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おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1332回をお送りします。
えーと、3月18日水曜日、7時50分です。
うーんと、あれです。本、出しました。出します。
おそらく4月の9日、10日頃に、フォレスト出版さんというですね、自己啓発では、昔はかなりの大手だと思うんですよね。
大手じゃないのかもしれないけど、よく聞くところで、今では割とごく一般的なビジネス書全般で、さらに他にも本出されたりしているところですね。
えーと、そこから、人生を変える自分時間の使い方だったかな、というタイトルの本になります。
表紙が真っ黄色なんで、そういう意味では、すぐ、自分時間であって真っ黄色だったら多分、それは佐々木正悟です。
という感じで、結構今はAIの本が上位をひしめいておりますが、いわゆるビジネス書では、もう全く関係ないんで。
AI出てきますけど、出てくるって、そんなこと言えばタスクシュートも出てくるし、ウィニコットっぽい話も出てくるんで、全然ただ出てくるだけって言ってもいいぐらいですね。
こういう本、どうなのかな。本はコンセプト、実際は表紙とコンセプトが全てで、中身のよしよしで売れないは1ミリも決まらないなっていうのが正直なところなんですけれども、書いてる人間としてはですね。
よく書けたわっていう本が、普通に書摺りで終わり、しかも全然売れなかったりして、なんかこういまいちだったけど、もうやむを得ず固まって出していかれるよねっていうのが、飛ぶように売れたりするということは普通にありますんで。
しかもその落差が半端ないんですよね。全然違うんですよ、書測から。なんかこう、発売前10判とかかかってみたりする一方で、もちろん何年経っても全部合わせて3000いくかいかないかですっていう、それは特にないものにされてしまうわけですけれども。
編集さんがね、もうこれは当然そうなるに決まってるんですけど、私もすっかりそういう流儀に完璧にこうある意味染まったわけですが。
書測がいいと、なんかすごい、なんて言えばいいんですかね、年春の世界ですよね。だから書測がいいということは、凱旋将軍みたいなもんだし、なんか泣かず問わずであることが確定しつつあると、触れずに痛い人みたいに扱われるわけですね。
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なんかもう連絡取らないでくださいみたいな、あれですね、同性が多いですけど、ほとんど男性ですけど、もう連絡をフェードアウトして切ろうとしている彼女みたいな、そういう感じですよね。
面と向かっては言いにくいんですよね。あなたの本は売れてないから二度と連絡しないでくださいとは言いにくいじゃないですか。だからフェードアウト、なんかもういなかった、この関係がなかったことにしようねみたいな。
まあここらへんがただ、また編集さんの考え方次第なんですよ。でもまあ将来うまいこといくかもしれないなっていうこともあるかもしれないので、現実ということってあるんで、例えば急にどっかで僕があんまりなさそうですけども、どっかで売れっ子になった時に簡単に連絡取り直せるようにしておいた方がどう考えても有利じゃないですか。
私はそういうことを自分が職業柄考えたことはないんですよ。編集側だったことがないから。だけれども、まあ当然そうだよねっていうことは、個人差すごいありますけど、すべての行動が合理的に見えるっていう意味では、異婚ってやつだなって感じがするんですよね。
はい、まあそんなことはいいとしまして、3月、4月の初旬に発売となりますので、よろしければ何か読んでやってください。正直本というのはですね、読んでやろうみたいな感じのスタンスで僕はいいんじゃないかってよく思うんですよね。読んでやろうって感じと。
今となっては無料で文章を読むことはいくらも可能じゃないですか。しかもそれらもAIが書いてるんだか人間が書いてるんだか両方なんだかさっぱりわかんないんですよ、はっきり言って。
で、しかももちろん無料とは思えないほどパーラマシタンとかが急に無料で何かいいこと書いちゃったりしちゃったりしますし、一方で有料だからといって何かさっぱりわからんっていうこともいっぱいあるわけですよね。
でも本はさすがに一定のクオリティを逆説的ですけどこの時代だけに超えていく、今回4行まで出したんで、ある意味いろんな意味で超えていってるなっていう感じは少ししたんですよね。デジタルで出回ってるものとの差は一定程度付けられるだろうと。
プロでそれを言うのはどうなのって感じかもしれないですけどそんなことはないんですよね。だってプロ集のプロがタダでデジタルで文章出しちゃいますからそんなことはないんですよ。ただなるほどすごい書き手は編集とか構成とかいらないと思われるかもしれないんですけど今のような時代にあえて紙を出すっていうのはですね、まあでもそんなこと言っても紙で出すコストそのものが下がってるんで何とも言えないんですが。
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でもやっぱりKindleで本出そうと思えばもはや知識帯あれば誰でもできる時代なので紙で出すというのはですね、もうやってることそれ自体はすごい言ってみれば無駄なことやってるわけですよね。はっきり言って。にもかかわらずかなりの人間がそこにエネルギーを投入ししかも儲かんないわけですよ。
それをあえてやるというのはまあにもかかわらず適当にやってしまうっていうことが全くないかというとそのようなことは言えない気もするんですけどでもやっぱり一定程度なんとかしないとっていうのは働きやすいので本の中の文章の方がやっぱりこうざっくり言ってそれは当たり前なんですけどハズレが少ないとは思います。
もうねあとはそれ以上のことは何も言えないんですよね。あとはもう好きで読むのがいいと思うんですよ。だから私これはこれからの時代いよいよ趣味だと思うんですよね。
学びだと言われているけれども本当ただ学ぶんなら動画のいいやつを読んで学んだ方がスキルとかには全然なんか有効作用が全然違うだろうと思います。なければ別ですね。
例えば私のそのやっぱり今しつこく勉強中の対象関係論はいい動画がそもそも驚くほど少ない。そんなことを好んで出す人も驚くほど少ないから紙の本読むよりしかも電子書籍も驚くほど少ないんですよ。そういう極端に困ったタイプのジャンルは昔と変わらない方法しかないんですがそうでなければ今の時代はやっぱりまず動画当たるのが
適当であろうと思われます。ちゃんとした多分レベルの有料の動画を当たるのがそれは結構難しいことですけど一番いいだろうなって思いますね。よく知らないですけど私その種の世界はね。紙の本はもう好きなものを好きなように読むしかないと思いますね。学びのために読むよりは趣味のために読むもんだなと。
漫画と本は同じ、完全に同じなんだって思って読んだ方がいいような気がします。しかも漫画は電子で読めますしね。紙の本って本当に一級贅沢品となりつつあるけどにしては安いんで非常に先行きの厳しい世界だなって思いますね。
やっぱこういうことになってきたら本一冊なんだもっとグッと上げないことには話にならないだろうと。よくねあのなんていうのかな図書館とかがあってなんかこう本は文化資産だったんだと思うんですよね。
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でも今からはやっぱりどっちかというと格安で電子ペーパーをもうタダで人々が手に入るようにしてそっちで文章というものは漫画もですけど回していって何らかの形でそっちから収入を得ると。これをやると今の時代Amazonだけが儲かるって非常に難しい時代だなって思うんですけどね。
まあまあそういう話を延々していてもどうしようもないので先へ進むことにいたしまして。こういう話は僕の場合所詮一記著者のヨタ話ですから結局のところは僕はいかなるこのシステムでもただえーとなんて言うんですかね。
北受けですから言ってみればね。製品を納入していくというのが私の仕事なのでこれはもうあのどういう扱われ方を先生と呼ばれようと関係ないですよ。露骨に言えばそれ以外の何物でもないのでそういうふうに自分のポジションははっきり僕は意識してこの仕事はしていますという人間の書いたもんですということですね。
はいえーと関係ないようなあるような話のまま行くんですがあのボラスなんですね。今の私のホットはでこのボラスが規範病という不思議な表現を使ってるんですよ。最初私はなぜそれ脅迫症申請とかじゃいけないんだって思って脅迫性申請とかじゃいけないんだと思ったんですけど
読んでるうちにやっぱりこの人は現代的でありかつあの斬新なアイディアというものを言葉に直すのがうまいんだなと思いましたね。臨床の経験が豊富であるっていうよりはウェニコットっぽさをやっぱり僕には感じさせられますね。
なんかビヨンのようではない気がする。ビヨンとかももちろん引用してきますけど、ビヨンのような感じはしない。なんかこうああいうある種取り憑かれたようなあの体系化しなければならんみたいな。そうビヨンが思ってるのか知りませんけれども。
なんかこう中小体系に持っていくぞっていうそのある種の広大な野心というよりはエステストみたいな感じでサラッと書いてサラッと書いてないと思うんだけどでもサラッと書いちゃってるように見える。だから規範病っていうなんか何かはわかる感じがいきなりするじゃないですか。
アルファ機能とかじゃないわけですよね。規範病って言われればまあ何かを感じさせますよね。アルファ機能ではほぼ何もわかんないですよね。事前知識がないと説明がないと。規範病ならまあ説明が全くなかったとしてもそれなりに当たりはつきますよね。そういう違いを感じますね。ビヨンみたいな人と比較すると。比較する意味はそれほどないですけど。
で、このクリストファー・ボラスの規範病っていうのはやっぱり私は脅迫症・精神性で良くないみたいな。ただこの人のそれは先日紹介した変形性対象がそうであるようにそれは別に異向対象で良くないじゃないんですよね。良くないんですよね。
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仮にほとんど同じものを指した場合だとしてもやっぱり全然違う展開を見せていくというのがボラスなんだなっていうのを感じます。変形性対象ほど規範病はおーなるほどという感じはしませんでしたけど非常に面白い観点とっているなという感じがしますね。
まず多分あえて病って言ってしかも彼イリネスって書いてるんですよね。だからなんか精神障害じゃないかのような雰囲気を持ってるんですけど間違いなく精神的な問題なんですよ。でそもそもそれは病なのっていうのがまずあってまあ脅迫症・精神性っていうのがそもそもなんていうのかな。純度になればもちろんそれは病理になっちゃいますけれども手を洗うのをやめられないみたいな話になってしまうと。
でもきちんとしてますっていうのはいいことじゃないですか。端的に言っていいことじゃないですか。なんかこうノルマティックイリネスみたいなそういうノーマティックイリネスみたいなノームみたいなものに異常にこだわって見える人っていうのはゆずう聞かない頑固者みたいに言われたりするかもしれないけど別に病なのかっていう話としてはややこしいですよね。
でもこれはいきなり病側から見ていくとおなじみなんですよ。なぜおなじみかというと今日の話はこの番組のタイトルにピタリだなって思うんですよね。まさにライフハック時代の精神分析なんですよ。ボラスの話ってそういうの多いんですよねすごくね。ライフハッカーに向けてはいい話が多い。
ノーマティックっていうかそのノーム標準標準ですよね。まさにね。にやたらと興味がある人は主観的世界を締め出そうとしているって言ってるわけですね。
でそれはどこ一部無意識に行ってるから本人の中でも周りの人たちにもとても気づかれにくいし問題が起きてないときは基本的にはすごいその人は社会適応が超高めに見えるんだけど問題が起きたとしてもですね。
なんかどこかこの人うまくいってないなっていうのはわかるにしてもですね。結局なんだかがよくわからないわけですよ。なぜなら内面から内面を締め出してその病気はしかも外的な病気ではないために大きく長所を崩しているにもかかわらず精神病の範疇にも身体病の範疇にも入っていけないんですよね。
これってすごい話だと思うんですよ。いやでもそれ病気なのって話は残りますよ。残りだから病ってつけてんだなっていうのがわかるんですけれどもそこは非常にあのボラスってやっぱすごいんだなって思うんですよ。
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つまり扱われにくいし本人も扱いにくいし周りも助けにくいという病なんですよね。病だとした場合。本人が自分で治そうとしちゃうんですよねまず。しかもそれ病気だと思ってないんですよ。
一時的な不調みたいに思って割と沼ることがある。でも沼って相当なところまで行かないと何病なのかが安全としないという基本病なんですね。これが脅迫症申請だった場合脅迫性障害とか脅迫的人格障害とか言ったりするわけですよね。
松木さんが非常にやっぱここ考えさせられるんです。松木くんひろさんがパーソナリティ障害のところから脅迫性は排泄にしろみたいなことを書いていてあの人もさらっと書くんですよ。排泄とかって書いてあるんですよね。排泄ってっていう感じもするんだけど。
松木さんは徹底的に構造的に説明されてますから基本的にそれはβ要素を排出するんだっていうβ要素を抱えておけない病理なんだ。それじゃあ精神病じゃんって感じもするんだけど精神病は全く抱えておけなくて抱えるという感覚自体を持ってない人みたいな感じなんですよね。
ボロボロ落っことしてるみたいななんかもうぶつかっ、β要素がぶつかったらそれ落とすみたいなそういうニュアンスにちょっと違うんだと思うんですけどもとにかく絶対拒否みたいなノリが感じられるんですけどパーソナリティ障害というのは抱えようかなっていう意思はあるんだけど抱えられないみたいな感じなんですよね。
この意思の有無みたいなところに大きな差を見ている感じがします。意思はあるんだけど辛すぎるっていうのとそもそも意思自体を放棄しているみたいな感じっていうのが精神病と人格障害の違いなのかなって感じをします。
先日Xでですね私が好きなあの僕の小規模なシリーズで有名な福光茂さんが今結婚している奥さんに振られるってシーンがあるんです。あそこから結婚してお子様にいるんだからすごいじゃんって感じがするんですけどとにかく振られるってシーンがあってちょっと考えてみようってするんですよ。
面白いことにこれがやっぱりパーソナリティ障害っぽさってやつなんですよね。パーソナリティ障害だって言ったら申し訳ないんですけどでも彼は考えることができないんですよ。あまりにも辛くて考えられないっていうシーンがあるんですよ。あれがやっぱり精神病ではないわけですよね。
ベータ要素をちゃんとこう扱おうという意識はすごい暗いシーンなんだ。まあ唯一なんかこういう表現なんですよね。まあ僕もよくわかるんですけど自分が付き合える可能性があったこれまでで唯一の女性だったのにこれにもう別れられてしまえば私自分は一生誰の女性にも全く相手にされないっていうことがてんてんてんてここまで考えて。
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あまりにも辛いから考えられないっていう独白に続いていくんですけどこれがパーソナリティ障害っぽさなんですよね。これと精神障害はやっぱり精神病水準は違うんですよね。精神病水準の人はもしかするともっと明るいというケースもなくはないのかもしれないんだけど。
完全にこういう方針というか方向性を変えてしまうみたいな暗くなっちゃうかもしれないけれどもめちゃ考えてるじゃないですか。ただこのなんかお酒飲んでいいよってやらかしたみたいな話になってるんですけどその時のことを全く覚えていないっていうこれはやっぱりなんか危険すぎ気を感じさせはするわけですよね。
全く覚えていないのはやっぱり無意識の作用だと思うんですよ。お酒のちょっと飲んだからって全くその時の振る舞いを覚えてないってことはないわけじゃないですか。普通は。お酒飲んで記憶飛ぶっていうのは飛ばしてるんですよね。脳のどこかが。やっぱりそれを意識してしまったらできなくなるからその人には。やっぱり無意識は無意識なりに何とかしてあげようっていう意識があるわけですよ。不思議なもんですけどね。
なんとかこの二人をというかこの女性とくっつこうみたいなのがあるわけですよね。だけど意識の階段があると邪魔なわけですよね。無意識的には。性欲なのか他の欲求なのかいろいろあるでしょうけど愛着みたいなものとか。やっぱりそうなるべくちょっと雑だろうと。
まあその後非常に痛い目を見るんだけど雑だろうとみっともなかろうとここで行かないとっていう感じでアクセル入りたい時にはもう自意識とかいらんわけですよ。だから記憶が飛ぶんですよね。
だけど後からそれによって悪い結果がそこに残ってると。なんか相手の女の子は怒ってると。今の奥さんだけですけどね。これのこうなった時に考えられなくなるわけですよね。つまりβ要素を抱えておけなくなるわけです。
なんかひどいことをしてしまったらしい。もうダメだみたいな感じになるわけ。でも考えようとしてるからそういう発想が出てくるわけで、これを考えようという発想それ自体がなくなって、例えば自分はこの女の子とどうやら付き合ってるらしいみたいな結論に飛んでいくみたいな。
こうなってくるとやっぱり人格障害では済まなくなってくるんでしょうね。で私が言いたいのはですねこの規範病というやつは何であれ微妙だってことなんですよ。β要素をそういう意味ではパーソナリティ障害におそらくカテゴライズされるんだろうけど脅迫性パーソナリティ障害というのと明らかに違う言葉をボラストは知らないはずないんで切手で当ててるわけですよね。
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わざわざ。で何でそういうことになるかというとこの種の人は内面というものを占め出すということがそもそもの障害なので主観的体験を持たないみたいな。何でそんなほどするのかというとですね、役に立たないっていう側面がやっぱあると思うんですね。
意味がないというよく言う言い方をする。そんなことをしても意味がない。内的に深く悲しむとか悲しまないわけじゃないってこの際さん書いてあるんですよ。悲しまないわけではないし人と共感ができないわけではないんだけれども結局は本当に悲しむとか結局ややこしいですよね。こういう時の言い方って。でもそういう情緒は締め出していくと。
情緒がないとか表情に投資とかそういうことでは全くなくて友達いないとかでもなくて結婚もするし恋愛もするしなんならセックスもするんだししたいとも思うんだけれどもなんかこうそれらがすべて妙に外的なわけですよ。
だから対象関係論の言い方をするならば外的対象ばっかり持ってるっていう感じなんですよね。内的対象というものになるべく心を煩わさないようにしましょうっていう生き方をされていると。で、何でも対象化する私はこれがやっぱりですね一番ギビーなんですよね。そこがまさにボラスの言ってることなんだなと。
強迫症の初心者ってどうしても強迫的な行動が目について強迫的な部分というものの描写ばっかりしてますよね。今流行りというか昔に流行り、今や確立したDSM的なものの見方をするんですよね。
ああいうのってよく書いてあるじゃないですか。スキゾイドとは。鬱とは3ヶ月以上このエピソードが続きとか。強迫症っていうのもなぜ強迫症になったのかとか。対象を失った度が鬱になったんですとか。絶対そういうことは言わないわけですよ。今の時代は。
症例主義って言うんでしょうけど、まず表面に現れている様子を見ましょうと。そうすると精神分析の世界から見ると、じゃあ行動化ばっかり見ることになるじゃんって感じがするんだけれども、まあそうなんですよね。ある意味ね。
見た目の印象とかは見るんだけど、行動だけを見るわけじゃないんだけど、なんかこう外に現れているもの。なぜそれを外にこの人を現してるんだろうみたいなことはあんまり見ないわけですよ。
だから福美さんみたいな人がずっと落ち込んでるのを見れば誰だってその、この間のあの女の子に振られたからねっていうことになるはずなんだけど、そういうふうには考えないんですよ。ある意味症例診断主義って極端に言うと。
とても落ち込んでいる。この落ち込みが3ヶ月以上続いているなら、うつを疑うべきだみたいな、そういうなんていうのかな、症状というものを見て、その内面はあんまり内面見えないからっていう考え方で、非常に科学的に行こうとするんだけど、まさに規範病っていうのは、そういう世界のボラス的に言うと病なわけですよね。
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で、それはどうして起きるのかというと、外的対象に注意が向かいすぎていて、本来それは主観的体験だったり、内面の問題、つまり深い悲しみとか、手に負えない辛さとか、そういう言い方をするべきところまで、外的対象でそれを置き換えてしまうから、批判的になっていく。
そうすることがいいことだと思っているから、そういうことが起きるという話をしているわけですね。
だから、例えばですけれども、すごく自分は今、恋愛感情にハマっているみたいな、せめてそういう言い方があると思うんですよ。これだけで結構外的ですけど。
でもそれよりも、例えば、今私はあの子と1週間のうち33%以上の時間を使っているみたいな、これが対象化するって話なんですよ。
対象化してますよね。しかもその対象は他人とはっきりした形で共有できるじゃないですか。こういう人にしてみるとこれが意味なわけですよ。
例えば最近体調が悪いっていうことすらないわけですよ。なるべくね。これって主観的じゃないですか結構。最近ちょっと調子が悪くて、これだってかなり普通に通じちゃいますけどね。
でもそうじゃないわけですよ。最近Apple Watchで測ってみると、どうやら睡眠の質が低下しているらしい。
これまでは満足のいく睡眠の質95%以上維持していたのに、最近はややもすると80%を切っているみたいな、こういう外的に対象化していくわけですね。
で、別にその人の中では、決してだからといって内面がないとか、内心のことがわからないと言われるのは信頼で、ごく普通に見えるんですよ。
ごく普通なんで、なんか違うんですよ。で、例えばSFで、モラスはそう書くんですよね。SFで、実は彼はロボットであることが暴かれたみたいなことが書いてある、そういう作品があるけど、あれはロボットの将来がこうなるっていう予言ではないんだと。
すでにそうなっている人たちがそこら辺にいるから、そういうことを作家はいち早く察知して、こういう人の人格を描写するにあたってそういう表現を使っているんだと。
正しいと思うんですよ、私は。全くそうだろうなと思うんですよね。で、現に私はどっちかちどしおよがら近い世界に生きてますから、やっぱりこう、自分の行動を分単位で記録していくっていうのは、まさにこの規範表というふうにボラスが言うだろうなと。
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これは誤解だとはちょっと言えないだろうなって感じがするんですよ。で、非常に鋭いことにボラスはこう書いてるんですよね。この規範表の人たちの、規範的パーソナリティの人たちにしてみると、例えば自分の行動というものが対照化することに成功するならば、それはとても心強く感じることだろうと。
そう、あれがまさにライフログを撮りたい欲求というもののベースですよね。つまり、まあなんか赤飛みたいなところがあるわけですけど、昨日私はディズニーランドに行って娘と過ごしたみたいな。そのための、その時の動画の様子やら、写真やら、何時何分から何時何分幕張りのどこどこインターチェンジを出たみたいなことをつぶさに記録に残すと。
なんか私もそういうところあるんですけど、非常に自分はちゃんと行動したばかりでなく、ちゃんと覚えておけていて、要するにちゃんとこれは残ったみたいな感じがするんですよね。
これに心強さを覚えてしまうというのは、つまり自分の内面の体験、内面の体験ですよね。明らかに。あの、もっとふわっとしたものですよね。娘と過ごせて、なんかこういい感じだったみたいなかことになるわけじゃないですか。ボキャブラに乏しいとね。
ここのボキャブラリーが豊富なのが、まあ、つまり詩人方面の人の仕事じゃないですか。だから、この体験が何時何分に発生したとか、その時どこどこインターチェンジを出たとか言った話は、一見したところそれが記録に残ってると、その後からも思い出しやすいし、人とも共有しやすいし、なんかこうちゃんとしたことをやってる。
例えば家族の時間を大切にしているとか、そういうことが言えそうに思えてよさそうなんだけど、内面の体験でしょ。それはっていうところが落ちがちになるわけですよ。てか落ちがちだから、あえて外的対象の外的対象ですよね。幕張インターチェンジとかはあるんだかないんだが、今有明インターチェンジとかそういうのは外的対象じゃないですか。ちゃんとしてそこに看板とかがあるわけ。看板まさに外的対象ですよね。
外的対象でその人の世界が埋め尽くされていく。しかもそれをその人は良いことだと思ってるわけですよ。でもそれは内的対象とか、内的対象との葛藤みたいなものを締め出さんとした心の動きを働きを反映してのことなんですね。で問題はこの次なんですよ。で、いけないのか。むしろそうするべきなんじゃないか。みんなライフログ撮るべきなんじゃないかっていう議論が。
今あんまないですけど。かつてあったわけですよ。で、なんでこういう人たちが病の様子を呈したときにどうなるかというとですね。これも私はボラスの描写は鋭いと思うんですけど。
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結局その人は心の中が外的対象で埋まっているので、問題が起き始めたときはただただその。
畳には活力が低下していくだけのように見えてしまうと。しかも活力は確実に低下していくと。外的対象との関わりが弱っていくわけですよね。
だって内面が結局のところ何かしらの問題が起きていて。これは外的対象との関わりがうまくいってこそ、例えばある程度お金がないとこれダメですよね。
外的対象の関わりみたいなものを維持するためにはお金いりますよね。例えば動画を撮るんだってお金いるじゃないですか。どっかにみんなで行くのもお金がいるじゃないですか。
こういう人は映画を観ないわけじゃない。映画を観て泣かないわけですらないんだけど、こういう人たちにとって大事なのは、いつ映画に行ったかとかいうことがちゃんと言えるかどうかみたいなことなんだって書いてあって、そうだよなと思ったんですよ。
まさにそういうことをやっている時代が、来伯会には2010年付近がピークだったかな、一つのっていう感じがするんですよね。多くの記録を残すっていう、そして記録を残すためのガジェットを使うみたいな。
こうすると、例えばなんですけれども、お母さんが家の中で忙しく働いている、そういうお母さんの葛藤とか、例えばよくあるじゃないですか。感謝の気持ちを感じられないみたいなことを言って、昔ですよ、日本では家事をさせられているジェンダー問題になるようなところなんだけど。
そういう時にも、要するにお母さんを外的対象にしちゃうんですよね。お母さんはこんなに家で役に立ってくれているっていうことになっちゃう。これは、例えば問題が全くなければそれでいいんですよ。
でも、例えばお父さんが会社でうまくいかないということがあったと。そういう時に、こういう家庭では外して、絶対それはわかるわって思ったんですけど、お父さんがもんやりとテレビを見ていると。なんかもっと関わりようがありそうなものなんだけど、大抵こういう家ではそっとしておきなさいっていうことになってしまうと。
一見したところ、これはすごくある種の優しさみたいなんですけれども、これは世の中であなたが精神的に問題を抱えているとか、ややこしいことになりそうだという時に、その問題を心から締め出して関わらないようにしておきなさいっていうのと、この場合意味が等しくなっている。
なんかひどく、もっとやれることあるだろうとか、もっとどうにかできるだろうっていうところが、非常に機械的に処理されていく感じなんですよね。
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で、このお父さんが、運良くこの問題を解決できると、やれやれ大変なことがあったとかって言うんだと。つまり、何にもその人は内面を通過してないんだと。言ってることは確かにもっとなんだけども、確かにいろいろなことがあった、大変なことがあった。人生っていろいろ難しいことがあるよねとか言って、済ませてしまうと。
もしそれで片付かないということになると、でもこういう場合は結構大変なんだと。お父さんはずっとぼーっとテレビ見ていて、そっとしておきなさいの世界に入っていくと、どういうことになっていくのかと。どういうことにもならないんですけどね。このどういうことにもならないっていうのが問題でしょうって言ってるわけですよ。
で、しばしば薬によってこの種の問題には対応されると。つまり、アルコール依存になりやすいって話をボラスは言ってるわけですよね。この場合、お酒というのは物質ですから、依然として外敵対象ですから。しかも、やっぱりカウンセリングとかいう発想に非常になりにくいわけですよ。こういう人にしてみると。話をして何になるんだろう。つまり意味がないわけですね。
で、どうしてこういう人が育つんだろうっていう考察も、やっぱり私もそうだと思うんですけど、特にこの人の生育歴に取り立ててこれといったことはないはずだと。つまり虐待受けてたとか、スキゾイドになってしまうように母親が支配的だったとか、そんなことはないはずだと。
ただ、例えばお父さんが子供の遊びに入っていくようなこともあるんだけど、そういう家庭のお父さんがやってることは、子供を遊びから目を逸らさせることにあったりすると。入るときは。だから一緒に遊ぼうと言って、少し遊んであって、ところでそろそろ何とかの時間じゃないかとかって言い、私そのセリフ、まんま聞いたことがあるんですよ。友達ん家で。
つまりそのお父さんは遊びをやめさせるために一緒に遊ぶんですよね。もっと現実には価値のある意味のある目を向けるべきことがあるのではないかということを教えるために遊ぶんですよ。こうして微妙な形で意味のないことの価値を脱価値化していくんですよね。つまり遊びの価値を下げていくわけです。
こういうことを引用に大量にやっていくとですね。
その人の中ではほとんど無意識にある現実の価値基準というものが決まっていくわけですよね。つまり仕事の価値が何よりも高いわけです。
この人常に仕事中毒になるわけではないでしょうけどやっぱりなるわけです。特に物事がうまくいかなくなったりするとこういう人は仕事中毒になりやすい。
本来しばしば逆ですよね。私なんかは最近つくづく思うんですが仕事術の人間としてむしろ思うんですけど調子が下がってきたら仕事を減らした方がいいんだけど逆やっちゃうということは多々ありますよね。
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調子が下がってきたときほど馬車馬のように働く。こういう時も馬車馬のようにと言ったりするわけですよ。あれも外敵対象ですよね。
いちいち外敵対象なんですよ。自分の内面の問題に近いところに課題が起きているのに、例えば鬱になったとか欲物になったとか気持ちが憂鬱で腫れなりとかいう代わりに何かこうずり切れ始めたのか。
この表現使ったから必ずしも批判病だってわけじゃないんだけど確かに私はライファックというところでど真ん中に身を置いていた頃はみんなそういう表現多かったなっていうボロボロになるとか物ですよね依然としてね。
ガタが来るとか全部が全員が全員じゃないですよ。全員が全員じゃないしこの表現使うっていうのは日本語においてこの表現使うから必ずしも物的に自己を表現しているとは言い切れないんだけど。
でも確かに少なからぬ人がですねキャパシティーがとかリソースが減っているとかあるいはリソースが枯渇しているとかあるいはこう人によってはもうかなり明瞭に心のデフラグが必要だみたいな。
昔ありましたねそういうデフラグっていうものを定期的にやるということが。あるいはメモリを解放しないとみたいな言い方をしちゃうわけですよ。心の表現のメタファなのかもしれないんですよ。何とも言えないんですけどもでも非常に心理構造の中に外的対象がひしめいているっていう状態。
でこういう人にとって大事なのはコレクションってものなんですよね。コレクションというのはやっぱり内面の主観的体験をたくさんしてきたっていうことの証拠集めみたいな感じなんですよね。
どうしてもそういう人にとって内面の価値っていうものつまり要はアルファエレメントってものはなんかこうフワフワしすぎて意味がない感じがするんですね。夢の素材みたいなもの。そうでなくてもっとこうアブクのようには消えない。アルファ要素っていうのはアブクのように消えるわけですからアブクのようには消えないもの。夢の素材ってまさにアブクのように消えるじゃないですか。
夢自体思い出すの難しいけど夢の断片って全然起きた後あんなにはっきりした夢を見たのにってだけになるじゃないですか。でもこういう世界ではレム睡眠とかってすごい好まれる表現ですよね。この時間に23時58分から翌日の0時33分までの40何分間高速眼球運動が激しく記録されています。
これは夢を見たってことの表現なんですが全然夢を見たってことは言ってないですよね。
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マイアミで大谷翔平が撃った瞬間みたいなものの心理状態というのと私はあの時マイアミにいたっていう言い方は違うはずなんだけどもそういうところを一致させていくわけですよ。
外の表現を使って心の内を示すと。やっぱり私はそのお母さんはこの家でとても役に立ってくれているからとかお父さんのことは今そっとしておきなさいとか言うのはやっぱりこうなんていうのかな不穏だなって感じはしますよね。少しもそれはその人の心というものに触れようという気がなさそうな感じがしますよね。
自体というもので問題をすべて検討しようとしているように感じられる。自体が良くなればいいんですよね。これは。でも自体が良くなるとは限らないわけじゃないですか。だから持ちこたえるという表現が使われるのにあくまでも自体へ自体へと向かおうとしていると。
内面がないわけじゃないんだがあくまでも内面というのは自体に付随する何かであるっていうこれは言い方なんですよね。内面の充実というような話では決してないわけですよねきっと。
これをこういうものがでもその時代的傾向として言いたいわけでは多少はそういうことあると思うんですけど私はボラスが言いたいのは結局のところという人が臨床的問題に入ったときどうするのかといったことを言いたいんだろうなって感じがします。
薬を飲むっていうのが今だから用意される始めたのはある意味やっぱり象徴的なんですよね薬と外的対象ですからね完全にそれは対象物ですよね。ものとして見ることができますよね。
それがもちろんそれは内面に効果があるわけなんだけれどもどういった効果が内面的に感じられるのかとかそういう話にはなってないわけですよね。あくまでもそれもやっぱり精神とか神経系といった脳とかいった物質がどうなっていくのかということを検討しているわけです。
それはまあ確かにこうライフハック時代だなって感じがするんですよね。だから私はこのボラス読んでいて自分がハマるわけがよくわかるんですよ。何でかというとあれこそまさにライフハック時代の精神分析だからなんだなって感じがするんですね。