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おはようございます。佐々木正悟の自由連想をお送りします。 9月4日金曜日7時48分です。
今日はですね、諸事情からかなり短く切り上げたいと思っております。 はい、まあ20分くらいでね、いきたいかなと。
で、まあちょっと連日でうるさく感じられるかもですが、ある種のですね、本当にある種の正念場を迎えている私としては、この3ヶ月セッション、まだ3ヶ月チャレンジから3ヶ月セッションに解消してから、
お申し込み者数は未だにないわけですが、まあ解消して2日しか経ってないけど、3日か。
解消しまして、3ヶ月やるんだけど、別に期とかはあんまり関係なくします。一応、形式的にね、第15期まで続けてきたから、第16期はこれからやりますよっていう、
そのタイミングで始めた方は、その募集で始めた方は、3ヶ月セッション第16期みたいな言い方をしますけど、基本変わらないんで、今日からでも始められます。
で、中心にセッションを置きます。で、グループレクチャーはお送りさせていただきます。グループセッションに関しましては、途中から入られた方はですね、
ご本人がよろしければ、それに入っていただく。ご本人があれだったら、別にそれはご参加いただかなければいいかなというふうには思います。他のサービスは全て同じ。
テキストでのやり取り。始めた日から起算して、ちょうど3ヶ月後に一応終了すると。週に1回以上のセッションを持っていただきまして、
週に1回毎週土曜日のレクチャーをご視聴いただいてもいいし、アーカイブでご視聴いただいても構わないという形をとります。
これはね、精神分析というものについての私なりのレクチャーを、この内容とこれの番組の内容とそこに変わらないんですよ。
で、どれをやると得になるとか損になるってことははっきり言ってありません。やってみてつくづくわかりました。
ただセッションはやらないってことにはどうしようもないというのが私の見解ですから、それだけはもう確実に3ヶ月やっていきましょうねと。
3ヶ月で切ってあるのはですね、中断というものが精神分析で、これも説明しないとちょっとピンとこないと思うんですけど、中断というものがあり得るこの
3ヶ月じゃなくて精神分析というものに対して、これが起こるとおそらく実空間を持たない私のやり方ではかなりの
不安定感を、まして私は非正規というか精神分析家ではないから、いろんな意味でこれではあまりにも不安定になるというので、3ヶ月という枠をむしろ固めることによってですね
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3ヶ月はとにかく、もちろん限界を迎えたらお休みいただくという方がいいし、諸事情からお休みいただかざるを得ないということは当然あるにせよですね。
3ヶ月で終わるんだからここまで行きましょうねという枠組みなわけですね。これが3ヶ月セッションの3ヶ月の意味であり、中核にはセッションがありますとそういうことです。
だから今日からでもできます。で、さらにそうは言ったって3ヶ月やるのはできるかわかりませんよっていうことはあると思うんで、そこで5回お試しというものがあるわけですよ。
で、この5回はどうやっていただいてもいいです。毎週毎週で週に5週やるというのがいいかなと思うんだけど、別に5回、5日連続でやっていただいて5回、でもいいんですよ。
とにかくやっていただければそれでいいかなと思います。これは5回という枠ですね。で、さらに5回続けられるかわかんないから1回でも終えられるっていうのがお試しの1回ですよ。
だから7000円、3万円、75000円、プラス税ね、という形でお試し。7000円でおしまいにしていただいてもこれとダメージ少なくて済みますよね。
で、7000円払ってみてこれでも5回はやってみたいということであれば3万円で少し悪いされてね、7000円は無駄にならないという形です。
プラス23000円でやっていただけると5回。で、5回やってみて3ヶ月やりたくなったらこの3万円を75000円に重当していただいて、
35000円プラス税を払っていただくと3ヶ月、最初の日から3ヶ月やることができますと。
そこまで厳密に3ヶ月はここまでですみたいなのはないんで、そこから、なんていうのかな、例えば3ヶ月チャレンジの木に入りたいということ、でもそんなことする必要ってないんですよね。
やること全く同じなんでその3ヶ月継続とかそこでおしまいにするとかそういうことは考えていただければいいという感じであります。
というお知らせで今日は終えてもいいんですけど、続けていきましょう。本題に入るとこれはね、精神分析は楽しいを読んでいて、精神分析歴史に両方と、精神分析を読むケースを読むとやっぱり精神分析は違うんだって精神分析をやっている方はおっしゃるわけですよね。
でも両方やってる人も退化中の退化にもいるしなみたいなそういうことを考えながら、まあ素人ですからねこっちはね。素人にはね特権があるんだっていうのが私は最近非常に思うところなんです。この枠に縛られなくてもいいんだと、非常に手前勝手な言い方かもしれないけど、でも扱いがそうなのに縛りだけこっちで引き受ける理由はないはずだから、やっぱり
非正規は非正規だから非正規だという観点からいけば開き直るって言われればそうなんでしょうけどね。開き直ってるわけではないところもあるわけです。要するに私が言いたいことはですね、ここはどこまで行っても見ていて思ったんですよ。どこまで行っても偉いのは受ける人なんですよ。非分析者なんですよ。
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これは確かに精神分析家は訓練もしているし大変な思いもするんですけど、どんなに大変な思いをするって言ったって、もちろんその人が人生の中で大変な思いをしているっていうのは十分あり得ることなんで、でもそれはそれとしてですね、この精神分析を受けられるという世界というか営みの中では参加者がやっぱり偉いんですよ。
だってこれに参加するってのは大変なことだし、実際大変な目に合うのは結局分析家も大変な目に合ってますよね確かに。合ってるけど、クライアントほどではないんですよ結局。
だってお金払ってるのはそもそもクライアントだし払ってるわけですから、この何も後に残るわけでは、これが大きな意見の違いになる。でも物が手に入るわけでは全然ないし資格が手に入るわけでも全くないし、言うなら苦しみが取れる。それがまさにでかいわけだが、しかしこのお金というものが生産性という言葉と結びついているこの時代に、
あれだけ膨大な時間とお金をかけて何かが残るわけではないんですよ。これをやっぱり植田さんがまさに植田克久さんがね、あの接親結びは楽しいのをケースの中で書いていたけれども、要するに不動意性向があった被害者の女性が来るわけですが、被害があっているあなたがこれにお金を払うというのはみたいなことを言うんだけど、そりゃないだろうって思うんですよね。
そういうある意味もんじゃないですか。エルマイヘンセが言ってた通りだよって思うんだけど、だって出してくれないじゃないですか。よほどうまくやらない限り絶対にその不動意性向の加害の男の方は。で、出されてからいいのかって言うと全然そういうことでもないと思うし、ここはもうすごい難しい問題だと思いますよ。
でも何だってそうじゃないですか。ある意味では。母親からひどい性育歴を受けてるんですって言っても、母が払ってくれるのかっていうとまた高いしてる可能性も十分ありますし、そもそもそんな記憶はないって話になりそうですし、裁判を起こして母親に加害責任を認めさせてお金払わせるのかって。
だって不動意性向はそういうことがもしかすると社会的合意を取ってそういう形を取ることが私には何か何かが違うような気もするができるかもしれないです。でも性育歴を縦に取って母親に教育虐待の加害があるから精神分析料金は全部母親持てって言っても無理があると思うんですよね。ケースによっては絶対に。ケースによらずあんまり取る気がしないんですよ。
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だからこの理不尽さを含めての苦しみを何とか突破しようという方がクライアントの立場なのであって、これをスタートさせるということが尊いんですよ。そういう言い方をすればね。
松木さんが言っている通りだと思うんですよね。彼がトラウマという言葉には意味がない。ストレスという言葉にも全く意味がない。あれは全く僕は正しいと思うんですよ。何かとPTSDに何か頭文字がつくのが昨今の流れではあるし。
それは社会が進んだということなんでしょうけど、ただ全部が英語であるというのは結局のところ欧米が進んでいるということを案に言って、そのほうが使いやすいということはありますけどね。記号化しやすいから。
ですが、そこまで言ってみたところで対処しやすくなるのかというと、ケースによっては対処しやすくなるとは思うんですよね。薬理ができるということもあるし、それは効果がありますからね。あるように見える。
ただ、なくなるわけじゃないし、現に私のこのアトピーも結局薬で治せたわけではなかったですから、同じ薬を今のほうが全然効くんだけど、精神分析を私は自分が知った以降のほうが効くって話であって、あれは私からすると身体精神病ですから、私の感覚からすると。
松木さんが言うことの意味はよくわかるんですよ。トラウマとかストレスに何の意味もないじゃんっていう。それはトラウマみたいなものがあったわけですよ。母に石のたわしで肌こすられたということ。ストレスは当然あったんだけど、よく言われたんですよ。ストレスでしょうね。
もう全く医者は何の意味もそこに込めてないんですよ。すっげーなんか下手なさそうに、まあストレスでしょうね。言うわけですよ。向こうにしてみればそうですよ。なぜなら向こうの肌は痒くないんだから。私がつい言いたくなっちゃうっていうか、そんなことは別に言ったこともないし、言いたくもなってなかったんだけど、何といったってこれは皮膚病だと僕は信じてましたから、アトピーだと信じてましたから。
だからまさかそれが精神病だって思うことによって大きく物の感じ方、見方が変わるわけですけど、もう全然違いますからね。何とかして肌になんか蜂蜜だの、匂い取った納豆きなぜだの、ヨーグルトだのを塗りたくるわけですよ。で、両手両足縛ってかけないようにするわけですよ。意味ないんですよそんなこと。意味なんかないんですよ。
よくはなるんだけど微妙になったような気はするんだけど、でも精神病を肌にヨーグルト塗ったところで治るはずがないじゃないですか。っていうことは誰も言わなかった。で、何もかからずストレスだって言うわけですよ。どっかメンタルのことを言ってるわけですよ。
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ストレスとかじゃないんですよ全然全く。ストレスって言葉にはああいう時には本当何の意味もない。だからトラウマっていうのも、ただトラウマってものはそこら辺にポンとあったりはしないんで、やっぱり私の心の中にねじ込まれるものがなきゃ。だからそれはねじ込まれるということをトラウマと称してみたところで、トラウマってのは傷のことを言ってるわけでしょ。
大事なのはねじ込まれるってことの方であって、ねじ込まれるってからには、地震とかそうじゃないかもしれないけどねじ込む奴がいるからねじ込まれるわけであって、しかもこのねじ込まれるというのは非常に難しい話ですけど、心にねじ込むっていうのは目に見えるわけじゃないからねじ込んでる人はねじ込んでる感覚すら持ってない時があるわけですよね。
ねじ込んでる感覚を持ってやってくる奴もいるけど、母親とか別にそういうわけではないんですよ。無意識にねじ込んでくる。しかもねじ込まれる私も無意識だから何もわかんないわけですよ。そして肌はストレスで悪化しているってことになる。そんな事実はどこにもないわけですよ。
こういう話ってわかんないからそういう観点をとって見ないと、いや見えないから見ることはできないんだけど、そういう観点をとって考えないとわからないので、やっぱりわからなかったわけですね。
こういうのを人に相談できるという状態を作り出すことが大変で、場を提供している人がいるっていうことも重要なんですけど、そこに行く気になるのかと。そんな話を見ず知らずの、大体見ず知らずのですから。
私みたいに自己開示120%みたいにしてやってるような精神分析家とか精神分析医師にほぼいませんから、なぜならブランクスクリーンがベターであるって信じられているわけだから、ブランクスクリーンっていうのはつまり見ず知らずの赤の他人ですってことになるわけだから、名前以外は何も知らないっていう間に今のような話をして通る気がしないじゃないですか。
そして1回1万円ですと。で、もしかすると10年かかりますと。で、できれば週4回。そんなんしないでしょ。だからこれを稀な実践なのであるとか言われると、むしろ稀な実践にすんだよっていう感じがするわけですよ。稀な実践なんですけどね。事実そうだから。別にそこで稀な実践じゃないわけですっていうよりはいいと思うんですけど全然。
でもやっぱりこう良くないと思うんですよ。いろんな意味で。だから私は山崎隆さんのムーブメントにそれがあらゆる意味で理想的であるっていうわけじゃないんだけど、非常に僕が彼の活動に支持的であるのはどこにでもいいから相談するっていう状態がまず大事ではないですかってことなんですよ。
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精神分析でも精神分析心理療法でもこの際正規非正規問わず脳の医者でもいいからとにかく相談するってことが大事ですよねっていうことなんですよ。
これ結局賭けになっちゃうんで。賭けじゃないようにないようにしましょうって話はあるんですがどう考えても賭けになっちゃうんで。さっきも言ったように金も時間も多大にかかり何も残んないし戻っても来ないわけですよ。しかも相手のことは何も知らないんですよ。
そこに一番親しい親友にも言いにくいことを言いに行かなきゃならないんですよ。これだけでも無理がありますよね。これをやるってことができてヒットさせるっていうのはもうそれはやった人が偉いんですよ。
これが僕はこの問題の非対称性に対する一つの最終的にクリティカルなポイントだと思うんですよね。結局精神分析科はどこかで言ってることがかなりそうでないと思ってる人はいるけど、
やっぱり分析科であれカウンセラーは特に正規と非正規でそもそも簡単に分けられるという感覚を持っているということはやっぱりどっかですねこの傾斜をかけてるわけですよ。だから国家の方が国家は偉いんだってことをどっかで思ってるってことになると僕は思うんだけどね結局。
別に僕は反国家主義ってわけじゃないしアナーキストとかバリバリ左翼ですってわけじゃないんでそこのことどころにめちゃくちゃ違和感はないですよ別に。
何で難しいかというとですね直接関係ないことのような気もするからなんですよね私からすると。別に国家公認特に公認のものはまあまあそれはだってどう考えてもバスへの何かこう
本当にそれこそ何かいくらするんだかも分からないようなストーンが大量にって言うよりは何か国家公認の人が代替においてすごい地味な感じのする人がどうなされましたかみたいなことを言うのはいいと思う。
言うほど違和感はない可能性は十分あり得ると思うんですよねやっぱりこれは相談者次第で決まる部分ってものすごく大きいんですよ相談者がどこまでこれを持ってこれる持ってそもそも
大概の人は持っていくことをしないんですよね持っていく人だって当然ためらいがありますからでやっぱり余裕がいるんですよね余裕はないんだけど切実さと余裕だってお金の余裕とか時間の余裕とか全然ない人には無理じゃないですかほぼその日暮らしです一日中働いてますっていう方がどんなにメンタル的に切実なものを抱えてたって
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時間とってだいたいあれですからね夜中とかやってる心理カウンセリングってほぼ見たことがないし午前中全然やってなかったり僕もあんまり午前中やってないですけど眠いから年ですねこれはね昔は早朝でもできた気がするので早朝これやるのは全然無理だなって気がするんで
やっぱりこう目がすごい冴えてないとダメなんですよ何でかっていうと眠くなるっていう実感を持てないとダメだからなんですよこれねこれいやなんだろうな訓練っていうものの意味はやっぱり社会道徳というものをいかに振り払えるかってことの関係があるんですよ人の話聞いてて眠くなるのは失礼じゃんとかは論外なんですよ眠くなるっていう感覚最初から眠いのだからダメなんです
この話は眠くなるっていう時にもう私はほぼ確信してるんですけど相手の人は私を寝かせようとしてるんですよでこれにも様々な意味があるんですほぼ催眠にかけたいというケースもあるし
それこそ子供を寝かしつけたいのあれもあるし聞かれたくないという意味もあるし夢の中で聞けっていう意味もあるし文字通りっていうか電信分析ではよく言う本当に殺意に近いものが働いているという場合もあるんですよだから全然眠くならないということはもうそれだけで開示力が開示したいという意思が極めて高いわけですよね
もちろんラポールとの兼ね合いもあるんですけどこういうことってやっぱりやらないとわかんないしある意味では完全にっていうのは全然無理だけどある意味ではいつも同じコンディションを保つっていうのぐらいは心がけてないと今日眠いなーみたいなのだと眠くなった時に何で眠くなったのか自分が眠いからなのか寝不足だからなのかわからなくなっちゃうんですよね
相手が私を寝かしつけたいからなのかっていう区別がすっごい難しくなるんでこういうことを考えるわけですよね考えるというか心がけるわけですね心がけの問題ですよねこの多分そういう話を全部だなぁと思うようになってやっぱりこれはその参加者さんがだから力動なんですよね
力動をかけて来たい来るって来たいっていうか力動をかけてくるんだという意思力度をかけようという意思をはっきりお持ちであればあるほどあのだから参加するしないは結局その力の強さになったまあ要するに意欲ですよねこの意欲なんですよね
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意欲というのはつまりみんな苦しいところから逃れたいというのは当然なのであるわけなんですけれどもその意欲というものがどの程度発露されるか発露されるサポートをするのが私私たちなんですけど私たちは誰だって感じ私しかいないような仕事をしているんでもちろん正規の人はやってるわけですけどねこれを呼びかけるっていうのもその一環でもあるわけですよここにこういう設備を整えてみましたみたいなそういう感じですよね
まあそんな感じですだから3ヶ月セッションなわけでしてこのセッションでですね非常にパーソナルな話を持ち込みたいというそういう方はものすごく僕は多いと思うんですよなぜなら非常にパーソナルな話を持ち込む場所が今確実に減っていてしかもそういうことを聞くっていう人の人そういう発想自体があるんですよね
確実に精神分析が山崎さんが言うところの絶滅危惧種になっているのはそういうことなんですよスクシュートのタスク一つとってもそうなんですよパンパンなどにまだ入れたくなりますって言った時にいやそれはやりすぎですからと答えるわけですよねこのパンパンなのにまだ入れたくなりますという人が皆同じだという風な捉えられ方をしている全然そこにパーソナルなものが認められてないわけですよね
パンパンなのにまだ入れたくなるのはなぜなのかっていう問いが立たないんですよ今の時代ってすごくパンパンなのにまだ入れたくなるのは会社の資金がショート仕掛けている実業家だからなのかもしれないしパンパンなのにまだ入れたくなるのはここで一気に仕事を終わらせられることを前の会社で自分を馬鹿にしたやつに証明したいのかもしれないしパンパンなのにまだ入れたいのは
実家の母親からより距離を取りたいからなのかもしれないですよその3つは全然違うモジュメーションから来ているのであってそういうパーソナルなものをなんつうんですかねここだけの秘密という空間で共有するっていうことをやろうと思わないとそれがなんかこう社会で言われている正しいことみたいな方向に向かって回収されていくんですよ
パンパンなのに入れようとするのはダメですよねみたいになっちゃうんですよそしてそれはその通りだからなんかそれでいいようなだから入れなければいいのかみたいなそうして何かが置き去りにされるかそれには納得できずにやっぱり入れちゃうかっていう変な二択に変なっていうかごく当然の二択が残ってしまって結局は私は時代解決されないと思うんですよね今こういう時代なんですよ
でさらにそこに非正規非正規っていう私からするともうほとんどさっきのトラウマとかストレスと同じように何の意味もないに等しい区分線ばかりにこだわる意味はあるんですよそれはね
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安全かどうかっていうのは安全である以上あんまり意味なくなるじゃないですかもし安全であればで別の言い方をすると安全かどうかというのはどっちもかなり危険だった場合もあんまり大した意味ないじゃないですか最低保証品質も似たようなもんだと思うんですよ一定の個室が保証された上での話になったらそこに線引くことの意味ってほとんどなくなるじゃないですか
だからここにすごくこだわることで問題が解決されやすくなるのかどうか疑わしいと思うんですよねやっぱ大事なのはそんな思いまでして問題を解決する意欲を持ってきたんだから問題を解決したいじゃないですかってことなんですよでここに様々なネックがあるっていうのは当然ですよねだってそうじゃなかったら問題解決されているはずなのでで様々なネックがあるわけですよ
ただそれは非常にパーソナルなものであるはずなんで少なくともそういう部分があるはずなんですよだから100人や10人でもいいですね何なら2人でもいいです2人に答えてそういう1対2の形式でも通用する話であるならば多分それは役に立たないんですよそういう場合には