よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ようこそ。
先生、本日は来ていただいて本当にありがとうございます。
とんでもない。呼んでいただいてありがとうございます。
嬉しいです。初めて先生に私をお会いしたのは、ついついこの前の北千住の夜でございましたね。
北千住の夜。
北千住の夜でしたね。
ディープな夜でしたね。
いやどうでした?私すごく楽しかった。先生のお話をね、今日ここで話すことなんですけど、じっくり聞かせていただいて、ほろり、ほろりというか結構泣きました。
いやあの、非常に面白かったですね。1ミリはみ出すって何のことかなと思って、もう身内だけでなんか適当にやってるのかなと思ったら、そういう印象で、今日こういう感じになると思ってないで。
ああ、なるほど。
ガチなやつですよね。
ガチなやつでびっくりして、その時に話してそういう感じかなと思ったら、結局最後は何か今できないこととか、やらなきゃいけないこととか、人に伝えたいこと、なかなか今世の中がこうで伝えられないことをみんなに発信して、しっかり胸を張って頑張っている方たちの話ができて、本当に面白かったです。
もうまとめなんじゃないかくらい、これもう嬉しいこと言われてしまいます。
とにかくね、今日のテーマなんですけど、聞いていただいた方、もうお分かりかと思うんですけど、これは一言で言うと、部長、山田部長、本気ですよね。
そう、これ本気なの、今日もう、日笠先生にね、本気の話をたくさん話す回にしましょう。
はい、ということで、ようこそさんに日笠先生の紹介をお願いいたします。
まず、足立区の公立中学校の勤務を42年間続けられ、今年2026年3月に65歳を迎えられ、定年されました。
特に足立区淵江中学校には、1校だけで25年もの長い期間在職されたということで、無名の公立中学校でバレー部全国制覇5回、14年間連続、中学校バレーボール全日本選抜監督、本格的なミュージカルを公立中学校で15年実施。
運動会ではありえない組体操、集団行動をしろ、全国に多くのファンがいらっしゃるということでございます。
山田さん、なんかすごい経歴の方をお呼びいたしましたね。
どんだけでも出てくるでしょ、次から次。
めちゃくちゃ突っ込みたいとこいっぱいありました。
たくさんあるよね、これ。
同じ学校で25年間連続勤務ってできるんですか?
私、2年前までずっと7年間教育委員会で在籍してたんですけど、25年勤務されてる方ってなかなかないです。
ないですよね。
びっくりしました。
いやすごい。それも事前のヒアリングシートによると、小泉慎二郎さん、現職の大臣ですね、が反撃に来たということで、どんな状態なのか。これはミュージカルを見に来られたということでしょうか。
そうです、ミュージカルを見に来てくれたんです。
だから、事前ヒアリングシートでどこをいじっていいやらみたいな感じになりませんか。
ヒアリングシートもすごいし、足立区で日笠先生で検索すると、足立区報、うちで言う帰宅ニュースは、2026年の新年号、新春号に出てくるんですよ。
今年の1月号ってことですか。
またまた、全日本選手の河野拓真選手の育成も日笠先生されたということですよね。
育成というか、3年間バレーボールを教えました。
揃えたら全日本になってるんですもんね。
河野選手、ご経歴がすごく、中学時代は東京都代表でJOCカップで優勝に貢献をされたということだと。
あと最優秀選手とオリンピック有望選手に選出されている。
高校は北区の寸大学園高等学校、春光バレーに参加出場されたということで、第75回第76回で連覇されていると。
エースとしてインターハイ、あとコクスポ、春光バレーか。
それでも全国3冠の達成ということで、すごいですね。
また高校が北区にある寸大さんっていうのはすごく嬉しいですね。
そのインタビューで河野拓哉選手が日笠先生のことを語ってるんですよ。
ちょっとよしん読んでください。
中学生になり本気でバレーをやりたいと思い、区の学校選択制度を活用してバレーボールの競合校である淵江中学校に入学しました。
そこで出会ったのが恩師である日笠智之先生です。
日笠先生の指導はとにかく情熱的、生徒に寄り添い一人一人の成長を見守ってくれました。
鉄の根性をチームの合言葉に掲げ、どんな時も諦めない姿勢を教えてくれました。
鉄の根性って私聞いたことないです。すごいですよね。
鉄の根性ってチラッと聞いていいですか?
鉄の根性っていうのは諦めない心なんだけど、生徒に言ってるんだけど、
鉄は灼熱の地獄を通り抜け、叩かれ叩かれ鋼になる。身も心も決して折れない鋼になるのだというのがですね。
モットーです。
完成された工場でしたね。
今日の話の本題これから入る前の前提で、日笠先生の口からお話いただきました。
そもそも淵江中学校はなかなか大変な学校環境だったっていうのも何となく聞けますか?
本当に大変な学校でした。バイクで登校するやつはいるわ。
中学校ですよね。
中学校です。やっぱり授業が成り立たなかったですね。
僕は一応怖い先生だったんで大丈夫だったけど、他の優しい先生とか、そういう先生の授業が成り立たないで、
とにかく授業妨害して生徒が、学員が呼びに行くんですよ。
いくら言ってもなかなか他の先生の授業聞かないので、校長先生許可取って、本当はいけないのかもしれないけど、
そいつらはずっと朝から晩まで数学でいいかと言って。
僕が数学に行くと各クラスのすっぱりどもが椅子と机を持って1組に集結。
次そろそろ3組に集結。
空き時間は廊下で僕が机を出して、廊下でそいつら勉強させました。
それがもうそういう学校です。大変でした。
ちょっとやんちゃじゃ済まされないかもしれないですね。
大変お元気な。
元気な奴らでしたね。
それがバレーボールの競合校になるって話じゃないですか。
そこからですよね。ここからどう繋がっていくかっていう。
どんな風に繋がって数々の輝かしいドラマが生まれたのかって話も今日は聞けるといいなと。
ということで早速本編に参りましょう。
ヨッシータイトルコールよろしくお願いします。
本気から逃げていた高校生
ということで今でこそ全国飛び回ってたくさん多くの方に影響を与えている先生なんですけれども
高校生の頃はご自身に本気になれていなかったというふうにお伺いしましょう。
これは先生の高校生時代のことですね。
事前に先生にお伺いしたアンケートをお読みします。
何もしていない悪が17年間、高校2年生の時に友達といった日本で一番重度の身体に障害を持つ学校でボランティア。
その時に人生の素晴らしさ、五体満足には不可能はないと知り、それから勉強とバレーを始める。
何もしていない悪が17年間というのが結構すごいですし、ご自身に厳しい言葉を向けられているかなと思うんですけど
この部分お話しいただけないでしょうか。
高校2年生までやっぱりフラフラフラフラしていて
一番は先生に勉強しろって言われたんだけど
もうそれ返す言葉が勉強する意味がわからない。
逃げてただけなんだけど、運動をしてもあいつにはかなわないとか
もう愚痴とか言い訳ばっかり。一つのものに繋がらない。
野球もやってたけど途中で辞める。飽きて辞める。
何か言われるとキレて。
僕の二言目にどうせ俺はバカだもん。
もう愚痴と言い訳しかしなかった17年間。
何も一生懸命やったことが、全力という言葉ほど遠く
何も一生懸命やったことがない17年間でした。
意外ですね。
意外ですよね。
生まれ落ちた瞬間から熱血だったわけじゃない。
この世に生を受けた時からね。
オギャーと言わずにキャーと言わずに生まれてきたみたいな。
そんなわけない。
日安先生こうやって目の前にしちゃうと最初から本気だったのかなっていう。
だからその昔から本気だったと思いがちなんだけども
人生を変える瞬間がきっとあるわけですよね。
それが障害者施設にお邪魔した時の出来事ということなんですよね。