映画とは別物の新作能『オッペンハイマー』
こんにちは、のらじおのmuroです。
こんにちは、かえです。
こないだね、8月6日に脳を見に行ったんです。
はい。
脳って、基本的に、なんていうか、ぜやみ?が、ほとんど作ってると聞いた。
これ、あの、半括の知識なんで、間違ってたら申し訳ないんですけど、
脳の成立時期とかに、結構もう作られてるのを、ずっとやってるらしくて、
だけど、それとは別に、新作脳っていうのもあるんですよ。
落語も、古典落語と創作落語があるみたいに。
新作脳があって、
で、こないだ、8月6日に見に行ったのは、新作脳だったんですよ。
僕、新作脳見るの初めてで、ちょっとなんか期待して行ったんですけど、脳の題名が、オッペンハイマーだったんですよね。
オッペンハイマーって、原子爆弾作った人なんですけど、ユデア系のアメリカ人で、これがね、おもろかったんですよ。
それは、映画とは関係ない?
映画とは関係ない。
クリストファー・ノーランが撮った、オッペンハイマーという映画とは全然関係なくて、
その映画が作られる前に、オーストラリア人の、日本の画学、宮廷音楽の研究をしている人が作ったんよ。
あ、そうなの。じゃ、日本人が作ったんじゃないんだ。
じゃない。もともとしかも英語の脳だったらしいんだよね。
英語の脳ってどういうことなのかわかんないけど。
英語の脳ってどういうこと?
だから、今年初めて日本語でそれが上演されるとか、なんかそういう感じだったのかな。
英語で上演されてたってことですか?脳として。
らしい。
そういうものがあるんだ。
そういうものがあるらしい。全然。
でも、日本語のオペラとかあるから、そういうことか。
まあ、確かに。英語で落語してる人もいるしね。
そういうことか。
僕も、キューバでスペイン語で落語してたし。
え、そうなんだ。
キューバでスペイン語で、まんじゅうこわいよって言ったら、ややうけでした。
ややうけでした。
ややうけで。
で、東ティモル人の友達が、え、それって本当はまんじゅうが好きだったってこと?って言った後に聞いてきたから。
かわいいですね。
そうだよ、つって。
まあ、あれですよね。落語の技術もスペイン語の技術もどっちも高くないと難しいですね。
どっちもスペイン語一週目のときにやり始めた、やったので。
なかなか難しいですね。
難しかった、ややうけでした。
広島の寺で出会うオッペンハイマーの狐
で、まあ、そのオッペンハイマーも日本語のので、で、面白いね、新卒能でもちゃんと古い中世の日本語で書かれてるんですよ。
で、そのオッペンハイマーって名前なんだけど、
別にオッペンハイマーの人生とかは何も関係がないんだよね。
オッペンハイマーって登場人物が出てくるわけじゃないってこと?
オッペンハイマーという登場人物は出てくるんだけど、
あ、出てくるんだ。
オッペンハイマーという登場人物はキツネとして出てくるんだよね。
え、キツネの名前ってこと?
キツネが、私はオッペンハイマーの霊ですって出てくる。
霊なんだ。オッペンハイマーの霊。
オッペンハイマーの霊は、本当のそのユダヤ系のその人の霊。
モデルというか。
ユダヤ人ですとかは言ってなかったけど。
言ってないけど、オッペンハイマーの霊とはキツネとして出てくるんだ。
そう。で、一番初めは四国のお辺路をしている、
お辺路の人が出てきて、
お辺路の人が夢を見るんだよね。
不動明王が出てきて、
お前は広島に行けと。
このまま四国でお辺路にしてても、お前の苦しみは癒されないから広島に行けって。
広島に行って、キツネが祀ってあるお寺があるから、
それを探せって言って、探しに行くんですよ。
で、広島を歩いていると見つけるんですよね。
キツネが置いてあるお寺を。
お寺を。
で、そこで寝てしまうんですよ、疲れて。
で、夢にオッペンハイマーが出てきて、
私はオッペンハイマーの霊であると。
この後、未来に、
私の作った爆弾によって何十万もの人がこの地で死ぬと。
で、そのために私は500回キツネとして一生やらないといけないって言うんですよ。
で、そしたら、脳って普通、脳と脳の間に狂言って言って、ちょっと面白いのがあるんですけど、野村満載がやってるみたいな。
そう、狂言の人が二人出てきて、その巡礼を起こすんですよね。
お辺路さんを起こして、で、ここで何をやっていると。
で、その夢でね、なんかキツネの寺に行けって言われたから、ここに来たんだって言ったら、そのお辺路さんが、
お辺路さんじゃない、その親子がね、その狂言の親子が、
百丈と狐の公案、複雑な時間のつながり
まあそれは多分この寺でしょうと。
で、そうしたお辺路さんが何しに来たんだって、こんなところに行ったら、その親子が、
私の父がまあ84年前に死んだと、で、それを弔うために来ましたという話をしていて、
で、だからここでなんか時間間隔がちょっとおかしいんですよね。
お辺路さんにはオッペンハイマーが、この後幾後も未来に、私の作った爆弾で死ぬって言ったんだけど、
過去になってますよね。
現在になったよ、突然狂言の人が出てきて。
で、この寺っていうのは、まあ昔百錠というお坊さんが住んでいて、
そのお坊さんは、なんていうかな、偉いお坊さんだったんだけど、
そのなんていうかな、その修行者の人に質問されて、
修行したら陰がから出られるのかって聞かれたらしいんですよ。
百錠は出られるって答えたら、狐として500回生まれ変わらなきゃいけなくなったらしいんですよね。
で、百錠は偉いお坊さんだから、そのなんていうかな、
自分の説法にある日、老人がいるのに気づいたんですよ。
で、その老人が、いつも説法を盗み聞きして帰っていくのに、
その日はいつまで経っても帰らなかったと。
で、あなたはどこから来て何をしている人なのかって聞いたら、
その老人が、私は昔この山で修行していたんだが、
その修行者として偉くなった時に、
人から修行をしたら陰がから出られるのかと聞かれ、
出られると答えたら、500回狐をやっている途中でございますと。
狐なんだその人。
私は何と答えればよかったのでしょうかって百錠は聞かれるんですよね。
で、そしたらその百錠が、陰がから出られないって答えたら、
その人は成仏して、で百錠が山を探したら、
狐が死んでいて、その狐を弔ったっていう話があるらしくて、
っていうのを狂言の親子が説明してくれるんですよ。
で説明したらまたいなくなって、いなくなったと思ったらオッペンハイマー出てきて、
でオッペンハイマーがこう鎮魂の舞を踊り始めるんですよ。
で鎮魂の舞を踊り始めたら、その舞台セットの中から不動明王が現れて、
その不動明王が、私と共に修行を救うかって聞くんですよオッペンハイマーに。
救いますって答えて、不動明王の力を得たオッペンハイマーが鎮魂の舞を踊り、
終わりっていうのを。
へーって感じですよね。
あれですね、抽象的な物体ですね。
悟りをめぐる百丈と黄檗の応酬
すごい面白かったんだけど、で僕気になったからその百状について調べてみたんだよね。
百状って非常に有名なお坊さんで、
どういう風な修行をしなきゃいけないかっていうのを定めた人らしいんだよね。
だから働かざるものを食うべからずとかは百状の言葉らしいんだよ。
へーそうなんだ。
で、実際にその百状の公案の中にその話があって、
その百状が狐に対して大修行をしても陰下から出られないっていうのを言ったっていう話があって、
それを弟子に話すっていうシーンがあるんだよね。
で、大伯っていう弟子がいて、大伯って大伯宗って日本にもお寺あると思うんだけど、
大伯っていうお坊さんが、皇帝がいてその位の高い弟子が。
で大伯が、じゃあその狐は一番初めに何て答えればよかったんですかって聞いたんですよ。
だからその師匠の百状が教えてやるから近くに寄ってこいって言うんだって。
で、そうした大伯が師匠に近づいていって、
突然師匠の横面をバーン叩いたって。
で、叩かれた師匠は大笑いして、
あの赤い髭のだるまは私だけかと思ったが、
ここにももう一人赤い髭のだるまがおったわって言って笑ったっていう話らしくて。
難しいです、なんか。
意味不明でしょ。
ちょっと難しいですね。
ちょっと難しい。
話がね、入り組んでるんだよね。
まずその豪魂だるたの前に悟ったという仏がおって、
その仏がおった時代の大修行者が山におって、
で、その大修行者が聞かれるんですよね、他の修行者に。
因果から出られますかって。
で、出られますって答えたら狐を500回やって、
500回やってるうちに百状と会って、百状に出られませんって言われて、
成仏できて、で、百状はその話を弟子にして、
で、弟子は師匠を殴ったっていう話なんですよね。
うん。
で、解説を読むと、この狐になった修行者も百状だし、
ん?
こっちの狐を作った百状も百状らしいんですよ。
え?
さきの百状と後の百状らしいんですよね。
え、弟子が、ん?
弟子に殴られた百状も、狐になった修行者も両方百状らしいんですよ。
うん。
だから、インターステラーみたいな感じで、
未来の自分が過去の自分を救ってくれるみたいな話なんですよ。
あー、はいはい。
で、なんで殴ったんですか?
それはあまりにも意味不明だったので、
お坊様の解説を何個か読んだんですけど、
うん。
僕の理解するところ、これが前週のちゃんとした理解かわかんないけど、
いくつか解説を読んだ後に、僕の理解したところ、
どういう話かというと、
それを答える人がね、悟ってるかどうかが大事なんだって。
答える人が悟ってるかどうかが大事。
答えるってどっち?答える人ってどっち?
百状の側が。
百状の側がちゃんと悟っているかどうかが大事で、
因果から出られると答えても、因果から出られないと答えても、
一緒らしいんだよ。
あー、何を言うかじゃないってことか。
そうそうそう。誰が言うかなんだって。
で、まだ悟ってないから殴ったんですか?
いやいや。で、その、
オウバクの質問は、それを引き出そうとしたんだと。
オウバクは、つまり悟っている人が言えばどっちも真理なのだっていうことがわかっているけど、
一応師匠に聞いたんだと。
だから師匠は、聞かれた瞬間はオウバクがわかってないと思ったから、
近寄ってきたらオウバクの顔をはったいて、
キツネになるに決まってるだろうがって言おうと思ったと。
だからその、さっきの百条が、
因果から出られませんって答えたらキツネにならなかったのかっていう質問に対して、
キツネになるに決まってるだろうが、バーンってやろうと思ったと。
でもオウバクはそれがわかっていたので、
先回りして、殴られる前に殴ったってこと?
そうそうそうそう。殴られる前に殴ったということは、
こいつはそれがわかっているのであると思ったから、
すごい交渉のやりとりですね。
だから禅を理解している。赤ひげのだるまってほら禅師匠を開いただるまだから、
赤ひげのだるまが自分だけじゃなくて、禅の真髄をこいつもわかってるっていう。
それはすごい交渉なやりとりですね。
これをこないだ人に話したら、禅のそういうところが嫌いなんですよねって言われて、
わかってるとかわかってないとかさ、わけわかんないこと言っといてさ、とか言われて、
面白かったんだけど、僕はちょっとこの話に痛く感銘を受けまして、
空に落ちた科学者と修行者
なるほどなと思って、やっぱりそのオーストラリア人の大学の先生がすごいなと思って、
この百錠の話とオッペンハイマーの話を重ねようって思うのはどういうことなんだろうと。
この後の百錠と先の百錠の話があるから、そのオッペンハイマーが、
この未来に私の爆弾で人が死ぬという話と、
現代もまだ亡霊として、キツネとしてその山にいる広島に囚われているっていう話と、
その不動明王の一部として、自分も首相を救うっていう役回りになるっていう。
その不動明王の一部になるっていうのは、なんか簡単に解釈すると、
その救いのような感じじゃないですか。オッペンハイマーは自分の苦しみを
救ってもらえるんだと、不動明王の一部になることで。って解釈できるんだけど、
でも実際には、なんか不動明王ってなんか炎を背負ってるじゃん。
あれって悪人を焼くだけじゃなくて、自分の身も焼かれるらしいんだよね。
だから自分もすごい苦しみの中で首相を救わなきゃいけないらしくて。
じゃあ苦しむんだ。
苦しむんですよ。
首相を、苦しみながら首相を救うんだ。
うん、オッペンハイマーね。
で、その脳の中で表現されてた面白かったのが、なぜ百条が狐になったのか。
なんでオッペンハイマーが狐になったのかっていう、一応説明が解釈があるんだよね。
で、それは空に落ちたからなんだっていう話をするんですよ。
それがめちゃくちゃ面白いなと思って。
オッペンハイマー、空に落つっていう歌いが入るんですよ。
で、つまりこれって多分、仏教における空眼のことだと思うんだけど、
一応その空眼と気眼というものがあるというのは僕の理解で、
気眼っていうのはまあ、いわゆる意味の世界というか、
僕たちが実際にこう、知覚している世界みたいな世界で、
空眼っていうのはよりその世界のメカニズムみたいなものだと思うんだよね。
何と何がどのようにつながっているかみたいな考え方をすると。
だからその悟りっていうのはその空、空の状態を知るっていうことなんだけど、
でも大乗仏教において、前週も大乗仏教の一部なので、
においてはその空眼を持つことだけが大事なんじゃなくて、
その後その気眼に戻ってくるというか、
両方の視点を持つことが大事なんだ。
これが中眼なんだっていう話をするんだけれども、
オッペンハイマーも百状も、世界の理を見るのにおかえしては、
天才的なところがあったんだけれども、
その世界の理を見すぎたために、
その衆生を救うということをしなかったので、
その結果として狐になりましたっていう、
すごいですね。
話なんだろうなって僕は解釈したんでね。
そこでつないだんだ、そのオッペンハイマーと百状を。
百状を。
科学の心理を知った人と、
宇宙の心理を知った人みたいにつないだんだ。
面白いよね。
面白いですね。
面白いこと考えるなと思って。
面白い、面白い。
罪と罰ではなく因果応報として読む
一個面白いのが、これが罪と罰の話じゃなくて、
やっぱ陰我応報の話なんだっていうところなんだと思うんだよね。
原子爆弾を作り何十万人も殺したという、
その罪に対して罰として狐になったわけじゃなくて、
空に落ちるということを原因として、
狐になるという結果があったのであるっていう話なんだと思ってて。
で、その後不動明王の一部になるっていうのも、
その、なんていうかな、
それがやっぱ救いなわけじゃないんですよね。
罪と罰があり、それに対する救済があるわけではなくて、
陰我の巡りがあるっていう話だなと思っていて。
面白いよね。
で、それがその百状の、さっきの百状と後の百状の話として考えるなら、
オッペンハイマーは不動明王の一部になることによって、
過去の自分を救うということなんだと思うんだよね。
未来の自分かな。
それ、いつ作られた?
ちょっと待ってね。
もう結構何回もやってるってこと?
何回もはやってるっぽかったよ。
初演と作品への批判
パンフレットを見るね。
パンフレットを見ると、
初演は2015年、シドニー。
結構最近。
10年前ぐらいか。
11年前か。
さっきの百状のエピソードは、百状夜行っていうエピソードの名前があるんだけど、
それは、禅の公案集、無門漢や、
道元禅師が書かれた商法願造に出てくるらしい、その話は。
売ったのはね、アラン・アマレットっていう先生だね。
シドニー大学名誉教授。面白い。
これを英語能として上演した後に、批判はいくつか来たらしいんだよな。
どういう批判?救われるから?
例えば、狐年として500世に落ちた老僧を百状とするのは間違いではないかっていう。
でも臨済宗の伝統ではこの老僧を歴史上の百状として考えるっていうのは、ある読み方であるっていう。
解釈違いみたいな批判か。
もう一つは、科学者オッペンハイマーが百状夜行の老僧と同じように、
在号を犯したという解釈には賛成できないと書いている。
でもアマレット先生が何て言ってるかっていうと、
在号とは全能修行にせよ、量子力学の素粒子世界の探究にせよ、
多種多空の世界に因果の法は成り立たないと考える、その過ちのことを指します。
歴史上の人物であるロバート・オッペンハイマーが原子爆弾の開発計画部を率いた際、
自らの行動がもたらす結果に本当に無頓着だったか、私たちに知る術あるでしょうか。
その計率者は量子物理学を通して見出した空の世界に桃子になった結果なのでしょうか。
確信が持てますか、そしてそれは本当に重要なのでしょうか。
最後に行き着くのは、ノー・オッペンハイマーは想像力のレンズを通して書く創作作品ということです。
能が問う科学技術と人間の態度
これを解説をしていた先生も、オッペンハイマーという題名だからといって、
オッペンハイマー個人の罪の話をしているというより、
科学技術みたいなものに対する、人間のあり方とか態度みたいなものに対して、
このノーは論じているのだと思うみたいなことを言っていたね。
めちゃくちゃ面白かった。
上映はまた来年かな。去年はね、英語ノーでやったらしい。
英語の場合ってどうするんですか、あの漢字の言い方で英語で言うんですか。
わからない、見たことない。
どうなるの。
あのね、節回しね。
面白いですね、そういう新しい脚本があるんです、ノーにも。
ノーにもね、あんまりにも面白かったから公安の本買っちゃったもんね。
はい。
オー・ノーって感じでしたか。
あー、残念だった、今の。
すいません。
あんまり残念だったまで思うことないけど、ちょっと今日は残念でした。
じゃあ、こんな感じですかね。
はい。
はい、それではまたお会いしましょう。ごきげんよう。
ごきげんよう。