「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」
パーソナリティーは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」
第2回は、前回置いた「余白」を支えている地盤について。
余白は、放っておくと残らない。残されている人は、何をしているのか——
たどり着いたのは、「私が選ぶ」という、たった一つの感覚でした。
▼ この回で話したこと
・余白を残すことを支える地盤は何か、という問い
・「私が選ぶ」という自動詞の行動様式
・主語が外にある3つの状態——やらされる、流される、反射する
・教員の日常は、気づかない選択の連続でできている
・「勉強させる」「できるようにする」という言葉が、生徒から主語を奪ってしまう話
・選ばないことも選択。「これは流れに任せる」を自分で選ぶ
・サルトル「人間は自由の刑に処せられている」が教えてくれること
・あとから「あれ、私が選んでたよね」と振り返ることでも、主語は戻ってくる
▼ 次回予告
第3回「ゆとりの正体は『半歩引く目』」
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▼ のざたんの他の活動
Voicy「学びのセカンドオピニオン」(毎日配信)
https://voicy.jp/channel/3708
note
https://note.com/nozkoh
感想
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サマリー
このエピソードでは、「ゆとり」とは単に時間があることではなく、「私が選ぶ」という感覚を持つことによって生まれると論じられています。話者は、私たちは日々多くの選択をしているにも関わらず、それを自覚していないことが多いと指摘します。例えば、授業中の対応や事務作業、保護者とのやり取りなど、一見義務や状況に流されているように見えても、実は自分で選択しているという意識を持つことが重要です。この「私が選ぶ」という感覚は、やらされている、流されている、反射的に動いているといった、主語が自分以外にある状態から抜け出し、主体性を取り戻すことに繋がります。これにより、仕事の量が変わらなくても、心理的なゆとりが生まれ、充実感を得られるようになります。また、選択すること自体が負担に感じる場合でも、「流れに任せる」という選択を意識的に行うことで、主体性を取り戻すことができると提案されています。最終的に、この「私が選ぶ」という感覚を意識することで、自分自身に主語が戻り、気が楽になり、余白が生まれると結論づけています。