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父親は占いたがる【1352】
2026-05-14 51:10

父親は占いたがる【1352】

最終責任の取りきれないところ。
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00:05
おはようございます。のきばキャスト、第1352回をお送りします。
7時、ごめんなさい。5月14日、木曜日、7時28分です。
今日はですね、あんまりこれを喋るぞっていうのがない日で、
まあ多分ぐじゃぐじゃいくと思うんですけど、あれですね。まず、昼間のスターゲイザーを
読んでまして、鏡隆二さんと戸畑海人さんの対談本ですね。
占いと臨床心理の交差点みたいなテーマで描かれている本で、面白いんで読んでるわけですけれども、
私は読み進めていくうちにですね、占いを本格的にやっている話というのは、
タスクシュートの方を連想させるなと。つまり心理印象よりはるかに僕にとっては、これはタスクシュートの話として読めるんだなというのが、
まず意識に入ってきたことなんですよね。意識に残ってきたっていうのかな。
で、まああれって結局フォーチュンテラーとか言われるから未来を占うわけだけど、それは
あんまり喜ばれないんだと本格的にやってる人からすると。要するにフォーチュンテラーではないんだと。
占いというのは、これは石井ゆかりさんって方がおっしゃってた話なんだ、書かれてたことなんだそうなんだけど、
10回やったら、要するに10回占うと10回とも答えが違うわけじゃないですか。10回とも違うかどうかわかりませんが、全部が同じにはまずならないですよね。
だからインチキだって話になるわけですけど、そうじゃなくて1回占うとすでに人生の
何て言うんですかね、行き先が変わっていくので、占ったということによって変わってしまうので、だから毎回変わっていくのは当然というような考え方をとるんですね。
聞く人が聞けばこじつけになるんだけど、そういうことになるわけですよ。でもこれは心理カウンセリングで考えても確かにそういう話はいくらもあると思うんですね。
転移解釈とかトエドイツカって話がそうだけど、カウンセリングを受けた瞬間にもその人変わっていくわけだから、診断というのはある意味しないでしょうけど、毎回しなければおかしいとも言えなくはないわけですよね。
見立てというのは、見立てて心理カウンセリングを受けた瞬間にその人変わっちゃうから、つまり見立て続けなければいけないということが起こるわけですよね。
それはそれとして、タスクシュートってそうなんですよ。
あれね、昔のときリストアップしたものを上から順に粛々とやるのがいいんですって話があったんだけど、私はそれは全く受け入れなかったんですね。
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というのは、決めたことが粛々とやれるはずないだろうってまず第一に思ったわけですよ。それができるんだったらタスクシュートがそもそも全くいらないはずだという気もするんですよね。
タスクシュートというのは、並べ替えられるところに大きな意味があって、やるたびにその人がやろうとしている最適解は変わるんですよ。
だから占いと似てるんですよね。だって未来のことが書いてあって、そこにそれを占うたびに占いの内容が変わっていくということが起こるわけだから、
なんでそういうことが起こるかというと、知っちゃったからですよね。知る前と知った後では、すでにその人の心理的な状態と決断する内容が、だってもしそれによって決断が変わらないんだったら、決断前に情報を集めるって無駄じゃないですか。でもそういうふうには誰も思わないですよね。
そもそも人が占いたくなった、このだから遠方怪獣さんが得意とする、一番最初に人類で占おうとした人は何を考えていたのか的な話をするんだけど、歴史を問うってやつね。
同じことをタスクシュートっていうのは実はやるわけですよ。こういうふうに未来を描くといいんじゃないかとか考えるわけですよ。
そうすると必ずそうなんだけど、フォーチュンテリングするためには、これが不覚っていうやつなんですけど、深くフォーチュンテリングするには過去の情報がいるんだっていう、だからタスクシュートでもログが大事ですってやけに言うわけですよね。
占いにも全く同じことがあって、過去現在未来がどういうふうに展開して過去って入ってくるんですよ。鏡隆さんによるとですね。
だけどこれは深いっていうこと、つまりその方がより正式だし本格的だってことは言えるかもしれないけど、つまりこれまでどうだったのかを問うっていうのはですね、同時にそれは非常に人間中心主義的ですよね。
つまり神々からパッと啓示を受けるのは、一発でいいじゃないですか。
過去どうであったかとか関係ないじゃないですか。今日見た夢に何かが出てきました。だからこうするべきなんです。
神からの啓示みたいなものを何より重視するべきであるならば、もうこれについてとにかく言わないのが大事ですよね。
過去どうだったかとかそれは非常に人間的な発想ですよね。つまり啓示信じてないじゃんって感じがするわけですよ。
夢で見たものに対して過去私はこのように生きてきたからとか言ってる段階ですでに非常にヒューマニズムなわけですよ。
ヒューマニズムってことはつまり神の地に落ちてるんで、
フォーチュン・テリングっていうか、そのいわゆる
作戦って言うべきなんですかね。神からのメッセージをまんま受け止めればいいっていう発想であれば、過去とかいらんわけですよね。
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タスクシュートっていうのは非常にヒューマニズムですから、もう全然啓示とかでも何でもないんで、
こう、プラン・ルーティン・ログって言いますけども、まさにそういう世界なんですよ。
1日分しか基本やらないっていうところからしてもめちゃくちゃ、ログは数年分残ってますけど、この辺もすでに非常に木差しっぽくないじゃないですか。
行動の記録を取り、次に取るべき適切な行動は何かを十分に気力で持って検討するわけですよね。
でもまあ、やってることは実は占いとよく似てる。本格的な占いとですね。実によく似ている。
本格的な占いっていうものは、なんか変におごそかになっていくじゃないですか。
あのー、なんかね、小学6年生の一番最後のページについているあなたの今日の運勢みたいな女の子が好きそうなやつと全然違うじゃないですか。
なんか本王みたいなのが出てきて、一本しかのヤギさんとか殺されてたりして、で、一本しかの人間とかまで生贄とかに出されるじゃないですか。
すばらしいですよね。でもあれ、ああまでしてやりたいことはやっぱりこう、将来を見据えなければならない責任を問われる人の立場というのは重大な悪ですよ。
不正ですよね。結局究極的には。で、不正というのはそういうどんなにおごそかにしても結局あやふやなものなわけですよ。だって占ってるわけですからね。結局は。
神からのメッセージなのかもしれないけど、この戦争は数であろうとかなのかもしれないけど、それは確かにめちゃくちゃ大勢の人の一本間違えると国中の運命がかかってるから、
それはものすごく大真面目にやるでしょうけど、どんなに真面目にやったって結局は亀の甲羅が縦に割れたか横に割れたかみたいな話をしてるわけだから、それじゃないもので本来は結果を占うって言いますけど、占うというのはやっぱりもう少し直接関係がありそうなことでやりたいですよね。
だけど直接関係がありそうなことで占うというのは結局ヒューマニズムなわけですよ。それはもう散々やった後にやるわけですよね。
昔私、この話は所々でしてますが、小学校時代に教育テレビかなんか見させられる授業ありますよね。あればっかり使う先生もいますけど、社会の授業とかで教えたんではないかな。
具体的にちょっと出てなかったと思いますけど、でもまあ日本の大手の車のメーカーでもう人事を尽くして天命を待つのまさに文字通りなんだけど、あの時天命を待ちたくなる人間心理のある種の弱さですよね。
弱さといえば謙虚さとも言うのかもしれないけど、どんなにこの車が売れるとマーケット調査してみたり技術の推移を集めてみたりして、これこそこの絶対攻撃はこれでいけるんだっていう車を作った後で何をするかっていうと占うんですよ。
っていうシーンをテレビでやってたんですよ。で、おごそかなんですよ。めちゃくちゃ本格的なカヌシさんみたいな人が現れて占うんですよ。この車売れるかどうか。
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結局それはこの戦争を勝てるかどうかを亀の甲羅で占ってるのと何にも変わらず、私にはやっぱりですね、ものすごく無責任だなって感じがしたんですよ。
これをやる時間があるんだったらは本当に売れるかどうかをもっと真剣に考えればいいのに結局は社員全員がそこに集まって一番偉い人がこう頭を下げてですね。だからこれに対していや当然そうするでしょうとかその気持ちよくわかるわってなると思うんですね。
比較的大真面目な人は十分なると思う。これはだから不正の限界を私は示されている気がするんですよね。これって非常にまた男性的なんですよね。そこに男性しかいなかったんですよね。これは男尊女卑みたいな話になっちゃいますけどジェンダーですけど。
つまりでもそれは昔からこれもよく時々はこのところで言われることですけどね。ジェンダー的な差別っていうのはある意味ではそんなものに巻き込まれずに済む人たちにとっては貴重だなって感じもしなくはないんですよ。だってあんなところ行きたくないじゃないですか。私だったら絶対ごめんなって感じがするんですよ。
結局ヒューマニズムってのは合理主義なんで。昔ね、織田信長が本当のことかどうか知りませんけど、信長のお父さんは42、3歳で亡くなったのかな。その時、既得になったみたいな時にですね。病気になったみたいな時にお寺のお坊さんたちに尋ねたんですよ。親父は助かるのかと。
で、王さんたちは絶対こう言いますよね。いやもう我々がちゃんと賢明に祈ってるし、良い兆しが出てますから必ずご回復されますって言うわけですよ。でも死んじゃったわけですよね、信長のお父さんは。
そしたら信長はその寺を全部包囲して、お前たちは要するに私の父の未来について虚偽の報告を述べたと。これから要するに皆殺しにするから、お前たちも自分の命について賢明に祈れと言って皆殺しにしちゃったわけですけど。
っていう話があるんですが、これってヒューマニズムですよね結局ね。非常にヒューマニティーに溢れてませんがヒューマニズムに違いはないですよね。つまり神秘的なものについての神々からの予告みたいなものは基本的に結果責任を問うわけですよね。
しかしそもそも結果責任を人間に問うぐらいだったら、亀の甲羅に聞く意味が全くなくなりますよね。だからお坊さんたちは、いや祈ったし、吉兆も出てたんだけどどうやらダメだったらしいっていうことで問っていたわけだけど、それは無責任だろうと言うわけですよね、信長的には。
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つまり車が売れるかどうかを神に祈ってる場合じゃないだろうということと全く僕は同じだと思うんですよね、この話。なので私はあれを小学校時代に見た時、やっぱり人事を尽くして天命を祀って言う言葉は非常に人間の気持ちにフィットするけれども、着やすいよなって感じもするわけですね。着やすい方がいいに決まってるわけですよ。
だから私さっき言ったように、そこに男性しかいないというのは差別だろう、その通りなんですけど、この差別はその責任の重さから結局来ちゃってるもので、もちろん今戦国時代じゃないから、当然そこに女性もいた方がいいに決まってるんですけど、ただ決断する立場に正されるということは、結局のところその決断が良くなかった場合は、だからここなんですよね、責任を問われるじゃないですか。
最後は神に祈りましたから、責任は神様に聞いてくださいと言いたいところなんですが、結局父親というのはそれが女性だったとしてもですよ、最終的にうまくいかなかった場合には責任を問われるわけですよ、信長みたいなめちゃくちゃ可烈な人が現れると結構大変なことになるわけですよ。
いやお前大丈夫って言ったじゃんということになって、つまりそんなところに私はいたくないなと本音を言えば思うわけですよね。だってどうなるか分かんないから亀の甲羅なり、なんかよく分かんないけど折り紙で折った白いやつみたいなやつにバタバタバタってやったりするわけじゃないですか。
これあの私は何か皮肉っぽく言ってるように聞こえると思うんですけど、最終的にはみんなこうするところがあるんですよ、人間という生き物は、その辺のことをつまり昼間のスターゲイザーでは話しているわけじゃないですか。
遠畑さんと鏡竜二さんね。だってうちはそれこそ寺だったから、これはクリなわけですから、家を建てるとなると自沈祭なわけですよ。要するにその土地の何とかに祈り出すわけですよ。すでにそれは大変私は仏教的じゃないと、自沈祭っていうのは非常に神社さんがやってるところなんですよね。
でもうちの親父はやりに行くんですよ、ちゃんと。つまり、要するに仏心が混ざったんで、日本ではどうしても引っ張られるわけですよね。例えば仏滅の日の前日はおつやが出せないとかなんとかかんとか言うのも、あれは非常に私は浸透的だと思うんだけど、うちの寺で思いっきりやるわけですよ。
もっともそれがあるおかげで、うちは少なくとも仏滅の前日の夜は休みになるので、その時に外食に行くとかこういう流れができるわけなんですけどね。
常に何かがそういう風に人の流れってのはそういう風になっていくものなんですよね。子供にとっては嬉しいと。つまり仏滅というものと旗火というものが非常によく似て見えてくるわけですよ、寺の子供にとって見ればですね。
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だって遊びに行けるからさ。そういうことになるわけですよね。でもとにかく、ここから先はもうどうしようもないなっていう、つまり人事を尽くしちゃったなとその人が思ったところで、でもなんかできないかって考えるから、そういうものに占いたくなるわけじゃないですか。
占ってばっかりいるっていう人が私は結構いるだろうなと思うんですよ。それはつまり亀の甲羅とは限らないですけれども、不正というものはですね、そうでなくても現代では評判が悪いわけですよね。
なぜなら第二次世界大戦みたいなことが起きて、一人の男にいろんな決断を任せると毒なことにならないと、めちゃくちゃみんな痛い目を見るということを思いっきり納得させられたので、やっぱり我々は不正というものをすごく信用できないというふうに戦後になったと思うんですよ。
最近ちょっと風向き変わってきたけど、やっぱりでも一人二人の男に何かを任せるとだいたいあんまり良いこと起きないんだなということを改めてなんとなく認識させられていますよね。なんとなくね、今の時代は。令和に入ってそういう傾向が顕著になってきた気がするんですけど、要するに父殺しの時代ですよね。
ドステフスキーが予言して書いている通りの時代がやってきているわけですよ。信用ならないと。一方で、そういう俺のやりたいようにやるから的な不正もあるわけですよね。
結局のところ誰かが決断して何かをするってことになってくると、結局強引さが全然ないとなってくると、とっても賢明で賢くて優しいみたいなお父さんになってくると、今度は膨大な人を抱えた場合は特にそうでなくても実際そうなると思うんですけど、何もしないってことが起きるわけじゃないですか。
非常に権威が高い人たちが外して何もしてないですよね。あれは一体何をしているのかということですよね。
いちいちダイレクトに出さないですけど、一番上の方で祈ったりニコニコしていたり手を振ったり、そういうお父さんですよ。
そういうお父さんたちは決断とかまして、布告とか命令とかはもはやしないわけですよね。
イギリスとかにもいますけど、女性だったりもしますけど、いずれにしてもあれはお母さんではないわけですよ。お父さんなわけですね。
何もしないと。何もしないのは当たり前なんだと思うんですね、私は。
だって例えば、つまりあの人たちが基本的に期待されているのはジャッジであって、ジャッジというのは中立だということになっていて、戦前というかほぼ戦中に近い状態ですけど、日本でも苦悩されたじゃないですか。
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結局のところ大減衰でもある上に一番トップでもあるから、一番それに反対している、つまり戦争に一番反対している人にも一番賛成している人にも、どっちにも平等でなきゃいけないってことになったら何もできないじゃないですか。
そういう立場に立たされちゃうわけですよね。それはアンパイアだと思うんですよ。野球で言うと。
主心ってやつですよね。一番エロいんだけど彼は野球はやんないわけですよ。だってそれは当然ですよね。子どもたちの世界、子どもたちの草野球ではアンパイアとかいないんで、街のお父さんがアンパイアやってくれるみたいな牧歌的な時代はたぶんそんななかったと思うんで。
私も草野球やってましたけどアンパイアなんか言うのは当然相手チームのバッターでバッと立ってないやつなんですよ。
ということはどっちかに引き継ぎというか自分のチームに引き継ぎに決まってるわけですよね。プレイヤーは絶対ジャッジできないわけですよ。
だから参加してない人しか究極のお父さんはやれない。究極のお父さんというのはつまり参加してないわけだから何もしないわけですよね。完璧に無力なわけです。
実際主心って無力じゃないですか。大谷翔平とかに比べるとアンパイアというのはつまり無力ですよね。絶対権力を持っていて何なら大谷翔平退場させられるんだけど、でもアンパイアは試合に何の影響も及ぼさない。
本当に文字通り黒子なんですよ。名前も滅多に認識されることはない。でも一番権力一番上なんですよね。私がルールブックだって言える存在ですからね。
だけども非常に受動的なんですよ。彼らは何をするのかと。彼らは占ってすらいけないんですよね。この試合はドジアンスが3対2でカスネって言ったとたんクビですよね。
昔そういう事件あったんですよ。私が小学校の頃だったな。何なのかわけわかんない話だなと思ったんですけど。
私はそういう立場だからどっちに勝ったらほうがいいとかは言えないが、ごく個人的に聞かれれば今日の試合は巨人が太陽に勝つといいねみたいなわけわかんないことを言って、もちろん正しにクビになっちゃったんですけど。
しかもその趣旨がホームはタッチアウトにしたっていうのが掘り出されて問題になったりもしたという。それぐらいやっぱり遊びというものはそういう、遊びじゃないですか野球なんてどう考えたって。
社会問題みたいになってこういう風になるんだ面白いなって僕は当時は思った。あの方生活どうなったのかと思うんですけど。なんか言及ぐらいで済まされないものなのかな。だってそれ引きしたかどうかなんてわかんないじゃないですか。
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でもものすごく問題視されました。まさか巨人だったからね。っていうのはあるにしてもですね。でもそういう非常に面白い事件と言っては悪いかもしれないけど面白い事件があったわけですよ。お父さんは大変なんですよ。要するに一言で言うと。
男は辛いよみたいな話になっちゃうから。あれに今では聞こえると思うんですけど。ただ最終的に信頼されてもいないのに不正で責任だけを負わされるのはやっぱり結構たまったもんじゃないよねって感じはしなくはないんですよね。
でこの問題っていうのはもう一つ今言ったようにこう実は参加しているんだけれども参加者ではないっていう立場。つまり僕はここに迫ってるのも美音も迫ってるんだけどすごくミニコットだなってやっぱ思うんですよね。
つまり参加していないっていうのは死んでる人みたいに見えてくるんですよ。聖者の世界じゃない。例えばお墓って父親的だなって思うんですよね。お墓って参加してないじゃないですか。どう考えても。でも現実世界にあるじゃないですか。
私究極の不正ってのはやっぱり非常にお墓的だなと。だから昔の皇帝とか絶大な権力を持った人たちが何かと墓でかくしたっていうのは非常にこう不正ってものをよく物語ってるなと思うんですよね。嫌だけど。ピラミッドとかめちゃくちゃ作られる方はたまったもんじゃないんだけど結局あれって何の力も持ってないじゃないですか。
ただそびえ立ってるだけですよね。ただしかしそれはすごい権力者じゃないとやれないことでもありますよね。で決まってああいうバカでかい墓作ってるのは男の人ばっかりですよね。何がやりたいのか知りませんけど不正を示したいんですけれども。
あれは生きている人の世界には決して自ら参加することはできないんですよね。生きてる人が写真に撮ったりはしますけど今の時代は。でもそれはやっぱりあくまでも受動的な存在ですよね。ちょっと似たものとして大仏みたいなものがあると思うんですよね。あれはお墓とは違いますけれども。
で不正ってのは本当に普通の人間がやるには非常に損臭いものでもあると思うんです。自分何もできないのに何かこう責任だけはあるっていうような。だからジャッジだけはしてるんだけどジャッジするってのはつまり中立だってことなんですよね。
中立だってことはつまりどっちかの味方もどっちかの方入れもどっちかを支持したいわけでもないってことなんですよ。非常につまらぬ仕事だと私なんかは思う。私はプレイヤーでありたいタイプの人間なんで。今ではプレイングマネージャーつまり監督なのに選手。最近で言うとヤクルトで古田さんがそれをやったんですけど最下位になりましたけど難しい仕事だと思うんですよね。監督はもちろんジャッジはできないし中立でもなんでもないですけど。
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監督ってのはやっぱり他の選手に対しては中立でないと困るので誰かをエコ否記するとだいたいそのチームは全然機能しなくなったりするので誰の否記もできなくなるということが起こる中で自分選手としてもやりますってやっぱり難しいんだと思うんですよね。
でもそういうことに対してないわけじゃないんですけどね。古田さんがやったしその昔野村さんもやったようにですね。ないわけじゃないんですけどね。
で、何をやるんだろう結局父親はっていう風に思うとですね。そういうウィニコット的なことを考えてみたときにもそうなんだけど彼はすごいプレイに参加するっていうこと。彼は遊ぶっていう言い方。プレイなんですけどね。プレイするっていう言い方。アンパイアはプレイしてないよねっていう。プレイをしろとは言うんだけど彼はプレイはしてないんですよね。
プレイの外側にいるんですよね。でもそれは遊んでるわけでもあるんですけどね。だから私はクビになるって行き過ぎな感じがちょっとしたわけですよね。遊べてないじゃんって感じがするんですよ。今あの現代社会ってのは。あまりにも大真面目にサッカーとか野球とかやりすぎていてどうしてもそれはプレイになってないような。あれは究極王ママごとですからね。だってベースボールってあれは戦争もしてるわけなんで。だから基地なんでベースなんで。
戦争もしてるということはあれ戦争じゃないことは確実なんで。やっぱりママごとだと思うんですよね。この観点を我々は好んで無視したがると思うんですよ。別に線の内側がヒットで線の外側がファールだってのは完全に我々がそのママごと上のルールとして決めているもので、それをジャッジする人がつまりプレイに参加しているようないないような中間領域的な人なわけですよね。
すごくミニコット的だなっていう。こういう世の中をこういう営みを理解するのにミニコットって人は絶大だと思うんですよ。主観的でもあり客観的な空間でもある。そういうことだと思うんですね。あそこにある土とかは客観的に見て土ですから。
あれをフィールドワークとして捉えるっていうのは主観的なものなので常にそういうのがオーバーラップしている空間、あれほどそれが思いっきりオーバーラップしている空間も滅多にないあんな広大な空間でそれをやってるという。でもやっぱやってることはプレイなんですよね。だってプレイするって言いますしプレイしろって言うわけだからプレイ以外の何物でもないものをやってるわけで。
で、やっぱりですね私は見るってことに最終的にはなっていくだろう不正はという感じを持ってます。
あの眺めているあるいは凝視している何でもいいんですが最近あのビデオ判定というものが日米とも非常に盛んになってきて日本にも必ず来年には来年か再来年にあのストライクボールもビデオ判定すると思うんですよね。
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あれやっぱり見るということですよね。どう考えても聞くではないですよね。松木くん二郎さんが面白かった面白いこと書いてたんですよ。
形状じゃないんだ見るんだって言うんですよね。聞くっていう方向に意識あの話心理臨床が進みすぎるのは問題だと。
見えるはずのものであり聞こえる部分もあるかもしれないけど人間のその知覚力の傾向のバランスから考えても見る情報視覚情報のほうがはるかに重要だっていうことを何かこうまるで時間するかのようにだからやっぱりなんとなく臨床化というのは言葉のやり取りにで言葉のやり取りっていうのはこの場合テキストじゃないですから音声ですから口頭でのやり取りにすごくあの重きを入れています。
聞く技術しかもそれは形状の長じゃなくて文が前の方の単に聞くんだまあフロントもシンプリリッスンって言いましたけどそれをすごく言いたくなっちゃうんですけど。
私さんはあえてだって言葉発してくれない人はいっぱいいるわけでそういう人からの取れる情報はもはや資格情報しかないでしょうと資格情報は常にあるでしょうと何ならその人が来なかったという空間を眺めていてもみたいなことを書くんですよね。
この辺やっぱり臨床化だなと思うんですよ。その人来なかった空間を眺めていることもすでに心理臨床の一種みたいな書き方をするんですよ。これ別の人が入ってたことかな。
要するにまあキャンセルですよね。でもその空間に佇んでいて眺めていると。
これが大事なのかわかりませんが、でも私はそれはすごくやっぱり沈黙を聞くみたいな表現をしてまで聞く方を重視する人もいるんですよ。
かわいいハヨさんもそういう感じだったような気がするんですけど、沈黙を聞くっていうのも大事だと思うんですけど、やっぱりこう見るなんだよねっていう。
あのそれこそ大仏様ってなんか見てる感じがする。聞いてるって感じしないですよね。なんかこう世の中を見ている。見てるだけじゃんって感じなんだけど見てるだけなんですよ。
あのシングスフォーラーパードだったかな。立たれた絆っていうこうナイジェリアかどこかを舞台としたあの黒人のこうなんて言うんですかね。
まあ要するに仏の物語ですごいミリオンセラーぐらいになっている話をアメリカで原文で読まされ、まあ授業ですね。
すごい良い作品で、私は非常にこう何回も読んでるんですけど日本語にも一応訳されてるんで。
あのなんですか、ちくま古典なんとかで復刊してます。愛の高いですけどね。やや高いですけどね。文庫だからまあバカ高くはないんだけど。
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でそのちくま古典なんとかに確かそうだとなってたんですけどそれはそれとしてその主人公のオコンコーとかいうアフリカの名前なんでちょっと英語表記だと発音しにくい感じだったんですが
彼がですねその人が追放されるんですよちょっとしたミスで追放された先にいかにもっていう感じのアフリカの族長みたいな老人が出てくるんですけどこういう人って本当になんかこう
なんていうのかなそれは偏見かもしれないけど良い不正っていうのはああいうこう未開みたいなところのですねところで長く生きている孤老みたいな人だなって感じを僕は思っちゃうんですよね。
でやっぱり彼の言うことっていうのはそういう教訓見えたことばっかりなんだけど強いとかいうわけじゃないんですよね。孤老だしもうヨボヨボのおじいちゃんなわけですよ。
結構ハツラツとしてるんだけどでもその主人公のオコンコーっていう人は要するに若くて頑張るタイプなわけですね。レスリングで10学校アフリカの無俗なんでレスリングで10学校を出していくわけですよめちゃくちゃ強いんですよ多分。
一族で一番強かった男を子供の時に倒しちゃうんでだからレスリングの天才みたいなそういう人は要するに敬意を払われるわけですね。やっぱり肉体的に強いっていうことそれ自体に男性的な価値を認める時代の社会だから。
でも面白いんですよね一番トップにいるのが孤老のどう考えてもレスリングしたら勝てるはずないじゃないですか。孤老の杖ついてる老人みたいな人なわけですよ。
でやっぱ彼が言う話の中に出てくるのが今日はちょっと荒ぬ方向に話が進んでいってますけどなんか不正ってことをですねここやっぱり最近のセッションで立て続けに意識するようになったんですよね。
鏡龍二さんの対談本を読んだことも関係があるんだと思うんです。占いの世界ってやっぱ不正感強いですからね。だからちょっと臨床の世界からやや離れてるよなっていう感じが私がタスクシュートを連想したっていうのはそういうことなんですよね。
タスクシュートっていうのはやっぱり心理臨床の世界に比べるとマクロだし遠いんですよ。何というか外から見てる。やや客観性が強すぎる。私はやっぱりその人の話の一番バルネラブルなところ。
ここでしかできない話みたいなのに興味が集中していくんでなんかこう社会文化的な話よりはやっぱり遥かに個人情緒的な話に向かっていかなければその人の困りごとには究極手が触れにくいんではないかっていうのは思ってるわけですね。
33:06
だからサンチャレを重く見ているわけです。サンチャレは基本的に絶対閉じてやるぞっていう。外にこれは出さないぞっていう。再現性とか一切問わせないっていうのが僕の原理主義的にあるんですよ。
中で何をやっているのかはそうは言ってもここに難しさがあるんですけど伝えていかなければならないけど中で何をやっているかを伝えられるのはあくまでもそのプロセスとか構造とかあの約束ごととか
ある種の効果がこういう理由で生まれると思われますっていうことは言うにしても本当のそこで起きているリアルは絶対聞いてやらなければわからない。なぜならば他の人についてここでつぶさに説明するわけにはいかないからと思っている。
それはやっぱり中で起きていることを体感してみなければ体感というか主観的に心で味わってみないと絶対わからないことばかりだと思いますんで。なんか精神分析家みたいなこと言っちゃってますけどでもそういう感じなんですよ。再現性ということが仮にあらゆることがあってもその中で起きていることを体感してみないと絶対わからない。
あるとするとそれはその人自身受けている人自身にとっての再現性しかなくてこれと全く同じことが他の人には絶対起きないっていうのは私は思うんですね。だからこれは絶対的密室じゃないとダメだっていうふうに今は思うんですよ。
幸い私は非正規制度外の人間なんでスーパーバイズとかケースカンファレンスとかで何かを報告する義務一切ないんでここでやることは完全プライベートでいけるし私は速やかに回せるようにしてるんですよ極力できれば。
速やかにっていうのは3ヶ月ぐらいでって意味なんですよね3ヶ月チャレンジだし。長々と覚えておいたり記録に残しておくカルテにとっておくっていうそういう性質のものではないなと思うんですね。
まあそれいうことで、何を私がしなきゃいけないかと。これは3チャレの中でと、でも3チャレのセッション中ではないが、3チャレ運営者としてはやっぱり私は不正というものを自分は持ち合わせてないとらしくないですけど、父親らしくないですけど持ってなきゃいけないとは思っているので
何をする人なのかというと松木さんの言葉が響くんですよ。私は見ていなければいけないっていう。お釈迦様には到底及びませんが、やっぱりでもこの目で見ている。アンパイヤーはやっぱりその目で見ているわけですよね。見ているのはストライクゾーンですけど、私にもそういう感じがなんですよね。
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相手の人を見るというよりはやっぱりストライクゾーンを見るみたいな感じなんですよ。ジャッジをするのとは違うんだけども、でも判断はしなきゃいけない。判断はやっぱりジャッジなんで。ジャッジというのは相手を裁くって意味はほぼないつもりなんだけど、でも判定はしなきゃいけないし判断もしなきゃいけない。
それについて一番役に立つ機関は目であるっていう感じは確かにするように。これは松木さんの言うとすごい大きかったです。松木さんの本を読んでなければ私はシンプリリッスンの方にやっぱり重きを置いてたという気がする。聞くこと大事なんだっていう。聞くこと大事ですから。でも聞くことというよりは見ること。眺めていること。
何でさっき立たれた絆ですね。シングスフォールアパートを出したかっていうと、その頃の人が言うんですよね。お根香が追放されて打つ状態になっちゃうわけですよ。彼は出世主義者で、若い頃からお父さんダメ親父だったんで、ヤングケアラーみたいになってたんだけど、ヤングケアラーっていうよりもお父さんダメ人間だからお前もう蹴倒すみたいな感じで。
子供のところから最強のレスラーに勝って負けると大変なことになるんですよ。そういう無俗社会だから。勝って、有力者から山芋を分けてもらって、山芋なんですよ。その山芋が水で流れないように徹夜で何番も見張りをしていて、がんばるわけですね。
だけど実は心の根の非常に優しいところがあって、そういうところを自分で非常に嫌悪するわけですよ。強い男じゃないと。ああいうお父さんみたいになってしまっては、ろくなことにならない。実際、ろくなことになってないから。だからその優しさみたいなものを自分の中で封じ込めるっていう、そういう苦悩をかきながら出世していく。
受けそうな話ですよね。アフリカではすごい読まれるって言うんですけど、でもこの人が些細なミスでキャリアに傷がつくわけですよね。そういう社会においては特に。
で、なんかこう追放されたところにコローがいて、まあ要するにそんなことでくよくよすんだってことなんだけど、その時に言うセリフが非常に私は、やっぱこういう感じで言うよねっていう気がしたんだけど、要するに自分もはもっとずっと酷い目に遭ってきたぞということなんですが、それを自分は見てきたんだって言うんですよね。やっぱり目なんだなって感じがするんですよ。
要するに自分は俗教みたいになっているから、すごいこう、なんて言うんですかね、奥さんもいっぱいいて子供たちもいっぱいいたはずなんだけど、まあそういう社会ですから、衛生面とかいろいろありますから、途中で出てくるお医者さんみたいなシャーマンみたいなお医者さんの話もすごい読ませるんですが、
とりあえず一旦ちょっと飛ばすと、要は墓を作ってばっかりいたと。自分はその自分の娘が死んでいくとか自分の奥さんが死んでいくというのをなすべもなく眺めていたんだと。それで30人ぐらい一族がいたのに、今では気がつくともうなんか3人とかしかいなくて、その3人も暇子みたいな女の子だけだと。
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なのに、君はその3年間ここに留め置かれるということで、もう人生終わりだみたいな顔をしてるけど、あの、ていう話をするわけですね。で、ここでこの頃って面白いなってやっぱ思うんですよね。
なんかそんなに有力者なのに、結局のところ、なすすべがないものをただ眺めていたって話をしてるわけですよね。でもこれがお根香には効くわけですよ。十分理解できるって感じではないんだけど、少なくとも打つ状態を脱するんですよね。この話いいなと私は思ったんです。別に何したわけじゃないじゃないですか。しかも比較的ありきたりな話をしてるだけですよね。
しかも予防予防でレスリングとかお根香とかとやれば当然勝てるはずないし、お根香は要するにいわゆる壮健な中年ですから、ただ打つ状態になっちゃってるけど。そういうふうに話をしていて、やっぱこういう不正ってのはこういうところあるよなと。どういうものなのか難しいんだけど、なんていうのか。
補償をするというか未来を占うって言うんだけど、そんなのは相当無理のある話で、要するにどうしようもないんですよね。どうしようもないんだけれども、ちゃんと健全に生きていくことはできるぞっていうような、そういう暇ごのですね。
幼稚園児みたいな女の子の世話をして、族長みたいな人が生きてるわけですよ。で、そういうこうある種の、やっぱ責任感としか言いようがないんですよね。これはね。責任果たしてるとそれで言えるかっていう話あるんですけど、何しろシャーマンな世界ですから。
そうそう、さっきの話、どういう話が例えばあるかというと、当然男尊女貴なわけですよ。族長も男だし、そういう尊賢な男がレスリング強いから。なんでレスリング大事かっていうと、石曜のもって他の部族と戦争やるか、生々しくて超やなんだけど、そういう話も出てくるわけですよね。
で、お根本は実は優しいんで、あんまり石曜ので若い男の子とか相手の部族とはいえ殺しまくるの嫌なんだけど、そういう弱さを非常に嫌いしてるから殺しまくっちゃうわけですよ。それでやっぱり欲打つ感漂うことになったりもするんですけど、そういうところでなんかバランスが少し、ここが読ませどころんですよね。バランスが少しおかしいんですよね。
それで、老婆とか女性とかは要するに殴られたりすぐしちゃうんだけど、それは昼はそうなんですけど、この種の社会って非常に複雑で難しい、なんていうのが独特で、夜になると逆転するんですよね。
42:10
つまり昼は合理主義なんですよ。男は強くて、そういう山芋を水に流されないように、なんなら土砂とかを体張って止めるとこまでしなきゃならないから、男性じゃないとちょっとやれないみたいなところが当然あるわけですね。やりたくないよねって話も当然あるんですけど。
だけど、それは昼の話なんですよ。合理主義の話、さっきの織田信長的な話なんですよね。夜になると何かが起きちゃうんですよ。で、なんか特に昼間の間は誰からも頭まともとも思えないようなおばあさんみたいな、おばあさんって社会的地位高くないですからね。なんだけど、お根香は全く逆らえなくなるんですね。
で、自分の娘が多分ハシカみたいな、こんなことで死んじゃう社会なのが辛いところなんですけど、すごい最愛の娘がいる、お根香は。そういうところがあるんですよ。娘大好きみたいな。で、ハシカで高熱が出たということになって、お根香っていう人は偉い人だから、一晩中こうやって、そういうところが独特なんですよね。
いや、俺は娘なんかが病気になっても動揺しないとか言いながら、夜も眠れずに看病してるわけですよ。こういうところがウケるんでしょうね。で、看病してるところに、昼に誰にも相手にされないようなおばあさんが唐突に入ってきて、この娘は私が連れて行くみたいなことを言い出すわけですよ。
なんかこう、精神病水準っぽさを感じますけど、でもそれは夜に起きたことなので、これは神のお告げだみたいなことを言うと、お根香のような、まあ屈強でそんなおばあさんは追い出せば良さそうなんだけど、一切計らえなくなってしまうんですね。
で、なんかその娘連れて行かれて、なんか変なホラー穴とかに行って、そこに連れて行くという風に、連れて行ってどうするとかこうするとかがないわけですよ。連れて行ってシャーマンだから祈るとか祈祷するとか治療するとかなら話は分かるじゃないですか。そうじゃないんですよ。ただ連れて行くという。
連れて行って何するのかも、頭もなんかまともとも思えないし、しかも髪がかっちゃってるから、夜、真夜中ですからね。ああいうところって真っ暗じゃないですか。一層意味不明じゃないですか。いやそれちょっとっていう風になんかお根香言おうとすると一括されるわけですよね。お前の口出すところじゃないと。
これは神の領域なんだから、思い上がるなと言われるわけですよ。で、めちゃくちゃ驚いて、でもまあ彼は合理主義の人なんで、その場引き下がってですね、遠くから後をつけるってこのシーンも非常にいいシーンなんですけどね。
でもまあ、親にしてみればね、そんな娘どうされるかわかったもんじゃないわけで、だからそういうことってすごいあるわけですけど、この男尊女卑的な社会という、この社会が善意気がですね、その後アルビノと呼ばれる白人に平定されていくっていう非常に悲しい話で、まあお根香は最後死んじゃうわけですけど、そういうこういい話なわけですよ。不正っていうの。
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お根香は明らかに不正のエディプスコンプレックスですよね。完全にここで描かれてるのは。描いてる人は多分アフリカ系のどこかの人なんですけど、非常にやっぱりこういろいろ白色で、レスリングとか部族の争いとかしか描いてないんだけど、完全に描いてることはエディプスコンプレックスのことで、まあ要するにお根香は弱かった父親というものを乗り越えようとして敗北していくわけですよね。
だけど彼はアフリカ文学では英雄的な扱いを受けてるらしいんです。まあ受けるキャラだなとは思いますね。なんだけどバランス描いていて、バランス描いてるところも受けるんですけど、非常に危なっかしいんですよね。最後は結局その危なっかしさで身を滅ぼしていくみたいな話で、みんなに人気があると。
この話を読んだ時も思ったんですよね。やっぱりこう、まあ損臭いよなと普通に考えて。で、結局のところ最初は立診出生しか考えてなかったわけなんだけど、若者で子供だから。親になってみてわかるのは責任取ることしかやれることはないと。だからこの人の話で、まあこれは脅迫性っぽいさだなと思うんだけど、脅迫性っぽいですよね、こういう人はね。
お祭りがこの人とにかくダメだっていう。お祭りでこの人はトラブルを起こすんですね。お祭りというのはお父さん、そういう特に屈強系お父さんの出番がないわけですね。なんかいやいや静かに楽しんでくださいよと周りの人は言うんだけど、楽しめないわけです、彼は。
彼ができることは戦いに行ったり芋見張ってたりとにかくこう何か生産的なことなわけですよ。レスリングで相手倒すとかそういうのは得意なんだけど、じゃあリゾート地みたいなところ、リゾート地って言ってもあれなんだけど、日陰のいいところに行ってココナッツミルク飲んでてくださいっていうことになると、楽しいよねって言いながらすっごいつまらなくて。
無駄に息子とかを叱りつけたりして、祭りの時なのに大声を出すとは何者だとか言われてトラブルになっちゃうわけですよ。要するにそれがしかもお根っこは族の中でも偉い方だからお前ぐらいになってこんなこともわかんないのかみたいなこと言われて妙に小バカにされるわけですね。
つまりこれって不正っていうものの難しさを案に言ってますよね。脅迫的になりやすいわけですよね。やるべきことやればいいんじゃないのってことになってくるんだけど、やるべきことはそもそも何のためにやってるのかっていう問題が残ってるというか、そこが母性的世界なんだけど、だから祭りの世界では女性が活躍するわけですよ。そういうところがお根っこは楽しくないわけですよね。
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自分何やっていいんだよくわからんということになって、なんかそこら辺をブラブラしていて人々が挨拶にしに来てくれる。なんか本当に辛いわみたいになってしまうという、その辺がすごいこの人のバランスの悪さなんですけど、それは要するにお父さんがいけなかったわけですよね。お父さんがそういうトラさんみたいな人なわけですよ。お父さんは。
そういう世界で一番相手にされないというタイプなんだけど、今回それが嫌で嫌でしょうがなかったからここまで慣れたんだけれども、でも足りないのはそのお父さん的な部分なんですね。そこのところに最後非常に嫌な形でですね、そのアルビノの人たちにつけ込まれて滅んでいくっていう悲しい話なわけですね。
この話は本当に、結局のところ不正というのは相手よりより強い不正、この場合の白人社会みたいなものですよね、が現れるとそっちは自転車に乗って銃を持ってやってくるわけですよ。こっちは斧を持ってやってるのにね。
だからそういうより強い不正みたいなのが現れたときに、完全に虚勢的な話ですよね。ぶつかってやられてしまうみたいな、そういう話。その背景には母性社会的なもの、当然ありますから、そういうものというものとの兼ね合いの中でできているんだけど、
それ丸ごと飲まれていくっていう意味でも、自分の全人生かけてきたものがあっさり崩壊させられるっていうのを見てなきゃなんだわけですよね。結局だから最終的には見ると。だけど今回耐えられなかったっていう話なわけですよ、最終的には。
だからその直前なんですよね、その古老の人が言ったことは、自分は30何人も愛する家族とか一族を川に流したり、墓に埋めたりしてきたんだっていう、あれが非常に聞いてくる感じがするんですよ。自分の全人生かけてきたものが目の前で流れていってしまうっていうのを眺めているのが自分だったんだっていうことが根拠には伝わりきらないんですよね。
非常に理不尽なものがあるっていう、理不尽なんですけど、その理不尽さっていうのはこの話の全体的なトーンなわけですよ。だから私は思うんですよね、この種の人たちは結局、このシングソウルアパートでもすごく出てくるんですけど、占いに頼るんですよね。
だってそうなりますよね、占いと教訓に頼るんですよ。何かこう、加藤が何とかしたときはこうしなきゃいけない。木差しですよね、これをね。で、これを非常にアルミの人たちがバカにするわけですよ。
なんでこいつらは、こうこうこうだっていう質問に対して、イエスかノーで答えればいいのに、加藤が何とかしたときはこうたらこうたらだからそれはできないとか、余計なこと言うんだみたいなこと言うんだけど、これが要するに合理的社会っていうものなんですよね。
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