝶々とかね、ニーチョウチョウとかいうのも、だからニーで始まると、ニーに戻ると安心する音楽として書かれている。
で、そのね、一般の皆さんご存じない方も多いかな、それぞれの蝶に意味があるって言うんですよ。昔の人。
ハタンチョウは緊張感があり劇的であるとか、ハチョウチョウはソヤでって書いてあるんですか、ソヤで大胆であるとか、ニチョウチョウは快活で好戦的であるとか。
わかりますか、わかんないですよね。
ニチョウチョウが。
まあまあそういうことを言っている、そういう研究書まで出されているようなことを言うんですよ。
これがまず分かりにくい。何言ってんのよって。だってドレミファソラシドをどこで始めるかだけでしょって。
思いませんか、僕は思います。思っていました。だいたいその一人のつもりです。まず何言ってんのよって。
チョウ、違う堂で始めたからといって急に好戦的になるなんておかしいじゃないですかっていう気がしてたんです。
イメージするのに簡単なのは、カラオケでちょっと高くて歌いにくいから2つ下げてみようってしますよね。
2つ下げたからといって曲が急に好戦的になったりはしないでしょ。
雰囲気は変わりますよね。
雰囲気は変わりますね。僕も気持ち悪いって思うことあります。
あんまり頻繁に変える人はやめてって思いますが、音楽ちょっとかじってる人はやめてって思う人もいるかもしれませんし。
あれで実際音楽の高さ変わるじゃないですか。で歌いやすくなったりいろいろするんで、高さ変えるっていうのは日本でやったことがないという人はいないと思うんですけど。
要するにああいうことなんですよ。
葉長調を二長調にするっていうのは、要するにそういうことなんですけど。
あれがね、すごく新しいテクノロジーというか、ちゃんと作られているから同じ音楽に聞こえるという話をしたいわけなんです。
昔の鍵盤楽器の事情はちょっとカラオケとは違ったんですよ。
鍵盤楽器っていうのはもちろん普通鍵盤を押すと決まった高さの音が出るじゃないですか。
学校にあったピアノでもどの音を押せばドが出るってみんな思ってると思うんですけど。
基本的にはチューニングを自分でするものではありませんし、バイオリンでも演奏中にチューニングすることなんてありませんけど。
要するにその鍵盤の12個の音をどの高さに設定するかっていう問題が出てくるんですよ。
単純に考えると、きれいに響く音程を1個ずつ並べりゃいいじゃんって思うじゃないですか。
それがね、説明せんどこ今日は。
うまくいかないんです、それは。
なんでうまくいかないのかはね、もう1個先になるので。
なんでうまくいかないのかを説明しても面白くないし、うまくいかないものだって流しておいていただけた方が僕は今日はいいと思います。
要するに基準の音を決めた後に残りの11個の音をどういう風に並べるのかっていうのを
たくさん考えてきた時代があるわけなんです。
鍵盤楽器というものができて以降ね。
だからいろんなチューニングの流派みたいなものができてくるんです。
中前音律とか、不等分律とか、いろいろと鍵盤楽器の調律をする方法論がいっぱい確立していくわけなんですよ。
例えば白い鍵しか使わないのを波長調と言いますが、波長調を一番きれいに調律したら、
波長調から離れていけばいくほどそのしわ寄せがきてしまうみたいなことができてしまったりするんですね。
そうなってくると、それぞれの調で、
例えばさっき昔の人が言ってたような、2長調は攻撃的でとかいうような話で、
そうなってくるとそれぞれの調で、この調は攻撃的だ、金属的だとか、
そういう特性というか癖というか、そんなものができてきたっていうのもなんとなく理解できるようになりませんでしょうかね。
だから次第次第にそうなっていくみたいな、グラデーションでもないんでしょうけれども。
今の例えばお家にあるピアノっていうのは、調律師さんがピアノ屋さんの誰かが来られて音の調整をしてくれたりすると思うんですが、
基本的には平均率といって、全部の音をあえて言えばきれいに平均的にずらしてあるんです。並ぶように。
どこから弾いても構わない調律っていうのが主流と思っていただいていいと思います。
その平均率っていうので調律すると、飛び抜けて美しいっていう調はなくなってしまうけれども、
演奏できないほどひどいっていう調もなくなるっていうことなんだと思うんです。
僕はもうちょっと鍵盤楽器のことは全然自信ないんですけど。
もしかするとコンサートの前とかには、その日にその楽器で演奏する調に寄せるっていうのは多分されることがあるんだと思います。
ちょっと僕はそこまで知らないです。調律師さんがどんな頑張ってらっしゃるのかっていうのは。
平均率で調律されたピアノっていうのは、だからカラオケで音を上げ下げするみたいに、
どの調を演奏しても取り立てて癖がなくなっているというふうに改善された調律ではあるわけで、
だからさ、運命っていう有名曲がありますね。
あの高級曲第5番、ベートーヴェンさん。運命はハタンチョウだから、ちょっと低いからハタンチョウにしようかって。
なんでそういうことをやらないのかっていう話を次にしようと思うんですけど、
まず一つ考えられるのが楽器の特性をその音楽に合わせなければいけないっていうところがあるんですね。
例えばハタンチョウっていう調律、調律じゃない、ハタンチョウっていう調整は、
普通の楽譜とあえて言っておきますが、普通の楽譜にはフラットが3つ付くと、
ピアノの楽譜であればフラットが3つ付くと、
例えば僕がビオラーを弾く人なのでビオラーの場合は一番高い弦の開放弦が使えなくなるんです。
バイオリンだと一番高い方の弦から2つ開放弦が使えなくなるっていうハタンチョウなんですね。
これもちょっともう一つ先以上の話になるので、そんなもんなのかで流していただきたいんですけど、
開放弦の音ってだいぶ弦楽器にとってはカラーが違うんですよ。
弦楽器が普通に演奏している中で開放弦はあえて使わない方がいいかなって思うぐらいはやっぱりカラーが違って、
ただやっぱり開放弦を使う場所もどうしても出てくるので、
開放弦の音が使えるか使えないかって結構大きいと思うんですよね、弦楽器奏者としては。
私が弦楽器奏者だからなんですけど。
ここからは僕の専門ではなくなるんですけど、弦楽器も専門でもないんですけど、
弦楽器も当然得意な調整とか鳴る調整とか鳴らない調整とか、
あえて鳴らない調整を選択しているとかいうのはあるはずで、
多分弦楽器の開放弦以上の音色の影響とかはあるはずなんですよね。
金管楽器とかも今はバルブとかピストンとか、ボタンとかレバーみたいなのがついてたりする、
ある程度音を変化させられるようになってるんですけど、
もともとはボタンみたいなのはついてなくて、ついてないのが普通で、
音楽の調が変わるってなると楽器自体を交換するとか、
くるーくっていうか間に継ぎ足し管みたいなのを継ぎ足したりとか、
そんなことをしないといけない必要があって、そこら辺もやっぱり大変だったりする。
その楽器にもともと合ってる音楽を作られている場合が多かったりするわけなんですよね。
もう一つ言うと何より弦楽器も管楽器もこの音より下は出ませんとか、
この音より上は出ません。ピアノだってそりゃ一番上の音の上は出ないんです。
だから制限はありますんで。
だから指定された調整で演奏する以外のことは基本的にやらない理由としては、
一応そこら辺がまずあるのかなというような話なんです。
もちろんピアノとかだったら国権発権の調が変わると、
国権発権の奥手の位置が変わる。演奏性が変わるって言ったらいいでしょうか。
弦楽器も管楽器もそれなりに楽器の操作が変わりますから、
何より絶対音感をお持ちの方がいらっしゃれば、
たぶんカラオケで音を変えるのはあれ気持ち悪いって絶対音感をお持ちの方は思われてると思います。
音をそれぞれの音を色で認識している方とかまでいらっしゃると聞きますし、
そうなってくると調を変えると風景が変わってしまうというような気がするかもしれないとか思ったりします。
僕は幸いいい加減な音感で生きてますからそんなことないですし、
カラオケも歌いやすい高さにしますけども、
けどあれも、さっきも言いましたけど、
あんまり頻繁に変える人はやめてくれって思うことはありますけどね。
いい加減にしろと思ったりもしますけども。
そういうわけで、今のピアノっていうのは平均率っていう調律、
平均的にずれた調律をあえて作ってあって、
癖をなくしてあるので、だからそれで万事解決って、
何の調で書いても全然構わないかっていうと意外とそんなこともなくて、
もう一つ言いたいところがあって、大きいのが過去の名作の影響。
だから破綻調って書いてあれば、
これはもうベートーベンの第5番に挑戦をしているのかもしれないとか、
挑戦?別に戦いを挑んでいるわけではないけど、
ベートーベンの公共曲第5番をオマージュしているとか、
ベートーベンの第5番はこういう風に終わった曲なのはみんな知ってるかもしれないけど、
俺の公共曲はこう出せとか、そういうのをやってるんじゃなかろうかとか、
例えば二短調ならモーツァルトのリクイエムとか、ベートーベンの大工とか、
変歩長調の英雄とか、そんなもうこの調ならあの曲みたいな感じのがあるわけなんですよ。
その作品の印象がどうしても、
それはものすごくありますよね。
作品に重なっていっちゃうというか、
それはどうしても平均率で、調ごとの音響的な差が薄れた後も、
この記憶っていうのはどうしても残っていっちゃうっていうようなところがあって、
破綻調の音楽って別にベートーベンが生み出したものでもなんでもないし、
それはハイドンだって破綻調の作品ありますし、
モーツァルトにもピアノ競争曲破綻調のものありますし、
ただベートーベンはやっぱり破綻調好きな調だったみたいで、
ベートーベンの破綻調をやっぱり受け継いだ方っていうのが、
たぶんブラウムスはあえてなんでしょうけど、
ブラウムスは高級曲第一番に20年以上の時間をかけた話は
ミトさんになってからしましたっけかね。
ブラウムスが20何年間っていう、
ブラウムスの高級曲第一番を作り出すのに海の苦しみといいますか、
時間をかけたという話をしたと思うんですが、
ブラウムスの第一番高級曲破綻調なんですよ。
ベートーベンに挑戦するかのようにですよ。
って思っちゃいますね。
ブラウムスは破綻調で高級曲第一番を始めて、
最後破綻調に昇華していくんです。
ベートーベンと同じ流れにするんです。
ただベートーベンみたいに第4楽章の冒頭で
大勝利、大喜びの第5番高級曲がなるんですが、
ブラウムスは第4楽章を破綻調で始めるんです。
破綻調のまま始めていって、
美しい旋律を経て破綻調に至るんですよ。
この辺りも素晴らしく、
ベートーベンとは違う美しい高級曲だっていうのを表現している。
あえてベートーベンを想定した上で
自分の新しい高級曲はこういうものですっていうのが、
みんな素晴らしいと思ったんでしょうね。
僕も大好きですけど。
ブラウムスは素晴らしい高級曲でございます。
ぜひ皆さん、聴いたことないという方は聴いてみていただきたいんですけど。
ブラウムスはそこでは運命と同じ破綻調を選んだっていうこと自体に
意味があると思いたいわけなんですよね。
ブラウムスはベートーベンが作った歴史を受け継ぎながら
自分ならその続きをどう書くかっていうようなのを示した。
ブルックナーの高級曲8番も破綻調で始まったりします。
これもまた構成がすごくベートーベンとは違う。
よろしければ聴いてみていただきたい。ブルックナー。
逆に言うと、ブラウムスもブルックナーも
その高級曲をベートーベンがいなければよ。
その高級曲を破綻調で書いたかどうかは分からない。
ただ破綻調にその3曲が集約しているっていうのは
多分ベートーベンが運命を書いたから。
にほかならないのではないかとか思ったりするっていう話です。