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#11 完璧主義は、うつる
2026-07-24 11:47

#11 完璧主義は、うつる

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「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」 ホストは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」

第11回は、前回の「わたし起点の、一撃でいい」の続きです。一撃でいい、という話をしていると、特に学校の先生と話しているときに、また別のストップをかけるやつが出てきます。——「どうせやるなら、ちゃんとやらなきゃ」。 準備を始めたまま、準備運動のままずっと過ぎていく。完璧に仕上がるまで出せない。しかも厄介なことに、自分がそうしていると、子どもたちにも同じことを言ってしまう。「その状態でやるの?」と。 そうじゃなくて、粗くていいからまず出してみる。今回は、生成AIに毎日の予定をカレンダーに入れてもらう、という本当に小さな試しを実例に、小さく始めたからこそ気づけたこと、そして「想定してみて、ズレているぐらいがちょうどいい」という話をしています。

▼ この回で話したこと ・前回の「一撃でいい」の先にある、もうひとつのストップ——「どうせやるなら、ちゃんとやらなきゃ」 ・完璧主義は自分の中で止まらない。自分がやっていると、子どもにも「その状態でやるの?」と言ってしまう ・仕組みから作ろうとせず、まず出してみる。生成AIに予定をカレンダーに入れてもらう、を毎日繰り返した ・小さく始めたから気づけたこと。「フォーマットだけ決めておけば、ちゃんと入れてくれる」——やる前には分からなかった ・効率が良くなると余裕が出て、頭の中がすっきりする。予定が見えるようになると、抜けにも気づけるようになる ・頭の中にあるものが外に出て置けるようになると、解像度が上がり、肩の力が抜ける。形が見えると「ああでもない、こうでもない」が言いやすくなる ・授業づくりも同じ。慎重になって時間をかけがちだけど、ゴールの想定はしたうえで、想定外が起こることを受け入れる ・ある教育者の言葉——一生懸命に準備して、こう育ってほしいと落とし込んで、結果まったく違うことが起こるぐらいが一番いい ・想定していたからこそ、ズレが分かる。「あれ?」となれる。うまくいかなかった、ではなく「思っていたのと違うことが起きるものなんだな」 ・完璧に仕上げてから出すのは、思考回数を減らしている。回数を回すほど、本当に届けたい場所への別の道が見えてくる ・想定どおりに進むのは気持ちいいけれど、想定の範囲の中でしか終わらない。窮屈になる ・我が子も同じ。想像どおりにしようとすると、親は強制し、子どもは萎縮していく ・どうせズレる。「思いどおりにいかない」ではなく「想定外が起きている、これが正常なのだ」と受け取る ・何も考えずに行き当たりばったりでやるのとは違う。想定はしていい。そのほうが気づきにつながる ・ズレたら「そこまで思いが至っていなかったんだな」ぐらいの、緩やかな気持ちで。それくらいのゆとりでいい

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サマリー

完璧主義は「どうせやるならちゃんとやらなきゃ」という思考を生み、準備段階で止まってしまうことがあります。この完璧主義は子供にも影響を与えかねません。本放送では、生成AIに日々の予定をカレンダー入力してもらうという小さな試みを例に、まず「粗くても出してみる」ことの重要性を説きます。小さく始めることで効率が上がり、頭の中が整理され、肩の力が抜けるといった気づきが得られます。授業作りや子育てにおいても、完璧を目指すのではなく、想定外のズレを受け入れ、試行錯誤を繰り返すことが大切だと語ります。

「一撃でいい」の先にある完璧主義
リスナーのみなさん、こんにちは。ゆとり教育者ラジオへようこそ。パーソナリティののざたんです。
今日の放送で11回目になっておりまして、前回の10回目の放送では、私起点の一撃でいいという話をしました。
キラキラした良さそうなものを追いかけるよりも、自分自身が引っかかっている、自分の目の前にいる一人に向けた、そんな一撃のアプローチでいいんですよ、と。
みんなのためにとか、なんかすごい大きなことではなくて、目の前に困っている人がいるんだったら、その人に対してのアプローチがまず大事じゃないかね、という話をしたんですよね。
こんなことを話していると、特に学校教員ですかね、そんな人たちとお話をしているとですね、また別のストップをかけるやつが出てくるんですね。
それが何かと言いますと、どうせやるならちゃんとやらなきゃっていうね。
なるほど、どうせやるならちゃんとやらなきゃ。完璧に準備しようとするやつですね。
やるって決めたら準備を始めて、準備運動のままずっと過ぎて、あれいつやるんですか?って言うと、いやいやいやいや、まだ準備か、みたいな。
ちゃんとやりたい、みたいになってね、完璧に仕上げようとしてしまう。
これがね、非常にあるあるだなと言いますか。
教育者、学校の先生がよくそれに陥ってるなと思うし、僕自身もね、そうなることもあるんですけど、それ自分でやってると子供たちにも言っちゃうんですよね。
それの状態でやるの?みたいな。
ただね、最近はもうね、あれかなと思ってて、まずやってみる方がいいんじゃないかなと。
そのプロトタイプの状態でいいから、まず出してみる、まずやってみるが大事じゃないかなと思ったんですよね。
生成AIを使った小さな試みと気づき
最近は生成アイなんかが出てきて、自由に物事を作れるようになったりするじゃないですか。
いろんなことができるようになってくるんですよね。
私自身もいろいろ使ってはいるんですけど、特に毎日のように使ってるのがですね、
生成アイに自分の予定をカレンダーに入れてもらうっていうのを本当に毎日のように使ってるんですよね。
予定が決まるたびに、生成アイにこの予定を押さえておいてみたいなことをやっていくっていう。
いろいろ試したこともあって、いろいろ仕組みで作ろうかなと思ったんだけど、
やってみろ、やってみたらいいんじゃない?みたいな。これでできる?みたいな感じで。
何回かやってみてたら、これでうまくいくんだみたいな。
じゃあもういいや、今週の予定だけ入れといてよみたいなことをずっとずっと繰り返していって。
やっていくうちにいろんなものが見えてきて、もうちょっとこういうふうに変えて伝えたらいいのかなとかね。
そうか、このフォーマットだけ決めとけばこうやって入れてくれるようになるよねっていう。
予定の書かれたスケジュール入れるから、このフォーマット通り入れてね、メモのところにこういうの残しておいてね、みたいなことを言うとちゃんとできるようになってくるなっていう。
これってちっちゃく始めてみて気づいたことなんですよね。
ちっちゃく始めてみると、最初の問題はクリアするわけですよ。予定を入れるのめんどくさいみたいな。
わざわざね、Googleカレンダーを開いて予定を入れるっていうのが何度も何度もやらなきゃいけないので、それが大変だなと思ってたので、
僕が困ってたのはそこのテーマがかからないようにすることだったから。
もう形はあらわらでもいいから、とにかくこの予定を入れてくれっていうのをどんどんどんどんやっていくうちに、
自分でもできるようになるし、短くなって早く仕事が進むから効率が良くなってくる。
効率が良くなってくると自分に余裕が出てくるので、頭のところがスッキリしてきて、
そうすると予定がスッキリ見えるようにも同時になっているから、自分の予定ってこうなってたのかみたいなのか、
これって抜けてるなーとかっていうことにも気づけるようになったりする。
やっぱり頭の中にあるものがちょっとずつ見えてくるようになると、
それは完璧まで仕上げようとする時間っていうんですかね。
やっぱり解像度が先に高まってくるので、こうやったらいいんじゃない、ああやったらいいんじゃないっていうのが、
自分の外側に出てきてこうやって置いていけるような感じになるんですよね。
それで少し肩の力も抜けるし、今までできなかったけどこういうのができるんだなーって思ったし、
思うと同時にもうちょっとこうやったら効率ができるようになるなーと思ったし、
やっぱり実際にプロトタイプ的なものが具体的に何か見えるようになってくると、
ああでもないこうでもないが言いやすくなるって言ったりですかね。
思ってたのと違うことがいっぱい起こるんですけれども、それでいいのかなと。
授業作りと子育てにおける想定外の受け入れ
別に本説は変わってないというふうに言えばいいですかね。
授業を作り方も一緒だなと思ってて、こうやりたいなーやりたいなーって思っても、
やっぱり授業とか子供たちのアプローチすることになると、
慎重になりがちというか、時間をかけがちなんですけど、
かけちゃダメだっていうことではなくて、かけてしまいがちになるんですよね。
完璧になるまでちょっと出せないなーとかやれないなーみたいなことが多いなと思うんですけど、
そうではなくて、
ゴールのイメージはちゃんとする、こういうふうに組み立ててこういうふうになったらこうなるだろうなーっていう、
想像することはすごく大事で、想定していくことが大事なんだけど、
実際にやってみたら想定外のことが起こるよねっていう。
それをある教育者の方が言ってて、
それが一番いいのだと、何て言うんですかね、準備をして、
こういう想定もして、こういう育ちをしてほしいなーとかね、
こういうふうになっていってほしいなーっていうところまで一生懸命落とし込んでいって、
結果全然違うことが起こるぐらいが一番いいのだと。
なんかきちっきちっとやっていくとまたそれはそれで違うものなんだろうし、
その想定してたけど違ったことが起きた。
でもなんか想定してたからこそズレがわかるし、荒れてなるし、
その時にやってみて気づけなかったことを受け入れてる自分がいるし、
それくらいの気持ちの持ち方でいいんじゃないかなっていう。
うまくいかなかった、こううまくいかなかったって思うよりも、
こういうふうに思ってたんだけど、
なんか違うことが起きるもんなんだなというふうにアプローチする方は考えていくのがいいんじゃないかなと。
完璧に仕上げてからこうやろうとすると、
思考回数っていうのがやっぱり、
思考回数を減らしたいって言ったらいいんですかね。
一回で終わらせたいなってこうやってしまいがちなんでしょうけど、
まあそうではなくて、
なんだろうその思考回数をいっぱい回してみるっていうんですかね。
ちょっとでいいから出してみてやってみてやってみると気づいたことがあって、
それを改善してAIより良いものにしてブラッシュアップしてやってみると、
そうすると本当に思っていたことに届けるためにはこっちの道じゃなくてあっちの道がいいよねみたいなことに気づけるようになってくるっていう。
やっぱり想定通りに進むのってなんか気持ちいいけど、
やっぱり範囲の中でしか終わらない話だなというか想定の中でしか終わらないなと思うし、
それはどちらかというと知らず知らずのうちに矯正しているのかなというふうに感じるところもあるので、
やっぱり窮屈じゃないですか。そうなるとね。そうじゃなくて、
もうちょっと緩やかに見て本当に達成したいものってなんだったっけなっていう。
それは別にAというアプローチでもBというアプローチでもCというアプローチでもよくて、
それが足し算でもいいかもしれないし引き算でもいいかもしれないし組み合わせでもいいかもしれないんですけど、
やってみるうちにこっちが最適解じゃない?これの方が最適解かもねみたいなので、
このゴールが最適なんではなくて別のこっちのゴーグルの方が良かったのかもしれないなとか、
想定外だったけどこういうふうになって結果伝えたいことは伝えきれたのかなみたいになってくるのが
非常にいいんじゃないのかなというふうに思ってるんですね。
だから多分若子でもそうだと思うんですけど、こうやって育ってほしいなとかね、
ああやって育ってほしいなっていう強い思いで描いてる部分は大きくあると思うんですけども、
まあそれ想像通りになることなんてなくて、逆に想像通りになろうとする、やってるうちに、
親は親で共生していくし、子供は子供で萎縮していくし、
それがやっぱりいいものだとは僕は思えないんですよね。
どうせずれるんですよっていう。
必ずずれるのであると。
想定しないことがいっぱい起こるのであると。
まあまあ思い通りにいかないなと思うよりは想定外が起きていて、
これが正常ならなのであるというふうに思ってもらえるのがいいんじゃないかなと思ったので、
今日は紹介をさせていただきました。
想定とズレのバランス
ただただやってみるではやっぱり想像ができてないので、
想定してやってみるっていうのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
想定してみて、想定してないことが起こっていくのがちょうどいいっていう。
ちょっとね、分かりづらいかもしれないんですけど、
何も考えずにやってみて行き当たりばったりでやるのはそれはあまり効果がないなと思うし、
でもなんか想定して想定通りにするっていうのも窮屈すぎてしんどくなる一方だなと思うので、
想定はそれだけしてみていいと思います。
その方がいろんな気づきにつながると思うんですけど、
それがずれてて、あーずれたんだねっていう、
分かりにくいかもしれないですけど、
ずれたらやっぱり悔しいとか苦しいとかなんか嫌だなって思うところが出てきちゃうとは思うんですけども、
そういうところまで思いに至れてなかったんだなというぐらいの緩やかな気持ちで考えていくのが、
ちょうどゆとりでいいんじゃないかなというふうに思いました。
エンディング
というわけで今日はこの辺りでゆとり教育者ラジオのざたんでした。
また次回お聞きください。
11:47

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