今日の曲について、もうちょっと話したいんだわ。 この番組は、FM辞めの朝の音楽番組、キラキラミュージックボックス
クラシック音楽の水曜日で語りきれなかった部分を、ポッドキャストでお届けするアフタートークです。
お相手は、松尾隆史と、美兎美兎こと今村美兎です。
それでは、もうひとつ先へ、いってみましょう!
今日は、ブルックナーの第7番という音楽を。
ちょっとブルックナーの話からしようかな。
ブルックナーって、すごい遅咲きのことなんですよ。
40歳ぐらいで、本編の中でも話せたかな。
40歳の前ぐらいで、確か、ワーグナーっていう音楽があると。
ワーグナーがこんなことをやるんだったら、僕もでっかい音楽を書いていいんじゃないだろうかって思ったような方なんですね、たぶん。
今日聞いた高級曲第7番は確か、何歳だったっけ、50何歳ぐらいの作品なんですよね。
で、始まりにはというか、第9番、高級曲の第9番を書くと作曲家は死んでしまうみたいなのを恐れた作曲家とかまでいらっしゃったりするんですけど。
83歳の1896年10月11日、83歳のその日の朝まで、高級曲第9番の第4楽章の筆を取っていた午後に息を引き取ったという話で。
本当になんか第9番の呪いを。それでも高級曲他にも書かれているんで、別に究極でっていう場合、第9番っていう名前に、第9番の名前を避けて通った作曲家とかいたりしますからね、その呪いのせいで。
本当に第9番があっちの世界に連れて行ったかのような亡くなり方をしているブロックナーという方を今日はご紹介したんですが。
でもこの最後の時まで曲を作り続けてってちょっと羨ましいというか。
ある程度幸せですよね。
年齢も年齢で、この年までまず生きられていらっしゃるっていうところも、この時代の方を考えたら。
この時代で83歳まで生きられていただけでももちろん幸せでしたでしょうし。
こいつこの間僕が聞いたひとネタなんですけど。
お年寄りの皆さんがちょっとお集まりになった。僕楽器を弾きに行った機会がありまして。
それこそFMやめのキラキラミュージックボックス木曜日をされているカズさんたちと、
カズさんがギター弾きながら歌われる方で、それの伴奏したり僕だけ弾いたりみたいな感じで、僕はビオロを弾きに行ったんですが。
聞いていただけてたのがその地域の爺ちゃん婆ちゃんなんですよ。
その時になんか締めの挨拶みたいのされた。
区長さんか何かだったかな。その方が皆さんがこれから必要なのは教養ですとおっしゃるんです。
教養ですかって思ったの。それはまたなかなか大変なことをおっしゃるなと思ったら。
教養っていうのはね勉強のことではなくて、今日用事があるの教養です。
だからブルックナーが83歳で第9番の第4楽章を仕上げるっていう用事があったのが素敵ですよね。
本当になんか亡くなり方としてというと演技も悪いですけど、ちゃんと仕上げないといけないという用事があったのは本当に素敵なことだろうなと思いますね。
今日はあれをするっていうのが何かあるとやっぱり心持ち的にもね、
今日はあれをクリアしないといけないみたいのをやっぱりずっと持ちながら年をとっていきたいなという感じがしますね。
そんな感じでブルックナーの亡くなり方の話からしてますが。
今日の第7番はブルックナーがもう高級曲作家、大化として認められた音楽だと思っていただきたいですね。
これはブルックナー巻き込まれたに近いと思うんですけど、
ブラームス派とワーグナー派の政治的な争いみたい。政治的というか何とも何とも言えない。
とにかくブラームス派の評論家の方がものすごく強い言い方をされる。
ワーグナーはワーグナーであの人は字も書くもんですから、
ちゃんと反論し始めたりして、どっちがいいってはもちろん僕らも言えないんですけど、
ワーグナーのその楽劇っていう新しい芸術の形を模索しているのを、
ブラームス側から見ると、だから今までの伝統を逸脱したものを作り始めたように見えたんでしょうね。
そこのそれのワーグナー派の旗印みたいにされちゃった人なんですよ。ブルックナーって。
多分もうね人隣とかを見てると喧嘩しそうな人じゃないんです。ブラームスも喧嘩しそうな人じゃないの。
めっちゃ優しい人で、ワーグナーは喧嘩するかもしれないです。印象的には。知らないけどね。
会ったことないけど、ワーグナーは喧嘩するかもしれないなとは思いますが、
ブラームスは喧嘩しないでしょう。そんな旗印になっちゃったような波乱の人生を送られた方なんですね。
ブルックナーさんって普通のお家に生まれた方なんです。
音楽家というわけではなくて、オルガンを弾く先生をされていた村の先生みたいな。
教会のオルガニストもやってますみたいな先生の元に生まれて。
さっきちょっとブルックナーが亡くなる時の話とかにも話が飛びましたけど、
当時はものすごく小さい時に亡くなってしまうみたいなことも多い時期ではありますよね。
83歳とかそれは長い日じゃないですかっていうような話にもなりましたが、
ブルックナーの兄弟も何人も若い頃というか子供の頃に亡くなっていて、
その頃子供が亡くなるっていうのはある程度しょうがない。
亡くなることまで想定してたくさん子供を作っておくまである感じの、
早く亡くなった子供はどちらかというと早く神様のもとに留めされたのだという考え方になるほど子供は亡くなる時代ではあったんですね。
そうこうしているとブルックナーが13歳の時にお父さんが亡くなってしまうんです。
あんまり豊かなお家でもなかったですし子供もいっぱいいた。
何人残ってたんだっけ?半分ぐらい確か亡くなってるんですよね。
10人中5人ぐらいしか大きくならなかったみたいな話を聞いたことがあった気がします。
すいません、気がしますの話をしてますが。
それであんまり豊かなお家じゃなかったので修道院に入ることになるんです。
聖火隊員としてお父さんからのオルガンの手ほどき的なものはあったかもしれないですけど、
その後声変わりすると聖火隊員だったので声変わりすると聖火隊員でいられなくなるんですね。
それで15歳ぐらいの時に声変わりしてどうするのよっていう話になって、
結局お父さんと同じ学校の先生になろうとするんです一回。
それで学校の先生になったんだけど、
学校の先生しながらあんまりそこのいい感じの話が出てこないんですけど。
結局母校のオルガンの先生みたいなことになったりして、
オルガンの世界で林津大聖堂のオルガニストになって、
今度はウィーンでオルガンの結構音楽で身を立てたいっていう気持ちになったみたいで、
ウィーンの街の方に移るんですけど、
それがもう40歳超えてますから、
だからそこまではオルガンの専門家で、
せっかくオルガンの専門家になったんだからウィーンで頑張りたいなーって言ってウィーンに出ていくんですけど、
イメージの話ばっかりしまして、今回すいませんけど、
ものすごく純木な方なんです、なんとなく。
イメージとしては。純木で信仰深い方なんです。
その後の公共局の改定とかがものすごく改定していくんです。
なんか言われると、じゃあやっぱり変えちゃおうみたいな感じになる。
だからちょっと自信もあんまりありげではない感じかな。
ウィーンっていう大都会に出てるじゃないですか、
やっぱり田舎というか林津はある程度都会ですけど、
そこのまた引っ込んだ田舎からの出の方ですから、
林津の方言の方なんですよ。
ブルックナーのザンクトフロリアンっていう修道院にブルックナーいたんですけど、
そこでブルックナーの話をみんながしているっていろんな風景を映しながらみたいなのを、
そのYouTubeの動画があるんですけど、そこもねやっぱり、
僕はドイツ語の素養がないんですけど、ごめんなさいちょっと余談っぽいですけど、
ついこの間、某大学の音楽史の先生に授業を受けに来ていいよって言われていて、
たまたまちょっとブルックナーの会だったんで、
その動画がみなさん学生さんたちに紹介されたのを見てたんですけど、
僕ドイツ語の素養ないんですけど、その先生はドイツ語ものすごく堪能でらっしゃって、
ドイツ語を取っているみなさんは、一応ドイツ語に聞こえるかもしれないですけど、
たぶん理解できないですねっていうぐらい、
リンツの言葉っていうのは普通のドイツ語とは違うらしいんですよ。
だからウィーンでも最後まで田舎者の人っていう感じのおどおどした雰囲気があったという話も聞くので、
そういう意味でも僕のイメージもそんなに外れてないのかなとは思ったりしますね。
さっきも何回か言いましたけども、ワーグナーっていう重要な方がいらっしゃって、
ブルックナーももう40歳近くになって、
ワーグナーっていう新しいその劇場作品を考え始めた人がいることを知って、
ワーグナーが公演を行うならもう必ずブルックナーの姿があるっていうほどは、
もうワーグナーに浸水していくんですよ。
1873年に第3番公共局をワーグナーに検定していて、
第3番公共局をワーグナーと呼ばれるぐらいの、
あんまり言わないけどね、今はあんまり言わないけど、
ワーグナーって書いてあったりすることがあるぐらい、
だからもうワーグナーのいろんなテイストを入れたというか、
そういう公共局として作られてるんですね。
ワーグナーは公共局1個しか作ってないんですよ、今我々が聞けるやつは。
いくつか試したとかいう話は残ってるんですけど、
ブルックナーみたいな作品にはなってないんですよ、
そのワーグナーが作った公共局っていうのは。
なんでかブルックナーは公共局作品として
ワーグナーを表現しているみたいなところがあるのかなっていう感じなんですよね。
だからワーグナーがそんなに好きなら
ブルックナーも楽劇を作る方になんでならなかったんだろうって思うじゃないですか。
大規模オペラですよね、ワーグナーが作った。
そういうよりは、だからブルックナーがワーグナーから得たのは、
だからあんなとんでもないというか、
非常識なものを作っても構わないんだって、
ブルックナーが悟ったかのような。
そんなインスピレーションのようにちょっと我々にとっては見えてしまうんですよね。
それで第7番で、さっき少しだけ話しました。
深く話そうと思ったらいっぱい話せるんですけど、
ワーグナー派とブラームス派の二派抜の戦いね。
ワーグナーが新しい芸術作品として自分の楽劇を作り続けていく中で、
ブラームス派と呼ばれる皆さんは、
これは僕はブラームス派なので、
僕はブラームス派なので、ブラームスがそれを批判していたとは言いたくないんです。
ブラームス派の皆さんの誰かが、
ブラームスがベトベンとかから受け継いできた音楽とは違うものだと批判する人がいたんですよ。
派ですからね。
ブラームスの派抜の方がワーグナーを批判し始める。
それでワーグナーも反論するもんだから、そこがガチャガチャなっていってっていう話になっていったんですけど、
ブロックナーは還元楽っていう形で、
ワーグナーみたいな楽劇みたいなあんなクソでっかい舞台が必要な、
演者まで必要なものは作ってないのに、
なんでお前はブラームスみたいな音楽に、伝統的な音楽にはまろうとしないんだと。
こっちが美しいんだと。
ブラームス派の人は、ブラームスじゃないですよ。
ブラームス派の人が言うんですよ。
けどブロックナーさんは純朴なイメージで、だってワーグナー好きだもんなーって言ってる感じ。
ブラームス派の旧戦法でハンスリックっていう、
なんていうのかな、非評価みたいな方がいらっしゃって、
その人が一番中心になっていくんですけど、
ワーグナーとかリストとか、新しい音楽を作る人を、
いわゆる新ドイツ楽派とか言うんですが、
そこら辺にちょっと批判しがちだった方がいたんですよ。
ブロックナーはもうだから、第三番公共曲をワーグナーに捧げてしまうほど、
ワーグナーに浸水していたもんだから、
じゃあハンスリックからの一番の攻撃目標になっちゃった感じ。
3番も批判された、4番はあんまり聞かないですけど、
初めて世の中から認められたって言われるのが、
今日聞いた第7番っていうところなんですよね。
もうちょっといろいろ聞いてみていただきたいな。
長いって言っても1時間ちょっとですからね。
聞いてみていただきたいんですが、
公共曲第3番、ワーグナーと呼ばれたりしますけど、
その第3番をワーグナーに送ってしまったということで、
ワーグナー陣営の公共曲作家みたいになっちゃうんですよね。
公共曲にオペラでというか楽劇で、
ワーグナーが使っているような劇的な音響を、
ベートーベンが作ってきた伝統の公共曲の世界に持ち込む危険なやつだったんです。
ハンスリックに言わせると。
それで派閥が割れてしまって、
どこまでするかも迷うところなんですが。
その第3番とかが特に攻撃材料になったんですね。
アホみたいに長いですしブルックな言うても、
曲が60分超える音楽とかそこまではなかったわけ。
ワーグナーですら書いてないんですよ、公共曲。
ワーグナーの公共曲は確か40分くらいでちゃんと終わるんで。
だからそれを超えていったんですよ、ブルックナーさんは。
あとさっきも本編の中でも言いました、
素材をポコポコ置いていく感じの作り方をしていて、
間にブルックナー急使っていう話しましたけど、
間をオーケストラ・ゲネラル・パウゼって呼びますけど、
もうポーズにしちゃうんですよ。
オーケストラは急に無しって、静かなとこって作っちゃう。
そういうのが伝統的なものと全然違う。
何度も何度も頂点が現れて、
響きが増す、ワーグナー的であるというところが、
危険分子として扱われてしまったというブルックナーさんですね。
いまだにかな。