1. AI時代のカウンセリング
  2. 時間の罪悪感を取り払う【1347】
時間の罪悪感を取り払う【1347】
2026-04-30 48:49

時間の罪悪感を取り払う【1347】

それだけでも大変なこと。
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サマリー

このエピソードでは、AI時代の到来を踏まえ、カウンセリングとAIの関係性、そして時間管理における罪悪感について深く掘り下げています。特に、タスクシュートクラウド2の開発者であるJ松崎氏の仕事ぶりを通して、ツールの多機能化の難しさや、時間管理ツールの重要性が語られます。時間管理における罪悪感は、教育によって植え付けられるものであり、それを軽減することが精神的な健康に繋がると指摘。フロイトの言葉を引用し、個人の不幸を「ありふれた不幸」に変えることの重要性を説きます。さらに、サイコパスの事例を挙げながら、嘘やメタファー(隠喩)が人間の現実認識や行動にどう影響するかを考察。精神分析におけるメタファーの役割や、それが時に現実以上に現実味を帯びるメカニズムを解説します。最終的に、タスクシュートのようなツールが、時間に関する罪悪感を軽減し、より良い人生を送るための手助けとなる可能性を示唆しています。

AI時代のカウンセリングとJ松崎氏の仕事
おはようございます。タイトルをまたしても変えました。 AI 時代のカウンセリングというタイトルに変えました。
基本的な趣旨は何も変わらないんで、あれなんですけれども、
ライフハック時代ってなかなかもう来ないかもなっていうのは、しゃべってるたびに、このタイトルコールをするたびにちょっと考えておりまして、
AI時代は来てるから、すぐ終わっちゃうかもしれませんけどね。なんかポストAI時代とか言われるかもしれませんが、少なくとも今今はAI時代だなって感じが初手に行くとしますんで、
昨日もね名古屋に行ってきたんで、この名古屋話をしながら今日の本題に入っていきたいと思いますが、
AI時代のカウンセリング、AI時代の精神分析でもいいんですが、あまりにもそれはとんがりすぎだなっていうふうにちょっと思いましてですね。
トッキントッキンっていう不思議な言葉も習いましたし、
これを聞いている人は意味がわかる人だけに笑いが取れるかもしれない話ですが、とんがりすぎだなと思いましたので、
そういう使い方はしないらしいんですけどね。この話自体がすごいちょっと分析的だなと思わなくもないんですが、この話はよしとして、
AI時代のカウンセリングというタイトルにしてみようと。カウンセリング、相当AIといろんな意味でね、
勝ち合っている感がありますよね。ユキロシさんという、ある意味この界隈ではやや伝説的な人となりつつあるXで、毎日のように1回は聖書から引用。
正確には1日1回じゃないかもしれないんだけど、私はそういう漠然と眺めていて、聖書から引用をして、
AIの話でもヒットして、スーグクガールが有名ですけどね、実に独特のポジション。この界隈ではヒットするんであれば独特であれば独特であるほど私はいいと思いますが、そういう意味ではちょっとね、
本当にこの人実在しているんだろうかって思っちゃうようなタイプの人ですね。
誰とも似ていないし、基本的には全く正しい道を歩んでるって感じがする方ですね。本人は分かんないですよ、ご本人がどう感じていらっしゃるかは。
個人的には全く存じ上げない人なんで、まさにXだけに僕の中では存在するというでもすごい人みたいな、リアルに本が出てくるんだからリアルにいらっしゃるわけですけれども、
私は自分が非常にわけのわからん道をぐねぐねぐねぐね回っているんで、全く対照的だっていうふうに思っておりますけれどもね。
何の真っ当な戦略もない人間が私だとすると、だからご本人は分かりませんよ。
正しい道が常に存在している人みたいな、僕はそもそも道がないんじゃないかっていう疑いすら抱かれそうな人間ですけれども、人それぞれ、生き方もそれぞれなんでしょうがないんですけど、ああだったらいいとは思うんですけれども、どうすればそうなるのかっていうとなんかもう僕の感じではあのレベルまで行くと空中に道があるぐらいな雰囲気になっちゃうわけですよ。
でも、じゃあお前は道を歩いておけばいいじゃんって言われるかもしれないけど、僕は道を歩こうとすると何か具合が悪くなるっていうタイプの人間なんで、道は歩けないっていうね、そういう人間なんで、世の中やっぱりそういう人間もいるんですよね。道は踏み外すものだぐらいな感じのですね。
えーと、なんか何言ってんのかよくわかんないんで、先へ行きますけれども、まあそういう、でも結城さんがAIと生きるみたいな本を書かれていて、まあよく売れていて、昨日も山仙堂でワゴンに乗っかっていて、いいなあ、こうなりたいなあって思ったわけですけれども、まあただ僕は思ってるだけで、自分の本を探す気すらもあんまり疲れすぎていて、したくなっていたという。まあね、重いんですよね、一泊とはいえ荷物がね。
帰りの頃ってもうほんとゲンなりしません。その旅の内容がどうであれ、僕もう帰りに割ってて、体力が多分ついてかない。あと左の太ももの外側付近から腰にかけてがもうね、かなり痛くなってきて、もうゲンなりしてるんですよね。
そうは多分片目から見えないかもしれないんですけど、めちゃくちゃ帰りの新幹線に乗る直前あたりはもうね、あのもう本当にダメだわって感じになっていて、本屋にいるしか他にもうできることはないわけなんですが、その本屋でずっといてですね、まあとにかくこうやってればなんとか持つみたいな、本屋の前にトイレにこもるっていう儀式がある、儀式じゃないですけど、別に好きでやってるわけじゃないんだけど、そういうことになるんですけどね。
まああの、とにかくそんなこんなで帰ってきたわけですが、まあ楽しかったんですよね。楽しかったし、まあいろいろこのところ、Jさんと3日連続で過ごしたりして、2日連続か、思うところは多分にあったんですけれども、まあ大体僕は思うところはやたらあるだけで、ここで喋って大体終わっちゃうみたいなところもありますが、まあAI治療のカウンセリングというタイトルにしたのも思うところもあるわけですよ。
時間管理の罪悪感と精神分析
まあこれはちょっとありきたりでわかりやすいタイトルだとは思うんですけど。で、この、まあAI治療のカウンセリングというタイトルにした話はおいおいゴールデンウィーク中にでもするとして、今日する話はですね、まあJさんと、J松崎さんとね、あの接著についての出版記念イベントで、まあ彼はいい人なんで、あの応援に来てくれてるわけなんですけど、単純にそうなんですけれども、
あの応援に来ていただいて喋ってるのを聞きながら、やっぱりこの人が考えてることって、実はですね、あの、彼は、あのなんていうのかな、ああいう人なんで、人々がね、ちょっと軽く考えるところがあるなと、まあ本人はそれでも全然OKっていうタイプの人なのかなっても思うんですけど、彼はですね、すごいいろんなことを考えてるんですよね。
それがね、あの意外とそれについての説明はなされない人なんで、面白いことにですね、違うことはいっぱいいろいろお話になるんですけど、自分が本当に考えてることについてですね、あのまとまった説明をするって機会は、考えてる量に対しては少し少なめに感じられるんで、わからないところも結構あるんですよ。
例えばあのつい最近いっぱいアップデートされてるんですけど、タスクシュートクラウド2ですね。このタスクシュートクラウド2はどうしてこんなに多機能になっていくんだろうっていう、彼もチラッと言ったんですけど、あれを作るのは実に難しいことなんだっていう話をされていて、なんかパッと見単純な仕組みなもんだから、時系列順にタスクリストが並んでるだけとも言えるんで、すぐ作り出すっていう人が出てくるんだけど、
作ってみると意外といろんなところで引っかかって挫折する。だから中途半端なタスクシュートみたいなツールが所々出てくるっていう話をしていたのは非常にこう実は印象的でして、あれ難しいんですよ。
例えばあの対外の人ってタスクあれだと1日のデイリーリストだから、1日の終わりでタスクリストが終わればいいって思うじゃないですか。でも1日の終わりっていうのは人によって時刻が全然違うんですよね。0時でいいじゃんっていう人はよっぽどものがシンプルに考えられていて、もう絶対に12時前に寝る人なんですよね。
人によっては12時から仕事する人も世の中にいるわけだから、グローバルにこのタスクリストを作ろうとすればするほど実はハマるんですよ。そういう人にとっても今日はここで終わりっていう時刻は来るんで、その時刻がユーザーによって極めて恣意的に決められるにも関わらず、その人にとっては納得のいく時刻にセットできないという場合、タスクシュートにはならないんですよね。
これ一つとってもかなり難しいですよ。人によっては2時で終わる。人によっては4時で終わる。これをどうやってセットするのかっていう。その人が常に4時で終わるんだったら、その人が自分で設定すれば事足りるんですけど、場合によってはその人は5時まで仕事があるし、場合によっては0時前に寝ちゃう。挙動が大きく変わるんですよ、その度に。でもそれじゃツールとしては使い物にならないんで、これを決定するっていうのは実に難しいことなんですよ。
さらにこれを結構今では普通にいらっしゃるけれども、ニューヨークに行って使うときに大きく時差が発生しますね。日付変更線を反対側からまたぎますね。またぐ場合によってはね。そうするとどうなるのかっていうことを考えだすと、もうパニックになっちゃうみたいな方も少なくないんですよね。
このロジックを私が抑えるのにかなり手間暇かかったんで、しかもそれをあらゆる人のユーザーの少なくとも何千人ぐらいのユーザーが無料で使う人を入れると数万人単位になるらしいんですけど、少なくとも1万人を超えるらしいんですけど、のユーザーをみんなが納得できるように作れるかというと私じゃ無理ですね。
これをだからですね、なんかこう自分で作った方が早いみたいな話をされると聞いたときに、ご自分しか使わないんだらそうなのかもしれないけれども、結構そうでもないんだよなっていうのを考えるんですね。
でも私はタスクシュートを人はそれにしても何で使うんだろうって考えたときに唐突にやっぱり精神分析だけで使う用具では決してないですけど、精神分析でおなじみの罪悪感って言葉が一番ぴったりくるなっていうふうにJさんのイベント中の話を聞きながら僕は思ったんですね。
人は時間管理に、ちょっと昨日Xで投稿はしておいたんですが、時間管理について、時間管理についてというよりは時間の使い方についての罪悪感がとってもひどいんですよ。
これは生まれ持ったもののはずがないから完全に教育効果なんだけど、本当に時間の使い方について罪悪感を持ってる。
持たされるんですね。
全ての人がとは言わないまでもそういう思いを持ってる人はたくさんいます。
お金についてもあるんですね。
私はお金と時間については家計事時間簿を楽しくつけるということが何よりだなと。
この楽しいっていうのが何回かタスクシュートの任天堂レーナーさんとの懇親会とかでも出てきたキーワードだなと思ったんですけど、楽しくつけるっていうことができればあれを苦しくつけてる限りはなかなか難しいんですよね。
やってることは何にも変わらないんですよ。
家計簿をつける時間簿をつける。
ただそれを楽しくつけられるかどうかだなと思うんですね。
楽しくつけてればいずれ時間にまつわる罪悪感が消えはしないかもしれないけど激減するんですね。
激減したときの感覚が大事なんですよ。
フロイトですけども、
あなたは今病気で痛ましい状態にありますが、それをありふれた不幸に変えるだけでも多くの力が得られます。
趣旨はそんな感じですね。
そもそも痛ましい不幸、つまりそれは自分だけの不幸、自分に特有の不幸っていうふうに感じられる、そういう現実の体験でありますね。
それは確かに不幸だし、同情されるべきことではあるんだけど、
でも世の中にその不幸は名前もついてるし、極めて一般的なものだと。
つまり普通の不幸だと。
苦しいんだけど普通の不幸でもあると。
そういうふうに、それは簡単なことではないんですけどね。
これを言った相手がドラであるっていうのはまた皮肉なもので、
フロイトはドラの治療には失敗してますから。
こんな名言を残した相手の治療は成功しなかったんで、
治療の成功失敗というものについても、このエピソードは大変感慨させられるエピソードではあるんですが、
メタファーと嘘、そしてサイコパス
ドラはね、お父さんが悪いわけですよ。
お父さん不倫してるし、その不倫をドラに認めさせるために、
ドラには家庭教師と言って男を当てがいい。
それといい仲になりなさい。俺は不倫してるからみたいな、
ただし明治時代だっていうことを忘れちゃいけないんですけど、
フロイトにかかってる人たちの見るとやっぱり時代が違うなって思うんですよね。
昔イギリスの王様が、王脚を治すために足に風はめられて寝るみたいな時代ですよね。
とにかくそういうことがまかり通ってる時代の話なので、
今とは全然常識が違うんですけれども、
こういうことがしかし、当時はありふれてたわけですよね。
ドラはお兄さんたちは別にいいじゃんっていうような感じで、
お父さん不倫してるのはそうなんだけど、
別にだってお母さんがああなんだししょうがないじゃんみたいなそういうんで、
しかもドラはそれに頭では納得してるんですよね。
でも許せないんだっていう話をしていて、
それはお父さんが大好きっていうことと深く関わってるとは思うんですけど、
でもいずれにしてもそんなにめっちゃレアな話だとは人は思わないと思うんですけど、
ドラはそれで病気になるレベルで痛ましい状態にあるわけですよねきっと。
だからこの話って結局それはどっちも正しいんだけど、
これを人々、我々はみんなですね、
お話にされたくないっていう感情を持ってるわけですよね。
最近では回収ってそれを言う。
回収するっていうのはそういう使い方をしてみると、
なんか不思議な言葉の響きを帯びてくるなとは思うんですが、
それは非常によく言われますよね。
で、回収っていった時に私が感じるのはですね、
つまりそれは説明が繰り返されているっていうことなんだろうなと思うんですよね。
で、説明が繰り返されてるってことをそもそも人はなんて嫌うんだろうなと、
私にはその話は何度も聞きましたっていうのはすでに抗議なんだけど、
ただ、例えばですね、ある人が端的に喘息ですと言って、
いや息が苦しいんです。
いやそれはあなたは喘息だからです。
ぜいぜい言うんです。
それは喘息だからです。
呼吸困難で夜眠れません。
それは喘息だからです。
いい加減にしろっていう話になるのかもしれないけど、
でもこれは他のことを言うのはまずいじゃないですか。
嘘になっちゃうから。
だから本当だという信念があるならば、
この説明を揺らがすべきではないですよね。
ところがこれをやると大体の人が腹を立て始めるっていうのを、
つまり我々はですね、海飽きやすい生き物なんですよね、非常に。
すぐに新鮮味を失ったものに対する脱価値化っていうか、
価値の引き下げを始めてしまう。
その説明を繰り返されているということは、
自分の病気は十分説明されていないみたいな気持ちになって、
だからといって、何とか性、何とか発作ですとかっていう方がいいのかっていうと、
大変それは疑わしい感じがするんですよ。
この話、つまり私が思うんですけど、
結局すべてはそれを言うとメタファーでしかないわけですね。
非常に僕はこれはしょうがない。
当然そう聞こえるんだからしょうがないと思うんですけど、
何かというと精神分析が遡るっていうふうに考えられる。
言われがちなんですね。
何かというとお父さんとの関係ですっていう話に回収されるというのか、
いつもその説明じゃんってことになるんだけど、
それはメタファーであるという意味においては、
そもそもいつも何でもメタファーなはずなんですよね。
心的現実ってメタファーですから。
人間というのはそもそも言葉を使っている限りメタファーで、
全部メタファーなんで、
隠優というべきなんですけどね。
直優ではないので、多くの場合。
As if personalityとかっていう言葉も心理臨床にありますけれども、
でもそうは言わないじゃないですか、あんまり。
例えばあなたと、隠優にした方が強いって感じがまず何よりもありますよね。
昔、隠優と直優のことで、
なぜなのか知りませんが、
私中学校で習った時に、
バラのような女と、バラの女でと、
国語の先生がいきなり書き始めて、
結構男子校だったんで、
その先生に対していろんなことをみんなが言うようになったわけですけれども、
そういうのを狙っての授業だったのかもしれませんけど、
バラのような女に比べれば、バラの女の方が強いんですよね。
普通に考えた場合は。
その方が陳腐になるという話もなくはないんですけど、
同じで、あなたとその人の関係は、
まるで父親と息子のようですっていうのと、
あなたとその人の関係は、
父と息子なんですっていう時、
どっちも比喩に決まってるんですけど、父と息子じゃない場合は、
どっちも比喩なんですけど、の、ような、
っていうのをつけない方が強めな感じがして、
で、基本的に精神分析の世界ってのは、
これだなって感じなんですよね。
隠喩の世界のようなを外すんですよね。
のようなのに決まってるんだけど、
のようなになってなくても、
母子関係ですって感じにしちゃうわけですよ。
しちゃうっていうのか、言っちゃうっていうのかな。
で、私はこれはですね、でも、
それでも比喩なのかなっていう、だからこの、
どの程度この比喩っていうことを言うならば、
比喩を信じるかということだなというのを、
これも名古屋のイベント中に、
いつも考えてるんですよね。メタファーなんだよな、結局。
だけどメタファーだということによって、
人が直ったり怒ったりするっていうのは、
やっぱり人間っていうのはすごく言葉の力というものに左右される。
良くも悪くもっていうようなことを思ってたら、
ボラスの本にいきなりメタファーっていう言葉がボーンと出てきて、
なんかボラスって人はですね、
やっぱり上手いところつくんですよね。
そして彼はやっぱり抜き差しならない話を持ってくるのが上手いんですよ。
しかも現代的で。彼はサイコパス持ってくるんですね、ここにね。
なるほどなって思ったんですよ。
私やっぱりそういう感性が、
ボラスはすごいなって思うんですよね。
サイコパスかっていう、
サイコパスな人たちって、
ある意味どのくらい筋金入りの人がいるのか知りませんが、
謎じゃないですか。
彼らはメタファーを頭から信じ込ませる才能に、
頭抜けて能力が高いわけですよね。
でもそれは、
要は打ってみれば嘘なわけですよね。
サイコパスと精神分析っていうのは、
私はいつもあんまり考えたくないテーマの一つだと思ってたんですよね。
ある意味、精神分析もよくそうなんだけど、
エビデンスがないとか、あるわけがないわけですよ。
だってそれは母子関係を象徴してますとか、
まるでその人との関係はお母さんとの関係ですとか、
これは直言ですけど、
あなたがその人を見ているときは母親を見ているんです。
これがメタファーですけれども、
こういうのって、証拠を出せとか言われても困る。
まさにサイコパスなんですよ。
サイコパスの人は証拠とか絶対出せないわけですよ。
嘘つきなんだから。
筋金入りの嘘つきってやつじゃないですか。
ドーラの話とかに例えば行くと、
ドーラは要するに病気でもないのに病気になるわけですよ。
筋金入りですよね。
病気でもないのに病気になる。
つまりそれは怪病と一般には言われるんだけど、
当時はそういうフロイトは方法論で、精神分析じゃなかったから、
直接的なんですよね、すごく言うことが。
あなたそういうことをやっていると怪病が治らなくなるよっていう。
でもこの怪病が治らなくなるってどういう意味やねんって感じじゃないですか。
怪病はもともと病気じゃないんだから、
怪病が治らなくなるとは何なんだと。
自分で自分を騙すってことなんだけど、
つまりそれがいわば狂気とは言わないまでも、
狂気を書いていると。
ただですね、自分のメリットのために、
ありもしないことをデッチ上げて、
しかもそれは仲間喋ってる本人も信じ込み始めるなどということは、
我々人間にとっては極めてありきたりなことですよね。
ここにありふれた不幸って話が出てくると思うんだけど、
極めてありきたりなことですよね。
サイコパスの嘘と現実認識
全然驚くようなことじゃないですよね。
子供は学校をサボりたくて嘘つきますが、
勉強をサボりたくて嘘つきますが、
そのうち半分以上信じてるんじゃないかなこいつっていう話、
なくもないですよね。話の上手い子だと。
ボラストは本当か嘘か、
それこそ本当か嘘かわかりませんが、
会社に遅刻した時に上司に言い訳をする人と
する人の話を冒頭でボンと出てくるわけですよね、
サイコパスの。どういう嘘かというと、
極めてダメな嘘だと言ってる人は言うんですよ。
まるで何かかすかの小説を劣化させたような嘘なのに、
上司は頭から信じ込んだと。
こいつはおめでたい奴なんだけど、問題は私はこれで
遅刻を叱責されることから完璧に逃れられたんだと。
遅刻を叱責されることから完璧に逃れられたんだと。
このメリットの大きさを思うと、
やっぱりこういう嘘は自分としては手放せなくなるよねって言う。
やっぱりこういう嘘は自分としては手放せなくなるよねって言う。
ボラストは問うわけですよ。これは狂気なのかと。
狂気だとするとどうして狂気なのかと。
やってることは現実に適応するための行為だし、
極めてよく現実的にできているある意味ではね。
だけど危うい感じは少なくとも精神分析家ですからね、ボラストはね。
だけど危うい感じは少なくとも精神分析家ですからね、ボラストはね。
当然しますよね。
しかも嘘もなぜそれを信じられるんだっていうような
逮捕されてしまいましたと。
不当逮捕でしたと。でもいい刑事が出てきて
助けてくれました。だから会社に就職したんです。
これだけ聞くと本当にそれ信じたのかなって感じがするような
でっち上げですよね。しかもこのでっち上げを
なんでそんなに込み入った嘘をついたのかは自分でもよくわかんない
っていう風にこの患者さんは言っていて
この辺にやっぱりちょっと狂気感は少し漂ってきますよね。
だって信じてもらえなさそうな嘘じゃないですか、ある意味。
だって信じてもらえなさそうな嘘じゃないですか、ある意味。
その人は奥さんと喧嘩したから遅刻したんですけど
この辺にこの人のまた独特の感性が現れてますよね。
この辺にこの人のまた独特の感性が現れてますよね。
このサイコパスの人は人がいいんですよ。
だから奥さんの機嫌を損ねて申し訳ないなと思っちゃったりするもんだから
会社に夫婦喧嘩ぐらいで大幅に遅刻をするわけですよ。
そんな大幅な偽装、大幅な嘘をつかなきゃなんなくなる。
でもこのような嘘をシャーシャーとつくほど
両親が全くないようでいて
奥さんと喧嘩したことに対する西悪感は極めて強いわけですよね。
聞く人によってはバランスが欠いてるように聞こえると思うんだけれども
そういう話なんです。
でもこれ完全にさっきのメタファーの話にぐっと寄っているわけですね。
でもこれ完全にさっきのメタファーの話にぐっと寄っているわけですね。
少なくとも症例通霊の話は連想してもおかしくはないですよね。
けびょうとは違いますけれども
要は虚言を信じれば信じるほど
フロイト流に言うと
あなたその虚言から出てこられなくなるよっていう
虚言から出てこられなくなるってことは
要するに中場狂気の世界にすぐってことじゃないですか
自分の想像した世界のことを
現実だと思い込むわけだから
つまり夢と現実の区別がつかなくなったら
あるいは妄想と現実の区別がつかなくなったら
我々はそれを狂気の水準とは呼ばないと
出席が怖いとか奥さんとの喧嘩が怖いっていうのを
やっぱり精神分析では
これは回収とされるのかもしれないけれども
ありがちなメタファーを使いますよね
母子関係だと
これを遡ると
時系列的にはそれは遡るなのかもしれないけど
私はこれは遡るじゃないと思うんですよね
だってその例えば
刑事に不当
駐車違反ごときで牢屋にぶち込まれました
不当逮捕に遭いましたっていうのは
これは嘘をついてるだけなんで
時系列的に何か遡ってるわけじゃないですよね
その人の記憶をたたってるわけじゃないわけですよ
つまりある意味ラテラルなわけですよ
平行移動してるにすぎない
私はそれは母子関係であれ
効果対象関係論だと思うんですが
母子関係であれ父子関係であれ
非言語水準であれ
私はその人はただ
ラテラルに移動しちゃってるだけだと思うんですよね
今も持ってる母子関係の記憶というか
メタファーを使ってこの関係を見ている
この関係にだぶらせている
この関係をあたかも何々のようなものだと捉えている
私はこの説明をしたからといって
ありきたりの説明にして
なんとか丸め込もうという話をしているわけではないように思うんです
むしろ逆なんじゃないかと
この人にとってはそっちの方がリアリティがあって
良い実感をもたらすものだから
そっちの説明を使っちゃうんではないかっていうか
そっちの関係でこの関係を捉えてしまうのではないかと
我々は結局人間関係というのを
白紙の状態では結べませんから
何かしらここの人間関係に
何かを見ちゃうわけですよね
これを何関係に置き換えてみようと
置き換えるわけじゃないんですよね
やっぱりそのたとえるんですよね
この関係をなんとか関係にたとえるんですよね
そしてしばしばそのたとえば
現実以上に現実的なんですよ
本人にとってはですよね
現実以上に現実的な関係に
なぞらえられているものが
なぞらえられているんだっていう
指摘によって
その現実の価値が下がっていくわけでは
決してないような気がする
いつも私たちはやっぱり
そういうことをしなければ
世界を歩んでいくことができないんで
全ての交差点は
異なる交差点だけど
やっぱりそれは
この赤と青と黄の
そして横断歩道があって
例えば十字になっていたり
T字になっていたりする
全ての交差点を
ある交差点という
メタパワーでたとえることによって
そこをくぐり抜けてくることが
できるわけではないですか
リアルを見ていないから
それを交差点という言葉に
回収しているわけではないんですよね
決して
むしろ交差点をくぐるんですよね
私たちは
メタパワーを生きないわけに
いかない生き物といいますか
やることが複雑回帰なんで
だから他の動物は
殺されちゃうわけですよ
ぶつかって死んじゃったりするわけですよ
あれをアニマルキルって言ったり
ロードキルか
ロードキルって言ったりするということを
昨日テレビ番組で知ったんですけど
でも動物にとっては
道路は全て違うんで
まさに近く対象でしかないので
メタパワーとかを決して使うことはないんで
ここを横断しているとか
横切っているというつもりはないわけですよね
まさに現実なんで彼らにとっては
我々はそういうものの見方が
メタファーの世界と人間の認識
できないわけだと思うんですよね
私はできないと思うんですよ
我々はメインに
ムールグラスつけているみたいなものであって
物を見た瞬間に
そのものの概念も一緒に飛び込んでくるぐらいな
例えば目の前にある
四角くて正方形の形をしていて
ちょっとよくわからない模様の入っている
押せそうなところ
これをボタンって
ボタンを見ちゃうんですよ
私たちは
どうしてもこれを
物そのものだというふうに認識するのは
私は全くできないとは言わないけど
それこそ電子音楽でいうところの
エポケーをしなきゃなんだ
エポケーしなきゃなんないというのは
例えばこれはボタンだという概念を
括弧に入れるってやつだけど
括弧に入れるってことは
すでにボタンだと思ってるから
括弧に入れるんだって
だから逆しかできない気がするんですよ
これが何であるかの意味を取り払ってみるっていうのは
あえてそういう努力をしないと
そんな努力を4,6時中やってられないんで
しかも数字とか見た瞬間に
もう概念しか入ってこないじゃないですか
これは白い何かこうぐにゃっとした
あるいは大型のものでとか
言わないじゃないですか
やっぱり2,0っていうふうに
言っちゃうじゃないですか
その瞬間にアウトっていうか
概念見てますよね
2,0ってなったら
他の2,0と全く同じものだと思っちゃうじゃないですか
思っちゃうと思うんですよね私はね
だから
だってここに例えば3022って書いてある
これは今経過してる時刻なんだけど
30分22秒ってことなんですけど
だったらちっともおかしくないと思うんですが
これとそっくりの表記で
3031日って書いてあったら
めっちゃ奇妙に見えますよね
30月ってないから
31日はあるけど
だからこれを日付だと思ってないっていうこと
あっという間に人間はできてしまうし
子供でもそうするんで
3031って書いてあったら
それは時刻かなんかじゃないとダメなんですよね
間にこの小さな点々が入ってるか
入っていないかによって
例えばこれが金額になるのか
時刻になるのかが
一瞬で決まるじゃないですか
っていうか一瞬以下で決まるじゃないですか
取り払って考えるっていうのは
極めて無理があると
人間にとっては思うんですよ
だから我々はもう
メタバーの中を生きていくしかないのに
そのメタバーが何かに置き換えられたからといって
そのものの価値が下がるわけではないように
思うんですよね
っていうような感じの含みが
精神分析の世界にはあるなって思うんですよ
というかあるんですよきっと
メタバーに何か遡って
それに例えているのではないというか
我々自身がもう
常日頃から
あからさまにやっていることを
あえて指摘していっているに過ぎなくて
解釈とはそれに近いんじゃないかなと
サイコパスの人が
自分のあからさまな作り話を
全然作り話だと思ってないようにですね
で聞いてる人も
タスクシュートの機能と時間に関する罪悪感
それを信じてしまうようにですね
信じるから
それを疾病利得とかいう風になるのかもしれないけど
でもそのやっぱりボラスは
さすがに精神分析家だけあって
サイコパスが
表紙もない嘘ついてるよねとは
考えないわけですよね
あえてサイコパスの
だからここがサイコパスと精神分析って私
相性がめちゃくちゃ良すぎて
むしろとても悪いなって思うんですけども
なんていうのかな
普通の人はそうは言っても
メタファーをメタファーに留めておきたいっていう
ニュアンスがあるのに
この種のサイコパスの人って
逆を言っちゃう感じがすらあるので
ある意味マゾキスティックなものと似たような
独特の倒作感を感じるんですけれども
つまりですね
逮捕後期にされました不当ですっていうのは
やっぱりその不当感を
夫婦喧嘩に持っているのではなかろうか
みたいなことをボラスは
ちらっと書くんですよね
その辺は精神分析家らしいものの見方ですよね
そして見切れな刑事が
登場してきて謝りました
夢の解釈してるみたいなんだけど
夢じゃなくて嘘の解釈をしてるんで
だから意味はあるわけですよ全部
分析家は物事を偶然に
人は空想しないっていう
多分前提を持ってるんで
見切れな刑事は多分私なんだろうみたいな
この理不尽な状況から
解放してくれるのが
その刑事なんじゃないかと
つまり何が言いたいかというと
不当拘禁である
駐車違反でね
牢屋に入れられなくなって不当拘禁ですからね
でこの不当というのは
無実駐車違反なんだから
無実とはまでは言えないが
事実上無実に限りなく近いと
これは奥さんに抗議してるんだろうと
そういうことなんですよね
だからなんていうのかな
そしてこれやっぱり
会社に遅刻するのも
無実に近いって言いたいわけですよね
でもそれは大変
ナルシスティックなところもありますよね
無実じゃねえだろって感じが
そもそもあるし
全てを勝手に自分の側の
物の見方に引き寄せてますよね
不当であると
不当なのかもしれないですよ
確かに
でもなんかこう
そんなに大幅に遅刻をしておいて
真っ赤かな嘘によって
上司の道場まで買っちゃっていて
で上司はおめでたいやつだと思っていて
なんか物の見方に
現実に適応してないわけじゃないんだけど
非常にその人にとって
現実を都合よく歪めたい
という願望はやっぱり
無実に感じられる感じの話ではありますよね
ただどれが狂気かっていうと
大変難しいような気がするんです
いけシャーシャーと嘘をつきすぎるから
狂気であるみたいなニュアンスが
サイコパスの話にはつきまとうんですけど
そのような定義はできないと思うんですよ
だって我々だって
シャーシャーと嘘をつくことあるじゃないですか
自分がどうしてもそれが必要だと思った時は
つくじゃないですか
なのに自分がつく時は
やむを得ないどうしようもなかったんだといって
サイコパスの人の場合は
あれはおかしいだろうつきすぎだろうっていうのは
非常にそれはそれで
ナルシシスティックな診断だなって
感じもしなくはないんですよ
非常に勝手な線引きが感じられますよね
私は少し感じますね
でもやっぱりその込み入りすぎた嘘を
白心の演技でできるっていうのは
何か不健全なものを感じるといえば感じる気はします
そういう話をされてみればね
目の前で
何かこう
なぜそんなことをしてしまうんだろうっていう感じは
別に普通に奥さんとめちゃくちゃ喧嘩したからって言ったら
それはそれで通りそうなもんだし
その人自身も言ってるんですよ
車がパンクしたと言ってもいいのに
なぜあんな警察に捕まったとか
後でバレたら結構厄介じゃないですか
それは嘘なんじゃんってバレた場合には
会社でも問題になりそうじゃないですか
むしろ帰って
そういう変なリスクを犯してもいるよね
っていうことまであわせて考えてみると
結構微妙なわけですよ
でもやっぱりそれは考えてみると
我々の得意とする
メタファーな人生というものを
要するに何々のようなをつけてみろっていうのが
ボラスの
なかなかやっぱり彼はうまいこと言うんですよね
こういうところがやっぱり人気のある
ゆえんだなと思うんですけど
不当逮捕されたかのような
気持ちになっているのではないかっていう風に考えてみると
途端に一気に精神力動的な雰囲気を帯びてくるんですよ
この話だけだと本当に夢解釈みたいで
夢解釈って私
なんでみんな精神分析かっていうのは
金魚の意味しているものはもちろん何とかであるとか
平気でもちろん言わないと
全然もちろんじゃねえだろって思うんですけどね
フロイトの夢判断でもいつもそうなんですよね
もちろんこれはペニスである
いや全然ペニスだと思わなかったけど
っていう感じがするんですが
だから私夢の話を聞いているとき
意味全くわからんなあっていう感じを
毎度毎度申し訳ないというか
これ訓練してないからなのかと
もっと前は素朴に思ってたんだけど
そんなはずないなあって思うようになりました
訓練も何も訓練しようと何しようと
わかんないですよ夢というのはやっぱり
言語水準で練り上げられたものじゃなさすぎるんで
なんでもかんでも連想である意味
こうこねくり回せる世界なんだと思うんですよね
夢の世界って
基本右脳中心の世界だと思うんですけど
イメージ中心の世界なんで
すんごいわかりにくいです
イメージってもういっぱい
例えば赤色とかになってしまったら
リンゴから始まって血液とかサイレンとかも
ありとあらゆるものがそこに詰まってるわけじゃないですか
赤は何々を意味する
確かにそれも意味はするけれども
そうじゃなくてもいいじゃんって感じがやっぱ
するわけですよね
コンテクストを与えないと
全然わかんない話で
そのコンテクストがまさに与えられてないのが
夢なんで
この嘘ってのはコンテクストはっきり与えられてるわけですよね
何のための嘘なのか
とても明快になってる
だからコンテクストに照らし合わせると
いかにも作り話っぽくなるわけですよ
聞かされてる方は
必ずしもそうは思わないかもしれないんで
人がいいっちゃ人がいいんですけど
だってこのサイコパスの人がついてる嘘なんて
会社に送れてきた言い訳がしたいだけですよね
って思ったら
この種の話は全面的にコンテクストに乗っかってて
もう見え見えなわけですよ
刑事は解放するに決まってますよね
だってその人そこに来てるんだから
解放されてなければ来れてないわけですからね
という事態からしても
全く意味がないわけですよね
意味がないといえば
だけれども
考えてみると私たちの世界ってのは
全くこういうふうにできてますから
全くメタファーが機能するように
機能しないと困りますからね
やっぱり機能するように
機能するように作られているので
難しいなっていう風に思うわけです
だから今の話分かります?
分かって欲しいんですけども
要するに時刻とは罪悪感を生むわけですよ
こう繋がってるんですよ
私の言い方は無様かもしれませんが
タスクシュートは
時刻に関する罪悪感から
解放はされないまでも軽減はするんですよ
やっぱり普通ここが大事だと思うんですよね
健全な人は嘘つきまくりの人生は
避けたいと恐らく思うと思うんですね
それはなぜなのかを考えると
難しいんですけど結構
でもやっぱり常に偽装偽装偽装で
なんかバレたら困ったような嘘を
大量につきまくっていくっていうのは
多くの人は避けたいと思うんですよ
なんで嘘つくのかというと
サイコパスの人ですら
時間に関する罪悪感を持ってるからなんだと
やっぱ思うんですよね
言い訳じゃないですか
突き詰めて言えば
どれほど練り込まれて編み込まれて
コリニコって言おうと
カフカの小説みたいであろうと
言い訳であることに違いはないわけで
エクスキューズするということは
やっぱり何か罪悪感を持ってるということであって
持ってる持ってないで困りますけど
持ってるわけですよ
でその罪悪感というのは
遅刻とか時刻とかに
まつわることがすごく多いんですよね
間に合わない
仕事が滞っている
時間の使い方がなってないとか
だらしないとか
もっと時間はあったはずだ
前からやっておけばよかったんだ
これらのことを激減してくれるんですね
タスクシュートというツールはという伏線
タスクシュートというツールはなぜかというと
時間に関するほぼありとあらゆる
機能を持っているからなんですよ
プランニングしっかりですし
記録しっかりですし
ルーティンしっかりですし
今ではサブタスク
それもルーティンと同期する同期しないのサブタスク
しかもジェイマンスザキさん病をつけてくれたんで
この病ってわかります?
例えば昼食前に薬を飲みなさいと
難しい指示だと思うんですね
昼食前にこの薬は飲んでください
昼食前っていうのは
昼食の前だから朝食の前でもいいよね
ではないですよね
昼食の直前ですよね
つまりタスクで表すならば
この服役というタスクは
必ず昼食というタスクとセットで表れなければいけません
これ難しいんですよ
やろうと思うと機械的にやろうと思うと
リマインドかければいいじゃんっていう人は
絶対にその人が12時ジャストに食事取るならいいですよ
11時59分にしとけば
だけど日によっては1時ですとかいう場合
薬の時刻はいつに置けばいいんだよって話が
必ずいずれやってくるんですよ
日によっては11時台に昼食取っちゃいますみたいな人は
11時59分になった時にアウトなんですよ
昼食後になってる
まあいいかもしれないそんなのは
ただ昼食前に取るというのは
思い出すしかないってことなんですね
病って何を言ってるかというと
11時59分とか58分という時刻通りに
食事取らないんで
食事を取るというのをタスクシュートでは
時刻で表すことができるんです
言ってる意味がわかんないかもしれませんが
12時っていうふうにタイムラインで置いとけば
そのタスクが11時59分のタスクよりは
後ろに現れ
12時1分のタスクよりは前に現れるんですよ
何時であっても
これがタスクシュートの難しいところなんですよ
本来の時刻とは
順番としての時刻っていうのを別に持ってるんです
あのツールでは
あんまりこの辺詳しく喋っても
興味のない人はすぐに悪病を出すんで
喋んないんですけど滅多に
この本来持ってる時刻と
違う実際に行うリアルの時刻と
そのタスクが特有に持ってる固有の時刻というのを
別々に扱うことができるし
またそれを明示的に扱ってるんですよ
だから今日の25時にやったタスクといったような概念を
扱えるんですよ
この辺のことを
こういうツールだったら
ちょっとExcelで自作すればいいじゃんって言ってる人は
考えてないんですよおそらく全然
もちろん考えなくてもいいっちゃいいんですけれども
これをあらゆる人に適用するってのは
実に難しいことなんですよ
普通薬は食後に飲みますからね
それだって我々は忘れるんですけどね
食後なら大体の場合なんとかなるじゃないですか
食後というのは
食事を取っちゃったらアウトみたいな時刻はないんでね
ただ夕食取っちゃったらアウトですけどね
そういう意味でこの病っていう
ジェイ・松崎さんがつけたのは
すごくいろんな意味があるんですね
だけれども
これはどういうわけかそういうのに対して
こと細かに説明せずに
次から次へとこういう
かなり考え込まれてるんだな
この機能はっていうのが
割とラッシュのようにアップデートしてきているんで
多分そんな機能いるみたいに思っちゃう人も
使わない人はいると思うんでしょうけれども
例えば年を取ってきたり
何らかの病気にかかって薬が何十種類
そういう人いますからね
十何種類とかになってくると
この機能は実は非常に重要な機能なんだってことが
ある日突然わかるときがやってきます
それは減薬についてやっぱりかなり幅広く
かなり緻密に考えられているからできることで
結構あれをやれと言われても
私は全然無理だなっていう
他の機能とのバッティングしないように
追加していかなきゃならないですから
すごい面倒くさいことだろうというふうに思うんですよ
ついでに言いますと
彼はサブタスクを今時系列の上に
これできるツールって他に一つもないと思うんですけど
そもそもプロジェクト管理ツールで
ルーティンというタスクに同期するタスクと
同期しないサブタスクを両方持つことができ
さらにそれを進捗が測れるサブタスクと
測らなくていいチェックリストと分けて扱える
つまり最低でも2×2の4通りを
一つのルーティンタスクの下に置くことができる
というツールって私は一つも知らないんですけど
他にもちろんプロジェクト管理ツールで
この概念を持っているという
それだって相当好機能と謳われますからね普通
これはタスクシュートクラウド2においては
そのまた1機能ぐらいにしか過ぎないんですけど
最低これで1ルーティンタスクに対して
4種類のサブタスクを持つことができて
しかもそのルーティンの頻度を
恣意的に変更できるんですよ
これって私ほぼないんじゃないかって思います
これだけの機能を追加しておいても
割と説明はさらっとしてるんですよ
これは相当いろんなこと考えられてるはずなんですよ
背景にはね
これとさっきの行を組み合わせると
どのタスクとどのタスクが必ず連続して現れて
そのタスクには4種類のサブタスクのうちの
どれかを選択することがあるいは
それを組み合わせて使うっていうことも
可能になっているんですよ
やっぱりこれは何のためにそんなものが
それはもちろん時間管理プロジェクト管理のため
と言えばそうなんだけどというよりも
これやっぱり私が思うにですね
人は時間に関するプロジェクトというものを
結局は時刻時間に関するあるいは期間に関する
強い罪悪感というもの
このペースで言っては間に合わないんではないか
これを間に合わせられないぐらいだったら
私はもう社会人資格だとか
一歩間違うと生きているに値しないとか
っていうふうに思い悩み始める方
いらっしゃるわけですよ
でこれをつぶさにつぶさにですよ
正直につけていくと
一つのことが明らかになるんですね
大筋これよりそんなにマシなことはできない
それは能力とか
自分の生きている価値ということと
生きている価値なんかとは
特にここも全く関係がない
これは家計簿だったらまだしもなんですよね
こんなにお金を浪費する自分は価値がない
っていうふうにざっくりとだったら思うんだけど
家計簿というものを念入りにつけていくと
これだけ物価が上昇している中で
絶対にこれらの
例えばトイレットペーパーとか外せないだろうと
いくらかの節約はそれはできますよ
でもほぼ全く外せないだろうと
だからこの消費金額に対して
例えば0.8%の節約とかなら可能かもしれないけど
つまり罪悪感を持つべき理由って
その程度なんだっていうこと
時間は実はもっとずっと少ないんですよ
その1万倍ぐらいの罪悪感を
罪悪感に対して倍率は何の意味もないですけど
抱えているというか
背負い込み価値なのが自分らで
これを払拭するというだけで
フルエットじゃないですけど
多くのものが手に入るんですよ
どうもありがとうございました
48:49

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