長嶋茂雄の訃報
おはようございます。中小企業診断士のオサナイ先生こと、オサナイ和志でございます。
今日は特別編ということで、お話しさせていただければなと思います。
いつもとオープニングが違って明るくないのかなというお話だと思いますが、
実は今、これを収録しているのが、前日6月3日火曜日の朝の8時58分でございまして、
つい、ほんとにたった今なんですけども、ニュース速報が流れてきまして、
長嶋茂雄、読売新聞の衆心明洋監督がお殴りになられたというニュースが飛び込んできました。
89歳ということでございまして、
今、ヤフーニュースに読売新聞の方で上げた記事を少し見させていただいてますけども、
3日火曜日の午前6時39分、肺炎のために都内の病院で亡くなられたということでございます。
なんでですね、僕が今収録をしているかと言いますと、
僕が憧れる人というのが、メンターというのは前に大橋巨山さんという話をしました。
僕の中で憧れる人というかスーパーヒーローというのが2人いまして、
1人はF1レースのアイルトン・セナーなんです。
もう1人は実は長嶋茂雄さんだったんですね。
僕は昭和49年、1974年の12月生まれなんですね。
ちょうどこの年に長嶋さんが現役を引退されたと。
僕は長嶋さんが現役の頃を全く存じ上げてません。
ちょうどその年に生まれてますんでね。
その年にV9を率いた川上監督から選手をおやめになられた長嶋さんが
巨人軍の監督になられたという流れだったんですね。
僕が長嶋さんのことを知ったのは、
僕自身は野球大好きで、野球プレイヤーじゃなくてね、
野球を見るのは小さい頃から自分の父親がナイター中継をずっと見てた。
昭和の家庭で育ちましたから、そういう家庭で育って
チャンネルも常にナイターが入った。
ナイターに流れるのは青森は巨人戦しかないわけですよ。
そうしてると自然と覚えてくるんですよね、
その選手の名前であったりとか。
当然長嶋さんはその時もいないわけですよ。
僕が印象に残っているのは、長嶋さんが2度目の監督になられた時ですかね、
1993年に長嶋さんがジャイアンツの監督として復帰された。
2期目ですよね。
その頃の僕はすごく記憶があって、
長さん長さんってみんなに言われて、
すごく現役自体を知らない僕でも
オーラっていうのを感じるんですよね。
スーパースターのオーラっていうんですかね。
そういうのを感じて。
そしてやっぱり印象に残っているのは
2000年のメイクミラクルですよね。
あの年ですね。
本当に僕も見ててすごく感動したのは
リーグ優勝決定戦の試合で
9回の裏まで劣勢だったんですね。
そこで新岡選手がホームランを打って
そしてリーグ優勝決めたという
その試合がすごく僕は印象に残って
その時のミスターの長嶋さんの笑顔が
めちゃくちゃすごく印象に残っているな
というのが一つありまして。
あとは
森監督、西武の森監督
当時西武めちゃくちゃ強かったんですよ。
僕本当に頭にくらいめちゃくちゃ強かった時代がありまして
上昇軍団の西武を破って日本一になった
その時がすぐに思い出せないんですけど
めちゃくちゃ印象に残ってて
最後優勝して
当時の西武の森監督が
長嶋監督のところに寄ってきて
ボソボソって言った話とかね
要は監督辞めますっていう話をしてたんです
その後聞くと辞めますって話してるんですけど
そういったことであったりとか
あとは2003年のアテネオリンピックのアジア予選ですね
この時チームジャパンを率いて
長嶋さんが監督として
オリンピック代表を束ねたと
そして率いていくという中で
予選突破した後
2004年の3月に濃厚足で倒れて
その後オリンピックの監督を断念したというところ
それ以降もリハビリに半減で
皆さんご存知かもしれませんけど
当初は表に出ることもできなかった長嶋さんが
出てこれるようになったというところまでありましたし
あと時代が前後しますけど
僕は松井秀樹選手
僕の中では長嶋さんが松井選手をドラフトで引き当てた
あの瞬間ってやっぱ凄かったなと
やっぱりスーパースターってモテるんだなっていう風にね
そう本当に思いましたね
そういうのが今いろいろ思い出すとですね
僕はやっぱり長嶋さんがスーパーヒーローだったっていう
監督としてってか人としてですよね
感謝のメッセージ
面白いんですよね長嶋さんって
カール・ルイスを89年の世界陸上かな
カール・ルイスを長嶋さんがレポーターやられてたんですよね
カール・ルイスが世界進化なんか出したのかな
カール・ルイスで捕まえてね
英語で話すのかなって
大会史上初のどんどん普通に日本語で話し始めるという
それでもさすが世界のカール・ルイスですよ
聞くっていうですね
あの光景は長嶋さんにしかできないんじゃないかなっていう風にね
そういう風に思ったんですね
だからキャラクターとしても僕はめちゃくちゃ最高の人だったし
何よりも賞文っていうか本当にその野球の神様に好かれた方だったなっていう風にですね
思いますね
だから徳光さんがね
あのあれですよズームイヤサーっていうね
番組ヤサーに日本テレビで前やってましたけどもそこでね
長嶋さんがその成績不振で辞めるとなった時にですね
もうご自身の言葉であれ絶対上層部から後で怒られてるはずなんですけども
ご自身の言葉でですね長嶋さんを擁護したと
もう自分はその日本テレビ首だってもいいっていうその覚悟で話したっていうのを聞いて
長嶋さんがですねもうこの徳光さんのことを好きになって
そしてそこからねずっとお友達でいられたっていう
っていう風な話をね前に徳光さんが話したのも
今ちょっとなんかいろいろ思い出したりとかまあ本当にだから
なんだろうね僕の中では本当にスーパーヒーローなんですよ本当にあの
現役自体は知らないけどもでも展覧試合でホームラン打ったとかねそういうことはね
あのテレビで出るじゃないですか昔の映像で
そういうのもねすごくなんかしみじみとしているなということで今本当についさっき本当に
10分前にですね流れてきた速報で僕びっくりして今日実は違う話をしようとしたんですけども
もうこの感情のままにちょっと今日お話しした方がいいなと思ってですね
本当にもうこのままこのままちょっと撮らせてもらったというところでございましてすみません
ちょっと取り乱してしまって申し訳なかった全然今日はあのためになる話でもなんでもなくて
僕の思い出話というか僕の本当に大好きな人がね亡くなったっていうことだったんで
急遽撮らせてもらいましたけどもでも人生でねこういうことってもう家族も含めてありますよね
僕もアイルトンセナー亡くなった時は本当にめちゃくちゃショックだったし
あの時は本当に急に本当に目の前だったんですね
それにまた思い出すちょっといろいろあるんですけどもまたそれはまた別の機会に話すとしてですね
今日はもうちょっと1日長島さんをねしのんでまた今日多分これからでまたいろんな
今日この放送が流れている頃にはねもういろんなマスコミがテレビ局がですね
いろんな特集しているんじゃないかなというふうに思いますので
それはねまた報道の方にお任せして今日はね僕の長島さんの思い出の話を話させてもらったというところでございます
はいということで今日はすいませんタイトルもちょっとまだ全然決まってないんで
ありがとう長島しげのさんということで今日はお送りさせていただきたいというふうに思います
本当に今日はすいませんこういう放送で申し訳ないんですけどありがとうございました
今日も元気にいってらっしゃい