1. ライフハック時代の精神分析
  2. 子供はなぜ遊ぶのかとなぜ思う..
2026-03-04 41:54

子供はなぜ遊ぶのかとなぜ思うのか?【1326】

かつては子供で遊んでいた大人の疑問。
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おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1326回をお送りします。 3月4日水曜日7時55分です。
いやー、天気が良くなって良かったです。風が強くて寒いんですけどね。 珍しくというか久しぶりにお知らせがあります。
まず3月の12日って言うとつまり1週間後ぐらいなんですがからですね このこのではないですが3ヶ月チャレンジの
3ヶ月チャレンジのみならずですねワンオンセッションお試し4回セットを復活させます。 今回から3万円に値上げさせていただきまして税別です。
だから3万3千円で4回ということになります。 ちょっとねお値段が1回あたり7500円というのはどうかなと思うんですけれども
そもそも4回でおしまいにしたいわけではないんでお試しですから この3万円はですね例によって3ヶ月チャレンジご参加いただく場合には
その分に重当させていただけますので つまりどういうことかというと7万5千円なんですけど3ヶ月チャレンジは3万円押し払って
いただいてあればですね 差額の4万5千円で3ヶ月チャレンジ第14期にご参加いただけるということにします
つまり4回分はまあ 気に入ったらですけどね3ヶ月チャレンジにご参加いただけるのであれば
まるまる無料になるという一応形になりますので まあよろしければこれはこの4回を重当できるのは14期に限るということに
させてもらおうと思っております なんか4回やったから16期あるのかどうかってそもそもわかんないんで14期は
絶対あるので あのとりあえずもう
毎期毎期次の期のことだけまず集中しようと これは単に気持ちの問題ってやつですけどとりあえずまずそういうことにしようと
結局ね何が起きるかなんてわからないわけですからね あの極端な死んじゃうかもしれないしみたいなそういうことも
まあこれは余計なこと言うものではないんですけれどもその他に何かこう 何しろ世の中不穏ですから何がやっぱり起きるかわかりませんので一応第14期は絶対
頑張るぞっていうふうに考えておこうと どうせ僕は先の見通しなんか立てない人間なんであまりこうまともな計画は明日以降の
計画は事実上どうなるかわからんっていう あの
スタンスで生きておりますから 今日明日は何とか保証します頑張りますみたいな感じではあるんですけど
まあそうは言ってもですね 普通の世の中ではもう少し先のスパンというものを見通しているようなので3ヶ月チャレンジ
ぐらいは無効3ヶ月が人間の限界でしょうというふうに思っておりますので 第14期はやりますから第12日から
03:07
復活させますまあこの復活はもっとシンプルな理由がありまして 100日チャレンジが3月11日をもって第12日が終わりになります
そのために100日チャレンジ1on1セッションは ご参加いただいたすべての方に1回は提供しておりましたけれども
そちらがなくなるのでその枠がですね 予約枠が必要なくなるのでまた3チャレの予約枠を復活させましたと
そういうことです でいずれにしてもですね4回お試しセッション3万円だけど
1回まず無料で受けていただけます だから1回無料で受けていただいてその他に4回
受けていただくことができて しかもそれを14期に充当することができます
だから5回 まあそのセッションの回数をたくさん取れば
そもそもそれがお得だぜっていうことにはならないんですけれども 私はそうは思わないんですけど
私と話すんですからね結局 それがそんなに何かのサプリみたいにいきなり聞き始めるかどうかは
こればっかりはもうあの人肩を人肩だと思うので あとですね
ウェブサイトをちょいちょいご覧になっていただいている方にはわかるんですが ちょいちょい書き換えていて相性という言葉をなくしました
外しました まあ全部消えてるかわかんないですけどね
相性じゃないなって最近思うようになったんで 相性とかいう言葉はとても私の方の責任感が希薄してたなと思うんですよね
薄かったなと 相性で片付ける問題ではこれは全くない
相性いいからできましたでは もはや何も考えなくてもいいみたいじゃないですか
そんなことは別にないんだというふうに思ったんですよ なのでこれは相性の問題ではないと
相性だけだったら長く続いた人相性いいってことにもなるでしょうし 短く終わった人相性が悪かったってことにもなるんでしょうけど
そんなことは別にないような気がするし そもそも相性が良くても悪くても
やっぱりコンテインっていうことを考えなきゃいけないし そもそも相性といったものは
めちゃくちゃマクロだよなと もっと遥かにミクロなことをやっていて
相性のことなんて全然考えもしてないということに気づいたので 相性という言葉を取っ払いまして
やっぱり続ける気になれるかってことですね 私と喋ってて
やっぱり提供者側の問題じゃこれは全くないんで 相性という話じゃないなと
やっぱりこう 要は試していただくのはあくまでも利用者さんの側であって
私の方はどうこうないんですよ 私は提供できるだけのものは提供してみて
どうでしょうかっていうことなんですよね それだけのことだなというふうに思います
ガソリンスタンドにガソリン入れるようなものだとちょっと違うけど 相性とかないじゃないですか
06:00
ちょっとエネオスの油は相性がいいよだとか 多分そういうことを感じちゃう人もいらっしゃると思うんですけど
多分それは気のせいなんでそんなはずないじゃないですか だからあの相性ではないだろうと
貝のマークで入れると車の走りがいい感じするとかね そういうことはないと思うんですよね
だけどリッターいくらですとかいうのは これは相性で決めるもんではないと思うんで
そういうことで決めていただければいいかなと思います
初回無料です 4回お試しできます 14期にご参加いただけなければ
3万円はお支払いいただくことになりますけれども それだって1回7500円っていうのは
崩壊に高いわけでは決してないです 一般的に言ってカウンセリングっていうものや
コーチングっていうものの値段考えてみて 1回1時間前後
1時間前後 59分30秒でしたとかそういうことを言わなくていい
だいたい1時間を7500円というのは決して その30秒多くやればすごい良いことが起きるとか
本当絶対ないんでそういうことではないんですね だからそういうふうに思ってください
もう一つお知らせがあります珍しく 書庫脱稿できたんでフォレスト出版さんというところの
本を黄色い本になると思います あの表紙のまま行けばあの表紙のまま行くよなと思うんですよね
黄色い本になります 本が出ます ただ正確には何月何日に出ますとは言えないんで
多分3月末か4月の頭なんじゃないかというふうにもうそこまで来てます 2校目を今朝受け取ったんでね
だから2校で終わりなんで最近は そういうわけで
お買い求めいただけるととても嬉しいと この件についてはですねこの本をお買い上げいただいた方には
さらに3回お試しセッションの金額下げるとかなんか考えようかなというふうに思ってますが
どうやって本買っていただいたことを示していただくのか 画面でかざしていただければいいかなと思ってますけどね
そんな感じです ということで7分も喋っちゃったんで本題に入りますと
今日はですね今日はというか最近急にこう ミニコットの本を読みまして読んだっていうか
パラパラっと読んだって感じなんですけど あの子供はなぜ遊ぶのっていうタイトルの方があって考えてみるとこの本の
タイトルってすごいいいなとやっぱりいいことってそういう良さがあるなっていうのに 突然気づいたんですよ
子供はなぜ遊ぶのって問いは一体誰が走ってるのかと 子供じゃないですよね常識的に考えると
まあミニコット博士がお答えしますみたい なんかね変にウィニコットの本って不思議な感じなんですよ
なんかこう専門家の書いているきちんとした その先進分析の本って感じがしないですよね
ふわっとしてるんですよねあの人のやっぱり パーソナリティーがそういうものがあるんでしょうね
あれが多分好き嫌いを分けるんじゃないかと 多分すごい好きになる ウィニコッティアンとか言うんでね
09:01
ワグネリアンじゃないんだなって思うんだけど そういう風にウィニコットってやっぱりこう
ビオニアンって言わないんですよね クライニアンっていうのはちょいちょい言うけどね
あのそういうことなんですよね すごい個性的なところがやっぱあると思います
まあ先進分析科外して個性的ですけどね ユングとかフロイドとかね個性的ですが
いやウィニコットっていうのはそういうこう そしてこれは藤山直樹さんが酷い誤解だみたいな風に書いてるんですけど
あの古風土と似てるってされることがあって なんかわかる気がするんですよね
雰囲気が古風土とは真逆だみたいなことを どっかで藤山先生が書いてたんだと思うんですけど
真逆なんだなっていうのは読んでなるほどと思ったんですけど そういえば古風土って僕はもう全然意識してなかったんですけどね
古風土って確かにそういう感じするわっていうのがありました
僕は古風土は和田英樹さんの読んでよくわからなかったんで すぐ諦めちゃったんですけど
まああの自我心理学派の人たちで外して僕はね あの感覚的に相性が良くないですよね
アンナフロイドは一番好きな方ですけど エリック・エリクソンとかどうも苦手で
やっぱりこういう第一段階っていう なんかあのね
始終にして不悪みたいな話って僕は大体好かないんですよ 嘘だっていう感じがしちゃうんで
まああのね 門田弘光が始終にしてホームラインをいっぱい打って不悪だみたいなこと言って
ああいうのは好きなんだけど 大体僕はこう始終にして自重とかね
そういうなんだっけそうじゃなかったな なんかこうノリを超えないやつですよね
なんかねなんで始終だったらノリを超えないんだって ノリ超えてる始終はいっぱいいるぞって思うんで
吉野親父とか いいんですけど
そういうようなことでですね
グレードが一つずつ上がっていくというのは ロールプレイングゲームだけにしておいて欲しいと思うんですね
だってグレードはどんどん年を減るに従って 下がっていくような感じもあるわけじゃないですか
だからなんで上がっていくっていう どっから来るんだそれはって
上がる努力をしろってことだと思うんだけど そのような努力は断じてしたくない人間なんで
やっぱり好きになれないわけですね
子供はなぜ遊ぶのかと なぜ大人は問うのかってことだと思うんですね
僕はあのタイトルは 子供はなぜ遊ぶのと
どうしてあなたは疑問に思っちゃうんですか
だってあんた子供だった時遊んだでしょっていうことを 案に言ってる気がするんですよ
子供はなぜ遊ぶのかがわからないということは
なぜあなたに起きてしまったんでしょうかと 言ってるように聞こえるんですよ
あの本は それこそ深読みしすぎなのかもしれないけど
深読みさせてるんですよね あの人って だからこういう読み方をしちゃうわけですね
子供はなぜ遊ぶのかというのはですね
12:00
そもそも子供は遊べるのかっていう問いと 関係があるような気がするんですね
ここで思い出すのは 河合駿さんが昔っていうか
割と晩年に ある学校でお人形劇やってた時に
あのお人形には後ろに棒がついてるとか そういうことを大声で指摘する子供がたくさん増えて
とても悲しいことだみたいなことを エッセイっぽく書いていて
いかにもそういうことを書きそうだと思ったんだけど
そこに自閉的なものを見るっていう感じなんですよね
これはつまり 後ろに糸があるとか
なんかぼっこで立てている棒を見るとか
そういうのは遊べてないってことだっていう話で
非常にウィリゴット連想させるんですよ この話 それ自体は
やっぱりウィリゴットっていうのは 人形を見た時 子供がそこに
要するにちょっと河合駿さんぽく言うと こういうのは大体間違ってるんですけど
魂を吹き込むとかっていう話になるわけじゃないですか
魂を吹き込むのか セクシャルを吹き込むのかは
非常にどうでもよくはないんだけど
僕はセクシャルで説明つくんじゃないかなと そこは思うんですけど
多分そうじゃないのかもしれない
アルファ要素でもいいんですけどね
いずれにしてもそういうものが働いて
人形が生きている生き生きと感じられないわけですよ
遊べない子ってのは
つまりここにはですね 私は遊べること
遊べない子がそもそも言うるっていうのが
まずウィリゴットの提起してる問題だと思うんですね
問題提起だと思うんですよね
みんなが すべての子が遊べるわけではないと
大人が子供は何で遊ぶんだろうって疑問に思ってるということは
その大人は子供よりは遊べなくなってるってことを
庵に言ってると思うんですよ
でもにもかかわらずですね
お母さんは子供と遊べるじゃないですか
少なからぬお母さんが
と言いながら遊べるのにもかかわらず
子供は何で遊ぶんだろうとそのお母さんは思ってるとすると
非常に面白いことが起きているわけですよね
遊べるのに何で遊ぶんだろうって
じゃあ何であんた遊んでるんだっていう話になるわけですよ
当然子供と遊ぶのが上手い大人もいれば
下手な大人もいる
私あんまり上手くないんですよ子供と遊ぶのは
でも私は自分が遊ぶのは決して下手ではないんですよ
私はあの人形とかに
ものすごい感情移入できちゃう方だったんですね
どっちかというと
つまり遊べる方の子供だったんですよ
ただし私は遊びすぎちゃうんですよ
この遊びすぎてしまう問題っていうのは
自然と解決できない人間っている
子供の時そうなんですよね
藤川直樹さんがまたこれも面白いことを書いていて
はいお味噌汁よとかってままごとでやるじゃないですか
それに対して大人が
15:01
それはお水だけど本当にお味噌汁だと思ってるのって言うと
冗談じゃないお水よって言うと
つまりそれがなんだかが分かってないわけじゃない
それに子供というのは
はい時間が来ましたからご飯ねって言うと
片付けもせずパッとよく怒られるんだけど
パッとやめますよねパッと
移行空間っていうのは即壊れますよね
ところが僕はあれができない子だったんですよ
割とはいご飯用と言われてるのに
ままごとのことについて考え続けるとか
やっちゃう人間だったんですよ
非常に空想壁が強いところがあったんですね
あれはよしよしで言うとどうかっていうことなんだけど
私はあんまり良くないんですよね
でこれがなんで良くないのかの説明が
目にコットで分かったんですよ私としてはね
なんでここで私が移行空間をパッと手放せず
違う移行空間にそれこそ移行できなくなるのかという
つまり遊びから遊びへと移る上で
移行対象っていうのが出てくると思うんですけど
さっきまではままごとセット
今度からは本当の茶碗っていう風に切り替えるわけなんだけど
私はこの切り替えが聞きにくい人間だったんですね
人間なんです今でもそういうところあるんですよ
でこれが私は3ヶ月チャレンジみたいなサービスには
不向きかなと思ったんですけど
必ずしも不向きじゃないなと最近考えるようになっている時に
ミニコットが目に入ってくるんですよね
この切り替えが聞けばいいってもんじゃないけど
聞かなきゃ困るってところがある
いかにもミニコットらしくなってきてるんですよね
その移行空間は外側からもたらせる空間であり
内側から作り出す空間であるという
要するに主観でありも客観でもあるといって
何にも言ってないのと同じだと
先日山崎孝明さんがyoutubeでおっしゃってましたけど
何にも言ってないようなことを言うわけですよ
長くて短い鉛筆みたいなことを言ってるわけですよ
意味ないだろそのような言説は言葉としてはですね
でも確かに移行空間とか可能性空間とか夢空間とか
それこそママゴトの空間ってなんだよっていう感じなんですよね
例えば砂場でママゴト遊びをしている2人の子供がいました
そのママゴトの空間らしきものって
確かにみんなの目に見えますよね
だから主観的な空間じゃないですよね
しかしその空間どっからどこまでだって言われると
砂場のその線までですとかいうやつは
ちょっとおかしいって感じがしますよね
つまりその空間は区切れない
区切れないのに空間が
そこの空間だけ別空間としてあるっていう
要するについたてがないわけです
このついたてって非常に大事な
大事なキーワードだと僕は思うんですけど
ウェニコットの話ではですね
いずれにしてもついたてはないわけですよ
このついたてをある意味作るのが
不正原理ってもんだなとよく私は思うんですね
つまり父親原理というのは
言ってみれば可能性空間とか夢空間を
安全な空間としてくれるものなんだと
18:01
それを母親が用意するっていうことは
非常に多くありますけど
誰が用意してもいいんですけど
要は父親原理っていうのはですね
微温的に言うコンテナを
ある意味環境的に提供するのが
父親原理かなって私は最近思うんですよね
ただこれはある意味自発的に
作り出されるものでもあるんですよね
ただその安全をある程度保障する
安全保障の世界なんだけど
安全をある程度保障するのが
父親という存在の役割かなと
母親原理だけでも
この夢空間はできるはずなんですけど
α機能を提供することによって
このカップがお茶碗
このぼっこはお箸みたいな
これがα機能ですよね
要するに
これにそもそも乗っかれないという問題
遊べないという問題そのものは
これは要するに二者関係の
非常に最早期の問題だと思うんですね
だから子どもはなぜ遊ぶのなんですよ
要するになぜ遊ぶのかは
言語化されないっていうことなんですね
ビヨン流に言うと
α要素と夢空間で留まっていて
なぜこれをどのようにやってるのか
っていうことになってくると
ビヨンのその言葉みたいに
α機能とかいう
意味のない言葉になっちゃうわけですよ
αファンクションっていうのは変数ですから
これについて定義できないから
仮説的にαって言ってるわけで
これは最近私が買ってきた馬鹿高い本では
アラン・ショーっていう人がですね
脳神経科学的にα機能を特定していこうみたいな
そういう極めて野心的なことをやってるわけですよ
あれだからビヨンが出てくる脳科学の本というですね
ある種の人はすごい好きそうだなと
私はこういうのはほどほどなんだろうと思うんですよね
どうせそんなことは
確定できない話だと思うんで
いずれにしてもでもこういう機能が脳にもあって
α機能を発揮するっていうのは
自覚的にやることではないということで
子供はなぜ遊ぶのっていう問いが出てしまうわけですね
子供と遊べるのに
子供が遊ぶことは知ってるのに
かつて子供だった時に遊んだのに
なのに子供はなぜ遊ぶんだろう
には答えられないという
つまり今流行りの言葉で言うと
言語化できないというのは
つまりこれは言語水準では
行われてないことだからなんですよ
言語水準で行うことは
遊びの空間をセットするとか
そういうことでしかないんですよ
遊びの空間をセットしたからといって
子供が遊べるとは限らないですよね
それが河合俳夫さんが提起したやつじゃないですか
わざわざお人形劇やってきたのに
作ってきたのに
それも多分業者さんだからプロなのに
そういうことをやれば
昔の子はみんな楽しめていたのに
つまり昔の子は簡単に言うと
油断できていたのに
今の子の方が安全保障に
21:01
うるさくなっているわけですよ
不正原理を求めてしまうわけですよ
ここが安全だという確信がなければ
私たちはその遊びに乗っかれません
というふうに子供が警戒しているわけですよね
どうして警戒するのかということと
その子たちは遊ぶ能力をそもそも持っているのか
それとも今は警戒しているから
控えているのか
そうするとある意味不正原理が
機能していないせいなのか
母性原理が機能していないせいなのか
もうちょっと言うと
アルファ機能が発揮できないとか
発揮できないかどうかを
まず問題にするべきですよね
ここはもう不正原理はほぼ関係ないわけですね
最早期の問題ってやつですね
関係あるのかもしれないけど
いずれにしても何よりもまず
求めたいのは
アルファ機能そのものを
もっと強くするということだと思うんですけれども
そうじゃなくて
アルファ機能はあるんだけど
使ってないっていう
今使ってないこれはだから
危険だっていうふうに考えている
これは不正原理的な話でもあるし
母性原理的な話でもあるんですね
多分
要するに何らかの形で
危険性を感じてしまうわけですよ
アルファ機能を発揮する上で
だから子どもたちは
お人形さんの
物理的形態についてチャチャを入れる
っていうことによって
自らが遊びにはまり込まないように
しているわけですよきっと
こういう話の延長線に
昨日言っていたような
私はローゼンフェルドの総的防衛って
防衛ですからね
結局そういうとき子どもたちって
すごい元気になってはしゃぐじゃないですか
だから非常に総的になると思うんですよね
防衛ですからね
やっぱりね総的とはいえ
ものすごく元気になるような顔をして
自分の中の不安というものと
戦ってるわけだから
やっぱり防衛なんですよね
この種の防衛って結局
それは非常に
抑鬱的な不安
でもあると思うんですよ
もしそういうことであるならば
なんだかんだ言って自分ってものを
よく知っている面があるわけですよね
決して迫害不安は当然あるにせよ
抑鬱不安的なものが
自分が変化してしまうことに対する
予感と恐れみたいな
だからすごい難しいんですよね
それは迫害的にも思える
非常に減少的な恐れにも思えるんで
ただなんとなく
ここら辺のことを
たぶん藤山さんが
同じ文脈じゃないんですけど
違う文脈なんですけど
エディプスの戸場口っていう表現を取るんですよね
エディプスの門の前で
立っているみたいな
くぐるかどうかで
何か悩んでいるみたいな
そういうニュアンスを感じますよね
三者関係に入るということ
への不安があるみたいな
それは二者関係の世界で
あることじゃないですか
二者しかいないわけですよね
母と子しかいない世界
その世界ですら遊べるか遊べないかで
24:01
何か悩んでいるみたいな
そういう
ただそれは遊ぶ能力はある
って感じはするんですよね
ただ発揮できる
状況にないっていう
恐怖を抱いている
不安かな
遊んでいるのは
危険ですからね
今パッと思い出したんですけど
ドキドキ
私全然見てないんですけど
Facebookとかに女王の教室のCMが流れて
ネトフリとかで
アマプラかな見られるんでしょうけどね
そこに
物々しい
女王の教室は怖い女の先生が
説教するんでしょう知らんけど
僕はCMしか見たことがないんで
そこで
日本という国は
お金持ちとか一部特権階級が
楽しくやられれば良くて
他の人は何も考えないように
漫画とかテレビ付けにされて
ぼーっと過ごしているから
大したことに興味も持てず
自民党とかに票入れちゃうんだよ
みたいなノリなんだと思うんですけど
そんなことは言うとさすがに問題になるから
そこまでは言ってないと思うんですけど
要するに何も考えずに
政治的な興味も持たずに
っていうようなそういうことを
書いてあって
これがつまり遊べない話だよな
っていう話をなんとなく
僕はイメージしたんですよ
一部特権階級さえ
楽しくやってれば良い
特権階級はどうやって楽しいことをやるんですかね
私それは非常に
この種の話が出ると
いつも考えるんですよ
いやなんかそれ漫画とかテレビとかを
見ている人たちの方がよっぽど楽しそうで
なんで一部特権階級の
人たちの方がお金は持ってるかもしれないけど
その人たちはどうしてそっちの方が
楽しいんだろうっていうのが
非常に気になるんですよ
だってあれじゃないですか
考えようによるけれども
昔江戸時代って
すごい独特の体制でしたよね
建前なんですけど
所詮は結局
天皇陛下っていうのは
当時はあまりにも偉い人だから
そういう政治とかを
政治とか
くだらんことはやらないわけですよ
そんなのは徳川家とかにやらせておくわけですよ
この話って
天皇陛下の方が
当然徳をしているっていう
建前なわけじゃないですか建前ですけど
要するに政治に
苦戦するんだってことですけれども
でも結局のところそれは
建前ですよね
建前ですけれどもある意味
それによって享受させられているもの
無理やり享受させられているようなところ
あるけれども享受しているものが
あるわけですよね
だから口出しをしなくていいけど
あなた達にはその義務から
免除されますからっていう部分があるわけ
じゃないですか
だってテレビとか漫画を見ておいて
いや政治のことは我々に任せておけ
一部特権階級が頑張るぜっていうのは
なんか特権階級の方が
なんで徳をしてるって言えるんだろう
っていうのは非常に僕には
気になるわけですよ
だって最近は
昔は知りませんけど
27:01
昔はっていうか僕は知ってる時代ですけど
女王の教室だった頃は
まだ漫画とかそういう地位だったのかもしれませんけど
今なんかもう
北斗の拳の絵が
イタリアのフィッチービス館に飾られている時代ですから
つまり漫画の地位とか
めちゃくちゃ高いじゃないですか
ほとんどこう世界超一流の
あれですからね
なんかこう
ルネサンス期の絵とかと一緒に並ぶわけでしょ
北斗の拳の絵が
そういう時代に漫画を
読むっていうのは
非常にあれですよね
夏目漱石がそれからの長井大輔
あれもちょっと皮肉なんですけど
高等遊民という言い方をしてますよね
そういう働くとか
経済とかそういう下賤なことは
しないわけですよ
高等遊民は
遊んでいると
遊んでぼーっとしているうちに
一部特権階級が
政治とか経済とかに
すっげー詳しくなっていい思いをしてるって
話を読む度にですね
いやだけどその政治とか経済とかに
必死になってる人たちは
要するにめちゃくちゃ恐ろしいと思ってる
わけじゃないですか
トランプもいるしねプーチンもいるし
いつ株が下がるか
原油が下がるかって気を揉んでるから
一生懸命なんか超分厚い経済学
とかなんかなんとか
とかの人の読んでいて
一生懸命勉強して少しでも
お金を儲けようとしていて
当然漫画とかをぼーっと読んだりする
暇はないわけですよ
それ楽しいのかなっていう感じなんですよね
なんかこう何にも興味を持たずに
あははって悩んでる
実際はそういう風には生きられないんだけど
そういう方がよっぽど
楽して生きてるように
思うんですけどね
だから私はそういう
スンカを惜しんで
最先端のニュースをチェックするとか
やる気が全くしないんですけれども
だからそういうことなんだと
私は思うんですよ
ものすごくそういうことだと思うんですよ
つまり遊べる
ということは油断
しなきゃできないことなんですよ
で一見した
ところ非常に
カリカリと何かをやるっていう
風にやることはですね
その価値観変わりますからね
漫画の地位って変わるじゃないですか
この価値観っていうのはでも
変わるんだけれどもこのスタンスって
決してなかなか変わるもんじゃないですよね
なんか一生続くじゃないですか
そういう話って不思議と
一部特権階級の人っていうのが
いやすっげえ株で儲けたから
もう俺いいわって言ってそういう人もいらっしゃるんだけど
早期リタイアみたいな
意外と続かないですよね
多分これはですね
働き者だっていう言い方もできると思います
でも私は
どうしても対象関係でものを見たくなるんで
いやそれ不安なんだろう
って感じがどうしても
非常に脅迫的に仕事なり
良い悪いではないんですよ
不安だからやるっていうのは
別に入りにかなってるわけじゃないですか
不安だからお金を1円でも
多く貯めておかないとやっぱここで
満足したら終わりだろうみたいな
30:00
よく言うじゃないですか満足したらそこで終わりだからっていう
だから満足しないわけじゃないですか
でも満足しないというのは
不満だという言い方もできますけれども
不安だという言い方の方が
近い気がするんですよね
つまりその上野教室で
言われていたところの
ぼーっと漫画を見たりテレビを見たりして
騙されているっていうのが
つまり母子一体の世界ってことなんだ
と思うんですよ
でもここをみんな求めていると僕には思えるんですよ
最終的には
ここは松木くにろさんが
非常に
鋭いというか鋭いよなやっぱり
と思うんですけど
世界中にユートピアの絵はあると
極楽浄土の絵もあると
そこに人が一人でいるという絵は
私は知らないと
あるのかもしれないよっていうニュアンスが
いかにも松木さんらしいんですけど
私も一つもない気がする
って感じがするんですよね
人間は常に二人はいる
最低でも
つまり人々が求める
究極のユートピアと呼んでいるものは
母子が一体だった
生まれたその日に
母親のおっぱいしか見えなかった
あの日のことを
あの日の記憶をユートピアと
呼んでいるに過ぎないんだっていう
これは安にそれを言ってると思うんですよね
絶対アダムとイブだよなっていう
アダム一人だけで
天国だわみたいな
世界が描かれている
試しがない
引きこもっている人がよく言うじゃないですか
一人きりでいいんだと
人なんか煩わしいから
私は実に一人でいるんだみたいな
でもウィニコットがここに非常に皮肉っぽいことを
言ったわけですよね
引きこもっている人は
その引きこもった空間の中で
母親と二人きりで
幸せに暮らしている
ただしそれは自分の心の中で
作り出した母親だってそういうような
ニュアンスですよね
だって最早期の
最早期の記憶
どうしてもそうなるじゃないですか
最早期の記憶って
つまりこれが例の
ウィニコットの名言なのか
ちょっと微妙な名言なのか
一人でいる赤ん坊などというものは
いないってやつなんですよね
赤ん坊というのは
一人では生まれてこられないんですよね
どうやったって
突然生まれてきました
ってことでない限りは
そういうわけにはいかないんですよね
マフベス思い出しますけどね
こういう
話になった時に
子供はなぜ遊ぶんだろうってことなんですよね
だいたいシグナルとシグナリスも
そうですけど絵本作家とか
童話作家の手にかかると
超実務的なつまり時計とか
信号機とかそういうものが
全て遊びの対象になってしまうんじゃないですか
あれを
アラン・ショアの博士あたりに
言わせるとつまりそれは右脳で
物を見てるってことになるわけだけれども
あれはグリア細胞とかね
そういうやつだということになるんだと思うんですけど
いずれにしても
まずは光をアルファ機能によって
アルファ要素化しなきゃ
ないじゃないですか
丸いなとか赤いなとか
33:01
そういうそれが
要するに子供が雨が降ってきて
感動するとアッアッアッアッとかって
一生懸命親に知らせようとする
あれですよね雨ってほとんど
見たことがないわけですから子供は
でもすでに雨の何たるかは
わかってるわけですよ外にいると濡れるとか
あんまりそういうときは外に行かない
とかを何度なく体験してる
1歳半ぐらいになってくるとアッアッアッ
とかって言うわけですよね
あれがアルファ要素の世界なんだと
思うんですけど言葉のない
世界ですよねでああいうときに
限って子供はそれで遊ぼうと
するじゃないですかつまり人間
っていうのは多分
それを備えて生きてきている
アルファ機能を発揮した
その瞬間に起こることは
遊びなんだっていうのが
ミニコット的だと思うんですよね
で上的になってくると
いやいや遊んでる場合じゃないから
みたいな感じで遊びは一切廃止
しましょうみたいなノリになりかねない
わけですよね幸せになるために
遊んでる場合じゃないんですっていう実に
逆説的な
主張がそこで出てくるわけですよ
つまり遊べるほど
この空間は豊かではないんだから
あの鎧を着て
軍事的にガッチリ固めておいて
全てに安心しきったら
遊びましょうって言うんだけどその日は
やってこないわけですよね
ここが非常に不思議な世界ですよね
あのあれですよ
この実験は私はすでに
なされていると思うので
結論だけは先に出ちゃってると思うんですよ
いろんな人がいるんですけれども
世界一の金持ちになった人
あの人が警戒感いっぱい
だったからあの人はお母さんが
いけないんだと思うんですけどね
とにかく警戒心でいっぱいだったから
世界はコレラ菌とかに満ち溢れて
いるっていう風にお母様が
だからすっごい子供の頃
体を丁寧に丁寧に洗われて
いたから彼は
ラスベラスに自分が作った
最上級のホテルを一棟丸々
自分が所有していて
最上階のスイートルームに
入って行って手袋を
はめて直接
触れないようにして
グレングールドというピアニストもよく似ていて
絶対に大丈夫なポーランド水を
常に取り寄せて
それだけを触ってたからどうしても
部屋は汚くなるっていう逆説的な
ことが起きるわけですよ
だって掃除できないんで
人を呼ぶこともできないんですよ
だってその人は危険な人だったら困るじゃないですか
だからいつもそうなんですけど世界一の大不幸
だからすごい困るわけですよね
連絡取りたい人いっぱいいるんだけど
その人とはどこにいるかが常に分かんない
っていう状態になってしまってるわけですよ
それが一見すっごい安全そうなんだけど
自分の身の場合のことは
そんな大金持ちなのに全部
自分でしなきゃならないじゃないですか
しかも手袋はめてここの道しか歩けない
みたいな道だけ歩くわけですよ
でも絶対安全ってそういうことですよね
やっぱりね
危険なわけだからどこにどういうものが
潜んでるか分からないわけだから
だからそういうことを
私は不正的に完全に
保障するっていうことは
土台無理だと思うんですよね
36:01
だって世界一の金持ちになっても
それが実現しないのに
私のような人間の金でそんなこと
実現するはずがないですよね
軍事ってのは常にそうですけど
今も国会で論戦してますけど
お金がかかるわけですよものすごく
相手よりは金持ちじゃないと
基本的に喧嘩には絶対
勝てないわけですから
今は相手よりお金持ちになったからって
勝てるとは限らないですけど
いずれにしても莫大な金がかかるわけですよね
ところが
一番遊べてるのは子供なんですよ
全然金を持って
なかったりするね
でかわいはよさんの
話っていうのも非常に皮肉なわけですよ
昔の子供の方が遊べてたってこと
昔の方が危険じゃないですか
世の中はお金もないし
だけど昔の方が遊べてたと
つまり遊ぶための
安全というものは
ほどほどでなければならないわけですね
このほどほどが
グッドイナフっていう言葉になっちゃう
というかイナフですよね
グッドじゃなくてもはや
でもイナフそれ自体に意味は
全くないので
何にもないので
ほどほどって言ったって
人によって全員違う
だから主観的であるとともに客観的
という全く意味のない
言葉が出てくるわけですよ
子供は別に何によって守られてもいないんですよ
しかし守られているという風に
確信すると遊べるわけですよね
ポイントは
遊べさえすればいいんであって
この安全は
当然は安全なら遊べるわけじゃないんで
安全だと思っているときに
遊びの能力を発揮して初めて
遊べるのであって
遊びの能力を発揮する気がなければ
どんなに安全でもやっぱり
ラスベガスの最上階で
殺菌消毒を徹底的に
施された部屋で
っていう話になっていくわけですよ
絶対の安全という
ほどほどではいけなくて
本当に客観的な安全というものを
求め始めるとそれだけで
多分先に一生
費やさなければならないわけですよね
決して
一部特権階級になって
ついにユートピアが手に入りましたってことが
起こらないわけですよ
だってそこに2人いるんですよ
人間が描くユートピアの世界は
常に2人以上がいるわけですよ
本当に
実質に引きこもって
一人きりになっている人こそが
幸せ間違いなく
そこがユートピアだというならば
私はこれはもっとポジティブに
流行ってると思うんですよ
今の時代それを達成できる人は
少なからずいますから
私のお金じゃ全然無理だけど
私の10倍以上の収入を得ている人は
少なからずいますから
みんながみんなそれをやって間違いなく幸せです
っていうことになっていればですね
私 戸畑階人さんが以前
それこそ
私も今耳に入れてますが
AppleのAirPods付けて
毎回のように登場する
お金持ちの
人の話を カウンセリングの話を
読んだことがあって
偽装も入ってると思うんですけど
39:00
そもそも
ああいう話が始まるということは
戸畑階人さんは
そこそことか有名な方だし
カウンセリングも
いっぱい受けてると思うんですね
受け持ってると思うんですね
つまり典型的なパターンの一つだったと思うんですよ
お金に不自由せず
何回か奥さん
つまり結婚したり
離婚したりをしていて
カウンセリングを受ける
1人っきりがいいんだったら
カウンセリングっていうものほど
矛盾したものはないですよね
カウンセリングを受けると途端に2人になってしまうんで
そして絶対安全っていうところも
壊れるわけじゃないですか
だって自分の秘密から
プライバシーを晒していくわけですから
それは全然安全ではないですよね
いや主比義務があるじゃんって
この辺に不正原理が働くんだけど
ありますが
だけど喋んないほうが安全ですよね
主比義務があろうとなかろうと
だから
2人というものを必要とするというのは
全く必要としないはずの人が
必要とするということは
戸畑階人さんの
カウンセリングのところで一番語られていたのは
その人の自慢話が
延々続くって話だったわけですよ
これは何を意味するかというと
聞いて欲しているってことですよね
お母さんちょっと聞いてよ
っていうやつですよね
かけっこで一番になったんだけど
って話ですよね
これはそれだけではやっぱり
まとまらない話なんですよ
かけっこで一番になっただけでいいじゃんって
多くの人は言うんだけど
これがまさに女王の教室じゃないですか
かけっこで一番になるのが
そういうことをやっているうちに
努力をしない人たちは置いていかれるって話なんだけど
ところがかけっこで一番になった人は
一番になったぞ
っていうことをみんなに
見てもらいたいわけですよ
観客がいるわけですよ
だから私は絶対にああいう風な世界
っていうのは来ないだろうな
って思うんですよ
究極的にはようほど
病的な世界になってしまうんですよ
本当にそういう
ユートピアに住む
特殊な人と
っていう話を
いくらしても
どっちが幸せかが何とも言えないところに
いろんな問題が
問題というのかな
本能ではないんですけれども
でもやっぱり
一人で生まれてくる赤ん坊は
いないんですよね
だから子供はなぜ遊ぶんだろうと
大人は言うかしく思いながら
子供の遊び相手をするんですよ
この構図は
なくならないと思うんですよね
人間が人間やってる限り
人間が人間じゃないものになれば
話は変わってくるかもしれない
ですけれども
人間が人間じゃないものになったら
もはや人間のカウンセリングってものもないでしょうし
精神分析なんてまして
あるわけないですしね
41:54

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