これは読んでて思ったんですけど、うちの息子はまさにTCKですよね。
日本人としてシンガポールに住んでいて、かつ日本人学校とか、インターンではなくて、ローカルスクールに行っているので、
TCKですね。日本人の親からシンガポールの環境にぶち込まれているという感じですね。
確かに。
理茶さん自身も一種のTCKではあるんだよな。
そうなりますね。この文脈でいくと、父親が異国で暮らしているということですね。
外国人の父親と日本人の母親なので、お父さんは異文化の中で子育てをしていた。その子供が私ってことなんで。
確かにな。だから僕はお友達の家に遊びに行くと、お父さんとそういう関係なんだみたいなことは。
なるほどね。
家庭環境なんて、人それぞれお家ごとに異なるものだけれども、その違いをより強く感じていた可能性はね、高いなと思うんですよね。
このお手紙をくださった奥沢さんも、日本人だけれどもアメリカで育ったっていうのがあるので、奥沢さんご自身もTCKなんですよね。
リチャさんのお子さんたちは、駐在でイギリスにいた間はTCKでしたよね。
そうでしたね。その時はまさに親にぶち込まれた環境でサバイブしてたわけなんですけれども、
彼ら独自のTCK的な兆候でいくと、やっぱり異文化に対してオープンですよね。すごくね。
やっぱ単人の先生がアフリカ系の女の人だったとかね。
黒人さんだったりとか、一番の親友がムスリムだとか、めっちゃグローバルやなっていう環境で、やっぱ2年半生活をして、
ほんで帰ってきて、日本人だらけの、日本人しかいない、自分が異国情緒を吹かせるほうというか、そういう立場になって生きていて、
なんかね、なんだろう、こう、親の強さ?親の強さというか、だから、この先大学とかで留学を選んだ時に、
怖気づかないんだろうな、みたいな頼もしさみたいなのがあるんですよ。
なるほどね。でもいいですね、それ。
僕自身は外国人ばかりに囲われたらちょっと不安だもの。
それめっちゃ共感するんですよ。リシャさんでもそうなんだ。
うん、そうよ。
私もそうなんですよ。学部と大学院出て留学したでしょ、アメリカで。
やっぱり、黒人とか、アジア人以外の人の表情が、私たぶんわかんないんですよ。
アジア人だと、自分の顔とか、これまでの友達の顔と表情が似てるから、怒ってる、笑ってるとか、すごい繊細な表情がわかりやすいんだと思うんだけど、
欧米人、特に白人の方とか、黒人の方とか、インド系の方とか、そういう方たちの顔の表情が、アジア系よりも、私たぶん無意識のうちに理解しにくくて、
怒ってるのかなとか、そもそもカルチャーとして、日本人ほどにこにこしないっていうのはもちろんそうなんですけど、
でも、そこの微妙な違いがわからなくて、不安になったことって結構あって、そうなんです。
だから、やっぱり疲れるんですよね。
いろんなアジア人以外の人に囲まれたりとかすると、疲れるし、大学時代の留学のときも、やっぱり韓国人の子と一番仲良くなったし、
ニューヨークにいたときも、アジア系の子たちと仲良くなったんですよね。
アメリカ人でも、アジア系の人と仲良くなって、だから、そういうのって気づかないうちに、私がやっぱり日本で生まれ育って、
日本人として、もうほんと20くらいになるまで海外に行ったことがなかった人間なので、
そういうものってあるけど、うちの息子はそれ、たぶん全然ないんですよ。
そうね。
うん。彼は0歳から、まずニューヨークの保育園に入れられてるでしょ。
白人の方もいたし、黒人の方もいたし、アジア人もいたし、
今、シンガポールでも、ローカルって言っても、シンガポリアンって本当に多様なので、
中国系の、そうそう、アジア系の顔してる人もいれば、あとはインド系の、インド人の顔をしてる人もいれば、
あとは、ヨーロッパ系の顔、ハーフの子とか、そういう人たちもいるので、ヨーロッパ系の顔をしてる人もいれば、
本当にいろんな表情に今から触れていて、
なんかね、これは、たぶん今まだうちの息子5歳だからだけど、
なんか後々でかいんじゃないかなって思ってる。
なんかその壁を感じにくいかもって。
ノータブルラジオ。
コミュニケーションの話だったと思うんですよ。
うんうん。
ノンバーバルなメッセージを発するという話と、受け取るっていう話。
で、アジア、たぶんおそらくだけど、東南、なんだろう、極東の日本とか韓国とかのこの界隈のコミュニケーションには、
きっとノンバーバルのメッセージがたくさんあって、
それを読み取ることで、コミュニケーションを円滑化していたかもしれないっていうのが、
説としてあって。
で、それを白人の方はなかったのかもしれないし、読み取れなかったのかもしれないっていう。
あ、たぶん読み取れなかったんですよ、私が。読み取れないの。
あるんだろうけど、それが。
そうそう。これめっちゃ面白くて、大学院でもそれやったんですよね。
EQ、エモーショナルインテリジェンスとかカルチュアルインテリジェンスの文脈で、
白人の人の怒った顔、笑った顔、悲しんだ顔とか、そういう写真とか動画を見させられて、
その人の感情が、私はどう受け取ってるかっていうのをチェックするのをやるんですけど、
無実に私の場合はね、アジアイ人よりも、白人とか、自分じゃない人種の人の表情を受け取る力が低かった。
面白い。
そう。だから、でも、そうそうそう。
それって絶対にあって、これ、ネットフリックス入ってる人、ぜひ見てほしいんですけど、
ベイビーズっていうネットフリックスの科学番組があるんですけど、
発達心理とか自動発達を研究している博士とか、いろんな教授たち、海外の教授たちが、
子どもの発達について書く、毎回いろんなテーマで説明してくれるやつがあるんだけど、
そこですごい興味深いのが、子どもって一番初め、チンパンジーの、
このチンパンジー、このチンパンジー、このチンパンジーで、全部見分けがつくらしいんですよ。
大人って、チンパンジーがいても、チンパンジーがいるっていうだけじゃないですか。
でも、子どもは、この人はパン君、この人はモチ君、この人は何々君っていうのが、ちゃんとわかってるんですよね。
それが、年を取れば取るほど、その力が弱くなっていくらしいんですよ。
それはなぜかっていうと、その人種とか、その種族と接触する機関がなくなっていくと、違いがわかんなくなっちゃう。
だから私たちもよく、白人みんな一緒に見えるよねっていう人とか、黒人みんな一緒に見えるよねみたいな、
ざっくりした物言いをする人って、でもその人たちは悪気がなくて、本当にそう見えてるっていうものなんですよね。
だからその接触する機会がないから、みんな同じ特徴で、みんな同じように見えてしまって、みんな同じように描かれてしまうっていう脳のつくりなんだけど、
でもそれを小さい時から、いろんな人種とか、いろんな種族の人と混じらせることで、
その人たちの中でもいろんなオリジナリティとか特徴があるっていうことが脳に焼き付かされるんですよ。
つまりそうすると、どんな大きくなったとしても、その種族とかその人種の人たちに対する全部同じに見えるっていう感覚がなくなったりとか、
私が今持ってるような表情の違いがわかりにくいみたいなことっていうのがなくなっていくっていうのがあって、
これは私すごい大きな、何だろう、うちの息子が今持っているTCK的特徴なんじゃないかなっていうのを思ったりしている。
うちの子供が海外経験を経てバイリンガルになって日本帰ってきてたくましくやってるから思うというよりは、
いろんな人がそれぞれの経験を持っていて、それぞれの特性があって、それが今の環境に合ってるかどうかの差に過ぎないよなっていうことは思ったりするんですよ。
この話は、今日のテーマはTCK、サードカルチャーキッドですけど、サードカルチャーじゃないキッドもそれなりに大変だよねみたいな。
人それぞれってことを思うんですよ。これは僕がTCKだから思うことなのかもちょっとわからない気はしてきたんですけれども。
まあそうですよ。私はサードカルチャーキッドじゃないキッドとして。
純ジャパってことですね。
そうそう、純ジャパでも。
じゃないキッドで。
そうそう、じゃないキッドで生まれ育って、大学も行ってっていう感じ。
残念。ごめんな。長男のスイッチを手が使えないってごめんなさいね。
じなんくん。
友達呼んだのに。
あーそっか。
で、そう、サードカルチャーキッドじゃないキッドとして生まれ育っているんですけど、
まあそうだよね、普通にその国の人間として、本当にその国の両親で生まれて、生きてるだけでも大変。
大変なこととか、複雑なこととか、合う合わないとか、めちゃめちゃある。
ありがとね。
だから、すごい全然比較するものではないと思うけど、
でもたぶん、お手紙をくれた奥沢さんとか、あと他のサードカルチャー、
私の友達でね、両親が韓国人と中国人なんだけど、日本に住んでるみたいな。
で、家族はカナダに住んでるみたいなお友達がいて、大学時代。
その子も言ってたけど、やっぱその寝なしぐさ感というか、自分はどこの人間の誰なんだろう?
で、なんか日本語もちょっと、超フルエントなんですけど、
でも少しなんかアクセントがあるなっていう感じの日本語なんですよね。
で、たぶんそれって韓国語でもそうだし、中国語でもそうだし、英語でもそうなんだと思うんですけど、
なんかその言葉はわかるし、理解できるし、自由に使えてる感覚はあるけど、
どこの人間なんだろう?みたいな感覚が、たぶんTCKには感じる難しさとしてあるんだろうなっていうのは、すごい想像つくし、
だから難しいですよね。うちの息子もさ、そうやって今、教育を受けさせてるわけだから、
どう思っていくか、息子がどうしたいかっていうのはもちろんそうですけど、あるよなと思って。
いいテーマな気がしてきたな。変な言い方ですけど、なんかだって、寝なしぐさ感って、僕もありますからね。
なんだか今朝感じてたかもしれない。
なんか、なんだろうな、寝なしぐさ、寝なしぐさかな。
今朝感じてたのはどういうことなんですか?
なんかね、自分の新しい事業をね、洗練しようと思ったときに、どの立場に立脚して、どういうつもりで発信すればいいだろうとなったときに、
自分の根っこがどこにあるんだろうって気持ちになったんですよ。
結局は、心のありようの話なのかもしれないというふうに思ったっていう感じなんですが、
もう少し話すと、ちょっとね、今朝感じてたものが寝なしぐさ感なのかちょっと分からないながら、
今、僕が新しくやろうとしているのは、物語を保存していくっていう事業なんですね。
うん。
ストーリーズ.jpっていうサービスがもともとあって、それをリニューアルしていくっていう事業なんですけれども、
自分には帰るべき場所がある、あるいはルーツがある。
うん。
根っこの橋だからね。ルーツがある、ここにある、ここに行けば、みたいなものを感じているかどうかこそが重要で、
事実かどうかよりも、そう思えているかどうかの方が大事なんじゃないかなと思ったんですよ。
うんうんうんうん。
あの、私のうちは由緒正江戸っ子で、みたいな話があってね、とか武家の出身で、みたいな人が、
果たして寝なしぐさではない感じを感じているかどうかっていうのは、僕がアラジンというアニメを見た限り、
ジャスミン王女もちょっと寝なしぐさ感を感じてたっぽいので。
すごい例だな。
うん。
どうやら、なんか血統とかの話じゃないんでしょ?みたいなこと思うわけですよ。
うん。
ここにいたくているんじゃない?みたいな感覚っていうのが、たぶん寝なしぐさ感に通じる感覚なんじゃないのかなっていうふうに考察していて、
うん。で、なんだろうな、こう、
ここにいていいんだよって、じたともに思えている状況みたいな、そういう場みたいなものがあると、たぶん寝なしぐさ感っていうのは薄らぐんだろうなって思うんですよ。
うん。
で、そういうものを自分の努力の末に得ているケースってあんまりない気もするんですよね。
世に出ないというか。
うん。
なんだろうな、そういう場所あります?ポップさんは。
帰る場所みたいな。
手話でここにはいていいって、私はここにいていいって、甘えられる場所というか。
いや、難しいけど、でもやっぱ実家はそうかもですね。私結構その保育園の時からの友達と今もすごい仲良くて。
うん、素敵ですね。
私がゼロ歳の時、みんながゼロ歳の時からの友達と今でも会うんですよ。
で、それも実家の近くに住んでる子たちなんですけど、そこで集まって、自分たちの子供も集めて、このまま4家族でみんなで遊んだりとかして。
で、私はなんかそれがすごいやっぱ自分の根っこにあるなっていう感じだし、もうほんとなんかゼロ歳なんてみんなさ、おむつしてる時から知ってるから。
どうですか?
もう、もはや失礼とかそういうんじゃなくて、お互いの今の生活の進化とか、あの時さ、お漏らししてたのにね、みたいな。
鬼ごっこの時、あんなひどいことであったのにねっていう、よくわかんない話でつながれてる友達がいるっていうのは、すごいルーツを感じるんですよね。
その後の人生は違うけど。
で、なんかすごい最近思ってるのは、息子にとってシンガポールは外国なんですよ。
で、どっかのタイミングでまた別の国に行くとか、日本に行くとかっていう時に、今仲いい子たち、だから私がゼロ歳の時、保育園の時から仲良かったような子と、もう彼は出会ってるわけ。
もう5歳でね、私はもういたから、その時に。
でも、その子たちとの関係を続けさせてあげられる環境っていうのでは、もしかしたら、息子にとってはないのかもしれないって思った時に、なんかちょっと申し訳ないなって思うし、どうしたら、それを続けていけるような関係としてメンテインできるのかなっていうのは、たまに考えたりするかな。
なるほどな。
なんか、たった一度しかない自分の人生を、自分自身が愛しく抱きしめられるかみたいな話なのかなっていうふうに思ったんですよ。
だから、そういう友達がいる代わりに、幼少期のシンガポール生活みたいな経験は、紗友子さんは持ってないわけじゃないですか。
今、息子くんに与えている、あるいは息子くんが今まさにサバイブしているこの環境っていうものは、紗友子さんは持ってないもので、やっぱトレードオフになっていて。
だから大事なのは、その時点、現在での自分の人生を、自分が受け入れて受け止めているかどうかの方なんだろうなっていうふうに思うので。
そうすると奥沢さんがおっしゃるように、たくましさっていうのをTCKとして生きて、その上で事故を確立している人たちの共通項として、たぶんそういうたくましさっていうのがあるんでしょうね。
ノータブルラジオ。あるかもしれない。
あとは最近は、昔はこんなにSNSとか、気軽につながることができなかったじゃないですか。
でも今の子たちって、つながることができるし、本当に世界がギュッと小さくなっている感じがある。つながりが増えて。
だからもしかしたら、小学校とかまで一緒の子たちとは、もしかしたらうちの息子は、その子もね、中学になっても年1回年2回会えるとか、そういう機会があるかもしれないし、わかんないですけど。
でも、その場所、その地域、そのコミュニティで求められているものとか、スタンダードが違うから、それに合わせようとか、それをまず理解して、もしくはアンランして、解けこもう、がんばろうみたいなのっていうのはあるのかもしれないですね、その都度。
そうですね、そうかもしれないな。なんか、紗友子さんのその、ゼロ歳からのお友達の話はエモいなと思いまして。
これすごいびっくりされるんですよね。コミュニティにも入ってくれてて、なんか何も言ってないんですけど、そう入ってくれて、オフ会とかもね、自主的に開いてくれたりとかしてるお友達とかいてね。
そういう友達はなかなかモテるもんじゃないし、やっぱりその、ハーバード精神発達研究でも、こう、何ていうの、長年のリレーションシップっていうのは育むものであって、ただゼロ歳で同じ病院にいたからとか、という理由では、やっぱ30代40代、これから先もね、友達に居続けるときに、
あの、その事実一点では、友達に居続けられないという。やっぱ関係性を育んでいかなければいけないっていうものだから、やっぱその、お互いがこう、育むに足る人同士だっていう、確認をね、多分その、年に何回かあって、こう、しているっていうことだろうし、
そういうのがね、かけがえのない友達だし、みんながモテるもんじゃないよなと、思うなと。
そういう、そういう飛行ね、やっぱその、うちの息子にもね、できて、それは結局その、息子がそういう友達を持ちたいと思うかによるけど、なんかこの環境が要因でそれが遮断されてしまうとしたら、じゃあなんかこう、サポートできる方法がないか、みたいなのは考えたりしますね。
うん、まあ、大丈夫じゃないですか。
どうだろうね。
別に、ほとんどの人はいないんだから、そんな人。
あ、そうなの?いないんだ、普通。
いないいない、ゼロ歳から。
うん、でもゼロ歳じゃなくても、例えばさ、小学校とかさ、なんかいません?
小学校の時からつるみ続けてる相手なんかいないよ、普通。
そっか。
それでこそ、私とかは今、その高校の時のラグビームの後輩と一緒にビジネスをやったりとかしてるし、あの、今ビジネスをやってて毎日連絡を取り合ってる仲良しの輝き君は、35過ぎてからのお友達だし、だからなんていうの、その長い付き合いの人もいるけど、彼とは別に10年以上普通に連絡は取り合ってなかった。
まあまあ、そんなもんね。
あるし、そうじゃない相手とすごい緊密にこう、やり取りをしてたりするわけで、で、ゼロ歳の時からおさなじみがいないから、ぴえんみたいなことは思わないわけで。
まあ、そうですよね。
うらやましいけど、悲しくないというか。
確かにね。
ないからといって、なんていうの、別に強がりとかじゃなくて。
まあ、そういうもんなんだぐらいですよね、きっとね。
そう、なんていうんだろう、新卒の同期が株で儲けてるっていう話を聞いたときとは全然違う感情。
嫉妬レベルとか?
そう、自分も同じ収入で、同じ資産状況だったのに、こんなにどこで差がついたみたいな気持ちはならない。
面白い。
出発点が違うから。
そうか、なるほどね。
そう、なので。
すごい、でも今、話してて、私にとってゼロ歳のときから仲良くしてくれている友達がいるとか、
それこそ、私はその子たちと、保育園小学校一緒だったんですよね。
で、中学は中高一貫校に行ったんで、今度また中学高校で仲良い子たちとも、年に何回か会うんですよ。
で、大学のゼミの子たちとも年に何回か会うんですよ。
だから、ゼロ歳から大学とか、社会人になってからも、コンスタントに会う人みたいなのが、私の中でたくさんいて、ありがたいことに。
で、それに私はすごい救われてるし、恩恵を感じてるから、息子にもそういうつながりを持ってほしいなって思っているってことに、今話してて気づきました。
なるほどね、なるほど。
なるほど、自分がすごく支えを受けていて、そういう、今日を取り上げたくないなって気持ちがあるのかもしれない。
そうそう。
なるほどね。いいじゃないですか。
きっと、さやこさんはそういうふうに、お友達たちのことを大切に思っていて、そういうふうに接しているのでしょうか。
それを見て育つ息子くんは、きっとね、こういうもんなんだっていうことをね。
なるかしら。なるといいけど。
かもしれない。かもしれないんだって。
だし、人とどれくらいの距離で付き合いたいかって、これもまた人によるとは思うんですけど。
ね、そうね、本当にそうだわ。
そうですね、今日の話ってTCKとして育つっていうのがねなしぐさ感があって、一方それがたくましさにつながっている気がするっていうお便りから、
僕ら自身のTCK体験とか、あるいは子どもたちのTCKとしての成長過程っていうのをね、共有しあったわけですけれども。
なんかこう、TCKに限らず人って孤独だよねみたいな話と。
で、それらを乗り越えるためにどんなことをしているかみたいな話と。
なんかこう、最終的にはどんな人とどんな絆を育んでいくかっていうところがね、たぶん人生の満足度にかかるんだろうなみたいなしさを得て、今日はお開きですかね。
うん、そうね。でもちょっとまたアップデートしたいと思います。うちの息子が成長するにつれてどんな感動があるのかとか。
お手紙をくださった奥沢さんはそれも一通り経験して大人になっているわけだから、
本当に多分おっしゃる通り、人それぞれの経験と人それぞれの楽しさと苦しさがある生き方の一つではある気がするので、
ちょっとまた私の息子を見ての考察と私の考えをシェア、どっかにさせてください。
細子さん家の息子くんは3歳の時からこの番組始まってるので、
うんうんうんうん、そっかそっかそっか。
誕生日が近くだったからね。3歳4歳5歳ときて、やっぱりこう番組を聞いてる人はこう、一緒に細子さんの子供育ててるみたいな感覚もあると思うので。
そうね、理事さん家の子供もそうですよ。
僕にしてもね、近いね。バッチリ思春期にね、突入してますから。共有できることも減っていくかもしれないですけど。
またアップデートさせてください。
みんなで子育てしていきましょうと。
うん、頑張ろう。